2013年12月30日月曜日

毎日がお正月

わが家のオンナ3匹はすでにいない。昨日からのんびりと旅の空だ。
女房と次女は北陸の温泉巡り。長女は遙かアフリカのどこか危ない国へ(笑)。
先だってペルーに行ったばかりで、その数カ月前はクーデターが起こる2日前に
エジプトから脱出してきたばかり。治安の悪そうなところを狙って旅して
いるのではないかと勘繰りたくもなる。親の心、子知らずである。

旅行嫌いのボクは相変わらず留守番で、心の中で「バンザ~イ!」と叫んでる。
この寒いのに雪降る北陸なんかに行ってどうすんだヨ、などと思ってる。
一方、長女は言う。「ヨーロッパはもう見飽きちゃった」と。
学生時代から飽きるほど世界を放浪し、ほとんどの国を制覇してしまった。
で、今は「瞳がキラキラしている子供のいる国」を集中的に歩いているという。
つまり、すれっからしの先進国ではなく、純朴な?後進国ということになるのか。

若い時分にはこうした〝青春期の驕慢〟に包まれる時期がある。
もう見飽きちゃった、というが何に飽きたのか。ヨーロッパの何を知っているのか。
ギリシャ・ローマ文明、キリスト教の真髄を知らずして、「もう見飽きちゃった」は
ないだろう。ヨーロッパの歴史・文化のいったい何を知っているのか。
見えても見えず。要は何も知りはしないのだ。

「百聞は一見に如かず」という。たしかに人づてに聞いた話など当てになるまいが、
「百読」であれば「一見」に勝るかもしれぬ。百読のない一見はむしろ害になること
だってある。

留守番は楽しい。心静かに本を読めるし、酒だって遠慮なく飲める。
ここ数日、酒飲みの友ととっかえひっかえ忘年会をしている。
今夜もわが家で宴会だ。気のおけぬ友と酒を飲み、時に憂国の思いを語り、
時にまたバカッ話に花を咲かせるのはほんとうに楽しい。
そういえばこの1年、休肝日なしの、毎日が新年会であり忘年会だった。

今年はいろいろあった。親友の死という悲しい出来事もあった。
仕事もなぜか忙しく、ゴーストで書いた本がアマゾンのビジネス書部門の
人気ランキングで1位を獲得したこともあった。が、一方で身体の変調も激しかった。
左膝が完全にいかれてしまっただけでなく、持病の腰痛も悪化してしまった。
1年の後半はリハビリに専念する年でもあった。

ブログ上では支那や韓国の横暴やウソに対して、一貫して反撃してきた。
とりわけ韓国の歴史を捏造する非道に対しては、そのウソ八百を徹底して暴いた。
そのおかげなのかどうか、ブログへのアクセス数が10倍くらいに増え、
特に海外在留邦人からのアクセスが日に数百を数えている。ありがたいことだ。

ボクはfacebookはやらない。mixiもやらない。twitterもやらない。いや、
どれも店開きはしているのだが、今は中断している。何がおもしろいのか、
その価値がいまだに見出せないので、開店休業中なのである。
「いいね!」「いいね!」などと互いに褒め合って何が楽しいのか。
「友達リクエスト」というのもうっとおしいし、何より擬似的な〝ともだちの輪〟に
くるまって、いったい何が嬉しいのか、ボクにはさっぱり分からない。
なんだか薄っ気味わるい。

ボクは見知らぬ人のブログにもしばしばコメントを入れる。
賛意を表することもあるし、時に反対意見なども遠慮なく書き込む。
「いいね!」の応酬に代表されるぬるま湯的な偽善は性に合わない。

インターネット上で知り合った友もいる。
まだ会ったことはないが、心がつながっている。
身近な友よりも、深くつながっているような気もする。
見ず知らずの人間同士がパソコン上でつながり、友情さえをも築いてしまう。
思えば、ボクたちはとてつもない世界に生きている。

今年もあとわずか。
ボクの拙くも過激なブログにつき合っていただき、ほんとうにありがとう。
皆さまが良き年を迎えられますよう、心から祈っております。
1年間のご愛顧に感謝いたします。ありがとうございました。





←今年は仏人のAlexiaが再来日し、
ボクの母校・慶大に留学した年でもある。
このエプロン姿はわが家で夕飯を食べた
日のスナップ。ボクには可愛い娘が
世界中にいる。そして時々、こうして
会いに来てくれる。これ以上の幸せはない。






