2010年3月26日金曜日

Be a good sport!

今朝、女房がイギリスへと旅立った。
ニューカッスルに留学中の次女に会うためだ。
ついこの間、コッツウォルズ地方へ行ったばかりなのに、
再び三度、機上の人となってしまった。

パニック障害者の俺には、とてもじゃないけど同伴などできない。
狭いシートに縛り付けられているわが身を想像しただけで、
もう息苦しくなってしまう。

今はだいぶよくなって、国内線ぐらいなら大丈夫だが、
15~16時間かかるヨーロッパはまだちょっとムリだろう。
泥酔するか気絶するか、いずれにしろ前後不覚の状態でないかぎり、
長時間の密閉状態は自殺行為に等しい。

男というものは、よほど女房が恐いのだろう。
ちょっと留守にするというだけで、無邪気にバンザイをしている。
嬶(かかァ)とは〝鼻につく女〟と書くが、別段、女房が鼻についている
わけではない。たとえそうであっても、そんな怖ろしいこと、
ブログに書けるわけがない。書く奴はよほどの身のほど知らずか
愚か者に決まっている。

いずれにしろ愛情の多寡の問題ではなく、単純に「~からの自由」、
すなわちlibertyの問題だと思う。しかしそのlibertyをみごと獲得しても、
悲しいかな何もできない。数日前に激しい運動をして、右脚ふくらはぎ
を筋肉断裂、つまり肉離れを起こしてしまった。

ようやく平蜘蛛のような状態から解放され、曲がりなりにも
二足歩行ができるようになったが、杖なしでは数メートルも歩けやしない。

昔、亭主がお伊勢参りの長旅に出かけると、女房は待ってましたとばかりに
命の洗濯をしたという。

  ♪女房も岩戸を開く伊勢の留守

立場は逆だが、歩行不能でおまけに手元不如意じゃあ、自由もヘチマもない。
いやでもbe a good sport!(いい子でいてね!)に従順であるしかないのだ。
羽を伸ばそうにも、そもそもその羽が抜け落ちてる。
英国のにゃお(娘の呼び名)よ、父はせいぜいいい子にしていると、
嬶サマに伝えてくれたまえ。

2010年3月22日月曜日

shake it up,baby

広末涼子と矢沢永吉がきらい、という話を書いたら、
ガールフレンドから、「私も蹴飛ばしたいくらい嫌い」
という過激なコメントが寄せられた。

昨夜もNHKテレビの『龍馬伝』の中で、加尾役の広末は、
時代劇だというのに頭のてっぺんからトッポジージョみたいな声を出し、
思いきり白けさせてくれた。俺はいつものようにありったけの罵詈雑言、
苦言怨言、悪たれ口を浴びせ、このぶりっこ女を呪ってやった。

矢沢という男もよくわからない。
コンサートには「ヤザワ教」の教徒数万人が駆けつけるそうだが、
あの男のいったいどこがいいわけなの? 歌はうまくないし、顔とスタイル
は下の部類。振りつけなんかほとんどマンガ(クリス・ブラウンとかアッシャー
と比較したら、ちと酷だけどね)で、自分のことを「ヤザワ」と呼ぶあの
ナルちゃんぶりも気色わるい。

もとヤンキーのアイドルだった、というのはわかる。
還暦過ぎても、一挙手一投足が思いっきりツッパッてるものね。
でもそのツッパリがサマにならないんだよなァ。
まだ〝シェキナベイビー〟の内田裕也とか安岡力也のほうが
可愛げがあるだけマシな気がする。

矢沢は自分のことをマジに「ビッグ」だと思っているのかしら?
いい年の取り方をしてきたと本気で思っているのだろうか?
大いなる勘違いだった、との思いが脳裏をよぎることはないのだろうか?

