2013年10月25日金曜日

「なでしこアクション」の賢女たち

今夏、8月15日、ボクは膝痛の脚を引きずりながら靖國神社にお参りしてきた。
そのことについてはすでに「靖國は燃えているか」に書いたが、
その際、「なでしこアクション」のおばちゃんたちが署名活動をしていたので、
ささやかながら協力した。

周知のように、在米韓国系団体の後押しでいま、全米20カ所以上で従軍慰安婦の
少女像や碑の設置計画が進んでいる。7月にカリフォルニア州グレンデール市に
その少女像が設置されたことはすでに多くのメディアで報道され、
ボクも「虚言の栄える国」でちょっぴりふれた。

こうした日本を貶める暴挙に対して、「日本女性として黙っていられない」と、
ごくふつうの主婦たちが立ち上がったのが「なでしこアクション」のネットワークだ。
代表の山本優美子さんは、こう語っている。
子や孫の代まで韓国によるウソの宣伝で罪を背負わされるのは許せない

山本氏には、米国で暮らす日本人主婦から、
以下のような悲痛なメールが連日届いているという。
《子供たちは米国の地元校で学んでいます。当然、日本に配慮された教科書を使う
はずはなく、中国や韓国が主張する捏造談ばかり。歴史を学びだす6年生くらいから、
日本人であることが恥ずかしく思えてくるようです。中韓の子供たちの嫌がらせもあります》

「なでしこアクション」はさまざまな活動をしているが、2007年米国下院で可決された
「従軍慰安婦対日非難決議」撤廃要求の署名運動もそのひとつだ。歴史に無知な
アメリカ人議員にも困ったものだが、在米韓国人団体のロビー活動は強力だから、
うかうかしているとウソの歴史ばかりが真実としてまかり通ってしまう。

ボクは韓国人を端的にあらわす四字熟語は「夜郎自大」だと、何度となく言ってきた。
が、元時事通信記者でソウル特派員だった室谷克実氏は「外華内貧」こそふさわしいと
言う。韓半島で生まれた四字熟語のひとつらしく、その意味するところは、
中身はボロでもかまわないから、外側だけはピカピカに飾りたてたい」というものだ。
要は「見栄っぱり」「ええかっこしぃ」ということか。

室谷氏に言わせると、日本人はどっちかというと、
   
   ♪ボロは着てても心の錦、どんな花よりきれいだぜ (『いっぽんどっこの唄』より

というマインドに近いのだが、韓国人は逆で、まず何より外面(そとづら)を気にする。
だから、彼らは「息を吐くようにウソを吐(つ)」(室谷氏)のだそうだ。

現に当の韓国の朝鮮日報社が'03年、2月13日の記事で、
《日本の671倍も偽証が氾濫する韓国の法廷 韓国人は世界一のウソつき民族
という記事を載せ、自らをウソつき民族と認め悲憤慷慨しているのだから、
これほど確かなことはない。

「外華内貧」のマインドは、いつしか「ウソの顔」をつくることに罪悪感を感じなくなる。
朝鮮日報の調査によると、整形外科医を総動員し、ランダムに選んだ1800人の女性
(20~50歳代)の目と鼻を判定させたところ、その46%を「整形済み」と判定したという。
なんと2人に1人が整形していたのだ。こんな国、世界広しといえども他にない。

身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり
という儒教の名言なら、多少教養のある日本人なら誰でも知っているが、
「儒教の国」と胸を張る当の韓国人はまったく知らないようだ。儒教でもっとも
大切とされる徳目は「孝道」だが、その「孝」の根本を分かっていないのだから、
なにが「儒教の国」だ、と言いたくなる。

ボクは韓国で何度も取材してきたが、こっちが尋ねもしないのに
「私は両班(ヤンバン)の出だ」とふんぞり返るおっさんが多いのには閉口した。
李朝末期には偽の身分証の売買が盛んだったから、おそらくこのふんぞり返った
おっさんたちも正真正銘?のニセモノなのだろう。とにかく日本の統治が始まった
直後には両班が全人口の半分を占めていた、というのだから笑わせる。
「ウソで固めた国」とボクが再三いっているのも、ダテや酔狂ではないのだ。

これは以前にも述べた話だが、5年前に米国スタンフォード大学の研究グループが
各国の歴史教科書を比較分析したところ、こんな結論が出た。すなわち、
日本人にとって歴史は(ただの「ヒストリー」だが、韓国人にとって歴史は
(夢あふれる「ファンタジー」で、支那人にとっては共産党政権の「プロパガンダ」である
というまっとうな指摘だ(カッコ内筆者)。

