2013年8月31日土曜日

善人ぶりっこ

ボクのお隣さんはKさんといいう歯医者さんだ。
といっても開業医ではなく、母校の大学で教鞭をとり、患者も診ている。

「コーヒーでもいっしょに飲みませんか?」
誘ったらニコニコ顔で応じてくれた。
Kさんとは山登りもしたし、築地に買い出しに行ったりもした。
ボクと同じで主夫業も兼ねている。魚をさばかせたら玄人はだし。
年上だけど気の合う友だちの一人である。

「あと2年半……待ち遠しいなァ」
Kさんがボソリとつぶやいた。リタイアする日を指折り数えている。
退職したらやりたいことが山ほどあるのだという。
そのうちの1つが、どこか僻地の無医村に行って歯の治療をすること。
それもボランティアでやりたいという。

「アフリカのどこかの国がいいな。1年と期限を切るんだけど、
何か他人様の役に立つようなことがしたいとずっと思ってたんです」

ボクは正直、胸が熱くなってしまった。
みんな偉いんだな。ボクなんかとてもマネできそうにない。
これといった技術も無いし、外国語もできない(特技は酒を飲むことだけ)。
それにしてもKさんがそんなことを考えていたとは(嬉しいけど、ショック)。

そういえば、同じ団地内の友人Fさんも退職後、得意の語学を活かそうというのか、
いま、カンボジアでボランティア活動をしている真っ最中、と奥方が言っていた。
ボクの長女に触発され、岩手・大船渡に震災ボランティアに出かけたという人だから、
もともと心根が優しいのだろう。

KさんといいFさんといい、おじさんたちもなかなか捨てたもんじゃない。
貧しい国の子どもたちは、ほんとに目がきれいなんですよ
いつだったか、Kさんがそんな話をしてくれたことがある。
バックパッカーの長女も、フィリッピンやケニアから帰国した時、
「子どもたちのはじけるような笑顔と瞳の美しさは、先進国にはまずないね」
と言ってたっけ。

あの貧しい子どもたちを笑顔にしてやりたい、幸せにしてやりたい――。
ボクみたいな〝性悪説〟信奉者だって、たまにはそんなことを思ったりする。
いや外国でなくてもいいのだ。生きる希みを断たれた人、
淋しさに震えている人、悲しみに打ちひしがれている人がいれば、
そばに行ってそっと手を握ってあげたい(できれば美人のお手々がいい)。
黙って話を聞いてやりたい(おしゃべり男だからたぶんムリか)。

若い頃は〝Cool Dandy〟を売り物にしていたというのに、
年を食って焼きが回ったせいか、このザマである。
近頃は周りに善人ばかりがわらわらと集まってきやがる。

ついでだから善人ぶって言わせてもらうと、
まずひとにやさしくすること
なぜなら、美しさとは他者に対するやさしさだから(いいこと言うじゃん。ウットリ)。
これがボクの中の「(じゅう)の掟」の1つだ。
ついでに、いやなヤツはとことんやっつけること(腰が抜けてなけりゃね)。
これも掟の1つである。

卑怯なマネはしないこと。これも大事な掟だ。
卑怯未練なヤツは生まれてきたことを後悔したくなるくらい
ボコボコにしてやること(ナニをちびってなけりゃね)。これも大事な掟である。
それにしても、オレはずいぶん人間が円くなった(しみじみ……)。

ボクには定年なんてないけれど、
KさんやFさんを見習って、
少しは他人様のお役に立つようなことをしたいと思う。
とりあえず5時になったら〝おちゃけ〟を飲み、
税金(酒税)をいっぱい納めることにする。
そのくらいのことしか、いまは思い浮かばない(バカ)。





←子供はみんな天使です。
この純真無垢な笑顔を見ているだけで泣けてきます。
すべての子供たちに幸せがあらんことを……







 

2013年8月29日木曜日

艱難汝を〝玉箒〟にす

還暦を境にしていろいろなケガや疾患が出てきている。
五十肩」には相当悩まされたが、1年経ったらほぼ痛みは消えていた。
カミさんが「最低半年から1年は覚悟したほうがいいわよ」と言ってたが、
まさにドンピシャリで当たった。ほんとうにウソのように消えている。

次いで出てきたのが「飛蚊症」。ガラス体が剥離することで起こるらしいが、
これもうっとうしい。目の前に絶えず糸くずとか蚊のようなものが飛んでいて、
医者も「そのうち慣れますから……」と半分サジを投げてしまう例のヤツ。
たしかに最近は慣れてしまって、あまり気にならなくなった。
というか、気にしてもしかたがないので、もうどうにでもなれといった心境。

ちょっぴりショックだったのは左膝の「変形性膝関節症」の診断。
レントゲンを撮ったりMRIで輪切りにされたりと、けっこう大変だったけど、
原因が「加齢、体重増、激しい運動」と分かった途端、
(60年間、なんだかんだと膝を酷使してきたもんな……)
と妙にナットク。とりあえずは運動療法(ペダル漕ぎなどがいいらしい)や、
ダイエット(夕食はおかず中心でごはん控え目とか)に力を入れている。
ただし酒量の減る気配はゼロ。

最近患っているのは「滑液包炎」というもの。
右肘をさわると〝ぱみゅぱみゅ〟していて、なんだか気色がわるい。
先ほども近くの病院で水(関節液)を抜いてもらった。2度目である。
血の混じった色なのだろうか、グレープジュースみたいに紫色をしている。
原因はよく分からない。キーボードをほとんど右手指だけで打っているから、
右腕を使いすぎて水が溜まったのかもしれない。
それにしても左膝に右肘と、水ばかり溜まる。←ああ、お金が貯まってほしいのに