俺には見てくればかり気にしてる、さえない中年男に見えるんだけど……。
永ちゃんファンには叱られそうだけど、あなたたちの教祖様は
ただひたすら鈍くさく薄っぺらなのですよ。

話変わって、靖国神社のサクラがついに咲いたという。
花より団子で、梅一輪のほうをこよなく愛す俺にとっては、
飲める言いわけが増えただけの話で、格別の興趣もわかないが、
憎まれ口ついでに藤原家隆の名歌を一首添えておきましょう。

   花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや

2010年3月20日土曜日

麒麟は老いても

若い頃、吉本隆明(ばななの父)に心酔していた時期があった。
全集を読み、吉本主宰の雑誌『試行』を読み、読書ノートをつけた。
吉本は文字どおり目の前に聳える「知の巨人」に思えた。

あれから30年。吉本の本を手にすることはマレになった。
晩年の著作に以前ほど共感できなくなった、というのが主たる理由だが、
あの独特のクセのある文体への違和が、ここへ来て増幅されてきたのかもしれない。

吉本の文章は凹凸があり、読みにくい。対談集などは繰り返しばかりである。
私は小林秀雄や石川淳といった江戸っ子の啖呵みたいな文章に親しんできたので、
一語一語、石版をノミで削るような吉本の文章は、鈍重で田舎くさい感じがした。
しかし同時に、あれだけ緻密で堅牢な論理を組み立てるには、硬質そのものの、
色気も素っ気もない文章が必要なのだろう、とも思っていた。

NHK教育テレビで『吉本隆明語る~沈黙から芸術まで』を見た。
昭和女子大の人見講堂で2000人の聴衆を前に語った講演を編集したものだ。
相変わらずしゃべくりはへただった。が、(俺の話を遺言だと思って聴いてくれ)
とする魂の叫びみたいなものは伝わってきた。この世の中の仕組みが分からなくて
悩んでいた若い頃、経済学を学ぶに如くはないと、アダム・スミスからマルクスまで
徹底的に読み込んだ、という話がとりわけ印象的だった。

吉本の作品は数々あれど、個人的に最も大きな影響を受けた作品は、
『マチウ書試論』と『共同幻想論』だ。マチウ書(マタイ伝)試論は、いかにして
原始キリスト教がユダヤ教の教典を自らに取りこみ、新たな教義を確立していったか、
その過程をマチウ書を通して分析した書だが、そこに厳としてあるのは
〝剽窃と憎悪の感情〟である、と吉本は断じた。一読巻措く能わず。
私は衝撃のあまり、その後しばらくはボーゼンとしていた。すごい本だと思った。

イエスの存在はまったくのフィクションではあるけれど、
イエスに象徴される強い思想の意味は無視できない。
マタイ伝の仮構はその発想を逆向きに辿ることによって、
そのメカニズムを容易にさらけ出す、とする吉本の手並みは
マジックを見せられているような見事さだった。

講演には新たな発見というものは特になかった。
これは多少残酷な感想だが、正直、「吉本老いたり」の感を深くした。
やせさらばえた腕にこけた頬。白い鼻毛ばかりがやけに目立って悲しかった。
作家や思想家は作品を読むだけで十分だ、と思った。

しかし86歳の高齢で、いまなお真理への探求心が衰えないのは凄い。
若いうちは吉本「ばなな」などではなく、もっと噛みごたえのある
吉本「隆明」を読んだほうがいい。青春期に思いっきり咀嚼力を高めておかないと、
大人になっても蒸しパンみたいな本しか読めなくなってしまうからだ。

一般に、団塊の世代が吉本の影響を強く受けた世代と云われているが、
ほんとうにそうだろうか? 俗にあの世代は妙に理屈っぽく尊大で、
やたら群れたがるという癖(へき)がある、なんていわれてるけど、
吉本御大は理屈っぽいことは理屈っぽいが、尊大じゃないし群れもしない。
だいいち「戦争を知らない子供たち」だとか「We shall overcome」などという、
思わず赤面したくなるような嘘くさい歌を、得意になって歌った
坊ちゃん嬢ちゃん世代とは断固一線を画してる、と思うのだけどね。

