2010年9月28日火曜日

軟弱ニッポン

子供の頃は、どっちかというといじめられっ子であった。
いじめっ子というのは、弱みを見せると嵩にかかって攻めてくる。
彼らの標的にならないためには、決してスキを見せないことだ。

窮鼠猫を噛む、という俗諺があるように、ネズ公だって追いつめられれば反撃する。
僕もあるとき反撃に転じ、天敵の悪太郎と取っ組み合いのケンカをおっ始めた。
そしてどういうわけか、僕はその悪たれを地べたに組み伏せてしまったのだ。

その時の誇らかな気持ちは、今でもしっかり憶えている。
実にあっけなく勝負は決まってしまったのだが、
意外にも冷静に、しかもパワフルに戦える、という事実に
まず自分自身が驚いてしまった。

それまで殴り合いの経験など一度もなかった。その後、
何度か取っ組み合いの経験を積んだが、ケンカ上手にはなれなかった。
殴り合っている間は緊張し、アドレナリンを出しまくっているから、
痛みを感じることは少ないが、終わったあとは、拳が腫れ上がり、
端正な顔?がぐちゃぐちゃになってしまう。

学んだことはいくつかある。
①顎にしろ頬骨にしろ、骨というものはおそろしく硬いこと。
②ケンカは先手必勝。常に攻めの姿勢を堅持し、迷いなく戦うこと。
③戦っているときは相手の目を見据え、終始無言を貫くこと。
④いつでも戦えるように日頃から身体を鍛えておくこと。

殴り合いを機に、いじめはなくなり、互いに一目置く間柄になった。
「ハハーン、男同士の友情というのはこんなふうに生まれるんだな」
僕は人生における至極大事な定理を学んだような気がした。

中国は図体の大きないじめっ子そのものだ。
弱みを見せるとすかさず攻めてくる。他人の家の庭にまで押し入り、
「これは俺んちの庭だ」と声高に言いだす始末。ご近所さんも、
今やいじめっ子君の言い分にも理がある、などと言い出している。

1982年3月、イギリスとアルゼンチンとの間でフォークランド諸島の
領有権をめぐって戦争が始まった。当時の英国首相サッチャーは
〝鉄の女〟の異名にたがわず、常に強硬姿勢を貫き行動した。
サッチャーは言った。
《我われが1万3000キロも彼方の南大西洋で戦ったのは、
領土やフォークランド住民ももちろん大切だったが、
それ以上に大切なことのためだった》

その大切なことというのは何か。サッチャー曰く、
それは国の「名誉」であり「国際法」であると。
法の原則が力の行使に屈服してはならない、
と彼女はあくまで原理原則を貫いた。

ああ、我がニッポンに〝鉄の男〟はいないのか。
ぐるりを見回せば目につくのは誇りも気概もない、
口先だけのフニャチン男ばかり。
真の外交を心得たしたたかな喧嘩上手はいないのか。
このままではサムライ日本の名がすたる。

2010年9月25日土曜日

読書で気慰み

ヤケ酒を飲んでもヤケ食いをしても、この鬱屈から逃れられそうにないので、
今は「ヤケ読み」をしている。つまりヤケクソの読書で気散じをしている。

鬱屈の原因は、いうまでもなく尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件である。
日本政府はとうとうarrogantな成金中国の前に膝を屈してしまった。
無理が通れば道理引っ込む――この失態は後々まで祟り、
日本人の誇りは限りなく傷つけられるだろう。

こんなふうに気分がムシャクシャした時は、たいがい酒を飲んで憂さを晴らすが、
今回はなぜか本を読む。お奨めは、英国作家R・D・ウィングフィールドの
ジャック・フロスト警部シリーズだ。フロスト警部はロンドン郊外デントン市の名物警部。
刑事コロンボみたいにヨレヨレのスーツとコートを一着におよび、
あたりかまわずお下品なジョークを飛ばし、女性を見れば卑猥な妄想をたくましくし、
すきあらば豊満なヒップに指を立てるといったセクハラを平気でする。

ならばコロンボみたいに頭脳明晰かというと、そうともいえず、
捜査はいつも行き当たりばったり。いよいよ真相に迫ったかと期待すると、
必ず裏切られガッカリさせられる。でもこのしょぼくれ警部、
いっこうに風采の上がらぬダメおやじだが、実にしぶとい。
犬猿の仲の署長からどんな悪態をつかれようとも柳に風で、決してめげない。

