2013年3月29日金曜日

老後のお愉しみ

ボクは時代小説・歴史小説が好きで、古くは岡本綺堂の『半七捕物帳』に始まり、
柴田錬三郎、海音寺潮五郎、子母沢寛、池波正太郎、司馬遼太郎、藤沢周平、
津本陽と、それこそ手当たり次第に読んできたが、藤沢周平が亡くなってからは
急に読書意欲がうすれ、ここ数年、池波の『剣客商売』を時々読み返すくらいで、
新しい作家の作品には目もくれなかった。
(どうせ大したことないだろう……)
以前、新進作家のできばえにガッカリさせられた経験が幾度となくあったので、
若手作家にはほとんど期待していなかったのである。

それがどうだ。喰わずぎらいとは恐ろしいもので、こんな名人がいたとは知らなかった。
佐伯泰英という作家で、巷では圧倒的人気があるらしいが、今まで手に取ることはなかった。
きっかけはテレビのドラマである。義母がたまたま正月元旦に放映されたNHK正月時代劇
『御鑓拝借 酔いどれ小藤次留書』という番組を見た。それがとびきり面白かったと、
ごく最近になって女房に伝えたものだから、そんなに面白かったのならダメモトで原作を
読んでみるか、とさっそくアマゾンに注文してみたのである。

一読三嘆。面白いのなんのって。『酔いどれ小藤次シリーズ』はほぼ1日1冊のペースで、
すでに10巻を読み切ってしまった。また同時並行して『古着屋総兵衛シリーズ』も同じく
1日1冊ペースで読んでいるので、肝心の仕事がはかどらず困っている。

佐伯氏はボクより10歳年上で、最初はスペインを舞台にした小説を書いていたのだが、
まったくといっていいくらい売れず、ついには編集者から廃業をやんわり勧められる。
崖っぷちに追いつめられたわけだが、起死回生を期して書いた時代小説が大受けで、
今や押しもおされぬベストセラー作家になった。ほぼ20日に1冊の割合で量産している
というから、驚異的なハイペースというべきだろう。

それでいて粗製濫造どころが人物造形がしっかりしていて、物語性も豊饒そのもの。
何より文章がいい。硬質で端正。ほんわかとしたユーモアがあり、温かい。
おまけに時代考証がしっかりしているので歴史の勉強にもなる。
世の中には文才豊かな人がいるものなんだな、とボクなんかひたすら脱帽している。
あんまり急いで読んでしまうと、それこそ老後の愉しみがなくなってしまうので、
1日1~2冊主義はひとまずやめて、これからはもっとスローな熟読玩味の方向へ
舵を切ることにする。もったいないから、舐めるようにして読むのだ。

ああ、それにしても時代小説はなぜかくも面白いのか。
無趣味人間のボクには〝読書尚友〟しか興味がない、と再三繰り返しているが、
無趣味の本好きに生まれてほんとうによかった、と心の底から思っている。

一斗五升の酒を飲み、寝酒にさらに三升飲むという大酒飲みの赤目小藤次。
テレビドラマでは竹中直人が主役を演じたという。イメージとしては原作にピッタリで、
風采が上がらず、もくず蟹みたいな顔もそっくりだ。もしも再放送されたら、
こればかりは絶対に見てみたい。



←ご存知『酔いどれ小藤次シリーズ』。
だまされたと思って、ためしに2~3冊読んでみてくださいな。
絶対にハマります。



 

2013年3月17日日曜日

伝説の「もか」甦る

吉祥寺「もか」といえば〝感動を誘うコーヒー〟として知られたものだが、
2007年12月に店主の標交紀(しめぎ・ゆきとし)が亡くなると同時に店を閉め、
いまは「チャイナブレイク」という紅茶専門店に変わってしまっている。

