2012年1月30日月曜日

竹中労務店

「嶋中労」という筆名の由来をよく訊かれる。
由来などない。ある時、大急ぎでつけた名がそれで、
ルポライター「竹中労」と中央公論社長「嶋中鵬二」を
足して2で割っただけだ(「中公」の仕事はけっこうしてたからな)。
語呂のよさだけで意味などない。

ただ1つだけ言えるのは、「労」という字をどうしても使ってみたかった、ということだ。
いかにも汗臭そうな字だが、訓読みだと「労る(いたわる)」と読む。
ねぎらうとかいたわる――「労」という字には他人を思いやる気持ちがこめられている。

竹中労は〝えんぴつ無頼〟を自称したルポライターで、
背中一面に彫りものがあり、一般には喧嘩屋とか
アナーキストという怖いイメージがあった。
また天皇制打倒を唱えてもいたから、
ボクとは少しばかり肌合いが違っている。

しかし竹中の主張には頷けるところが多々あった。
文章はリズミカルでドスがきき、ユーモアがあった。
同業者のボクにとっては、もって範とすべきものだった
(『ルポライター事始』はライターのバイブルであります)。

喧嘩も強かった。負けない理由はこうだ。
早く殴った方が勝ちなんです。理屈も作戦もありゃしません。
決断が早ければ勝つ。汚ければ勝つ。それだけです

ボクも幾度か殴り合いの喧嘩をやったことがあるが、
竹中の言うことは当たっている。たしかに先手必勝だし、
「汚ければ勝つ」も正解だ。池袋でチンピラにボコボコにされた時、
しみじみそう思った。

以下に彼の名言をいくつか挙げてみる。
●人は無力だから群れるのではない。群れるから無力なのだ。
アナキズムとは、なべての支配されざる精神の謂である。
人々はそれぞれの属性に応じて闘えばいいのだ。
●この世に理由(いわれ)のない差別というものはない。
差別には歴史があり、理由がある。
●ルポルタージュとは恒産なく恒心なき不平の徒が就くべき営為なのであって、
ことばの正確な意味での自由業である。
●古来、詩を作り、文を書くものにとって、筆禍は避けがたい宿命である。
●むしろ人は勤勉に堕落するのだ。

物書きにとって「筆禍は避けがたい宿命」だとか、
「恒産なく恒心なき不平の徒が就くべき営為」だなんていう言葉は
心に滲みる。←つごうのいい免罪符にしてるだけだろ!

昨2011年が、竹中の没後20年でありました。





←右翼というよりアナーキストか。
竹中の文章には〝腕っぷしの強さ〟
が感じられる。

2012年1月26日木曜日

作家と人格

第146回芥川賞を受賞した田中慎弥の記者会見が話題になっている。
「(受賞は)当然」みたいなことを言ったかと思うと、
「もう、会見やめにしませんか?」と終始ダダをこねまくった。

実際、会見中の田中は駄々っ子みたいに口を尖らし、しきりに身体をひねっていた。
わずか8分間の会見中に3度「やめましょうよ」と言っている。

その前に、芥川賞選考委員の1人だった石原都知事が、
今年度の候補作を総じて「ばかみたいな作品ばかり」と酷評した経緯がある。
田中の受賞作『共喰い』についても「読み物としては読めたけど、
ある水準に達していない」と辛口の評。これに田中はカチンと来た。

で、「都知事閣下と都民各位のために、もらっといてやる」のゴーマン発言が飛び出す。
記者たちが「すわッ、ご注進!」とばかりに都知事へ報告、反論を求めると、
石原は「まァ、作家なんてのはそのくらいがいいんだよね」と軽く受け流した。
非難合戦を期待した記者たちは、拍子抜けしてしまった。

ボクはかつてネット上のコラム邱永漢氏が主宰)で、
《荷風や藤村は人格低劣な男だったが、
残された詩や文章は喩えようもないくらい美しい》
と書いたことがある。

そしたら読者から、
「実の姪を妊娠させてパリへ逃げ、その姪と実兄が極貧にあえいでいた時も
知らんぷりしていた(藤村のような)男が、たとえ美しい詩を書き残したとしても、
人間としては信用できない」という趣旨のメールをいただいた。

