2012年10月30日火曜日

心の避難所

ボクが小中高の12年間、友だちが1人もいなかったと云うと、みな一様に驚く。
「それに、どっちかというといじめられっ子だった」と云うとさらに驚く。
男の子は、友だちがいないだとか、実はいじめられている、などと親には絶対言わない。
子供なりのプライドがあるし、やはり男は弱音を吐けない。

友だちがいない、というのは淋しいものだ。
学校へ行ってもひとりぼっちだし、休み時間にも話し相手がなく、
ひとりで時間をつぶすしかない。体育の授業でサッカーをやっても、
ボールをパスしてくれる者はなく、家に帰っても遊ぶ友だちがいないので、
しかたなく弟を相手にヒマをつぶしていた。弟はさぞ迷惑だっただろう。

最近、いじめによる自殺がしばしば報道されるが、ボクはふしぎに死ぬ気は起きなかった。
たぶん父や母がいたからだろう。逃げ込める場所があると、人間は生きていける。
ボクには緊急避難用のシェルターがあった。そこにはボクのことを大切に思ってくれる
父と母がいた。ボクは避難所の中でかろうじて呼吸をすることができた。

人間社会は生きづらいものだな、と子供心にも思った。コドモの世界も大変だが、
オトナの世界も大変そうだった。そのことは心身ともに疲れ果てて職場から戻ってくる
父や母を見てそう思った。戦後の貧しい時代というのもあっただろう。
生きることは難行苦行そのものだった。

ボクにはシェルターがもう一つあった。活字の世界である。生身の友だちは持てなかったが、
書物の世界に友だちがいっぱいできた。そこにはボクなどとは比べものにならないくらいの
悩みを抱えた人間が無数にうごめいていた。

ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』、ヘッセの『車輪の下』や『デミアン』、
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』、コンスタンの『アドルフ』、
ドストエフスキーの『地下生活者の手記』『罪と罰』『貧しき人々』、
そして漱石の『こころ』、太宰治の『人間失格』、椎名麟三の『重き流れのなかに』……etc

名作と云われるものにハズレはなかった。
よく「どんな本を読んだらいいですか?」と聞かれることがあるが、
日本のものでも世界のものでも「名作」として読み継がれてきたものに〝ハズレ〟はない。
それを片っ端から読めばいい。が、そう言ってもたいていの人は読みはしない。
なかには「あらすじ」だけ追ったお手軽本を読んで澄ましているものもいる。

某大学の大教室で、漱石の『こころ』やドストエフスキーの『罪と罰』を読んだ人は手を挙げて、
とやったら、ほんの数人がパラパラと手を挙げただけだったという。
こんなすばらしい名作をなぜ読まないのかと聞いたら、「本を買う金がない」と多くが答えた。
ケータイやカラオケ、飲み会に使う金はあっても本を買う金はないのだ。

そういう輩に限って、メル友などといううすっぺらな〝友だちもどき〟に囲まれ、
ひとりになると「淋しい」だとか「真の友がほしい」などと泣き言を並べるのだ。
「友だちは死んだ人に限る」と言ったのは山本夏彦で、その夏彦も死んでしまったが、
ボクはちっとも淋しくなんかない。本の世界には、夏彦君以下、秀雄ちゃんや周平ちゃん、
遼太郎君に正太郎君。淳さんに秀子(女優兼名文家の高峰秀子です)さんと、
死んでしまったが生きている友だちがいっぱいいるからだ。
淋しがっているヒマなどないのである。

さて、「本を読まない学生」というのが、今や当たり前の風潮になっているが、
そもそも「本を読まない学生」という言い方自体が自己矛盾をきたしている。
学生の本分は本を読み思索することで、本を読まない学生などというのは、
料理をしない料理人みたいなもので、本来はあり得ない。
年に最低でも200冊、がんばって300冊。そのくらい読まなければ
「学生」の名がすたるってもんだろう。

これは半分自慢なのだが、ボクは酒代と本代にしか金を使わない。
旅行も行かないし、ゴルフもやらないし、女遊びもしない(トホホ)。
服装なんてまったくかまわないから、いつも同じ恰好をしている。
ハタから見ると無趣味人間の典型みたいに思われようが、
この世に読書以上の趣味があろうとは、とうてい思えないのだ。