作家の故・埴谷雄高はこの「もか」の常連で、飲むのは決まって
イエメンのモカ・マタリだった。標は最初、この人物が誰だか知らなかった。
別の馴染みの小説家(たぶん村松友視だろう)が、
「へーえ、埴谷先生も来てるんだね」
と感心しているものだから、
「埴谷先生って何ですか?」
と、すっとんきょうな声で尋ねたのがそもそもの始まりだ。
「おまえ埴谷先生を知らないのか。あの先生の本が翻訳されたらノーベル賞もんだよ。
だけど難しすぎて誰も翻訳できないんだ(笑)」
標は慌てて本屋に飛び込み、埴谷雄高の本を片っ端から買い込んだ。
「でもね、どれも最初の5ページ読んだだけで眠くなっちゃって……」

それはそうだろう。埴谷の代表作『死霊』などはドストエフスキーの作品を多分に意識した
思弁的小説とされ、中には〝自同律の不快〟などという形而上的な命題も出てくる。
また「あっは」とか「ぷふい」といった大ぶりな言語表現にも戸惑い、
なかなか先へ読み進められない。ボクなんか何度も挫折し、
ついに読み切ることができなかった。
最初の5ページを読んだだけでも立派なものなのである。

俗に「士大夫三日会わざれば刮目(かつもく)して待つべし」という。
男子たるもの(もちろん女子でもいいのですが)は3日も会わないと思わぬ成長を
しているものなので、注意深く観察し、それなりに遇するのがよろしい、という意味だ。
標もよく同じようなことを言っていた。弟子たちのコーヒーも3日ならぬ3ヵ月経ったら
進化していなくてはいけない。「変わらないのは怠けているからだ」と。

そんな厳しい師匠に鍛えられた弟子たちが一堂に会し、来る3月24日(日)、
三鷹の「中近東文化センター附属博物館」(10:00~16:00)で〝もかリバイバルカフェ〟
をオープンする。標が集めたコーヒー器具コレクションに囲まれながら、往年の「もか」の
雰囲気と味を再現しようという試みだ。3月14日付けの朝日新聞朝刊には
伝説の店 あの一杯を再び』というタイトルで紹介記事が掲載された。日頃、
朝日の悪口ばかり書いているボクも、電話取材には快く応じてやった。
士大夫(へへへ……ボクのことです)ともなると、人間の度量が凡人などとは
ちょっとばかりちがうのである。

というわけで、当日はボクも陣中見舞いに行くつもり。
〝コーヒーの鬼〟と呼ばれた標交紀のコーヒーを飲んだことがない人。
全国から集まる弟子たちがその〝幻の味〟を再現するので、
ご用とお急ぎでない方はぜひ味わってみてほしい。
この附属博物館は31日をもって閉鎖されてしまうので、
おそらく「もか」のコーヒーを味わうラストチャンスになるだろう。



※追記
当日はすごい人出だった。
(これほどにも「もか」のファンが多かったとは……)
立錐の余地がない。かろうじて標未亡人の和子さんと毎日新聞記者の明珍さんの間に
割りこんだかっこうだ。和子さんには無沙汰を詫び、近況をそれとなく聞いた。
相変わらずコーヒーは飲まない。夫の死後、あれほど好きだったコーヒーを
自ら断っているのだ。というより飲めなくなってしまったのだという。
会にかけつけてくれた弟子は山形「コフィア」の門脇さん、新潟「交響楽」の湯川さん、
兄弟弟子に当たる港区「ダフニ」の桜井さん。あまりにお客が多すぎて、
言葉を交わす時間もない。門脇さんがたててくれたコーヒーは、往時の「もか」のそれを
彷彿させる美味なものであった。みなさん、お疲れさまでした。





2013年3月15日金曜日

ウソで固めた独立記念日

安倍内閣が4月28日を日本の「独立記念日」にするという。
サンフランシスコ講和条約が発効し、日本がアメリカ単独占領から解放され、
真の主権を回復したのが1952年4月28日だ。1945年8月15日の敗戦から6年とちょっと。
この間、国際法上は日本はずっと〝戦争状態〟にあった。

ボクはブログの中で再三にわたって自分を〝戦中派〟と言ってきたが、
その意味はボク(1952年2月生まれ)が法律上の〝戦時下〟に生まれてきたからだ。
日本人の多くは「8月15日」の意味を知ってはいるが、「4月28日」のことを
知る人はまれで、今回の政府決定は遅きに失している、とボクは思っている。