至極当然の思いだろう。
でもね、寅さんじゃないけど、「それを言っちゃあオシメエよ」
というところもある。

作家なんていう人種は、どっちかというと
世間からはみ出てしまったアウトローみたいなところがあって、
人間的には完成度が低く、性格がひどく偏っているのがふつうだ。
ボクみたいに完成度が高く人格高潔な人間はむしろマレなのである。←マジな顔して言ってる

北大路魯山人は傲岸不遜の食わせものだし、石川啄木は稀代の借金魔。
哲学者の三木清のごとくは嫉妬心のかたまりみたいな男で、
曖昧宿をのぞき見してはよく手淫(マスかきです)をやっていた。
あの寺山修司だってのぞきの現行犯で捕まってしまったではないか。

ことほどさように、作家だとかゲージュツ家なんて呼ばれている連中は
ロクデナシのコンコンチキばかりで、政治家の臍下三寸は問わないのと同様、
彼らの人格もあえて問わない、というのがこの業界の暗黙のルールなのである。

あくまで作品と人格とは別物。
ダダをこねた田中がどんなご立派な作品を書いているかは知らないが、
その作品に「美」があれば、人格上の区々たる瑕疵(きず)には
目をつむってやろうよ、ということなのだ。

作家なんてものは聖人君子から最も遠い存在と知るべし。
シマナカロウわたくしめです、ハイ)だけが特別の例外なのだ、
とこの際だ、しつこいくらいに言っておこう。←言うだけならタダだしね

それにしても、見るからに腺病質の田中慎弥って、イヤなやつだねェ。
近くにいたらポカリと殴っちゃうよ、きっと。←この蛮人め、どこが人格高潔なんだヨ!





←田中慎弥センセーの不機嫌会見。
ま、たいしたヤツじゃないけど、
小説家だって生きる権利くらいはある。
せいぜいがんばってね!

2012年1月24日火曜日

哭き男

大切な人が次から次へと死んでゆく。
そのたびに殊勝顔して葬儀に参列し、
遺族にお悔やみを言い、涙を流す。

でも1週間も経つと、何ごともなかったかのように、
ごくふつうの日常が戻ってくる。
食欲も変わらず、めしなんか何杯もお代わりをする。

母が死んだ時もそうだった。
身も世もないくらい泣きはらしたはずなのに、
次の瞬間、しっかり酒を飲み、めしを食っている。
親戚のオバちゃんたちと軽口をたたき合い、
げらげら笑っている。

軽い。すべてが軽い。
命も言葉もシャボン玉みたいに軽く、目方が少しも感じられない。

あれほどまで喪失感におそわれ、全身から力という力が抜け、
生きていくことに自棄を起こしそうになったというのに、
流した涙はすでにカラカラに乾いている。

あれって空涙? みんな演技だったの?
悲しそうなふりして、実はちっとも悲しくないんだろ?

「ともだち」だとか「きずな」だとか、
発音するたびに奇態な音を立てそうな言葉が、
ひらひらと中空を舞っている。

弔い酒だと? 供養だと?
ただお酒が飲みたいだけじゃないの?

ニヒルな顔して沈んでいるけど、
そんな自分を冷ややかに見ている
もうひとりの自分がいて、そのまた自分を見ている
別の自分がいて……

もっともらしく『方丈記』なんぞを引っ張り出し、
《ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず……》
なんて朗唱してるけど、見え透いているよね。
わざとらしいよね。


いけねッ、もうこんな時間だ。
晩めしの支度をしなくっちゃ。


2012年1月19日木曜日

一路白頭ニ到ル

昨夜、友人のU君を亡くした。
わが団地住民の右総代、というような男で、
こわもてで無愛想だが、実に心の温かい男だった。

友人からのメールでその急死を知った時、
一瞬、何のことやらわからなかった。

真偽を確かめるべく急いでU君の住む隣の棟まで走った。
応対に出てきたのは息子だった。急死はほんとうだった。
「急に身体の具合が悪くなりまして……」
出版社に勤める息子は、多くを語らなかった。