連日テレビでは韓流の歴史ドラマが放映され、少し頭の足りないおばちゃんたちが
熱心に鑑賞しているようだが、絢爛豪華な李氏朝鮮の時代絵巻はまっかなウソなのだ、
ということをしっかり認識しておいてくれないと、まんまと敵の術中にハマることになる。

「韓流ドラマ」が大好きなノーテンキなおばちゃんたちよ!
あなたたちがウソで固めたドラマを愉しんでいる間も、
あなたたちの子や孫や曾孫たちは世界中で〝いわれなき侮辱〟を受け、
人知れず泣いているのですよ。日本国を侮辱し、日本人を辱めようとする隣国・韓国の
片棒担ぎだけはもうやめていただけませんか?
日本人として、それはとても恥ずかしい行為なのです。




←韓国人のウソを告発する「なでしこアクション」
の勇敢なおばちゃんたち。なでしこ頑張れ!





 

2013年10月23日水曜日

芸ノー人大っきらい

突然だが、わが家で嫌われてる「芸ノー人」やその他有象無象がこれだ。

久米宏←あのヘラヘラしたしゃべくりが薄っ気味わるい。腐れ左翼の一員で、「巧言令色鮮矣仁」の典型

●古舘伊知郎←プロレス中継がお似合いだが、この程度でもテレ朝の報道番組ならつとまるってこと

小倉智昭←よく知らないけど、あのアデランス頭がわけ知り顔で能書き垂れ出すとチャンネルを変える

●島田紳助←下のツバ飛ばし男と同じで、人格が下品そのもの。関西人のいやらしさが横溢してる

明石家さんま←上の品性下劣男と同類だが、サッカー解説だけは的確で堂に入っている

●みのもんた←あの極悪人そのもののふてぶてしい顔を見てると、「テレビ人間」って奴がつくづくいやになる

香取慎吾←とにかくあの口のでかいマヌケな顔がきらい。SMAPはどいつもこいつもマヌケ顔というのがすごい

●木村拓哉←性格はいいが、半魚人みたいな顔がダメ。どこかバランスがわるいのである。胴長短足はご愛敬

和田アキ子←うーん、なんでこんな下劣な大女が芸ノー界で女王面してるわけ? あっちへ行け!

●広末涼子←「あのアヒル口がきらい」とは女房の弁。演技はド下手で取り柄なし。こいつもあっちへ行け!

米倉涼子←たしかに美脚だが、「だからどうした!」って感じ。目が怖い。ボクのタイプじゃない(ぷっ)

●松田聖子←国辱ものだから、どうか外国映画だけは出演しないでほしい。百恵ちゃんを見習って早く消えろ!

菊川怜←東大出の美人というだけの木偶。頭の中身はパッパラパー。職場の花、というより鼻つまみ者

●蓮舫←この手のクソ生意気な娘ッ子に上から目線でやりこめられたら頭来るよなァ。お役人たちに同情します

森永卓郎←貧乏ったらしい風貌がいや。そしてガマガエルみたいな顔も。経済評論も貧乏ったらしい

●テリー伊藤←築地の卵屋の息子がおだてに乗ってしゃしゃり出るとああなる。ロンパリのお目々はもう見飽きた

山田五郎←キューピー頭のこの黒縁メガネが出てくると、血圧が上がる。偉っらそうなバカ男、とっとと失せろ!

●亀田兄弟&父親←公共の電波に乗せる輩ではない。ほとんどケダモノ同然。狂犬病注射をして隔離すべし

「芸(も)脳もない」輩はここにもいる。
鳩山由紀夫←市中引き回しのうえ獄門はりつけに処すべき世紀の大バカ野郎。ド派手な女房も同類

●菅直人←四国の巡礼をしようが僧門に帰依しようが、こいつの低脳イライラ頭はどもならん。小塚っ原で処刑

長妻昭←ひたすら暗い。年金問題しか知らないアホ議員。民主党議員はどいつも暗くてかなわん

テレビに出てくるアホどもはまだ佃煮にするくらいいるのだが、キリがないからやめる。
昔から「テレビに出るやつは二流」といわれていたが、ここまで品下がると見てられない。
脳なしの政治屋は与党の中にもいた。河野洋平や宮澤喜一、加藤紘一などがそれだ。
彼らの犯した罪科は野党のそれよりも重いかもしれない。