さてここで、ボクは日本の独立記念日(主権回復日)のことを言いたいわけではない。
隣国・韓国の独立記念日のことに少しふれたいのだ。韓国では日本の敗戦記念日に
合わせ、1945年8月15日を「日本の植民地支配から解放され独立した日」として
〝光復節〟のお祝いをしているが、これがとんだインチキなのである。

1945年8月15日、朝鮮は日本の降伏とともに自治権(独立権ではない)を獲得する。
当時の朝鮮総督府が統治権を朝鮮人に付与すると発表したのだ。すると、すかさず
朝鮮総督府から日の丸がおろされ、代わりに太極旗が翩翻とひるがえった。

ところが9月8日にアメリカ軍が進駐してくると、その太極旗は引きずりおろされ、
代わりに日章旗が再び掲げられた。当時のアメリカとソ連は朝鮮人に統治能力など認めず、
朝鮮半島はあくまで「日本の一部」としたのである。そして翌9日、日本の朝鮮総督府と
アメリカとの間で統治権移譲の手続きが完了し、今度はアメリカの星条旗が掲揚される
こととなった。

そしてほどなく、ソ連は朝鮮半島の北半分を、アメリカは南半分をそれぞれ占領支配し、
軍政下におくことになった。そして3年後の1948年8月13日、韓国は〝アメリカの軍政〟
からようやく独立した。アメリカとしては独立させる気などなかったのだが、米ソ冷戦の最中、
戦略上どうしても独立させざるを得なかった。韓国の独立はアメリカによるご都合主義の
たまもので、いわば棚からぼた餅式に獲得した代物なのだ。

しかるに韓国の初代大統領の李承晩はこの事実を歪曲し、8月15日を「光復節」とする
ことで、「我われは(アメリカなどではなく)日本の植民地支配から解放された」と喧伝、
愛国心を煽って求心力を高めようとした。

またソウル特別市にある「独立門(旧迎恩門)」は清からの独立を記念して建てられたもの
日清戦争に日本が勝利し、下関条約によって朝鮮国は大清帝国からの独立を果たしたで、
屈辱的な中華帝国の属国という立場(1000年以上続いた)から日本が救い出してくれたのに、
日本に独立させてもらったという事実もまた恥ずべき歴史なので、旧迎恩門のことも
下関条約のことも、現在の韓国の歴史教科書には載っていない。
そしてあろうことか、「独立門」は日本からの独立記念というふうにねじ曲げてしまった。
都合のわるいことはひた隠しに隠し、自分らの都合のいいように平気で歴史を捏造する。
「ウソで固めた国」というより、この国はほとんど病気なのだ

独立記念日でさえ自分たちの都合のいいように変えてしまう韓国。
こんなインチキだらけの国が図々しくも「日本は歴史を直視してほしい」などと
お説教まで垂れるのだから開いた口がふさがらない。あの国の人間は〝恥〟というものを
知らないのだろう。

歴史も大ウソ。何でもかんでも韓国起源(キリストも孔子も韓国人で、最近ではメソポタミア文明も
韓国人が興したなどと言っている)を唱えるウソ八百。高度産業技術だけでなく仏像までも
盗んで頬被りしようとする厚顔無恥。そして顔も身体も整形手術で変えてしまおうとする
ウソで凝り固まった歪んだ精神構造。
韓国=ウソで固めた国」という定理は、まず当分崩れることはないだろう。



2013年3月12日火曜日

左右対称は美しい?