イギリス流のブラックなユーモアが全編にあふれ、読み終わると、
きれいなネエちゃんとinappropriateなrelationshipを結んだ時のような
満ち足りた気分にひたることができる。警察小説はそれほど得意な
ジャンルではないが、フロスト警部・シリーズだけは別。僕のイチオシは
『フロスト気質・上下』で、900頁にもおよぶ大部ながら、
読み始めたらジェットコースターみたいに止まらなくなる。

腰抜けニッポンのぶざまな外交にはほとほとガッカリさせられるが、
同じぶざまでも、フロスト警部のそれにはそこはかとないユーモアと光明がある。
《浮世のことは笑うよりほかなし》と山本夏彦は言った。
僕も師匠に倣い、渋っ面ながら苦く笑うことにしている。

2010年9月21日火曜日

いやな隣人たち

中国って国はつくづくイヤな国だなあ、と思う。
尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件。逮捕された中国人船長の
拘置延長が決まったことで、中国側が激しく反発している。

盗っ人猛々しくも、中国は尖閣諸島(中国名は釣魚島)を自国領土だ
と言い張っている。そのため、日本の国内法による船長の処分はどうあっても
容認することはできない。日本の主権を暗に認めてしまうことになるからだ。

一方、逆のケースで日本の企業や観光ツアー客がロシアのビザ(査証)で
北方四島に渡航したという報道があった。火事場ドロボーみたいに
北方四島をむりやり占拠しているという現状を、占拠されている側の国民が、
無知ゆえか確信犯なのか、追認してしまうというヘマをやらかしてしまった。
こうしたおバカな日本人がいるから、話がややこしくなる。

ロシアに不法占拠されている北方四島には領土問題が存在するが、
尖閣諸島には領土問題など存在しない。共産中国と台湾が石油や
地下資源欲しさに勝手に領有権を主張しているだけである。
それも1970年前後に、国連の海洋調査でイラクの埋蔵量に匹敵する
石油資源がある、と報告された途端に、「あの島々はおれのものだ」
と我がちに言い出したというのだから、なんとも浅ましい隣人たちである。

国益がからめばサギをカラスと言いくるめるのが外交で、
性善説の鳩山のお坊ちゃまを担ぎ上げた民主党には、その理屈が分からない。
スキを見せたら尻の毛まで抜かれてしまうのが外交のリアリズムだというのに、
日本政府は「ただ粛々と見守るだけ」などとのんきなことを言っている。

中国人観光客が激減すれば、日本経済にも悪影響をおよぼす、
などと経済界からも懸念の声が寄せられている。中国人観光客の
落とすカネは平均14万円弱。12万円台のアメリカ人を大きく上回っている。
そのせいなのか、近頃、街角でも車内でも中国人観光客がやたら目につく。
そのかしましいこと。

まさか自国領土と中国マネーを天秤にかける、などという愚は犯すまいが、
中国が日本経済浮沈のカギを握っている、とばかりに大騒ぎするのは
なんとも情けない。

たかが経済ではないか。カネ勘定より大事なものがあるだろう。
戦後65年、日本人はその「大事なもの」を忘れ、上目づかいに中国人の顔色を
うかがいながら一喜一憂している。人間、落ち目にはなりたくないものだ。

2010年9月15日水曜日

自虐趣味

先月から今月にかけ、わがrabbit hutch(ウサギ小屋)に、
断続的に3人の客が泊まった。わが小屋は曲がりなりにも4LDKで、
2~3LDKよりは恵まれている、といえようが、4人家族にたった1名加わるだけで、
まず寝床の心配をしなくてはならなくなる、というのがなんとも情けない。

この「ウサギ小屋」という日本の劣悪な住宅事情を象徴する言葉は、当初、
cage a lapinというフランス語だった。ECで日本の報告書を作成した折に使われた
もので、それが英語rabbit hutchに直訳され、そのまま日本語の「ウサギ小屋」
になったのである。
 