さてGoogleなどの検索エンジンで「増田明美」とか「高倉健 大根」と〝ググって〟くれ。
まっ先にボクのblogが飛び出してくる。人の悪口書くと評判になっちゃうんだから、
世の中、どうかしている。ボクだって人を褒めたい。でも褒めるに値する人物がいない。

特にテレビ人間はほぼ壊滅状態だから、必然的に人物評も辛口になっちまう。
増田明美に健兄ィ! さんざん貶したけど、どうか恨まないでおくんなまし。
ご両人は、少なくとも和田アキ子やみのもんたよりはマシだから(←嬉しかねーよ)。
そのうち褒めることもあるでしょう。乞うご期待(←期待できそうもねーな)。








←嫌いな芸能人ランキングで、栄えある第一位を
獲得した「みのもんた」君。まずはめでたし、めでたし。
見よ、この得意満面のサル顔を。




 

2013年10月22日火曜日

プールサイドブルース

高校時代、水泳部で苦楽を共にしたY君が亡くなった。享年61。
食道ガンだった。闘病2年の甲斐もなく、ついに力尽きてしまった。
聞けば煙草と酒が離せず、酒もつまみを食べず焼酎を生(き)のままで
グイグイとあおるような飲み方だったという。これじゃあ胃も食道も傷つく。
Y君と最後に会ったのは5年前。その時も同級生の葬儀がらみだった。

Y君はボクと同じ背泳(バックストローク)が専門だった。
専門という割には二人にそのセンスはまるでなかった。
誰がどの泳ぎを専門にするかは、先輩たちが決める。
おまえ、バックやれ――それでおしまいである。
本人の意向など聞かない。勝手に決めてしまう。

ボクはバックストロークという〝後ろ向き〟の泳ぎがきらいだった。
そういえばフランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩に、こんなのがあった。

   湖に浮かべたボートを漕ぐように
   人は後ろ向きに未来に入っていく
   目に映るのは過去の風景ばかり
   明日の景色は誰も知らない

何事も後ろ向きだったあの頃、せめて泳ぐ時くらい前を向いて泳ぎたかった。
だから、いまでもクロールとバタフライをすることはあっても、
バックで泳ぐことはまずない。好きになれないのだ、あの泳ぎが。
Y君のバックもひどいものだった。ならばクロールがうまいのかというと、
これも輪をかけてひどかった。ボクたち二人は水泳部のお荷物だった。

Y君のいいところは、へたはへたなりに頑張るところだった。
どんなに苦しくてもちょっとした冗談を飛ばし、周囲を和ませるようなところがあった。
二人は一応決められた練習量はこなしたが、力を抜くところは抜いていた。
でもあからさまに流している(力を抜いて泳ぐことを〝流す〟といった)と、先輩たちの
目にとまり、「オイ、おめーら、流してんじゃねーよ!」とデッキブラシで小突かれ、
バツとして腕立て伏せをやらされた。だから、いかにも全力で泳いでいるかのように
形相だけでも必死感を演出するのである。ボクたちには演劇の才があった。

バックストロークには1つだけ利点があった。上向きに泳ぐから呼吸が比較的楽なのである。
夏の日などはのんびりと流れる雲を眺め、もの思いにふけりながら泳いだものだ。
もの思いといっても、「我いかに生きるべきか」といった小難しいことを考えて
いたわけではない。「今夜のおかずは何だろう」とか、「R子ちゃんは今ごろ何してるかな」
などと、当時のボクにとっては切実な問題を〝流しながら〟考えていたのだ。

たぶん助平だったY君も同じような妄想を抱きながら、孤独の中で泳いでいたことであろう。
同じ釜のメシを食い、理不尽な先輩たちのいじめに泣いた仲間が、
病魔に倒れて逝ってしまうのはひどく悲しい。妻子や孫を残して先立つのは、
さぞ残念なことだっただろう。Y君の無念を思うと、言葉がない。

いつの頃からだろうか、慶事より弔事が多くなったのは。
葬式などはふしぎに続いたりするものだから、喪服をクリーニングに出す
タイミングが計れないときがある。

仏教では「定命(じょうみょう)」といって、人の寿命は一定しているという。
最長は8万4000歳で最短は10歳だというから、61歳ではあまりに短い。
ボクは8万歳まで生きたいとは思わないが、あと10数年は生かしてほしい。
ベストセラーを書き、大金持ちになって、銀座で豪遊し、きれいなネエちゃんを
何人も囲って、殿山泰司みたいな立派なヒヒ爺ィになるのだ。

