2009年12月31日木曜日

神様ともち

「どんな雑煮を食べてきたか言ってごらん。
 君がどこの生まれか、当ててみせるよ」
美食家ブリア・サヴァランじゃないけど、
雑煮には郷土色が色濃く出るという。

「雑煮は〝方言型〟の典型でね、方言が変われば
食べ物や生活習慣が違ってくるように、雑煮にも自ずと
郷土色が出るんだ」
とは伝承料理研究家の奥村彪生さんのお話。以前、
奈良のご自宅へおじゃまして、もちの由来をうかがったことがある。

まず、もちの形がヒントになる。
もちには丸もちと角もちがある。鏡もちの分身である丸もちのほうが
古風なもちで、角もちはそれを略式にしたものだ。

岐阜県南西部の関ヶ原あたりに分岐点があり、東は角もち、
西は丸もちの文化圏になる。
ならば滋賀の彦根が角もちですまし汁なのは、どういうわけ?
答えは、「井伊の赤備え」で知られた彦根藩は
もともと遠州(静岡)の出身だったから。

天下分け目の関ヶ原。今でも、米原や大垣などは、
丸もちと角もちがごっちゃになっている。

さて、生国の当てっこだが、たとえば牡蠣の入った雑煮なら
広島出身者だろうし、具がカブだけなら福井出身者の線が濃厚になる。
また、丸もちの中にあんこが入っていて、
白みそ仕立てだったら、おそらく香川県あたりが怪しい。

具材はほとんど縁起担ぎで、三河あたりはもち菜(小松菜)
だけというシンプルさ。その菜を高く引き上げて食べる。
「名」を上げるにかけている。ヤツガシラ入りは、人の
「頭(かしら)」になるように、また熊本のもやし入り雑煮は、
「芽が出るように」と縁起を担いでいる。

実に何ともたわいがないのだが、縁起物に言葉遊びはつきものだ。

正月というとおせち料理を第一に考えてしまうが、
あくまで雑煮が「主」で、おせちは「従」だ。もちには稲魂が宿り、
特異な霊力をもつという。だから雑煮には、
神様と食を共にするという意が込められている。
すなわち「神人共食」が成り立つのである。

雑煮用の箸は利休箸のように両端が細い。
ヒト用と神様用に分けられているためだ。

雑煮以外の煮炊きに、年神様を迎えるための
神聖な火と水(若水)は使いたくない。
煮炊きの要らないおせち料理は、こうした理由から生まれた。
女性たちを台所仕事から解放してやるため、
とする「思いやり説」は、俗受けはするが誤りだ。

最近、デパートなどから高級おせち料理を取り寄せる家が増えている。
中華風とか、イタリア風なんていうのもあるという。
その商魂には感心するが、順序としては雑煮を優先すべきだろう。
また雑煮に飽きたからと、ピザにカレー、ラーメンばかりでも困る。
ピザは霊魂の依り代にはなり得ないのである。

みなさん、大いに雑煮を食べましょう。
ただし、くれぐれも喉に詰まらせないように。
僕はこれから、もちを一臼搗きます。
どなたさまも、良いお年をお迎えください。

2009年12月29日火曜日

畸人好み

穂村弘という歌人兼エッセイストがいる。
まだメジャーではないが、癒し系のグッズが
受ける時代にピッタリの作家ではないかと、
ひそかに応援している。

入門書としては『現実入門』『世界音痴』あたりが
よろしいのではないか、と思う。

この男、本のタイトルにもあるように、現実というものに
極端に疎く、世の中のことをほとんど知らない。しかし、
伊藤整文学賞をとってしまうくらいだから、歌人としては
なかなかのものらしいのだ。

男の特徴は臆病で怠惰で好奇心が皆無、というところ。
40代も半ばになろうという最近まで、母親と2人暮らしで、
キャバクラにも海外旅行にも行ったことがない。
そしていつも万年床で、菓子パンをむしゃむしゃ食べている。

そんな、生活者としては典型的なダメ男が、
エッセイを書くと、何と言おう、実にオモロイのだ。

ある日、母親とパスタ屋に行く。
メニューを開くと、ボンゴレ・ビアンコだの
ペンネ・ボロネーゼだの、横文字のオンパレードだ。
注文しようとすると、目がチカチカ、舌が回らないわで
大いにあせりまくる。

《私の母親などメニューに向かって今にも
ごめんなさいと謝りそうである。お母さん、
あなたは何にも悪いことはしてないんだから、
タリアテッレやコンキリエに謝らなくてもいいんです》

母親は紅茶とコーヒーをかろうじて区別できるそうだが、
カフェオレになると、もうダメだという。
《「カフェオレもあるよ?」と声をかけると、
怯えた目になってしまう》

わかる、わかる。うちのお袋もまったく同じだもの。

穂村のエッセイには、彼しか書けない
特異な言葉の世界がある。言葉に敏感な歌人
だからこそ作り得る世界なのか、独特のほんわかした空気感がある。

平易な文章だから、だれでもマネができそうだが、
やれるものならやってみろ、というドスの利いた凄みを
感じさせる文章でもある。
なまなかな腕では、とてもとても。

穂村は読売新聞にもコラムを連載した。
が、期待したほどおもしろくはなかった。
穂村らしさがまったく出ていないのだ。
最近、結婚したと聞いたが、人並みの生活をするようになったら、
感性も人並みになってしまったのか。
弘ちゃん、畸人のままでいてくれ!

毒舌書評

米原万里が好きだった。
天性の文章家で、毒のあるユーモアが秀逸だった。
ものすごい読書家で圧倒的な博覧強記。
そのことは『打ちのめされるようなすごい本』
を読めば、すぐわかる。

その米原さんが2006年に早世してしまった。
残念至極である。が、米原さんはちゃんと後継者を
残しておいてくれた。文芸評論家の斎藤美奈子である。

米原曰く、斎藤の書評は、
《類い希なる毒舌の才と芸が冴え渡っていて》
巷に氾濫する悪口本にはない、《貶す書評の鑑》だという。
そこまで言われたら読まねばなるまい。

で、さっそくアマゾンで注文。
『誤読日記』『文壇アイドル論』など数冊を読んでみたが、
僕には『趣味は読書』が一番おもしろかった。

斎藤に言わせると、世の読書人と称する人種は、
今や《絶滅危惧種》の類らしい。
彼らはしばしば、「ベストセラーなど読みたくない」
などととうそぶく。が、その手の輩は、
《「あんな大衆食堂のメシなど食いたくない」
とうそぶく嫌味ったらしい美食家と同類である》
と冷たく切り捨てる。

また哲学者の中島義道をからかって、
《哲学者なんて(と差別的にいうが)、労働者としても生活者としても、
もともと失格なわけですよ。じゃないと哲学者にはなれないし、
失格だが、人類の貴重な文化財だから社会が特別に保護して
やっているのである》
と、これまたケチョンケチョンである。

そういえば、この「特別保護動物」のお仲間が、
僕の近所にもいる。僕には斎藤ほどの度胸も根性もないので、
この〝動物〟にひょっこり出会ったりすると、
つい深々とお辞儀をしてしまう。
彼が生活者として失格かどうかは知らない。
が、「キリスト様」と陰で呼ばれてるくらいだから、
たぶんいい人なのだろう。

余談はさておき、
斎藤美奈子女史に、まずは注目あれ。

2009年12月28日月曜日

合法的な情婦とは?