フランス語の報告書にはこうあったという。
《日本人はフランスで俗に『ウサギ小屋』と呼ばれているのと同じタイプの
〝狭くて画一的な〟都市型集合住宅に住んでいる》

ここには「ヨーロッパに比べ、劣悪な住宅に暮らしている」というニュアンスはない。
フランスでもよく見かける「ウサギ小屋」と呼ばれる狭い画一的な住宅に住んでいる、
と言っているだけで、決してバカにしたわけではないのだ。それがいつの間にか、
劣悪な家に住み、狂ったように働く仕事中毒の日本人――というニュアンスに
変わってしまった。たぶん自虐的な日本のマスコミの仕業だろう。

これと似たものに《日本人の精神年齢は12歳》というマッカーサーの言葉がある。
これは1951年、アメリカ上院軍事外交委員会においての発言で、
マッカーサーは民主主義の成熟度についてこう語ったという。
《アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年。
日本ならば理想を実現する余地はまだある……》

ドイツは成熟した民主主義を有しながらファシズムに傾斜していってしまった。
そのドイツと比較して、日本なら理想的な民主主義を実現できるだろう、
としたのがこの発言で、どっちかといえば日本を擁護した文脈だった。

ところが「12歳」という部分だけが勝手に一人歩きし、
日本人は精神年齢の低い未熟な国民、
とまるで侮辱されたかのようなニュアンスに変わってしまった。
まったくの誤解で、マッカーサーにしてみれば至極心外なことであっただろう。

精神年齢12歳」の日本人は、狭くて劣悪な「ウサギ小屋」に住んでいる
――どちらも誤解の産物だったが、つむじ曲がりの僕は、
誤解どころか事実そのものではないか、とむしろ感心しているくらいで、
民主党政権の無策ぶりと小児病的ドタバタ劇を見るにつけ、
最近ますますその意を強くしている。

2010年9月10日金曜日

国家と民族

南北朝鮮は同じ民族同士なのだから、いずれは統一国家になることが望ましい?
僕たちはふつう同じ民族同士なら、同じ国に住むべきだと単純に考えがちだが、
「一民族一国家」が必然であるかどうかは、それほど自明なことではない。

世界の国の数をおよそ200としよう。一方、民族の数は少数民族で約3000、
主要民族で200はあるから全部で3200くらいはある。つまり単純に均してみると、
1つの国が平均16の民族を抱えるという計算になる。アメリカやロシア、
ブラジル、中国といった国は多民族国家だ。中国は55の民族を抱えているし、
あの小国ベトナムだって50以上の民族を抱えている。

一民族が一国家を形成すべく〝民族自決〟を唱える。そして、
それを達成するためには武力行使も正当化される、というのなら、
たぶん世界中で次々と戦争が勃発するだろう。

かつて我々は、歴史教科書で「民族自決の原則」ということを教わった。
ベトナムは本来ひとつであったのに、17度線で人為的に分断されていた。
それでベトナム戦争が始まり、結果、北ベトナムが南ベトナムを崩壊させ、
民族分断の悲劇は克服された。

これぞ「民族自決の勝利」だと、1975年当時、朝日を初めとした新聞各社は
大いに褒めそやしたものだが、なぜ一民族は一国家でなければならないのか。
それほど単純な問題ではない。

2年前、わが家にホームステイしたベトナム系オーストラリア人の女性教師は、
ベトナム統一によって祖国南ベトナムを追われたボートピープルの一人だった。

そして今回、わが家の客となった台湾系ドイツ人の女子留学生は、
中国人と外省人を毛嫌いし、ルームシェアさえ峻拒している。
民族的には同じ漢族なのだから、中国が台湾を併合するのは当然、
といった考えには絶対に与しない立場だろう。いざとなったら、
私も銃をとって戦う、という面構えである。

民族自決権(個人的にはチベットは独立すべきだと思っている……)
と領土保全の原則をどう整合させていくか。なかなか難しい問題で、
我われ素人が、いくら処士横議を重ねても、気の利いた答えなど出そうにない。
沈黙するに如くはない、か?