U君の顔を見たのは1週間ほど前だった。
市会議員のKさんが、「Uちゃんがひきこもっちゃってるよ」
と冗談交じりに言うものだから、
(鬼の霍乱だな、きっと)
と、こっちも真に受けず、ひとつ冷やかしに行ってみようと、
年賀の挨拶も兼ねて訪ねてみたのである。

「ヨォ、どうしてる? 最近、お見限りじゃないの。
恒例の餅搗き大会にも出てこなかったし……。
みんなUちゃんのムスッとした顔を恋しがってるよ(笑)。
ん? どうしたの。どっか具合でも悪いの?」

玄関口に立ったUちゃんは、いつもと変わらぬ仏頂面で、
「いや、別に……ちょっと調子が悪いだけ。酒も飲みたくないし」

「まさか妙な病気を患ってるんじゃないよね」
「…………」
あの手この手で探りを入れてみたが、ガードは堅かった。
(いつものUちゃんじゃないな……やっぱ、調子悪いのかな)

「ま、見たところ大丈夫そうだから安心したよ。
たまには一杯やろうよ。じゃ、またな……」
結局、この会話が、U君との最後のやりとりになってしまった。
まだ60代半ば。あまりにも若い。


団地の生き字引ともいうべきU君は、
管理組合で一緒だった時は、団地内のわけのわからない連中
どんな事案にも反対する共産党とか旧社会党みたいな連中)を向こうに回し、
獅子奮迅の働きをした。彼はいわば志を同じくする戦友みたいなものだった。

プライベートでも思想信条を共有する同志だった。
彼は毎年、敗戦記念日に靖國神社へ赴き、英霊たちの魂を鎮めた。
また日本国をダメにする朝日新聞や毎日新聞、日教組を蛇蝎のごとくきらっていた。

一路白頭ニ到ル――。
誰が何と言おうと、白髪頭になるまで自分の信念を貫き通す――そんな意味である。
U君の男くさく骨っぽい生涯をふりかえった時、白髪頭の風貌と相俟って、
キリスト者留岡幸助の座右の銘がふと頭に浮かんだ。


ウッちゃん、あんたがいないとひどく淋しいよ。
あっちでは仇敵だったO女史とはくれぐれも仲良くしてね。
そのうちイト◇のじっちゃんとかキタ◎◆のババアが会いに行くだろうから、
もうしばらく辛抱してくれ。
おれ? おれはまだ飲み足りないから、もうしばらく娑婆にいるよ。

迷わず成仏してくれ。合掌。


←This One Thing I Do !
留岡はこれを「一路白頭ニ到ル」と訳しました。
〝われ、この一事を努む〟
いい言葉ですね。

2012年1月17日火曜日

尻の毛までむしられて

韓国人は二言目には戦後賠償のことを口にする。
日本は賠償したことはしたが額が足りない、とこう言うのである。
韓国人は日本が粒々辛苦の末にようやく賠償したという事実を、
ほんとうに分かっているのだろうか。

何度もいう。1965年の日韓正常化、すなわち「日韓基本条約」が
締結された当時は、韓国経済は最低の状態だった。このままでは
北朝鮮にやられてしまう。朝鮮半島の共産化を恐れた日本とアメリカにとって、
韓国経済の立て直しは喫緊の課題だった。

当時、日本は敗戦の痛手からようやく立ち直ったばかりで、外貨保有高はわずかに
18億ドル(現在は約1兆1510億ドル)しかなかった。1ドル360円の時代である。
それなのに、李承晩以下歴代の韓国トップは、できるだけ日本から金をむしり取ろうと
ごねにごねて、締結に至るまでなんと14年間も首を縦にふらなかった。