 

2013年12月25日水曜日

テレビの小窓に悲憤慷慨

「やっべ、これマジ、うめェー!」
テレビの中の〝バカタレバカタレント)〟どもが、情けなくなるような箸さばきで
老舗料亭の料理に舌鼓を打っている。こういう知性のかけらもない低劣な輩には、
猫イラズ入りのキャットフードなんぞをあてがっておけばいいものを、
これまた三流の陋劣ディレクターが、おもしろ半分に名にし負う料亭を訪問させ、
恥を満天下にさらしている。バカにつける薬はないのである。

「すげェー」「うめェー」「やべェー」「こえェー」「うぜェー」「でけェー」
街中には、聞くもおぞましい〝げぇーべぇー言葉〟があふれている。
先だっては、ぶっ飛んだ女子高生が「マジかよ、クソすげェヘビメタじゃん!」
なんて叫んでた。思わず六尺棒でなぎ倒したくなった。

テレビの紀行番組で、案内役が若い女優とかバカタレだったりすると、
即チャンネルを変えることにしている。何を見ても「すごい、すごーい!」、
何を食べても「おいしーい!」とか「めっちゃ、おいしーい!」、
へたをすると、それこそ「ヤべェー!」なんて叫ぶ低脳タレントがいるからだ。
それが海外物だったりすると恥ずかしくて見てられない。

最近はこうしたギャル言葉やうす汚い言葉を〝時代の最先端トレンド〟だからと、
テレビCMに進んで使うものが出てきている。ボクは思うのだ。
日本語を乱し、日本語を穢し、日本語を貶め、日本人の品格を貶めているのは、
CM制作に携わる電通以下、日本有数の広告代理店ではないのかと。
彼らこそ指弾されるべきA級戦犯ではないのかと。

そしてまた、さらにイラつくことに、テレビ画面の端っこにある小窓。
あの小窓からバカタレどもが顔を出し、愚にもつかぬことをくっちゃべっては、
番組の品性(最初からないか)を限りなく貶めている。

あの、バカが顔を出す小窓を「コーナーワイプ」というのだそうだが、
誰が発明したんだか、不愉快極まりない代物なのに、最近ではNHKまで
使いだした。ボクは画面左上に出たりすると、やや大きめの付箋を上から
かぶせ、シャットアウトしてしまう。コラムニストの中野翠も同じように
メモ用紙をかぶせてしまうというから、あの心ない小窓に悲憤慷慨している
良識人は想像以上に多いのだろう。

バラエティ番組にタレントを供出しているタレント事務所としては、
できるだけ若いタレントの顔を世間に売り出したい。だから、あの小窓は視聴者に
印象づける小道具としては最良のものなのだろう。これは想像だが、局側と
タレント事務所との間で、「画面露出時間最低( )分」といった契約が秘かに
結ばれているのではなかろうか。

いずれにしろ、あの小窓のおかげで、バカタレどもの表情やアクションが著しく
大げさになったことは確かだ。森泉(森英恵の孫、写真参照)などは、
ただでさえ大きな目をこれ以上大きくならないってくらい見開いて驚くふりをする。
バカも極まれりだ。

ああ、今年も日本のテレビ界はバカタレで始まりバカタレで終わるのか。
来年も再来年も、この先ずっとずっとバカタレの天下は続き、日本人の品性は
限りなく卑しくなっていくのだろう。当てごととモッコ褌は先から外れる
というが、この予測だけは絶対外れっこない、というところが悲しい。



←こんなマヌケ顔をするバカタレども
が、異常に増殖してきている






2013年12月23日月曜日

大坊珈琲店に別れを告げて

たったいま、原宿・表参道から戻ってきたところ。うゥ、さぶい。
祝日で、おまけにクリスマスを控えているからか、やけに人出が多かった。
夕暮れ時になると、欅並木にはシャンパンゴールドのイルミネーションが灯り、
原宿の街はいやが上にも幻想的な雰囲気に包まれる。
もっとも、非キリスト教徒のあっしには、「まったく関係ねえことでござんす」

