2009年12月28日月曜日

子規の明るさ

NHKドラマの『坂の上の雲』がいい。
特に香川照之の正岡子規がいい。

子規は29歳以降、肺結核から脊椎カリエスを発症、
背中や尻に大きな穴があき、そこから膿が流れ出た。
病床六尺の7年間。妹律の献身的な介護があったとはいえ、
死ぬまで臥褥(がじょく)の身であった。そのやるせない思いを、
香川の子規はよく演じている。

子規は俳諧の革新者といわれる。
19世紀ヨーロッパの自然主義の影響を受け、
「写生・写実」による生活詠を主張した。

  柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺
  風呂敷を ほどけば柿の ころげけり

子規は『古今』をやっつけ、
あんなもの、ただの言葉の遊び。芸術ではない、
と決めつけた。紀貫之を下手な歌詠みと罵った。

司馬遼太郎は子規の不思議な明るさを愛したようだ。
たしかに子規には底抜けに明るい一面があった。
脊椎カリエスは末期になると激痛が走るらしく、
子規自身も『号泣又号泣』『絶叫号泣』
などと記しているが、その嘆き節には湿っぽさがなく、
不思議に乾いていた。

死ぬまで大喰らいを通し、
収入の半分を食費に充てていた、というエピソードも
微笑ましい。

日本の女性たちの多くは、かつて和歌をたしなんだ。
それは教養のひとつだった。しかし、
子規が『古今』『新古今』を完膚無きまで
やっつけたものだから、女たちは、
その剣幕に恐れをなし、以後、歌を詠まなくなった。

僕の師である山本夏彦は、子規の出現によって
風流が亡びたと嘆いていた。歌枕をたずねて、
どこがいけない。言葉遊びのどこがいけない、
あれこそ文化ではないか、と。

女たちは芸術家になろうと思っていたわけではない。
お茶やお花と同様、和歌や俳句は単なるたしなみだったのだ。

リアリズムもいいが、自然主義文学が概ね
つまらないように、写実にこだわりすぎると、
息苦しくなってしまうところがある。
歌も同じだ。句柄のおおらかさが、失われてしまう。

ああ、それにしても子規の明るさが愛おしい。
あれは明治という時代の明るさだったのかもしれない。

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