次はどんな厄災が襲ってくるのか、半分楽しみではあるのだが、
「禁酒」という宣告だけはなんとしても避けなくてはいけない。
煙草は20年前にスッパリやめたが、酒だけはやめられない。
いや、やめる必要性など微塵も感じていない。

ああ、この世に酒がなくなってしまったら、
生きていく意味などあるのだろうか。
この気持ち、饅頭やケーキに生きがいを感じている人間には
分かんねーだろうなァ(胡塞齋さんとナカガワさん、ゴメンね)。

そろそろ〝おちゃけタイム〟がやってくる。
原稿はちょっとしか書いてない。
きっと酒が足りないせいだろう(オイオイ)。

ボクはここに高らかに宣言します。
これからも好きな人間とだけつき合い、好きな人間とだけ酒を飲みます。
所詮短い人生です。いやなヤツとつき合っているヒマなどありませぬ。




←酒なくて何のおのれが桜かな。
ああ忘憂、忘憂……酒は憂いの玉箒(たまははき)


 

2013年8月26日月曜日

脳みそも白い筋肉

朝起きると、
(今日こそ、原稿書き、がんばるぞォ!)
と心に誓います。でも、書斎の中をフラフラするばかりで1行も書きません。
そして夕方も5時になると自動的に〝おちゃけタイム〟になるので、
朝の爽やかな決意などカンペキに忘れ去られてしまいます。
この愚にもつかぬ茶番を数日くり返しています。

唐突ですが、ボクは扁平足です。
兄も弟も扁平足です。扁平足のひとは持久力がないらしいです。
しかし瞬発力はあります。長兄は中学高校と陸上ハイジャンプのエースで、
県体ではいつも大活躍していました。ボクも中学の一時期、
陸上部にいて、やはりハイジャンプ(走り高跳び)をやっていました。
今では馴染みのうすいウエスタンロールとかロールオーバーと呼ばれていた跳び方です。

何が言いたいのかというと、
筋肉が瞬発力中心の〝白い筋肉〟だと、
頭の筋肉?も白いんじゃないか、ということです。
つまり「短期決戦型」で、長期戦が苦手だということ。

子どもの頃、中間や期末の試験が近づいてくると、
勉強をせず、突然部屋の掃除を始めたり無関係な小説なんぞを読みふけっておりました。
試験日の前日、ちょっとばかり山を掛けたところを集中して記憶します。
当日、山掛けはみごとに当たり、佳い成績を収めます。

女房は逆に〝赤い筋肉〟で、マラソンが得意だと言っていました。
脳みそもたぶん安価で赤いマルコメ味噌だと思われます。
試験があるというと、数週間前からコツコツと準備を怠らない几帳面タイプ。
つまりカミさんは「コツコツ型」で、亭主は「一発山掛け型」であります。
そもそも筋肉が異なるからこうなります。

そんな、場当たりの「一夜漬け強行突破作戦」をずっと続けてきたので、
いよいよ原稿の〆切が迫り、担当編集者の顔が夜叉顔に変じないかぎり、
(よーし、書くぞォ!)
という気になりません。断崖絶壁の、もはや風前の灯という土壇場に追い込まれないと、
まるで行動を起こそうとしないのです。これは一種の病気でしょうか。

今日も結局1行も書かず、あと30分もすれば〝しらふの時間帯〟は終わります。
こんな自堕落な生活を、40年も続けてきたのかと思うと、わが身が不憫で、
担当編集者はもっともっと不憫だな、と時々思ったりします(ウソ)。

閑話休題。
昨夜、長女とサブリナ(伊人の異人)は高円寺の阿波踊りを見に行きました。
二人とも涼しげな浴衣を着ていったのですが、バスに乗った際に
知らないおじさんがサブリナに向かって、
「あんた、それ左前だよ」
と浴衣の襟元を指さしました。なんと右前ではなく左前(死装束です)に着ていたのです。
愚かな長女も〝右前・左前〟の意味が分からず、
二人して大恥かいたそうです。

外国人はしかたないとしても、日本人が右前と左前を知らないのは恥ずかしい。
いくらうわべを飾り「カッワユーイ、きれい」と褒めそやされても、
中身が伴わなくては何にもなりません。

いま、団地広場で5時の時報が鳴らされました。
「おちゃけタイム」がやってきたのです。
明日こそ原稿を書きます。書かないと大変なことになります(マジで)。
といいながら、どこかまだ他人事みたいな自分がいます(もう知ーらないっと)。



←世の中には肌を露出させない〝色気〟と
いうものもあります。こういう高次のお色気を
見せられると、リオの露出狂女たちがバカに見えます。
(高円寺の阿波踊り)






※追記
「右前・左前」のついでに芸者の「左褄」の話も。
知っておくと便利です(芸者ならぬ「ゲイシャ遊び」は得意だもんね) 。
http://karyukai-geisya.jimdo.com/2011/06/27/%E5%B7%A6%E8%A4%84%E3%81%AE%E3%81%8A%E8%A9%B1/

2013年8月21日水曜日

大坊珈琲店よ永遠に

南青山にある大坊珈琲店が12月をもって店仕舞いするという。
'75年の開店以来、たった13坪のちっぽけな店ながら、
手廻しロースターをガラガラ廻して頑張ってきた。
閉店の理由は何のことはない、古くなったビルの取り壊しだという。

