2012年9月28日金曜日

厚顔無恥の国

ボクが生まれるちょうど1ヵ月前(1952年1月18日)に、
韓国は海洋資源の保護を名目に日本海・東シナ海に勝手に軍事境界ラインを
設定してしまった。これが世にも悪名高き「李承晩ライン」である。
そして盗っ人猛々しくも「竹島」を自国領土だと主張し始めた。

当時は日韓国交正常化交渉前後で、韓国には交渉のための有利な外交カードが
必要だった。すでに「尻の毛までむしられて」などで再三書いているが、朝鮮半島には
日本統治時代の在韓資産(軍事用を除く)が53億ドル分もあった。国交正常化交渉
の中で、もしも日本が「資産をすべて引き揚げたい」と言い出したりすると、
半島の経済は成り立たない。韓国はそれを何としてでも阻止したかった。

で、どうしたのか。正常化交渉が始まる中で、韓国側は李承晩ラインを越えた
日本の船舶328隻を拿捕、漁船員3929人を抑留した。交渉を有利に運ぶために
漁船員を人質にとって、今の北朝鮮みたいに〝人質外交〟を展開してきたのだ。
彼らの要求はこうだった。漁船員は解放してやってもいい。が、見返りに、
①在日(いわゆる在日ではなく、日本への密入国者約7万人のこと)の法的地位を認めろ 
②日本の在韓資産をすべて放棄しろ 

漁船員たちは6畳一間に30人ほど詰め込まれるという劣悪な環境の中、
1日に手桶1杯の水で過ごすこともあったという。そして船長以下、
機関長や甲板長は1年近く抑留された。李承晩ラインが廃止されるまでの
13年間はこうした凄惨な状況が続いた。

サンフランシスコ講和条約の起草当時、アメリカが韓国に対して出した竹島に関する回答
がある。「ラスク書簡」というもので、米国のディーン・ラスク国務次官補がアメリカの
最終回答として通達したものだ。その中身は、
"As regards the islands of Dokdo, otherwise known as Takeshima or Liancourt Rocks never treated as part of Korea and, since about 1905, has been under the jurisdiction of the Oki Islands Branch Office of Shimane Prefecture of Japan. The Island does not appear ever before to have been claimed by Korea."(ラスク書簡2ページ目2~7行目)

つまり、《この岩礁(竹島のこと)は1905年から日本の島根県の管轄下にあり、韓国から
自国領土であるとの主張がなされたことはない》としている。

また当時の駐日大使だったダグラス・マッカーサー2世(マッカーサー元帥の甥っ子)
とワシントンのラスク国務次官補とは幾度となく公電のやりとりをしているのだが、
その中には、
李承晩は軍国主義で非常識だ。勝手に李承晩ラインを引いたが違法であり、竹島は
明らかに日本の領土である。それを不法占拠したうえに、国際社会ではあり得ないような
やり方で、勝手に他国民を拘束した(日本国民の拿捕、抑留)」
と憤慨したようすが書かれているという。

韓国が国際司法裁判所での解決に消極的なのは、
この「ラスク書簡」があるためともいわれている。





←日本国領土「竹島」(男島と女島) 

2012年9月24日月曜日

戸を出ずして天下を知り……

帰宅するなり娘は「ジャンボ!」と日焼けした顔をほころばせた。
かっとび娘の長女がようやくアフリカ旅行から帰ってきた。
「マサイ族の戦士と一緒に槍を持ってピョンピョン跳ねてきた」
ではあまりに月並みすぎるが、娘は小学校や孤児院を訪ねたり、
牛糞をこねた壁土を塗って家造りに協力したりと、
現地の人たちと積極的に交流を深めてきたらしい。

「牛70頭で、この男と結婚してくれないか?」
マサイの長老が若い戦士を紹介してくれたという。
「娘婿は実はマサイの勇士なんです」と自慢するのも悪くはないが、
牛70頭ではねェ……。一生ステーキを食べ続けるには
せめて300頭はもらわないと……。

自宅を中心に半径500メートル以内を行動範囲と決めているボクからすると、
小田実ばりに『何でも見てやろう』と世界を歩きまわる娘の気が知れない。
古人は「戸を出ずして天下を知り、窓をうかがわずして天道を見る」と言った。
師匠の山本夏彦翁が好んで用いた俚諺だが、
ボクもしばしば口にしては相手を煙に巻いている。

