2013年12月30日月曜日

毎日がお正月

わが家のオンナ3匹はすでにいない。昨日からのんびりと旅の空だ。
女房と次女は北陸の温泉巡り。長女は遙かアフリカのどこか危ない国へ(笑)。
先だってペルーに行ったばかりで、その数カ月前はクーデターが起こる2日前に
エジプトから脱出してきたばかり。治安の悪そうなところを狙って旅して
いるのではないかと勘繰りたくもなる。親の心、子知らずである。

旅行嫌いのボクは相変わらず留守番で、心の中で「バンザ~イ!」と叫んでる。
この寒いのに雪降る北陸なんかに行ってどうすんだヨ、などと思ってる。
一方、長女は言う。「ヨーロッパはもう見飽きちゃった」と。
学生時代から飽きるほど世界を放浪し、ほとんどの国を制覇してしまった。
で、今は「瞳がキラキラしている子供のいる国」を集中的に歩いているという。
つまり、すれっからしの先進国ではなく、純朴な?後進国ということになるのか。

若い時分にはこうした〝青春期の驕慢〟に包まれる時期がある。
もう見飽きちゃった、というが何に飽きたのか。ヨーロッパの何を知っているのか。
ギリシャ・ローマ文明、キリスト教の真髄を知らずして、「もう見飽きちゃった」は
ないだろう。ヨーロッパの歴史・文化のいったい何を知っているのか。
見えても見えず。要は何も知りはしないのだ。

「百聞は一見に如かず」という。たしかに人づてに聞いた話など当てになるまいが、
「百読」であれば「一見」に勝るかもしれぬ。百読のない一見はむしろ害になること
だってある。

留守番は楽しい。心静かに本を読めるし、酒だって遠慮なく飲める。
ここ数日、酒飲みの友ととっかえひっかえ忘年会をしている。
今夜もわが家で宴会だ。気のおけぬ友と酒を飲み、時に憂国の思いを語り、
時にまたバカッ話に花を咲かせるのはほんとうに楽しい。
そういえばこの1年、休肝日なしの、毎日が新年会であり忘年会だった。

今年はいろいろあった。親友の死という悲しい出来事もあった。
仕事もなぜか忙しく、ゴーストで書いた本がアマゾンのビジネス書部門の
人気ランキングで1位を獲得したこともあった。が、一方で身体の変調も激しかった。
左膝が完全にいかれてしまっただけでなく、持病の腰痛も悪化してしまった。
1年の後半はリハビリに専念する年でもあった。

ブログ上では支那や韓国の横暴やウソに対して、一貫して反撃してきた。
とりわけ韓国の歴史を捏造する非道に対しては、そのウソ八百を徹底して暴いた。
そのおかげなのかどうか、ブログへのアクセス数が10倍くらいに増え、
特に海外在留邦人からのアクセスが日に数百を数えている。ありがたいことだ。

ボクはfacebookはやらない。mixiもやらない。twitterもやらない。いや、
どれも店開きはしているのだが、今は中断している。何がおもしろいのか、
その価値がいまだに見出せないので、開店休業中なのである。
「いいね!」「いいね!」などと互いに褒め合って何が楽しいのか。
「友達リクエスト」というのもうっとおしいし、何より擬似的な〝ともだちの輪〟に
くるまって、いったい何が嬉しいのか、ボクにはさっぱり分からない。
なんだか薄っ気味わるい。

ボクは見知らぬ人のブログにもしばしばコメントを入れる。
賛意を表することもあるし、時に反対意見なども遠慮なく書き込む。
「いいね!」の応酬に代表されるぬるま湯的な偽善は性に合わない。

インターネット上で知り合った友もいる。
まだ会ったことはないが、心がつながっている。
身近な友よりも、深くつながっているような気もする。
見ず知らずの人間同士がパソコン上でつながり、友情さえをも築いてしまう。
思えば、ボクたちはとてつもない世界に生きている。

今年もあとわずか。
ボクの拙くも過激なブログにつき合っていただき、ほんとうにありがとう。
皆さまが良き年を迎えられますよう、心から祈っております。
1年間のご愛顧に感謝いたします。ありがとうございました。





←今年は仏人のAlexiaが再来日し、
ボクの母校・慶大に留学した年でもある。
このエプロン姿はわが家で夕飯を食べた
日のスナップ。ボクには可愛い娘が
世界中にいる。そして時々、こうして
会いに来てくれる。これ以上の幸せはない。






 

2013年12月25日水曜日

テレビの小窓に悲憤慷慨

「やっべ、これマジ、うめェー!」
テレビの中の〝バカタレバカタレント)〟どもが、情けなくなるような箸さばきで
老舗料亭の料理に舌鼓を打っている。こういう知性のかけらもない低劣な輩には、
猫イラズ入りのキャットフードなんぞをあてがっておけばいいものを、
これまた三流の陋劣ディレクターが、おもしろ半分に名にし負う料亭を訪問させ、
恥を満天下にさらしている。バカにつける薬はないのである。

「すげェー」「うめェー」「やべェー」「こえェー」「うぜェー」「でけェー」
街中には、聞くもおぞましい〝げぇーべぇー言葉〟があふれている。
先だっては、ぶっ飛んだ女子高生が「マジかよ、クソすげェヘビメタじゃん!」
なんて叫んでた。思わず六尺棒でなぎ倒したくなった。

テレビの紀行番組で、案内役が若い女優とかバカタレだったりすると、
即チャンネルを変えることにしている。何を見ても「すごい、すごーい!」、
何を食べても「おいしーい!」とか「めっちゃ、おいしーい!」、
へたをすると、それこそ「ヤべェー!」なんて叫ぶ低脳タレントがいるからだ。
それが海外物だったりすると恥ずかしくて見てられない。

最近はこうしたギャル言葉やうす汚い言葉を〝時代の最先端トレンド〟だからと、
テレビCMに進んで使うものが出てきている。ボクは思うのだ。
日本語を乱し、日本語を穢し、日本語を貶め、日本人の品格を貶めているのは、
CM制作に携わる電通以下、日本有数の広告代理店ではないのかと。
彼らこそ指弾されるべきA級戦犯ではないのかと。

そしてまた、さらにイラつくことに、テレビ画面の端っこにある小窓。
あの小窓からバカタレどもが顔を出し、愚にもつかぬことをくっちゃべっては、
番組の品性(最初からないか)を限りなく貶めている。

あの、バカが顔を出す小窓を「コーナーワイプ」というのだそうだが、
誰が発明したんだか、不愉快極まりない代物なのに、最近ではNHKまで
使いだした。ボクは画面左上に出たりすると、やや大きめの付箋を上から
かぶせ、シャットアウトしてしまう。コラムニストの中野翠も同じように
メモ用紙をかぶせてしまうというから、あの心ない小窓に悲憤慷慨している
良識人は想像以上に多いのだろう。

バラエティ番組にタレントを供出しているタレント事務所としては、
できるだけ若いタレントの顔を世間に売り出したい。だから、あの小窓は視聴者に
印象づける小道具としては最良のものなのだろう。これは想像だが、局側と
タレント事務所との間で、「画面露出時間最低( )分」といった契約が秘かに
結ばれているのではなかろうか。

いずれにしろ、あの小窓のおかげで、バカタレどもの表情やアクションが著しく
大げさになったことは確かだ。森泉(森英恵の孫、写真参照)などは、
ただでさえ大きな目をこれ以上大きくならないってくらい見開いて驚くふりをする。
バカも極まれりだ。

ああ、今年も日本のテレビ界はバカタレで始まりバカタレで終わるのか。
来年も再来年も、この先ずっとずっとバカタレの天下は続き、日本人の品性は
限りなく卑しくなっていくのだろう。当てごととモッコ褌は先から外れる
というが、この予測だけは絶対外れっこない、というところが悲しい。



←こんなマヌケ顔をするバカタレども
が、異常に増殖してきている






2013年12月23日月曜日

大坊珈琲店に別れを告げて

たったいま、原宿・表参道から戻ってきたところ。うゥ、さぶい。
祝日で、おまけにクリスマスを控えているからか、やけに人出が多かった。
夕暮れ時になると、欅並木にはシャンパンゴールドのイルミネーションが灯り、
原宿の街はいやが上にも幻想的な雰囲気に包まれる。
もっとも、非キリスト教徒のあっしには、「まったく関係ねえことでござんす」

こんな寒空に膝痛・腰痛持ちが、びっこを引き引き何しに行ったのか。
決まってるじゃありませんか、別れを告げにいったんでござんすよ。

今日は「大坊珈琲店」の閉店日。昭和50年から続いた日本有数の名店が、
ビル取り壊しのためひとまず幕を引く。ボクはそれほど熱心な客ではなかったが、
店主の大坊勝次氏とは長~いつき合い。オープンしてすぐに取材させてもらったし、
拙著『コーヒーの鬼がゆく』にも登場してもらった。

いまでこそ白髪で、髪もまばらになってきたが(本人は脱毛に悩んでた)、
開店当時の大坊氏は僧坊から脱け出てきたみたいな坊主頭ながら、
髪も黒々としていて、肌もつやつやだった(←当たり前だ)。
ひそひそ声で話すのは相変わらずで、何と言おう、独特の〝間〟があった。

その大坊氏の生前の姿を目に焼きつけておこうと(←まだピンピンしてるよ)、
勇躍出かけてみたのだが、店(2階にあります)に続く狭く細い階段はすでに人・人・人。
店内に入りきれず、立ちんぼしたままウェイティングだ。
みなブライアン・フリーマントルを気どって、大坊に別れを告げに来た人ばかりである。

40分ほど待っただろうか、カウンター席に通された。
大坊氏は亡びゆく髪をふり乱して抽出に没頭。その周囲は空気がピント張りつめていて、
しわぶきひとつできないような雰囲気。こっちも声をかけるなんて無粋なことはせず、
黙ってかしこまっている。注文したのはいつもの3番(20グラム、100cc)だ。

顔をあげた大坊氏が知的な風貌のイケメン紳士を発見(ヘヘヘ……ボクのことです)。
ニコリと笑って二人してアイコンタクト。言葉は交わさない。

カウンター内には大坊氏の他に奥さんの恵子さんとジャニーズ系スタッフが3名。
いかんせん狭苦しいので、5人でおしくらまんじゅうをやっている。
ああ、こうしてまた「昭和」が消えてゆくのか。ボクの頭の中では、
吉祥寺=もか」と同様、「表参道=大坊珈琲店」という等式があったものだから、
大坊が消えてしまうと、この界隈がすっぽりボクの頭の中の地図から消え去ってしまう。
いつまで恋々としていても始まらないが、この寂寥感はいかんともしがたい。

とろりとしたいつもの深煎りコーヒーを堪能したボクは、
おセンチになりそうな気分を断ち切るようにして席を立った。
そして再び店主に目で挨拶。(サヨウナラ。また会えるよね)

店の外にはにぎやかな師走の風が吹いている。
ボクはマフラーに口もとをうずめ、「さて、帰るとするか」とひとり呟いた。




←大坊の近くにアトリエを構えていた
牧野邦夫の絵。入口入ってすぐ右の
壁に掛かっている。圧倒的な存在感。
この絵、いいよなァ。













 

2013年12月21日土曜日

末路哀れは覚悟の前

長女の部屋をのぞいたら寝袋やら着替えやらが雑然と散らかっている。
机の上にはモロッコ関係の本が数冊。いよいよもって怪しい。
〝片雲の風に誘われて症候群〟がまたまた首をもたげたか。
つい先だって、ペルーのマチュピチュ遺跡を見てきたばかりだというのに、
持病のようになってしまった漂泊願望癖。娘の生き方だからとやかく言うつもりはないが、
年に4回も5回も海外へ飛び出す、その心底がよくわからない。

ボクは旅行というものにすっかり興味を失ってしまっている。
若い頃に遊びや仕事で日本国中をいやというほど回ったというのもあるが、
歳のせいなのか「何でも見てやろう」といった類の好奇心が、
ひどく薄れてしまったというのもひとつある。
それに膝と腰がいかれてしまって、もう物理的に遠出はできない。
半径500メートル以内の生活圏で生きていくしかないのだ。

わが家は全員、独立採算制で、自分の食いぶちは自分で稼がなくてはならない。
オンナ3匹はめっぽう稼ぎがよくて、(推測だが)かなりリッチな生活をしている。
黒一点のボクは相変わらず貧乏で、手首が腱鞘炎になるくらいキーボードを
叩いても、手元に入ってくるギャラはいつだって目腐れ金だ。
〝100円ライター〟と自嘲するゆえんである。

これまでにいったい何冊の本を書いただろう。
自著は8冊と少ないが、ゴーストで書いた本はけっこうな数だ。
先日、蔵書を整理していたら、『チンコロ姐ちゃん』で有名な漫画家・富永一朗が
書いた闘病記『ボクの愛する糖尿病』なんて本が出てきた。ああ、懐かしい。
もう時効だから言っちゃうが、これもボクが代筆した本である。

富永さんとはよく新宿2丁目で飲んだ。というより鞄持ちみたいな役回りで、
そばにくっついていただけである。どんな店に行ったのか、まるで憶えていない。
いつも数軒ハシゴをするのだが、狭苦しい路地を行ったり来たり。
こっちはすっかり酩酊していて、いつものよう記憶がカンペキに飛んでいる。
まさか十数年後、〝いっちゃん〟の本を代筆するとは想像だにしなかった。

話変わって、いま、上方落語界の重鎮・桂米朝の『桂米朝集成』全4巻(岩波書店)
というのを読んでいる。これがすこぶる面白い。司馬遼太郎が米朝落語をこよなく
愛したというが、これほど博識の男だとは知らなかった。
漢籍の素養も相当なものである(大東文化学院で学んだ)。

米朝の師匠・桂米団治はよくこんなことを言っていたという。
《噺家ってなもんはな、米一粒よう作らん、釘一本よう作らんのに、
酒がええの悪いのてなことを言うて、好きなことをして一生送るんや。
そやさかい覚悟せなあかん。末路哀れは覚悟の前やで》

いいことを言いますな。まさにそう。「噺家」を「物書き」に置き換えたってそのまま
意味は通ずる。お互い立派な()〝虚業〟やさかい、末路哀れは覚悟の前や。
物書きなんて米一粒も作れない。ただ言葉の符牒を操って世間を煙に巻くだけ。
そういえば、野坂昭如も言ってたな。俺が唯一できる造形物はウンコだけだと。
なべてオトコはスカトロジストなのだと。

ペルーだモロッコだと、世界中を飛び回るのもいいが、
家でじっくり米朝の語りに耳をすますのもいい。
米朝の本を読んでいたら、嫌いだった関西弁がすっかり好きになってしまった。