コーヒーにうるさい連中は大坊(だいぼう)こそ「日本一のコーヒーを出す店」だと口を揃える。
ボクも異論はない。あのとろりとした濃醇なコーヒーこそ日本人に愛されるコーヒーだろう。
また、かつては向田邦子、いまは村上春樹(コーヒーは③番好み)に愛されている店でもある。
ある常連は、カウンター席に座ってふと隣を見たら村上春樹がいたのでビックリした、
と自身のブログに書いている。

もっともボクは村上春樹の小説がきらい(『遠い太鼓』など旅行記はなんとか読める)だから、
隣席にご臨席たまわっていたとしても、「フン!」てなもんだろうが、
物好きなことに広い世の中には春樹マニア(ハルキストという)がごまんといらっしゃる。

こんなことを書くだけで、コーヒーに何の興味もないミーチャンハーチャンがドッと押しかけ、
店と客に迷惑をかけるかもしれないので、ちょっぴり気が引けてしまうのだが、
たとえミーハーでも大坊の珠玉のコーヒーを1杯くらいは飲んでくれるだろうから、
それはそれでわるい話ではないだろう。

店主は大坊勝次という恍惚漢(なりかけてる)、ではなくて硬骨漢。盛岡出身の元銀行マンで、
その物静かな佇まいは、どこか修行僧(女の道を修行してたりして……プッ)を思わせる。

大坊珈琲店のどこがすごいかというと、
当たり前だがコーヒーがすごい(ボク好みの濃ゆい味なんです)
まずメニューが変わっていて、
1. 30グラム 100cc 700円
2. 25グラム 100cc 650円
 
3.   20グラム 100cc 600円
4.   25グラム   50cc   700円
5.  15グラム  150cc 600円
というように、使用する豆のグラム数やカップボリュームによって値段を分けている。
1番2番は濃厚こってり味で、4番は濃い茶をドゥミタスカップで飲む感覚。
ネルの漉し袋で点滴みたいに時間をかけ抽出してくれる。

わが家は全員コーヒー党だと、再三書いている。
女房は紅茶党だったが、コーヒー党にあっさり鞍替えしてしまった。
なぜいとも簡単に宗旨替えしてしまったのか。理由は簡単、
本物のレギュラーコーヒーを飲み続けたからである(フン、偉っらそうに!)。

インスタントや缶コーヒーには宗旨替えさせるだけの力はない(まずいロブスタ種が入ってる)。
へたをすると逆にコーヒー離れを引き起こしかねない。
もっともスーパーなどで売っているレギュラーコーヒーは、
インスタントコーヒーの味とおっつかっつなので、
レギュラーコーヒーならすべてよろしい、というわけではもちろんない。
要は〝本物〟のレギュラーコーヒーを飲みましょう、ということなのだ。

わが家の冷蔵庫と冷凍庫にはコーヒー豆がいっぱい詰まっている。
自分で焙煎した豆もあれば、全国各地の名店から取り寄せた豆もある。
それらを日に何杯も飲むのである。

本物のコーヒーにふれれば、インスタントや缶コーヒーは飲めなくなる。
舌が受けつけなくなるのだ(時々、禁を犯してしまうが、あとで必ず後悔する)。
ウソだと思ったら、いっぺん冷めたインスタントコーヒーを飲んでみてくれ。
低級豆が馬脚をあらわし、変なニオイもして飲めたものではない。
一方、本物のレギュラーコーヒーは冷めてもうまい。この違いは大きい。

ボクは東大教授・臼井隆一郎の次なる一文が好きだ。
《コーヒーは複雑な苦みを特徴とした飲み物である。子供の飲み物ではない。
生きることがきれいごとでは済まないことを知った大人の飲み物である。
コーヒーには単に自然の苦みばかりではなく、
社会や歴史の苦みも溶け込んでいる。それがいい。
大人が生きていく上で必要な認識など、苦みからしか生まれてこないのである

真の苦み、大人の苦み、生きる上での糧となる苦みを知りたければ、
迷わず「大坊」へ行くべし! 閉店までまだ4ヵ月ある。急ぐことはない。
日本で一番うまいコーヒー(てぇことは世界一うまいコーヒーだということ)とは、
そもいかなるコーヒーなのか。本物のコーヒーとはどんなものなのか、
自分の舌と鼻でしかと確認してもらいたい。

ああ、大坊がついに消えてしまうのか(さみしい)。
近い将来、どこかの街角(和光市がいいな)に復活されんことを祈る。





←自身は無色透明でありたい、という大坊氏。
写真左下隅に見える小さな手廻し焙煎機で、
絶妙な味のコーヒーを創り出す。
脱毛が悩み、と葉書にあったけど、
まだあるじゃん、お毛々が。
贅沢言うんじゃないの

訂正
左掲写真は、まだ若い頃の写真でした。
いまはお毛々もまばらです。
滅びゆく草原(古いな)であります。
悩んで当然です。大変ご愁傷様です(プッ)。(10/7付)
 

2013年8月20日火曜日

きゅうりの一本漬け

ボクには逃避癖がある。困難に直面すると、それと真正面から向き合おうとせず、
つい脇道にそれたり、回り道をしたり、故意に道草を食おうとしてしまう
(道草をお食べになる、とバカ丁寧に言ったオバサンがいた。ヤギじゃないつーの)。

たとえば学生の頃、中間とか期末テストが近づいてくると、試験勉強をせずに、
なぜか突然小説なんぞを読みふけったり、ギターをかき鳴らし、
日がな一日歌を唄っていたりする。
「もうすぐ試験でしょ? 歌なんか唄ってる場合じゃないでしょ!」
母によく叱られたものだ。