異文化を理解するのはほんとうにむずかしい。
東アジアの日本人、支那人、韓国人は見た目がそっくりで、欧米人には区別がつかない
といわれている。しかし外見が似ているからといって内面まで似ているとはかぎらない。

韓国人と日本人の恋人同士が、あらたまったところで食事をすると互いに幻滅するという。
日本人男性は茶碗を口元までもっていき、器の端に口をつける。韓国人女性は味噌汁の
椀中にごはんを入れ、かき混ぜて食べ始める。たぶん二人は内心こう思うだろう。
(ウ、ウ、ウソだろ? なんて下品な食べ方をするんだ……)

日本人と韓国人が不幸なのは、両者が両者の食事作法を互いに下品だと感じてしまうことだ。
韓国人の女性は往々にして立て膝をしながら犬食い(これはお互いさま)するし、食べる際に
くちゃくちゃと音をたてる。韓国では咀嚼音を出すほど「おいしく食べています」の意思表示に
なるため、西洋人が耳をふさぎたくなるほど威勢よく音を立てて食べる。一方、日本人は
銘々膳の伝統からか、器は手にもって口元までもっていく。韓国人はこれを見ると、
(まるで犬だな……)
と心底幻滅してしまうらしい。

さて、ボクはしばしば韓国人の整形好きを批判したり茶化したりしてきたが、
少しく誤解があったようだ。儒教的倫理からすると、父母から受け継いだ
身体髪膚を毀損することは人倫にもとることで、韓国人もそう考えているはず、
と思い込んでいた。実際、儒教思想に凝り固まった両班ともなると、髪や手足の爪に
いたるも父母より受けた恩、切ることかなわぬと、髪はのび放題、爪は熊手のようになり、
外に出てケガでもしたらこれまた父母に申し訳ないと、死ぬまで部屋にこもり四書五経を
読みふけっていた、などという逸話も伝わっている。

しかるに現代コリアンは、整形手術のし放題。ボクはそれを儒教道徳の堕落と見たわけである。
ところがどうも違うらしい。儒教的規範には別に、「外見をきちんと整えることが内面を
きれいにすることに通ずる」という考え方があるらしい。それも非対称はよくない。
左右対称が美しいとされ、整形する時もシンメトリー(相対称)な顔をひたすらめざす。

中国人も漢詩などで対句づくりに腐心してきたが、この〝対概念〟も根は儒教思想にある。
中国人にとって、均衡のとれていないものは「美」ではないのだ。この考え方が朝鮮半島に
伝わり、「左右対称のものが美しい」という美意識を生んだものと思われる。だから、
「KARA」にしろ「少女時代」にしろ、どの顔も左右対称で体つきまでシンメトリーになっている。

一方、日本の誇る「AKB48」は顔も非対称でスタイルもバラバラ。脚も格別長くはない。
韓国人のめざす「スキのない完璧に整ったものが理想的な美」というものにはほど遠い。

そういえば、韓国人は器などでも左右対称を好むが、日本人は逆にややバランスを崩した
左右非対称なものに美しさを感じたりする。手捻りの陶器なども、わざとヒビや〝ゆがみ〟を
入れたりする。これは銘々膳の長い伝統(器を手に持たなくては食べられない)から、
食器を掌で撫でたりさすったりしているうちに、日本独特の美的感覚を育んできたからだろう。

花にしても満開のままの状態を好む韓国人。韓国人の造花好きはそんなところに淵源が
ありそうだ。日本人は逆につぼみの花や散りかけの花に言いしれぬ風情を感じたりする。
両者はまったく逆の美的感性をもっているのである。どちらが正しい、というのではもちろんない。
ただ、異文化交流のむずかしさをあらためて感じてしまうのだ。

しかし理解は誤解から始まるという。
「KARA」より「AKB48」が断然いい、とは思わないし、
あの丸出しの幼児性にはほとほと閉口するが、
やはり人工的な美より自然美のほうがいい、とは思う。
たとえ美しくても造花だけはいただけない

2013年3月7日木曜日

自転車にのらない韓国人

韓国人は自転車に乗らない。
ソウルの街を歩いても地方の町々を歩いても、自転車をこいでいる人を
ついぞ見かけることはない。韓国人が日本へ旅行に来てまず最初に驚くことは、
日本の女性たちが颯爽と自転車に乗り、風のように街を走り抜けていく姿だという。