『PS,アイラブユー』の作品で知られる
セシリア・アハーン(元アイルランド首相の娘)の
『Love Rosie』を読んだ。

娘の本棚から勝手に拝借したものだが、
読み始めたら、とうとう惰性で読み切ってしまった。
500ページもあったが、それほど苦にはならなかった。

話は夢見がちの女の子たちが好みそうなラブストーリーだ。
幼なじみのアレックスとロージーはアイルランド生まれ。
高校卒業後、それぞれの夢に向かって邁進する。

アレックスの夢は名門大出の医者で、
ロージーの夢は南仏のホテルで働くこと。
2人は心の奥底で、ひそかに愛を育んできたが、
兄妹のように育ち、あまりに遠慮のない間柄だけに、
そのことを口にできない。

ストーリーは2人のe-mail のやりとりを中心に進んでいく。
友人や親兄弟など周囲のものたちも多数登場するが、
すべてネット上の chat room かe-mail の中だけに限られる。

e-mail だけの構成で500ページの小説が書けるものなのか。
僕にはちょっとした驚きだった。

2人は共に、別の相手と結婚し、子供もできるが、
作者のご都合主義というべきか、結婚生活はうまくいってない。

そして最後の土壇場になって大団円を迎える。
ロージーはすでに50歳になっていたが、
愛しいアレックスとついに結ばれるのだ。
「自分の気持ちに素直になったらどうだ?」
と、読者は終始イライラさせられるが、
まずはめでたし、めでたし……。

教訓というほどのものではないが、
やっぱ結婚は、好きな相手としたほうがいい。
「3高(高収入、高学歴、高身長)でなきゃ、イヤ!」
なんてバカなお題目を唱えていると、
好きでもない相手と一緒になり、
でき損ないの娼婦みたいな生活を送るハメになる。

そういえば英語で、妻のことをlawful jam 
(合法的な情婦)とする言い方があったっけ。

子規の明るさ

NHKドラマの『坂の上の雲』がいい。
特に香川照之の正岡子規がいい。

子規は29歳以降、肺結核から脊椎カリエスを発症、
背中や尻に大きな穴があき、そこから膿が流れ出た。
病床六尺の7年間。妹律の献身的な介護があったとはいえ、
死ぬまで臥褥(がじょく)の身であった。そのやるせない思いを、
香川の子規はよく演じている。

子規は俳諧の革新者といわれる。
19世紀ヨーロッパの自然主義の影響を受け、
「写生・写実」による生活詠を主張した。

  柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺
  風呂敷を ほどけば柿の ころげけり

子規は『古今』をやっつけ、
あんなもの、ただの言葉の遊び。芸術ではない、
と決めつけた。紀貫之を下手な歌詠みと罵った。

司馬遼太郎は子規の不思議な明るさを愛したようだ。
たしかに子規には底抜けに明るい一面があった。
脊椎カリエスは末期になると激痛が走るらしく、
子規自身も『号泣又号泣』『絶叫号泣』
などと記しているが、その嘆き節には湿っぽさがなく、
不思議に乾いていた。

死ぬまで大喰らいを通し、
収入の半分を食費に充てていた、というエピソードも
微笑ましい。

日本の女性たちの多くは、かつて和歌をたしなんだ。
それは教養のひとつだった。しかし、
子規が『古今』『新古今』を完膚無きまで
やっつけたものだから、女たちは、
その剣幕に恐れをなし、以後、歌を詠まなくなった。

僕の師である山本夏彦は、子規の出現によって
風流が亡びたと嘆いていた。歌枕をたずねて、
どこがいけない。言葉遊びのどこがいけない、
あれこそ文化ではないか、と。

女たちは芸術家になろうと思っていたわけではない。
お茶やお花と同様、和歌や俳句は単なるたしなみだったのだ。

リアリズムもいいが、自然主義文学が概ね
つまらないように、写実にこだわりすぎると、
息苦しくなってしまうところがある。
歌も同じだ。句柄のおおらかさが、失われてしまう。

ああ、それにしても子規の明るさが愛おしい。
あれは明治という時代の明るさだったのかもしれない。

2009年12月27日日曜日

Love me tender!

自慢じゃないが、僕はPTSD患者である。
心的外傷後ストレス障害というややこしいやつだが、
僕の場合は閉所恐怖症といったほうが話が早い。
パニック障害の一種で、満員電車につめこまれたり、
窓のない狭い部屋に閉じこめられたりすると、
たちまち発作が起きる
美人と一緒だと不思議に治まってしまうのだが……)。
ひどいときには呼吸困難に陥る。

10年ほど前に、突然発症し、通院が始まった。
すぐにPTSDと診断され、今も薬が手放せない。
閉所に対する恐怖は尋常ではなく、数年前は
過呼吸症候群まで引き起こし、ほとんど呼吸ができなくなった。
大げさに聞こえるだろうが、一瞬、死を覚悟した

眼球を左右に動かしながら過去の記憶をたどっていく
EMDRという最新の治療法も試みた。心的外傷の
原因を突きとめ、傷ついた神経回路にバイパスをつくる治療法である。

その結果、小学生の頃に、プールで溺れかかった
記憶が呼び戻された。また、まっ暗な狭い部屋に閉じこめられ、
天井の蛍光灯をジッと見つめていたという記憶もあった。
その蛍光灯は接触が悪いのか、絶えずチカチカと光っていた。
その光を見つめていたら、突然、呼吸ができなくなったのだ。

おそらくその時に、トラウマができてしまったのだろう。
今はだいぶよくなったが、地下鉄や飛行機に乗れない時期が
長く続いた。地下鉄は一駅ずつ降りては息をととのえ、
エイヤー! と自分を叱りつけるようにして、次の電車に飛び乗った。
そしてまた隣の駅で降りて深呼吸。この繰り返しだった。
目的地にはなかなかたどり着けなかった。

僕の場合、自分の身体を締めつけるもの、
動きを規制するものは、すべて排除する必要があった。
それらすべてが、
閉所に閉じこめられた時の精神状態を誘発するからである。

タイトな服やネクタイはだめ。
ある時、左手の結婚指輪が気になり始め、脂汗が出てきた。
じっと見ていたら急に息苦しくなり、あわてて外そうとしたが、
肉に食い込んで外れなかった。
僕はほとんどパニック状態になった。

宝石店に駆け込み、急いで切断してもらった。
指から外れたときの解放感といったらない。
深く息を吸い込んだら、全身から力が抜けてしまった。

傍から見ると、いい年をして何をやってんだ、
と思うかもしれないが、PTSD患者にしてみれば、
一分一秒が命がけなのである。

肉体に障害を抱えているもの、心に障害を持っているもの。
人はさまざまな病気や悩みを抱えて生きている。
五木寛之風に言えば、
人は生きているだけでもう十分立派なのかもしれない。

女性をナンパする際に、そっと結婚指輪を外す男がいるが、
僕はその必要がないので、ずいぶん助かってる
(←何が助かってんだよ!)。

←一番苦手なのが満員電車。
こんなのに乗り合わせたら、
呼吸困難になり気絶してしまう。

2009年12月26日土曜日

カバの犬かき

同級生にMという男がいた。
あだ名は「カバ」。カバ顔だったからなのか、
何事にもトロ臭かったからなのか、由来は知らない。
たぶん、その両方だろう。

たしかに変わった男だった。
奇人といってもよく、吉本興業の
お笑い芸人が束になっても敵わない
くらい、天然ボケ的なおかしみがあった。

カバはみんなからこづかれたり、どつかれたり、
ほとんど人間扱いされなかったが、いつもヘラヘラ
笑ってた。まれに歯向かって突進してくることもあったが、
闘牛士にマヌケな牛が軽くあしらわれるみたいに、
ひょいといなされ、尻を思いきり蹴り飛ばされるのが
オチだった。

カバはどんな虐待にも堪えた。パンツを下ろされたり、
沼の真ん中でボートから突き落とされ、
「カバなんだから、岸まで泳げ!」
とむちゃくちゃ言われても、決してめげなかった。
カバは犬かき?で必死に泳いだ。

カバは鉄砲が撃ちたいからと、自衛官になった。
だが、ほどなく営門から追っ払われた。
たぶん、とんでもないドジを踏んだのだろう。

その後、結婚もした。
相手はもちろん人間のメスで、可愛いフィリッピーナだった。
しかし1週間で逃げられてしまった。
たぶん、途方もないドジを踏んだのだろう。

カバの人生はドジの連続だった。
今であれば典型的ないじめの事例といえるが、
昔はごく当たり前のできごとだった。
子供は本来、残酷な生き物なのである。
それでもカバは自殺もせず、ひきこもりもせず、
毎日学校へ通った。