こんな寒空に膝痛・腰痛持ちが、びっこを引き引き何しに行ったのか。
決まってるじゃありませんか、別れを告げにいったんでござんすよ。

今日は「大坊珈琲店」の閉店日。昭和50年から続いた日本有数の名店が、
ビル取り壊しのためひとまず幕を引く。ボクはそれほど熱心な客ではなかったが、
店主の大坊勝次氏とは長~いつき合い。オープンしてすぐに取材させてもらったし、
拙著『コーヒーの鬼がゆく』にも登場してもらった。

いまでこそ白髪で、髪もまばらになってきたが(本人は脱毛に悩んでた)、
開店当時の大坊氏は僧坊から脱け出てきたみたいな坊主頭ながら、
髪も黒々としていて、肌もつやつやだった(←当たり前だ)。
ひそひそ声で話すのは相変わらずで、何と言おう、独特の〝間〟があった。

その大坊氏の生前の姿を目に焼きつけておこうと(←まだピンピンしてるよ)、
勇躍出かけてみたのだが、店(2階にあります)に続く狭く細い階段はすでに人・人・人。
店内に入りきれず、立ちんぼしたままウェイティングだ。
みなブライアン・フリーマントルを気どって、大坊に別れを告げに来た人ばかりである。

40分ほど待っただろうか、カウンター席に通された。
大坊氏は亡びゆく髪をふり乱して抽出に没頭。その周囲は空気がピント張りつめていて、
しわぶきひとつできないような雰囲気。こっちも声をかけるなんて無粋なことはせず、
黙ってかしこまっている。注文したのはいつもの3番(20グラム、100cc)だ。

顔をあげた大坊氏が知的な風貌のイケメン紳士を発見(ヘヘヘ……ボクのことです)。
ニコリと笑って二人してアイコンタクト。言葉は交わさない。

カウンター内には大坊氏の他に奥さんの恵子さんとジャニーズ系スタッフが3名。
いかんせん狭苦しいので、5人でおしくらまんじゅうをやっている。
ああ、こうしてまた「昭和」が消えてゆくのか。ボクの頭の中では、
吉祥寺=もか」と同様、「表参道=大坊珈琲店」という等式があったものだから、
大坊が消えてしまうと、この界隈がすっぽりボクの頭の中の地図から消え去ってしまう。
いつまで恋々としていても始まらないが、この寂寥感はいかんともしがたい。

とろりとしたいつもの深煎りコーヒーを堪能したボクは、
おセンチになりそうな気分を断ち切るようにして席を立った。
そして再び店主に目で挨拶。(サヨウナラ。また会えるよね)

店の外にはにぎやかな師走の風が吹いている。
ボクはマフラーに口もとをうずめ、「さて、帰るとするか」とひとり呟いた。




←大坊の近くにアトリエを構えていた
牧野邦夫の絵。入口入ってすぐ右の
壁に掛かっている。圧倒的な存在感。
この絵、いいよなァ。













 

2013年12月21日土曜日

末路哀れは覚悟の前

長女の部屋をのぞいたら寝袋やら着替えやらが雑然と散らかっている。
机の上にはモロッコ関係の本が数冊。いよいよもって怪しい。
〝片雲の風に誘われて症候群〟がまたまた首をもたげたか。
つい先だって、ペルーのマチュピチュ遺跡を見てきたばかりだというのに、
持病のようになってしまった漂泊願望癖。娘の生き方だからとやかく言うつもりはないが、
年に4回も5回も海外へ飛び出す、その心底がよくわからない。

ボクは旅行というものにすっかり興味を失ってしまっている。
若い頃に遊びや仕事で日本国中をいやというほど回ったというのもあるが、
歳のせいなのか「何でも見てやろう」といった類の好奇心が、
ひどく薄れてしまったというのもひとつある。
それに膝と腰がいかれてしまって、もう物理的に遠出はできない。
半径500メートル以内の生活圏で生きていくしかないのだ。

わが家は全員、独立採算制で、自分の食いぶちは自分で稼がなくてはならない。
オンナ3匹はめっぽう稼ぎがよくて、(推測だが)かなりリッチな生活をしている。
黒一点のボクは相変わらず貧乏で、手首が腱鞘炎になるくらいキーボードを
叩いても、手元に入ってくるギャラはいつだって目腐れ金だ。
〝100円ライター〟と自嘲するゆえんである。

