2015年10月30日金曜日

ハロウィーンって何なのさ!

明日はハロウィーンなので、混乱を見越して渋谷の街にDJポリスがご出座なのだという。
年々、騒ぎが大きくなっていく感じで、ハロウィーン商戦のマーケットは、近くクリスマス
を抜くだろうといわれている。

テレビのニュースなどでも原宿の街をのし歩く仮装した若者たちを取りあげている。
魔女だとかゾンビだとか、うすっ気味わるい格好をした若者たち(=バカ者たち)が、
ひたすら目立ちたい一心でノーテンキに歩いている姿は、「この世の終わり」を思わせる。
日本人も堕落したものだ。

ボクは現代の遺物といわれるくらい「頭がかたい」人間なので、あのような無教養
そのもののバカ騒ぎを見ると、彼らの頭上から数機のドローンを使ってドロンとした
糞尿をぶちまけたくなる。あの連中は真正の日本人じゃない。靖國の英霊たちは
あんなうすらみっともない連中を守るために死んでいったのではないのだ、
と声を大にして叫びたくなる。←頭堅すぎ!
何がハロウィーンだ、何がTrick or Treatだ、バカバカしい。

そもそもハロウィーンの原型は古代ケルトの祭りである。ケルト人にとっては
毎年10月31日が1年の終わりで、夏の終わりでもあった。この31日には、死者の霊が
家族を訪ねてくるという。なんだか日本のお盆に似ている。しかし霊といっしょに悪霊
なども這い出してくるので、その悪霊を追い出す儀式が、現代の「ジャック・オー・ランタン」
などにつながっている。すなわちカボチャの中身をくりぬきお化けのような顔にする
あのランタンである。

物の本によると、「古代ケルト+古代ローマ+キリスト教」が現代のハロウィーンに
つながっているというのだが、いずれにしても日本人にはまったく関係がない。
あえて言えば古代ケルトの血を引くアイルランドやスコットランド、ウェールズと
いったところの祭りだろう。

クリスマスだって関係ないんだから堅いこと言うなよ、といわれればたしかに
そのとおりで、何でもお祭りにしてしまうこの無節操さが、日本の平和を保っている
としたら、あの〝バカ者たち〟だって少しは生きる価値があるのかもしれない。
しかしねェ、ハロウィーンは単なる〝仮装行列の日〟ではないのだけどね。

日本人はとにかく節操がない。特に宗教に関してはまったくの無節操で、
仏教でも神道でもキリスト教でも、なんでもごちゃ混ぜにして澄ましている。
イスラムから見るとほとんど「日本人は狂っている」としか思えないだろう。

しかしデタラメで節操がなく、何でもかんでもお祭りにして騒いでしまえ、という精神が、
宗派の違いで血を流し合うガチガチの一神教などより争いのない平和な社会を
つくり得るとしたら、いったいどういうことになるのか。
なんだか仮装したマヌケ面のバカ者たちが、神々しく見えてくるではないか。

そうか、あのゾンビや魔女に扮したあのバカ者たちは平和の使者だったのか。
現代の遺物であるおじさんも、いっしょに行列に加わろうかしらねえ。



さて、数時間前、ネパールで10日間の震災支援ボランティアに参加してきた長女から、
ぶじ羽田に着いたと連絡があった。父親としてはまずはひと安心だ。
メールには強烈な陽射しのおかげで肌がカッサカサになったと書いてあった。
でも父としてはこう思うのだ。
「A子よ、おまえさんのカッサカサの肌こそ美しいのだよ」
と。ああ、親バカちゃんりん、そば屋の風鈴か……

明日(31日)にはトマスもチェコから帰ってくる。




←娘が撮った機上からの写真。
きれいに富士山が写っている。





2015年10月27日火曜日

江戸っ子・ピアフ熱唱

●10月24日(土)
知人のKさん(♀)が米寿を迎えるにあたり、記念にシャンソンを披露しよう
ということになった。シャンソンはもう17年のキャリアだという。会場は
練馬区大泉学園町にある「花あそび」という小粋なカフェ。そこのマダムの
肝煎りで、半日貸し切りのパーティをやることになった。
 