箱根の山を越えたことがない、とうそぶく夏彦翁も実は弱年の頃、パリで2年半を過ごしている。
それどころかあの世も旅してみたいと、自殺を2度試み失敗している。
後年、翁は「ロバは旅をしても馬になって帰ってくるわけではない」という西諺を好んで用いた。
何の学問も知識もないものが、海外に遊んでも何ら得るところはない、という意味だが、
ロバとは何を隠そう夏彦翁自身の自嘲した姿だった。

旅をするのはきらいではない。若い頃、ユースホステルの会員だったボクは好んで一人旅をした。
当時、ホステラー(ユースホステルの会員)の数は60万人以上いて、世界一だったこともある。
それが今は5万人ほどに減少、若者のホステリング離れが急速に進んでいる。

ユースホステルには「ミーティング」というものがあった。宿泊者がホールに集まり
場合によっては歌をうたったり踊ったりするのだが、ふつうは円陣を組んだ座談が主流で、
自己紹介に始まり、ホステラー同士の旅の情報交換などがおこなわれた。
これはもう時効だから言ってしまうが、一人旅の女性複数に愛を告白されたこともある。

しかし一方で、このミーティングを煩わしいと感じる人たちもいた。
おそらくホステリング衰退の一因の一つが、この〝他者との交流を好まない人たち〟
の増加にあるだろう。また就寝時間が決まっているといった規則ずくめも敬遠される
理由になっている。ユースホステルの設立主旨の一つは「交流の宿」というもの。
交流嫌いが増えてはそもそも運営が成り立たない。衰退は必然か。

その旅好きが、いつのまにか出不精になり、ついには生活圏を「半径500メートル以内」
に限るようになってしまった。不遜にも(どこへ行っても何を見てもみな同じ)という諦観
というか見極めみたいなものが先立って、ついつい腰が重くなってしまったのである。
旧約聖書の伝道の書にもあるではないか。《天が下に新しきものなし》と。
そんなおやじの生悟りを尻目に、娘2人はヒマさえあれば国内外へ飛び立ち、
女房も近くイタリア詣でを敢行しようとしている。
女たちの開けっぴろげでノーテンキな行動力は、げにすさまじい。

ただし支那と韓国だけは別。あんな無礼千万の国へは当分行くつもりはないという。
恩怨ともに忘れる、というのは日本人の長所でもあり短所だが、千年前の怨みを忘れない、
というのもよいことではない。ソ連のスターリンは第二次大戦末期にいきなり参戦し、
「これでようやく日露戦争の怨みをはらした」と言ったそうだ。支那人も韓国人も
思いは同じだろう。この怨み、晴らさでおかりょうか……ってか?

忘れっぽい人たちと、執念深い人たちの呉越同舟。
極東アジアの雲行きはいよいよキナ臭くなってきた。



←「重いよォ~」と言いながらも笑顔。
あとで首が回らなくなったとこぼした。
ボクなんかいつだって回らない(意味ちがうだろ!)


 

2012年9月18日火曜日

領土より〝まゆゆ〟

支那では官製の反日デモが連日のように繰り広げられている。
「小日本人を殺せ!」「小日本に宣戦布告しろ!」
デモ隊のシュプレヒコールもやけに威勢がいい。

日系企業の工場は放火され、日本車は軒並み破壊され、
日系のスーパーは打ち壊しに合い、略奪をほしいままにされた。
支那の政府当局は「理性的な行動を」と表向き呼びかけてはいるが、
ほとんど見て見ぬふり。ハナから容認している。

支那の各地で大規模な反日デモが行われているというのに、
日本では若者たちがAKB48だかTKY48だか知らないが、
アイドルグループのコンサートで狂ったようにペンライトを振っている。

あのタマ無し男たちにとっては、竹島が盗られようが尖閣が陵辱されようが、
はたまた日本人がラーメンをぶっかけられようが、
「そんなもの関係ないね。イザとなったら逃げ出すもん」
まるで他人事なのである。

それよりAKB48の「第3回じゃんけん大会」で、まゆゆこと渡辺麻友が
パーを出すかグーを出すかのほうが重大関心事で、オトコたちの頭の中は
「まゆゆ」がどんな勝負服を着てくるかでいっぱいなのである。
尖閣どころの話ではないのだ。