これまでにいったい何冊の本を書いただろう。
自著は8冊と少ないが、ゴーストで書いた本はけっこうな数だ。
先日、蔵書を整理していたら、『チンコロ姐ちゃん』で有名な漫画家・富永一朗が
書いた闘病記『ボクの愛する糖尿病』なんて本が出てきた。ああ、懐かしい。
もう時効だから言っちゃうが、これもボクが代筆した本である。

富永さんとはよく新宿2丁目で飲んだ。というより鞄持ちみたいな役回りで、
そばにくっついていただけである。どんな店に行ったのか、まるで憶えていない。
いつも数軒ハシゴをするのだが、狭苦しい路地を行ったり来たり。
こっちはすっかり酩酊していて、いつものよう記憶がカンペキに飛んでいる。
まさか十数年後、〝いっちゃん〟の本を代筆するとは想像だにしなかった。

話変わって、いま、上方落語界の重鎮・桂米朝の『桂米朝集成』全4巻(岩波書店)
というのを読んでいる。これがすこぶる面白い。司馬遼太郎が米朝落語をこよなく
愛したというが、これほど博識の男だとは知らなかった。
漢籍の素養も相当なものである(大東文化学院で学んだ)。

米朝の師匠・桂米団治はよくこんなことを言っていたという。
《噺家ってなもんはな、米一粒よう作らん、釘一本よう作らんのに、
酒がええの悪いのてなことを言うて、好きなことをして一生送るんや。
そやさかい覚悟せなあかん。末路哀れは覚悟の前やで》

いいことを言いますな。まさにそう。「噺家」を「物書き」に置き換えたってそのまま
意味は通ずる。お互い立派な()〝虚業〟やさかい、末路哀れは覚悟の前や。
物書きなんて米一粒も作れない。ただ言葉の符牒を操って世間を煙に巻くだけ。
そういえば、野坂昭如も言ってたな。俺が唯一できる造形物はウンコだけだと。
なべてオトコはスカトロジストなのだと。

ペルーだモロッコだと、世界中を飛び回るのもいいが、
家でじっくり米朝の語りに耳をすますのもいい。
米朝の本を読んでいたら、嫌いだった関西弁がすっかり好きになってしまった。




←人間国宝の桂米朝師匠。
桂米団治の他に正岡容(いるる)も
米朝の師匠筋。この正岡という男も
めちゃくちゃな破滅型だった。正岡の
弟子は他に小沢昭一や加藤武、
作家の都筑道夫などがいる。




 

2013年12月17日火曜日

おせちより雑煮のほうがエライ

以前、餅が喉に引っかかって往生したことがある。
歳を取ると嚥下能力が低下するのか、喉につまらせたり、
気管支に入ってむせたりすることが多くなった。
(おれも歳を取ったもんだな……)
ちょっぴり悲しくなる。

正月になると、わが家では毎朝お雑煮を食べる。
ボクはこの雑煮が大好きなのだが、用心して食べないと、
救急車とか霊柩車のご厄介になる可能性も出てくる。
近頃は丸餅で直径1㎝の「喉につまらない餅」なんていうのもあるらしいから、
いよいよ耄碌したら、そっちの世話になることにする。

さて今回は「雑煮」の話だ。ボクは雑誌に20数ページにわたって〝餅〟に
まつわる記事を書いたことがある。ちょっとした「お餅博士」なのである。
その餅博士がしょっちゅう喉につまらせ、それこそ東京五輪を見る前に
〝ご臨終〟では洒落にもなるまい。いや、そんなつまらない話をするつもりではない。
世間様の誤解を解こうというありがたい話だ。

正月料理というと重詰めの「おせち」と「雑煮」が代表である。
「おせち」が主で、「雑煮」が従――多くの人はそう思っているふしがある。
実は逆で、主役はあくまで雑煮で、おせち料理は脇役なのである。

そのことについて取材するため、伝承料理研究家の奥村彪生氏を奈良のご自宅に
訪ねた。こんな草深き田舎町までようこそ、と奥村さんは笑顔で迎えてくれた。
「宮大工だった父は、大晦日の夜、しめ縄を張った井戸から若水を汲み、
竈(かまど)の火も新しいのに換えました。雑煮はこの神聖な火と水で煮たんです」

