2015年12月31日木曜日

来年の抱負を一席

今年も余すところあとわずか。
次女が嫁いだり、留学生がとっかえひっかえホームステイしたりと、
いろいろあったが、やはり次女の結婚が最大のエポックだったような気がする。
最愛の娘を嫁に出すというのは勇気が要ることだし、エネルギーも要る。
今はただただ娘夫婦の幸せを祈るばかりだ。

さて感傷にひたってばかりいてもしかたがないので、来年の抱負を箇条書きにする。
たぶん酒ばかり喰らっていて、そのほとんどが実現されないとは思うが、
あんなことをやってみたい、こんなこともやってみたいと目標を立てることは、
それはそれでいいことなので、ランダムに挙げてみることにする。

●斉藤和義の『ずっと好きだった』の高難度ギターテクを完全マスターする。

●他人の本ばかり書いていないで、たまには自分の本も書く。

●歌って踊れるマルチな物書きをめざす。

●速球にさらに磨きをかけ、若い頃の最速(128キロ)を超える。

●腹筋・背筋・体幹を鍛え直し、「25㍍・バタフライ」で16秒台をめざす。

●膝の負担を減らすため、体重をあと5キロ落とす(現在78㎏)。

●今年同様、留学生を積極的に受け入れる。ただし日本文化に興味を持つ♀に限る。

●poorな英会話能力をせめてfair(まあまあ)くらいのレベルにもっていく。

●ボクに憧れるグルーピー(60~70代♀)の年齢層をせめて40~50代に若返らせる。

●休肝日を年に数回はつくる。

●日本を貶めようとする〝左翼反日分子〟は徹底して叩く。

●反日を国是とする支那と韓国には、あらゆる機会をとらえて反撃する。

●朝日・毎日を中心とする左翼反日メディアに対しても攻撃の手をゆるめない。

●女房をいままで以上に大切にする(←なんか唐突でわざとらしいんですけど……)。

●稼いだカネは生活費を除き、その大半を本代と酒代に費やす。

●友達は兄弟以上に大切にする。

●健やかに暮らしていられることを神仏に感謝する。

●親の墓参りだけは欠かさない。

●足るを知り、いたずらに他人を羨まない。

●むやみに人を殴らない。殴りたくなったら、一拍おいてまず深呼吸する。

●しかし、いざという時のために「戦える肉体」は常時キープしておく。

●米国TVドラマ『NCIS』のギプス捜査官のようにカッコいいおじさんになる(プッ)。

●同じく『NCIS』のジヴァ捜査官のような強くて可愛い女を道端でひろってくる(バカ)。

●ユーモア精神を忘れずに、それもちょっとブラックなやつを。

●金銭に恬淡たるべし(ただし、来るものはこばまず)。


さて元旦にはローマっ子のサブリナが遊びに来る。
大嫌いだというチーズを出して歓迎してやろう。





2015年12月29日火曜日

孫に背中を見せてはいけない

暮れも押しつまった時期に起きた陰惨な事件。
千葉県君津市の民家で老夫婦の遺体が見つかった。
殺人容疑で逮捕されたのは夫婦の孫で、県立高校に通う17歳の少年だった。
少年は、「祖母、祖父の順に襲った。その後、自宅でテレビやビデオを見ていた」
などと、悪びれもせず淡々と話しているという。

祖母には背後からツルハシで襲いかかったが、当たらなかったのでナイフで刺し、
異変に気づいた祖父とはもみ合いになったが、倒れた祖父の頭部をツルハシで
一撃しトドメを刺した。祖母は背中を刺され脊髄を損傷したことによるショック死、
祖父は脳損傷などで死亡した。可愛がっていた孫に背後から襲われるなどとは
夢にも思わなかったであろう。その無念、絶望……察するに余りある。

少年は、
ストレスを解消するため人を殺そうと思った。誰でもよかった
「通行人を殺そうと思ったが、逃げられるかもしれないので身内にした」
などと供述しているという。

人を殺してみたかった……

ここ数年、こんな些細な動機で人を殺める事件が相次いでいる。
2000年、愛知豊川市で17歳の少年が主婦を殺害
2014年、名古屋大学の女子大生が主婦を手斧で襲い、マフラーで首を絞めた
2015年、東京は五反田駅の路上で33歳の男が通行人を包丁で刺した
彼らはそろって「人を殺してみたかった……」と供述している。