←人間国宝の桂米朝師匠。
桂米団治の他に正岡容(いるる)も
米朝の師匠筋。この正岡という男も
めちゃくちゃな破滅型だった。正岡の
弟子は他に小沢昭一や加藤武、
作家の都筑道夫などがいる。




 

2013年12月17日火曜日

おせちより雑煮のほうがエライ

以前、餅が喉に引っかかって往生したことがある。
歳を取ると嚥下能力が低下するのか、喉につまらせたり、
気管支に入ってむせたりすることが多くなった。
(おれも歳を取ったもんだな……)
ちょっぴり悲しくなる。

正月になると、わが家では毎朝お雑煮を食べる。
ボクはこの雑煮が大好きなのだが、用心して食べないと、
救急車とか霊柩車のご厄介になる可能性も出てくる。
近頃は丸餅で直径1㎝の「喉につまらない餅」なんていうのもあるらしいから、
いよいよ耄碌したら、そっちの世話になることにする。

さて今回は「雑煮」の話だ。ボクは雑誌に20数ページにわたって〝餅〟に
まつわる記事を書いたことがある。ちょっとした「お餅博士」なのである。
その餅博士がしょっちゅう喉につまらせ、それこそ東京五輪を見る前に
〝ご臨終〟では洒落にもなるまい。いや、そんなつまらない話をするつもりではない。
世間様の誤解を解こうというありがたい話だ。

正月料理というと重詰めの「おせち」と「雑煮」が代表である。
「おせち」が主で、「雑煮」が従――多くの人はそう思っているふしがある。
実は逆で、主役はあくまで雑煮で、おせち料理は脇役なのである。

そのことについて取材するため、伝承料理研究家の奥村彪生氏を奈良のご自宅に
訪ねた。こんな草深き田舎町までようこそ、と奥村さんは笑顔で迎えてくれた。
「宮大工だった父は、大晦日の夜、しめ縄を張った井戸から若水を汲み、
竈(かまど)の火も新しいのに換えました。雑煮はこの神聖な火と水で煮たんです」

京都・八坂神社のおけら参りは年越しの行事として知られている。火縄につけて
くるくる回しながら家に持ち帰るおけら火。この聖なる火で福茶を飲み、雑煮を
つくると無病息災の1年が約束されるという。言うまでもなく神聖な火と水は年神様を
迎えるためのものだ。年越しの夜、餅と土地どちで採れた産物を供え、神迎えの
行事をする。そのお供えを下げ、ひとつ鍋で煮たものが雑煮である。

「神様に供えた飲食物を神様といっしょにいただく。こうした〝神人共食〟を
〝直会(なおらい)〟といいますが、雑煮はこの直会に食べる料理なんです」
と奥村さん。そういえば、雑煮用の箸は利休箸のような両口箸で、
両端が細くなっている。一方が人用で、もう一方が神様用というわけだ。

雑煮を食べれば邪鬼を追い払い、開運がめぐってくる。その大切な神様を
お迎えするための雑煮を煮る火であれば、できるだけ穢(けが)したくない。
雑煮以外の煮炊きに神聖な火を使いたくない。で、煮炊きの要らない重詰め料理
おせち)が生まれたんです」(奥村さん)

おせち料理は常日頃、台所仕事に明け暮れている女衆をせめて正月三が日だけ
でも休ませてあげたい。そんな思いやりの心から生まれた作り置き料理、
とてっきり思い込んでいたものだが、そこにはもっと深い意味があった。

稲や餅には特異な霊力があると古来より信じられてきた。
いわゆる〝稲魂信仰〟がそれで、雑煮は室町時代に生まれたとされている。
雑煮は京生まれの京育ちで、最初は酒のつまみだった。
「織田信長が家康をもてなしたときにも、酒の肴として雑煮が使われてます」
と奥村さん。庶民の間に広まったのは江戸は元禄の時代からで、背景には
稲の生産高が格段に上がってきたという事情があったという。

10万円を超える高級おせちが好調な売れ行きだという。
景気がよくなってきた証拠だが、おせちよりまず雑煮が大事、
ということはしっかり胸に刻んでおいてほしい。
そしてくれぐれも、餅を喉につまらせないように気をつけてください。





←雑煮は〝方言型〟料理の典型といわれる。
郷土食が色濃く出るので、どんな雑煮を
食べているかを聞けば、生国を当てられるほどだ。
西は丸餅で、東は角餅。その分岐点は岐阜の関ヶ原
あたりといわれている





 

2013年12月12日木曜日

隣りのクレーマーおばさん

韓国への日本人旅行客が激減しているという(当たり前だ。反日の国なんかに誰が行くもんかヨォ)。
今年1~10月までの日本人観光客は約230万人(それでもまだこんなに愚か者がいる)で、
前年同期比で24.1%の大幅減。
新大久保のコリアンタウンも韓流ブームの衰退とともにさびれ、
閉店が相次いでいるという。
歴史や領土問題での日韓関係の悪化がその主な原因なのだそうだ。

先日、知り合いの月刊誌編集長と飲んだとき、彼はこう言って苦く笑った。
「嫌韓特集を組むと本が売れ、みな完売してしまうんだ」
そういえば『週刊文春』も韓国の朴槿惠大統領を、
隣近所の悪口を言いふらす〝おばさん外交〟》とからかったし、
連載の「今週のバカ」にも朴槿惠を登場させ、その無能ぶりを徹底的に笑いのめした。
おまけにネット上では、大国支那にもみ手ですり寄り媚びを売っているからか、
パク・クネ大統領は〝クネクネ〟などと呼ばれている。

反韓・嫌韓ネタがよく売れる、というのは実によく分かる。
ボクも支那と韓国の悪口はよく書くが(好きで書いてるわけじゃない。
売られたケンカを買ってるだけだ)、書くたびにアクセス数が増え、
その数、数百におよぶことがある。同時にスパム(迷惑メール)も増えているから、
ネット上でも冷たい戦争が繰り広げられている。

韓国は〝ウソで固めた国〟とボクは再三書いている。
歴史は平気でねじ曲げるし、顔や身体だって整形して過去を跡形なく消してしまう。
「慰安婦問題」にしてもすべて韓国の捏造で、そこに河野洋平や福島瑞穂といった
国賊がからみ、さらに吉田清治という大ウソつきが加わってついにSex Slave(性奴隷)
などという不名誉きわまりないウソが、まるで真実のようにまかり通るハメになってしまった。
これだけでも「国交断絶」に値する。

歴史といえば、韓国人は歴史にかかわる本をまったく読めなくなっている。
かつてあった漢字・ハングル交じり文を捨て、allハングルにしてしまったからだ。
ここ100年あまりで普及したにすぎないハングル。古い文献や古典を読むには
漢字が必要だが、専門家以外は歴史書や古典を読むことができないのだ。
ボクは思うのだが、次から次へと歴史を改竄し、勝手に歴史を作り替えているのは、
国民のほとんどが過去の正しい歴史を確認できず、チェック機能が働かないから
ではないのか。そしてまたひどいことに、「ハングルこそ日本語の起源だ」と唱える
バカが出てくる始末。相変わらずの〝ウリジナル症候群〟。
あの国はほんとうに狂っている。

さて何度も言うことだが、戦場の性というものは一筋縄ではいかない。
明日をも知れぬ兵士たちにとっては、子孫を残さなくてはならないという本能が
働くのか、時に生殖活動が異常なほど活発になり、制御不能になることがある。
戦場で強姦事件が頻発するのはまぎれもない事実で、
このことは世界中の軍隊に共通する悩みのタネなのである。

で、旧日本軍はどうしたか。被占領地での強姦事件を撲滅するため、
民間業者に売春宿の営業を許可し、兵士の衛生に注意を払わせたのである。
慰安婦には日本人もいたし、朝鮮人(当時は日本人)もいた。
性の奴隷などとはウソっぱちもいいとこで、将校の月給が70円のときに(兵隊はたったの10円)、
慰安婦は300円以上も稼いでいた。慰安婦は高給取りだったのである。
後に家を数軒建てられるくらいの貯金を残した朝鮮人慰安婦たち。
そんな高給取りの売春婦たちの、いったいどこが〝性奴隷〟なのか。

兵士を性病から守るとともに、被占領地の女性たちに迷惑をかけないための
慰安婦。アメリカなどは自前の売春宿を営業させず、「自由恋愛」を標榜して
兵士を野放しにした。そのため、日本占領時には横須賀などで強姦事件が多発し、
アメリカ軍は東京都に対し、「吉原のようなものを作れ!と命令した。
そのことを当時の副都知事が証言している。

韓国軍はもっとひどい。ベトナム戦争時には韓国軍に虐殺されたベトナムの民間人
は推定で30万人いるとされている。現地の女性を強姦し、置き去りにした混血児
(ライタイハンと呼ぶ)は最大3万人だ。韓国政府はその事実をひたすら隠そうと
しているが、アメリカが原爆投下の罪を相殺させようと、支那と結託して南京大虐殺
をでっち上げたように、韓国もベトナム人大虐殺の事実を覆い隠すために
慰安婦問題をでっち上げ、日本人を悪者にすることで自分たちの犯した
非人道的行為をカムフラージュしようとしている。

〝嫌韓〟を特集すると本が売れる、という悲しい現実。
かつて何度も韓国取材を敢行し、雑誌等で韓国を礼讃したボクとしては、
こんな事態になるとは夢にも思わなかった。コリアンの親友とも
いまは連絡が途絶え、新大久保で共に飲むこともなくなった。
これもみんな韓国の愚かな政治家や反日メディアが蒔いたタネで、
ボクたちはその被害者なのだ。

クレーマーおばさんの〝クネクネ〟は、いったいいつになったら
〝告げ口外交〟をやめるのか。世界中から物笑いのタネになっていることに
気づかないのだから情けない。韓国人のDNAに染み込んだ「事大主義」体質
愚かな習(近平)ちゃんにすり寄って、死ぬまでクネクネと媚びを売ってろ!





←これも読みました。
〝無脳?〟を絵に描いたクレーマーおばさん

2013年12月9日月曜日

『コーヒー おいしさの方程式』余瀝

コーヒーファンにとってはお馴染みの南千住の「カフェ・バッハ」。
通称山谷地区のど真ん中にあるこの店は、日本を代表するコーヒー店として
国内外にあまねく知れわたっている。店主は〝御三家〟の一人、田口護(75)で、
現在日本スペシャルティコーヒー協会(SCAJ)の会長をつとめている。

田口の著した本は数多(あまた)あるが、なかでも『田口護の珈琲大全』と
田口護のスペシャルティコーヒー大全』は自家焙煎をめざす人たちにとって
バイブル的な役割を果たしている。日本だけでなく、支那や台湾、韓国などでも
翻訳され、彼の地で田口は〝神様〟のような存在と聞くから、その第3弾に注目が
集まるのも当然だろう。

満を持して登場した第3弾のタイトルは『コーヒー おいしさの方程式』(NHK出版)
というもの。来年1月半ばに発売される予定で、ボクは微力ながら「取材&文」を
担当させてもらった。他のスタッフ(編集、カメラ、デザイン)も既刊2冊と同じメンバー
である。

ただし今回は田口護の他に旦部幸博(滋賀医科大講師)という共著者が加わっている。
旦部はガン抑制遺伝子の研究が本業で、コーヒーの研究は副業というか趣味の範疇だが、
百珈苑』&『百珈苑ブログ』という人気ブログを主宰していて、最近では田口と一緒に
自家焙煎ゼミの講師をつとめるなど、コーヒー業界でも徐々にその名が知られるように
なってきた。

なにしろ、あの帰山人センセーが「日本最強のコーヒー研究者」と評しているくらい
だから、ことコーヒーに関しては〝くるくるぱー度〟は相当高い。
田口&旦部の〝タグタン〟コンビは、今や「エンタツ・アチャコ」の名コンビ
と並び称されるくらいの〝おしどり〟ぶりを発揮しているのである。

自画自賛を承知で言わせてもらうと、今度の新刊は「すごい!」の一言に尽きる。
何がすごいって、内容の革新性がまずすごい。おそらく現時点では、
世界最先端の情報が満載されている。コーヒーの生産から、焙煎、抽出に至るまで、
これほど事細かに科学的分析が加えられた本は前代未聞だろう。

「科学的」だからといって、ことさら敬遠したり身構える必要などまったくない。
専門用語はできるだけ控え、だれにでも分かるように平易な言葉に置きかえてある。
自慢するわけではないが、ボクはケータイも持てないくらいのIT&機械オンチで、
数学とか物理化学はヘビやミミズ以上に苦手である。クロロゲン酸ラクトンといった
化学用語などは見ただけで悪寒がしてくる。

その科学オンチが、「なるほどそういうことか」と何度も合点したくらい、
田口の技術と旦部の科学がうまく噛み合っている。まるで「牡蠣とシャブリ」の
マリアージュ(結婚)みたいに、理論と技術がしっくり融け合っているのである。

原稿書きは正直つらかった。既刊2冊のときの10倍くらい疲れた。いや、疲れ果てた。
著者が2人いて、それぞれが「ここをこう変えてくれ」「この表現はやめてくれ」
「おやじギャグは入れないでくれ」などと、次から次へとムリな注文をつけるのだから
たまらない。特に学者先生の場合は、研究者生命にかかわってくるものだから、
ちょっとした間違いも許されない。
いやあ、なんとも神経のすり減る数カ月であった。

その甲斐あってか、出来映えは想像以上のものとなった。
脅すわけではないが、少なくともコーヒーに関係する仕事に携わっているものには、
必携の書になるだろう。おそらく今後数十年、この本を読まずしてコーヒーを語ること
はできなくなるだろうし、読まずにいるととんだ大恥をかくことになる。
読めば〝目からウロコ〟のオンパレードで、読み終わると滋養たっぷりのディナーを
堪能したときみたいに、身も心も幸福感と充実感に満たされることだろう。

それに値段が1500円とお手軽なのがいい。
既刊のものは2800円、3600円と人をバカにしたような値付けだった。
ボクは「もっと廉価なものにしろ」としつこいくらい言い続けてきたのだが、
版元は聞き入れてはくれなかった。今回はようやくまっとうな金銭感覚に立ち戻ったようで、
判型はやや小ぶりながら、図版も盛りだくさんの立派な本に仕上がった。
支那語、韓国語以外に英語版も出したいと版元も意気込んでいるくらいだから、
近く世界中で読まれることになるかもしれない。

何度でも言う。今度の本だけは絶対買ったほうがいい。
もしも手元不如意なら、女房子供を質に入れてでも買うべきだ。
読んでおかないとコーヒーの〝コの字〟も語れなくなる。
客の問いかけにも正しく答えられなくなる。
ウソは言わない。世界最高レベルの画期的な本である。

タグタンの意を体して代筆したその当人がすばらしいと言っているのだから、
これほど確かなことはない。←それがいちばん不確かだっつーの!
発売日は年明けの1月18日。その数日前には書店に並び、
近日中にはamazonや楽天で予約受付を開始するだろう。
大いに期待すべし!