竜頭蛇尾に終わった全共闘運動を、いまだに手柄話のように語るおっちゃんたち
がいるけど、アホかいな、と思う。
吉本を読むのもいいけど、正しい咀嚼力を身につけた上でないと、
こうした甘ちゃんのアホ世代の二の舞になるよ、とここで改めて念を押しておきたい。
あ~あ、これで団塊世代の友人は確実にサヨナラしたな。ま、仕方ないか……。

2010年3月14日日曜日

ピッツァの縁(ふち)

その昔、イタリアはミラノのピッツェリーアで
ひとりピッツァを食べていた(と思いねえ)。
アメリカ映画を見慣れた人なら、
ここは手づかみで食べたいところだろうが、
周囲のイタリア人はみな楚々とした手つき
で、ナイフとフォークを操っていた。
(ヘーエ、ずいぶん気どって食べるんだな)
ちょっと驚きだった。

で、こっちもマネして気どったまでは
よかったが、食べた後が違った。
隣のテーブルで澄まし顔で食べてた
妙齢の女性の皿の上を見たら、
生地の縁だけきれいに残されていたのだ。
あわてて他のテーブルを見たら、やっぱり縁は残されていた。

僕なんか、あの硬い縁のところが好きで、パエリアでいうなら一番美味しい
おこげのところじゃないの、と思っているのだけれど、
イタリア人はそうは思わないらしい。縁は硬いし、
ソースが塗られていないところを食べても味気ない。
ソースと一体になってこそピッツァはおいしい、
と考えるのがイタリア流なのだそうだ。

またスパゲッティの食べ方で、日本では一時期、スプーンのくぼみに
スパゲッティをのせ、フォークでくるっと巻いて食べる方式が流行ったことがある。
(今でもいますよね、スプーン派が)イタリア人はみなああやってお上品に
食べているのだろう、と思いがちだが、さにあらず。
平均的イタリア人は決してスプーンなど使わない。

あれはシチリアの一部に定着している食べ方で、
おそらくアメリカに渡ったシチリア移民が広げたもので、
それが日本に伝わったものだろう、といわれている。
僕なんかてっきり「上品な食べ方」だと思い込んでいたが、
イタリア人の目には「幼稚で田舎くさい」食べ方に映るらしい。
(なにしろ、北イタリア人はローマ以南をアフリカだと思ってるからね)

僕の友人に吉川敏明という料理人がいる。
イタリア料理界の重鎮で、生き字引といわれるほどの博聞の士でもある。
趣味はイタリアの辞書・辞典を読むこと(ついでに食べたりして)。
とにかくイタリア料理に関しては、右に出る者がないという
スーパー・イタリアン・フリークなのである。

そのイタリアおたくが、『ホントは知らない イタリア料理の常識・非常識
という本を出した。編集をお手伝いしたのは、やはりイタリアおたくのはしくれ
を自称する僕の女房だ。

●パスタをズルズルすするべからず ●リゾットはフォークで食べるもの 
●エスプレッソのダブルは野暮 ●シーザーサラダの発案者はメキシコのシーザーさん
などなど、目からウロコ(イタリアでは『目から生ハム』という)のおもしろ話が
楽しいイラストと共に解説されている。

ちょっぴり宣伝めいてしまいましたが、カミさんが手塩にかけて作った
できたてホヤホヤの本です。いわゆる雑学本ですから肩がこりません。
イタリア料理がお好きでしたら、ぜひ手にとってみてください。
一読するだけで、ちょっとしたイタリア料理通になること請け合いです。

宣伝ついでに、悪のりしてもう一冊(←カミさんが隣りで脅すもので……)。
これは『チーズのソムリエ ハンドブック』という本で、
チーズおたくでもある女房が、編集したものです。
ついででけっこうですので、これもひとつよろしく。