昔は「尊属殺人」は重刑で、「死刑または無期懲役」だった。
が、いまは日本国憲法第14条「法の下の平等」に反するとして、
その重罰規定は事実上ほとんど死文化している。
ボクなんか「尊属殺」の規定復活を強く望んでいるのだが、
憲法違反といわれてはどうにもならない。

人を殺してみたい、とする衝動はどのようにして起こるのだろう。
「極楽願望」の強いボクはクモ1匹殺すのもためらうほどなのだが
←芥川の読みすぎそのくせゴキブリは平気でひねりつぶす)、
名大の女子大生などは殺人を犯した後、楽しげに「ついにやったーっ!」
などとツイートしていたというから、悔悟の念などかけらもないのだろう。
なんともはや、今どきの若者ときたら、その心底がさっぱりつかめない。

ボクにはまだ孫がいないが、孫に襲われるような世の中では、
サッカーの澤選手の名セリフ《苦しいときは私の背中を見て!》などとは
軽々しく言えない。おちおち背中も見せられやしない。

超一流のスナイパーであるゴルゴ13こと、デューク東郷は、
絶対に他人に背後をとらせなかった。
俺の後ろに音もたてずに立つようなまねをするな!
彼はそう言うと、問答無用で殴り飛ばした。
彼にとっては「自分の背後をとられる=死」だからだ。

ゴルゴ13を敬愛するボクも、彼同様、用心深い性格で(というより臆病)、
電車の中などでも周囲に不審な人間はいないか、といつも眼を光らせている。
不起訴にはなったが(←悪人ばらを成敗しただけ)、傷害罪で捕まっているだけに、
もう二度とこちらからは先に手が出せない。正当防衛は認められるだろうが、
先手必勝の極意を実践できないため、自ずと用心深くならざるを得ないのだ。

もしボクに孫ができたら、必ず言い聞かせることにする。
「おい坊主(♀も同様)、おじいちゃんの後ろに音もたてずに立つようなマネをするなよ」






←孫にもこんなセリフを言わなくてはならない
なんて、いやな世の中になったもんだねえ……

2015年12月26日土曜日

恥は掻き捨てるにかぎる

毎週日曜日は「キャッチボールの日」である。
現在、メンバーは8名。全員が集まることはめったにないが、
都合のつくものたちが近くの小学校の校庭に、三々五々集まってくる。

創設メンバーはボクとシモちゃん。団地の管理組合で知り合った仲で、
キャッチを始めてもうかれこれ8年になる。数年後、やはり管理組合で
知り合ったトミさんが加わり、ずっとこの3人でやってきた。3人ともに
飲んべえで、キャッチのあとの〝反省会〟がまたお楽しみであった。

「反省会」といってもキャッチの上達に資するようなことは何もやっていない。
近所のコンビニで缶ビールとつまみを調達し、これまた団地内のちっちゃな
公園のベンチで、ビールを飲みながらバカッ話に花を咲かせる。
ただそれだけである。
反省とは、つまりこうした愚かな生き方を深く〝反省〟する、ということなのだ。

キャッチボールのどこが面白いのか――あんなもの、ただボールを投げて受けて、
そのくり返しじゃないの、と言うものがあるが、全然分かっておりませんな。
キャッチボールはいわば精神のエクササイズで、あれで立派な〝哲学〟なのですよ。
『強い父さん、賢い母さん』参照

サラリーマンのシモちゃんとトミさんは、
「キャッチのあとに一杯やり、バカッ話で大笑いすると、なんかこう、
いやなことを忘れて、明日からまたがんばろうって気になるんだよな……」
なんて言っている。8年も続いているのは、案外そんなところに理由が
あるのかもしれない。

シモちゃんは今夏、会社帰りに同僚と酒を飲み、しこたま酔っぱらったあげく、
二人してタクシーにはねられ、入院してしまった。同僚は腰の骨を折り、
シモちゃんは頭部を激しく打って脳の髄液が流れ出そう、というところまでいった。
一時は再起不能かと囁かれもした。

しかし、われら飲んべえ仲間の想いが天に通じたのか、シモちゃんは奇跡的に快復。
しばらく運動と酒は医者から禁じられていたが、ようやくお許しが出て、いまは
以前と同じように投げたり走ったりしている。飲酒も完全復活だ。