親鸞聖人は「横超(おうちょう)」という言い方をした。
ふつうはある目標を設定すると、一歩一歩それに向かって近づいていくものだが、
「横超」というのは一切の段階を飛び越え、一挙に目標に到達してしまう。
仏教的な言い方をすると凡夫が凡夫のまま仏になってしまう。
つまりはすべて本願力のおかげというわけなのだが、
ボクは今、そんな〝虫のいいこと〟を考えている。

この間、ずいぶん逃げ回っていたものだが、とうとう年貢の納め時が来た。
いよいよ次なる本のために原稿を書く時機がめぐってきてしまったのだ。
ちょっと気取った言い方をすると「筆硯(ひっけん)を新たにする」といったところか。

当たり前の話だが、原稿なんてものはそう簡単に書けるものではない。
人気作家の佐伯泰英なら、それこそ20日で1冊書き上げてしまうのだろうが、
凡夫匹夫のボクなんざ、ない頭を絞って言葉をひり出さなくてはならない。
そこで阿弥陀如来の本願力をお借りして、一挙に書き上げられないものか、
とボクなりに、ああでもないこうでもないと愚考しておるのである。

昨日、3枚書いた。つまり400字×3枚で1200字。3時間頑張ってたったの3枚だ。
われながら情けないほどの遅筆だが、時間当たり1枚書ければ御の字と言う
編集者もいる。ただし、いまは助走期間で、加速がつくと時間当たり3枚くらいは
書けてしまう。神経を集中し、無念無想の境地に入ってしまうと、
存外スラスラ書けてしまうものなのだ。

ところがボクにはこの集中力というものがない。
ガキのころから注意散漫で、いつも別のことに頭がとらわれてしまう。
現に今、ボクは「きゅうりの1本漬け」のことを考えている。
猛暑のなか、甲子園などでも1本丸かじりのきゅうりが売れているという。
ボクはさっそくネットで検索し、クックパッドでおいしそうな作り方を探し当てた。

頭の片方で原稿のことを考え、もう片方できゅうりの1本漬けのことを考えている。
味つけに昆布茶を使うのか、などと妙に感心したりしている。こんなことでは、
原稿のなかにきゅうりの1本漬けが出てきてしまいそうだ。嗚呼……

    いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん朔太郎からちょいと拝借

恥をかくのは得意だが、原稿を書くのは得意ではない。
じゃあ何が得意なんだよ、と問われても困る。得意技がひとつもないのだ。
強いていうなら酒を飲むことと歌を唄うことか。まるで『アリとキリギリス』の
キリギリスだが、少なくともボクの美声で周りの人々を幸せにすることはできる
(大きく出たね)。

おまえはこのブログで何が言いたいのだ?
支離滅裂で、話があっち行ったりこっち行ったりじゃないか……。

だから言ったでしょ。これは〝横超〟なんだって。
いま原稿を書いてるとこなんだけど、集中力が途切れたもんだから、
道草をお食べになってるのよ(メーエ)。

あとできゅうりと昆布茶も買ってこよおっと。



←夏場はきゅうりの1本漬けに限るね






 

2013年8月18日日曜日

お盆とマイケル

昨日、父母の墓参りをしてきた。
墓石が溶けてしまいそうなくらい猛烈に暑い日だった。
墓石に水を掛け、花を手向け、線香を供え掌を合わせる。
墓の前で頭を垂れたのは家族の他にもいた。
アメリカ人のマイケル・フェントンMichael Fenton氏だ。

マイケルはALL HANDS Volunteersの一員で、長女と一緒に岩手・大船渡で
震災支援ボランティアに勤しんだ仲間である。今回二度目の来日で、日本での
最後の一日をわが家と共に過ごすことになった。お盆にはどんな行事があって、
迎え火・送り火とはどんなものなのか。その一端にふれさせようと、今回の招待に
なったわけである。マイケルは猛暑のなか、快くつき合ってくれた。

マイケルとは初対面だった。長女の話ではアメリカ西海岸に暮らしていて、
飛行機はファーストクラスしか乗らない大金持ちで、自邸のワインセラーには
高級ワインのコレクションが400本以上あるという。そこまで聞くと、
ずいぶん嫌味なおっさんみたいに思えるが、さにあらず。ご覧のように風貌は
ホームレスになっちまったショーン・コネリーみたいな枯れた趣き。
人物はいたって気さくで、ユーモアたっぷりの話しっぷりからは、
深い教養をのぞかせていた。

墓参り、実家訪問のあとは、お決まりの蔵造りの街並み(川越)を見学。
菓子屋横丁を散策し、人力車の走る町をぶらぶらし、駄菓子屋で
昔懐かしい菓子を買う……。
ああ、こうやって外国から来た友人たちを、
いったい幾度この街に連れてきたことだろう。

夕方、わが家に戻り、冷房の効いた部屋でささやかな宴会。
やきとりを肴に冷えたビールを酌み交わしたら、ようやく人心地ついた。
狭くて貧しいわが家など、豪壮なフェントン邸の納屋か馬小屋くらいのレベルだろうが、
彼は終始笑顔を絶やさず、日本での最後の夜を愉しんでいってくれた。

来年は、もっと日本語(コンニチハしか言えない)に磨きをかけてから来日します、
とマイケルは宣言。こっちも英会話(ハローしか言えない)にもっと磨きをかけねば、
と強く思った。が、3日もすればそのことをすっかり忘れてしまう。そのくり返しだ。