Y君の霊よ、鎮まってくれ。
君の分まで長生きし、君以上に助平なヒヒ爺ィになってやるから。
ああ、あのいたずらっぽい目が忘れられない。
心より合掌。





←ボクの尊敬するヒヒ爺ィ。

2013年10月18日金曜日

悪筆だって生きられる

ボクは生来の悪筆だ。わが文字ながら見ているといやになってくる。
筆勢が定まらず、その日の気分であっち行ったりこっち行ったり。
右肩上がりの文字を書く時もあれば、左肩上がりの時もある。
自己韜晦(とうかい)〟と自分で呼んでいるのだが、要するに得体が知れない。
だから、手紙などもワープロだし、もちろん原稿はワープロで打つ。
せいぜいタイプアップした後の締めくくりに直筆の署名を入れるくらいだ。

一方、カミさんは達筆で、娘たちも書道では段持ちで、それも高段者だ。
ボクの兄弟もみな有段者で、ボクだけが金釘流で情けないような文字を書く。
とにかく生まれてこのかた、習い事というものをしたことがなく、学習塾とも無縁だった。
亡くなったカミさんの父親は書の達人で、そのまま掛け軸にしたいくらい巧かった。
若い頃は「ソロバン日本一」になった人でもあるから、たぶん人一倍努力家だったのだろう。

わが悪筆も噴飯ものだが、上には上があって、ときどき葉書を寄越してくれる
出版社勤務のMさんの字も世界遺産級にひどいものだ。
糸くずがからまった判じものみたいな文字で、ボクはMさんの葉書を見るたびに、
「この文字がどれだけ世の悪筆に悩む人々を慰め励ましていることか」
などと不謹慎なことを思い、ひとり笑ってしまう。

ボクたち夫婦の仲人をやってくれたI編集長の字も負けず劣らずひどかった。
何と言おう、地上から10センチほどのところをふわふわ浮いているような
目方のなさそうな文字で、当時、大日本印刷の植字工もI氏の原稿を判読できず、
ウソかまことか、後にI氏専門の文選工が養成されたと聞くから、
その悪筆ぶりは石原慎太郎並みにひどかったのだろう。

話変わって、男には「三種の神器」があるという。
腕時計と万年筆、ライターがそれである。
昔は腕時計はオメガ、万年筆はパーカー、ライターはロンソンだったというが、
今はそれぞれロレックス、モンブラン、ダンヒルなのだそうだ。

銀座のクラブなどに出没する金持ち連中には必需品なのだろうが、
貧乏人のボクにはまったく関係がない。腕時計はもう何年も前からしていないし、
禁煙したからライターも持たない。もっとも吸っていた頃は使い捨てライターの愛用者で、
生業(なりわい)までもが今も変わらぬ〝100円ライター〟だというのがちょっぴり悲しい。

ただ、ひとつだけ持っているものがある。モンブランの万年筆である。
モンブランのマイスターシュテュック146」というもので、ワープロが出現するまでは
この万年筆で原稿を書きまくっていた。机の抽斗の奥に眠っていたモンブランを
引っ張り出したのはほんの気まぐれだ。が、せっかく日の目を見させてあげたのだからと、
一晩ぬるま湯に浸け、洗浄した。そして「ミッドナイトブルー(昔のブルーブラック)」の
インクをネットで購入、冬眠状態だった万年筆に息を吹き込んでみた。

文字はスラスラ書けた。ペン先の感覚が徐々に指先に蘇ってくる。
しかし悪筆は相変わらずで(当たり前だ)、モンブランで書けばたちまち弘法大師に
変身できるわけではない。それでもこのペンには何ともいえぬ温もりがある。
磨いたり撫でまわしているだけで、ついニヤついてしまう。
そして猛烈に原稿を書きまくっていた頃のことを思い出し、
ちょっとばかりおセンチになってしまう。あの頃はボクも若かった。

せっかく蘇らせたのだから、だれかに手紙を書きたくなった。
病院から退院した叔母に送ったら喜んでくれるだろうか。
それとも遠く離れた心の友に一筆したためてみようかしら。
原稿書きに追われ、時間泥棒に支配されている身の上で、
ふとそんなことを夢想してみた。





←ミミズののたくったようなボクの金釘流も、
こいつの幼稚な字よりは数段マシか。
頭の空虚さがそのまま字に表れている


 

2013年10月11日金曜日

ストーカーと呼ぶんじゃない!