40年前、「ゼンガクレン」と称された日本のスチューデント・パワーは世界を震撼させた。
当時、学生たちはゲバ棒片手に屈強の機動隊と激しく渡り合ったものだが、
当節は機動隊ならぬ「まゆゆと12秒にらめっこ会」だとかで、アイドル相手ににらめっこを
している。あるいは「まゆゆとトランプ! 最初のジャックが出るまでまゆゆをひとりじめ会」
などという集いで、ロリコンのくるくるパーたちが女みたいに嬌声を張り上げている。
支那の暴虐に抗議し、中国大使館前で五星紅旗を焼いたり食いちぎったり
(コリアンの得意技だ)する愛国の士などどこにもいないのだ。

今にして思えば、団塊の世代のゼンガクレンはほとんどくるくるパーだったが、
それでも〝まゆゆ〟なるアイドルにうつつを抜かすほど落ちぶれてはいなかった。

アホな支那人たちよ、腑抜けでタマ無しの日本の若者たちにラーメンでも
チャーシューメンでもいい、思う存分ぶっかけてやってくれ(頭から)。

「今年はセンターを勝ち取りたいで~す」とぷりぷりしたお尻をふって力強く宣言する
カワユイ〝まゆゆ〟ちゃん。ややこしい領土問題もグーチョキパーの「じゃんけん大会」
で決するようになればいいのにね……(ンなわけねェだろ)。

※追記
尖閣問題に関しては支那人の中にも良識派(1億人に1人くらいだが)がいて、
こんなことを書いている。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0828&f=politics_0828_018.shtml
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0828&f=politics_0828_028.shtml


←カッワユーイ、まゆゆこと渡辺麻友ちゃん





 

2012年9月17日月曜日

片雲の風にさそわれて

バイク(400㏄)を持っていた頃は、ヒマさえあれば外出(そとで)をしていた。
高速道を180キロでぶっ飛ばしたこともあった。風圧で顔を上げられないので、
バッタみたいに燃料タンクにしがみつきながら走った。
ふしぎに恐怖心はなかった。

恐いと思いはじめたのは、こどもができてからだ。アクセルを思いきり踏み込めなくなった。
もし砂利にタイヤをとられ横転でもしたら、大ケガか死をも覚悟しなくてはならない。
(自分だけのカラダじゃないもんな……)と思うと、自ずと無茶はできなくなった。
でも模範ライダーと呼ばれるほど落ち目にはなりたくなかったので、
時々は若い連中と張り合い、レッドゾーンの恐怖と快感に酔いしれた。
また黒髪を靡かせかっ飛んでゆく美人ライダーが視界に入ると、
遮二無二追いかけていったりもした(持ったが病でね、ヘヘヘ)。

人間には2種類あるという。「バイク乗りとバイクに乗らないやつ」の2種類である。
バイク乗りはなぜか迫害される。暴走族の一味もしくはその系列につながる
悪い人間と思われるのか、クルマに乗った人間からわけもなく白眼視され、
場合によっては幅寄せといういやがらせを執拗に食らう。

幅寄せは恐い。一度、猛烈な幅寄せに合い、ガードレールに押しつけられ、
そのままコンクリートの電柱に激突して気を失ったことがある。通勤の帰り道だった。
クルマ派の人間からするとバイク乗りなどは人間のクズみたいなもので、
クズなのだから痛めつけたっていい、という理屈らしい。

迫害される側だからか、ライダーは見知らぬ者同士でも互いに心を許すようなところがある。
ユダヤ人みたいに結束する力が強いのだ。またバイク乗りには個性派が多く、
概ね枠にはめられるのをきらう。集団で走るのを好むものもいるが、多くは一匹狼で、
ボクも風の向くまま気の向くまま、という独りだけのツーリングが好きだった。

バイクを手放してから、なんだか急に老け込んでしまったような気がする。
バイクへの悪質なイタズラが続いたので、やむなく手放したのだが、
今でも時々バイク乗りの血が騒ぐ。芭蕉を気取るわけではないが、
片雲の風にさそわれて漂泊の旅に出たくなることが時々ある。

