2012年2月26日日曜日

防衛相は「無脳」?

民主党の顔ぶれを見ていると、つくづくいやになってくる。
どいつもこいつも口先ばかりの政治経済軍事オンチで、
寄ってたかって日本を破滅の淵に追い込んでいる。

「いっぺん民主党にやらせてみようよ」と、このアホバカ政党に票を投じた
定見のない愚か者たちを心底軽蔑したい。彼らの多くは自らの不明を恥じるどころか、
「やっぱ素人集団はだめだな」などと、他人事みたいに批評嘆息している。

しかしため息なんぞついている場合ではない。
野田ドジョウ内閣は、「適材適所」といいながら、国家の基本問題に
かかわる重要閣僚に次々と素人を充てているのだ。

国家安全保障にかかわる防衛大臣がその典型で、
北澤→一川→田中直紀と3代にわたって「シロウト→アホ→バカ」防衛相を
登用した。なにが適材適所だ、笑わせる。

2代目の一川保夫は記者団に対して、
「安全保障に関してはシロウトだが、これがほんとうのシビリアンコントロールだ」
と脳幹がシビれるような発言をしている。また沖縄の米兵による少女暴行事件(1995)
を「少女乱交事件」と言いまちがえた。「乱交」(←俺も入れてくれ!とはよくも言ったり。

田中直紀のお粗末さも目をおおうばかりだ。
かつて義父の角栄が、
「俺でさえ眞紀子とは15分もたないのに、直紀君は一生添い遂げてくれる
と言うんだから、たいしたやつだ」と言ってたそうだが、
国会でのあだ名は〝でかちん〟だそうで、
巨根伝説で名高いあの弓削道鏡の再来などと噂されている。

バカはでかい、などとよく言うが、自民党の石破茂は、
「あの人は〝無能〟ではなくて〝無脳〟
と、これまたひどいことを言っている。

3代続けてシロウト・アホ・バカ防衛相なのだから、
餓狼のような周辺諸国の喜ぶまいことか。現に尖閣でも竹島でも北方四島でも、
中露韓はそろって傍若無人の無法をはたらいている。

野田総理は自らをへりくだって「ドジョウ」と称した。
ドジョウは英語でloachといい、欧米メディアはそのまま訳して報じた。
手元のジーニアス英和辞典を引くとドジョウと並べて「ばか、まぬけ」と書いてある。
二次的意味として「バカ、まぬけ」があり、むしろこっちのほうが主意に近い。
「私はおバカな総理なんですゥ。みなさん、よろしくね」
謙譲の美徳も過ぎたるは何とやらで、泥鰌とはいかにも間が抜けてる。
これじゃ笑い物になるに決まってらァ。

↓ もっと笑いものになってるのがこの人。
頭の中には鉋っクズがつまってる?

2012年2月23日木曜日

匹夫の勇

津軽地方には「夜這い三段」という言葉がある。
夜這いが一人前になるには3年の修行が必要、の意である。

もともと「求婚(よばい)」と書き、いつの頃からか、
単刀直入に「夜這い」と書くようになった。
夜這って行く、というイメージにはいかにも動物的なおかしみがある。

夜這いの経験はあるか? と問われれば、
もう時効だからいっちゃうが、「Yes」だ。
四六時中発情していた若い頃の話だから、
古女房も笑って済ませてくれようが、
どこかケダモノじみていて思い出すだに恥ずかしい。


今は昔(明治~昭和の初め頃までか)、夜這いのいでたちは半纏に股引、
わら草履に手ぬぐいの頬っかぶりと相場が決まっていた。
で、いよいよ忍び込む段になると、半纏と股引を脱ぎ、ふんどしを外し、
スッポンポンに頬っかぶりという奇妙なかっこうになる。

なぜ素っ裸になるかというと、万が一、親爺や亭主に見つかった時、
泥棒と間違われないためで、ハダカは「夜這いですよ」という印でありサインだった。
泥棒は罪になるが夜這いは罪にならない。見つけた親爺も警察には
突き出さない。親爺にも身におぼえがあるからだ。