三鷹の自宅前で高3の女子生徒が21歳の元交際相手に刺殺されるという事件が起きた。
またぞろ起きてしまった〝ストーカー殺人事件〟。警察に相談してはいたそうだが、
今回もまた後手に回ってしまった。「長崎ストーカー事件」に「桶川ストーカー事件」、
そしてこんどの「三鷹ストーカー事件」と、なにやら〝流行〟のようになってきた。

ストーカーというのは特定の他者に対して執拗につきまとう行為、および行為者を言う。
昔は「変質者」とか「変態」と呼ばれていたものだが、'90年代に入ってからストーカーと
カタカナ言葉で呼ばれるようになり、その途端、イメージがプラスに転じてしまったのか、
変質者たちは大手をふるってつきまとうようになった。ネーミングというものには
そうした性格があって、うす汚い「変質者」や「変態」という呼び名にとどめておいた
ほうが賢明な場合だってある。

近頃の男は、別れ話が出た途端に逆ギレし、相手を殺したくなるほど憎むというから、
危なっかしくて見てられない。年頃の娘をもつ親としては他人事ではないのだ。

男と女の関係なんて、ハタから見たって分からない。
息子や娘のことはすべて分かったような顔をしている親だって、何も知りはしない。
ボクは自慢ではないが若い頃から女性によくもてた。
いまでも絶大な人気がある(オバサンとかオバアサンにだけど……)。
なぜなのかと考えたら、答えが出た。相手を思いやる気持ちが強いのだ。
つまり人間がやさしい(自分で言うな!)。

変質者や変態野郎に共通するのは、相手の感情に想像をめぐらせることが
できないことだ。甘えや思い込みが強すぎて、自分の思いどおりにならないと
すぐキレてしまい、暴力に訴えようとする。拒絶されることに異常なほど過敏になっていて、
相手がつれない態度をとっただけで怒りや恨みの感情を抱いてしまう。
要するに耐性がない。

ボクは女性にもてたが、ふられた数もまた多かった。
しばらくは立ち直れないほど沈み込むこともあったが、
相手を逆恨みしたことなど一度もない。自分の至らなさを反省するばかりで、
いつも批判の矛先は自身の内面へ向かった。
たぶん、同世代の男たちはみんなそうだったんじゃないかしら。
勧善懲悪のチャンバラ映画で育ったボクたちの世代は、
卑怯未練を心底憎んだ。未練たらたらの男をカッコ悪いと思った。

しかしいまは違う。「卑怯なマネをするな!」という言葉がまず通じない。
通じたとしても心に響かない。カッコいい男のスタンダードがないからだ。
テレビドラマに出てくる男たちは、総じて気弱な女々しい男ばかりだ。
が、逆に半沢直樹みたいに「やられたらやり返す。倍返しだ!」などと
受けた仕打ちを倍にして返す男がヒーローになったりする。

女「あなたとはもう別れたいの」
男「なに? おれと別れたいだと?」
男(心の中でつぶやく。「やられたらやり返してやる! 10倍返しだ!」)

ボクの規準からすると、半沢直樹みたいに執念深い男はヒーローの器になり得ない。
たとえ不条理に対する怒りだとしても、「スカッとした男らしい爽やかさ」が感じられず、
女々しい男に映ってしまうのだ。半沢人気はヘビのように執念深いストーカーを
ますます増やしてしまいそうな気さえする。

某犯罪心理学者がストーカーになりそうなタイプを挙げている。
①実際以上に自分をよく見せたがる異常なほどの見栄っぱり(ウーン、俺もそうかも)
友人が少なく、年下とはうまくやるが、年上との折り合いがわるい(これは違ってるな)
自己愛が非常に強い(よく「ナル男」っていわれる)
④メールや電話で過度に連絡をとりたがるそれはないな
⑤仲直りのために過剰なサービス精神を発揮する(そんなみっともないことはしない)

そう、だれもが痴漢や変質者になりうる資質をもっているのだ。
でも心のブレーキがかかって、行為に及ぶものは少ない。
それはどんなブレーキなのだろう。理性? 道徳心? 弱気? それとも美感?