自殺してしまった子どもたちの中に、はたして本好きが何人いただろう。
本の中でヴェルテルやハンスと知り合っていたならば、たぶん自殺などしないはずだ。
作中、主人公の多くは死んでしまうが、読者は彼らの苦悩の深刻さに触れ、
自らの苦悩を相対化することができる。
ヴェルテルの悩みの深さに比べれば、自分の悩みなんて、なんとちっぽけなことか、と。
それだけで、「死のう」などという短慮に自然とブレーキがかかる。



11月9日までの2週間は「読書週間」だという。
活字にふれた人間とそうでない人間では、まず面つきがちがう。
藤沢周平の透明感のある顔を見てくれ。
小林秀雄のみごとな皺を見てくれ。
両人とも我欲から解き放たれたすばらしい顔をしている。


こんな顔になるにはどうしたらいいのだ、
と今度はこっちが聞いてみたい。










 

2012年10月28日日曜日

高級カツカレー騒動

ボクが朝日・毎日新聞を蛇蝎のごとくきらうのは、この両紙が日本の悪口ばかり書き、
支那と朝鮮韓国の片棒ばかり担ぐ売国的新聞だからだ。ジャーナリストの山際澄夫氏の
レポートによると、朝日・主筆の若宮啓文はかつてこんな記事を書いたという。
《例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、
いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。見返りに韓国はこの英断をたたえ、
島を「友情島」と呼ぶ》(2005・3・27)

このバカ、いったいどこまでお人好しなんだ。死ぬまで夢想してろ!
この手合いは何かというと「地球市民」などという言葉を使い、
現実世界では通用しない甘っちょろいコスモポリタニズムを夢想し吹聴する。
ハナから国家を守ろうとする気概も発想もなく、
中韓が尖閣や竹島を強奪しにきているというのに、
ノーテンキにも〝友愛の海〟だとか〝友情島〟などという寝言を並べている。

考えてみれば、中韓をここまでのさばらせてしまった大本は、「従軍慰安婦」「南京大虐殺」
「靖國参拝」「歴史教科書」といった、いわゆる歴史問題で、それを焚きつけ煽ったのは
朝日新聞を初めとする日本メディアの捏造報道によるものだった。これら売国的報道が
いかに日本の国益を損なってきたか。朝日新聞は日本の新聞社などではなく、
まぎれもなく「人民日報」の姉妹紙なのである。

となれば、日の丸、君が代が大きらい、という理屈も通るし、
靖國神社を軍国主義のシンボルに見立てたい、とする思いもわかる。
また国の防衛にほとんど関心を示さない、という姿勢も実によく分かる。
日本の新聞社ではなく、支那や韓国・朝鮮の息がかかった新聞社なのだから
至極当然のことだろう。

北朝鮮は何をとちくるったのか、日本は「東アジアの安定をおびやかす癌」などとほざいている。
戦前も戦後も、日本ほどアジアの独立と発展に貢献した国はないではないか。
山際氏は言う。
《毛沢東は「皇軍(日本軍)が中国国民党と戦ってくれたからこそ、自分たちは内戦に勝利する
ことができた」と語っていた。中共との国交樹立後は、日本は7兆円もの援助をして空港や
高速道路、地下鉄、港などをつくった。韓国の「漢江の奇跡」の経済発展も、
日本の経済協力がもとになっている。中国や韓国の発展は日本の援助の賜物ではないか。
それなのに中国、韓国のお先棒を担いでウソの歴史で日本叩きを行うのが、
朝日新聞など日本のマスメディアなのである》

そういう自虐的な歴史観を改めようと「誇りある日本」を取り戻そうとしているのが、
自民党の安倍晋三総裁だ。支那とコリアの言うことをきかない男は、
朝日毎日にとっても目の上のたんこぶ。どんな手を使っても叩きつぶさなくてはいけない。

現に朝日は自民党新総裁選出後、例の「カツカレー騒動」を煽りにあおった。
総裁選の出陣式で安倍さんがホテルニューオータニで3500円のカツカレーを食べたところ、
一部マスコミが「庶民感覚がない」などと報じた。すかさず朝日はその尻馬に乗り、
ホテルへ記者を送りこんだのだ。そしてその〝贅沢ぶり〟を皮肉っぽく報じたのである。

しかしこの話にはオチがあった。朝日新聞本社のレストランにはカツなしのビーフカレー
が3675円で、大阪本社のレストランではビーフカツカレーが6300円で提供されている。
そのことがネット上で暴露され、またまた大恥をかいてしまったのだ。