マイクさんよ、お互い見た目はジジイだけど、心の中は青春時代そのもの
(映画『イージーライダー』の話で大いに盛りあがった。彼はハーレーをこよなく愛しているという)。
いつまでも元気でいようね。来年もまた会いましょう。




←川越の「菓子屋横丁」にて、
マイケルとダンディな(自分で言うな!)ボク。
twinsという声も。見た目はボクより老けてるが、
実際は4つ年下。







 

2013年8月14日水曜日

靖国は燃えているか

日本に戦犯などいない。
少なくとも日本人としての誇りがあるなら「戦犯」などという言葉を安易に使ってはいけない。
当然だろう。A級、B、C級戦犯などというが、あれは日本が主権を喪失していた時代に
連合国側が一方的に裁いたもの(東京裁判)にすぎない。そんなものを裁かれた側の
人間が後生大事にありがたがる法はないだろう。

そのため日本政府は、いわゆる戦犯(ここでは便宜的に使う)に対して、国内法上の犯罪人
という認定は一切していない。ふつう「懲役ないし禁固に処せられた者」は選挙権や
被選挙権を停止されるものなのだが、巣鴨プリズンに収監されていた戦犯たちは全員
選挙権を行使していた。つまり、日本政府は戦犯を占領時代からずっと犯罪者として
見ていないのである。彼らは「昭和殉難者」であり、彼らの死は「刑死」ではなく、
あくまで「法務死」なのだ。そのことをゆめ忘れてはならない。

安倍総理が明日(15日)の敗戦記念日に、かねてより明言していた靖国神社参拝を
見送るという。私費による玉串料の奉納にとどめるらしい。ちょっと腰が引けたか、
ガッカリである。

餓狼のような国、とりわけ支那は靖国神社への総理参拝に激しく反対している。
理由は簡単。靖国にはいわゆるA級戦犯が合祀されているからである。
〝侵略戦争〟の元凶であるA級戦犯が祀られている靖国神社を日本の総理大臣が
参拝するのは、先の侵略行為を正当化するもので、中国人民の感情を著しく傷つける、
と彼らは主張するのである。理屈としてはもっともらしい。

しかしこれはあくまで「タテマエ」で、「ホンネ」は〝靖国問題〟を政治問題化すれば、
日本がビビって弱腰になる。また支那にとっては日本の右傾化を世界に喧伝できる
絶好のチャンス、ということなのだ。その思わぬ効き目に味をしめたか、
最近は「中韓」でこの〝歴史カード〟を多用するようになってきた。

情けないのは、中韓の尻馬に乗ってはしゃぎまわる朝日、毎日を初めとする
〝売国的〟メディアたちだ。総理や閣僚の靖国参拝を、さも御家の一大事のごとく
騒ぎ立て、「ご注進、ご注進!」とばかりに支那や韓国にふれ回る。
自分たちの〝良心的な?〟行為が、日本人の誇りを傷つけ、
日本の国益を著しく損なっていることに気づいていないのだ。
いや、とっくに気づいているのだろう。
だから確信犯的に靖国問題を煽っている。

靖国問題のポイントは1つだ。戦犯合祀はあくまで国内問題だ、ということである。
東大名誉教授の小堀桂一郎は、
「日本には〝和解の文化〟がある」
と言っている。たとえ戦争犯罪人であっても、死んでしまえば同じ昭和の殉難者。
その御魂を他の多くの英霊たちといっしょに祀ってあげようじゃないか――
これはきわめて日本的な美風にちがいないが、
日本人にはそうしたやさしい(逆にいうといいかげんで節操がない?)感情がある。

それに〝分祀、分祀〟と気楽におっしゃいますが、肉を切り分けるのとは違うのである。
A級戦犯を分祀しろというのは「霊邇簿(れいじぼ)」から名を外すことだが、神社側に
言わせれば、
《ロウソクの火を別のロウソクに移しても、元のロウソクの火は消えません》
という理屈になり、神道の祭儀上、一度祀った霊を除外することはできないのである。

いずれにしろ戦犯合祀の問題は、日本人の信仰スタイルに深く関わる問題なのだから、
他国がとやかく言うべきではない、と毅然と突っぱねるのが正しい対応の仕方なのである。
無知な連中が〝分祀論〟をぶち上げているが、これはまあ致し方ないとしよう。
ただしその良否はあくまで日本人自身が決める問題であって、
支那など外国があれこれ容喙(ようかい)すべき問題ではないのだ。

日本の若者たちはAKB48の〝総選挙〟には多大な関心を寄せるが、
靖国問題などには無関心で、その本質すら理解していない(大人たちもその点は同じか)。
それどころか、この豊かな日本に生まれたことを少しもありがたいと思っていない。

靖国神社には246万柱余の御祭神が祀られている。戊辰戦争から日清日露、大東亜戦争
と、その多くは対外戦争で斃れた英霊たちである。みな日本国のために命を捨てて戦った
人たちばかりだ。その英霊たちの礎のおかげで今日の豊かな日本があるというのに、
「日本が好きになれない」「日本人としての誇りが持てない」ではあまりに悲しい。

家族のため、故郷のため、お国のために遠い異国に散っていった兵士たちに対して、
それでは申しわけが立つまい。なぜ誇りが持てないのか。答えはハッキリしている。
朝日・毎日新聞やNHK、日教組などによって植えつけられた〝日本悪者論〟的な
自虐史観からいまだに脱け出せないからである。洗脳からは自力で脱け出すしか
ない。

