2015年1月26日月曜日

さよならだけが人生さ

昨日、AFS練馬支部の「さよならパーティ」があったので、女房と次女を引き連れ参加した。
1年間弱、日本の高校で学んだ留学生たちを泣く泣く追い出すパーティである。主役は
ノルウェー出身のコーネリア()、オーストラリアのマックス()、ウルグァイのロドリゴ()、
そして半年遅れに来日したトルコのゼイネップ( この子はもう半年いる予定)である。

コーネリアは来日前から日本語を特訓していたようで、環境への適応も早かった。
マックスは母親が日本人なのに、家では英語オンリーなので、日本語はほとんど
話せなかったという。ロドリゴは日本語はもちろん英語もできず、話すのはスペイン語のみ。
あずかったホストファミリー(4家をはしごした)は意思の疎通にホトホト苦労したという。

それでも1年間、生活を共にすれば、日常会話はほとんど問題ないくらいに上達する。
現にボクはこの4人といろんなことをしゃべったが、何の支障もなかった。特にコーネリアは、
来日前から漢字に興味があったらしく、日本語習得への熱情はハンパではなかった。

3人が3人とも、日本が大好きになり、
この1年は生涯忘れられない思い出になる、と言っていた。
「ウルグァイではふだんコーヒーは飲まないの?」
ブラジルの隣国だから、コーヒーくらい飲むだろうと思ったら、
「コーヒーも飲みますが、一般的にはマテ茶ですね」
とロドリゴ君。というわけで、パーティ会場には、ペットボトルのマテ茶が用意してあった。
(なんだ、ペットボトルのマテ茶か……ウーン、味は麦茶と変わらんなァ)
なにかと注文の多いおじさんである。

背の高いマックス君に、
「日本の食べもので一番気に入ったものは何?」
と、ごくごく月並みな質問をしたら、
焼きそば……それとトンカツ、ラーメンかな
これも予想の範囲内。外国人は、なぜかソース味の焼きそばが好きなのである。
トンカツとキャベツにソースをかけて食べるのも好きだから、
あの日本独特の〝ソース〟に、どうやら人気の秘密がありそうだ。
しめしめ、いいこと聞いたぞ。9月に来るチェコのトマーシュ君にも焼きそばとラーメンを
毎日のように食べさせてやろう。これなら家計に響かず安あがりでいいや……
おじさんは、ひとりほくそ笑んだのである。

彼らをあずかったホストファミリーは、揃って英語が苦手だという。
それでも何とかなってしまうのだから、同じ釜のメシを食い、同じ屋根の下に寝る
という〝共生感〟に勝るものはないということか。毎日毎日顔を合わせていれば、
互いの気心も知れ、自ずと意思も通ずるようだ。わが家のジジババ(ボクら老夫婦のこと
も英会話はサッパリだが、(まあ、なんとかなるべえ)と、そこは年の功でえらく楽観
している。留学生たちは日本語と日本文化を学びに来ているのだから、
こちらが彼らに合わせて英語をしゃべる必要はない。
とことん日本語漬けにしてやること――われらが使命はその一点に尽きる。

留学生たちと接してみると、どの国のこどもたちもみな同じだな、と思う。
素直で正直で、将来の希望に満ちあふれている。
そんな彼らのよき父親役がつとまればいいんだがな、としみじみ思う。
またいつか会おうね。


←AFS練馬支部の
フェアウェルパーティ。
嶋中家は後列真ん中の3人。
前列の右3人は日本から
アメリカやスイスに留学する
高校生たち。がんばれよ!


2015年1月21日水曜日

イスラム国奇々怪々

21世紀にもなって、ムハンマドがどうしたとか「アッラーは偉大なり」などといわれても、
宗教オンチのこっちとら、サッパリわかりましぇん。ましてや、預言者を侮辱したから
殺してやる、とする心理にいたっては、もう何が何やら……

イスラム国に日本人2人が拘束され、身代金2億㌦(約240億円)をよこさないと
72時間以内に殺害する、との殺人予告がなされた。とうとう日本人までもが
テロリズムの対象になってしまったのか、と新年早々、心にさざ波が立つ。

自分から進んで戦闘地域に入っていったのだから、それこそ自業自得。
首をちょん切られても文句は言えまい、と冷たく突き放す一方で、
残された家族のことを思うと、身代金を値切りに値切って、なんとか無事に
帰国させられないものか、とも思ってしまう。