決して美しくない「半沢直樹」がヒーローになってしまう現代という時代。
ボクは「月光仮面」や「アラーの使者」が恋しいほどに懐かしい。
がに股短足の宇津井健が白い全身タイツをまとい、
股間のモッコリを見せながら空を飛ぶ「スーパージャイアンツ」の
なんと雄々しくカッコよかったことか。昭和に生まれてほんとうによかった。





←われらがヒーロー「スーパージャイアンツ」。
股間のモッコリが評判で、みんなアソコばかり見ていた。
アメリカの「スーパーマン」より数段カッコよかった






 

2013年10月10日木曜日

手網焙煎のすゝめ

酒も好きだが、コーヒーも好きだ。
コーヒーがないと仕事がはかどらず、頭も働かない。
ただしインスタントはダメ。あれはコーヒーではない。
韓国の整形美女みたいなニセモノである。

実のところ、インスタントコーヒーの肩を持っていた時期もあった。
しかし原材料の品質はいかんともしがたい。
特にネスレはいけない。質の悪い安価なベトナム産コーヒーを、
さらに買い叩いている。キーコーヒーが少しはマシかと思ったが、
最近は、買いかぶりだったと贔屓するのをやめてしまった。

インスタントコーヒーがなぜダメかというと、アラビカ種ではなく
ロブスタ種(カネフォーラ種)が主に使われているからだ。
ロブスタ種は缶コーヒーやインスタントコーヒーに使われている
質のわるいコーヒーで、アラビカ種のコーヒーみたいにストレートでは飲めない。
だからアラビカ種に混ぜて増量剤のようにして使う。

フランスのカフェオレやベトナムコーヒーには、ミルクと
コンデンスミルクの使用が必須だが、あれはロブスタ種の
いやなニオイ(ロブ臭という)をマスキングするために使われている。
所詮、オシャレだとかカッコいいなどと感心するような飲み物ではないのだ。
かつての植民地がロブスタ生産国だから、宗主国のフランスやイタリアは
ロブを使うしかなかった。苦肉の策で生まれたのが、
ロブ臭を消すためのカフェオレでありエスプレッソでありカプチーノなのである

ボクは全国の名店からコーヒーをネット購入しているが、
自分でも焙いている。焙煎機などない。手網である。
なんだ手網か、などとバカにしてはいけない。
手網でも相当なレベルまで焙くことができる。
へたな自家焙煎店など目じゃないのだ。

手網やコーヒー生豆は浅草かっぱ橋に行けばすぐ買える。
インターネットでも販売しているから、その気にさえなれば、
すぐにでもコーヒー自家焙煎は始められる。
自分が飲むコーヒーくらい自分で焙いたらどうだろう。
むずかしいというのなら別だが、素人のボクがそこそこ焙けるのだから、
凝り性の人だったら、名人級のコーヒーが焙けるかもしれない。

先日、今年いっぱいで店を閉めるという南青山の「大坊珈琲店」に行ってきた。
午後4時過ぎにおじゃましたのだが、狭い店内は大坊閉店の報を聞き、
常連客が名残を惜しみに来たのか、どの席もいっぱいだった。
この大坊も手網とどっこいどっこいの手廻し焙煎機を使っている。
それで深煎りの名品ともいうべきコーヒーを創り出してしまうのだから、
焙煎の原点でもある手網焙煎をゆめ侮ってはならないのである。

しばらく見ない間に店主の大坊勝次は変わり果てた姿になっていた。
髪の毛が風前の灯だったのだ。自分の滅びゆく髪を棚に上げて
図々しく言わせてもらうと、すでに「万事休す」の感があった。
口の悪いボクも、さすがにそのことには触れがたく、
できるだけ頭のてっぺんを見ないように、伏し目がちにコーヒーをすすった。

コーヒーはさすがに年季が入っていた。とろんとした濃醇な味わいで、
滋養のある黒い液体を胃の腑に流し込むといった趣きなのである。
フレンチとイタリアンローストの境目くらいまで煎り込んでしまうと、
ふつうはただ焦げ臭いだけの一本調子の味になりがちなのだが、
大坊のコーヒーは単純をめざしつつも、ついには複雑の相を帯びてしまう、
といったコーヒーで、ただべんべんと日を送っているだけでは、
とてもじゃないけど到達できそうにないレベルのそれと言っていい。

大坊のカウンターに座る客は、みな一様にバッグから本を取り出す。
いっぱし読書家を気どっているのだ。コーヒーをすすりながら静かに本を読む――
たしかに、スマホを指先でつついている連中よりは、数段利口そうには見える。
故・向田邦子や村上春樹が贔屓にしている店ゆえか、
客までもがどこかアカデミックな雰囲気を漂わせている(買いかぶりすぎか)。