だからきちんと歴史(間違っても岩波新書などを読んではだめ)を学べ、とボクは再三言っている。
いや野暮は言うまい。勉強が苦手なら司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読むだけでいい。
日本という東海の小島が、欧米列強の毒牙におびやかされながら、いかに叡智を集め、
綱渡り的に生きのびてきたかがよく分かる。日本が消滅せずに来られたのは、
ほとんど奇跡と言っていいくらいの、民族の「叡智と勇気の総和」によるものなのだ。
われらがご先祖さんたちは、ほんとうによく頑張ってくれた。
そのことを知るだけでも涙があふれてくる。

韓国などはバカのひとつ覚えみたいに「日帝36年」を口にするが、
明治期以来の日本の頑張りがなければ、朝鮮半島はまちがいなくロシア領となり、
今ごろ住民はロシア語をしゃべり、キムチ入りボルシチを食べているにちがいないのだ。
歴史に真摯に向き合えば、そんなことは当たり前の事実なのに、ウソの歴史ばかり
教えられているから、彼らは仇どころか恩人の日本に向かって文句ばかり言っている。

なにが「歴史を忘れた民族に未来はない」だ。韓国が曲がりなりにも一人前に
なれたのは、みんな日本の経済援助のおかげではないか。清の属国から
解放されたのも日本のおかげ、漢江の奇跡も日本のおかげ、'97年の経済危機
を救ったのも日本のおかげ……みんな日本のおかげなのに、歴代政権はそのことを隠し、
すべて自力で成し遂げたというような顔をして澄ましている。国民もまたそれを信じている。
朝鮮半島人こそ歴史を捏造し、もて遊んでいる張本人ではないか。
まったく笑わせやがる。

安倍ちゃんが行かないのなら代わりに……というわけではもちろんない。
久しぶりに靖国の土を踏んでこようと思ったのは、ほんの気まぐれである。
韓国のバカ議員たちも日本の右傾化を批判するために来日するという。
きっと熱い一日になるだろう。



←昭和38年、靖国神社に参拝した
米空軍士官学校の士官候補生たち









※追記
いつも爽やかなコメントを寄せてくれる尼僧の木蘭(鈴木日宣)さん。
『サンケイエクスプレス』に「尼さんの徒然説法」というエッセーを連載しています。
心に滲みる説話です。どうぞ贔屓にしてくださいませ。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130813/trd13081316290017-n1.htm

2013年8月11日日曜日

増田明美大っきらい

女子マラソンの解説というと、まるで指定席であるかのように増田明美がしゃしゃり出てくる。
わが家はみなこの口先ばかりで中身のないおべんちゃら女がきらいで、
昨日もモスクワで開催されている「世界陸上」のマラソン中継を見ながら、
魂の解説者〟の異名をもつ増田のラチもないおしゃべりにつき合わされ、
不快指数はウナギ昇りに。
そのお返しと言っては何だが、それぞれに、
「うるさい!」「おだまり!」「このゴマすり女!」「すっ込んでろ!」
などと、テレビに向かって悪口雑言のありったけを浴びせかけた。

増田明美の解説は、ほとんど週刊誌のゴシップネタと見まがうものばかりで、
マラソンとはおよそ何の関係もない。こっちは今後の展開予想や、
よくも悪くも選手に対するプロらしい的確な批評を聞きたいのだが、
彼女ときたら、
《食の細い福士(加代子)さんに対して、野口(みずき)さんは明日のために
食べようって言ってヒジキを渡したんですね……》←身体にいいもんね

《ママさんなんですよねストラネオ選手(イタリア人、2位入賞)は。
7歳のレオナルド君と6歳のマリアンナちゃんという2人の子どもを持つ
お母さんですけど……》←それがどうしたんだよ!

《野口みずき(途中棄権)さんはフランクフルトで、日本人の美容師さんに
髪を切ってもらったそうです》←あのねぇ……

《キプラガトさん(ケニア人、優勝者)って、自分の子ども2人なんですけども
お姉さんを4、5年前に亡くしてしまって……お姉さんの子どもも養子にもらって
今、4人のお子さんを育ててるんですね。
だから、にぎやかな家族ですよね》←マラソンとどんな関係があるんだよ!


《木崎(良子、4位入賞)さんの走りって、
体の軸がブレずに上下動が少ないから、
リニアモーターカーみたいなんです。
だから後半強いですよね》←「だから~」って論法はないでしょ。

こいつはバカか、とおじさんとおばさん(女房です)は本気で怒りまくった。
増田の解説と称するおしゃべりは、選手の人となり(褒めるばかりで決してけなさない)や
どうでもいいような近況報告ばかりで、時には、「A選手の恋人が……」などと
プライバシーに関わることまで平気でしゃべってしまう。選手に親しみを持ってほしい、
という意図は分からないでもないが、目の前で繰り広げられているデッドヒートと
何の関係もないたわごとを並べられても困るのだ。正直言って、うっとうしいのだよ。

野口がフランクフルトで髪を切っただの、イタリア人選手に2人の子がいて、
それは7歳のレオナルド君と6歳のマリアンナちゃんなのだ、といわれてもねェ
(興味ねーよ、そんなもん)。
おまけに野口が福士に向かって「もっとごはんを食べなきゃダメ」とヒジキ
渡したなんて話が、いったい全体、マラソンとどういう関係があるんですか。

増田は、言っちゃあ悪いが公共のテレビに出てくるようなご面相ではない
(マラソン選手に美人はいないもんな……シミジミ)。
しかし神様は見捨てることなく彼女に妙なる美声を与え給うた。
ウグイス嬢みたいに声だけはいいのだ。みんなあの麗しい声にコロッとやられてしまう。