そして無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款として3億ドル、計8億ドル
を搾り取ったのである。加えて日本は53億ドルにもおよぶ在韓資産を
丸ごと放棄している。尻の毛までむしりとられ、寒空に放り出された感じである。
当時、後の首相になる宮澤喜一は、
「朴正煕(当時の韓国大統領)は日本の有り金をぜんぶ持っていくつもりか!」
と激怒、肩をふるわせて嗚咽したという。

平和条約が締結されれば、一切の対日請求権は放棄される。
が、韓国は「まだまだ足りない……」とむちゃくちゃを言う。
国際法など知っちゃあいないのだ。

韓国は今日の経済発展を自力で成し遂げたかのような顔をしているが、
すべては47年前の日韓基本条約にさかのぼる。もちろん恩に着せるわけではない。
ないが、すべて日本人の血と汗と涙の結晶である8億ドルのおかげなのだ。
この賠償金によって韓国経済はテイクオフが可能となり、今日の基礎を築いたのである。

その事実を知ってか知らずか、日本は何も手をさしのべてくれなかった、
みたいなことを平気で言う。おまけに「日帝36年」のために韓国の発展は遅れてしまった、
などと負け惜しみまで言う始末。日本は韓国から徹底して収奪したというが、
実際はすべて日本からの持ち出しだったことは広く世界に知られている。
儲けるどころか、有り金はたいてせっせと韓国の国づくりに尽力したのである。

「日韓併合」は英語でannexation of Korea (建て増しの意)という用語を使う。
欧米諸国がやったような、宗主国が植民地を搾取、人民を奴隷にして豊かになる、
といった苛斂誅求のcolonization(植民地化)とはまったく別物なのだ。

現に日本は、教育やインフラの整備といった韓国の近代化に、
乏しい財源の中から巨額の資金を注ぎ込んだ。
国内の、特に東北地方など貧しい地域からは、
「なぜ外地に投資して内地に投資しないのか!」
という不満の声が一斉にあがったくらいなのである。

現在の価値観で過去を断罪するという愚を犯してはならない。
日本の大陸進出と韓国併合は決して許されるべきものではないが、
弱肉強食の帝国主義の嵐が吹き荒れていた当時の世界情勢を鑑みれば、
やむにやまれぬ事情でもあったのだ。

2012年1月12日木曜日

天下国家を憂ふ

クロスワードをやってた次女が突然質問した。
「お父さん、干支なんだけど、ね、うし、とら、う、たつ、み……の次、何だっけ?」
「……うっ、(えーと、何だっけ?)」
まったく思い出せない。

「そーゆーどーでもいい質問はお母さんにしなさい」
苦しまぎれに干支を「どーでもいい質問」にしてしまった。
娘はすでに呆れ顔だ。

「何がどーでもいいことよ」
隣の部屋から女房が抗議の声をあげる。
「巳の次はうま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い、でしょ? 
お父さんには、そういう一般ジョーシキが欠けてるのよね。
以前、冬至と夏至の違いも分からなかったしね(笑)」
二人してほとんど軽蔑の眼差しを向けてくる。

女房はきっとこう思ってる。
(あんたはね、人間が当たり前の人と違うの。血のめぐりが
悪いんだから、ね? 『俺は足りないんだな』ってことをよォく思って
なきゃいけないよ、ええ? ふつうの人と思っちゃだめなんだよ)

ボクは心の中で思った。
(何言ってやんでえ、こん畜生め。男はな、いつだって頭ん中は
天下国家のことでいっぱいなんだ。うしだとかうまだとか、
KARAだとかAKB48だとか、人生の些事雑事にかまけてるヒマなんかねえんだ。
そーゆーことは秘書に任せておけばいいんだヨ。
亭主のことを一体なんだと思ってやんでえ、いまいましい)

いつか俺だってな、ベストセラーを何冊も書き、
美人秘書を何人も雇ってやるんだ。それくらいの甲斐性はあらァ。
そして干支やら芸能ネタやら、スーパーの大根の値段やら、
それこそ人生の些事という些事をとことん憶えさせてやるんだ。
そして俺さまは、思うぞんぶん天下国家のことを憂え、そして考え、
女房子供を見返してやるんだ。ザマみやがれ……。