かつての漂泊者の血は、どうやら上の娘に受け継がれたようだ。
長女は有給休暇を取ってアフリカへ行ってしまった。
あの娘はじっとしていることができないタチで、思い立ったらバッグを担ぎ、
インドだろうとアフリカだろうと、鉄砲玉みたいにヒョイヒョイ飛んでいってしまう。

ロバが旅に出ても馬になって帰ってくるわけではない」という西諺を信ずるボクとしては、
アフリカくんだりにまでわざわざ出向く意味が今ひとつ分からないのだけれど、
所詮ロバの頭しかない娘にしてみれば、ジャングルの奥地もパリの都も同列なのだろう。

話変わって今日は「敬老の日」だという。昭和29年に制定されたときは
モロに「としよりの日」という呼び名だったそうな。これじゃァあんまりだということで、
昭和39年に「敬老の日」に改められたという。
ボクはつむじ曲がりだから〝敬老〟だなんてウソくさい言葉がきらいだ。
年寄りはどう転んだって年寄りなのだから、おべんちゃら抜きで「ジジババの日」とか
「くたばり損ないの日」とか「馬齢を重ねた人たちのための日」に改めてもらいたい。


……というわけで、今夜は老夫婦水入らずで乾杯をする。
何のための乾杯かって? 
ただべんべんと生き長らえ、懲りずに老残の身をさらし続けるために乾杯するのですよ。
くたばり損なった小心者のバイク乗りにカンパ~イ!





 

←おいらも日常の殻を破って旅に出るか
イエーイ! そこのけ、そこのけ、
キャプテン・アメリカ様のお通りだィ!
←ワイルドに行こうぜ!
イェーイ!

なんだか恐ェ~



 

2012年9月14日金曜日

中華と小華

「華」というのは文明の意で、華人というのは文明人のことだという。
今月13日、中国上海で日本人がラーメンをぶっかけられ負傷するという事件が起きた。
駐リビア米大使みたいに殺されなかったのが不幸中の幸い、という見方もあるようだが、
無礼きわまりない事件で、文明人どころか支那人はやはり未開人だなとつくづく思う。
そもそも文明人は自らを文明人(華人)とはいわない。
蛮夷だからこそ中華(宇宙唯一の文明の意)などと僭称し強がるのである。

さてもう一方の蛮夷とくれば韓国だろう。韓国朝鮮はかつて中国の〝中華〟に対し
「小華」と称した。いったいどこに文明らしい文明があったのだと、わずかに
朝鮮史を知るものとしては訝しく思うのだが、虎の威を借るキツネみたいに虚勢を張るのが
国民性みたいなものだから、海の向こうの島国を〝倭奴(ウェノム)〟と蔑称するのは、
支那が日本を〝小日本(シャオリーベン)〟と罵倒するのと根っこは同じで、
自分たちだけが文明人なのだ、とする伝統的な儒教(礼教)論理に因っている。

さて去る8月22日、竹島の領有権問題などをめぐり、野田首相が李明博大統領宛に送った
親書が日本側に突っ返されるという珍事が起きた。日韓関係に詳しい米国有識者の多くは
「李大統領は偏狭」と批判、「戦後、日本は一貫して韓国に経済支援を続けてきた。北朝鮮が
暴発したとき頼りになるのは、日本と米国しかないではないか」と、大衆迎合的な李大統領の
ギャンブル的政治手法に大いなる疑問を投げかけている。

「東方礼義ノ国」と呼ばれた朝鮮の〝無礼〟には実は前科がある。
1868年、日本では王政復古の大号令により明治新政府が誕生。近代化の一歩を踏み出した。
同年9月、新政府は国際法に則り、善隣の意を込め隣国の李氏朝鮮にその旨を通告した。
すると朝鮮は日本から送られた国書を冷然と突き返したのだ。
「文章の字句が礼にかなっていない」というのがその理由だった。

国書にはこう書いてあった。
《本邦(日本のこと)、頃(このごろ)、時勢一変、政権一ニ皇室ニ帰ス》
朝鮮側は、
「〝皇〟とはなんだ、皇たるお人は北京におわすだけではないか」
と反発、骨の髄までしみ込んだ事大主義(自主性を欠き、勢力の強大な者(支那のこと)に
つき従って自分の存立を保とうとすること)の本領を思うぞんぶん発揮した。