イスラムの争いに関しては、かつて「イスラム奇々怪々」で少しふれた。
その際、シリアのアサド政権はアラウィ派によって成り立っていて
1割のアラウィ派が7割のスンニー派を支配している)、アラウィ派はシーア派の一派という
言い方をした。ところがアラウィ派とシーア派はまったく別物ということがわかった。

佐藤優の『世界史の極意』にはこうあった。
《アラウィ派は、キリスト教や土着の山岳宗教など、さまざまな要素がまじっている
特殊な土着宗教です。たとえば、一神教にはありえない輪廻転生を認めているし、
クリスマスのお祝いもする

イスラム教に輪廻転生(りんねてんしょう)があるんかいな?
で、さっそくWikipediaで調べてみたら、
こんなふうに記してあった。
転生輪廻てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂が、
この世に何度も生まれ変わってくることを言う。ヒンドゥー教仏教など
インド哲学・東洋思想おいて顕著だが、古代のエジプトやギリシャ
オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。
輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィ派
ドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ》。

なるほどアラウィ派にも輪廻転生の死生観があると書いてある。

イスラム国はスンニー派の武装集団で、スンニー派のイスラム教徒以外は
すべて〝敵〟だとしている。そもそもアルカイダという過激派集団がルーツであるのに、
いまやアルカイダとも絶縁し、ヒズボラなどとも仲が悪いという。

この国家もどきの組織は、奴隷制の復活と運用を世界に向けて宣言しており、
奴隷の値段もすでに決められている。たとえば40~50歳代のキリスト教徒の
女性は、日本円にして約5000円、10~20歳代となると1万4000円、
もっと年少で1~9歳代となると1万8000円と跳ね上がる。
奴隷の女性は若ければ若いほど値が高いのである。

イスラム国が少年たちを勧誘する時、必ず言うセリフが、
殉教すれば、天国で72人の処女とセックスできるよ
という誘い文句。なんで72人なのか、その根拠がサッパリわからんけど、
数が多い分には「まっ、いいか」てなもんで、
実際、こんな甘いことばで誘われたら、
「えっ? ほんと? ロハでやれるの?」
ついフラフラとついて行っちゃいそうである。

ああ、それにしても、ずいぶんややこしい宗教である。
地上で72人の処女とナニができるというのならともかく(←何がともかくだよ!)、
天国じゃあねェ、……いくら助平なおじさんでもそそられませんよ。

というわけで、今年も波乱のうちに幕が開けた。
人質になった日本人2人に対しては同情しないでもないが、
自分で蒔いたタネは自分で刈り取らなくてはね、
と、この際、冷たく突き放すことにする。
泣いて馬謖を斬った諸葛亮の心境でしょうかね。
やれやれ。




2015年1月12日月曜日

〝注文〟ならぬ『〝不満〟の多い料理店』

何回目だか忘れちゃったけど、今月8日はボクたち夫婦の結婚記念日だった。
ボクはいつもそのことを忘れていて、女房に叱られるのだけれど、
去年に引きつづき、娘2人が記念の食事会に招待してくれた(11日)。

場所は麻布十番にある「中国飯店 富麗華(ふれいか」というお店。
この近辺では一番の高級中国料理店で、店の規模も大きい。
「カン~パイ! いつまでも仲良くね」
娘たちの乾杯の音頭で食事会は始まった。なんだか照れくさい。

店の入口付近では女性奏者2人が二胡の演奏をしている。
客席は満席で、人気のほどが知れる。
せっかくの場だが、ボクは酒を飲まなかった。
2日前にNICKさんと同じく中華料理店で、しこたま紹興酒を飲んでしまい、
まだその酔いが残っていたからだ。それに食事のあとで少し泳ぎたい。
ガンガン泳ぐことでお屠蘇気分をちょっぴり拭い去りたかったのだ。

料理の味つけはまあまあ。
とりたてて旨くもないが、まずくもない。
量が少ないのがやや不満だが、近頃はどこもかしこも〝少量精鋭主義〟だから、
これもまあ、いたしかたないことか。大喰らいの人は食事の前にラーメンの一杯も
ひっかけておいたほうがいいだろう(笑)。

隣のテーブルからは中国語、その隣からは中国語訛りの英語が聞こえてくる。
東京アンダーワールド』という本には、まだ〝occupied Japan〟だった頃、
赤坂や麻布・六本木界隈は〝東京租界〟と呼ばれていたとあるが、
いまでも外国人が多いところとして有名で、街は進駐軍の末裔たちで
あふれかえっている。

このお店、料理はまあまあだが、サービスがいけない。
おそらく高級店を謳った店で、これほどサービスの質が劣る店は珍しいだろう。
サービス担当の給仕たちは、たぶん支那人の女の子たちだと思われるが、
ニコリともせず、放り投げるようにして皿を置く。