Kさんに伴奏をつけるのはわが「蛮爺's」の〝蛮〟担当のNICKだ。
いつもはジャズばかり弾いていて、シャンソンの伴奏は初めてだという。
4時開演の前に、わが家で1時間半ほどKさんを特訓した。これが2度目のレッスンである。

本番の出来はすばらしいものだった。NICKも感心するほどの出来栄えで、
Kさんも満足そうだった。曲の合間のスピーチで、
あたしはエディット・ピアフならぬ〝江戸っ子・ピアフ〟ですから
とやって、会場を沸かせた。深川生まれの深川育ち。ちゃきちゃきの江戸っ子
だからか、実に気っ風がいい。「蛮爺's」も最後に歌を披露、風邪ッぴっきだから
ムリかと思ったが、なんとか咳き込まずに歌い終えた。

Kさん、素敵でしたよ。それにとてもおきれいでした。
Sさん、ウィットの効いた司会、とてもgoodでしたよ。


←大泉学園のKさんのご自宅でレッスンをつけるNICK。
さすが4歳のみぎりから身につけたテクニックだ、
シャンソンでもみごとな伴奏ぶりだ








●10月25日(月)
トマーシュの祖父が危篤だというので、急遽、チェコに一時帰国させた。
マレーシアから来たアシュレーの祖父さんもやっぱ危篤だというので、
彼女もいま国へ帰っている。海の向こうの「晩爺's」は〝危篤〟づいているようだ。


トマーシュは相変わらず薄い掛け布団一枚にハダカで寝ているから、
とうとう風邪をひいてしまった。「あれほど言っただろ!」と、ボクは叱った
のだが、暖かい寝具を用意すると「要らない」という。欧米人はハダカで寝る、
というのはよく聞く話だが、風邪をひいちまったら元も子もない。

おかげでこっちも風邪をうつされてしまい、ひどい目にあっている。
熱はないのだが、咳がひどく、夜中じゅうゴホゴホやっているから、
喉と胸のあたりが痛い。今月末が原稿の〆切だから、泣きっ面に蜂だ。

●10月26日(月)
昨日、毎日新聞出版の週刊『エコノミスト』の編集記者がボクの取材に来た。
コーヒーについて原稿を頼まれたのだが、単行本の〆切を抱えていて四苦八苦の
状態でとてもムリですと断ったら、それじゃあインタビューだけでもと、
わざわざ和光市まで足を運んでくれた。

ボクの『コーヒーに憑かれた男たち』と『コーヒーの鬼がゆく』を読んだだけでなく、
ブログものぞいてくれたらしく、ボクのお腹を見て「なるほど腹筋を鍛えておられる」
と褒めてくれた。ボクが腹筋、背筋、体幹を鍛えているという話を書いたものだから、
さりげなくその話題にふれたのだ。また実際、咳き込むたびにエビ反りになるから、
いやでも腹筋背筋が鍛えられているのかもしれない。ゴホゴホ……

ボクは朝日、毎日新聞ぎらいと日頃から公言しているが、
なぜか両紙からの取材が多い。また友人もいる。
「ブログでいつも悪口を書いてますよ」と事前に言ってあるのだが、
ニヤリと笑うばかりだ。政治の話をするわけではないので、関係ないのだろう。

いずれにしろ、わざわざ草深き田舎町までご足労ねがいまして、
ほんとうにご苦労様でした。


























2015年10月21日水曜日

ヒマラヤの寒空のもと、娘は……

相変わらず原稿との格闘の日々がつづいている。
ほとんど右手だけでキーボードを叩いているので、
右手首が腱鞘炎一歩手前の状態で、とても痛い。

「あんなに強く叩いてたら、誰だっておかしくなるわよ」
と、カミさんは呆れてる。ショパンのノクターン(夜想曲)を弾くみたいに、
こうやって軽やかに叩けばいいのよ、と実演してくれるのだが、
ピアノの弾けない爺さんがショパンになれるわけがない。

南米旅行から帰ってきたばかりの長女が、一昨日、また機上の人になってしまった。
ネパールで震災支援をするというのだ。ちょうど6カ月前に起きたマグニチュード7.8の
大地震。死者8460人、負傷者14398人を数え、ネパール人口のおよそ30%、800万人
が被災したという。そのネパールへ行き、外国人ボランティアにまじって家屋の修復
などの手伝いをするという。