で、今回の2度目の〝突っ返し〟だが、その理由がまたふるっている。
大統領府の高官はこう言った。
「親書には大統領が竹島を訪問したとあるが、そのような事実はない。大統領は独島を
訪問したのだ」と説明、事実関係に間違いのある親書には応えられない――。
どちらのケースも〝字句〟などというつまらない小事にこだわり、大事を忘れている

愚かにも19世紀に犯した〝無礼〟とまったく同じ次元の無礼を
21世紀になってもまたぞろ繰り返しているのだ。
失礼ながら、あの国にはぜんぜん進歩がない。

中華でも小華でもいい。ただ、あなたたちが思っているほどには
文明人だと見られていない、という事実に早く気づいたほうがいい。
実力もないのに虚勢を張りたがる非文明人を隣人に持った、
日本こそいい迷惑なのである。
 

2012年9月13日木曜日

思わず失禁

年のせいか、近頃失禁することが多くなり、こまっている。
むかしは人前で醜態を見せたくないと、ぐっとガマンしてきたのだが、
最近はコドモ返りしているのか、それとも人の目を気にしなくなったのか、
ところ選ばず、ついお漏らしをしてしまうのである。

昨日もエレベーターの点検と云うことで、しかたなく外階段を使って階下に降りたら、
階段のあちこちに蝉の死骸がころがっていた。この時期、よく見かける光景なのだが、
ボクは不覚にも〝失禁〟してしまった。それは自分にとっても小さな驚きだった。

蝉の一生は「地中7年、地上7日」といわれる。7年間地中にいて、ようやく日の目を見たと
思ったら、わずか7日で寿命が尽きてしまう。その間、雌を呼ぶために力の限り鳴き続ける。
(ついでながら角田光代さんの『八日目の蝉』はタイトルのつけ方が絶妙ですね)
ボクは儚い蝉の一生を思いながら力尽き死んでいった蝉を見たとたん、
愛しさのあまり思わず失禁してしまった。そして蝉に向かって心の中で呟いたのだ。
(よくがんばったな……)

この不可抗力的な現象はオリンピックを見ていたときにも頻繁に起こった。
優勝した選手が歓喜にむせび泣く姿を見ても起こるし、
パラリンピックで、両腕のない選手が必死に泳ぐ姿を見ても起こった。
(年のせいだな)
何だかみっともないが、こんな自分がまんざらきらいではなかった。

ずいぶん前振りが長くなってしまったが、ここで云う〝失禁〟はもちろん
期待されるような大小便のお漏らしではない。「感情失禁」という医学用語で、
何事にも涙もろくなり、ちょっとした刺激で目元がうるんでしまう現象を指している。
原因は脳の動脈硬化が関係すると云われているが、加齢による生理現象だともいう。

年を取ると涙腺がゆるくなる、とはよく云われる。が、ボクに限って云えば、
けなげに咲いている一輪の花を見ただけで失禁してしまうなんてことは、
かつて1度もなかった。ようやく小さな感動を受けとめられるようになったのだ、
と思えばわずかながらも人間的に成長したのかもしれないが、
脳みそが動脈硬化を起こし腐りかけている、と思うとやはり心穏やかではいられなくなる。

最近とみに怒りっぽくなったのも、ひょっとすると脳の動脈硬化によるものかもしれない。
韓国の李大統領が日本の領土に無断で上陸したり、首相親書を突っ返してきたり
したときも、ボクは瞬間湯沸かし器のごとく荒れ狂った。支那の傍若無人ぶりに対しても
同じ。支那人への考えられる限りの悪口雑言をテレビに向かってぶちまけた。いうならば
ケツの穴に蚤の入ったむく犬みたいなもので、その憤激狂乱ぶりは尋常ではない。

こうやって泣いたりわめいたり怒ったりしていると、
自分は文明人からどんどん遠ざかっていくのでは、といささか心配になる。
が、感情を素直に出すことはカタルシスになり精神衛生上すこぶるよろしい、
という意見もあるから、誰が何と言おうが、これからも八っつぁん熊さん的な
生き方を押し通していきたいと思う。