なぜかって? カバはみんなから愛されていたからだ。
武者小路実篤に『馬鹿一』という作品がある。
馬鹿一はお人好しで理想主義者だった。
みんながからかい半分に「はい、これプレゼント」と、
道端でひろった石っころを手渡すと、
馬鹿一は目を輝かせて喜んだ。

「この世は美しいものでいっぱいだから、
醜いものを見てるヒマがない」
と馬鹿一は言った。その目はいつも澄んでいた。

カバは馬鹿一だったのかもしれない。

生きてるのか死んでるのか、その後の消息は聞かない
(↑風の噂ではどうやら生きてるらしい。同窓会にも出るという)。
でも、時々、カバのあのとぼけた顔を思い出す。

あんな純情な男を、ボートから突き落とすなんて、
思えばひどいことをしたものだ。
悪いのは、みんなA君だからね。
いや、ひょっとするとN君も共犯だろう。

M君! 誓って言うが、ボクは無実です。
恨みを晴らしたいのなら、及ばずながら助太刀いたしますゾ。

2009年12月25日金曜日

夜目遠目

女性たちが年々きれいになっていく。
昔はおたふく顔やオコゼみたいな顔をした女性が
少なくなかったが、最近は、顔もスタイルも
ビックリするほどよくなった。

その昔、雑誌記者だった頃、野坂昭如さんの原稿を受け取りに
『11P・M』のスタジオまで出向いたことがある。大橋巨泉が司会する
ちょっぴりエッチな深夜のワイドショーである。野坂さんは、
「Trust me」みたいなことを言って、
ウブな私を幾度となく引っ張り回したものだが、
結局この日も、原稿はもらえなかった。

でも収穫はあった。美女たちをたっぷり拝ませてもらったのだ。
目の前には、スリップ一枚のあられもない女たちがウジャウジャいた。
おそらく私は、飛びっきり好色そうな顔つきをしていたことだろう。

あれから30有余年、女たちはさらに美しくなった。
だが欠点が2つほどある。言葉づかいと歩く姿勢がまるでダメなのだ。
ベタの大阪弁で言うと、「さっぱりワヤですわ」と相成る。

「……だからァ~」「……なんでェ~」「……みたいなァ」
と、語尾があいまいなまま終わってしまう。
まだ続くのかと思いきや、これでおしまい。
「えっ? で、結局、お前さん何が言いたいわけ?」
こっちがイライラしてると、すかさず、
「てゆっかァ~」と、またダラダラがおっぱじまる。

作家の池波正太郎さんは、若い女性編集者から
仕事の依頼か何かの電話があると、
「ちょっと待って。あなたのそばに30歳以上の男の方はいませんか?
いたらその人と電話を代わってくれませんか」と言ったという。

女性差別ととられかねない対応だが、あそこまで大物だと、
だれも文句を言えなくなるのだろう。
「何を言ってるのか、さっぱりわからないから」
というのが池波さん側の言い分だという。
さもありなんだ。

うちの娘も時々、「……てか」なんて言葉を使う。
「というか」→「てゆっかァ~」→「てか」と短縮されたクチだ。

昔から「色の白いは七難隠す」って言うけど、
今は、「色の白いは」を「話し言葉の美しさは」
にぜひとも換えてもらいたい(みたいなァ~)。

睦言バンザイ!

記者という稼業を長年やっていると、
面の皮がだんだん厚くなってくる。
相手がどんなにエライ人でも、
またどんな有名人であっても、
それほど動じなくなる。

新人の頃はそうではなかった。
もともと小心者で、人見知りもした。
今でもコアの部分はたいして変わっていないと思う。

が、自分を変えたい、もっと強くなりたいと念じ、
ムリに強がっているうちに、自分は強い人間であると
いつしか錯覚するようになる。その錯覚の積み重ねが、
少しずつホンモノの強さに転換していくような気がするのだ。

つまり強がりや痩せ我慢の繰り返しが、人間改造の
大きな原動力になる、ということだ。

薩長連合の立役者となった坂本龍馬には、
ひとつの流儀があった。
その1つがこれだ。
《義理などは夢にも思うことなかれ。
身をしばられるものなり》

そしてこんなのもある。
《ひとに会うとき、もし臆するならば、
その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思え。
たいていの相手は論ずるに足らぬように見えるものなり》

これには笑った。そりゃそうだろう。
閨(ねや)でじゃれ合ってる姿を想像された日には、
どんな高徳の士でも、アホに見える。

この龍馬のアドバイスは、新人記者だった私には
福音のように思えた。そして、
今でもこの金言を拳々服膺している。

世の中には、居丈高で尊大な人間がけっこういるものだ。
もちろん私の住むアパートにも何人かいて、
おつき合いするのにホトホト苦労する。
で、そんなとき、龍馬の言葉を思い出しては
気をまぎらせるのである。

いつもエッラそうな、Hさん、Wさ~ん!
奥さんだけにはやさしくしてね!

2009年12月24日木曜日

メリークリスマス!

今夜はクリスマス・イヴ。
それがどうした、といわれても困るが、
なにせお祭りである。堅いことは言わずに、
バカッ騒ぎをすればいい、なんて不謹慎にも思ってしまうが、
正直、異教徒としてはめでたくもあり、
めでたくもなし、といったところだろうか。

今や世界中でクリスマスを祝っているが、
カソリックの大本山・バチカンは、つい最近まで
(といっても470年も前だが)、
独善・狭量・排他主義を専らにしていた。

1537年、ローマ法王のパウロ3世は、以下のことを
世界に向けておごそかに宣布した。

《アメリカ新大陸の土着民やインド人、黒人などは、
我われ白人に奉仕するために生まれたdumb brutes(おろかなケダモノ)
と思っていたが、よくよく考えてみたらtruly men(ホンモノの人間)であった……》

チョー、ムカつくゥ! 渋谷あたりの女子高生ならきっとこう叫ぶだろう。
まさにそう。わざわざおごそかに宣言しなくたっていいよ、って感じだが、
異教徒なんてものは人間以下の動物、と実際思われていたことはたしかだ。

そのバチカンが、黒いのも黄色いのもtruly menと認めてくれたのは
めでたいが、大きな大きなお世話でもある。

1492年といえばコロンブスの新大陸発見(僕らはそう教わった)だが、
アメリカ先住民からすれば、
「別に発見されたかねえや」
という理屈になろう。これも大きなお世話である。

近代は白人の世紀だというが、非白人にとっては、
実に迷惑な世紀だった。そして今もなお、白人たちの独善主義は
世界中でまかり通っている。イスラムとの軋轢も、根っこは同じである。

毎日のように報道される自爆テロ。
慣れっこになってしまっている自分が怖い。
だが、イルカ1頭の命のほうが、アラブ人数十人の命より重い、
といった新聞報道の扱いを見ていれば、
自然と神経がマヒしてくる。

イスラムの世界には、異教徒を殺して殉教した者は、
天のパラダイスに行って72人の処女を抱ける、
という教えがあるのだそうだ。

なぜ72人なのかは知らない。
うらやましいと思ったりもするけど、
体力を消耗して早死にしちゃいそうだ。
あれっ? もう死んでたんだっけ?