2010年3月10日水曜日

あの日から65年

3月10日は「東京大空襲」のあった日です。
1945年のこの日、午前零時8分、折からの強風
(北西の風、風速30㍍)の中、B29爆撃機350機は、
江東区、墨田区、台東区にまたがるおよそ40k㎡の周囲に
約100万発(2000㌧)もの焼夷弾を投下しました。

日本の家屋は紙と木でできている。
だから通常爆弾より焼夷弾で焼き払ったほうが効率的だ、
とアドバイスしたのは、建築家のアントニン・レイモンドでした。
レイモンドは、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの
助手をつとめた男で、大の親日家でした。

焼夷弾は油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾、エレクトロン(高温発火式)焼夷弾
など数種で、燃焼温度は約2000~3000℃。エレクトロンなどは、
水や消化剤では消すことができず、燃え尽きるまで待つしかありません。
おまけに酸素がなくても燃えるため、水の中でも燃え続けます。
川や海に飛び込んで難を逃れようとしてもムダなのです。

これら鉄の雨はまず外縁を描くように投下されて退路を断ち、
次第に内側におよんで、住民を猛火の中に閉じこめました。

行き場を失って逃げ惑う市民には、低空から容赦なく機銃掃射が浴びせられました。
死者の数およそ10万人、負傷者11万人。そのほとんどが非戦闘員、
すなわち無辜の市民でした。

この天人ともに赦しがたい大虐殺を指揮したのはカーチス・E・ルメイ将軍で、
戦時中は「鬼畜ルメイ」と呼ばれていました。その鬼畜にもとる男が、戦後、
航空自衛隊の育成に功があったとして、勲一等旭日大授章を授与されています。
昭和39年、佐藤栄作内閣の時でした。

この栄えある勲章は日本でいちばん最初に制定された勲章で、
国家に〝功績〟のあった男子に与えられると云います。
よりによって広島・長崎の原爆投下にも関与したとされるこの男を、
なにゆえ敵国だったわが国が麗々しく顕彰しなければいけないのか、
理解に苦しみます。ゲスの勘ぐりかもしれませんが、佐藤内閣時のことですから、
ひょっとするとアメリカとの間に各種の「密約」やら裏取引があったのかもしれません。

また驚くことに、ほんの数年前、靖国神社内に「カーチス・ルメイ顕彰館」
を創ろうという話まで持ち上がりました。靖国神社は偏向している、
という世間の批判をかわすため、とされているのですが、
我らが同胞を虐殺した「戦争犯罪人」をみんなで褒め称えましょう、
とする神経は、おかしいというより、そうとう狂っているとしか思えません。

勝てば英雄で、敵国から勲章までいただき、
負ければ断罪され戦犯にさせられる。
春秋に義戦なし、と孟子は言いましたが、
所詮、歴史というものは勝者の歴史でしかないのでしょうか……。

2010年3月9日火曜日

墓参りのはしご

雪の中、柄にもなく墓参りのはしごをした。
3月9日は父の祥月命日。
足腰の弱った老母と姉、義姉と4人で、
川越の長徳寺へお参りした。

タワシで墓石をゴシゴシ洗い、
植え込みをきれいに刈りあげ、
花を供え、お線香をあげた。
「お父さん、嬉しいねえ。みんな来てくれたよ」
母が涙声で泉下の父に呼びかけた。

父の墓のほんの近くには、私の親友も眠っている。
北朝鮮国籍のY君は小学校時代からの悪友だった。
彼にも花のお裾分け。掌を合わせたら、
(ずいぶんお見限りじゃないの)
と、sneerな笑いを浮かべた彼の顔がふっと目の前に浮かんだ。
「100年後にまた来るよ……じゃあな」

長徳寺を出た我われは、一路川島町へ。
父の実弟の墓参りである。この兄弟、何の因果か、
同じ月の同じ日に死んでしまった。
いや、この叔父だけではない。母方の叔父も3月9日が命日で、
なんと兄弟3人が、団子3兄弟みたいに数珠つなぎになり、
数年を経ずして次々と鬼籍に入ってしまったのだ。