朝日は、麻生太郎首相の時も、首相が庶民の行けないような高級ホテルのバーで
酒を飲んでいるとして批判し、そのバーをわざわざルポしていた。何が「庶民感覚がない」だ。
自分たちこそ新聞業界で一番の高給取りではないか。自己欺瞞もいいかげんにしろ。

一国の首相たるもの、大根一本の値段なんか知らなくていい。
吉野家の牛丼を食べたり、大衆居酒屋で酒を飲まなくてもよろしい。
日本では白足袋はいて葉巻をくゆらせるだけで、「庶民感覚がない」
「ゴーマンだ」「ワンマンだ」と言われてしまう。ケツの穴が小さいと云えばそれまでだが、
つまらないことを針小棒大に報じて、大衆に迎合するポピュリズム的な報道機関こそ
問題の元凶と云わなければならない。

何度でも云う。日本の悪口ばかり云う朝日毎日、そしてNHKは支那と韓国の顔色ばかり
うかがう売国的報道機関だと。朝日は先の大戦でも日本をミスリードし、
これからもまた日本をあらぬ方向へと導こうとしている。
全国の朝日毎日の愛読者たちよ、いいかげんに目をさましてくださいな。


←問題の高級カツカレーがこれ。
見た目はふつうのカツカレーで、
あまりうまそうには見えない。
言っちゃあ悪いが、ボクの作るカレーのほうが
数段高級感があって、たぶんうまいと思う。
ま、いずれにしろ、こういう脂っぽいものが
食べられるようになったということは、
持病の潰瘍性大腸炎が完治した
証拠ではないか。けなすのではなく、
めでたいと祝ってやるのが人の道だろう








 

2012年10月23日火曜日

恐怖の質疑応答

昨夜、「アーツ千代田3331」にて、タグタン(田口護+旦部幸博)コンビの講演会が
あるというので、のぞいてみた。去る5月、タグタン両氏は『田口護のスペシャルティ
コーヒー大全』で「第3回辻静雄食文化賞」を受賞。その記念講演とスペシャルティ
コーヒーの試飲会がおこなわれるというのである。関係者の一人としては出かけぬ
わけにはいくまい。

勉強熱心なボクは例によって講演者に無言の圧力をかけるべく最前列の席を占めた。
というと、いかにも大物みたいに聞こえるが、それはまあ冗談で、講演を録音するため、
講師陣の近くに陣取ったに過ぎない。

タグチ氏は冒頭、
「この本は私一人ではとても書けませんでした。文章を書く人、デザインする人、
写真を撮る人、そして編集する人と優秀な制作スタッフがいて初めて世に出すこと
ができました。講演の前にまずはそのスタッフたちを紹介させてください」
とやったもんだから、最前列に座ったボクは心臓が「ドッキーン」。
(しまったァ……飛んで火に入る何とやらだった)
大いに悔やんだものの、後の祭りである。

「では、まず目の前にいる〝中嶋さん〟から紹介します……」
ボクは一瞬、目が点になり、思わず後ろをふり向いてしまった。
(エエーッ? また中嶋かよ、御大もいよいよ耄碌ジジイになっちまった……)
しぶしぶ腰を上げ、タグチ氏に向かって、
「そろそろ名前を覚えてくれませんか、タグチさん。長いつき合いなんですから……」
とやんわりイヤミを言ったら、会場からはドッと笑いがこぼれた。

もう30年来のつき合いで、実名のコバヤシは使わないでくださいね、
仕事上の私の名前は「シマナカ・ロウ」というのですよ、わかりましたね、
認知症の老人に語るがごとく念を押しても、シマナカと呼ばれることはついぞなく、
いつもコバヤシか嶋中を逆さまにしたナカジマと呼ばれてしまう。
シマナカという名はよほど覚えにくい名前なのだろうか。

会場には世に言う〝YKT48〟という「闇の御三家」のうちの「Y氏」と「T博士」が顔を
揃えていた。一番の大物と呼ばれる「K氏」こと鳥目散・帰山人(トリメチル・キサンジン)氏は
幸いにも欠席。講演者は一様にホッと胸をなで下ろしていた。なぜって、帰山人氏は
講演後の質疑応答では必ず質問に立ち、難問をぶつけては講演者を立ち往生させるからだ。
それが帰山人氏の隠微な、嗜虐的楽しみの一つなのである。

とにかくコーヒーおたくの〝くるくるぱー度〟がTOEICでいえば990点の最高点
という御仁なのだからいいかげんにあしらったら逆に火傷してしまう。
いつも難題を持ちかけ、講演者の困り果てた顔を見るのが人生最高の快事、
という男なのだから始末に悪い。