僕は戦中派

僕は戦中派だ、というとみんなビックリする。
「だってお前、昭和27年生まれだろ? なんで戦中派なんだよ」
たしかに……戦争経験はないけど、
27年まで〝戦争状態〟は続いていた。

もうおわかりかと思うが、法律上の話をしている。
日本国およびその領水(領土の一部である水域)
に対する日本国民の完全な主権を承認したのが、
ご存知、サンフランシスコ講和条約だ。

この条約は、1952年4月28日に発効した。すなわち、この日に
日本は独立を〝回復〟したのである。それまでの7年間は、
アメリカを中心とした連合国の占領下に置かれていた。

僕は1952年の2月18日生まれだから、
国際法上はまだ戦時下にあった。
降伏文書に署名したのは1945年9月2日だが、
それ以来ずっと戦争状態は継続していたのである。
つまり法的にいうと、まぎれもなく「戦中派」ということになる。

屁理屈ついでに言わせてもらうと、
韓国が日本の植民地支配から解放された8月15日を
「光復節」として祝っているように、
日本も主権を回復した4月28日を、何らかの祝日として
お祝いすべきだと思うのだ。

でも、「紀元節」を「キモト節」と読むような国じゃ、
ちとムリな注文かな。

立ち食いそばを召しませ

近頃はもっぱら赤ワインを飲んでいる。
それもふだん飲みの安ワインばかりだ。ワインには
ポリフェノールという成分が含まれていて、血管を強くし、
血液をサラサラにしてくれるという。

「身体にいいっていうからね、薬代わりに飲んでるんだ」
飲み助たち(僕もその1人)は、いつもこう言い訳しながら、
堂々と酒を飲む。

そばにもルチンというポリフェノールのお仲間が含まれている。
栄養価が高く、高血圧の予防にもなるというので、
私もせっせとそばを食べ、ワインをガブ飲みしてる。

「でも、駅前の立ち食いそば屋の、歯ぬかりするような
そばじゃあ、効果ないんでしょ?」

立ち食い専門の友人であるHさんが、心配そうに尋ねたものだ。
立ち食いそばの多くは、別名「馬方そば」といって、
そば殻すれすれまで挽きこんだ
色の黒い四番粉で打たれている。

香りは高いが、歯にぬかるばかりで、
お世辞にも美味いとは言いがたい代物だ。

対極にあるのが、色の白いさらしなそばだ。
上品で舌ざわりがよいが、その分、値段も高い。

さらしな粉にはタンパク質や植物繊維がほとんど含まれていない。
言い換えるなら、高純度のデンプン粉なのである。
ゆえに、栄養価はほとんどない。

つまり、血液をサラサラにしたかったら、ルチンが豊富で、
歯ぬかりのする、色黒の立ち食いそばを食べるのが一番、
ということになる。それを聞いたHさんの
喜ぶまいことか。

なんでそんなこと知ってるんだ、ってか?
自慢じゃないけど、過去にそば打ちの本を何冊か
出している(ゴーストだけど)。これが数十万部も売れた。
僕の場合、皮肉にもゴーストで書いた本のほうが売れるのだ。

人生なんてものは、いつだってこんなものだ。

2009年12月23日水曜日

山猿でいい

毎週通っているプールには
おかしな人たちがいっぱい来る。

バタフライならぬバテフライのおじさんの
話は以前書いた。三途の川をバタフライで渡るんだ、
と豪語してる威勢のいいおっちゃんである。

このおっちゃん、泳ぎ始めた頃は息が続かず、
10数㍍泳いだだけで気息奄々。ゼーゼーと
今にも死にそうなありさまだった。

それが今はどうだ。他の泳ぎには目もくれず、
ひたすらバタフライ一本槍。精進の甲斐あってか、
かつてプール中に響き渡っていたあの断末魔の叫びは、
すっかり影をひそめた。とても70代とは思えない
勇壮な泳ぎっぷりなのである。

戦国武将、真柄十郎左右衛門直隆の子孫と称する
おっちゃんもいる。ご先祖は五尺三寸(約175㎝)の
大太刀を振り回した豪傑として有名だが、ご子孫の
真柄さんはいたって物静かな紳士。激しいインターバルにも
黙々とついてくる。実にがんばり屋なのだ。

そういえば、私の友人には歴史上の人物の子孫が
けっこういる。すごいのはロシアのニコライ2世の子孫
というのがいるし、吉田松陰の子孫(実家の杉家のだけど)もいる。
また「篤姫」で有名になった薩摩藩の家老・小松帯刀の子孫もいれば、
ついこの間は、15代将軍慶喜公の曾孫に当たる徳川慶朝さんと酒席を共にした。

私の先祖は、たぶん秩父の山猿か何かだろう。
でも山猿でいい。ご先祖にエライ人がいない分だけ気楽に生きられるからだ。
松陰なんかと比較された日には、生きた心地がしないだろう。
どうがんばったって、かないっこないもの。

それに家柄がいいとか血筋がいいとかいうけど、
それはご先祖さんが死ぬほどがんばったおかげであって、
子孫であるオレたちの手柄でも何でもない。
ご先祖に感謝するのはけっこうだが、「わが家は下々とは血統が違うざます」
などと、ふんぞり返られても困るのだ。

半分負け惜しみで言うけど、
平凡がいちばんいい。先祖が山猿でほんとうによかった。

2009年12月22日火曜日

代金取立て手形

ラジオを聴いてたら、いろんな業界の
隠語についてしゃべっていた。

隠語とか符丁というのは寿司屋にもあるし、
築地の魚市場などにもある。

デパートでは、トイレに行くことを「ちょっと遠方へ」
とか「紫」「1番」「ピンク」などと呼ぶという。
なかには「当たり」というのもあって、ウンチの場合は、
「大当たり」というのだそうだ(マジで)。

食事休憩が「喜左衞門」(三越)なんてのもある。
雅趣があって、なかなかよろしい。

また「ルパン3世」のテーマ曲が流れたら、
不審人物がいるから探し出せ、の合図だそうだ。
「雨に濡れても」の曲だと、外は雨というサイン。
すかさず雨よけのビニール包装をかける。
実にシステマティックなのだ。

これが雄々しい「ロッキー」のテーマ曲だと、
予算達成までもうちょっとだから、各自奮励努力せよ!
のサインとなる。
デパートの店員さんも大変だなあ。

おもしろいのは銀行隠語の「代手(だいて)」だ。
代金取立て手形のことで、略して代手。
銀行が客から預かり、期日に現金化できるように
保管している手形のことだという。

美人女子行員がやおら上司の前に進み出て、
「課長! だいてください。
急いでるんです。早くだいてください!」
なんてやってる場面を想像すると、 
ちょっとドキリとする。

いいなあ、課長は(どこの課長だよ!)……。

美輪明宏のピンク御殿

雑誌の取材で美輪明宏さんの豪邸におじゃましたことがある。
最初の印象は、「な、なんじゃこれは?」
内も外も all pink なのである。

奥から出てきた美輪さんのカッコウもすごかった。
髪は例のまっ黄っき(金髪ではない)で、
何色だったか、妖艶なロングドレスでの登場だった。

一面ガラス張りのリビングからは中庭がのぞめた。
ロココ調というんでしょうか、庭の置物も
ずいぶん凝ったものでありました。

美輪さんとはまだ無名だった頃の話をした。
九州から裸一貫で出てきて、一文もなく、
ほとんど行き倒れみたいになっていたところを、
ある人に救ってもらった、という話でした。

今や超売れっ子だが、食うや食わずの時代もあったのです。
人は困苦欠乏によって鍛えられる、といいます。
富めると、智だけでなく、いろんなところに害が出るんですね。

三島由紀夫との関係にも話はおよびました。
よく知られるように、ふたりは愛し合っていたようです。
ま、いろいろあったみたいですな。

あんなチンドン屋(失礼!)みたいな衣裳を着て、
一見、「クルクルパーみたい」に思えるけど、
彼(彼女だっけ?)はけっこうまともです。
知性も教養もあります。それにすこぶる礼儀正しい。

でもねえ……俺って、ほんとダメなんだ、あの手の人たち。
カバちゃんとかピーコとか、いるでしょ、芸ノー界には(これも平和のおかげか)。
正直言って、気色悪いんだよね。あの人たちも「醜女(ぶす)」と同じで、
〝3日で馴れる〟のかしら。悪気はありません。
ただ気色悪いだけ。ごめんなさい。

 