大坊勝次は無口な男だ。余計なことは一切しゃべらない(肝心なこともしゃべらない。プッ)。
それでいて堅っ苦しいかというと、そうでもない。
ポツリポツリと言葉を発し、時々冗談らしいことを言いニヤリと笑う。
ラグビーが好きで、自身も現役のラガーマンだというが、
ちょっと信じがたいところがある。
トドみたいに巨体のボクが突進していったら、鵞毛のように軽い小男の大坊など
空中高く吹っ飛んで、たぶん骨がバラバラに砕けてしまうだろう。

大坊勝次とのつき合いは古い。
初めて会ったのは開店間もない頃だから、
40年ほどになろうか。互いに歳を取り、
あの頃の溌剌とした面影など見る影もないが、
上手に歳を取ったという感じはしないでもない。
ひとつことに専念した男はこんな素敵な顔になる(これもホメすぎか)。
畏るべきかな、大坊勝次。惜しむべきかな、超深煎りコーヒー。




←手網焙煎は簡単。ただしガス台周りは
チャフ(薄皮)が飛ぶのでひどく汚れる。













 

2013年10月5日土曜日

似非ジャーナリストの良心

ボクは左翼がきらいだ(←昔は左翼だったくせに偉っらそうに)。
特に日本の悪口ばかり言っている反日左翼の連中を
蛇蝎(だかつ)のごとくきらっている。朝日・毎日新聞はそうした左翼を生む温床で、
TBSやテレビ朝日に出てくるニュースキャスターなどもその手合いといっていい。
『Nステ』の元メインキャスターの久米宏や『ニュース23』の筑紫哲也などが、
まさにその典型だった。

あの軽忽極まる久米宏などは雑魚だからこの際無視するが、筑紫は違う。
〝ジャーナリストの良心〟みたいな顔をして、ウソを垂れ流していた。
筑紫は北朝鮮の礼讃者だった。「北朝鮮はすばらしいところです」という内容の
日本人妻(北鮮在住)のビデオを、何の論評もなく垂れ流すような男だった。

(あの筑紫キャスターが言ってるんだから、北朝鮮が地獄だなんてウソだろ?)
誰もがこう思った。こうした無責任な報道がどれほど拉致被害者の救済を
遅らせたことか。たとえウソでも彼は「報道の自由だから」と強弁するのだろうか。

亡くなってしまった人間を貶めるのはもとよりボクの趣味ではないけれど、
彼がジャーナリストの風上にもおけない人間だ、
ということは言っておかなくてはならない。

ボクは30代の初め、取材でジャマイカに飛んだ。
そこである日本人男性と会った。いまはすっかり有名になってしまったが、
当時はまだ無名で、家族と共に首都キングストンに住んでいた。
実名を出すと差し障りがあるので、仮にK君としておこう。
ボクはK君と夜が更けるまで話をした。

K君は18歳で日本を飛び出し、ジャマイカに来る前はエルサルバドルで暮らしていた。
エルサルバドルといえば1980~1992年まで壮絶な内戦が繰り広げられていた国だ。
極右と左翼ゲリラとの戦いで、米ソ冷戦の代理戦争みたいな趣きさえあった。
街には死体がゴロゴロ転がっていて(内戦の死者は12年間で7万5000人)、
K君は何度も銃を向けられ、実際に機関銃で撃たれたこともあった。

そんな折、日本の報道番組の取材陣がサルバドルを訪れた。
筑紫哲也の率いる『ニュース23』のご一行様だ。筑紫はK君に言った。
「内戦の実情を取材したい。ついては通訳兼コーディネーターをお願いしたい」
金のないK君にとってはもってこいのアルバイトだった。
で、さっそく一行を引き連れゲリラ戦の前線へと1週間の取材旅行に出かけた。

ある村に難民キャンプに入るのを拒否している家族があるという。
さっそく取材してみよう、ということで現地に向かった。危険地帯なので、
赤十字の旗を掲げながら恐る恐る村に入っていった。幸い、銃撃戦もなく、
ぶじ取材を終えることができた。しかし、筑紫とそのスタッフはなぜか不満そうだった。
聞けば、派手なドンパチがないから〝画〟としてつまらないというのだ。

「で、彼(筑紫)はボクにこう言うんです。Kさん、すまないけど、まさに内戦状態
で取材を敢行しているという映像を撮りたいんで、硝煙弾雨の雰囲気をつくって
もらえないだろうか……」
K君は口あんぐりだった。でも従わないとギャラを取りっぱぐれるので、
しかたなくあちこち火を燃やして戦場のような雰囲気をつくり、
パンパンと銃弾を発射(K君は銃を携行していた)したりして、
血なまぐさい「戦場風景」の撮影に協力した。