アマチュアがプロを完膚なきまでやっつける。こうした対決は見世物としては最高だろう。
だから講師陣の側はいつだって戦々恐々。コーヒー関連の催し物で、帰山人氏が
聴講しているか否かは、主催者側や講師陣の大きな関心事の一つなのである。

そんなわけで、タグタン・コンビは何の憂いもなく講演を終えることができた。
講演後、ボクと「T博士」が会場外のテーブルでひと息ついていたら、
隣のテーブルで休んでいた聴講者のグループが、
「あのさァ、キサンジンって知ってる?」
などとヒソヒソやっている。なかにはうがい薬の一種かと勘違いしたものもいたようだが、
ボクと「T博士」は思わず顔を見合わせニッコリ。キサンジンの盛名は、
どうやらコーヒーのギョーカイ内では疫病のように広まっているようだ。

「会場にいなくてよかったですね。なにしろKさんがいると、
ひっちゃかめっちゃかになってしまいますからね」
と、T博士も講演が無事つつがなく終わってひと安心といった顔だ。
ふだんはトリゴネリンだとかブタンジオンだとか、わけのわからない化学用語で
頭を一杯にしている博士も、今夜ばかりはトリメチル・キサンジンという「うがい薬」に
とりわけナーヴァスになっていたようだ。
ガラガラガラガラ……ペッ! ああ、さっぱりした。





←『田口護のスペシャルティコーヒー大全』の
中国語版(台湾版と中国本土版の2種あり)


2012年10月17日水曜日

ああ、亡国の徒よ!

先年亡くなった米原万里のエッセイを読んでいたら、お見合いのベテランという友人の話が
紹介されていた。その友人はテレビにもよく出てくるタレントで、おまけに美人らしい。
それでも過去に十数回見合いをこなし、いまだゴールに到っていない。

で、その彼女曰く。相手の性格や育ち方、健康などを知る一番手っ取り早い方法は、
いっしょに食事をすること」だという。
《食卓での振る舞い、食べる速度、食べ物の口への運び方、咀嚼の仕方、
こういうことをさり気なく、でも念入りにチェックするのよ。結婚したら、毎日のように、
食事をともにするのだから、こういうところが気になったら、長続きしないと思うの》
(『旅行者の朝食』より)

なるほど正論だ。相手が極度の偏食家だったり、逆に馬並みの大食漢だったり、
またくちゃくちゃと音を立てる無粋な男だったりすると、ちょっぴり考えこんでしまう。
いっしょに食事をすると、相手の来し方数十年のすべてが食卓の上に出る。
これはもう、一夜漬けのにわか訓練などでは決して覆い隠せない、
血液型占いや星占いなどよりはるかに信憑性のある人間観察法といえる。

わが家が映画『男はつらいよ』の熱烈ファンだということはすでに述べた。ただし、
寅さん一家に一点だけ気に入らないところがある。寅さん以下、おいちゃんも
おばちゃん(三崎千恵子が一番ひどかった)も、さくらも博も、箸の持ち方が
めちゃくちゃなのだ。あんな持ち方では、寅の好物の芋の煮っころがしだって
満足につかめやしない。

そのことを隣の棟に住む宮崎晃(シリーズ第6作目までの脚本家)さんに指摘したところ、
「いや、そんなことはないよ。みんな上手に使えるよ」
と反論していたが、映画を見れば一目瞭然。みごとに全滅である。

見てくれがどうあれ、食えれば文句ないだろ! 当節はこう言って開き直るのが流行っている。
戦後はこの種の「結果オーライ」が主流で、バカタレ(おバカな芸能タレント)などは
ほぼ100%全滅だ。時代劇などでも親指を立て、危なっかしい持ち方をする俳優が多い。
そしてまた年配の人ほどその傾向が強いのだから、世も末である。

親の果たすべき責務なんて「しつけ」と「言葉づかい」だけで充分だろう。
が、たったこれだけのことなのに、満足にできない親が多すぎる。

わが娘たちもそのうち将来の伴侶となるべき男を選ぶだろう。
その選定条件の中には、「箸使いのきれいな人」という一条が設けられるにちがいない。
ボクと女房がいつもうるさく言ってきたので、箸使いに関しては点数が辛いのだ。

