2009年12月18日金曜日

合掌して「いただきます」

テレビドラマなどでは、よく食事風景が出てくる。
どいつもこいつも箸の持ち方がなってない、
なんて嘆いてもしかたがない。衆寡敵せずでキリがないからだ。

なにしろ柴又の寅さん一家だって、見るも無惨に全滅だ。
おいちゃんもおばちゃんも、さくらも博もだめ。
もちろん寅さんなんかめちゃくちゃで、好物の
芋の煮っころがしをつかむのも至難の業だ。

ご近所に寅さんシリーズの脚本(6作目まで)を担当した
Mさんがいるので、そのことを話したら、
「いや、そんなことはない」と強く否定。
ないと言われたって困る。現に銀幕の中ではバッチリ
映っているんだもの。

いや、ここでは箸の持ち方について嘆き節を聞かせよう
というのではない。食事の前後にするあの「合掌」
のポーズなのだ。

私も女房も、あの合掌して「いただきます」「ごちそうさま」
には少しく違和感を感じている。子供の頃から、
そういう習慣がなかったためだろうが、
最近、若い人たちがよくこの合掌をするので、
(どこの家の食卓でも、みんなこうやっているんだろうか?)
やらない自分たちが少数派のように思えてきた。

ついでにいうと、大リーグの日本人選手がダッグアウトの中で、
よくこの合掌ポーズをおどけてやることがある。同僚たちと
合掌しながらお辞儀をするのだ。

(あのねえ、日本人はタイ国人じゃないつーの。誤解されるじゃないの)
マリナーズの佐々木もやってたし、ヤンキース時代の松井もよくやってた。
松井君! エンゼルスでは絶対やらないでね。
見ていて、気色悪いんだ、とっても。

さて、食事時の「合掌」だが、宗教学者の山折哲雄さんは、
食事というのは、
《自分を生かすためにほかの生き物を殺して食うという、
何ともしがたい「原罪」を背負った行為だ》
と前置きし、だから我々は食われる命に対して、「いただきます」
「ごちそうさま」といわなければ、何となく気持ちが落ち着かない、という。

《ならば、そこでしっかり合掌して感謝の気持ちをあらわしたほうが、
心が落ち着くというものではないか》
と、それとなく合掌をすすめている。

なるほどな、と思う。
だが、わが家ではいまだに合掌せずに
「いただきます」をしている。

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