京都・八坂神社のおけら参りは年越しの行事として知られている。火縄につけて
くるくる回しながら家に持ち帰るおけら火。この聖なる火で福茶を飲み、雑煮を
つくると無病息災の1年が約束されるという。言うまでもなく神聖な火と水は年神様を
迎えるためのものだ。年越しの夜、餅と土地どちで採れた産物を供え、神迎えの
行事をする。そのお供えを下げ、ひとつ鍋で煮たものが雑煮である。

「神様に供えた飲食物を神様といっしょにいただく。こうした〝神人共食〟を
〝直会(なおらい)〟といいますが、雑煮はこの直会に食べる料理なんです」
と奥村さん。そういえば、雑煮用の箸は利休箸のような両口箸で、
両端が細くなっている。一方が人用で、もう一方が神様用というわけだ。

雑煮を食べれば邪鬼を追い払い、開運がめぐってくる。その大切な神様を
お迎えするための雑煮を煮る火であれば、できるだけ穢(けが)したくない。
雑煮以外の煮炊きに神聖な火を使いたくない。で、煮炊きの要らない重詰め料理
おせち)が生まれたんです」(奥村さん)

おせち料理は常日頃、台所仕事に明け暮れている女衆をせめて正月三が日だけ
でも休ませてあげたい。そんな思いやりの心から生まれた作り置き料理、
とてっきり思い込んでいたものだが、そこにはもっと深い意味があった。

稲や餅には特異な霊力があると古来より信じられてきた。
いわゆる〝稲魂信仰〟がそれで、雑煮は室町時代に生まれたとされている。
雑煮は京生まれの京育ちで、最初は酒のつまみだった。
「織田信長が家康をもてなしたときにも、酒の肴として雑煮が使われてます」
と奥村さん。庶民の間に広まったのは江戸は元禄の時代からで、背景には
稲の生産高が格段に上がってきたという事情があったという。

10万円を超える高級おせちが好調な売れ行きだという。
景気がよくなってきた証拠だが、おせちよりまず雑煮が大事、
ということはしっかり胸に刻んでおいてほしい。
そしてくれぐれも、餅を喉につまらせないように気をつけてください。





←雑煮は〝方言型〟料理の典型といわれる。
郷土食が色濃く出るので、どんな雑煮を
食べているかを聞けば、生国を当てられるほどだ。
西は丸餅で、東は角餅。その分岐点は岐阜の関ヶ原
あたりといわれている





 

2013年12月12日木曜日

隣りのクレーマーおばさん

韓国への日本人旅行客が激減しているという(当たり前だ。反日の国なんかに誰が行くもんかヨォ)。
今年1~10月までの日本人観光客は約230万人(それでもまだこんなに愚か者がいる)で、
前年同期比で24.1%の大幅減。
新大久保のコリアンタウンも韓流ブームの衰退とともにさびれ、
閉店が相次いでいるという。
歴史や領土問題での日韓関係の悪化がその主な原因なのだそうだ。

先日、知り合いの月刊誌編集長と飲んだとき、彼はこう言って苦く笑った。
「嫌韓特集を組むと本が売れ、みな完売してしまうんだ」
そういえば『週刊文春』も韓国の朴槿惠大統領を、
隣近所の悪口を言いふらす〝おばさん外交〟》とからかったし、
連載の「今週のバカ」にも朴槿惠を登場させ、その無能ぶりを徹底的に笑いのめした。
おまけにネット上では、大国支那にもみ手ですり寄り媚びを売っているからか、
パク・クネ大統領は〝クネクネ〟などと呼ばれている。

反韓・嫌韓ネタがよく売れる、というのは実によく分かる。
ボクも支那と韓国の悪口はよく書くが(好きで書いてるわけじゃない。
売られたケンカを買ってるだけだ)、書くたびにアクセス数が増え、
その数、数百におよぶことがある。同時にスパム(迷惑メール)も増えているから、
ネット上でも冷たい戦争が繰り広げられている。

韓国は〝ウソで固めた国〟とボクは再三書いている。
歴史は平気でねじ曲げるし、顔や身体だって整形して過去を跡形なく消してしまう。
「慰安婦問題」にしてもすべて韓国の捏造で、そこに河野洋平や福島瑞穂といった
国賊がからみ、さらに吉田清治という大ウソつきが加わってついにSex Slave(性奴隷)
などという不名誉きわまりないウソが、まるで真実のようにまかり通るハメになってしまった。
これだけでも「国交断絶」に値する。