石部金吉金兜(いしべきんきちかなかぶと)の異名をもつボクは、
娘2人に対して何かとうるさいことを言う。
「体育会系でなきゃだめ」「教養(教育ではない)のない男はだめ」
「朝日毎日の愛読者はだめ」「愛国者でなきゃだめ」「韓国歴史ドラマを見るヤツはだめ」
「皇室を敬わないヤツもだめ」「イケメンはだめ」「ビンボー人は絶対だめ」――とまあ、
言いたい放題で、ハードルをどんどん高くしているわけなのだが、全部でないにしても、
7~8割くらいは聞き入れてくれるのではないかと淡い期待を抱いている。
将来の娘婿になるかもしれない哀れな男たちよ! せいぜい頑張るんだよ。 


←石原慎太郎の息子・良純。右手の親指が
おっ立ってしまっている。しつけが悪いとこうなる。
『亡国の徒に問う』なんて本を書いてる場合じゃない。
こんなお粗末な箸の持ち方をする息子こそ
〝亡国の徒〟ではないか。もっとも芸ノー人で
まともな箸使いができるものなんて皆無だけどね。
箸ぐらいちゃんと持て、このバカヤロー!




※言葉づかい
「ら抜き」言葉や「さ入れ」言葉などは論外。
「すげぇー」「チョー~」「うざい」「~じゃないですか」
「~でぇー」……切りがないからやめる。
要は女子中高生などが車内でしゃべってるような
教養のカケラもない話し言葉は厳禁ということ。




 

2012年10月15日月曜日

困ったときのライスカレー

30年近く〝おさんどん〟を担当していると、さすがに飽きが来る。
昔はできるだけ新しい料理にチャレンジしたものだが、最近は横着になって、
過去に作った料理の中で比較的評判のよかったものを繰り返し作っている。

年のせいか嗜好も変わったようで、肉よりは魚を好むようになった。
また牛乳も以前ほど飲めなくなり、今は無調整の豆乳を飲んでいる。
朝はこの豆乳1杯とバナナ1本。これで午前中は十分もつ。

(今晩のおかずは何にするべえ……手のこんだのは面倒だしな)
こんな時は迷わずカレーにする。安価で簡単、しかも誰にも好まれ、このうえなくうまい。
こんな話がある。カレーの本場インドで、日本のカレーを作り現地の人に食べさせたら、
「こいつはうまい! いったい何という料理なんだ?」
「…………」

カレーライスとライスカレー。その違いは何だろう?
《カレーとライスが別の容器で出てくるのがカレーライス。ご飯の上にかけてあるのが
ライスカレーだという説があるが、私は違う。金を払って、おもてで食べるのがカレーライス。
自分の家で食べるのが、ライスカレーである》(向田邦子『父の詫び状』)
分かったような分からないような(笑)……でも、なんとなく分かるような気はする。

というわけで、ボクの作るカレーはライスカレーということになった。
それはともかく、わが家はこの間、ずーっと市販のルゥカレーを使ってきた。
が、最近は本場インドのスパイスカレーを作ることも多くなった。

よく作るのは基本中の基本ともいうべき「チキンカレー」だ。
使うスパイスはクミンシード、ターメリック、カイエンヌペッパーの3種類。
スパイスは上野はアメ横の専門店「大津屋」で10種類くらい仕入れてきた。
上記3種類でだいたい間に合うが、他にコリアンダーやカルダモンがあれば、
たいていのカレーはできてしまう。またヨーグルトやココナッツミルクなどを使うと、
東南アジアっぽいカレーができあがる。

カレーは欧米の留学生にも喜ばれる。ルゥカレーはもともとシチュー鍋が土台で、
そこにスパイスを加えて出来上がったものだから、シチューのバリエーションの1つと思えばいい。
おもしろい話がある。フランスの3つ星レストラン「トロワグロ」のミッシェル・トロワグロに、
日本料理で一番好きなのは何ですか?」と尋ねたところ、彼は即座に「カレーライス」と
答えたという。

今やカレーとラーメンは2大国民食と云っていい。
ボクはどっちにも目がないほうだが、寺山修司によると、
日本人は「ラーメン派」と「カレー派」の2種類の人間に分かれるという。
寺山曰く、
カレー人間というのは現状維持型の保守派が多くて、ラーメン人間というのは
欲求不満型の革新派が多い。それはライスカレーが家庭の味であるのに比べて
ラーメンが街の味だからかもしれない》(寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』)