←難産だっただけに愛しさもひとしお。
買って損はいたしません。
ただし返品・返金には応じかねます(笑)


















※追記
①その後、タグタンコンビは解消され、
田口氏は笑福亭鶴瓶と新コンビを組んだ模様。
「コーヒー おいしさの方程式」異聞参照!

②『コーヒー おいしさの方程式』発売記念トークイベントのお知らせ
来る2014年2月23日(日)19:00~20:30、「代官山蔦谷書店」にて、著者2人による
トークショーを開催します。講師は田口護と旦部幸博の〝旧タグタン〟コンビ。
司会進行は不肖嶋中労があいつとめます。お笑いトークイベントにならぬよう、
この日ばかりは〝しらふ〟で参上いたしますので、死ぬほどおヒマな方は
ふるってご参加ください。詳しくは本ブログにて追ってお知らせいたします。
(ただしイベント参加資格はこの本もしくは〝田口本〟のいずれかを蔦谷書店で買い求めたもの
に限られます)






 

2013年12月4日水曜日

夕には厚顔となれる身なり

週に2日、休肝日をつくろうという決心はもろくも崩れてしまった。
成功したのは1週だけ。当日になると、
(ウーン、今日の分は明日に延ばすっちゅーことで……)
と、軽く一杯。明日になると、
もう1日延ばして、来週は4日休むっちゅーことで
と、またまた飲んでしまう。なんという意志薄弱。我ながら情けなくなってくる。

そしてとうとう師走の到来。昨夜は団地仲間2人とわが家で忘年会。
ワイン3本、缶ビール10本、焼酎1本が軽く空けられてしまった。
悪酔いするかと思ったが、顎が外れるほど大笑いしたので、
毒素も抜け、すこぶる快調な寝覚めだった。

毎日が独り宴会だというのに、今月はあっちからもこっちからも忘年会の
お誘いがかかる。人気者は肝臓を休ませるヒマがない。
先月までバナナダイエットを敢行、「あらっ、ずいぶんお痩せになって」
懇意の人妻たちから、さかんに声をかけられたものだが、
この分では、また醜いデブに返り咲きそうだ。

高校時代は177㎝で57キロ、大学で62キロ。サラリーマンの頃は65キロくらい
だったが、結婚した途端に80キロを超え、85キロ、86キロ、87キロ、88キロ、
89キロと止まらなくなり、ついに90キロを超えるかというところでからくも踏みとどまり、
なんとか80キロ台をキープした。で、ここのところのダイエットが効いたのか、
80キロまで落としていたのだが、今朝測ったら2キロのオーバー。
昨夜の鯨飲馬食のバカ騒ぎで数カ月の努力がフイになってしまった。

さて、「ザ・タイガース」が44年ぶりに再結成され、コンサートをおこなったという。
あの白面の貴公子だったジュリーこと沢田研二(65)も、醜く太って、
変わり果てた姿になっていた。また生意気にもあごヒゲまでたくわえ、
一見すると面差しも体形も吾輩そっくりになっている。

いい年ぶっこいて「モナリザの微笑」だ「花の首飾り」もないもんだと思うけど、
50~60代のくたぶれた聴衆とはいえ、1万3000人も集めてしまうのだから大したものだ。
ハッキリ言って、容姿ならジュリーよりボクのほうが上だ。
歌の巧拙となれば、もう比較するのもバカバカしいくらいである。
♪ ああ、それなのに、それなのに、ねえ……こればっかり

蓮如上人はかく曰えり。
朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には厚顔(or睾丸)となれる身なり(そんなこと言うか!)。

人生いろいろ、〝コーガン〟もいろいろ、という毎度バカバカしいお噺でした。



←かつての睾丸?の美少年の成れの果てがこれ!







(photo by スポニチ)



※追記
蓮如上人の「白骨の御文章」 は、
朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり……が正しいです。
詳しくは下記をクリックしてください。日本人の無常観を表したいい文章です。
http://www.tulip-k.co.jp/todotoku/0108ofumi.htm

2013年11月29日金曜日

小林秀雄、没後30年

今年は小林秀雄の「生誕111年」かつ「没後30年」に当たるという。
ボクもいろんな本を読んできたが、いちばん熱中して読んだのは小林秀雄だろう。
青春期のほとんどを小林秀雄に捧げたといってもいい。これほど惚れた男は
後にも先にも小林しかいない。

小林秀雄を読むということは、後述するような周辺の人たちの本も読むということで、
それだけでも書棚の一つや二つは埋まってしまう。ボクのささやかな蔵書を〝派閥〟
別に分けてみると、「小林派」と「吉本(隆明)派」に大きく分かれ、その他弱小派閥が
群雄割拠する、といった状況だろうか。

学生時代、友と語らう時は決まって小林秀雄の話題だった。
ボクが一方的にしゃべりつづけ、憐れな友は一方的に聞き役にまわった。
ボクは小林秀雄という名のキツネに憑かれ、およそ10年もの間、
のぼせたような酩酊状態にあった。

小林のどこに魅きつけられたのか、今でもよく分からない。
先月亡くなった文芸評論家の秋山駿は、
《私は小林秀雄を読む。なぜ、どんな意味で、そこには何があるから、
私は読むのか。思えば、私は元気のないときに、自分に元気を与えるために、
それを読んだのである。読む者に元気を与えてくれる――それが小林秀雄の
言葉の、いわば文体の、非常な特徴であると思う》(『小林秀雄と中原中也』)
と述べている。

また、『小林秀雄』を書いた評論家の江藤淳も同様に、
《どのページを開いてみても、読むほどに、いつの間にか
かつてないようなかたちで、精神が躍動しはじめるのを感じて
おどろくにちがいない》
それはまるで《ダンスの名人といっしょに踊っているような》体験だ、
などと述べている。

両氏が言うように、小林の文体は読む者の精神を鼓舞するような構造になっている。
ボクは今でも精神の軸がブレそうになったり、弱気の虫が騒ぎそうになったとき、
ポッポ鳩山の「鳩左ブレ」を憎しみを込めて噛みくだきながら小林の全集をひもとく。
そう、小林の作品と出来損ないの「鳩左ブレ」はボクにエネルギーを注入してくれる
「リポビタンD」なのだ。

小林秀雄の周辺を彩る交友関係も、またボクの憬れだった。
中原中也、河上徹太郎、大岡昇平、中村光夫、永井龍男、今日出海、
安岡章太郎、富永太郎、白洲正子、梅原龍三郎、そして青山二郎。
見てくれ、この錚々たる顔ぶれを。それぞれがみな独自の光彩を放ちながら
屹立している。通称「青山学院」と呼ばれるサロンがこれだ。

青山学院の面々がよくとぐろを巻いていた銀座の寿司屋「きよ田」の
新津武昭さんに、ボクはかつて小林の酒席での行状を訊いたことがある
拙著『ぼくが料理人になったわけ』を参照してください)。
「当時、一流とされてた作家連が、小林さんの〝カラミ〟に堪えきれず、
オイオイ泣き出したりするんだから、小林さんの舌鋒たるやすさまじかった」
と、新津さんは懐かしそうに語ってくれたものだ。

小林秀雄は女性関係にも彩りがあった。
中原中也の愛人・長谷川泰子を横取りしてしまうエピソードはあまりに有名だが、
〝ムー公〟こと坂本睦子との関係もまた複雑だった。一時、青山二郎と同棲していた
こともあるが、河上徹太郎や大岡昇平とも愛人関係にあった。青山曰く、
「かなり面倒な魅力を持った女」だったようで、小林は求婚し、
いったんは受け入れられるが、別の男(オリンピック選手)と逃げてしまう。
そして1958年、ムー公は睡眠薬を飲んで自殺してしまう。享年43。

高橋昌一郞の『小林秀雄の哲学』によると、
《坂本の通夜には、小林、河上、大岡をはじめ、二十人以上の文壇関係者が集まり、
大岡は途中から号泣したという》

小林は書いている。
女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしては
この世を理解していこうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた
(『Xへの手紙』)

小林はいつだって命がけだった。
戦後、「戦争を肯定した」かどで、批判にさらされるが、雑誌の座談会の中で、
こんな発言をする。
《僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。
それについて今は何の後悔もしていない……僕は無智だから反省なぞしない。
利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか

戦後、文芸銃後運動を発案したとしてGHQにより「公職追放」された作家・菊池寛も、
《僕を戦争協力者として追放するなんて、アメリカの恥辱だよ。戦争になれば、
その勝利のために尽くすのはアメリカ人だろうが日本人だろうが、国民に変わりなく
当然の義務だ。僕はこんな戦争に賛成ではなかったが、始まった以上、全力を尽くして
負けないように努めるのは当たり前だし、むしろそれを誇りに思っている。僕のような
リベラルな男を追放するなんて、バカバカしいね》
と小林と同じような発言をしている。

本棚にある小林秀雄全集はもうボロボロだ。
どのページにも〝傍線〟がほどこされ、つまらぬ書き込みがしてある。
ふられるとストーカーに変じたりする、きょうびの女々しい男などには分かるまいが、
男と女が真剣に惚れ合えば、そこは地獄にも極楽にもなる成熟の場と化す。

ああ、俺の小癪な夢を破ってくれる女性は、
いったいいつ現れるのだろう(一生言ってなさい!)。
早く出てきてくれないと、死に神に先を越されてしまいそうだよ。嗚呼!



2013年11月27日水曜日

サブちゃんのフェットチーネ

先週の日曜日、ローマっ子のサブリナが遊びに来た。
相変わらずお目々も口も大きく、「濃い顔」をしている。
抜群のプロポーションもこれまた相変わらずだ。

先々週に来た仏人のアレクシアと同じく、日本語がずいぶん達者になり、
かなりこみ入った話もできるようになったのは何より嬉しい。
長女とは大の仲良しで、昼間は二人して新宿御苑で紅葉狩りをしてきたという。

「今夜のメインディッシュはこのサブちゃんが腕をふるうよ」
なんだかやけに張り切っている。見れば、スーパーで何やらごっそり買い込んできた。
聞けば、腕によりをかけた手打ちパスタをごちそうしてくれるという。

(大丈夫かな……食べられる代物であればいいんだけど)
ボクの心配顔を見透かしたように、
「マンマ直伝のフェットチーネだからね。絶対美味しいに決まってるよ」
ボクの顔をにらみつけた。
「お父さんはじゃまだから、あっち行って」
とうとう台所から追い出されてしまった。

麺棒は死んだ母親からもらった手打ちうどん用のもの。
しかし、のし台がない。仕方がないから、以前解体しておいたパソコン用デスクの
天板で代用してもらった。半端なのし台を一瞥したサブリナは不満そうな顔で、
「これ、小さいね」
「ごめんよ、これしかないんだ。名人は道具を選ばないんじゃないの?」
皮肉を言ってやったら、ニヤッと笑って、
「しかたないね。これでのばすよ」

ローマ辺りではフェットチーネというが、北のほうではタリアテッレと呼ぶことも。
きしめんみたいに幅広のパスタで、それを今、ヒィヒィ言いながらサブちゃんが
打っている。のし台が小さいから、あらかじめ生地を4分割しておいた。

「なんだか分厚いフェットチーネになりそうだな」
切る段になって、チラと見たら、まだ十分にのし切っていない状態で、
ほうとうみたいにもっそりしている。サブリナもそのことを認めているのだが、
もう疲れ切ったようすで、修正する気はサラサラ無さそうだ。

「ま、胃袋に収まっちゃえば、みんな同じだからな。分厚いフェットちゃんでもかまわんよ」
横から口を出したら、「シッシッ」と肱でつつかれ、またまた追っ払われてしまった。

トマトソース系のフェットチーネの他はイタリア流のミートボール。
何という料理名だったか忘れてしまったが、細かなイタリアのパン粉がまぶしてあり、
それをフライパンでソテーしてある。

「いっただきまーす」
ワインで乾杯して、さっそくほうとうみたいなフェットちゃんを食べてみた。
「…………」
みんな無言。サブリナも下を向いて黙ってる。
「生地がちょっと厚いけど、おいしいよ。塩がちょっぴり足りないかな」
女房が正直な感想を一言。食卓にスイスアルプスの岩塩を持ってきて、
サッサッとふりかけている。長女もサッサッ。ボクも遠慮なくサッサッサッ……。
サブリナだけは沽券にかかわるとばかり、いっさい無視。黙々と食べている。

「サブちゃん、サラダも食べたら?」
ひたすらパスタを食べ続けているサブリナに向かって、ボクの手づくりサラダを勧めたら、
「サラダはメインディッシュの後ね」
なるほど、イタリア式にプリモピアット(第1の皿)のパスタをまず平らげて、
それから主菜のセコンドピアット(第2の皿)を食べ、コントルノ(サイドディッシュ)
のサラダ、ドルチェ、カッフェとつなげるつもりなのだ。
身体に染みついた作法なのだろう。

ああ、お腹いっぱい。ごちそうさまでした。
甘いデザートワインを飲みながらしばし歓談。

出てきた話は「今のローマは昔のローマじゃない」「もうイタリアには帰りたくない」
といった嘆き節ばかり。フランス人留学生のアレクシアがこぼした中身と同じである。
アフリカや西アジアなどからの移民が増えて、急に治安がわるくなり、街が荒んできた。
「もう怖くて、一人では歩けないね」
あの陽気なサブリナが嘆くのだから、事態はかなり深刻なのだろう。
サブリナはつい数日前にイタリアから帰ったばかりなのだ。

それでも笑顔の似合うサブちゃん。
イタリア式ジェスチャーの数々をレクチャーしてくれて、
そのたびにわが家は笑い声に包まれた。

麗しのサブちゃん、また遊びに来てね。

 

2013年11月23日土曜日

隣人(韓国)はパラノイア

韓国で英雄視されている安重根を日本政府が「犯罪者だ」と言ったら、
韓国が猛烈に反発している。

1909年(明治42年)、旧満州のハルビン駅で伊藤博文を闇討ちし殺害したのが
安重根だ。伊藤博文は明治の元勲で、日本の初代首相である。その伊藤を暗殺した
ゴロツキを日本政府が「テロリスト」と呼び「犯罪者」と呼んで何がわるい。

ジャーナリストの黒田勝弘はこのことに関して、
《米国ではジョージ・ワシントンは独立・建国の英雄だが、英国では反逆者といわれている。
それと同じだが、そんなことで米英は争わない。歴史認識が違って当然だからだ》
と言っている。まさに然りだ。

♪ あゝ、それなのにそれなのに、ねえ……
朴槿恵大統領ときたら北東アジアの「共同歴史教科書」の発刊を日中両国に提案している。
そのことだけでも、「こいつは歴史ってものがまったく分かってねえな」とガッカリさせられる。
安倍首相は朴のことを「優れた指導者」などと精いっぱい持ち上げ
「ねえ、こっちを向いてよ」と盛んに秋波を送っているが、
なにが優れた指導者なものか。頭のいかれた、ただのバカ女ではないか。