一箪の食、一瓢の飲

孔子の弟子は俗に3000人といわれている。
そのうち六芸に通じためぼしいものが72人。
なかでも有名なのが「孔門の十哲」と呼ばれる
飛び切りの俊秀たちだ。

よく知られているのは、中島敦の『弟子』
でも馴染みの子路や、孔子の死後、
6年間の喪に服した子貢などが挙げられる。

弟子の中でも最も高徳の士とされたのが、
孔子より30歳年少の顔回(顔淵ともいう)だろう。

《賢なる哉、回や。一箪の食、一瓢の飲、
陋巷に在り、人その憂いに堪えず、回やその
楽しみを改めず、賢なる哉、回や》

顔回はエライ。一椀のめしを食い、水筒いっぱいの水を飲み、
陋屋に住み、不平を鳴らさず、いつも楽しそうに暮らしてる。
顔回はたいしたものだ。

めったに弟子を褒めない孔子も、顔回への賞賛は
惜しまなかった。

孔子は別に《疏食(そし)を飯(くら)ひ水を飲み、肘を曲げてこれを枕とす》
などと、いわゆる〝清貧の思想〟の元祖でもあるから、
足るを知って分に安んずる顔回の暮らしぶりに、
自分を重ね合わせてもいたのだろう。

日本でいうと良寛和尚が挙げられようか。
山中孤独の草庵で、《独り奏す 没弦琴》
没弦琴とは、弦の張られていない琴だ。

他に「無孔笛」(指孔のない笛)の調べも
楽しんだというから、我ら暖衣飽食の徒には
決して聞こえることのない音だったに違いない。

「知足安分」と言うは易しで、歳を重ねても
煩悩のくびきからは容易に逃れがたい。
枯淡の境地など、夢のまた夢だ。

ああ、賢なる哉、回や!

2009年12月21日月曜日

川越と豚の尻

実家は小江戸川越にある。
喜多院と中院のちょうど真ん中で、
目の前には川越総合高校がある。

この高校、以前は農業の専門高校だった。
牛舎や豚舎、鶏舎などがあって、
子供の頃の格好の遊び場だった。

思い出すのは、2B弾を使ったいたずらだ。
2B弾というのは、昭和30年代にはやった火薬爆弾で、
先端を壁などにこすると白煙が出て、
煙が黄色に変わると間もなく爆発した。

これをカエルの尻に突っ込む悪ガキもいたが、
お上品な僕たちは豚のケツに突っ込んだ。
小屋の中で気持ちよさそうにまどろむ豚に
背後からそっと近づき、火薬に点火して
一気に突っ込むのだ。

ドッカーン! ブヒブヒブヒ……!
豚小屋は上を下への大騒ぎだ。
「待ちやがれ、このガキども! 」
小使いのおっさんが箒を持って追っかけてくる。
「やーい、やーい、小使いジイイ!」
仲間たちは算を散らして逃げ帰る。

子供というのは、まったくろくなことをしない。
あの小使いさん(今は用務員か?)には、
ほんとうに気の毒をした
いい運動にはなっただろうけど)。

それと豚ちゃん。
尻に火がついて、さぞ驚いただろうね。
思い起こせば、悪行非道の数々。

もう時効だとは思いますが、
関係者の皆さま(豚ちゃんも含めて)に対して、ここに深くお詫び申し上げます。
悪いのは、みんなA君とI君でちゅ。




←当時、駄菓子屋でも買えた2B弾

おかしな仲間たち

プールにはいろんな人が来る。
若い娘はめったに来ない。
来るのはおじさん、おばさん、
じじとばば、それと小学生だ。

年寄りは揃って元気がいい。元左官屋さんの
Kさんは、とっくに古稀を過ぎているのに、
なぜかバタフライ一筋。

本人は「バテフライだよ」と謙遜するが、
なかなかどうしてサマになっている。
「三途の川をバタフライで渡るんだ」
これには大笑いし、また感動もした。
Kさんのバテフライを見たら、
賽の河原の鬼もビックリするだろうなァ。

一方、ラッコみたいに仰向けになり、
優雅なストロークでのんびり泳ぐ
おっさんもいる。あだ名は「クラゲ」。
KY(空気読めない)人間の典型で、
ほとんどレーンを一人占めし、みんなの
ひんしゅくを買っている。

最近「クラゲ2号」も現れた。
地球温暖化の影響ではないか、と
みんなで噂し合っている。

「キリスト様」と畏怖されるおじさんもいる。
風貌は十字架刑に処せられたイエスそのもので、
どこか悲壮感が漂っている。聞けば腰痛に悩んでるそうで、
ひたすら歩きまわる。すでに退官したが、
元は東大の哲学教授だという。

おじさんやおばさんもいいが、
たまに若い娘が入ってきたりすると、
プールの水が清められるような気がする。
なかには「聖水だ」といって、娘の周囲の水を
うまそうに啜るスケベなおっさんもいる。

「どう? うまかった?」
聞いてみたかったが、
はしたないのでやめた。

女護が島

わが家には他にオンナが3匹いる。
女護が島と羨むものもあるが、
時々鬼ヶ島に変わることがある。

それでも女の子はいい。気持ちがやさしいのだ。
息子とキャッチボールがしたいと、
若い頃はしきりと思ったものだが、
今では娘2人で打ち止めにしてよかった、
と心底思っている。

わが家の娘はけっこうたくましい。
商社マンの長女は、学生時代から
放浪癖があり、バッグひとつで、世界中どこへでも
行ってしまう。筋金入りのバックパッカーなのだ。

次女は大学生で、ただ今英国留学中。
大学の寮で自炊生活をしている。
自分で台所に立てば、毎日料理を作ってくれた
父親の偉大さを、今更ながら思い知ることだろう。

長女はイタリア、次女はアメリカと、高校時の
留学経験があるおかげかどうか、ふたりとも
ガイジンを怖がらないところがすごい。

私たち夫婦は、童謡「赤い靴」を聞いて育った
世代だから、ガイジンが苦手だ。
まさかヨコハマから連れていかれりゃしまいが、
異人さんを見ると、つい腰が引けてしまう。
戦争に負けた引け目もある。

これは余談だけど、《異人さんに連れられて行っちゃった》
の歌詞を《いいジイさんに連れられて……》とか、
《ひいじいさんに連れられて……》と勘違いしてた者もあるとか。
《兎追いし》を《ウサギ美味し》と思い込んでたのと同じで、
けっこう笑える。

さて父親のマッチョ的生き方が影響したのか、
草食系とかいう、葉っぱやスイーツばかり食べている
ひ弱な男は好きじゃない、と娘たちは言う。

(でもなァ、世の中、右見ても左見ても、草食系ばっかだよ)
父は、娘たちが、ついには〝行かず後家〟になって
しまうのではないかと、今から気をもんでいる。

鎧を脱ごうよ

20年以上も主夫をやってると、
だんだん「主婦」みたいになってくる。
買い物姿も板につき、長~い立ち話も
苦にならなくなる。

ただのおじさんではなく、おばさんの
遺伝子を半分備えた「おじおばさん」
に変身しつつあるのだ。

その証拠に男性自身は年々しょぼくれてくるが、
代わりに胸が大きくなってきた。すでに小池栄子
並のFカップなのだ。

水泳のせい? うん、それもある。
でもこの妖艶なふくらみは「おじおばさん」
に進化しつつある立派な証拠ではないか?

主夫を長くやっていると、おじさんが苦手になる。
おじさんはいつも体面を気にしている。ガードが
堅くて、なかなかうち解けない。なかには、
「○□商事元取締役」なんていう名刺を
持ち歩いている人もあるという。
なんだか、こわい。

その点、おばさんはあっけらかんとしている。
すぐうち解けて、軽口をたたき合える。
この気安さがどこから来ているのかは分からないが、
もう半分オンナを降りてしまっているためかもしれない(キャーッ)。

しかしなかには、令夫人然とした気位の高そうな
おばさんもいる。このタイプは敬して遠ざける
に如くはない。今までの経験からして、
つき合っても、ほとんど中身がないからだ。

定年を迎えようとしている、かつての企業戦士たちよ!
まずは鎧を脱ぐことだ。そして肩書きというものから
解放されることだ。身ぐるみ剥がされ、ただの個人に
戻るのは、とっても不安だろうけど、いっそサッパリもする。

体裁ばかりつくろっても、疲れるだけ。
人間なんて、そんなご大層なものじゃない。
「ぼくなんか、これだけなんですゥ」
と、丸ごと見せてしまえばいいのだ。
Take it easy!