感情失禁は、まあ、しかたがないとしても、ムーニーちゃんやパンパースのお世話に
なるような〝尿もれ失禁〟だけは願い下げにしたいものだ。
が、まかり間違って「八日目の蝉」になってしまうと、老人用オムツも現実のものとなってくる。
「わァ、ジージのおちんちん、エノキ茸みたいで可愛い!」
孫が指でピンとはじいたりして……ああ、いやだいやだ。







 

2012年9月8日土曜日

夏の夜の宴

去る8月24日、六本木のフランス料理店「ル・ブルギニオン」を丸ごと借り切り、
先に「第3回辻静雄食文化賞」を受賞したカフェ・バッハの田口護氏をお祝いする
会が開かれた。不肖わたくしめもスピーチを頼まれたので、
以下にそのお粗末な中身のあらましをご紹介する。



祝辞
 辻静雄食文化賞は「飲食業界のアカデミー賞」という人がいます。木村伊兵衛写真賞が「写真界の芥川賞」と呼ばれていますから、それと並称されて然るべき名誉ある賞だとボクは思っています。田口さんはもちろんお喜びでしょうが、お手伝いしたスタッフ全員も気持ちは同じであります。 
 さて堅い話はこのくらいにして、いきなり星占いの話をします。詩人の大岡信さんがこんなことを書いています。

《辻静雄さんと私との間には少なくとも2つの共通点がある。1つは生まれ月の星座が水瓶座であること。もう1つはかつて読売新聞で禄を食んだことがあること》と。
 辻静雄さんは1933年2月13日生まれの水瓶座でした。そしてかつては大阪読売新聞の社会部記者でした。水瓶座の男性は「知的でクールで二枚目」が多い、といわれています。辻静雄さんはまさしくそのまんまでした。また全世界の知識人の80%は水瓶座、といういささか怪しいデータもあります。エジソン、リンカーン、モーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン……みんな水瓶座です。
 

 日本では徳川家康、夏目漱石、大江健三郎、嶋中労……(笑)あっ、高倉健もいましたね。実に錚々たる面々であります。なかには鳩山由紀夫やキム・ジョンイル、所ジョージなんていうのも混じっていていささか面食らうのですが、水瓶座は「奇人・変人・宇宙人」の宝庫ともいわれ、全世界の奇人変人の80%は水瓶座ともいわれてますから、宇宙人の鳩山由紀夫がいても少しもおかしくないのであります。
 

 では辻静雄さんと田口さんとの接点は何か。
必死こいて(こくな、そんなもん)調べましたところ、恋人同士とか夫婦になるとまことに相性がいい。田口さんは7月29日生まれの獅子座で、水瓶座とはとても相性がいいんです。
獅子座の大きな特徴の1つに「目に見えるものしか信じない」というのがあります。徹頭徹尾リアリストなんですね(田口氏はコーヒー業界にはびこっていた神秘主義を粉砕、科学的視点から焙煎や抽出技術を見直した)。ナポレオン、ヒッチコック、司馬遼太郎……獅子座生まれはみなリアリストであります。
 

 性格的には感情の幅が広く、思慮深く温かみがある。一生金運に恵まれ、賑やかな大盤振る舞いが好き(とってつけたような世辞だね、こりゃ)、なんていうのもあります。親分肌で何より気前がいいんですね。おかげで今夜はすっかりゴチになっております(笑)。
 

 筋金入りのリアリストを前にして星占いなどという、ちっともリアリスティックでない話をいたしました。ほんの座興でございます。田口さん、辻静雄食文化賞の受賞、ほんとうにおめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。
          平成24年8月24日 一白先勝                            嶋中労

2012年9月2日日曜日

平和主義者が戦争を起こす

現行の平和憲法を守ろうという人たちはパシフィスト(pacifist平和主義者)と呼ばれている。
パシフィストは争いごとがきらいだ。隣国と仲が悪くなり揉め事が起きても、「話し合い」
で解決すべきだし、解決できると信じている。彼らはいつだってこう考える。
「戦争のことを考えるから戦争が起きてしまう。考えなければ戦争なんて起こらない。
武器を持つから使いたくなる。軍隊も同じで、そもそも軍隊があるから戦争が起きる。
軍隊なんか持たないほうがいいのだ」←念力の世界だな、これは