朴は目の前で安重根みたいなテロリストに父母を相次いで殺害された。
そして自らも、地方遊説中に男にカッターナイフで切りつけられ、危うく命を
落としかけた。右の耳下から顎にかけて10㎝の傷を負い、60針縫う手術を受けたのだ。
その際、ライバル政党から「60針縫ったのは整形手術」などと中傷されたというのだから、
東日本大震災の際、サッカーの試合で韓国人サポーターが「大震災をお祝いします」の
横断幕を掲げ、世界中から非難された構図とまったく同じである。
あの国の人間は火病をわずらっているせいか頭に血が上ると、
途端に善悪の判断がつかなくなってしまう。

日清戦争終結時に結んだ「下関条約」の第一条にはこうある。
清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、
独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は

永遠に廃止する
しかしこの第一条は、韓国の国定国史教科書からは削除されている。
朝鮮が支那(清)の属国だったことが国民にバレてしまうからだ。
代わりに、朝鮮は5000年の偉大な歴史と文明を持つ大帝国であったが、
抵抗むなしく日帝に植民地にされてしまった、と書いてある。

この朝鮮独立を清国に約束させたのは伊藤博文だ。朝鮮併合に反対したのも
伊藤博文だった。その朝鮮の恩人ともいうべき伊藤を暗殺したテロリストを
国家の英雄として顕彰し、よりによって支那にお願いしてハルビン駅頭に
石碑を建てようというのだから、いったいどこまでクルクルパーなのか。
テロリストの石碑といい、慰安婦像といい、韓国という国はなぜか外国に石碑を
建てたがる。それもウソで固めた石碑を。

そういえば、かの日露戦争もロシアの南下政策から朝鮮を守る戦争だった。
ところが朝鮮は時勢に鈍感なのかいっこうに独立の機運を示さない。
挙げ句に、恩人の伊藤博文を暗殺してしまうのだから、もうムチャクチャだ。

結果、日韓併合となってしまったのだが、日清・日露の戦争がなければ、
朝鮮はロシアか清国に占領され、今ごろは、チベットやウイグルと同様、
悲嘆に明け暮れているはずだ。そのことについてはすでに何度も書いているが、
朝鮮人は二言目には「日帝36年の支配」をいう。が、その36年間に日本は
国家予算の多くを割き、朝鮮のインフラを整備してやったのだ。

これがもし「露帝36年の支配」だったらどうする。インフラ整備どころか、
男たちはシベリアに送られ強制労働、女たちはロシア人の慰みものになるだろう。
もちろんハングル文字など使えず、必死でキリル文字を学ぶのだ。
それに引き比べ日本の統治の紳士的なこと。
搾取どころかすべて日本からの持ち出しで、
その額、現在の金額にして9兆円にのぼる

苛斂誅求の植民地政策では先輩格の西洋列強はどうだったか。
やっこさんたちはアジアの植民地から撤退するとき、投下した資本分を
しっかり請求して撤退したのである。お人好しの日本だけが9兆円をそのまま
朝鮮に置いてきた。この9兆円がなければ「漢江の奇跡」もへったくれもない。
もちろんサムスンもヒュンダイもないだろう。

その事実を、韓国人はいっさい知らされず、
あろうことか、「3.1独立運動」の記念式典で朴大統領は、
《(日本の植民地支配という)加害者と被害者という歴史的立場は、
千年の歴史が流れても変えることはできない
などと演説しているのだから、「共通の価値観」を持つなんてことは
夢物語だ、ということがよく分かるだろう。

だいいち、「共同歴史教科書」をつくられて困るのは韓国だろう。
歴史の真実が分かってしまったら、赤っ恥をかくのは韓国だからだ。
以下に朝鮮の辿った歴史を簡単に記す。

紀元前108年~220年:漢(植民地)
221年~245年:魏(植民地)
108年~313年:晋(植民地)
314年~676年:晋・宋・梁・陳・隋・唐(属国)
690年~900年:渤海(属国)
1126年~1234年:金(属国)
1259年~1356年:モンゴル(属国)
1392年~1637年:明(属国)
1637年~1897年:清(属国)
1897年:下関条約により清の属国から開放される
1903年:ロシアが朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシアの属国化を回避
1905年~1910年:日本(保護国)
1909年:併合に反対した伊藤博文がテロリスト安重根に暗殺される
1910年~1945年:日本(併合)
1945年~1948年:アメリカ(非独立)
1948年:大韓民国成立(アメリカ軍による統治によって国家基盤が形成され成立)

偉大なる歴史と文明をもつ大帝国だなんて〝ウソっぱち〟もいいとこ。
最初から最後まで、属国か植民地でしかなかった悲しい国なのである。
だから神話や歴史を捏造し、あたかも真実であるかのように教科書で教え、
マスコミもグルになって協力している。ボクが「ウソで固めた国」というのはそこなのだ。

こんな悲しい歴史しかもてなかった、という事実には同情したい。
だからといって歴史をねじ曲げ、国民にウソを教えていいことにはならない。
歴史の捏造は犯罪行為だ。パラノイア(妄想狂)をわずらった隣人の、
荒唐無稽な嘘八百は、もうウンザリだ。









2013年11月17日日曜日

草食系って実はパワフル?

リヨン大学から慶大に留学している仏人のAlexiaは梅干し以外は何でも食べるが、
特に魚介類が好きで、昨日はいっしょにお刺身用の魚を買い出しに行った。

Alexiaはフランス東部のロレーヌ地方出身。内陸部だから、昔から肉料理ばかり食べて
きた。そのため、日本への留学の一番のたのしみは寿司や刺身など、新鮮な魚を
腹いっぱい食べることだ、と彼女は言う(食べさせるほうは大変だけどね)。
Alexiaはコション(cochon=豚)の愛称で呼ばれているように無類の健啖家で、
何を出しても「これ、おいしいね」と平らげてくれる。
パパさん兼料理人のボクとしてはこれほど嬉しいことはない。

Alexiaは現在21歳。日本語は相当上達していて、昨日はオランド政権のこと、EUのこと、
移民問題、とりわけ不法移民のこと、慶大での授業のこと、彼氏のこと……ありとあらゆる
問題について話し合った。口癖は「もうフランスはだめだね」の一言。若者の失業率は高いし、
モラルは低下してるし、治安もわるくなっている。「なんでドイツとフランスだけがギリシャや
スペインを助けなくてはいけないの?」と、最後はついグチも出る。

彼女の姉のCarol-Anneは中国に5年間留学したことがある超美人で、中国語はぺらぺら。
他に英語、ドイツ語に堪能で、今はベルリンで翻訳の仕事をしている。なぜドイツ
で働いているのかというと、ロレーヌ地方はドイツと国境を接していて、アルザス・ロレーヌ
といえば、独仏でいつも領有を争っていた歴史的な場所。ドイツにはなじみが深い。

それとフランス国内に職がないという経済事情もある。そしてこれが肝心なところだが、
Carol-AnneはいわゆるヴィーガンVegan(絶対菜食主義者)なのだ。ヴェジタリアンは
卵や乳製品は食べるが、その極端な一派のヴィーガンは一切の動物性食品を受けつけ
ない。もし彼女がわが家を訪ねてきたら、いったい何を食べさせたらいいのだろう。
ボクはそのことを考えただけで、途方に暮れてしまうのである。

そもそもヴィーガニズムとは何かというと、「人間は動物を搾取することなく生きるべきだ」
とする主義で、日本の調査捕鯨を妨害するシー・シェパードの連中のほとんどは
ヴィーガンといわれている。エコロジーや動物愛護の精神が極端に走った例だから、
単純といえば単純なのだが、ガチガチのリゴリズムは扱い方がやっかいだ。

バターやチーズなど乳製品の宝庫であるフランスは、当然ながらヴィーガンに対しては
冷淡だが、ドイツは逆にレストランなどでもヴィーガン用のメニューなどが充実している。
Carol-Anneのボーイフレンドはさらに輪をかけたヴィーガンの最右翼だから、
ドイツしか住むところがない、というのがどうやら実情らしい。

「私はヴィーガンなんていや。チーズは大好きだし、お刺身やお寿司が食べられないなんて
考えただけでも目の前が真っ暗になっちゃう」と言いながら、大皿の上の残った刺身を見て、
「これ、だれも食べないの?」
「ああ、食べていいよ」
「ホント? ありがとぉ!」
と、さも嬉しそうに箸をのばす。
(この仔豚ちゃんは絶対ヴィーガンにはなれないな)
ボクはその時、確信した。

ヴィーガンについてもう少し付け加えると、トライアスロンやウルトラマラソンといった
耐久レースのトップ選手にはなんとヴィーガンが多いのだという。動物の肉こそが
パワーの源だとする観念が徐々に覆されつつある。現に、重量挙げやボディビル
の選手の中にも、ヴィーガンに転向するものが増えているという。

ボクは反禁欲主義の肉食系だが、ヴィーガンに転向すれば高血圧や心不全、
脳梗塞や大腸ガン、前立腺ガンなどになる確率が激減するのだという。
「転ぶべきか、転ばざるべきか。それが問題だ」
一瞬、ハムレットの心境になりかけたが、結局、うまいチーズや焼き鳥、
分厚いロースのトンカツが食べられないくらいなら死んだほうがまし、
という気高い結論に落ち着いた。

そうだ、Carol-Anneが来たら、Alexiaがきらいな梅干しと納豆をごちそうしてやろう。
それとボクの育てた生育不全のミニトマト。きっと感激の涙を流してくれることだろう。



←ヴィーガン向けの食材あれこれ
動物性のものは一切ない

2013年11月9日土曜日

ウイスキー・オン・ザ・ロック

歴史テストの設問にこんなのがあった。
Qアメリカ大陸を発見した人は(        )である。
カッコ内を埋めよ、という問題に(りっぱ)と書いたものがあったという(笑)。

けっこう笑える話だが、クリストファー・コロンブスという探検家は〝立派〟どころか、
強欲で残忍な男だった。なにしろ航海に先立ち、発見地から上がる収益の10分の1を
寄こせ、とする契約を交わし、水や食料をわけてくれた先住民を見つけ次第殺した。
その数数万にのぼるというのだから〝りっぱ〟もへったくれもない。

先祖代々、最初からこの地に住んでいる先住民にしてみれば、
「頼みもしねぇのに、別に〝発見〟されたくなんかねぇや」がホンネだろう。
1492年はイヨク(意欲)に燃えるコロンブス」などと語呂合わせで暗記した
我らがノーテンキぶりと無知蒙昧さを大いに恥じなくてはならない。

さてボクは残虐非道なコロンブスの話をしたいわけではない。「発見」された土地は、
必ずしも「発見者」のものではない、という話をしたい。

支那は明代(1368~1644)の本に「釣魚台(=尖閣諸島)」の字が載っていて、
あの島嶼(とうしょ)は自分たちが発見したのだから自国領土だ、と主張している。
これが愚論暴論だということくらい赤ん坊だって分かる。「あの島は漁師をやってる
習菌屁さんのご先祖が発見したのだから、支那のもんだべ」などと言い出したら、
世界中の島々が直ちに係争地になってしまう。

国際法上で領土として認められるのは、「どの国が実効支配してきたか
の一点だ。いくら明代に支那人が発見したとしても、こんなちっぽけな島は
何の役にも立たないと、19世紀までほったらかしにしたら、領土であるなどと
言えた義理ではない。が、非法治国家の支那にはそんな正論すら通用しない。

日本は1895年、この島がどこの国にも属していないことを確認した上で、
閣議決定にて領土とし、島に国標を立てた(1937年に再建)。その翌年から1940年
までの44年間、この島の鰹節工場などでは200人あまりの日本人が働いていた。

1920年、中華民国駐長崎領事が、魚釣島に漂着した支那人漁師たちを救護した
人々に感謝状を送り、そのなかで尖閣のことを「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」
と明記している。だから、1958年と1966年に北京で出版された「中国全図」でも
日本領となっていると専門家は指摘している。

支那が突如として「あの島はわが領土」と言い始めたのには理由がある。
1969年、国連の調査でこの辺りに大型海底油田があると報告されたからだ
車内や海外の観光地で平気でクソを垂れてしまう恥意識と法意識の欠如した
支那人は、どうせ〝ダメモト〟だからと、とりあえず無理難題をふっかけるという
のが常套手段だ。世間知らずでお人好しの日本人が相手なら、うまくすれば譲歩する
かもしれない、とソロバンをはじいたはずだ。完全になめているのだ。

支那と干戈(かんか)を交えても、イザとなったらアメリカが助けてくれるから大丈夫だよ、
ってか? 国防を半世紀以上も他国に任せたまま、平和憲法とやらを後生大事に守り
ながら、繁栄に浮かれてきたニッポン。「わが国」といわず「この国」と言いたがる
国家意識の希薄な国民である。支那が領海を侵犯しても「まことに遺憾である」
の一言で片づけてきたこの切迫感のなさはいったい何なんだろう、と思う。

冷戦時代の1981年、スウェーデン海軍は領海侵犯したソ連の潜水艦(ウイスキー級)
爆雷で追い込み、みごと座礁させたことがある。これを「ウイスキー・オン・ザ・ロック」
という。支那の潜水艦が日本の領海を侵犯したら、日本もこのスウェーデン海軍の
毅然たる勇気を見習って爆雷で追いつめるべきだ。

自分の家の敷地内に武装した賊が侵入したら、即応戦して賊を叩きのめすか
追い出すのが常道だろう。「遺憾である」などとのんきなことを言ってると、
与(くみ)しやすしとばかりに何度でも襲ってくる。自国領土と領海を守る
気概のない国は世界から侮られ、早晩滅びるというのが歴史の教えるところである。



旧ソ連のウイスキー級潜水艦
座礁させられた場所にある記念碑。
ウイスキー・オン・ザ・ロックとは
よくぞ言ったものだ

2013年11月1日金曜日

犬と支那人は……?