「まだ余震もあるというから、自分の身を守ることを最優先するんだぞ!」
はなむけの言葉としては、こんなことしか言えなかった。

それにしてもなんという娘だ。
学生時代から世界中を飛びまわり、ヒマさえあればボランティアだ。
ヨーロッパでもアフリカでも、そしてもちろん日本でも。岩手・大船渡には
いったい幾たび通ったことか。深夜バスで往き、深夜バスで帰ってくる。
そして、すぐさま出勤だ。

「ひとにはやさしくしろ!」がわが家の家訓。
と同時に「悪いやつには容赦をするな!」もまた家訓だ。
その教えが効いたんだか、困っている人がいると、
まずまっ先に手を差しのべようとする娘たち。
そのやさしい心根が、親としては何より嬉しい。

PTSD(閉所恐怖症)患者のボクなんか、長時間機内に閉じこめられた状態を
想像するだけで息苦しくなってしまうが、娘は「最新映画を何本も観ちゃった」
とまるで屈託がない。どっちに似たんだか、物怖じしないというのも長女の長所か。
また根が明るい性格だから、外国人の輪の中にもすんなり入っていける。

食べものの好き嫌いがなく、バッタでもヘビでも何でも食べてしまう。
サバイバルゲームになったらすこぶる強いだろう。
こんなハッチャキ娘ですが、どこかによい婿さんはいないだろうか。
いまなら格別お安くしときますが……



←ケニアの小学校にて、
現地のこどもと戯れる長女







2015年10月11日日曜日

淡々と書く

毎日、原稿書きでひっちゃかめっちゃかになっている。
飯のタネとはいえ、因果な稼業で、毎度のことながら憂鬱な日々を過ごしている。

むかしはペン、いまはパソコンで書く。でもピアノ弾きみたいに
両手を使えないので往生している。手指の活用比率からすると
左手10%、右手90%という感じだろうか。あまりのバランスの悪さで、
やけに肩が凝る。それに毎度のことながら右手首が腱鞘炎になったみたいに痛い。
長時間坐っているから腰も痛いし、眼も疲れる。

だから時々は、バランスボールに身体をあずけ、エビ反りをして背筋を伸ばす。
あるいは足首に1.5㎏のウェイトを着け、近くの公園内で自転車をこいでくる。
爽やかな風に吹かれながら、
  
   ♪ サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤッホー……

なんて歌っていると、頭の中がリフレッシュされ、「さあもうひと踏んばりだ」と
仕事に集中できる。原稿を書くというのは、一にも二にも集中力が大事で、
それを欠くと、たちまちロクでもない文章ができあがる。

もともとボクの原稿なんてロクでもないものなのだが、
あんまりひどくなると肝心の銭がもらえなくなる。
だからもらえそうなギリギリのところでがんばって書いている。

いまは午前10時。トマスはまだ寝ている。先週の日曜は昼になってようやく
起きてきた。遅いじゃないかと叱ったら、
「チェコでは午後1時をまわって初めて遅いといいます」
などと平然という。口だけは減らないやつだ。

むかしはもっぱら深夜に書いていた。が、いまはそれができない。
10時過ぎるともう眠くなってしまうからだ。その代わり朝が早い。
6時にはもう起きていて、先日は4時に目が覚めてしまった。
しかたがないから、近所をぐるりと自転車で走ってきた。

時に、頭が冴えて気の利いた文句がポンポン出てくる時がある。
しかし、できあがった原稿は必ずしもよくはない。
テンションが高すぎて、表現がオーバー過ぎるのだ。
よい原稿を書くコツは、平常心で淡々と書くこと。
東海林さだお風にいうと、ひたすら淡々と書くから
〝ひたたん書き〟とでも称すべきなのかもしれない。

一方、酔って書くと、しばしば〝That's awesome!〟と叫びたくなる
ようなフレーズを思いつくことがあるが、あとで読み返してみると、
たいていガッカリする。やはり文章も酔っぱらっていて、どこか千鳥足なのだ。
これでは使いものにならない。

ラブレターを思い起こしてもらえればわかる。
深夜に書いたラブレターを翌朝読み返すと、
恥ずかしさのあまり首を括りたくなってしまう。だから、
「この手紙は深夜零時に書いたものなので、君も同じ時刻に読んでね」
と、事前に連絡しておくといい(←これも手紙でか?)