2009年12月19日土曜日

買い物がつまらん

私の町にはスーパーしかない。
個人商店は、この20年で、ほとんど
つぶれた。

駄菓子屋もなくなったから、子供たちの
たむろするところがない。コンビニの前
ではいかにも味気ない。

私の子供の頃は近所に駄菓子屋がいくつもあった。
どこも店番はバアさんに決まっていて、
「おっくれ-!」と勢いよく駆け込むと、
「なんだー?」と腰折れババアが奥からぬーっと顔を出した。
なんだーはねえべさ。駄菓子を買いに来たに決まってらァ。

こんなとぼけたバアさんでも、スーパーの店員よりはましだ。
バアさん相手なら、値切ったり、スキ見て飴玉を2~3個
ちょろまかしたりできるが、スーパーではすべてが機械的で
杓子定規。店員とバカッ話もできない。ボラれたり、
逆に値切ったりもできない。人間対人間のふれあいってものが
ほとんどないのだ。

韓国には何度か足を運んだことがあるが、
何がおもしろいって、市場ほどおもしろいところはない。
焼け跡闇市はかくや、と思えるくらい猥雑で、
あっちこっちで怒声が飛び交うかと思えば、
いきなり牛や豚の臓物を煮る鉄の大鍋から、
怪しげなニオイが立ちのぼっていたりする。

値段はあるようでない。すべて相対で売り買いされる。
それにどうだ、この恐ろしいほど豊富な商品群は!
冷やかして歩くだけでも、心が躍る。

買い物は、こうでなくてはいけない。
スーパーの品揃えはいつも同じ。またどこも同じ。
エキサイトさせてくれる要素がほとんどない。

多少いかがわしく猥雑であってもいい、
ピッカピカに磨き上げてなくてもいい、
もっと人情だとか情念だとか、浪花節だとか、
人間くさいsomethingがほしいのだ。

1年365日、エコバッグをぶら下げ、
いそいそと買い物に行く主夫のひとりとして、
ささやかな希望を叶えてほしい。

左翼は善なり。だから始末に悪い

私は名コラムニスト・山本夏彦の弟子を勝手に自任している。
勝手ついでに夏彦翁の本『座右の山本夏彦』まで書いてしまった。
ちっとも売れなかったが、そんなことはどうでもいい(よくはないか……)。

夏彦翁に教わったことは数々あれど、
《人は窮すれば何を売ってもいいが、正義だけは売ってはならぬ》
という言葉は大層気に入ってる。もともと旧約聖書に同じような金言が
載ってるというが、正義を売るよりはまだ〝援交〟のほうがマシというわけだ。

正義と良心を売ることにかけては他の追随を許さないのが、
朝日新聞と岩波書店だ。岩波などは正義と良心のかたまりで、
半世紀以上これを売り続け、邦家の知識人をミスリードした、
と夏彦翁は批判する。

朝日は今も昔も正義は社会主義の側にあり、
資本主義の側にない、と考えている。
なぜ社会主義・共産主義が善かというと、
弱者や貧しき者こそ善玉で、金持ちや
強者を悪玉と見るからである。

読者も「左翼=善玉」、「タカ派=悪玉」
「ハト派=善玉」というように、短絡的に
分類し、納得してしまっているようなところがある。
鳩山首相もハト派だから、きっと善人に違いないと……。

チャーチルが、かつてこんなことを言ったという。
《20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。
20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない》

社民党の面々や、民主党左派の面々は、
以前から知恵遅れの人たちではなかろうかと、
内心同情していたのだが、
やっぱり、という思いは強い。

人間は勉強すれば変わる。
いつまでも色褪せた左翼思想に恋々としているのは、
一にも二にも不勉強だからだ。
そのことを私は自信をもって断言したい。
なぜなら、私もかつてマルクスボーイのはしくれだったからだ。

2009年12月18日金曜日

話の極意は話さないこと

明石家さんまとか島田紳助とか、
関西のお笑い系タレントは、なんとも騒々しい。
さんまなどは前歯を突きだし、ツバを飛ばしながらしゃべる。

昔の人はよくこう言ったものだ。
「男の子はな、必要もないのにベラベラしゃべるんじゃないよ」
孔子様も言っている。「剛毅木訥、仁に近し」と。

『葉隠』を読むと、昔の武士はひどく無口だったことがわかる。
《物言ひの肝要は言はざる事なり。言はずして済ますべしと思へば
一言もいはずして済むものなり》

そういえば深沈重厚の風韻を漂わせる男を
めっきり見かけなくなった。昔、漢文の先生に
それらしき人がいた。寺の住職も兼ねていて、
たしか近藤先生といったっけ。

神気を養うには、くだらぬおしゃべりは慎むべきだろう。
帝王学の世界では、いかに「話すか」ではなく、
いかに「話さないか」が修業の眼目になるという。
「黙養」というらしい。

熟達すると数カ月黙して一語ももらさない、
というのだけれど、これじゃ仕事にならないよ。

子供の頃、私はどっちかというと無口だった。
帝王学を学んでいたわけではないのだが、
友達もいないし、格別しゃべることもないので、
黙っていた。猫に話しかけたりしていた。

一生の間に話す言葉の絶対量は決まっているらしく、
若年期に無口だった者は老年になって一気にしゃべり出すのだという。
たぶん私もそのクチだろう、近頃実によくしゃべる。

さんまや紳助みたいにはなりたくないが、
帝王への道も途絶えたようなので、
品のいいおしゃべりを心がけたいと思う。

合掌して「いただきます」

テレビドラマなどでは、よく食事風景が出てくる。
どいつもこいつも箸の持ち方がなってない、
なんて嘆いてもしかたがない。衆寡敵せずでキリがないからだ。

なにしろ柴又の寅さん一家だって、見るも無惨に全滅だ。
おいちゃんもおばちゃんも、さくらも博もだめ。
もちろん寅さんなんかめちゃくちゃで、好物の
芋の煮っころがしをつかむのも至難の業だ。

ご近所に寅さんシリーズの脚本(6作目まで)を担当した
Mさんがいるので、そのことを話したら、
「いや、そんなことはない」と強く否定。
ないと言われたって困る。現に銀幕の中ではバッチリ
映っているんだもの。

いや、ここでは箸の持ち方について嘆き節を聞かせよう
というのではない。食事の前後にするあの「合掌」
のポーズなのだ。

私も女房も、あの合掌して「いただきます」「ごちそうさま」
には少しく違和感を感じている。子供の頃から、
そういう習慣がなかったためだろうが、
最近、若い人たちがよくこの合掌をするので、
(どこの家の食卓でも、みんなこうやっているんだろうか?)
やらない自分たちが少数派のように思えてきた。

ついでにいうと、大リーグの日本人選手がダッグアウトの中で、
よくこの合掌ポーズをおどけてやることがある。同僚たちと
合掌しながらお辞儀をするのだ。

(あのねえ、日本人はタイ国人じゃないつーの。誤解されるじゃないの)
マリナーズの佐々木もやってたし、ヤンキース時代の松井もよくやってた。
松井君! エンゼルスでは絶対やらないでね。
見ていて、気色悪いんだ、とっても。

さて、食事時の「合掌」だが、宗教学者の山折哲雄さんは、
食事というのは、
《自分を生かすためにほかの生き物を殺して食うという、
何ともしがたい「原罪」を背負った行為だ》
と前置きし、だから我々は食われる命に対して、「いただきます」
「ごちそうさま」といわなければ、何となく気持ちが落ち着かない、という。

《ならば、そこでしっかり合掌して感謝の気持ちをあらわしたほうが、
心が落ち着くというものではないか》
と、それとなく合掌をすすめている。

なるほどな、と思う。
だが、わが家ではいまだに合掌せずに
「いただきます」をしている。

2009年12月17日木曜日

民謡じゃないつーの

「紀元節」を「キモト節」と読む学生がいるという。
民謡か何かと勘違いしてる。
無知もここまで来ると、笑える。

さて、下は学生から上は政治家まで、現代日本人に足りないのは
誇りと気概のようだ。鳩山首相以下、閣僚たちのツラ構えを見ても、
士大夫然とした面貌の持ち主は皆無に近い。もっとも親分が
「宇宙人」なんて呼ばれてる御仁では、子分たちの小人ヅラを
責めるのはちと酷かもしれない。