手前味噌になるが、ボクの住む団地(約1600世帯)は「さいたま景観賞」にも選ばれた
花と緑の美しい団地で、外国からのお客さんもみな一様に「素敵!」「きれい!」と感嘆の
声をあげてくれる。たぶんこの沿線ではもっとも美しい団地のひとつではないかと思う。

そんなわけで、ボクも微力ながら棟の「植栽ボランティア」の一員として活動している。
ところが数週間前、女性会員の前で力のあるところを見せようとして
重い植木鉢を持ち上げたところ、腰を「グギッ」とやってしまった。持病ともいえる
ギックリ腰をまたぞろ再発させてしまったのだ。

今はようやく治りかけているところで、年甲斐もなく「ええかっこしぃ」をするのは
つくづく懲りた。もともと箸より重いものを持ったことがないという〝お坊ちゃま育ち〟
なものだから(大ウソつきめ!)、力仕事は向かないのだ。でも、見た目はムキムキの
マッチョ男だから、「力仕事は嶋中さんにお願いね」などと女性陣の期待も大きい。

そんなある日、団地の構内を支那人のご一行様(男ばかり5~6人)が通りがかった。
何かの視察団だろうか、ピーチクパーチクと傍若無人の大声でしゃべりながら
歩いているから、遠目からでもすぐ分かった。見るともなく見てると、
きれいに手入れされた植栽や花壇に、「カーッ、ペッ!」と勢いよく痰を吐いた。
ひとりではない、数人が続けざまにツバと痰を吐いたのだ。

ボクはこの無礼に対し、「コラッ、何をやってるんだ。汚いじゃないか。
君たちにはマナーってものないのか!」と猛然と抗議した。せっかく丹精して
育てている花壇に向かって痰を吐くとは……ボクの剣幕に恐れをなしたのか、
支那人たちは首をすくめて足早に通り過ぎていった。

また別のある日、地下鉄有楽町線の車内で、ボクの隣に支那人の男女が座った。
ボクはいつものように本を読んでいたのだが、このお隣さんがこれまた
抑揚のある高い声でピーチクパーチクと、のべつしゃべりっぱなし。
周囲の人も顔をしかめていたが、ボクだって読書に集中できやしない。

「君たち、もう少し静かにしゃべれないか?」
口調は穏やかながらウムを言わせぬ態度でこう言ったら、
日本語は分からなかったようだが、何となく雰囲気を察したか、
しゃべるのをやめ、ほどなく別の車両に移っていってしまった。

支那人旅行者のマナーの悪さは、いま国際的な問題になっていて、
YouTubeなどで「中国人マナー」などと検索すると、車内で大小便をしている人や、
場所柄をわきまえず大声で怒鳴り合ったり取っ組み合ったりしている旅行者たちが
いっぱい出てくる。

支那のミニ・ブログ「ウエイボー(微博)」には、ローマはコロッシアム遺跡近くの往来で、
支那人旅行者が傘で隠しながら大便をしているのを、同じ支那人旅行者が
目撃したという報告がのっていた。世界各国の旅行者たちがいる前で、
平気で尻をまくり、それも衆人環視の的になる公道で、まるで犬猫のように
クソを垂れてしまう神経というのは、いったいどういうものなのか。

大便といえば、今年9月、四川省のある街で、若い夫婦が子供に街角で大便させていたところ、
女性清掃員が父母に厳重注意。そしたら逆ギレし、悪態をつきながら2度にわたって大便を
清掃員の顔に投げつけるという事件が起きた。清掃員もウンの尽きであった。

「何事もがまんしない」というのが支那人の民族的気質らしいが、ほしいものがあると、
駄々っ子みたいに屁理屈を並べ、挙げ句の果てに説教まで垂れるのには閉口する。
現に領土問題に関して、8月15日付け『人民日報』は、
「サンフランシスコ平和条約は中国の抗議と反対を顧みずに決定されたもので、
違法であり無効である」と主張。よって沖縄も日本の領土ではない
などと戦後秩序を全否定するような記事を載せている。国際法もへちまもない。

頭のいかれた韓国、北朝鮮、そして支那という〝3バカ〟を隣国をもつ日本という国は、
ほとほと隣人に恵まれないかわいそうな国なのだな、と思い悲しくなる。
犬と支那人および韓国人はわが団地内に入るべからず
愛国者のボクは、こんな看板を立てたい衝動にかられることがよくある。



←あのねぇ……こんなところで
パンティをおろさないでよね。

それにしても周囲には人もいっぱい
いるだろうに、よくこんな破廉恥なマネが
できるものだ。トイレの扉を開けっ放しにする
という習慣が、羞恥心を奪っているのだろうか。
ねえ、隣のおバアちゃん、何見てんのよ?
(立派なお尻だねぇ……)

2013年10月25日金曜日

「なでしこアクション」の賢女たち

今夏、8月15日、ボクは膝痛の脚を引きずりながら靖國神社にお参りしてきた。
そのことについてはすでに「靖國は燃えているか」に書いたが、
その際、「なでしこアクション」のおばちゃんたちが署名活動をしていたので、
ささやかながら協力した。

周知のように、在米韓国系団体の後押しでいま、全米20カ所以上で従軍慰安婦の
少女像や碑の設置計画が進んでいる。7月にカリフォルニア州グレンデール市に
その少女像が設置されたことはすでに多くのメディアで報道され、
ボクも「虚言の栄える国」でちょっぴりふれた。

こうした日本を貶める暴挙に対して、「日本女性として黙っていられない」と、
ごくふつうの主婦たちが立ち上がったのが「なでしこアクション」のネットワークだ。
代表の山本優美子さんは、こう語っている。
子や孫の代まで韓国によるウソの宣伝で罪を背負わされるのは許せない

山本氏には、米国で暮らす日本人主婦から、
以下のような悲痛なメールが連日届いているという。
《子供たちは米国の地元校で学んでいます。当然、日本に配慮された教科書を使う
はずはなく、中国や韓国が主張する捏造談ばかり。歴史を学びだす6年生くらいから、
日本人であることが恥ずかしく思えてくるようです。中韓の子供たちの嫌がらせもあります》

「なでしこアクション」はさまざまな活動をしているが、2007年米国下院で可決された
「従軍慰安婦対日非難決議」撤廃要求の署名運動もそのひとつだ。歴史に無知な
アメリカ人議員にも困ったものだが、在米韓国人団体のロビー活動は強力だから、
うかうかしているとウソの歴史ばかりが真実としてまかり通ってしまう。

ボクは韓国人を端的にあらわす四字熟語は「夜郎自大」だと、何度となく言ってきた。
が、元時事通信記者でソウル特派員だった室谷克実氏は「外華内貧」こそふさわしいと
言う。韓半島で生まれた四字熟語のひとつらしく、その意味するところは、
中身はボロでもかまわないから、外側だけはピカピカに飾りたてたい」というものだ。
要は「見栄っぱり」「ええかっこしぃ」ということか。

室谷氏に言わせると、日本人はどっちかというと、
   
   ♪ボロは着てても心の錦、どんな花よりきれいだぜ (『いっぽんどっこの唄』より

というマインドに近いのだが、韓国人は逆で、まず何より外面(そとづら)を気にする。
だから、彼らは「息を吐くようにウソを吐(つ)」(室谷氏)のだそうだ。

現に当の韓国の朝鮮日報社が'03年、2月13日の記事で、
《日本の671倍も偽証が氾濫する韓国の法廷 韓国人は世界一のウソつき民族
という記事を載せ、自らをウソつき民族と認め悲憤慷慨しているのだから、
これほど確かなことはない。

「外華内貧」のマインドは、いつしか「ウソの顔」をつくることに罪悪感を感じなくなる。
朝鮮日報の調査によると、整形外科医を総動員し、ランダムに選んだ1800人の女性
(20~50歳代)の目と鼻を判定させたところ、その46%を「整形済み」と判定したという。
なんと2人に1人が整形していたのだ。こんな国、世界広しといえども他にない。

身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり
という儒教の名言なら、多少教養のある日本人なら誰でも知っているが、
「儒教の国」と胸を張る当の韓国人はまったく知らないようだ。儒教でもっとも
大切とされる徳目は「孝道」だが、その「孝」の根本を分かっていないのだから、
なにが「儒教の国」だ、と言いたくなる。

ボクは韓国で何度も取材してきたが、こっちが尋ねもしないのに
「私は両班(ヤンバン)の出だ」とふんぞり返るおっさんが多いのには閉口した。
李朝末期には偽の身分証の売買が盛んだったから、おそらくこのふんぞり返った
おっさんたちも正真正銘?のニセモノなのだろう。とにかく日本の統治が始まった
直後には両班が全人口の半分を占めていた、というのだから笑わせる。
「ウソで固めた国」とボクが再三いっているのも、ダテや酔狂ではないのだ。

これは以前にも述べた話だが、5年前に米国スタンフォード大学の研究グループが
各国の歴史教科書を比較分析したところ、こんな結論が出た。すなわち、
日本人にとって歴史は(ただの「ヒストリー」だが、韓国人にとって歴史は
(夢あふれる「ファンタジー」で、支那人にとっては共産党政権の「プロパガンダ」である
というまっとうな指摘だ(カッコ内筆者)。

連日テレビでは韓流の歴史ドラマが放映され、少し頭の足りないおばちゃんたちが
熱心に鑑賞しているようだが、絢爛豪華な李氏朝鮮の時代絵巻はまっかなウソなのだ、
ということをしっかり認識しておいてくれないと、まんまと敵の術中にハマることになる。

「韓流ドラマ」が大好きなノーテンキなおばちゃんたちよ!
あなたたちがウソで固めたドラマを愉しんでいる間も、
あなたたちの子や孫や曾孫たちは世界中で〝いわれなき侮辱〟を受け、
人知れず泣いているのですよ。日本国を侮辱し、日本人を辱めようとする隣国・韓国の
片棒担ぎだけはもうやめていただけませんか?
日本人として、それはとても恥ずかしい行為なのです。




←韓国人のウソを告発する「なでしこアクション」
の勇敢なおばちゃんたち。なでしこ頑張れ!





 

2013年10月23日水曜日

芸ノー人大っきらい

突然だが、わが家で嫌われてる「芸ノー人」やその他有象無象がこれだ。

久米宏←あのヘラヘラしたしゃべくりが薄っ気味わるい。腐れ左翼の一員で、「巧言令色鮮矣仁」の典型

●古舘伊知郎←プロレス中継がお似合いだが、この程度でもテレ朝の報道番組ならつとまるってこと

小倉智昭←よく知らないけど、あのアデランス頭がわけ知り顔で能書き垂れ出すとチャンネルを変える

●島田紳助←下のツバ飛ばし男と同じで、人格が下品そのもの。関西人のいやらしさが横溢してる

明石家さんま←上の品性下劣男と同類だが、サッカー解説だけは的確で堂に入っている

●みのもんた←あの極悪人そのもののふてぶてしい顔を見てると、「テレビ人間」って奴がつくづくいやになる

香取慎吾←とにかくあの口のでかいマヌケな顔がきらい。SMAPはどいつもこいつもマヌケ顔というのがすごい

●木村拓哉←性格はいいが、半魚人みたいな顔がダメ。どこかバランスがわるいのである。胴長短足はご愛敬

和田アキ子←うーん、なんでこんな下劣な大女が芸ノー界で女王面してるわけ? あっちへ行け!

●広末涼子←「あのアヒル口がきらい」とは女房の弁。演技はド下手で取り柄なし。こいつもあっちへ行け!

米倉涼子←たしかに美脚だが、「だからどうした!」って感じ。目が怖い。ボクのタイプじゃない(ぷっ)

●松田聖子←国辱ものだから、どうか外国映画だけは出演しないでほしい。百恵ちゃんを見習って早く消えろ!

菊川怜←東大出の美人というだけの木偶。頭の中身はパッパラパー。職場の花、というより鼻つまみ者

●蓮舫←この手のクソ生意気な娘ッ子に上から目線でやりこめられたら頭来るよなァ。お役人たちに同情します

森永卓郎←貧乏ったらしい風貌がいや。そしてガマガエルみたいな顔も。経済評論も貧乏ったらしい

●テリー伊藤←築地の卵屋の息子がおだてに乗ってしゃしゃり出るとああなる。ロンパリのお目々はもう見飽きた

山田五郎←キューピー頭のこの黒縁メガネが出てくると、血圧が上がる。偉っらそうなバカ男、とっとと失せろ!

●亀田兄弟&父親←公共の電波に乗せる輩ではない。ほとんどケダモノ同然。狂犬病注射をして隔離すべし

「芸(も)脳もない」輩はここにもいる。
鳩山由紀夫←市中引き回しのうえ獄門はりつけに処すべき世紀の大バカ野郎。ド派手な女房も同類

●菅直人←四国の巡礼をしようが僧門に帰依しようが、こいつの低脳イライラ頭はどもならん。小塚っ原で処刑

長妻昭←ひたすら暗い。年金問題しか知らないアホ議員。民主党議員はどいつも暗くてかなわん

テレビに出てくるアホどもはまだ佃煮にするくらいいるのだが、キリがないからやめる。
昔から「テレビに出るやつは二流」といわれていたが、ここまで品下がると見てられない。
脳なしの政治屋は与党の中にもいた。河野洋平や宮澤喜一、加藤紘一などがそれだ。
彼らの犯した罪科は野党のそれよりも重いかもしれない。

さてGoogleなどの検索エンジンで「増田明美」とか「高倉健 大根」と〝ググって〟くれ。
まっ先にボクのblogが飛び出してくる。人の悪口書くと評判になっちゃうんだから、
世の中、どうかしている。ボクだって人を褒めたい。でも褒めるに値する人物がいない。

特にテレビ人間はほぼ壊滅状態だから、必然的に人物評も辛口になっちまう。
増田明美に健兄ィ! さんざん貶したけど、どうか恨まないでおくんなまし。
ご両人は、少なくとも和田アキ子やみのもんたよりはマシだから(←嬉しかねーよ)。
そのうち褒めることもあるでしょう。乞うご期待(←期待できそうもねーな)。








←嫌いな芸能人ランキングで、栄えある第一位を
獲得した「みのもんた」君。まずはめでたし、めでたし。
見よ、この得意満面のサル顔を。




 

2013年10月22日火曜日

プールサイドブルース

高校時代、水泳部で苦楽を共にしたY君が亡くなった。享年61。
食道ガンだった。闘病2年の甲斐もなく、ついに力尽きてしまった。
聞けば煙草と酒が離せず、酒もつまみを食べず焼酎を生(き)のままで
グイグイとあおるような飲み方だったという。これじゃあ胃も食道も傷つく。
Y君と最後に会ったのは5年前。その時も同級生の葬儀がらみだった。

Y君はボクと同じ背泳(バックストローク)が専門だった。
専門という割には二人にそのセンスはまるでなかった。
誰がどの泳ぎを専門にするかは、先輩たちが決める。
おまえ、バックやれ――それでおしまいである。
本人の意向など聞かない。勝手に決めてしまう。

ボクはバックストロークという〝後ろ向き〟の泳ぎがきらいだった。
そういえばフランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩に、こんなのがあった。

   湖に浮かべたボートを漕ぐように
   人は後ろ向きに未来に入っていく
   目に映るのは過去の風景ばかり
   明日の景色は誰も知らない

何事も後ろ向きだったあの頃、せめて泳ぐ時くらい前を向いて泳ぎたかった。
だから、いまでもクロールとバタフライをすることはあっても、
バックで泳ぐことはまずない。好きになれないのだ、あの泳ぎが。
Y君のバックもひどいものだった。ならばクロールがうまいのかというと、
これも輪をかけてひどかった。ボクたち二人は水泳部のお荷物だった。