ラーメンもカレーも大好物のボクは、やっぱ中道派か。
ボクのことをウヨクと呼ぶおっちょこちょいがたまにいるけど、
ボクの敬愛する花田紀凱(はなだ・かずよし・元『週刊文春』編集長)さんは、
「ハナダ、お前はウヨクか?」
と左側の人から聞かれ、こう答えたという。
「イエ、左から見ると真ん中も右に見えるんです」
さすがに花田さん、返答も実に気が利いている。

ボクは昔(背骨とつむじが曲がっていたもんで)ちょっぴり左傾化していたが、
今は矯正したおかげで〝右も左も蹴っ飛ばせ〟路線に復帰できた。
「ウヨク」だなんて思い違いもいいところなのです。
特に左に大きく傾いた脊椎側湾症(患者さん、ゴメン)のアホ・ボケ・カスの人たちは、
くれぐれも誤解のないように願います。



←スパイスで作ったチキンカレー。
スパイスだけだとコクがないので、
ブイヨンなどを足すといい。




 

2012年10月10日水曜日

アジア東方の悪友を謝絶する

9日、国連の軍縮委員会で、日本代表が北朝鮮の核ミサイル開発を批判する演説を
おこなったところ、北朝鮮代表はすぐさま反駁、
「アジア近隣諸国との領有権争いを抱える日本は北東アジアの平和と
安定を危うくするガン
などと非難した。この発言には唖然ボーゼン。いったいどっちが悪性ガンなのか、
火を見るよりも明らかではないか。北にしろ南にしろ、身のほどもわきまえず、
朝鮮半島の住人たちはいったいどこまで厚顔無恥なのか。

《この二国(支那と朝鮮)は一から十まで外見の虚飾のみを事とし、
その実際においては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払い、
残酷破廉恥を極め、なお傲然として自省の念なき者のごとし……(略)
我は心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり》(福澤諭吉『脱亜論』より
正直な話、福澤諭吉でなくとも、これら支那と朝鮮の悪友(友人は除く)は
謝絶したくなるってものだ。

さて最新のニュースに「通貨スワップ」を延長しない、というものがあった。この制度は
韓国が通貨危機に陥った際――つまりウォンを誰も買ってくれない状況になったとき、
700億ドル分(日本円で5兆6000億円)は日本が買ってあげます、と約束したもので、
そもそもこの融通枠の増額を求めてきたのは韓国側だった。

欧州危機以来、韓国の通貨ウォンは急落、外貨準備高も急減したが、
ここに来ていくぶん持ちなおし、竹島問題もあるのか、日本の世話にはなりたくないと
韓国側が要請を見送ったのである。困ったときはいつも「金貸してくれ」と泣きついて
くるくせに、少し持ちなおすとすぐ居丈高になって凄む。福澤が言うように、
この国は相も変わらず〝外見の虚飾〟のみで生きているのだろう。

竹島問題でやけに気を吐く韓国だが、この国は実に危うい。たとえばサムスン1社だけで
韓国のGDPの22%を占めている。もっと言えば韓国の財閥10社の売上高が、なんと韓国の
GDPの76.5%を占めているのだ。つまりサムスンがこけたら、韓国はみなこけちゃうという
怖ろしい構図になっている。

そしてこのサムスンは日本がちょっと意地悪したら顎が干上がってしまうほど脆弱なのだ。
たとえばテレビ画面に貼るフィルム。これは日本しか作れないものだから、
日本からの供給がストップすると、自慢の液晶テレビが1台も輸出できなくなる。

それとレアガス(希ガス)だ。ネオンとかクリプトン、キセノンといった不活性ガスのことだが、
半導体製造には欠かせないもので、韓国は100%日本に依存している。空気を液化して
分離・濃縮を繰り返し作るそうだが、純度は99.999%以上で、これは日本でしか作れない。

支那がレアアースで日本にいやがらせをしたように、日本もレアガスで韓国いじめをしたら、
半導体のラインが即ストップしてしまうので、サムスンや現代はたちまち破綻する。
日本がいなけりゃ、韓国はテレビ一つ作れない、ということを肝に銘じるべきなのだ。

安倍自民党総裁が総理になったら、そのくらいの〝いじめ〟はやってくれるだろう。
やられたらやり返す。そうやって国益を護るのが外交のイロハなのだが、
民主党はその肝心なところが分かっていない。

野田のドジョウ首相などはウラジオストックで開催されたAPECで、李大統領に対して
笑みを浮かべながら握手をしていた。こういうときは苦虫を噛みつぶしたような顔して
いやいや握手をしてやる、というのがスジだろう。鳩山以下、菅も野田も、外交ってものが
まるで分かっていない。こういう大ボケ内閣に日本の舵取りを任せておくわけにはいかない。
一刻でも早く解散して選挙をやるべし。民主党のアホ、ボケ、カスに用はない、
全員枕を並べて死んでしまえ!