戸の開け方から入り方、畳の歩き方、這い方、夜具への入り方、
そして逃げ方と、一人前になるには人知れぬ努力と辛抱が要ったという。

夜這いは〝男の修行の場〟などといわれたが、
たしかにそんな一面はある。恥を知らぬ勇気とやけっぱちの胆力、
そしてオットセイのような絶倫の精力。この三拍子が揃い、
「うおーッ!」と一騎駆けするような匹夫の勇がないと、
敵の本丸を前にしてあえなく玉砕の憂き目を見る。

ピンポーン。
「はァーい、どなた?」
「夜這いです」
「間に合ってまーす」
「…………」

「鍵」というもので個人の生活ががっちりガードされている時代にあっては、
夜這いはニホンオオカミのように遠からず滅びの道を辿るだろう。
いやすでに滅びている。

雑魚寝や夜這い、盆踊りは日本の誇る代表的な性民俗だ。
だいいち宮本常一の『忘れられた日本人』など夜這い話のオンパレードではないか。
「日本料理」の申請もいいけれど、ついでに聖なる「夜這い」も
世界文化遺産の登録に申請してくださいな。




2012年2月20日月曜日

98歳-60歳=やる気?

銀座「カフェ・ド・ランブル」に久しぶりにおじゃました。
最近は持病の腰痛膝痛のため、歩くのがつらく、ほとんどひきこもり状態で
(ボクのことです)、外出はできるだけ控えているのだが、
ランブルのコーヒーが飲みたくなり、急遽出かけることにした。
〝ランブル詣で〟は1年ぶりである。

ランブルは日本の珈琲史に燦然と輝く名店で、御大の関口一郎氏は
本年5月で満98歳になる。さすがに杖を必要とするくらい足弱になってしまったが、
江東区森下の自宅から一人で毎日電車通勤しているのだからたいしたものだ。
なんだか死ぬ気がしないんだよ」と相変わらずのポジティブ思考。
御大とくだらないバカッ話をしているだけで気持ちが若返るような気がしてくる。

どうして死なないのか――本日の話題は実にそれだった。
「タバコもやるしパイプもやる。もう吸い続けて80年になるからね。
ふつうだったらとっくに肺ガンであの世へ行ってるところだけど、
呼吸器系や内臓疾患はひとつもない。食欲だって旺盛で、
何を食べてもうまい。死ぬ気がしないっていうのは実感なんだ」

店は甥っ子の林不二彦さんが実質的に仕切っている。
若い頃は郷ひろみに似たジャニーズ系のやさ男だったが、
今はすっかりごま塩頭のおっさんが板についたようで、
相変わらず愛想はないが、渋みが加わったぶんだけいい男になった。

この林さんが伯父の関口さんを年寄り扱いしないところがいい。
焙煎は老人虐待と思わせるくらいガンガンやらせるし、
関口さんの考案したミルを世に出すなど、
伯父の活躍を陰で支えている。年寄りから仕事を奪うと、
即ボケてしまうというが、生涯現役を謳う関口さんを見ていると、
長生きの秘訣を垣間見るような思いがする。

「去年、踏み台から仰向けに転げ落ちちゃってね……」
と言うなり腰に巻いたコルセットを恥ずかしそうに見せてくれた。
(恥ずかしがることないですよ、俺だって巻いてんだから)
40年近く年の差があるのに、腰に巻いているものが同じとは情けない。

去年死んだ母は晩年耳が遠くなったものだが、関口さんは耳も現役バリバリで、
小声で皮肉や悪口を言ってもすべて聞こえてしまう。
若さの秘訣はやっぱコーヒーでしょうかね
水を向けると、「そうとしか考えられないね」と御大はきっぱり。

「でもね、コーヒーといったっていろいろでね、缶コーヒーをガブ飲みしたんじゃ
たぶん早死にしちゃうだろうね(笑)。学者先生はコーヒーの効用なり害毒を
まことしやかにぶち上げるけど、それがどんなコーヒーなのか、書いてない。
肝心なのはそこなんだけどね(笑)」

還暦(35歳と300ヶ月と言ってる)を迎え、わけもなく意気消沈していたものだが、
98歳でなおも生命力の横溢する関口さんを見ていたら、
自分が嘴(くちばし)の黄色い青二才のように思えてきた。
(老け込んでる場合じゃないぞ! もっとガンガンやれィ!)
そうだ、もうひと踏ん張りして愛人をいっぱい作るんだァ!