Y君のいいところは、へたはへたなりに頑張るところだった。
どんなに苦しくてもちょっとした冗談を飛ばし、周囲を和ませるようなところがあった。
二人は一応決められた練習量はこなしたが、力を抜くところは抜いていた。
でもあからさまに流している(力を抜いて泳ぐことを〝流す〟といった)と、先輩たちの
目にとまり、「オイ、おめーら、流してんじゃねーよ!」とデッキブラシで小突かれ、
バツとして腕立て伏せをやらされた。だから、いかにも全力で泳いでいるかのように
形相だけでも必死感を演出するのである。ボクたちには演劇の才があった。

バックストロークには1つだけ利点があった。上向きに泳ぐから呼吸が比較的楽なのである。
夏の日などはのんびりと流れる雲を眺め、もの思いにふけりながら泳いだものだ。
もの思いといっても、「我いかに生きるべきか」といった小難しいことを考えて
いたわけではない。「今夜のおかずは何だろう」とか、「R子ちゃんは今ごろ何してるかな」
などと、当時のボクにとっては切実な問題を〝流しながら〟考えていたのだ。

たぶん助平だったY君も同じような妄想を抱きながら、孤独の中で泳いでいたことであろう。
同じ釜のメシを食い、理不尽な先輩たちのいじめに泣いた仲間が、
病魔に倒れて逝ってしまうのはひどく悲しい。妻子や孫を残して先立つのは、
さぞ残念なことだっただろう。Y君の無念を思うと、言葉がない。

いつの頃からだろうか、慶事より弔事が多くなったのは。
葬式などはふしぎに続いたりするものだから、喪服をクリーニングに出す
タイミングが計れないときがある。

仏教では「定命(じょうみょう)」といって、人の寿命は一定しているという。
最長は8万4000歳で最短は10歳だというから、61歳ではあまりに短い。
ボクは8万歳まで生きたいとは思わないが、あと10数年は生かしてほしい。
ベストセラーを書き、大金持ちになって、銀座で豪遊し、きれいなネエちゃんを
何人も囲って、殿山泰司みたいな立派なヒヒ爺ィになるのだ。

Y君の霊よ、鎮まってくれ。
君の分まで長生きし、君以上に助平なヒヒ爺ィになってやるから。
ああ、あのいたずらっぽい目が忘れられない。
心より合掌。





←ボクの尊敬するヒヒ爺ィ。

2013年10月18日金曜日

悪筆だって生きられる

ボクは生来の悪筆だ。わが文字ながら見ているといやになってくる。
筆勢が定まらず、その日の気分であっち行ったりこっち行ったり。
右肩上がりの文字を書く時もあれば、左肩上がりの時もある。
自己韜晦(とうかい)〟と自分で呼んでいるのだが、要するに得体が知れない。
だから、手紙などもワープロだし、もちろん原稿はワープロで打つ。
せいぜいタイプアップした後の締めくくりに直筆の署名を入れるくらいだ。

一方、カミさんは達筆で、娘たちも書道では段持ちで、それも高段者だ。
ボクの兄弟もみな有段者で、ボクだけが金釘流で情けないような文字を書く。
とにかく生まれてこのかた、習い事というものをしたことがなく、学習塾とも無縁だった。
亡くなったカミさんの父親は書の達人で、そのまま掛け軸にしたいくらい巧かった。
若い頃は「ソロバン日本一」になった人でもあるから、たぶん人一倍努力家だったのだろう。

わが悪筆も噴飯ものだが、上には上があって、ときどき葉書を寄越してくれる
出版社勤務のMさんの字も世界遺産級にひどいものだ。
糸くずがからまった判じものみたいな文字で、ボクはMさんの葉書を見るたびに、
「この文字がどれだけ世の悪筆に悩む人々を慰め励ましていることか」
などと不謹慎なことを思い、ひとり笑ってしまう。

ボクたち夫婦の仲人をやってくれたI編集長の字も負けず劣らずひどかった。
何と言おう、地上から10センチほどのところをふわふわ浮いているような
目方のなさそうな文字で、当時、大日本印刷の植字工もI氏の原稿を判読できず、
ウソかまことか、後にI氏専門の文選工が養成されたと聞くから、
その悪筆ぶりは石原慎太郎並みにひどかったのだろう。

話変わって、男には「三種の神器」があるという。
腕時計と万年筆、ライターがそれである。
昔は腕時計はオメガ、万年筆はパーカー、ライターはロンソンだったというが、
今はそれぞれロレックス、モンブラン、ダンヒルなのだそうだ。

銀座のクラブなどに出没する金持ち連中には必需品なのだろうが、
貧乏人のボクにはまったく関係がない。腕時計はもう何年も前からしていないし、
禁煙したからライターも持たない。もっとも吸っていた頃は使い捨てライターの愛用者で、
生業(なりわい)までもが今も変わらぬ〝100円ライター〟だというのがちょっぴり悲しい。

ただ、ひとつだけ持っているものがある。モンブランの万年筆である。
モンブランのマイスターシュテュック146」というもので、ワープロが出現するまでは
この万年筆で原稿を書きまくっていた。机の抽斗の奥に眠っていたモンブランを
引っ張り出したのはほんの気まぐれだ。が、せっかく日の目を見させてあげたのだからと、
一晩ぬるま湯に浸け、洗浄した。そして「ミッドナイトブルー(昔のブルーブラック)」の
インクをネットで購入、冬眠状態だった万年筆に息を吹き込んでみた。

文字はスラスラ書けた。ペン先の感覚が徐々に指先に蘇ってくる。
しかし悪筆は相変わらずで(当たり前だ)、モンブランで書けばたちまち弘法大師に
変身できるわけではない。それでもこのペンには何ともいえぬ温もりがある。
磨いたり撫でまわしているだけで、ついニヤついてしまう。
そして猛烈に原稿を書きまくっていた頃のことを思い出し、
ちょっとばかりおセンチになってしまう。あの頃はボクも若かった。

せっかく蘇らせたのだから、だれかに手紙を書きたくなった。
病院から退院した叔母に送ったら喜んでくれるだろうか。
それとも遠く離れた心の友に一筆したためてみようかしら。
原稿書きに追われ、時間泥棒に支配されている身の上で、
ふとそんなことを夢想してみた。





←ミミズののたくったようなボクの金釘流も、
こいつの幼稚な字よりは数段マシか。
頭の空虚さがそのまま字に表れている


 

2013年10月11日金曜日

ストーカーと呼ぶんじゃない!

三鷹の自宅前で高3の女子生徒が21歳の元交際相手に刺殺されるという事件が起きた。
またぞろ起きてしまった〝ストーカー殺人事件〟。警察に相談してはいたそうだが、
今回もまた後手に回ってしまった。「長崎ストーカー事件」に「桶川ストーカー事件」、
そしてこんどの「三鷹ストーカー事件」と、なにやら〝流行〟のようになってきた。

ストーカーというのは特定の他者に対して執拗につきまとう行為、および行為者を言う。
昔は「変質者」とか「変態」と呼ばれていたものだが、'90年代に入ってからストーカーと
カタカナ言葉で呼ばれるようになり、その途端、イメージがプラスに転じてしまったのか、
変質者たちは大手をふるってつきまとうようになった。ネーミングというものには
そうした性格があって、うす汚い「変質者」や「変態」という呼び名にとどめておいた
ほうが賢明な場合だってある。

近頃の男は、別れ話が出た途端に逆ギレし、相手を殺したくなるほど憎むというから、
危なっかしくて見てられない。年頃の娘をもつ親としては他人事ではないのだ。

男と女の関係なんて、ハタから見たって分からない。
息子や娘のことはすべて分かったような顔をしている親だって、何も知りはしない。
ボクは自慢ではないが若い頃から女性によくもてた。
いまでも絶大な人気がある(オバサンとかオバアサンにだけど……)。
なぜなのかと考えたら、答えが出た。相手を思いやる気持ちが強いのだ。
つまり人間がやさしい(自分で言うな!)。

変質者や変態野郎に共通するのは、相手の感情に想像をめぐらせることが
できないことだ。甘えや思い込みが強すぎて、自分の思いどおりにならないと
すぐキレてしまい、暴力に訴えようとする。拒絶されることに異常なほど過敏になっていて、
相手がつれない態度をとっただけで怒りや恨みの感情を抱いてしまう。
要するに耐性がない。

ボクは女性にもてたが、ふられた数もまた多かった。
しばらくは立ち直れないほど沈み込むこともあったが、
相手を逆恨みしたことなど一度もない。自分の至らなさを反省するばかりで、
いつも批判の矛先は自身の内面へ向かった。
たぶん、同世代の男たちはみんなそうだったんじゃないかしら。
勧善懲悪のチャンバラ映画で育ったボクたちの世代は、
卑怯未練を心底憎んだ。未練たらたらの男をカッコ悪いと思った。

しかしいまは違う。「卑怯なマネをするな!」という言葉がまず通じない。
通じたとしても心に響かない。カッコいい男のスタンダードがないからだ。
テレビドラマに出てくる男たちは、総じて気弱な女々しい男ばかりだ。
が、逆に半沢直樹みたいに「やられたらやり返す。倍返しだ!」などと
受けた仕打ちを倍にして返す男がヒーローになったりする。

女「あなたとはもう別れたいの」
男「なに? おれと別れたいだと?」
男(心の中でつぶやく。「やられたらやり返してやる! 10倍返しだ!」)

ボクの規準からすると、半沢直樹みたいに執念深い男はヒーローの器になり得ない。
たとえ不条理に対する怒りだとしても、「スカッとした男らしい爽やかさ」が感じられず、
女々しい男に映ってしまうのだ。半沢人気はヘビのように執念深いストーカーを
ますます増やしてしまいそうな気さえする。

某犯罪心理学者がストーカーになりそうなタイプを挙げている。
①実際以上に自分をよく見せたがる異常なほどの見栄っぱり(ウーン、俺もそうかも)
友人が少なく、年下とはうまくやるが、年上との折り合いがわるい(これは違ってるな)
自己愛が非常に強い(よく「ナル男」っていわれる)
④メールや電話で過度に連絡をとりたがるそれはないな
⑤仲直りのために過剰なサービス精神を発揮する(そんなみっともないことはしない)

そう、だれもが痴漢や変質者になりうる資質をもっているのだ。
でも心のブレーキがかかって、行為に及ぶものは少ない。
それはどんなブレーキなのだろう。理性? 道徳心? 弱気? それとも美感?

決して美しくない「半沢直樹」がヒーローになってしまう現代という時代。
ボクは「月光仮面」や「アラーの使者」が恋しいほどに懐かしい。
がに股短足の宇津井健が白い全身タイツをまとい、
股間のモッコリを見せながら空を飛ぶ「スーパージャイアンツ」の
なんと雄々しくカッコよかったことか。昭和に生まれてほんとうによかった。





←われらがヒーロー「スーパージャイアンツ」。
股間のモッコリが評判で、みんなアソコばかり見ていた。
アメリカの「スーパーマン」より数段カッコよかった






 

2013年10月10日木曜日

手網焙煎のすゝめ

酒も好きだが、コーヒーも好きだ。
コーヒーがないと仕事がはかどらず、頭も働かない。
ただしインスタントはダメ。あれはコーヒーではない。
韓国の整形美女みたいなニセモノである。

実のところ、インスタントコーヒーの肩を持っていた時期もあった。
しかし原材料の品質はいかんともしがたい。
特にネスレはいけない。質の悪い安価なベトナム産コーヒーを、
さらに買い叩いている。キーコーヒーが少しはマシかと思ったが、
最近は、買いかぶりだったと贔屓するのをやめてしまった。

インスタントコーヒーがなぜダメかというと、アラビカ種ではなく
ロブスタ種(カネフォーラ種)が主に使われているからだ。
ロブスタ種は缶コーヒーやインスタントコーヒーに使われている
質のわるいコーヒーで、アラビカ種のコーヒーみたいにストレートでは飲めない。
だからアラビカ種に混ぜて増量剤のようにして使う。

フランスのカフェオレやベトナムコーヒーには、ミルクと
コンデンスミルクの使用が必須だが、あれはロブスタ種の
いやなニオイ(ロブ臭という)をマスキングするために使われている。
所詮、オシャレだとかカッコいいなどと感心するような飲み物ではないのだ。
かつての植民地がロブスタ生産国だから、宗主国のフランスやイタリアは
ロブを使うしかなかった。苦肉の策で生まれたのが、
ロブ臭を消すためのカフェオレでありエスプレッソでありカプチーノなのである

ボクは全国の名店からコーヒーをネット購入しているが、
自分でも焙いている。焙煎機などない。手網である。
なんだ手網か、などとバカにしてはいけない。
手網でも相当なレベルまで焙くことができる。
へたな自家焙煎店など目じゃないのだ。

手網やコーヒー生豆は浅草かっぱ橋に行けばすぐ買える。
インターネットでも販売しているから、その気にさえなれば、
すぐにでもコーヒー自家焙煎は始められる。
自分が飲むコーヒーくらい自分で焙いたらどうだろう。
むずかしいというのなら別だが、素人のボクがそこそこ焙けるのだから、
凝り性の人だったら、名人級のコーヒーが焙けるかもしれない。

先日、今年いっぱいで店を閉めるという南青山の「大坊珈琲店」に行ってきた。
午後4時過ぎにおじゃましたのだが、狭い店内は大坊閉店の報を聞き、
常連客が名残を惜しみに来たのか、どの席もいっぱいだった。
この大坊も手網とどっこいどっこいの手廻し焙煎機を使っている。
それで深煎りの名品ともいうべきコーヒーを創り出してしまうのだから、
焙煎の原点でもある手網焙煎をゆめ侮ってはならないのである。

しばらく見ない間に店主の大坊勝次は変わり果てた姿になっていた。
髪の毛が風前の灯だったのだ。自分の滅びゆく髪を棚に上げて
図々しく言わせてもらうと、すでに「万事休す」の感があった。
口の悪いボクも、さすがにそのことには触れがたく、
できるだけ頭のてっぺんを見ないように、伏し目がちにコーヒーをすすった。

コーヒーはさすがに年季が入っていた。とろんとした濃醇な味わいで、
滋養のある黒い液体を胃の腑に流し込むといった趣きなのである。
フレンチとイタリアンローストの境目くらいまで煎り込んでしまうと、
ふつうはただ焦げ臭いだけの一本調子の味になりがちなのだが、
大坊のコーヒーは単純をめざしつつも、ついには複雑の相を帯びてしまう、
といったコーヒーで、ただべんべんと日を送っているだけでは、
とてもじゃないけど到達できそうにないレベルのそれと言っていい。