今年もひたすら「天下国家」に思いを馳せ、一年を過ごす所存であります。
いささか一般ジョーシキに欠ける面があるかもしれませんが、
ご寛恕のほどを。本年もよろしく。






2012年1月8日日曜日

肉体を労する国

カー用品を販売するイエローハットの創業者・鍵山秀三郎は
〝便所掃除をする社長〟として知られている。
鍵山は誰よりも早く出社し、トイレ掃除をする。
社長自ら率先垂範。会社は活気づき、業績が上がっていったという。

日本では〝美談〟とされるこうした逸話を韓国人に話すと、彼らは首をかしげる。
韓国には儒教の教えが色濃く残っていて、心を労するものが上等で、
肉体を労するものは下等、とする人間観が根強くある。
人間としてはホワイトカラーのほうがブルーカラーより上等、とする見方だ。

数年前、韓国は全羅北道の全州(チョンジュ)という古都でピビンパプの
取材をしたことがある。全州は食い倒れの町として知られ、ピビンパプ
発祥の地でもある。また両班(ヤンバン)の居ついたところで、歌舞音曲の
盛んな風流の地としても名高い。

その全州で各種の有名レストランを取材したところ、経営者が
口々に言うには「ある程度稼いだら店の権利を売り飛ばしたい」
というものだった。飲食店を成功させても、子や孫に後を継がせるのではなく、
儲けた金で子供たちを大学に入れ、官僚やホワイトカラーにしたいというのだ。

韓国にはいわゆる老舗というものがない。何代も続いた食べ物屋とか料亭がないのだ。
料理をするのは卑しい、という意識があるため、みな一代で辞めてしまうからだ。
日本人は職人を大事にし尊敬もするが、韓国人は違う。
彼の国にはいまだに工業差別や商人差別が残っている。

日本では企業の新人研修で時に便所掃除をさせることがあるが、
韓国では大学出のエリートが作業服を着て、便所掃除をすることは考えられない。
ましてや一部上場企業の社長が率先してトイレ掃除をするなんてことは
金輪際ありえない。

ボクはアルチザン(職人)が好きで、多くの職人たちを取材してきた。
料理人然り、コーヒー焙煎士然り、芸人然り……。
拙著『コーヒーの鬼がゆく』の標交紀はコーヒー焙煎のスター的存在だった。

余談だが、コーヒーの鬼、仕事の鬼、野球の鬼……と日本には愛すべき「鬼」が
いっぱいいる。ひとつことに全身全霊を傾ける人間がこの「鬼」のたぐいで、
「鬼」は真正の職人の謂いでもある。しかしこの「鬼」も、中国語では「幽霊」の意となり、
拙著は『コーヒーの〝幽霊〟がゆく』で、イメージがぐっと悪くなる。

さて、またまた憎まれ口をたたいてしまおう。
韓国の近代化は日本による植民地化がなければ実現できなかった、
というと韓国人はみな怒るに決まっている。が、儒教国家が自力で近代化した例はない。
儒教に骨がらみで染まってしまった国と、儒教ではなく儒学に染まっただけの国
その差が近代化における国力の「差」となったことは疑うべくもない。


2012年1月5日木曜日

神様と共に食ふ

欧米人は一般に餅が苦手と聞くが、人によりけりだろう。
晦日にわが家に来た「伊3人+英1人」の混成部隊は、
複雑な顔をしながらも「オイシイ」「オイシイ」と言いながら食べていた。
(こわもての主に気を遣っていたのかも)


きりたんぽ鍋といっても、わが家のそれはかなり変則的なもので、
自家製きりたんぽ以外に餅や、たまに韓国餅のトックを入れたりする。
今回は山形・鶴岡の友人からもらった丸餅を使った。

みんなで鍋をつつくというのは「共飲共食」の思想で、神道の大きな
バックボーンになっている考え方だ。そこには「神人共食」、
つまり神様と共に食事をするというニュアンスも込められている。