     あの声でトカゲ食らうかホトトギス

増田よ、もうそろそろ解説者の仕事を後進(高橋尚子とか)に譲ってもいいんじゃないの?
あなたの解説が好きという奇特な人もあるだろうけど、死ぬほど毛ぎらいしている人も
いるのですよ。たぶん、あなたは好人物なんだと思う。だからあんまり酷いことは言いたく
ないのだけれど、解説者としての資質は限りなくゼロに近いのだからしかたがない。
あんたの下世話で冗漫低劣な解説につき合わされる視聴者こそいい迷惑なのです。

てェことは、福士(実はお下劣なこいつが一番きらいなんだ)3位入賞はヒジキのおかげ……
(妙にナットク!)
今夜はわが家も「ヒジキごはん(おいしいよね、これ)」にしよおっと。




どう見てもラジオ向きの顔。
醜女はきらいじゃないけど、
増田のマラソン解説だけは御免蒙りたい。
お世辞ばかりで真心がないのです



 

2013年8月7日水曜日

「遊女」ちゃんに幸あれ

テレビを見ず、若者文化なるものに意識的に背を向けて生きていると、
新聞紙上やインターネット上に躍っている、ごく〝ふつう?〟の言葉が分からなくなる。
恥ずかしながら、「キラキラネーム」とか「DQN(ドキュン)ネーム」という言葉があることを
今日ただ今まで知らなかった(そんなもん知らんでもいい、とする心の声も)。

某新聞記事にこんな話が載っていた。
静岡県内の小児救急を担当する医師が、当て字などを使った〝キラキラネーム〟
の子供が増えたおかげで、現場が混乱していると、ネット上に投稿直訴した。
一刻を争う救急現場で、名前が読めないために患者のカルテやIDの作製が遅れてしまう。
名前の確認というつまらないことに時間が割かれ、脈拍すら確認できないのだ。
この現状を何とかしてくれ、という切実な訴えである。

いったいどんな名前が現場を悩ませているのかというと、
●下ネタ系
精飛愛(せぴあ)←もろ、そのままじゃん
麻楽(まら)あのねえ……
愛保(らぶほ)仕込まれたのは新大久保のラブホ街だな
遊女(ゆめ)サンリオピューロランドで遊ぶのとはちゃうでェ
亜菜瑠(あなる)←かなり危険なニオイが(ウッ、臭いッ)……
運子(うんこ)←さすがに、あとになって改名したらしい(バカ!)

●英語系
大男(びっぐまん)←ムスコは小さかったりして(笑)
天国(えでん)←生まれた途端に昇天しちゃいそう
革命(れぼる)←同志からカマを掘られるかも

●解読不能系
苺苺苺(みるきー)←ここまでやるか!
凸(てとりす)凹は何と読ませるの?
月下美人(はにー)←親の教養はゼロだな
礼(ぺこ)←もみ手が似合う子になりそう
光宙(ぴかちゅう)宇宙飛行士で決まりだな
美妃(みっふぃー)←愚妃はグーフィーかよ
七音(どれみ)←ファソラシは?

ふぅー、こりゃ読めんわな。いや、むしろ読めないままにしておいたほうが
子どものためかも。親が幼稚な上に無知蒙昧だと、ついこんな名前をつけてしまう。
祖父母もたぶんろくな手合いではあるまい。

愛保(らぶほ)とか亜菜瑠(あなる)、精飛愛(せぴあ)なんて名前を
つけられた日には、これからの長い人生、いったいどうやって生きていけばいいのだろう。
いじめの対象になるだけでなく、就職や結婚にも差し支えが出てくるのではないか。
他人事ながら、オジサンは気になってしかたがないのである。

それにしても、お役所はどうしてこんな奇天烈な名前を受けつけてしまうのかね。
「テメェ、何考えてんだ! 子どもの将来がどうなってもいいのかヨ!」
ボクが窓口の係だったら申請してきた親に顔面パンチをお見舞いしてやるのだが
(昔、満員の車内でそれをやって大騒ぎになったことがある)。

年々歳々、就職試験を受けに来る学生の〝キラキラネーム率〟は高くなっている、
という報告もある。麻楽(まら)君や遊女(ゆめ)ちゃんがぶじ試験に合格してくれると
いいのだけれど……子は親を選べない。ほんとにホントにご愁傷様です。


←80、90のババアになって愛理(らぶり)
じゃねえ、恥ずかしくて表を歩けないよ。
キラキラネームというより〝とんでもネ~ム〟
って感じだな



2013年8月1日木曜日

虚言の栄える国

7月27日、拓殖大教授の呉善花女史が韓国から入国を拒否された。
呉さんは1956年、韓国は済州島生まれ。'83年に来日し、日本で働く韓国人ホステス
の実像を描いた『スカートの風』で文壇デビューした。以後、大学で教鞭を執るかたわら、
日韓関係を検証する多くの著作を出している。その舌鋒は鋭く、祖国韓国に対しても
《虚言と虚飾の国》《ウソつき大国》などと仮借がない。韓国国内で「嫌韓をあおる女」として
目の仇にされる所以である。今回の子供っぽい〝いやがらせ〟もたぶんその一環だろう。

一方、米国カリフォルニア州のグレンデール市内の公園に、例の「従軍慰安婦」の
少女像が設置された。傍らにはこんな碑文が刻まれている。
《1932年から45年まで、日本軍に連行され、強制的に性奴隷にされた20万人以上の
アジア人、オランダ人の女性たちの記憶にとどめるために》