歴史といえば、韓国人は歴史にかかわる本をまったく読めなくなっている。
かつてあった漢字・ハングル交じり文を捨て、allハングルにしてしまったからだ。
ここ100年あまりで普及したにすぎないハングル。古い文献や古典を読むには
漢字が必要だが、専門家以外は歴史書や古典を読むことができないのだ。
ボクは思うのだが、次から次へと歴史を改竄し、勝手に歴史を作り替えているのは、
国民のほとんどが過去の正しい歴史を確認できず、チェック機能が働かないから
ではないのか。そしてまたひどいことに、「ハングルこそ日本語の起源だ」と唱える
バカが出てくる始末。相変わらずの〝ウリジナル症候群〟。
あの国はほんとうに狂っている。

さて何度も言うことだが、戦場の性というものは一筋縄ではいかない。
明日をも知れぬ兵士たちにとっては、子孫を残さなくてはならないという本能が
働くのか、時に生殖活動が異常なほど活発になり、制御不能になることがある。
戦場で強姦事件が頻発するのはまぎれもない事実で、
このことは世界中の軍隊に共通する悩みのタネなのである。

で、旧日本軍はどうしたか。被占領地での強姦事件を撲滅するため、
民間業者に売春宿の営業を許可し、兵士の衛生に注意を払わせたのである。
慰安婦には日本人もいたし、朝鮮人(当時は日本人)もいた。
性の奴隷などとはウソっぱちもいいとこで、将校の月給が70円のときに(兵隊はたったの10円)、
慰安婦は300円以上も稼いでいた。慰安婦は高給取りだったのである。
後に家を数軒建てられるくらいの貯金を残した朝鮮人慰安婦たち。
そんな高給取りの売春婦たちの、いったいどこが〝性奴隷〟なのか。

兵士を性病から守るとともに、被占領地の女性たちに迷惑をかけないための
慰安婦。アメリカなどは自前の売春宿を営業させず、「自由恋愛」を標榜して
兵士を野放しにした。そのため、日本占領時には横須賀などで強姦事件が多発し、
アメリカ軍は東京都に対し、「吉原のようなものを作れ!と命令した。
そのことを当時の副都知事が証言している。

韓国軍はもっとひどい。ベトナム戦争時には韓国軍に虐殺されたベトナムの民間人
は推定で30万人いるとされている。現地の女性を強姦し、置き去りにした混血児
(ライタイハンと呼ぶ)は最大3万人だ。韓国政府はその事実をひたすら隠そうと
しているが、アメリカが原爆投下の罪を相殺させようと、支那と結託して南京大虐殺
をでっち上げたように、韓国もベトナム人大虐殺の事実を覆い隠すために
慰安婦問題をでっち上げ、日本人を悪者にすることで自分たちの犯した
非人道的行為をカムフラージュしようとしている。

〝嫌韓〟を特集すると本が売れる、という悲しい現実。
かつて何度も韓国取材を敢行し、雑誌等で韓国を礼讃したボクとしては、
こんな事態になるとは夢にも思わなかった。コリアンの親友とも
いまは連絡が途絶え、新大久保で共に飲むこともなくなった。
これもみんな韓国の愚かな政治家や反日メディアが蒔いたタネで、
ボクたちはその被害者なのだ。

クレーマーおばさんの〝クネクネ〟は、いったいいつになったら
〝告げ口外交〟をやめるのか。世界中から物笑いのタネになっていることに
気づかないのだから情けない。韓国人のDNAに染み込んだ「事大主義」体質
愚かな習(近平)ちゃんにすり寄って、死ぬまでクネクネと媚びを売ってろ!





←これも読みました。
〝無脳?〟を絵に描いたクレーマーおばさん

2013年12月9日月曜日

『コーヒー おいしさの方程式』余瀝

コーヒーファンにとってはお馴染みの南千住の「カフェ・バッハ」。
通称山谷地区のど真ん中にあるこの店は、日本を代表するコーヒー店として
国内外にあまねく知れわたっている。店主は〝御三家〟の一人、田口護(75)で、
現在日本スペシャルティコーヒー協会(SCAJ)の会長をつとめている。