生き仏を拝んだせいか気持ちが明るくなったようだ(単純なヤツ!)。
よしっ、景気づけに一杯やるべえ(あ~あ、結局そうなるわけね)。






←コーヒーの神様、関口一郎さん。
ほんとうの神様になりそうでならないところに
関口さんの真骨頂がある(なんだい、その言い方は)。








2012年2月17日金曜日

分際知らぬ芸ノー人

芸能人が「芸人」と呼ばれていた時代はよかった。
芸が光っていた。さすが、と唸らせるものがあった。

錦着て畳の上の乞食かな――戦前、世間は芸人を見くだしていた。
というより、素人と玄人、芸人と堅気が劃然と区別されていた。
だから千両とっても役者は乞食で、その千両は別物にした。

藤山寛美や勝新はその芸人魂のあった最後の人で、
稼いだ金はあぶく銭だといわんばかりに豪遊散財した。
貯金する輩は芸人の風上にもおけぬヤツ、と軽蔑した。

貯金をするとそれは次第にふつうの金、堅気の金に似てくる。
その金でアパートを建て、家賃を取り、料理屋を経営する。
世間には、長く修業しても自分の店を持てない板前がいる。
あぶく銭で店を持ったら、そうした堅気衆に申し訳が立たぬだろう、と。

寛美の懐古談。
「あっ、寛美だ」と子が指さした時、
およし、指が腐る」と
その手を払った母親がいたという。
芸人は長い間、こういう扱いを受けてきた。

淡谷のり子などは「遊藝稼人(かせぎにん)
という鑑札をもらい舞台に立っていた。
昭和15年まで芸人は1等から8等までの遊藝稼人だった。

だからといって、差別していたわけではない、区別していた。
世間は芸人の芸を愛し、芸人の側も芸は誇っても尊大さは微塵もなかった。
互いに分際をわきまえていたのである。

しかし戦後民主主義の時代になると、芸人は芸能人と呼び換えられた。
そしていつしか芸術家気取りのおっちょこちょいが出てくるようになった。
ジャーナリズムが持ち上げるので、「おれはひとかどの人物ではないのか」
と錯覚するものも続出した。次第に芸能人から〝才能〟が消え、
「芸ノー人」へと転落していった。

えんぴつ無頼の竹中労はかつて〝芸能界のドン〟と呼ばれた時期があった。
美空ひばりも錦之助も労さんがえんぴつ一本で育てあげた。
労さんは一目も二目も置かれた。あげくにひばりのお袋に向かって
「このクソ婆ァ!」とやってしまった。すっぱり縁を切られた。
「何とかしてこいつに天下をとらせたいと思っちゃう、ご先祖竹中半兵衛以来の
悪癖か……」(『芸能人別帳』)と労さんは苦笑い。

その労さんの威風に恐れをなした映画撮影所にはこんな立て札が。
「竹中労、右の者の立ち入りを禁ず」
「犬と中国人は芝生に入るべからず」よりは数段ましか。

しかし海千山千の労さん、痛痒を感じるどころかひと言。
「おれは右の者じゃない、左の方の者だからって入っちゃった(笑)」


←最後の〝芸人〟のひとり、藤山寛美

2012年2月12日日曜日

美味救心?