2010年9月6日月曜日

Just surviving

坊さんの次は留学生がしばらく泊まっている。
台湾系のドイツ人で、次女と英国留学時に知り合った。
日本語は分からず、英語とドイツ語をしゃべる。
ドイツ語は昔かじった記憶(←おいおい、あんたはドイツ文学科卒だろうが)
があるが、憶えているのは哀しいかなIch liebe dich.(おめのごと、好ぎだっぎゃ)
くらい。冗談でも、こんな台詞をうら若き乙女を前に口にするわけにはいかない。

連日、呼吸困難に陥るほどの猛暑が続いているが、
この元気印の乙女は、炎天下の中、アパート探しに奔走している。
1年間通うW大学に近いところで、家賃5万以下の物件を探そうというのだ。

これがないのである。僕の住む埼玉・和光市だって7万が通り相場。
駅前の不動産屋で聞いたら、「5万以下ですと、川を越えませんとねえ……」
と困惑顔。「川っていうと、この先の黒目川ですか?」と聞いたら、
「いや、新河岸川です。つまり川越までいきませんと……」

憧れの日本に来たけれど、ねぐらの確保に四苦八苦。
政府は2020年までに留学生を30万人受け入れる、などと大風呂敷を
広げているが、受け入れ環境は貧しく、アパートの確保さえままならない。
デフレといっても世界標準からすれば、都心の諸式はまだまだ高く、
金のない留学生は学業よりアルバイトに精を出さなくてはならない。
これで「留学生30万人計画」とは笑わせる。

それにしても、どうなってるんだこの暑さは。
How are you? と聞かれたらJust surviving(なんとか生きてるよ)
と青息吐息で答えるしかないくらいの猛烈な暑さだ。
実家の老母はなんとかsurvivingしてくれているだろうか。
暑さ寒さも彼岸までというが、へたすりゃ干乾しになって
文字どおりの彼岸に行っちまうかも。

安く上がるならルームシェアしてもいいんですけど、と留学生のUさん。
「ただし、中国本土の人とはちょっと……」と条件付き。
同じ漢人同士ではあるけれど、中国本土の人間や外省人とは
席を同じうせず、というわけか。台湾海峡もまっこと熱いぜよ!

2010年9月1日水曜日

「非合掌派」は少数派?

先日わが家に泊まった〝山寺の和尚さん〟は、食事の前後に合掌していた。
TVドラマの食事風景で、テーブルを囲んだ者たちがよく「いっただきま~す」
と揃って合掌するシーンがあるが、合掌をしないわが家では、こうした光景に
いつもある種の違和というか、しっくりしないものを感じていた。

ところが新潟から上京した友人の住職A(浄土真宗)が合掌すると、
サマになるというか(当たり前か)、実にしっくりきたのである。
僕は生まれて初めて、(合掌というのもいいもんだな)と思った。

しかし、食事の前後に合掌するかしないかは習慣の問題で、
僕も女房も生まれてこの方、ずっと「非合掌派」なもので、
いきなり掌を合わせろと云われても、そう簡単にできるものではない。
わが家の流儀は「いただきます」「ごちそうさま」と唱和しながら
軽く頭を下げるというもの。この先も、たぶん「非合掌派」のままでいくだろうが、
「合掌派」への違和感といったものはだいぶ薄らいだ。

仏教学者の山折哲雄は、
《人間の食事というのは、自動車にガソリンを入れるのとは訳が違う。
自分を生かすためにほかの生き物を殺して食うという、何ともしがたい
「原罪」を背負った行為だ》と前置きし、だからこそ食われる命に対して、
「いただきます」「ごちそうさま」といわなければ何となく気持ちが落ち着かない。
《ならば、そこでしっかり合掌して感謝の気持ちをあらわしたほうが、
心が落ち着くというものではないか》と言っている。

たしかに僕もそう思う。でもわが家は合掌ではなく「おじぎ」。
「原罪」というほどのものは、正直、少しも感じていないが、
食卓に供されたすべての命に対しては、素直に感謝したいと思っている。

で、殺生をできるだけ避けようと、道を歩く際には、アリなどを踏まないように
細心の注意を払って歩いているのだが(芥川の『蜘蛛の糸』が頭にある)、
たびたび足がこんがらかってよろけてしまうのは、齢のせいだろうか。

もちろんこんなものは安物の偽善で、神様仏様に対するせこい点数稼ぎに
過ぎないが、それでも殺生は最小限にとどめたいと思っている。

これからは「ぎゃー、ゴ、ゴキが出たぁ!」と台所で女房が金切り声を上げても、
「ゴキとて家に帰れば妻や子もあろう。すべての生き物を慈しむべきです」
などとお釈迦様みたいに静かに合掌していよう。←ウソ、すぐぶっ叩く。
南無阿弥陀仏。