2009年12月31日木曜日

神様ともち

「どんな雑煮を食べてきたか言ってごらん。
 君がどこの生まれか、当ててみせるよ」
美食家ブリア・サヴァランじゃないけど、
雑煮には郷土色が色濃く出るという。

「雑煮は〝方言型〟の典型でね、方言が変われば
食べ物や生活習慣が違ってくるように、雑煮にも自ずと
郷土色が出るんだ」
とは伝承料理研究家の奥村彪生さんのお話。以前、
奈良のご自宅へおじゃまして、もちの由来をうかがったことがある。

まず、もちの形がヒントになる。
もちには丸もちと角もちがある。鏡もちの分身である丸もちのほうが
古風なもちで、角もちはそれを略式にしたものだ。

岐阜県南西部の関ヶ原あたりに分岐点があり、東は角もち、
西は丸もちの文化圏になる。
ならば滋賀の彦根が角もちですまし汁なのは、どういうわけ?
答えは、「井伊の赤備え」で知られた彦根藩は
もともと遠州(静岡)の出身だったから。

天下分け目の関ヶ原。今でも、米原や大垣などは、
丸もちと角もちがごっちゃになっている。

さて、生国の当てっこだが、たとえば牡蠣の入った雑煮なら
広島出身者だろうし、具がカブだけなら福井出身者の線が濃厚になる。
また、丸もちの中にあんこが入っていて、
白みそ仕立てだったら、おそらく香川県あたりが怪しい。

具材はほとんど縁起担ぎで、三河あたりはもち菜(小松菜)
だけというシンプルさ。その菜を高く引き上げて食べる。
「名」を上げるにかけている。ヤツガシラ入りは、人の
「頭(かしら)」になるように、また熊本のもやし入り雑煮は、
「芽が出るように」と縁起を担いでいる。

実に何ともたわいがないのだが、縁起物に言葉遊びはつきものだ。

正月というとおせち料理を第一に考えてしまうが、
あくまで雑煮が「主」で、おせちは「従」だ。もちには稲魂が宿り、
特異な霊力をもつという。だから雑煮には、
神様と食を共にするという意が込められている。
すなわち「神人共食」が成り立つのである。

雑煮用の箸は利休箸のように両端が細い。
ヒト用と神様用に分けられているためだ。

雑煮以外の煮炊きに、年神様を迎えるための
神聖な火と水(若水)は使いたくない。
煮炊きの要らないおせち料理は、こうした理由から生まれた。
女性たちを台所仕事から解放してやるため、
とする「思いやり説」は、俗受けはするが誤りだ。

最近、デパートなどから高級おせち料理を取り寄せる家が増えている。
中華風とか、イタリア風なんていうのもあるという。
その商魂には感心するが、順序としては雑煮を優先すべきだろう。
また雑煮に飽きたからと、ピザにカレー、ラーメンばかりでも困る。
ピザは霊魂の依り代にはなり得ないのである。

みなさん、大いに雑煮を食べましょう。
ただし、くれぐれも喉に詰まらせないように。
僕はこれから、もちを一臼搗きます。
どなたさまも、良いお年をお迎えください。

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