「性奴隷」「20万人以上」という誇張歪曲された表現。日系人たちにとっては、
不名誉極まりない言いがかりだろう。韓国系の団体はこうした慰安婦像をさらに
全米各地に設置していく方針だという。

いわゆる〝慰安婦問題〟に関しては、及ばずながらボクも隣国の〝虚言〟を
できうる限り暴いてきた。『慰安婦は高給取り?』(6/19)、『ウソも100回唱えれば』(5/16)、
『「うようよ」と「うじゃうじゃ」』(6/27)などがそれである。言霊(ことだま)ならぬ、
虚言・妄言が幸ふ(さきわう=栄えるの意)国が、まさに韓国なのである。

韓国の朴槿恵の父・朴正煕が大統領だった時代、韓国の経済は奇跡的な発展を遂げた。
世に〝漢江の奇跡〟と呼ばれるもので、この奇跡は朴大統領が起こしたものだと
信じられている。実際は奇跡でも何でもない。1965年の「日韓基本条約」で、
日本が韓国に搾り取られた巨額の賠償金を元手に地下鉄や高速道路を造った
だけの話だ。しかしこの事実は伏せられ、未だ韓国民にはいっさい知らされていない。

支那人や朝鮮人の頭の中には「華夷秩序」というものが根強く残っている。
文明の中心である支那から遠ざかれば遠ざかるほど野蛮になる、という考え方だ。
その理屈からすると、支那に近い朝鮮・韓国のほうが〝文明度〟は日本より上、
ということになる。韓国人がよく言う〝韓国は優秀な「兄」、日本は不肖の「弟」〟
という構図だ。

だから支那に対してはどこか卑屈だが、日本に対してはいつだって居丈高で、
日本を〝上位〟と認めたくないから「天皇」に対しても「日王」などと呼んだりする。
日本人が朴大統領を〝朴小統領〟、大韓民国を小韓民国と呼んだら韓国人は
目をつり上げて怒るだろ? 日本人も天皇を侮辱されて怒っているんだよ。
そんな当たり前のことさえも、自己チューで小児病患者の彼らは想像できないのである。

なぜ韓国人が慰安婦問題に執拗にこだわるかというと、
性の問題は韓国人にとって「穢らわしい」ことだからだ。
これも儒教の影響で、儒教では性の愉しみは否定しなくてはならない。
売買春産業(日本円で2兆6000億円台)がGDPの5%を占める売買春大国なのに、
である。

呉善花教授はこう言っている。
《強制であろうとなかろうと、従軍慰安婦は自分たちより下の日本人に
性を売ったということ自体が許せないんです。李朝の終わりころは、
日本人に性を売ると死刑でした

その刑罰は陰惨だ。春をひさいだ女を縄でぐるぐる巻きにし、
のこぎりで首を引いたのである。〝ケダモノ〟と交わった罰だという。

朝鮮民族は〝清潔な血〟を持っていると考えられているので、
彼らは世界中どこにいようと朝鮮民族同士で結婚しようとする。
他国の人間の(穢れた)血を混ぜてはいけない、とされているのだ。

そのくせ李朝時代は毎年、宦官と妓生(キーセン)を支那に献上していた。
しかし呉教授に言わせると、《偉い人たちに捧げるのは例外》で、
血の純潔を保つ教えとは矛盾しないのだそうだ。いかにも勝手な理屈に聞こえるが、
いまだに朝鮮人はこうした考え方に支配されているため、
野蛮で未開な日本人(犬と同列かそれ以下)とセックスしたというだけで許せないらしい。

呉教授は続ける。
《慰安婦問題がこんなにも韓国人の脳に刺激を与えるのは、
日本人と交わったということが非常に穢らわしいことだからです。
そのため強制(連行)ではないと言っても聞く耳を持たないんです》

「反日」というより「侮日」か。
呉教授は敬愛する日本人に向けてこんなアドバイスをしている。
《日本人同士のように「話し合いをすれば思いが通じるだろう」と考えるのは
甘いと思います。話をしても通じないのが朝鮮半島人ですから、強く出ないと
ダメです》

儒教の悪弊と幼稚な精神性をいまだ引きずったままの朝鮮半島の住人たち。
まるでアンデルセンの『裸の王様』そのものだが、
夜郎自大で厚顔無恥だから、なおのこと始末にわるい。
そのうちデフォルトを起こし、またまた日本に泣きつき、
「金貸してくれ!」と叫び出すに決まっている。
果報は寝て待てという。奴らの泣きっ面が見られるのはもうすぐだ。

ついでに言っておくが、ベトナム戦争時の韓国軍の暴虐行為は
すさまじかった、と過去のブログに書いたことがあるが、
30万人以上の民間人を虐殺し、数十万の女性を強姦し、
ベトナム人女性と韓国人兵士の混血児が3万5000人にのぼる
という事実を憶えておいてほしい。詳しくは、下記に。
http://www.youtube.com/watch?v=sMjbC98bipk





←ロサンゼルス郊外、グレンデール市の公園で
行われた〝少女像〟の除幕式。(読売新聞より)
日系人の無念を思うと、静かな怒りがこみ上げてくる。
アメリカ人はアメリカ人で、日本人を暴虐な民族に
仕立てておいたほうが都合がいい。東京大空襲や
原爆投下といった非道を少しでも相対化し、弱めたい
からである。どちらも憎むべし。


※追記
アメリカにはこんな〝親父〟もいる。
http://www.matomater.com/3553/
参考資料としてはこれ。
http://texas-daddy.com/comfortwomen.html