両端の細くなった利休箸は、人間が片方の端を使い、もう片方を神様が使う。
だから、鍋料理をみんなで食べている時に、
自分の箸をひっくり返して鍋をつつく行為は、本来やってはいけないことなのである。

「そのほうが衛生的だし、上品そうに思えるから」と、ついそんなふうに考えがちだが、
一方の端は神様用なのだから、むしろ礼を失した行為ということになる。

さて正月というとおせち料理にどうしても注目が集まりがちだが、
主役はあくまで雑煮である。雑煮は神人共食の象徴的な食べ物で、
雑煮を食べれば疫神を追い払い、開運がめぐってくる。
だから雑煮を食べる時には必ず利休箸を使う。

おせち料理は「常日頃、台所仕事に明け暮れている女衆をせめて
正月三が日だけでも休ませてあげたい」――そんな思いやりの心から
生まれた、と思い込んでいる人が多いが、大いなる勘違いだ。

大切な年神様をお迎えするための雑煮を煮る「火」であれば、
できるだけ穢したくない。雑煮以外の通常の煮炊きに神聖な火を使いたくない――。
そんな思いから煮炊きの要らない重詰めのおせち料理が生まれた。
正月というのは「火」と「水」のまつりごとなのだ。

今年も新しい一年が始まった。
どうせろくでもない生き方しかできまいが、
年頭に当たっての思い、というより生涯にわたっての思いを
芭蕉の一句に託してみた。

    やがて死ぬけしきは見えず蟬の声

2012年1月1日日曜日

賑やかなおおつごもり

長女の友人たち4人は、ただいま日本観光のまっ最中。
昨日は川越で蔵造りの街並みを見学し、夜はわが家で
ディナー(そんなご大層なものじゃねーか)を食べた。

カップル同士(Victor&Enrica+Davide&Sarah)で、
3人がイタリア人、イギリス人女性が1人だ。
英国人女性Sarah以外は長女の留学先の同級生。
全員日本は初めてで、日本のものなら何でも体験してみたい、と意欲的だ。

そういうことならと、自慢の鍋料理(きりたんぽ鍋)の腕をふるった。
お酒もワインなどより日本酒がいい、というので熱燗にした。
全員、箸も上手に使いこなす。

来日早々、どこかで不味い豆腐を食べたらしく「もうこりごり」と言ってたらしいが、
悪印象のまま帰すのも業腹なので、飛びきりうまい豆腐を食べさせて
やることにした。ボクのブログへのコメントでもお馴染みの〝なごり雪〟さん
が経営する「小野食品」(川越)の絶品豆腐「なごり雪」である。

ドドーンと食卓に置かれたざる豆腐。その大きさにまず圧倒される。
みなこわごわ眺めるだけで、箸をつけるのをためらっていたが、
ひとくち食べたら「Buono!おいしい」「Molto buono! とてもおいしい」。

そう、ボクは何度も取材したことがあるが、彼のつくる豆腐は
時にカマンベールチーズのような風味と舌ざわりがする。
京の名だたる料亭で使われているというのもむべなるかな。
豆腐の本場である京都からわざわざ注文が来るというのだから、
いかにBuono!(ぶッ、小~野!)かがわかるだろう。

食卓上に飛びかったのはほとんどイタリア語。
長女が通訳し、女房がわずかながら理解したが、
こっちはさっぱりわからず、ずっと失語症を患っていたが、
誰もみな気持ちのいい若者たちだった。

食事を済ませたら芝の増上寺まで行き、寒空のもと、年越しのカウントダウンを
するという。そしてそのまま一路京都へ。しばしお別れだ。Have a nice trip!



←左から英国人のサラ、イタリア人のエンリカ、
その婚約者のヴィクトル、サラのボーイフレンドの
ダヴィデ。後ろに見えるのがボクの仕事場&書斎。
箸使いは、へたな日本人より上等。
みんな気持ちのいい若者たちだった











※追記
ブログ内で失礼ながら、昨年7月、母を亡くしました。
服喪中につき、ご年賀は欠礼させていただきます。