友達というのはいいもんだ。
遠慮なく何でも言い合える仲というのはそうそうあるもんじゃない。
互いに「ああ、こいつも俺と同じバカなんだな」と、どこかで共感し合えないと
なかなか真の友達にはなれないものだ。

オトコという生き物は、大したことがない割には変に誇り高く、
ちょっとした物言いに傷ついたりする。見かけによらずナイーヴなのだ。
だから、遠慮せずズケズケものを言い合ってはいるのだが、心臓にグサリと
刺さるような言葉だけは微妙に避けている。「寸止め」が肝心なのだ。
その適正な間合いが大事で、こればっかりは年の功でつかむしかない。

裃を脱ぎ、変なプライドを捨て、徐々に〝オバサン化〟していくことが幸せへの道
とボクは何度も「オジサンの生き方」について語ってきたが、
多く不器用でつぶしの利かないオジサンたちは、いまだに定年後の生き方に
逡巡している。

「そのカミシモ、さっさと脱いじゃったら?」
ボクはしかつめらしい顔をしたオジサンを見ると、つい声をかけたくなってしまう。
すでに〝80%オバサン化〟しているボクからみると、面子だとかプライドに
こだわって身動きできないオジサンたちが歯がゆくてしかたないのだ。

かの坂本龍馬も言っている。
恥ということを打ち捨てて世のことは成るべし》と。
ボクなんか本も書いているが、恥だって負けないくらいかいている。
どう転んだって聖人君子にはなれないのだから、それでいいのですよ。
迷えるオジサンたちよ、キャッチボールに興じながら人生を考えてみませんか。






←キャッチをしながら、そこはかとなく
人生を考えてしまう〝三バカ大将〟
の面々。

2015年12月19日土曜日

MIRAIプログラム

昨日からスロヴァキア人の女性をあずかっている。
名前はソーニャ。172㎝の長身で、金髪の美人である。
妹のペトラは180㎝、会社を経営している父親は197㎝、
ソーニャの従兄弟は2mを超えている(2.07mでジャイアント馬場と同じ)というから、
揃って巨人ばかりの一族だ。ソーニャもがっしりした体形で、
聞けば3年間女子ラグビーをやっていたのだという。

ソーニャは日本政府肝煎りの対日理解促進プログラム「MIRAIプログラム」の
一環として初来日した。この人的交流プログラムは世界各国からおよそ5700名の
大学生や大学院生を招聘し、親日派・知日派を増やすことを目的としたもので、
今回は欧州各国から150名が参加した。スロヴァキアからは彼女だけ。国際法を
学ぶエリートで、母親も弁護士をしているという。

もちろん日本語はサッパリだから会話はすべて英語。彼女の英語はexcellentだが、
われらジジ&ババのそれはpoorそのもの。あわや無言の〝行〟が始まるのかと
思いきや、どういうわけかブロークンながらペラペラと言葉が飛び出してくる。
ソーニャもまずはひと安心といった面持ちだ。理由はよく分からないが、
たぶん〝ガイジン慣れ〟してきたからだろう。間違った英語でも少しも恥ずかしい
と思わなくなった。ここは日本だものね、なんの引け目があるものか。

昨夜のディナーはいつものように鍋。嶋中家は冬になると鍋料理ばかり食べてる、
と嫌みを言った友がいたが、たしかにわが家は棚卸しのできる鍋が好きだ。野菜が
たっぷり摂れるのもうれしい。トマーシュは高校生だったからお酒は飲ませられ
なかったが、ソーニャは23歳だから酒の相手をしてもらえる。というわけで鍋を
つつきながらビールやワインをグビグビやり、大いに盛りあがった。

今朝は全員6時に起きた。日帰りながらソーニャは名古屋へ視察に行くのだ。
見学するのはトヨタ産業技術記念館やのりたけの森といったところ。もちろん
名古屋城も見る予定だ。

今夜は娘2人も助っ人に駆けつけてくれるから、にぎやかな夕べになりそうだ。
ディナーは「手巻き寿司」の予定だが、seaweed(海藻)が苦手と言っていたから、
さてどうなることやら。一方でraw fish(生の魚)は大丈夫とも言っていたから、
ま、なんとかなるでしょう。必要以上に相手の都合に合わせない、というのももてなしの
コツだ。要はホスト側のふだんの生活を見せればいいわけで、食事だってふだん
食べているものをそのまま出せばいい。