これが〝ジャーナリストの良心〟といわれた男の正体である。
むしろ〝似非ジャーナリストの良心〟と言い替えたほうがいいかもしれない。

筑紫哲也は昭和10年(1935)の生まれだ。この時代の人間は
小さい頃から国民学校(小学校とは呼ばなかった)に通い、
大きくなったら天皇陛下のために死ぬような立派な国民になれ!」
と教えられた。そして昭和20年の敗戦を迎えると、こんどは
「これまで教えたことは全部忘れましょう。アメリカ軍が来たらハローと言いましょう
と〝真逆〟のことを言われたのだから、国家に対して不信感を抱くのも当然だろう。

しかし、だからといって「ウソを報道していい」ということにはならないし、
興味本位の〝やらせ〟で内戦レポートをでっち上げてもいい、
ということにはならない。

筑紫が共産主義に傾いていった事情は心情的には分かるが、
旧ソ連や北朝鮮、共産中国が「地上の楽園」でないことは一目瞭然だろう。

共産主義はおそらく新興のカルト宗教みたいなもので、
久米も筑紫もその熱烈な信者なのだろう。
信仰心のあつい人間に対して合理的に説得するのはむずかしい。
コミュニズムの「善」を信じ、ある面マインドコントロールされている彼らは、
いくらそのインチキ性を証明してやってもまるで聞く耳をもたないからだ。
朝日・毎日新聞の愛読者たちもおそらく同類だろう。
彼らは、聖典と仰ぐ「平和憲法」とハナから抱き合い心中するつもりなのだ。
愚かなりコミュニスト、危うきかな平和主義。


※付録「好きな言葉」
《20歳までに左翼に傾倒しないものは情熱が足りない。
20歳をすぎてなお左翼に傾倒しているものは知能が足りない》
(ウィンストン・チャーチル)





←反日ジャーナリストの代表・筑紫哲也。
この善良そうな顔にみなコロッとだまされてしまう。
筑紫は実は在日という説もある

2013年10月2日水曜日

100円ライターの〝あゝ無情〟

膝の故障は相変わらずだが、ギックリ腰が治らず困っている。
ふつうは1週間ほどで治るのだが、膝との絡みで腰に負担がきていたのか、
すでに3週間近くになろうとしている。腰を曲げられないから、蒲団の上げ下ろしもできず、
顔も満足に洗えない。一日中コルセットを巻いているから、お腹の肉がはち切れそうだ。

だからといって、横になっているわけにはいかない。
仕事が山積みで、それも大幅に遅れている。
原稿は9月いっぱいまでに書き上げる予定だったのだが、
まだ半分しか書いてない。

それでも毎日20枚(400字づめ原稿用紙換算)は書くのだから、
自分としてはハイピッチで頑張っているつもりだ(自画自賛)。
朝から夜まで机にしがみつき、パソコンとにらめっこ。
腰にいいわけがない。
それでも書き続けなくてはいけないのだから、
物書きなんて因果な商売だ。

春と夏に出版した本は2冊(どちらもゴーストライターです)。幸いにも2冊共に増刷され、
そのうちの夏に出した1冊(ノンフィクション)はすでに8刷目に入っている。
わずか2ヵ月で8刷は嬉しい。アマゾンの売行きランキングの上位にも顔を出している。
ライター冥利に尽きる、とはこのことだ。

今月は別の仕事も入っている。
テレビ関係の仕事で、ディレクターをやってくれと頼まれている。
しかし、まだそっちに時間を割く余裕などない。
原稿書きでアップアップなのだ。

ほんとうはブログの更新などやってる場合ではないのだけれど、
仕事の合間の〝箸休め〟といったところか。
気楽な文章を書くことでかえってリズムが生まれ、仕事がはかどるのである。
「文はリズムです」と師匠の夏彦翁はボクへの葉書にしたためてくれた。
そう、文章はリズムで書く。ボクなりのゆっくリズムで。

今日は台風の影響で朝から雨。
肌寒いような陽気で、短パン半袖はちと寒い(半年間はこのかっこう)。
「風邪だけはひくまい」と朝から気を引き締めている。



←秋の日のヴィヨロンのため息(ハァハァ←檀蜜)の
身にしみて、ひたぶるにうら悲し