田口の著した本は数多(あまた)あるが、なかでも『田口護の珈琲大全』と
田口護のスペシャルティコーヒー大全』は自家焙煎をめざす人たちにとって
バイブル的な役割を果たしている。日本だけでなく、支那や台湾、韓国などでも
翻訳され、彼の地で田口は〝神様〟のような存在と聞くから、その第3弾に注目が
集まるのも当然だろう。

満を持して登場した第3弾のタイトルは『コーヒー おいしさの方程式』(NHK出版)
というもの。来年1月半ばに発売される予定で、ボクは微力ながら「取材&文」を
担当させてもらった。他のスタッフ(編集、カメラ、デザイン)も既刊2冊と同じメンバー
である。

ただし今回は田口護の他に旦部幸博(滋賀医科大講師)という共著者が加わっている。
旦部はガン抑制遺伝子の研究が本業で、コーヒーの研究は副業というか趣味の範疇だが、
百珈苑』&『百珈苑ブログ』という人気ブログを主宰していて、最近では田口と一緒に
自家焙煎ゼミの講師をつとめるなど、コーヒー業界でも徐々にその名が知られるように
なってきた。

なにしろ、あの帰山人センセーが「日本最強のコーヒー研究者」と評しているくらい
だから、ことコーヒーに関しては〝くるくるぱー度〟は相当高い。
田口&旦部の〝タグタン〟コンビは、今や「エンタツ・アチャコ」の名コンビ
と並び称されるくらいの〝おしどり〟ぶりを発揮しているのである。

自画自賛を承知で言わせてもらうと、今度の新刊は「すごい!」の一言に尽きる。
何がすごいって、内容の革新性がまずすごい。おそらく現時点では、
世界最先端の情報が満載されている。コーヒーの生産から、焙煎、抽出に至るまで、
これほど事細かに科学的分析が加えられた本は前代未聞だろう。

「科学的」だからといって、ことさら敬遠したり身構える必要などまったくない。
専門用語はできるだけ控え、だれにでも分かるように平易な言葉に置きかえてある。
自慢するわけではないが、ボクはケータイも持てないくらいのIT&機械オンチで、
数学とか物理化学はヘビやミミズ以上に苦手である。クロロゲン酸ラクトンといった
化学用語などは見ただけで悪寒がしてくる。

その科学オンチが、「なるほどそういうことか」と何度も合点したくらい、
田口の技術と旦部の科学がうまく噛み合っている。まるで「牡蠣とシャブリ」の
マリアージュ(結婚)みたいに、理論と技術がしっくり融け合っているのである。

原稿書きは正直つらかった。既刊2冊のときの10倍くらい疲れた。いや、疲れ果てた。
著者が2人いて、それぞれが「ここをこう変えてくれ」「この表現はやめてくれ」
「おやじギャグは入れないでくれ」などと、次から次へとムリな注文をつけるのだから
たまらない。特に学者先生の場合は、研究者生命にかかわってくるものだから、
ちょっとした間違いも許されない。
いやあ、なんとも神経のすり減る数カ月であった。

その甲斐あってか、出来映えは想像以上のものとなった。
脅すわけではないが、少なくともコーヒーに関係する仕事に携わっているものには、
必携の書になるだろう。おそらく今後数十年、この本を読まずしてコーヒーを語ること
はできなくなるだろうし、読まずにいるととんだ大恥をかくことになる。
読めば〝目からウロコ〟のオンパレードで、読み終わると滋養たっぷりのディナーを
堪能したときみたいに、身も心も幸福感と充実感に満たされることだろう。

それに値段が1500円とお手軽なのがいい。
既刊のものは2800円、3600円と人をバカにしたような値付けだった。
ボクは「もっと廉価なものにしろ」としつこいくらい言い続けてきたのだが、
版元は聞き入れてはくれなかった。今回はようやくまっとうな金銭感覚に立ち戻ったようで、
判型はやや小ぶりながら、図版も盛りだくさんの立派な本に仕上がった。
支那語、韓国語以外に英語版も出したいと版元も意気込んでいるくらいだから、
近く世界中で読まれることになるかもしれない。

何度でも言う。今度の本だけは絶対買ったほうがいい。
もしも手元不如意なら、女房子供を質に入れてでも買うべきだ。
読んでおかないとコーヒーの〝コの字〟も語れなくなる。
客の問いかけにも正しく答えられなくなる。
ウソは言わない。世界最高レベルの画期的な本である。

タグタンの意を体して代筆したその当人がすばらしいと言っているのだから、
これほど確かなことはない。←それがいちばん不確かだっつーの!
発売日は年明けの1月18日。その数日前には書店に並び、
近日中にはamazonや楽天で予約受付を開始するだろう。
大いに期待すべし!