外交の場で、日本の政治家がどこか卑屈に映るのは、
正しい歴史教育が施されていないためだろう。
人間に一番大事なことは、プライドを持つことだ。

どうやったらプライドを育めるか。
そこに歴史教育の出番がある。
歴史教育の目的は、極論かもしれないが、
国民にプライドを持たせることにある。

幸い、日本には世界に誇るべき歴史がある。
武士道の倫理は清貧と規律を重んじる
プロテスタンティズムにも匹敵するし、
日清・日露戦争の勝利は、日本の歴史に
輝かしい1ページを刻んだ。

一方、フィンランドやポーランドといった国には、
他に誇るべき勇壮な歴史がない。
ドイツやロシアといった強国に
絶えず侵犯され、支配されてきたからだ。

それでもアイデンティティを失わなかったのは、
祖国に対する強い愛着と誇りがあったからだ。
それが他国の暴圧に決して屈しない、
勁草のような精神を養った。

何も小難しい歴史書なんか読まなくていい。
たとえば司馬遼太郎の『坂の上の雲』を
最後まで読み通してみたらどうだろう。

もうそれだけで、背筋がシャンとするはずだ。
日本人としての自覚と気概が芽生えるのである。
貧乏所帯を必死の思いでやりくりし、
綱渡りのようにして日本の独立を守ってきた
ご先祖様たちに対して、満腔の敬意を払いたくなるのである。

こんな素敵な国なのに、自国の歴史に誇りを持てないなんて……。
実に悲しいことだ。

中国式民主主義

アメリカはことあるごとに中国の人権問題に
口出ししている。チベット然り、新疆ウイグル地区然り。
それに対して、中国は激しく反論する。内政干渉だ、と。

中国には真の民主主義は存在しない、と
しばしば言われてきたが、中国は建国以来、
一貫して民主主義を宣言(必ずしも知行合一ではないが)
し続けている。

ただし中国式?の民主主義は欧米型のそれとは
だいぶ趣を異にする。欧米型の民主主義は中国の実態に
合わないらしいのだ。

13億の人間をコントロールするには、多少強権的な統治が
必要、と中国は主張するが、たしかに一理ある。

たとえば、1979年に始まった一人っ子政策だ。この産児制限政策が
一定の効果を上げているのは、中国共産党の一党独裁政権が、
それを強要しているからだ。

もし民主化したら、産めよ殖やせよで、たちまち人口爆発が
起きるだろう。今でさえ世界人口の5人に1人は中国人だというのに、
好きなだけ産んでいいとなったら、世界人口の半分が中国人になってしまう。
どこを向いても中国人ばかり……想像しただけで憂鬱になる。

中国人の抱く幸せのイメージは昔から変わらない。
「福・禄・寿」の3つだ。「福」は子宝に恵まれること。
「禄」は財産、「寿」は長寿に恵まれること。

今は「福」以外の「禄・寿」が満たされつつある状態で、産児制限の
タガが外れれば、雪崩を打って子だくさんをめざすだろう。
そうなったら政情不安や地球規模の食糧不足が起きてしまう。

強権的な一党独裁政権によって世界が救われている、
というのは一面の真理ではあるのだ。

外国人の地方参政権

永住外国人に地方参政権を付与すべきか否か。
こんな議論が巻き起こっている。
与党連立の社民党あたりが賛成派の急先鋒で、
野党自民党の大多数は反対している。

昔、ギリシャでは老人にも女性にも選挙権を与えなかった。
一旦緩急あったとき、武器を取って戦う意志と能力のある
若い男にしか選挙権は与えなかったのだ。

参政権というのは、もともと国防の義務とセットになっているものだから、
国籍を有する者にしか与えられない、と考えるのがまっとうだろう。
なぜなら、国家と運命を共にする覚悟のある者でなければ、
とうてい国は守れないからだ。

そのため、いまだ多くの国で参政権を得るための要件に
国籍の取得が義務づけられている。
当然のことだろう。

社民党は旧社会党の流れをくむ政党だから、
非武装中立などという子供じみた考えを
いまだに捨てきれないでいるようだ。

普天間基地移設問題でもすったもんだを
繰り返しているが、民主党政権は
国の安全保障という問題をもっと真剣に
考えるべきだ。

似非人道主義や博愛主義といった
その時々の時流や俗論に流されていると、
いつか必ず国を危うくするだろう。

2009年12月16日水曜日

カミさんは24時間営業

カミさんは働きものだ。
亭主の稼ぎが少ないので、
コマネズミのようにせっせと働いている。

仕事はフリーのフードジャーナリスト。「食」に関わる記事を
さまざまな雑誌に書いている。それと単行本の編集。
自分の著作より、他人様の著作づくりに力を入れている。
いわば裏方だ。

最新のものは文藝春秋から出た『「京味」の十二か月』
という本。

新橋にある京料理の名店「京味」で板場を仕切る
西健一郎さんと、顧客の一人であり、西さんとは40年来の
つき合いという作家・平岩弓枝さんとの料理談義だ。

《変わったもんと美味いもんとは違う》
《いま、目の前にあるもんで作るのが料理人や》

これは西さんのご尊父で、西園寺公望公お抱えの料理人
だった西音松さんの語録から抜粋したものだ。
この父子、ともに名人の名をほしいままにしている。

もちろん西・平岩両氏の掛け合いはおもしろい。
そして「京味」十二か月の献立とおせち料理の計100品余が
美しい写真に収められているのが、なおうれしい。

「京味」はミシュランの掲載を断ったという骨のあるお店。
三つ星は確実視されていたが、その心意気やよし、だ。

本の宣伝みたいになってしまったが、
裏方ながら、女房が精魂込めて作った本である。
機会があったらぜひひもといてください。


お坊ちゃま君

鳩山のお坊ちゃまは、相変わらずどこを見ているんだか、
視点の定まらない大きな目を宙に泳がせながら、
語勢のない言葉をボソボソとしゃべってる。

沖縄の普天間基地移設問題の結論は、とうとう来年に先送りされてしまった。
〝Trust me〟と大見得を切ったまではよかったが、発言は二転三転、
結局はオバマ大統領の信頼を裏切る形となってしまった。

民主党政権の危ういところは、この日本国をどんなふうにリードしていくのか、
どんな国にしたいのか、どうやって国を守るのか、
方向性をまったく示さないところにある。
海図が示されないのだから、この大型船は限りなく漂流せざるを得ない。

かつてお坊ちゃま君はこう言ったことがある。
「日本社会はアジアの人々に対する責任を果たさずに今日を迎えている」

おいおい、バカも休みやすみ言ってくれ! 戦後の日本人は、
お坊ちゃま君が何不足なく、豪奢なお屋敷でノホホンと育った時代に、
歯を食いしばり、15億ドルに及ぶ賠償金をアジア12カ国に支払い、
BC級戦犯(ちなみに日本に戦犯は存在しない。法務死と呼ぶ)
1061人の尊い人柱を捧げてきたのだ。
時流や大衆に迎合するうすっぺらな歴史認識しか持ち合わせない男が、
何を言うか! である。

それに小沢チルドレンと称される新人議員たちの破廉恥ぶりは
どうだ。選挙用だとは思うが、胡錦濤主席と握手をしている写真を
次から次へと(1人2~3秒か)撮りまくり、
どなたも紅潮した顔で「感激です!」
なんてやってる。

これじゃまるで「朝貢」ではないか。
胡錦濤はかつて、チベット自治区の党書記を務めていた頃、
チベット族を徹底的に弾圧し、それで株を上げた男だ。
温厚そうな顔をしているが、徹頭徹尾、筋金入りの共産党員なのである。

その胡錦濤と握手している写真がほしいからと、百数十人の議員が列を作る。
これは国辱ものの光景である。
中国から見れば、日本なんて今も昔も「東夷」そのもの。
そして朝貢のお礼が、天皇と習近平副主席との
特例的な会見だった。

古女房のアメリカに冷たく、愛人の中国にやさしい鳩山政権。
「友愛政治」だなんて甘っちょろいことを言ってると、
そのうち尻の毛まで抜かれちまうぞ!