これに似た考えを持っているのは米国ペンシルベニア州のクエーカー教徒たちだ。
彼らは侵略に対しては「絶対無抵抗主義」で、自分や家族が殺されても覚悟の上だという。
(ちなみに『武士道』の著者で五千円札の顔の新渡戸稲造はクエーカー教徒だ)
非武装中立を掲げた旧社会党(社民党)の主張もまさにこれだった。
が、村山富市が自社さ連立内閣の首班になった途端、「自衛隊は合憲で必要」と
あっさり宗旨替えしてしまった。

さて哲学者の田中美知太郎は、こんな名言を残している。
《憲法に日本は平和を守ると書いて謳えば平和が達成され得るなら、
毎年大きな被害をもたらす台風は日本に来てはならぬと憲法に宣言すれば、
台風は来なくなるのか》

「平和主義者が戦争を起こす」という言葉がある。歴史をふり返ってみると、
皮肉にもパシフィストが優勢なときほど戦争が起こっている。絶対に一歩も引かぬ、
やられたらやり返す。いや倍返しだ、10倍返しだ(まるで半沢直樹みたい)、
と互いに角突き合わせている時はなかなか戦争にはならない。
一番いい例は米ソの冷戦だ。いつか必ず衝突すると思われていたが、それはなかった。
キューバ危機が戦争でなく〝危機〟に終わったのは、
米ソが開戦覚悟で激しく対立していたからだ。

ボクは改憲派の核武装論者だと再三言っている。温厚篤実で鳴るボク(自分で云うな!)
がなぜそうなったのか。それは素直に歴史に学び、パシフィストの持つ理想主義の
危険性が骨身に滲みたからだ。たとえば北朝鮮が日本に対し核で脅したとする。
日本の総理大臣は押し並べて草食系の平和主義者だから、
できるだけ話し合いで解決しようとするだろうが(解決できるのならそれが一番いい)、
鉄の女と呼ばれた英国のサッチャー元首相が日本の首相だったらどうするだろう。

たぶんこんなふうに言い返すだろう。
「どうぞ撃ち込んでみなさいな。数万人くらい死んだってかまわない。その代わり、
日本は非核三原則を撤廃し、核弾頭を数百発つくって〝数倍返し〟をしてやる。
資金と技術は十分すぎるくらいあるから、2~3年も経てば、世界有数の超精密核大国
になっているでしょうよ。さあ、やれるもんならやってみなさいよ!」

アメリカの専門家の意見では、日本は数カ月で核武装できるといわれている。
現に日本国内だけでも6万トン、日本がコントロールしている外国での原子力発電
の分を含めると30万トンもプルトニウムを保有している。

ここ数十年来、核兵器廃絶が叫ばれているが、実現の可能性は低い。
なぜ核兵器は無くならず、かえって保有したいとする国が増えるのか。
理由はいろいろあるが、一番大きいのは互いの〝立ちすくみ〟の必要性と有効性だ。
「やれるもんならやってみろ。10倍、100倍にして返してやるからな」
こうやって牽制し合えば、互いに手出しができない。
つまり、立ちすくみ状態こそが平和を維持し得るという理屈だ。
インドとパキスタン、イスラエルとイラン……世界には仲の悪い隣国同士が
ごまんとある。

日本国憲法の前文にはこうある。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した
実にすばらしい。

そういえば、毎月、母親から児童手当をもらっている鳩山のお坊ちゃまは
東シナ海を〝友愛の海にしましょう〟と支那の李副首相に提案したっけ。
世界は性悪説で成り立っているのに、鳩山と多くの民主党員だけは性善説を掲げ、
世界中の失笑を買っている。ムリもない。憲法の前文には
平和を愛する諸国民の公正と信義〟などと、読んでいて
気恥ずかしくなるような文句が連ねてある(前文だけ変えようと云っても改憲論者と呼ばれる)。
お人好しが信じこむのもムリはないのだ。品位のカケラもない餓狼のような
諸国民に囲まれ、何が〝友愛の海〟だ。どこに公正と信義がある。


鉄血宰相ビスマルクはこう言った。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ》と。



←じゃあ、誰のものなんだよ! このボケ、カス!
このマヌケ面を見てると、つい頭に血が上り、
あのバカ女房ともどもとっ捕まえて、
裸にひんむいて、考えられる限りの、
ありとあらゆる恥辱を与えてやりたくなる。
ボクって凶暴な人間なんでしょうかねェ