大坊のカウンターに座る客は、みな一様にバッグから本を取り出す。
いっぱし読書家を気どっているのだ。コーヒーをすすりながら静かに本を読む――
たしかに、スマホを指先でつついている連中よりは、数段利口そうには見える。
故・向田邦子や村上春樹が贔屓にしている店ゆえか、
客までもがどこかアカデミックな雰囲気を漂わせている(買いかぶりすぎか)。

大坊勝次は無口な男だ。余計なことは一切しゃべらない(肝心なこともしゃべらない。プッ)。
それでいて堅っ苦しいかというと、そうでもない。
ポツリポツリと言葉を発し、時々冗談らしいことを言いニヤリと笑う。
ラグビーが好きで、自身も現役のラガーマンだというが、
ちょっと信じがたいところがある。
トドみたいに巨体のボクが突進していったら、鵞毛のように軽い小男の大坊など
空中高く吹っ飛んで、たぶん骨がバラバラに砕けてしまうだろう。

大坊勝次とのつき合いは古い。
初めて会ったのは開店間もない頃だから、
40年ほどになろうか。互いに歳を取り、
あの頃の溌剌とした面影など見る影もないが、
上手に歳を取ったという感じはしないでもない。
ひとつことに専念した男はこんな素敵な顔になる(これもホメすぎか)。
畏るべきかな、大坊勝次。惜しむべきかな、超深煎りコーヒー。




←手網焙煎は簡単。ただしガス台周りは
チャフ(薄皮)が飛ぶのでひどく汚れる。













 

2013年10月5日土曜日

似非ジャーナリストの良心

ボクは左翼がきらいだ(←昔は左翼だったくせに偉っらそうに)。
特に日本の悪口ばかり言っている反日左翼の連中を
蛇蝎(だかつ)のごとくきらっている。朝日・毎日新聞はそうした左翼を生む温床で、
TBSやテレビ朝日に出てくるニュースキャスターなどもその手合いといっていい。
『Nステ』の元メインキャスターの久米宏や『ニュース23』の筑紫哲也などが、
まさにその典型だった。

あの軽忽極まる久米宏などは雑魚だからこの際無視するが、筑紫は違う。
〝ジャーナリストの良心〟みたいな顔をして、ウソを垂れ流していた。
筑紫は北朝鮮の礼讃者だった。「北朝鮮はすばらしいところです」という内容の
日本人妻(北鮮在住)のビデオを、何の論評もなく垂れ流すような男だった。

(あの筑紫キャスターが言ってるんだから、北朝鮮が地獄だなんてウソだろ?)
誰もがこう思った。こうした無責任な報道がどれほど拉致被害者の救済を
遅らせたことか。たとえウソでも彼は「報道の自由だから」と強弁するのだろうか。

亡くなってしまった人間を貶めるのはもとよりボクの趣味ではないけれど、
彼がジャーナリストの風上にもおけない人間だ、
ということは言っておかなくてはならない。

ボクは30代の初め、取材でジャマイカに飛んだ。
そこである日本人男性と会った。いまはすっかり有名になってしまったが、
当時はまだ無名で、家族と共に首都キングストンに住んでいた。
実名を出すと差し障りがあるので、仮にK君としておこう。
ボクはK君と夜が更けるまで話をした。

K君は18歳で日本を飛び出し、ジャマイカに来る前はエルサルバドルで暮らしていた。
エルサルバドルといえば1980~1992年まで壮絶な内戦が繰り広げられていた国だ。
極右と左翼ゲリラとの戦いで、米ソ冷戦の代理戦争みたいな趣きさえあった。
街には死体がゴロゴロ転がっていて(内戦の死者は12年間で7万5000人)、
K君は何度も銃を向けられ、実際に機関銃で撃たれたこともあった。

そんな折、日本の報道番組の取材陣がサルバドルを訪れた。
筑紫哲也の率いる『ニュース23』のご一行様だ。筑紫はK君に言った。
「内戦の実情を取材したい。ついては通訳兼コーディネーターをお願いしたい」
金のないK君にとってはもってこいのアルバイトだった。
で、さっそく一行を引き連れゲリラ戦の前線へと1週間の取材旅行に出かけた。

ある村に難民キャンプに入るのを拒否している家族があるという。
さっそく取材してみよう、ということで現地に向かった。危険地帯なので、
赤十字の旗を掲げながら恐る恐る村に入っていった。幸い、銃撃戦もなく、
ぶじ取材を終えることができた。しかし、筑紫とそのスタッフはなぜか不満そうだった。
聞けば、派手なドンパチがないから〝画〟としてつまらないというのだ。

「で、彼(筑紫)はボクにこう言うんです。Kさん、すまないけど、まさに内戦状態
で取材を敢行しているという映像を撮りたいんで、硝煙弾雨の雰囲気をつくって
もらえないだろうか……」
K君は口あんぐりだった。でも従わないとギャラを取りっぱぐれるので、
しかたなくあちこち火を燃やして戦場のような雰囲気をつくり、
パンパンと銃弾を発射(K君は銃を携行していた)したりして、
血なまぐさい「戦場風景」の撮影に協力した。

これが〝ジャーナリストの良心〟といわれた男の正体である。
むしろ〝似非ジャーナリストの良心〟と言い替えたほうがいいかもしれない。

筑紫哲也は昭和10年(1935)の生まれだ。この時代の人間は
小さい頃から国民学校(小学校とは呼ばなかった)に通い、
大きくなったら天皇陛下のために死ぬような立派な国民になれ!」
と教えられた。そして昭和20年の敗戦を迎えると、こんどは
「これまで教えたことは全部忘れましょう。アメリカ軍が来たらハローと言いましょう
と〝真逆〟のことを言われたのだから、国家に対して不信感を抱くのも当然だろう。

しかし、だからといって「ウソを報道していい」ということにはならないし、
興味本位の〝やらせ〟で内戦レポートをでっち上げてもいい、
ということにはならない。

筑紫が共産主義に傾いていった事情は心情的には分かるが、
旧ソ連や北朝鮮、共産中国が「地上の楽園」でないことは一目瞭然だろう。

共産主義はおそらく新興のカルト宗教みたいなもので、
久米も筑紫もその熱烈な信者なのだろう。
信仰心のあつい人間に対して合理的に説得するのはむずかしい。
コミュニズムの「善」を信じ、ある面マインドコントロールされている彼らは、
いくらそのインチキ性を証明してやってもまるで聞く耳をもたないからだ。
朝日・毎日新聞の愛読者たちもおそらく同類だろう。
彼らは、聖典と仰ぐ「平和憲法」とハナから抱き合い心中するつもりなのだ。
愚かなりコミュニスト、危うきかな平和主義。


※付録「好きな言葉」
《20歳までに左翼に傾倒しないものは情熱が足りない。
20歳をすぎてなお左翼に傾倒しているものは知能が足りない》
(ウィンストン・チャーチル)





←反日ジャーナリストの代表・筑紫哲也。
この善良そうな顔にみなコロッとだまされてしまう。
筑紫は実は在日という説もある

2013年10月2日水曜日

100円ライターの〝あゝ無情〟

膝の故障は相変わらずだが、ギックリ腰が治らず困っている。
ふつうは1週間ほどで治るのだが、膝との絡みで腰に負担がきていたのか、
すでに3週間近くになろうとしている。腰を曲げられないから、蒲団の上げ下ろしもできず、
顔も満足に洗えない。一日中コルセットを巻いているから、お腹の肉がはち切れそうだ。

だからといって、横になっているわけにはいかない。
仕事が山積みで、それも大幅に遅れている。
原稿は9月いっぱいまでに書き上げる予定だったのだが、
まだ半分しか書いてない。

それでも毎日20枚(400字づめ原稿用紙換算)は書くのだから、
自分としてはハイピッチで頑張っているつもりだ(自画自賛)。
朝から夜まで机にしがみつき、パソコンとにらめっこ。
腰にいいわけがない。
それでも書き続けなくてはいけないのだから、
物書きなんて因果な商売だ。

春と夏に出版した本は2冊(どちらもゴーストライターです)。幸いにも2冊共に増刷され、
そのうちの夏に出した1冊(ノンフィクション)はすでに8刷目に入っている。
わずか2ヵ月で8刷は嬉しい。アマゾンの売行きランキングの上位にも顔を出している。
ライター冥利に尽きる、とはこのことだ。

今月は別の仕事も入っている。
テレビ関係の仕事で、ディレクターをやってくれと頼まれている。
しかし、まだそっちに時間を割く余裕などない。
原稿書きでアップアップなのだ。

ほんとうはブログの更新などやってる場合ではないのだけれど、
仕事の合間の〝箸休め〟といったところか。
気楽な文章を書くことでかえってリズムが生まれ、仕事がはかどるのである。
「文はリズムです」と師匠の夏彦翁はボクへの葉書にしたためてくれた。
そう、文章はリズムで書く。ボクなりのゆっくリズムで。

今日は台風の影響で朝から雨。
肌寒いような陽気で、短パン半袖はちと寒い(半年間はこのかっこう)。
「風邪だけはひくまい」と朝から気を引き締めている。



←秋の日のヴィヨロンのため息(ハァハァ←檀蜜)の
身にしみて、ひたぶるにうら悲し


 

2013年9月30日月曜日

ハイカラ祖父さんに会いたい

ボクは父方も母方も祖父のことは何ひとつ知らない。
父方の祖父は40で亡くなり、母方の祖父も若くして死んだという。
祖母さんは記憶にあるが、祖父さんは見たことがない。
聞けば母方の祖父鈴木諒二は素封家の出で、新聞記者を生業(なりわい)にし、
外国への渡航経験も複数回あるという。写真を見るとハイカラな伊達男で、
どこか面差しがボクに似ている。大変な酒豪で、
死んだら酒樽に浸けてくれ」が遺言だったという。
飲兵衛とは聞いてたが、なんとも呆れたじいさんである。

一方、父方の祖父のことは何も聞いていない。
「寅三」という名前だけがわかっている。
父が「岩蔵」で、堅物というより石部金吉金仏みたいな男だったから、
寅三じいさんもおそらくクソ真面目で面白味のない男だったに違いない。

いま悔やまれることは、祖父母の話をもっと聞いておけばよかったということだ。
祖父母がいなかったら、もちろんボクなどこの世に存在しないし、
娘たちだって生まれていない。祖父母のことだけではない。
もっと遡って曾祖父母、高祖父母のことを何ひとつ知らないのだ。

韓国だったら「族譜」というのがあって、30代前くらいのご先祖まで遡れるという。
ニセモノがかなりあるとはいうが、祖父母の名前すらウロ覚えの日本人とは
大違いである。

もし娘たちが結婚し子をもうけたら、ボクは自動的に「お祖父さん」となる(当たり前だ)。
で、もしボクが佳人薄命(←美人に使う言葉だろ!)で、孫の顔も見ずに死んでしまったら、
孫たちはどんなじいさんを想像するだろうか、
とつらつら考えてみたわけだ(←原稿に追われ、そんなヒマないはずだろ!)。

幸か不幸か、ボクにはささやかな著作がある。
なかにはエッセーみたいなものもあるから、それを読めば、
「ハハーン、じいさんはこんな立派な(愚かな?)ことを考えていたんだな」
と、ある程度はその〝人物像〟を想像することができるだろう。

それにおやじバンドをやっていた頃の颯爽たる映像がDVDにされて何枚もある。
テレビに出た時の録画映像もある。一般誌の連載エッセーだってある。
さらにはこの『忘憂日誌』という高尚高雅なブログもある。
じいさんに関する情報は山ほどあるのだ(そんなもん知りたくねーや、と言われりゃそれまでだけど)。

かつては個人が情報を発することはマレだった。
情報発信は新聞雑誌や放送メディアの専売特許で、
われわれはただそれを受信するだけだった。

しかし今は違う。インターネット時代になってSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が
普及すると、フェイスブックやミクシィなどで世界に情報を発信できるし、
動画サイトで人気が出れば、一躍〝時の人〟にだってなれる。

また友達リクエストに気安く応じていけば、容易に〝友達の輪〟をつくることができ、
擬似家族的なコミュニティを形成することもできる。そのなかで〝いいね、いいね〟と
褒め合い慰め合えば、少なくとも自慰行為の代償くらいにはなるだろう。

ボクは祖父母の情報がなさすぎて当惑しているところだが、
孫たちはジジババ情報の洪水のなかで、逆にアップアップしてしまうかもしれない。
情報というのはなくても困るが、ありすぎても困る。
情報過多の時代に生まれるだろう孫たち(まだまだ先の話だろ)に、
ちょっとばかり同情する。
 

しかし、ボクの祖父さんが新聞記者だったというのはおもしろい。
当時(明治期)の新聞記者は〝羽織ゴロ〟と呼ばれる世間の鼻つまみ者。
これもボクの祖父さんらしくて実にいい。
それにウワバミみたいな酒豪(アル中かも)だったというのも嬉しい。

隔世遺伝というのはあるらしいから、せいぜい早死にしないように
気をつけなくっちゃ、と言ってる先から酒ばかり飲んでいる。
早世(←還暦すぎたのに図々しい)どころか百まで生きて、
子や孫から「早くくたばってしまえ!」と石もて追われたりして(笑)。
人間、一寸先は闇でござんす。



←磯野家の家系図。
こんな楽しい家系図だったらいいね

2013年9月26日木曜日

伊達の「シャラップ!」に倍返しだ

クルム伊達公子(42)が、たび重なる観客の〝ため息〟に激怒して、
思わず「Shut up シャーラップ(黙れ)!」と声を荒げた。←shut upはかなり乱暴な表現です

24日、東京・有明テニスの森公園でおこなわれた東レ・パンパシフィックオープンの
シングルス2回戦で、伊達はオーストラリアの選手と対戦し、惜しくも敗れてしまった。
第1セットを落とし、第2セットで巻き返しを図ろうとした伊達は、必死にボールに
食らいついた。しかし奮戦むなしくボールはネットに。すると観客は「あ~あ!」。
伊達はマジ切れして英語で「シャーアアアアアアラップ!」と吼えた。

その後、タイブレークとなり、息をのむ場面で伊達は痛恨のサーブミス。
7000人収容のスタンドからは悲鳴のような〝ため息〟がまたもれた。
すると伊達はまたまたブチ切れて、観客席に向かって「ため息ばっかり!
一声吼え、怒りを爆発させた。観客たちはキョトンとし、いつしかしらけ鳥が。

結局、試合は2-0で伊達の敗退。
伊達はよほど癇にさわったのか、試合後の記者会見でも、
「欧米(の応援は)はそうじゃない」などと、日本の観客の応援マナーを批判。
同じ〝ため息〟でも欧米のは「オォー(↑)」とポジティブで、日本のは「アァー(↓)」
と暗く沈みこむみたいにネガティブなのだという(←オォーとアァーの違いかよ)。
もっと選手の背中を押してくれるような〝明るいため息のつき方〟を、
日本の観客も学んでほしい、と注文をつけた(←ボクは檀蜜の「ハァハァ」がいいな)。