←歯だけは丈夫な韓国のおっさん。
日の丸は滋養があって美味しいからよく噛んでね。
絶対完食しろよ、このボケ!

 

2012年10月7日日曜日

舌を噛むレストラン

昨日は外苑前の「フロリレージュ」という星付きフレンチで会食した。
メンバーはボクと女房と次女の3人。ほんとうは長女も加わるはずだったが、
例によって岩手・大船渡でのボランティアに忙しく、今回は欠席した。

娘はいい。いくつになっても話し相手になってくれるし、こうやって遊んでもくれる。
息子だとこうはいかない。親父なんかと口をきかないし、家を出たらそれっきりで、
めったに寄りつきはしない。自分がそうだったから、実によく分かる。

さてフロリレージュは超人気のフレンチで、予約は2~3ヵ月先まで埋まっている。
デフレ不況の長引く折、どこもフレンチは苦戦していると聞くが、この店だけは例外のようだ。
女房はすでに4~5回来ていて(ボクは初めて)、シェフの川手寛康氏とは馴染みの仲だ。

イケメンの川手氏は六本木の「ル・ブルギニオン」や白金台の「カンテサンス」などで
修業した新進気鋭のシェフで、女房はブルギニオンでの修業時代から見知っている。
さすがに人気店だけあって、料理はどれもうまかった(ボクにはこれしか言えない)。

気取ってると思われると困るのだが、わが家の娘たちは小さい頃からフレンチや
イタリアンに慣れ親しんでいる。誕生会や祝い事があるたびに一流どころをあちこち
連れ回したので、年齢の割には相当場数を踏んでいる。それに長女はイタリアで
暮らしたことがある。ホームステイ先では毎晩フルコースの料理(一般家庭では珍しい)で、
味も玄人はだしだったという(女房がお礼がてら訪問して確認済み。マリア・テレサよ、ありがとう)

だからといって、わが家が年がら年中うまい物を食べていると思われても困る。
ふだんは贅沢などせず、もちろん美食とは無縁で、実につましく暮らしている。
しかしパーッとやるときはケチケチせず豪華にいくのがわが家流だ。
人生にはメリハリが大切で、「ハレ」と「ケ」は明確に分けたほうがいい。
「ハレ」の日には一張羅を着込み、思いきりめかし込んでお店に繰り出すのだ。
古来より日本人は、そうやって生きてきた。

料理記者としてはベテランの女房は、フレンチとイタリアンにめっぽう強い。
雑誌に記事を書くかたわら、テレビの料理番組のアドバイザーをしたり、
2010年、横浜で開催されたAPEC(アジア・太平洋経済協力会議)などでは
21ヵ国の首脳たちの口に入れる料理を考えたメンバーの一人でもあった。
しかし献立づくりに関しては、お高くとまった外務省の高級官僚たちとことごとく衝突した。
そのためか、大会期間中の女房は不機嫌そのものだった。
「タダ飯食いの木っ端役人どもめ!」
女房の代わりに、ボクが思いきり(霞ヶ関方面に向かって)毒づいてやった。
わが家の伝統的役人嫌いには、ちゃんとした理由(わけ)がある。

ところで、冒頭のフロリレージュFlorilegeは〝詞華集〟の意だという。
フレンチレストランはどうしてこういうややこしい店名を付けたがるのだろう。
一度聞いただけでは絶対に憶えられない。

なかには「カラペティバドゥバ」とか「ラ・ブリーズ・ドゥ・ヴァレ」だとか、
「ル・シズイエム・サンス・ドゥ・オエノン」、「シニフィアン・シニフィエ」(これはパン屋)
といった、客にいじわるしているとしか思えないような店名もある。
これじゃあ料理を口にする前に、舌を噛んで死んでしまいそうだ。
何? 店名が「アオマキガミ・アカマキガミ・キマキガミ」ってか?
勝手にしろィ!