夜はつい気分が高揚してしまって、文章まで妙に気取ったものに
なったり、ピョンピョン跳ねたような陽気すぎるものになってしまう。
だから相手にも同じような環境の中で読んでもらうのだ。
文はその人のその時々の気持ちを正直に映し出してしまう。
〝文は人なり〟といわれるゆえんなのである。

素人の書いた文章がダメなのは力みすぎているためだ
特にオトコと称するややこしい種族は、
「おれはこんな難しい漢字だって知ってんだぞ!」
とばかり、難解な漢字や四文字熟語をやたら使いたがる。
自分がいかに優秀な人間であるか見せつけるためだ。

漢字が多い文章は全体に黒っぽく見える。
それに角張り尖っている分だけ読みづらい。
だから適宜「かな文字」に開いてやる。すると文が白くなる。

力まず気負わず、肩の力を抜いて淡々と書く。
泥のように晦渋な言葉はできるだけ避ける。
いつも平易な文章を心がけ、文全体を白っぽくする。

ボクはこんなふうにして〝ライター稼業〟をやってきた。
40年もやっていれば、力みは自然と消えてなくなる。
どう転んでも自分を超えた文章は書けないので、
半分開き直り、素直な文章を心がけている。

原稿のデッドラインは今月末。
いまようやく半分のところまで来た。
これからがほんとうの正念場だ。



←わが家のバルコニー(5階)から見た
団地内の景色。この赤や黄の花は
ポーチュラカ。書斎からこの景色を
眺めながら原稿を書いている。緑が
多いと心が和みます









2015年10月7日水曜日

「飲~める賞」だけでいいや

ノーベル・物理学賞を受賞した梶田隆章氏は、わが母校・県立川越高校の出身だという。
ボクの8年後輩で、弓道部だったという。目立たない地味な男だったらしい。

ボクはノーベル賞ならぬ「飲~める賞」はすでにいただいているが、
ノーベル賞はまだで、おそらく数年後には文学賞(これから書くつもり)が
もらえるだろう。ムラカミハルキとかいう人気者に先んずるのが目標で、
いま懸命に書いているところだ(←ついでに恥もか?)。

ニュートリノの研究に多大な貢献をしたスーパーカミオカンデ。
この巨大な研究施設を形作る光電子増倍管は「浜松ホトニクス」が
製造したものだ。府中に住む女房の姉は、かつて浜松ホトニクスの
社員だった。が、婚約者のイギリス赴任が決まったため、1年足らず
で辞め、イギリスへ渡ってしまった。

何が言いたいのかというと、梶田氏のノーベル賞受賞をめぐって、
川越高校と浜松ホトニクスというキーワードで、梶田氏とわが一族がつながった、
ということなのだ。「な~んだ、そんなことか。単なる偶然じゃないか」と
言われればたしかに偶然で、そこには何の意味もないし、
そのおかげでわれわれが格別偉くなったわけでもない。
でもまあ、堅いことは言わず、このむやみに嬉しい気持ちを
どうか汲んでくださいな、という話で、もちろん深い意味などないのである。

居候のトマスに、「日本人が2人、ノーベル賞をもらったんだぞ」
と自慢したら、「知らない」とそっけない。
数日前も「ラグビーで南アをやっつけたんだ。知ってるか?」
と訊いたら、やはり「知らない」だった。こいつは何にも知らない。

「チェコの首相は何という名前なんだ?」
と訊いたときも、「知らない」だった。
「女子体操のチャスラフスカは知ってるだろ?」
には「知ってる」だったが、それ以上は黙りこくっていた。
まったく、この男は、どこをつついても無反応だ。

長女が休暇をとってチリ、アルゼンチンを旅行してきた。
例によってバックパックを背負ってのひとり旅である。
イースター島にも行って、夕陽に沈むモアイ像を見てきたという。
写真を見せてもらったが、幻想的ないい写真だった。

かたや〝何でも見てやろう〟という好奇心旺盛なオンナの子がいて、
こなた娑婆の出来事には少しも興味がない、というパソコンおたくのオトコの子がいる。
地球上には、いろんなニンゲンがいるもんだな、と感慨を新たにしている
今日この頃である。



←イースター島のモアイ像




photo by 長女