そのため母は、「きっとお父さんが招んだんだね」
と、3月9日を「呪われた日」として恐れ、
(はやく明日になってちょうだい……)
と、毎年、首をすくめながら見送ってきた。

雪がひどくなってきた。母も「寒い、寒い」を連発するので、
今回は2軒のはしご(←赤ちょうちんじゃないッつーの)
で打ち止めにした。K叔父のところは、
去年行ったので勘弁してもらおう(←叔父貴ゴメン)。

帰りぎわに、母はジーッと私の顔を見つめた。
(最近、やたらと見つめるんだよな……猫みたいに)
猫になってしまった母に「また来るからね」と言い残し、雪の中へ駆けだした。

2010年3月8日月曜日

塩豆をかじりながら

下ネタが多すぎると友人からやんわりお叱りを受けたので、
今回は、悪口ネタにいたします(←反省してねーな)。

俗に塩豆をかじりながら他人の悪口を言うのは人生最高の快事、
と申しますから、僕は塩豆ならぬ毛饅頭(やっぱ、反省してねーや)、
じゃなかった栗饅頭をもそもそ食べながら、
悪口を楽しむことにいたします。

突然ですが、僕は女優の広末涼子がきらいです。
顔がきらい、声が嫌い、発声法がきらい、演技がきらい、性格がきらい……。
とにかく丸ごと全部がきらいです。特に口を尖らし、
腹の底からではなく、口先だけで甲高い舌足らずの声を出す、
あの幼稚なしゃべり方は、なんとかならないものかと、
いつも不愉快にさせられます。

NHKの『龍馬伝』は楽しく見ております。なんてったって龍馬役の
福山雅治がカッコいい。おっそろしく汚い(特に歯が)
岩崎弥太郎役の香川照之もいいですね。
ただ一点、番組キャストに瑕疵があるとしたら、
龍馬の恋人役・平井加尾に扮した広末涼子の大根ぶりでしょうか。

あれはひどい。時代劇やってるのに、彼女が出てくるといきなり、
きゃぴきゃぴのギャル言葉になってしまいます。アカデミー賞外国語映画賞を
受賞した『おくりびと』にも、モックンの女房役で出ていましたが、これも
どうしようもないミスキャストでした。余貴美子の深みのある演技と比べたら、
もう月とゲジゲジ。そのお粗末さときたら、幼稚園の学芸会レベル以下でした。

それにしても、あの口先だけでふにゃふにゃ呟く軽忽なしゃべり方は
いったい何なんでしょう。昔のアナウンサーとか役者志望は、
必ず「滑舌(かつぜつ)」をみっちりやって発声の基礎を学びました。
そんな役者のイロハさえ今はやらないのでしょうか。
自然に発声するほうがリアルでいい、というわけなんでしょうか。
それが今風というのなら、僕はまったくついて行けません。

永ちゃんこと矢沢永吉も広末みたいに口を尖らしてしゃべり、かつ歌います。
だから永ちゃんもきらいです。腰をくねくねさせる爬虫類みたいな動きも気色がわるい。
団塊世代のアイドルで、カッコいいという人がありますが、
いったいどこがカッコいいのでしょう。
いい年ぶっこいて何やってんの?(お下品で申しわけない)、
って感じがするのです。

他にきらいなのは、イの一番に鳩山由紀夫、そして福島瑞穂、
次いで久米宏、古舘伊知郎、みのもんた(←こいつは下品すぎる)……。
キリがないけど、とにかく口先だけのクネっとした輩はみなきらいです。
僕が体育会系だからでしょうか、男だか女だか判然としないような人間は、
気色わるいからきらいなんです。

ああ、さっぱりした。やっぱり、他人の悪口を言うのは身体によさそうです。
そういえば、金棒引きのKさん(近所のおばちゃん)はすこぶる元気であります。
僕も少しは見習おうっと。