昨夜のディナーはカラス料理だった。
カラスの刺身にカラスの炙り焼き。

北関東のとある町のとある場所。
場所を明かさない約束で、全国各地から十数人が集まった。
ボクは今回が2度目。雑食性の長女もいっしょに参加した。

集まったのは新聞記者、料理学校校長、警察署長、市長、
大学教授、喫茶店主、NHK職員と多士済々。ひとくせありそうな面々が、
暮夜、人目を避けるようにして人家のはなれに集結した。

部屋のまん中には大きな囲炉裏。煤けた自在鉤には鉄鍋が掛けられ、
湯がグラグラ。囲炉裏端では竹串に刺したサンマやエビ、赤黒いカラスの肉が
じんわりと焼かれている。

この地域は伝統的にカラスを食するところ。寒ガラスはとりわけ美味で、
空気銃で仕留めた昨夜のカラスはどれも3年物のヴィンテージだという。

カラスを食べている、というと「気持ち悪ッ」と眉をひそめる人たちがいる。
クジラやイルカを食べる日本人を野蛮人扱いする傲慢な欧米人と同じ穴のムジナである。
彼らの好奇の目をさけるため、他言するにしろ写真を公開するにしろ、
「場所を特定しない」という約束事が交わされた。

炉端で燗づけした竹筒酒を酌み交わしながら、知らないもの同士でカラス談義。
肴はカラス以外にも、熊の手の味噌煮、鹿肉のロースト、蜂の子、そして
駱駝のペニス酒(強精酒だそうです)と、かなり怪しいものも混じっている。
前回はタヌキ汁もふるまわれた。珍味佳肴がこの会のテーマでもある。
カラス同様、雑食性の長女は「おいし~い」を連発しながらすべて平らげてしまった。

隣に座った警察署長。
「お近づきに、まァ一杯」と酒を勧めてくれた。
「あッ、畏れ入ります。でも、車で来ましたから……」
「まァ、いいから、いいから」
「(おい、おい)」←飲んでおりませぬ。ノンアルコールビール持参でした。

ところで熊の手は右手が美味といわれるが、その理由をご存知か。
「右手は蜂蜜をなめる手で、蜜の味がしみ込んでる。だから甘くておいしい。
じゃあなぜ左手はまずいのか? 熊は冬眠するでしょ。でも巣穴に外気が
入ってきて尻の穴がスースーする。で、左手で尻を押さえながら眠るんです。
だから不味い(笑)」
こんなホラ話を披露してやったら、全員大爆笑だった。


■追記
熊が左利きだったらどうするんだろ? 







2012年2月9日木曜日

どっちが夷狄だよ

「華夷秩序」というのがある。
簡単に言うと、中華思想をベースにした勢力均衡のことだ。

古代東アジアでは中華(漢民族)の周辺に夷狄戎蛮がいて、
中国を宗主国として崇め朝貢をしていた。
中国は「子分になるなら王として認めてやってもいいぞ」
とばかりに親分風を吹かし、お返しに貢ぎ物に倍する賞賜を与えた。
冊封(さくほう)制度ともいったが、こうやって中国を中心とした
バランス・オブ・パワーが保たれていたのである。

この華夷思想のおもしろいところは、文明の中心地である中国
から離れれば離れるほど野蛮になっていくという考え方だ。
だから東夷と称された朝鮮と日本では、中国に近い分だけ朝鮮の
ほうが開明度が上、という理屈になる。

中国が「親」なら朝鮮は「兄」で、東海の果ての日本は不肖の「弟」だ。
おバカで野蛮な弟分の日本に、文化文明の何から何まで、手とり足とり
教えてやったのに、あろうことか「兄」の国を併合し、恩を仇で返した。
韓の国の人たちは、二言目にはこういって恨みがましい顔をする。

中国に対しては顔色をうかがい、ひたすら事大主義的だった朝鮮は、
この華夷思想にどっぷり浸かっていて、何かというと日本を「格下」に
見たがる傾向があった。いや、今もあるだろう。

しかし日本は朝鮮なんかとはまるで違う。なんといっても、
《日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや》
とする国書を隋の皇帝に送りつけた国である。
ハナから中国の子分だなんて意識はない。

話は変わるが、昨年韓国の李大統領が来日した際、
無礼千万にも従軍慰安婦(この言葉自体存在しない)問題を持ち出してきて、
「日本が補償しないと第2、第3の慰安婦像が建つぞ」と脅した。

首脳会談で臍下三寸の話を持ち出すこと自体が異例だし、
だいいち外交儀礼に著しく反している。
脅しあげて金をゆする手口は北とまったく同じである。
おそらく(華夷の序列では)格下の日本には何を言ってもかまわない、
とでも思っているのだろう。