「シャラップ!」といえば先般、国連拷問禁止委員会で聴衆の笑いに「シャーラップ!」
と叫んで退任させられたアホ大使がいたが、なぜか「シャラップ」は日本人にご縁がある。

伊達のマジ切れを見てボクは、「このおばさん、自分を何様だと思ってんだよッ!」
とマジに切れてしまった。伊達を応援しようとお金を払ってチケットを買い、わざわざ
見に来てくれたお客さまに対して、「マナーを知らない」とは何たる無礼、何たる不遜!
「シャラップ!」とケンカ腰で叫ぶほうがよっぽどマナー違反だろ。

ラーメンの湯切りざるみたいなものを振りまわし、ボールを打ち返してなんぼ、
という見世物興行のかたわれでありながら、自分が〝虚業〟の世界でおまんまを
食べさせてもらっている「芸人」のひとりだってことをすっかり忘れている。

野球でもサッカーでも同じ。ちょっとばかり有名になると、自分たちが「遊芸稼ぎ人
の同類であり子孫であることをきれいさっぱり失念してしまう。昔の寄席などでは、
へたな噺家を前にした客たちは、平気で大あくびをしたり、なかには寝っ転がって
寝てしまうものもいた。しかし、ひとたび気の利いたことを言うと客はガバと起き上がって
拍手を送った。そんな客たちを相手に、噺家たちは必死に芸を磨いたのである。

観客の「こもるようなため息」が気に食わないのなら、ため息をつかせないような
手に汗握る好試合をやってみろ。世界ランキング60位のおばさんが、何寝言いってんだ!
自分の未熟さを棚に上げ、負けたのは観客の〝ため息〟のせい、などと憎まれ口を
叩いているようでは、すでにおばさんの脈は上がってるな。欧米人のため息のほうが上等、
などとラチもないことを言ってるヒマがあったら、せっせと腕を磨くこった。

すりこぎ棒のでっかい奴や、湯切りざるのでっかい奴を振りまわすだけ(野球とテニス)
あぶく銭がもらえるってことが、どんなにすばらしいことか、とくと考えたらいい。
〝虚業〟に生きるものは、お天道様の下を歩けるだけでもありがたいのだ。
平和な時代でなかったら、一粒の米さえ食えやしない。

現にボクだってクルムおばさんの同類だ。言葉という符牒を操ってメシを食う典型的な
「虚業」に生きている。米や野菜といった形あるものは何ひとつ作れず、唯一の造形物
といったら〝ウンコ〟くらいなものだ。著作? あんなものただのイリュージョンにすぎんよ。

だから銀行はわれら虚業に生きる人間を信用せず、金を貸してくれないし、ボクも借りない。
虚業に生きるものは、いつだって内心忸怩(じくじ)たる思いを噛みしめているのですよ(ウソ)。
そんでもって、原稿が書けずに、いつも出てしまう「あ~あ」という絶望的なため息。
     

     ため息は命を削る鉋(かんな)かな

削られっぱなしで、もう後がありませぬ。



←おばさん、お黙り!
なにが背中を押してくれるようなため息が欲しいだ!
見に来てくれているだけでもありがたいと思え、
このスットコドッコイ!



2013年9月24日火曜日

親日が罰せられる国

韓国のニュースの中に、酒に酔った30代の男が95歳の老人を杖で殴り殺したという
のがあった。老人が日本の植民地時代を懐かしがり称讃したから腹を立ててやった、
というのが殺害の動機である。韓国では歴史の〝真実〟を語ると殺されてしまう

ご存知かとは思うが、韓国には「親日法」という法律がある。
「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」というのが正式名で、
要は日本を褒めたりすると罰せられる、という法律だ。
罰せられないまでも、上記の老人のように私的制裁を加えられる。
あるいは社会的地位を追われたり財産を没収されたりする。
これでは誰だって口をつぐむしかない。命あっての物種だからだ。
しかしなかには勇気ある人がいる。この88歳の老人もその1人で、
韓国は歴史捏造をやめるべきだ」と動画の中で訴えている。

李完用元首相については以前ふれたことがある。
1910年の「日韓併合条約」にサインした当時の大韓帝国の首相で、
いまは憐れ国賊のひとりに数えられている。
死後、人格は好き勝手に捏造され、墓は幾度も暴かれた。
日本ではどんな悪人でも「死ねばみな仏」となるが、支那や韓国では違う。
悪人は未来永劫悪人のままで、墓は暴かれ遺体(韓国は土葬)はムチ打たれ辱められる
とても同じ人間のやることとは思えないが、ほんとうの話だからしかたがない。
李完用の場合は子孫の墓まで壊されたので、遺族は廃墓にしてしまった。

李完用は生前こんなことを言っていた。
《現在の朝鮮民族の力量をもってしては、とても独立国家の体面は保てない。
亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。
欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を
振りかざして小言を言う。気に入らぬこと甚だしいが、これは朝鮮人を同類視している
からでもある。そして日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる
唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民族が豚の境涯から脱して、
人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、実に変な話だ。
わが輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ》

そして臨終での言葉。
私の生涯は汚辱で終わるのだ。人々は栄光を度外視して汚辱の生涯だけを
拡大して伝えるだろう。それは当然のことだ。人生は動機よりも残した足跡が大事だから。
親清派や親露派には無関心の寛容を見せながら、なぜ親日派だけにそれほどに
苛酷なのか知れない。きっと、結果的に国が亡びたからそうなのだろう。
私も自主独立だけを絶対値に信じる者だ。ただその次善の策が親日であっただけだ。
なぜ併合条約に前後して、この国の独立主義者たちは私をぶち殺さなかったのか。
密かにもの足りなく思う。私はなぜ農民の子に生まれなかったのだろう。それが怨めしい》

李完用は韓国では国賊であり、売国奴であり、極悪人だ。
その代わりに日本の初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文(植民地化に反対していた)
を暗殺した「安重根」のようなゴロツキが英雄に祭り上げられている。
いったいどこの国にゴロツキを国家の英雄にする国があろうか。

あの国はおかしい。変である。狂っているとしか言いようがない。
韓国起源説」というのがある。サムライや日本刀、ソメイヨシノも韓国起源で、
孔子やキリストまで韓国人だったなどと言い、支那から猛烈な反発を浴びている
最近では世界四大文明を興したのは韓国人だった、などと放言して世界中の
失笑を買っている。たぶん劣等感の裏返しだとは思うが、ほとんどビョーキである。

執念深いところでは、相変わらず「日本海」を「東海」と呼べ、と世界中に訴えかけている。
すでに黄海を「西海」と勝手に改称し、中国人のひんしゅくを買っているのだが、
黄海を西海にしろと世界に訴えた形跡はない。標的はいつだって日本なのである。

「日本人は歴史を直視せよ!」
「歴史を忘れた民族に未来はない」
韓国人は二言目にはこう言って口角泡を飛ばす。
しかしそういう韓国には、日本の戦前と同じで「国定教科書」しかないのだ。
国定ということは、一方的な政府見解や自分たちに都合のいい歴史だけを教えられる。
つまり、昔の日本の悪名高き「大本営発表」とまったく変わらないのである。
歴史を捏造して恥じない〝ウルトラファンタジー国家〟の韓国。
「未来がない」のが韓国だってことは、すでに明々白々ではないか。

ところで、今朝の読売の朝刊(9/24付)にこんな記事(「韓国マスコミの罪」)が載っていた。
《最近、日本の外交当局者の間で「韓国嫌い」が確実に広がっている。
韓国は国際社会でいつも日本につっかかり、こちらが理屈や道理を説いても
通じないのだという。「中国のほうがよほど話ができる」。そんなぼやきすら
聞こえてくる……》

まさにそのとおり。どんなに委曲を尽くしても彼らは聞く耳をもたない。
すぐ頭に血がのぼり、暴力をふるったり日の丸を食いちぎったりする。
火病」を患っているから、なおのこと恐いし、不気味だ。

「反日」がすでに骨がらみとなれば、あとは無視するしかあるまい。
へたにつき合うと、こっちまでアホが感染(うつって)しまう。
ウソで固めた夜郎自大のゴロツキ国家。いつか天罰が下るだろう。




←四大文明はすべて韓国が起源、
とする気宇壮大な〝妄想国家〟。
この国の人間は、たぶん〝クルクルパー度〟
では世界一だろう。こんな嘘八百を
教科書に載せて教えているのだから、
呆れるどころか、ちょっと恐くなる。
世界一の〝妄想国家・韓国〟。
一番になれてよかったね(プッ)。




※お願い
右上の池で金魚を飼っております(黒1匹+赤3匹)。
忙しさにかまけて餌やりを忘れてしまうことがあります。
餌は左クリックすればいくらでも出てきます。おまけにタダです。
ご用とお急ぎでない方は、どうか餌やりにご協力ください。
金魚たちは〝愛〟に飢えております。
←←の生涯は汚辱で終わるのだ。人々は、栄光を度外視して汚辱の生涯
 だけを拡大して伝えるだろう。それは当追記然なことだ。人生は動機よりも
 ※※※※残した足跡が大事だから・・・親清派や親露派には無関心の寛容を見せ
 ながら、なぜ親日派だけにそれほど過酷なのか知れない。きっと、結果的 に国が滅びたからそうなのであろう。私も自主独立だけを絶対値に信じる者だ。ただ、その次善の策が親日であっただけだ。なぜ併合条約に前後し て、この国の独立主義者たちは私を殺さなかったのか。ひそかに物足りなく思う。私はなぜ農民の子に生まれてこなかったのだろう。それが怨めしい!」 「私の生涯は汚辱で終わるのだ。人々は、栄光を度外視して汚辱の生涯
 だけを拡大して伝えるだろう。それは当然なことだ。人生は動機よりも
 残した足跡が大事だから・・・親清派や親露派には無関心の寛容を見せ
 ながら、なぜ親日派だけにそれほど過酷なのか知れない。きっと、結果的 に国が滅びたからそうなのであろう。私も自主独立だけを絶対値に信じる者だ。ただ、その次善の策が親日であっただけだ。なぜ併合条約に前後し て、この国の独立主義者たちは私を殺さなかったのか。ひそかに物足りなく思う。私はなぜ農民の子に生まれてこなかったのだろう。それが怨めしい!」

2013年9月21日土曜日

恥ずかしき〝缶ピー時代〟

煙草は18歳から吸って48歳でやめた。ちょうど30年吸い続けたことになる。
煙草を喫んでてしみじみうまいなあ、と思ったことは幾度もあるが(仕事のあとの一服とか)、
あとは惰性でプカプカやっていただけで、ほんとうのところうまかった
のかどうかは分からない。

若い頃は粋がって、くわえ煙草で歩いたり、プカプカふかしながら
バイクに跨っていたこともある。街中には同じように粋がって歩いているお兄ちゃんが
いっぱいいるから、たぶん動物の発情期にはよく見られる現象なのだろう。
侘び寂びたおじさんの目から見ると、まるでサマになっておらず、甚だカッコ悪い。
悔しかったローレン・バコールみたいにカッコよく吸ってみろ、
と心の中で嘲笑っている。とはいっても、30~40年前の自分がまさにこの
お兄ちゃんだったのだから、冷汗三斗(れいかんさんと)の思いとはこのことだ。

雑誌記者をやっていた頃は、植木等ではないが〝日本一の驕慢&自己陶酔男〟だった。
取材先に行くと、やおら鞄から「缶ピー」を取り出してテーブルの上にドンと置く。
そして両切りのピースに火を点け、お客さんを前にさもうまそうに一服するのである。
この恫喝的パフォーマンスに、まず相手はカチンとくる。
(この若僧が……)
と敵意をむき出しにする。

実際、新人だった頃、取材先の著名な会社社長から、
君ねえ、評判わるいよ……生意気だって、みんな言ってるもの」
開口一番、強烈なパンチを喰らってしまった。
(へーえ、俺ってそんなに生意気なのか)
面と向かって言われたのは初めてだから、さすがにショックだった。
以後、態度を改め、缶ピースはやめてショートホープに変えた。←そーゆー問題かよ!

煙草だけではない、パイプもやっていた。
20代でパイプなんぞをくわえていると、まずロクなことはない。
「嘴(くちばし)の黄色い野郎が偉っらそうに……」
周囲から総スカンを食らってしまう。
あざけり笑うような視線もチクチク感じた。
しかしボクはめげなかった。

くわえ煙草といいパイプといい、20代のボクは何をそんなに粋がっていたのだろう。
いや、煙草だけではない。ウイスキーなんかもこれ見よがしにラッパ飲みしてた。
飲み屋に行けば見知らぬ客にインネンをつけ、「表へ出ろッ!」と吼えまくった
勢いよく出たはいいが、逆にボコボコにされるのが常だった。
威勢だけはいいが、からっきしケンカに弱いのである。

あの頃の自分を思い出すと、顔から火が出そうになる。
恥ずかしい。ひたすら恥ずかしい。他人様に多大な迷惑もかけた。
しかし当時の心境がどうだったのか、まるで思い出せない。
ただ粋がって自分の存在を主張したかっただけなのか。
愚かといえば、これほど愚かなことはないが、これも発情期特有の
生理現象です、と説明されれば、納得するしかない。

しかし思い出せることが1つだけある。当時読んでいた小林秀雄全集のなかの
『年齢』という小文で、その中にあるこんな一節だ。
私は、若い頃から経験を鼻にかけた大人の生態というものに鼻持ちがならず、
老人の頑固や偏屈に、経験病の末期症状を見、これに比べれば、
青年の向こう見ずの方が、むしろ狂気から遠い、そういう考えを、
持ってきたがためである……》
案の定、この箇所には赤線が引っぱってある。
「青年の向こう見ずの方が、むしろ狂気から遠い」という一節を、
免罪符代わりに使おうと、たぶん虫のいいことを考えていたに違いない。←正解!

ああ、思えば〝缶ピー時代〟が懐かしい。
あの頃は、狂犬みたいに、あたりかまわず吼えまくり咬みついていた。
「狂気から遠い」とは、とうてい思えないくらい狂っていた。
いや、いまも同じ。歯抜けジジイになっちまったが、老いた狂犬には違いない。
腐れ左翼のバカ野郎どもを見ると、欠けた歯をむいて遮二無二突っかかってゆく。
今も昔も、わたしは大バカ野郎のコンコンチキでございます。
あな、かしこ。





←ボクの最初の師匠がこの人。
大学時代はこの人の全集ばかり
読みふけっていた。
汲めども尽きぬ知識の宝庫だった。
あの節はずいぶんお世話になりました。
合掌。