2010年3月5日金曜日

ナニをナニして

  ♪汽車の窓から 小便垂れて
   これで汽車チン 二度出した

出物腫れ物で、大小便をがまんするのは本当につらい。
あの公爵岩倉具視(加山雄三の母方の曾祖父)でさえ、
汽車の中で〝漏水〟ががまんできず、とうとう
被っていたシルクハットの中にシャーッ……

さすがに近頃は、立小便を見ることマレになったが、
情けないことに私の住むアパートには、外階段の踊り場で、
ジャージャーやるような不心得者がまだいる。

昔なら「此の処 小便無用」と、
お稲荷さんの鳥居を描いた貼り紙を打ちつけたものだ。
お稲荷さんに小便をひっかけたらアレが曲がっちゃうぞ、
という脅しである。そういえば、
ミミズにひっかけるとチンポコがミミズ腫れになるよ、
とお袋がよく言ってたっけ。

さて立小便というと男の専売特許みたいなものだと、
勝手に思い込んでいたが、どうもそうではないらしい。
物の本によると、楚々としたイメージのあの京女が、
よく尻をまくっては道端でシャーシャーやってたらしい。
もちろんうずくまるのではなく、堂々と仁王立ちでやる。
江戸では見られぬ珍な光景だと、
上方旅行をした曲亭馬琴先生が驚いている。

明治末年になっても、女の立小便はいっこうに減らず、
福岡県の女子師範や高等女学校などでは、
《女子学生の立小便をなんとかしなければ……》
と、風紀取り締まりの協議会で議題にのせている。
かなり深刻な問題だったようだ。

それにしても、昔の大和撫子はやることが豪快ですな。
ただ一つ気になるのは、どうやって、その……したたるアレをですね、
ナニしたのかという点。やっぱ自然乾燥でしょうかね?

2010年3月1日月曜日

ナメクジウオの末裔

15分以上、休みなく連続して泳いでいると、
気分がだんだん高揚してきて、このまま永遠に
どこまでも泳いでゆけそうな気になってくる。
なんだか魚になった気分なのである。

水泳仲間のYさんは「これがスイマーズ・ハイというやつだよ」
と教えてくれた。ランナーズ・ハイとかクライマーズ・ハイ
というのは聞いたことがあるけど、
どうやらスイマーズ・ハイもあるらしい。

マラソンみたいに長時間泳ぎ続けていると、
脳内麻薬と呼ばれるエンドルフィンが分泌される。
この神経伝達物質はモルヒネの6倍以上の鎮痛作用があり、
恐怖や苦痛から精神を解き放してくれるという。

この一瞬ハイになった高揚感は、一種の酩酊状態に近く、
荒かった呼吸も次第に楽になってくる。そして、
極楽できれいな天女の舞をながめているような
ゆったりした気分になってくる。

実際はひどく疲れているはずなのだが、
エンドルフィンが分泌されている間は、
そのことを忘れさせてくれるようで、
まるでマイケル・フェルプス
になったみたいにスイスイと泳げるのである。
しかしそのハイな状態は長くは続かず、
再び魚から人間に舞い戻ってあたふたする。

あのラリった状態はマリファナを吸った時の気分
(もう時効でしょうがロサンゼルスの友人宅で吸ったことがあります。
ゴメンナサイ。もっとも彼は健康食品だとうそぶいていましたがね)
に近いかもしれない。そのためかどうか、一度味をしめたスイマーたちは、
あの状態にトリップしたいと、再び三度挑戦する。

人間の祖先はナメクジウオに近い生き物だったという。
何億年も前の話だが、その遠い記憶が、
泳いでいる時にふと蘇り、自分がヒトであることを
一瞬忘れかける。

僕の好きな内田樹(たつる)はこう言っている。
《人間の身体についてのすべての修行は、
人間が身体を持っていることを忘れさせるためにある》

そう、僕は密かにサカナになることを夢見ている。