酒飲みの品格

わが町にはこれぞといった飲み屋がない。
チェーン店系の店なら掃いて捨てるほどあるが、
気の利いたおやじや女将のいる小体な飲み屋が払底してるのだ。

実は、駅にほど近くの、酒屋の軒を借りた立ち飲みのやきとん屋が
なかなかの繁盛店なのだが、あいにく出入り禁止を食らっている。
辛味噌の利いた生レバーや生ハツはもう食べられないのだ。

年寄り夫婦がやっていて、軽口やダジャレを連発する亭主が
ファミリアスな雰囲気をつくっているためか、常連客も多く、
夕方5時頃になると、仕事帰りのサラリーマンや学生、近所の主婦など
で黒山の人だかりとなる。

私もその常連の一人だった。が、ある日突然、
出入り差し止めを食らってしまった。
その日は友人と二人で串をほおばっていたのだが、
少しばかりテンションが高かったのか、話し声がすこぶるうるさかったようで、
他の客の注文がよく聞こえない、とおばちゃんがまずひと声吼えた。

こっちは恐縮してしばらく静かにしておった。だが、飲むほどに酔うほどに、
またおしゃべりが始まって……ついに、
「あんたたち、うるさいんだよ!」
おばちゃんが夜叉のような顔してキレた。ついで亭主もキレた。

あんなに仲がよかったのに、足かけ10年も通いつめたのに……
いきなり「うるさい!」はねえべさ。とうとうこっちもぶちキレた。

ケンカ別れしてもう5年になる。こっちも意地だから、店の前は通らない。
喧嘩っ早いのは昔から。性格ってものは変わらないものだとつくづく思う。
五十路を越え、大人げないとは分かっているけど、瞬間湯沸かし器みたいに
すぐカッカしてケンカをおっぱじめる、そんな性格をどこか愛おしいとも思っている。
♪バカは死ななきゃ~ァ、治ら~な~い

2009年12月15日火曜日

男の料理

「男の料理って、どこかロマンを感じますよね」
その昔、某女性編集者に言われたことがある。
男の料理にはロマンがあって、女の料理にはロマンがない?
男が打つ蕎麦にはロマンがあって、女が打つうどんにはロマンがない?

「だって豪快ですものね、男の料理って」
再び三度、女性編集者はヨイショをするのだが、
その真意がよく分からない。

たしかに日曜日にパパが作る料理は豪快だ。
だって材料費も手間も豪快にかけるんだもの。
金と時間さえ惜しまなければ、女だろうと男だろうと
ロマン溢れる豪快な料理が作れる。

しかし台所を見てくれ。作ったら作りっぱなしじゃないか。
後片づけ(ここにはロマンがないか?)が苦手だから、
汚れた鍋と食器がうずたかく積まれている。
この洗い物、いったいだれがやるんですか?

料理にはうまい料理とそうでない料理の2種類しかない。
男も女も関係ないのである。

ヒマなかろう

嶋中労という筆名の由来は? と聞かれることがある。
深い意味などない。ただ、エンピツ無頼を自称する「竹中労」
というルポライターがいて、けっこう好きだった。

《アナキズムとは、なべての支配されざる精神の謂いである。人々は
それぞれの属性に応じて闘えばいいのだ》
ね! けっこうカッコいいでしょ?

で、どこか汗臭い「労」という名前を勝手にいただき、
あとは語呂のいい「嶋中」を頭にのっけただけのことだ。
たまたま中央公論新社から出している本が多いもので、
中公の元社長・嶋中鵬二さんと親戚か何か? と聞かれることもあるが、
まったく関係ない。

また縁起をかついで「ヒマなかろう」の意を言外に
込めたつもりだが、なかろうどころかヒマでヒマでしょうがない。
出版不況なんて生やさしいものではない。
本がまったく売れないのだからどうしようもない。
出版社も新聞社もどこも赤字。
いつ倒れてもおかしくない状況が続いている。

外国でもワシントンポストが支社を閉鎖するなど同じような
状況下にある。インターネットに情報発信のお株を奪われ、
紙媒体の広告収入が激減なのだ。

どなたか『霞を食って生きる法』なんて本を書いてはくれないだろうか。

機械オンチ

人間には2種類ある。文明の進歩についていける奴、いけない奴の2種類だ。
私はついていけない側の一員で、ケータイも持たない(持てない)し、デジカメも
使ったことがない。

ただパソコンは、最低でも原稿を書いたりメールを打ったりできないと顎が干上がってしまうので、必死で練習し、かろうじて使えるようになった(ワープロだけだが)。
ケータイにしろパソコンにしろ、使いこなせばこんな便利な物はないのだろうが、
使用マニュアルを数行読んだだけでもう頭が痛くなる。

「インフラストラクチャモードで無線LAN接続する場合、
モジュール側が自動的に無線LANアクセスポイントのチャネルに切り替えます。異なる
アクセスポイント間をローミングする場合は……」

これはいったいどこの国の言葉なのだ。
インフラストラクチャーモードって何だ? 
ローミングというのはどういうことだ?
どっちも日本語に置き換えられない言葉なのか?

日本語は漢字、ひらがな、カタカナの3種があるおかげで、
外国語の翻訳が容易になり、科学の進歩には大いに寄与したが、
カタカナ言葉の乱用という弊害も生んだ。

かつて、マニュアルは専門家に書かせるな、ITオンチに書かせろ、という
声が利用者の間から澎湃として起こったものだが、
いつの間にか掻き消されてしまった。

デジタル・デバイド(情報格差)はますます広がっていき、
世代間ギャップ以上のものになろうとしている。
今、デジカメの使い方を学ぼうとしているところだが、
分厚い使用マニュアルを前にして茫然としている。

2009年12月12日土曜日

進化論

週に2回ほどプールで泳ぐ。プールまでは家から徒歩5分。
2時間ほど泳いで2000㍍くらいか。インターバルと称して、
仲間たちと激しく泳ぐこともある。

 レギュラーメニューはまず25㍍バタフライ×10本、50㍍バック×5本、
50㍍ブレスト×5本、最後に50㍍クロール×5本。これで1000㍍。
他に50㍍クロール×10本、100㍍クロール×5本、
たまに100㍍の個人メドレーを3本ほどやることもある。

いちばんシンドイのは「ピラミッド」というメニューで、
25+50+75+100+100+75+50+25=500㍍が1本で、これを3本も4本もやる。
30秒、1分、1分30秒、2分というタイムリミットでそれぞれ回すので、
せいぜい息をつける時間は5~10秒。生きた心地のしないメニューで、
これをやると寿命が数年縮む。身体に毒だな、としみじみ思う。
 
そんなこんなで、ブツブツ文句を言いながらやってるわけだが、
それでもやめないのは、つまるところ泳ぐのが楽しいからだろう。
だいいち、仲間はみんな50代、60代のおじさん、おばさんが主で、
これが実に達者な泳ぎをするのである。
いくらなんでも、おばさんに負けるわけにはいかんでしょ?  
ついこっちも、ムキになって泳いでしまうわけよ。

 仲間の中には、元国体選手だとかオリンピック級の30代もいる。
ブレストの100㍍が1分3秒だというのだから、北島あたりとそう変わらない。
こっちがクロールでしゃかりきになって泳いでも、ぶっちぎりで負けてしまう。
おっそろしく速いのだ。
 
この水連の仲間たちと出会う前は、25㍍泳いではゼーゼーやってた。
それが練習に混ぜてもらっているうちに、呼吸もさほど乱れなくなったのだから、
まさに継続は力なりだ。五十路の坂の半ばを越えても、まだまだ進化の途上なのである。
 
もっともオツムのほうは相当退化していて、練習後にビールなんぞを飲んでしまうから、
せっかくへこんだ腹も元の木阿弥だ。