その気配は入店直後にすでにあった。
クロークにコートを預けた際の店員の態度がひどかったのだ。
もちろん笑顔は皆無だし、コートをひったくるようにして持っていった。
まるで追いはぎに身ぐるみ剥がされたような気分だった。

女房や娘たちは、外国で似たような経験を幾度となくしているので、
慣れたものだが、それでも顔を見合わせて苦笑いしていた。
「たぶんサービス係のトップがだめなんだろうね」
みんなの意見は期せずして一致していた。
給仕の女の子たちはどの子にも笑顔がなく、
なんで私がこんなことやらなくてはいけないのよ、というような顔をしていた。
サービス業に対する誇りがみじんも感じられなかった。

イタリアでもフランスでも、あるいは最近行ったスロベニアでも、
この支那の女の子と同類の店員がいた、と女房は打ち明けたものだが、
少なくともここはニッポンなのである。「お・も・て・な・し」を〝国是〟に
しているサービス立国なのである。皿を放り投げ、「さあ、餌をお食べ!」
といわんばかりの態度ではちと問題ではないか。

長女が会計時に「現金とカードではどちらがいいですか?」
と低姿勢で訊いたら、
「ハァ? どちらでもお好きなほうでいいんじゃないですか」
ときたもんだ。見下したような目つきである。これには参った。

娘たちが選んでくれた店だから、ボクは何も言わなかった。
料理はそこそこのレベルなのに、この劣悪サービスが足を引っぱっている。
あとで知ったのだが、食べログなどにも、「店員の態度が悪い」との声が多かった。

料理を食べに行ったのに、ついでに「中華思想」も食べさせられてしまった。
余計なお節介だろうけど、フランス人も支那人も、サービスの何たるかを
もういっぺん考え直したほうがいいんじゃないですかねェ





←料理はまあまあだったんだけどね。
惜しい……


2015年1月6日火曜日

愛想も小想も尽きはてて

気のおけない友と久しぶりに痛飲し、度が過ぎてゲロゲロに。
翌日は完全にダウンして、一日中臥所(ふしど)にぶっ倒れておりました。
この可哀想なおじさんも〝昭和殉難者〟に数えられるのでしょうか。
死んだら靖國に祀ってもらえるのでしょうか。

還暦過ぎてもこのていたらく。人生から何も学んでいやしません。
女房は、「愛想も小想(こそ)も尽きはてました」てな顔をして
朝からそっぽを向いています。いやはや身の置きどころがありませぬ。

酒飲みには醜態がつきものです。思い出すだに顔から火が出そうな
「恥ずかしきこと」が数知れずあります。その質と量の醜悪さときたら、
あのフーテンの寅さんでさえ尻尾を巻いて退散するほどです。

ボクの敬愛する小説家・石川淳も飲むとはげしく乱れました。
和漢用の膨大な知識に支えられた当代一の博学でありましたが、
どういうわけか酒が入ると狂ってしまうのです。

写真家・林忠彦の『文士の時代』には石川の酔態ぶりがこんなふうに描写されています。
《飲んでいるときのすさまじさは、酔うにしたがってバカヤロウの連発で、
ちょっと今では見られない酔っぱらいでしたね。何か言うたびにバカヤロウと言うので、
数えてみたら、一晩に二十数回は言っていたように思います》

ある時なんか、宴会の最中にあんまりバカヤロウと怒鳴るもので、
仲間たちに簀巻きにされ、宴席からたたき出されたというエピソードもあります。

こんなハチャメチャな男ですが、夷齋先生(石川の号)による運筆の妙といったら、
当代並ぶものがありません。とりわけ『安吾のいる風景』と『敗荷落日』は追悼文中の
白眉とされております。

一箇の老人が死んだ……》で始まる『敗荷落日』は荷風散人に捧げた追悼の一文ですが、
そこに散りばめられた言葉の激越さは眼を疑わしめるほどです。
《年ふれば所詮これまた強弩の末のみ》とか《肉体の衰弱ではなくて、
精神の脱落だからである》とか、さらには、
《老荷風は曠野の哲人のように脈絡のないことばを発したのではなかった。
言行に脈絡があることはある。ただ、そのことがじつに小市民の痴愚であった》
と、容赦がありません。

最後は、
《日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと縁が切れたところの、
一箇の怠惰な老人の末路のごときには、わたしは一灯をささげるゆかりも無い
と冷たく突き放されます。