以前、「肉体を労する国」でもふれたが、韓国人は肉体を労することをきらう。
ボクなんか名前からして汗くさい〝労〟だから、韓国人は「きっと奴隷の子孫にちがいない」
などと思うに違いない。さて、自転車に乗るにはペダルをこがなくてはならない。
儒教的イデオロギーからすると、そもそもこの〝激しく運動する〟という行為が
ペケなのである。自転車に乗っているだけで〝下層階級出身の下品な人間〟
と思われてしまう。

朝鮮半島にはこんな諺がある。
両班(ヤンバン)は溺れても犬掻きはしない←とっとと溺れてしまえ!
死にそうな目に遭っても汗をかくことだけは願い下げ。
そういうお下品なことは奴婢(ノビ)にまかせておけ、という理屈らしい。

だからミニをはいたまま自転車に乗っている若い女性や、赤ん坊を背負い、
こどもを前と後ろに乗せて曲芸まがいに自転車を操る日本のヤングママを見ると、
腰を抜かすほどビックリしてしまう。韓国でそんなマネをしたら、
刺すような、そしてまた憐れむような視線を一身に浴びてしまう。

韓国が異常なほど教育熱心なのは、「大学さえ出れば両班(もどき?)になれる」と
多くの庶民が信じているからだ。事実上、身分制度はなくなったはずなのだが、
勤労というものに対する李朝時代からの価値観が今日までずっと尾を引いている。
学問のあるものはホワイトカラーになり、ないものは汗と泥にまみれる肉体労働に
従事する。そして薄給に甘んじる。日本ではホワイトカラーによるブルーカラー差別
など存在しないし、社長自ら率先して便所掃除をするようなお国柄だが、韓国は違う。
大卒以上でないとそもそも人間扱いされない。

たぶんそのせいだろう。ボクが取材したビビンバ専門店やコンナムルクッパ専門店
(どちらも超繁盛店だった)のご主人は、どこか卑屈に見えた。息子たちにはこの仕事を
継がせたくないとまで言い切った。だから韓国には飲食店の老舗がないし、
匠と呼ばれる誇り高き職人たちもいない。飲食店オーナーの中には「私は両班の出身です」
と胸を反らせるものもいた。たぶんこの国では、便所掃除のオバちゃんだって両班(貴族)
出身と言い張るだろう。

韓国が世界有数の差別国家だということはよく知られている。
身分差別以外にも慶尚道による全羅道差別や、済州島出身者などへの島差別、
それと在日韓国人や外国人(特に黒人)、身障者や女性への差別と枚挙にいとまがない。
なにしろ病身舞(ピョンシンチュム)というのがあるから呆れる。ハンセン病患者や小人、
身障者などをマネた踊りで、宴席などの余興として披露され、みなで笑いころげる。
日韓併合時に日本政府が禁止させたが、日本敗戦後、また復活したという。
韓国・朝鮮人の差別意識は骨がらみなのである。

1980年代、当時の全斗煥政権下で権勢をふるった大統領の某側近(慶尚道出身)は、
日本の政治評論家にこう語ったという。
在日韓国人が日本で差別されるのは当たり前ですよ。なにしろ、
在日は大部分が全羅道か済州島の出身者ですからね》

韓国人女性が整形に走り、顎やエラを削り、二重瞼にして眼を大きく見せたがるのも、
すべてこの〝差別意識〟に根っこがある。美人でなければ就職もできないし結婚もできない。
ブスは人間じゃない》と平気でいう韓国人男性(←おまえだって不細工じゃないか!)
の旧弊で前近代的な意識があるかぎり、韓国人女性は未来永劫、
子々孫々まで整形し続けなければならないだろう。

なんとみじめで悲しい国なのだろう。そして、なんと息苦しい国なのだろう。
庶民はおろか大統領までもが整形し、そのことを恬(てん)として恥じないというのは、
またなんと慎みのない国なのだろう。なんと(民族的)誇りのない国なのだろう。
婚期を逃した女性たちが海を渡って日本へ逃れてくる気持ちが分かるような気がする。

儒教イデオロギーに骨がらみで染まってしまうとこんなふうになってしまう。
儒教ではなく儒学の摂取だけにとどめた我らがご先祖は、実に賢いという外ない。
日本人に生まれてほんとうによかった。