初日、ソーニャは玄関から靴を履いたまま上がりこんでしまった。
日本では履き物を脱ぐと頭で分かってはいても、いざその場になると
コロッと忘れてしまうらしい。アメリカから次女の世話になったホストファミリー夫妻が
来日したときも、奥方のテレサはヒールを履いたまま上がりこんでしまった。
ソーニャはすぐに気がつきI'm sorryを何遍もくり返し平謝りだったが、
その懸命なしぐさが妙におかしかった。

ケチ臭いことはあまり言いたくないが、国の血税を使ったプログラムなのだから、
寝る時間を惜しんででも大いに学んでいってほしい。そして日本のことを好きに
なってほしい。
「日本はどこもきれい。道にゴミがひとつも落ちてない」
ソーニャの日本の第一印象はこれだった。アジアでは他にスリランカへ行ったことが
あるらしいが、日本はまったく別世界だとも言っていた。

彼女は疑問に思ったことはすぐ質問する。これが嬉しい。
「日本とヨーロッパはすべてが逆なような気がします」
欧州とはまったく別の文化・文明圏が地球の反対側にあるのだ、
ということを分かってもらえただけでも嬉しい。
何年後かは分からないが、彼女とはまたいつか会えるような気がしている。


←娘たちと語らうソーニャ。
かなり裕福な家のお嬢様なのか、
第一印象は「躾の良さ」だった



2015年12月10日木曜日

ユダヤの恩人はA級戦犯

6000人のユダヤ難民の命を救ったとされる外交官・杉原千畝(ちうね)。
その杉原を主人公にした映画『杉原千畝』がいま公開されている。
杉原に扮したのは唐沢寿明で、その迫真の演技が評判だという。

リトアニアの日本領事館に赴任していながら日本政府の命令に背き、
ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人たちに日本通過ビザを発給しつづけた杉原。
その人道的功績によって「日本のシンドラー」などと呼ばれているわけだが、
そもそも金目当てでユダヤ難民を救ったとされるオスカー・シンドラーと並称される
こと自体が不面目なこと、とボクは考えている。人格高潔な杉原に比べれば、
女たらしで遊び人のシンドラーなどは虫ケラも同然で、むしろシンドラーこそ
「ドイツの杉原」(志の気高さは月とスッポンだけどね……)と称されるべきなのである。

さてヘンリー・S・ストークスの書いた『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』
という本によると、ユダヤ難民の命を救った日本人は杉原だけではないことが分かる。

1930年代末、およそ2万人のユダヤ難民がナチスの迫害を逃れ、シベリア鉄道で
満州国境へ押し寄せていた。当時、関東軍ハルビン特務機関長だった樋口季一郞
少将(後に中将)が、新京に司令部を置く関東軍参謀長にユダヤ難民の入国の許可を
求めた。当時の参謀長は東條英機中将だった。もし入国を許可しなければソ連が
ドイツへ送り返してしまう。

東條は「民族協和と八紘一宇の精神」にしたがって2万人のユダヤ人を入国させた。
当然ながら同盟国ドイツの外務省からは猛烈な抗議だ。しかし東條は少しも動じず、
「当然なる人道上の配慮である」として一蹴した。もしも東條が部下の樋口に許可を
与えなかったら、ユダヤ難民の命が救われることはなかっただろう。

イスラエルの首都エルサレムに『ゴールデンブック』なるものがある。ユダヤ民族に
貢献した者、ユダヤ人に救いの手を差しのべた人たちを顕彰するためのものだが、
そこに樋口とその部下、安江仙弘(のりひろ)大佐の名が刻まれている。本来なら東條
の名がいの一番に掲載されるべきものなのだが、悲しいかなハルビンのユダヤ人社会
のリーダーは樋口らの上官・東條の存在も、その果たした役割も知らなかった。