ああ、なんとカッコいい科白なのでしょう。
ボクがどれほど夷齋先生の文章に恋い焦がれているか……
酔余の戯れで「バカヤロウ」を連呼しようが、簀巻きにされておっぽり出されようが、
ボクは断固としてこの先生を守ってあげたい。

夷齋先生でさえあのザマなのです。
「小市民の痴愚」を代表するボクが、人前をはばからずゲロゲロやったとしても、
バチは当たらないでしょう……とまあ、夷齋先生をダシにして自己弁護に相務めている
わけですが、年初からこのザマではロクな年になりそうにありません。
みなさん、こんな性悪の酔っぱらいジジイですが、今年もよろしくお願いします。


←敬愛する夷齋先生こと石川淳。
見た目は紳士そのものですが、
酔うと「バカヤロウ!」と叫びだし、
はげしく乱れました











写真提供・文藝春秋









※追記
新年会を主催してくれたIさん、2次会につき合ってくれたYさん、
自称〝国粋主義者〟のFさん……みんなとっても〝変な人たち〟
ですが、ココロ優しき人ばかり。バカっ話につき合ってくれて
アリガトね。今年もヨロシク。

2015年1月2日金曜日

ありのままでいい、ありのままがいい

謹賀新年


新年明けましておめでとうございます。
今年もぶじ年が明けました。
これでまた1つ歳を重ねることができます。

世はアンチエイジングの大流行で、いかに若く見せるかに
憂き身をやつしております。が、私はムダな悪あがきはやめました。
傍からどう見えようと、どう思われようと、気にするのはやめようと、
思いきわめたのでございます。

若い時分は自意識過剰で、他人の視線が絶えず気になりました。
それに自律神経失調症でもありました。他人によく思われようと、
また女の子の気を引こうと、懸命に背伸びし、
ほんとうの自分の姿をカムフラージュしていました。
それは賽の河原の小石積みのように際限のない営みでした。

いつの頃からか、
(どう転んでも俺はオレでしかないのだから、ありのままでいいや)
と思うようになりました。ひとり芝居にほとほと疲れ、
もうどうとでもなれと開き直ったのです。
♪ let it go ! let it go ! (ありのままで~!)

「他人(ひと)は他人(ひと)、おれはおれ」
と思い定めたら、なんだか呼吸が楽になりました。
周囲のぼんやりした景色がハッキリ見えるようになりました。
また道端に咲く名もない花にも関心を寄せるようになりました。
(ありのままっていうのは、すばらしいものだな……)

いま、鏡に映った自分の顔を見ています。
ほぼ白髪・白髯の〝おじいさんの顔〟です。
玉手箱をいつ開けたのか、いつ白い煙に包まれたのか、とんと覚えていません。
知らないうちに私はおじいさんになっていたのです。

この老け顔、実はけっこう気に入っております。
傍から見ると〝恐そうな顔〟に見えるらしく、初対面の人はみな一様に、
「ちょっぴり恐かった」と言います。理髪店の若い店員は、初めて私の髪を切った時、
「もし失敗したら殴られるんじゃないかと思い、とても恐かった」と告白したものです。
どいつもこいつも、ひどいことを言います。

そんな恐怖心を与える顔ですが、(なかなか男らしい、いい顔じゃないか)
と私は自画自賛しております。髪がめっきり薄くなり、まさに風前の灯という感じですが、
滅びの前の輝きも、また捨てたものではありません。

自意識過剰で軟弱そうに見えた顔が、歳を重ねたおかげで、
ようやくまともな面つきになりました。眼光の鋭さは相変わらずですが、
友はみな、瞳の奥のやさしい光をみとめてくれています。

年相応に見られればいい。
シワ伸ばしも若返りのサプリメントも必要ありません。
ありのままがいちばん美しいのです。

こんな単純な真理をつかむまでに、なんと60年も費やしてしまいました。
碌々(ろくろく)と為すところなく過ごしていたら、このザマです。

太虚(たいきょ)という言葉があります。無私とか無我というのと同じで、
要は小さな自我にとらわれず、宇宙的なもの、あるいは根本的なものに即して考え、
生きていくということでしょうか。我執を捨てるというのは生半可なことでは叶いませんが、
自分のためにすることが、そのまま他人のためになるような生き方――そんな生き方が
ごくふつうにできれば最高だと思います。

年初に当たって、以上、ささやかな誓いを立ててみました。
うまくいったらお慰みです。
今年もよろしくお願いいたします。







←手づくりお節とお雑煮。今朝の朝食です。
黒豆にごまめと、質素そのものですが、
私は気に入ってます。餅は関西の丸餅を
つかってみました。