←難産だっただけに愛しさもひとしお。
買って損はいたしません。
ただし返品・返金には応じかねます(笑)


















※追記
①その後、タグタンコンビは解消され、
田口氏は笑福亭鶴瓶と新コンビを組んだ模様。
「コーヒー おいしさの方程式」異聞参照!

②『コーヒー おいしさの方程式』発売記念トークイベントのお知らせ
来る2014年2月23日(日)19:00~20:30、「代官山蔦谷書店」にて、著者2人による
トークショーを開催します。講師は田口護と旦部幸博の〝旧タグタン〟コンビ。
司会進行は不肖嶋中労があいつとめます。お笑いトークイベントにならぬよう、
この日ばかりは〝しらふ〟で参上いたしますので、死ぬほどおヒマな方は
ふるってご参加ください。詳しくは本ブログにて追ってお知らせいたします。
(ただしイベント参加資格はこの本もしくは〝田口本〟のいずれかを蔦谷書店で買い求めたもの
に限られます)






 

2013年12月4日水曜日

夕には厚顔となれる身なり

週に2日、休肝日をつくろうという決心はもろくも崩れてしまった。
成功したのは1週だけ。当日になると、
(ウーン、今日の分は明日に延ばすっちゅーことで……)
と、軽く一杯。明日になると、
もう1日延ばして、来週は4日休むっちゅーことで
と、またまた飲んでしまう。なんという意志薄弱。我ながら情けなくなってくる。

そしてとうとう師走の到来。昨夜は団地仲間2人とわが家で忘年会。
ワイン3本、缶ビール10本、焼酎1本が軽く空けられてしまった。
悪酔いするかと思ったが、顎が外れるほど大笑いしたので、
毒素も抜け、すこぶる快調な寝覚めだった。

毎日が独り宴会だというのに、今月はあっちからもこっちからも忘年会の
お誘いがかかる。人気者は肝臓を休ませるヒマがない。
先月までバナナダイエットを敢行、「あらっ、ずいぶんお痩せになって」
懇意の人妻たちから、さかんに声をかけられたものだが、
この分では、また醜いデブに返り咲きそうだ。

高校時代は177㎝で57キロ、大学で62キロ。サラリーマンの頃は65キロくらい
だったが、結婚した途端に80キロを超え、85キロ、86キロ、87キロ、88キロ、
89キロと止まらなくなり、ついに90キロを超えるかというところでからくも踏みとどまり、
なんとか80キロ台をキープした。で、ここのところのダイエットが効いたのか、
80キロまで落としていたのだが、今朝測ったら2キロのオーバー。
昨夜の鯨飲馬食のバカ騒ぎで数カ月の努力がフイになってしまった。

さて、「ザ・タイガース」が44年ぶりに再結成され、コンサートをおこなったという。
あの白面の貴公子だったジュリーこと沢田研二(65)も、醜く太って、
変わり果てた姿になっていた。また生意気にもあごヒゲまでたくわえ、
一見すると面差しも体形も吾輩そっくりになっている。

いい年ぶっこいて「モナリザの微笑」だ「花の首飾り」もないもんだと思うけど、
50~60代のくたぶれた聴衆とはいえ、1万3000人も集めてしまうのだから大したものだ。
ハッキリ言って、容姿ならジュリーよりボクのほうが上だ。
歌の巧拙となれば、もう比較するのもバカバカしいくらいである。
♪ ああ、それなのに、それなのに、ねえ……こればっかり

蓮如上人はかく曰えり。
朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には厚顔(or睾丸)となれる身なり(そんなこと言うか!)。

人生いろいろ、〝コーガン〟もいろいろ、という毎度バカバカしいお噺でした。



←かつての睾丸?の美少年の成れの果てがこれ!







(photo by スポニチ)



※追記
蓮如上人の「白骨の御文章」 は、
朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり……が正しいです。
詳しくは下記をクリックしてください。日本人の無常観を表したいい文章です。
http://www.tulip-k.co.jp/todotoku/0108ofumi.htm