靖國神社に当時の小泉首相が参拝した時、支那の李肇星(り・ちょうせい)外相は、
「戦後、ヒトラーやナチスを崇拝したドイツの指導者はいない」などと、
口をきわめて非難した。東京裁判で「A級戦犯」として処刑された東條英機は
もちろん靖國神社に合祀されている。そもそも東京裁判を認めていない立場の
ボク(ブログ内『座して死を待つよりは……』参照)からすると、A級もB級もないわけで、
「戦犯」などとはとんだお笑いぐさなのだが、日本を永久に「戦争犯罪国家」にして
おきたい支那からすれば、東條英機はヒトラーと同列に扱うべき極悪非道な人間
なのだろう。ふざけた話だ。

杉原千畝は6000人のユダヤ人にビザを発給して「日本のシンドラー」あるいは
「東洋のシンドラー」などと讃えられている。だが2万人のユダヤ人の命を救った
東條英機の功績はほとんど知られていない。ユダヤ人だけでなく、世界中の人たちに
この隠された事実を知ってもらいたくてささやかな一文を草した。



←「日独伊三国同盟」の祝賀会に
同席した東條英機(当時は陸相)。
東條はユダヤ人に対しては一貫して
同情の念を持ち続けていた







※追記
作家の野坂昭如氏が9日、不帰の人となった。
ボクにも少なからぬ縁があって、そのことは
ブログ内の「大きな栗の木の下で」に書いた。
享年85。ご冥福をお祈りする。

2015年12月1日火曜日

信州お笑いの旅

週末を利用して信州へ1泊旅行に行ってきた。
今回は娘婿も加わった総勢5名の陣容だが、なにしろ自家用車が1500㏄の
コンパクトカーなので、はたして山道が走れるかどうかが心配のタネだった。
婿は元早大アメフト部出身で、100キロ超級の大男。ボクと2人合わせると
200キロを超えてしまう。番犬代わりにすればこれほど頼もしい男もいないが、
飯をたらふく喰らうのが、これまた悩みのタネだった。

女3人寄ると〝姦(かしま)しい〟というが、後部座席の女3人は最初から最後まで
しゃべりっぱなしで、たわいのない話に盛りあがってはケラケラと笑っている。
特に長女は〝お笑い系〟の典型で、次女がボケなら長女はツッコミ、
身ぶりや顔の表情が大ぶりだから、つい笑わされてしまう。

「ネパールでは2人の男から求婚されちゃってね、あんまりしつこいから
適当にAのほうが好きといったら、Bがガックリきちゃって、AとBは友だち
同士なんだけど、互いに口を利かなくなっちゃった(笑)……」

長女はどこかの国へ行くたびに求婚されているようで、それも揃って大金持ちだ。
「日本じゃまるっきりもてないけど、異人さんにはもてるんだよねェ……」
何ごとにもアグレッシブで、自分の意見はハッキリ言うような欧米型の女だから、
気の弱い日本の男どもは気後れしてしまうのだろう。

さて、わが家では旅行計画を練るのはカミさんの役目。
ボクはその手の面倒な計画を立てるのは大の苦手なので、
必然的にお鉢が女房に回っていってしまう。

カミさんはヒマワリみたいに明るい性格で、飛び切りのおしゃべり好きだから、
婿さんが初めて参加する今度の旅行はずっと楽しみにしていた。
毎日、原稿書きに追われ、1年365日、ほとんど休みなく働いているのだから、
女房にはこうした息抜きが絶対的に必要なのである。

だから、車中でも食事中でも、また旅館に落ち着いてからも、
のべつまくなしおしゃべりに興じ、腹を抱えて笑っている姿を見ると、
何やらこちらもホッとする。やはりそこは母子、遠慮のない軽口が飛びかい、
婿もつられてついニヤニヤしてしまう。なかなかいい雰囲気だ。

江戸後期の歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)はこんな歌を詠んでいる。

    たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどい
                   頭(かしら)ならべて 物をくふ時



キャピキャッピ言い合いながら飯を喰うのはほんとうに楽しい。
幸せというのはそんなささやかなひとときに感じられるものらしい。
今月半ばにはスロヴァキアから新しい留学生(♀)が来る。
わが家には2泊3日の短期滞在だが、望むらくは明るい子がいい。
手巻き寿司を楽しんだり鍋をつついたり……いい思い出ができそうだ。




←長野・東御市にある海野宿(うんのじゅく)。
日本の道百選の宿場町だ。会津の大内宿
ほどの賑わいはないが、しっとりとした風情が
旅情をかきたてる