その恫喝に対して野田総理が反駁したという話は聞かない。
もしもボクが総理なら、こんなふうに受けてやる。
「じゃあ聞くけど、あんたんとこの軍隊は、あのベトナム戦争時、
現地女性との間に混血児をいっぱいつくったと聞いてるぞ。
その事実を歴史教科書に載せ、子供たちに教えているんだろうね? 
第2、第3の少女像を建てるだ? ああ、けっこうだね。
どんどん建ててくれ。景気よく千個、万個と建ててくれりゃあ、
あんたの国が売春婦の国だってことが世界中に知れわたり、
大いに面目をほどこすことだろうよ」

1960~70年代のベトナム戦争の頃、韓国軍は約10年にわたって
延べ31万人の軍隊を派遣した。その結果、韓国のマスコミ報道によると
推定5000~7000人の混血児をベトナムに置き去りにしてきたという。
日本の歴史教科書に従軍慰安婦のことを記述せよといいながら、
自国軍隊のハレンチ行為には平気な顔して頬っかむりなのだ。
そいつァ通りませんぜ、李さんよ。

これもみな韓流ドラマや整形好きと根っこは同じ。
中国と同じ穴のムジナで、ウソで固めた国なのだ。
某歴史家曰く、
《わが国にとって歴史とはヒストリーである。
支那にとって歴史とはプロパガンダ(←北京五輪の開会式を見よ!)である。
そして韓国朝鮮にとって歴史とは、ファンタジーである》


2012年2月4日土曜日

子狸の成人式

椿山荘を訪れるのは十数年ぶりだ。
バブル期、併設されているフォーシーズンズホテルを
全館丸ごと取材したことがあって、館内のあらゆるところを
見て回った。あの時はモデルを使って庭のあちこちで撮影したっけ。

久しぶりに園内を散策したら、こんな立て札があった。
「この庭園には野生のタヌキの一家が暮らしています。
タヌキと人間が安全に共存できるよう、
ご理解とご協力をお願いします」

約2万坪あるという林泉回遊式の日本庭園。
池や滝、水車に三重塔。多くの樹木や花に覆われた
都内屈指の緑地帯であれば、タヌキ一家が借りぐらし
のアリエッティを気取っていても不思議はない。

こんな高級で場違いなところに、どうして振り袖姿の子ダヌキ(狸おやじの娘です)
連れていったのかというと、成人式の写真を撮るためだ。
次女はちょうど英国に留学中だったため、成人式に出られなかった。
晴れ着も着られなかった。そこで2年遅れではあるが、
写真だけでも記念に撮っておこう、ということになったのだ。



←澄まし顔の次女。つい最近までオムツをして
いたと思ったら、もうこんなに大きくなってしまった





←聖マリア大聖堂。結婚式は寒い寒い日であった。
式の費用はケチりにケチって締めて10万8000円なり。







いつまでもネンネだと思っていたら、いつのまにか生意気な娘に変身していた。
無常迅速。月日の経つのはほんとうに早い。ぼやぼやしていると
あっという間に白髪白髯のジジイになってしまう。←もうなってるよ!

目白通りを挟んだ椿山荘の向かいには、丹下健三が設計したという
東京カテドラル聖マリア大聖堂が聳え立っている。
ボクと女房はおよそ30年前、この教会で結婚式を挙げた。

30年間、別れ話もなく、曲がりなりにも夫婦でいられたのは、
ひとえにマリア様のおかげです、と祭壇に向かって囁くように
(女房に聞かれると図に乗るもんで)お礼を言ってきた。
近頃は年のせいか実に素直な好々爺になってしまった。

次女は今春から社会人。ようやく親の庇護から離れ、
経済的に自立する。といってもしばらくは自宅通勤だから
「半自立」といったところか(←その後、会社の寮住まいに)。

それでも超氷河期と呼ばれる就職戦線を
やっとこさっとこ勝ち抜いてきたのだから、
子ダヌキとはいえ根性だけはある、
と、ここは親バカダヌキになってちょっぴり褒めてやろう。
がんばるんだぞ子ダヌキ!