かといって「アムール」なんていう分かりやすい店名も困る。憶えやすくてありがたいが、
何やら怪しげな雰囲気が漂ってくる。昔よく通った同伴喫茶にありそうな名前だ。
それよりは、わけのわからんフランス語で煙に巻かれたほうが有難味がある?
いいかげんにしてね。



←「フロリレージュ」の肉料理。
黒い石の器がすばらしい

 

2012年10月4日木曜日

ニセモノ嫌い

ボクは韓国ドラマをいっさい見ない。だが義母や叔母は大好きで、叔母などは
何度も韓国へ行き、自殺したパク・ヨンハの家にまで押しかけたことがある。
そんな熱烈ファンに向かって「あんなもの見るのはおよしなさい」とはなかなか言えない。

ボクが韓国ドラマを見ない理由は単純だ。ウソで固めたものだから――これに尽きる。
まず登場人物たち。男優もそうだが、女優は100%といっていいほど整形していて、
どれもみな同じ顔で区別がつかない。これは「少女時代」や「KARA」、「ワンダーガール」
といった女性歌手グループも然りで、「鼻筋が通ってどんぐり眼」という白人女性を
マネたワンパターンで一貫している。「ツリ眼エラ張り」という民族的特長に自信が持てず、
親からもらった顔、というより民族のDNAというべき顔に不服で、
あろうことかメスを入れて切り刻むというのだから、なんとも卑屈で浅ましい。

街でめぼしい女の子を探す芸能スカウトたちの選考基準がふるっている。
とにかく脚のキレイな子を探してこい。顔なんてどうにでもなる
脚だけキレイなら他はどうでもいいだなんて、ずいぶんバカにした話ではないか。
女性なんて単なる性の愛玩物くらいにしか思っていない韓国社会の実相が
透けて見えるようだ。韓国の女性たちはここまで人間性を否定されて
腹が立たないのだろうか。誇りというものがないのだろうか。

最近ではお隣の支那で〝変身ツアー〟と称するプチ整形ツアーが人気だという。
整形先進国の韓国へ行って、みんなで美しく変身しよう、というわけである。
しかし帰国時の税関で「おい、顔がまるでちがうぞ」というトラブルが続出。
以来、整形ツアーには身分証明書の携行が義務づけられたという。

韓国は儒教の国で、儒教の最大徳目と云ったら「孝」だ。子供たちが親の前で必ず
眼鏡を外すのは、「親からいただいた両目に不服はございません」という意思表示が
そうさせる。ところが親から受け継いだ顔(ふつうは目も鼻もある)には大いに不服です、
というのが昨今の整形ブームで、親が子に勧めるだけでなく、自分もついでに便乗しちゃおう、
というのだからわけがわからない。その間の整合性がまるでない。

身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり(「孝経」)
 人の身体はすべて父母から恵まれ与えられたものだから、
傷つけないようにするのが孝行の始めである――。
このくらいのことはかつて東夷と呼ばれバカにされた我ら蛮人にもわかっている。
それなのに、儒教国家の優等生を自任する韓国人は、なぜかくも嬉々として身体を
毀傷するのか。そこのところがさっぱり分からない。

整形はまだいい。問題は歴史ドラマだ。これはもうめちゃくちゃで、史実もクソもない。
以下、東洋史家の宮脇淳子氏の話をかいつまんで言う。16世紀の李朝期に実在した
妓生(キーセン)を主人公にした『ファン・ジニ』というドラマがある。ファン・ジニは漢詩を
解し、歌舞音曲などの技芸にすぐれたキーセンだった、ということだが、史料がほとんどなく、
記録が1、2行残っているだけだという。で、ドラマではありったけの想像力(妄想ともいう)
を駆使して……といえば聞こえがいいが、とにかく史実無視、やりたい放題のドラマだという。

まず衣裳の派手なこと。キーセンは身分としては奴隷以下。人権のない奴隷以下の存在だから、
ほんとうに貧しかった。ところがドラマの中には、さまざまな色柄のチマチョゴリを着たキーセンが、
さながらファッションショーみたいに登場してくる。

そもそも李朝時代はみな貧しくて、民間人は色のついた服は着られませんでした
食べ物にすら困っているのに高価な輸入品である染料を買えるはずもない。
だからみんな白い服を着ていた。…(略)…朝鮮人の衣服が白いので、
沿海州に入植したロシアの先兵であるコサックたちは、
朝鮮人を「白鳥」という隠語で呼んでいたんです」(宮脇氏)

一方で、日本統治時代、韓半島にいた日本人は時に柄物のチマチョゴリを着たりした。
朝鮮人にとっては「柄物を着るのは豊かな日本人」というイメージだった。おそらく
こうした屈辱的な歴史のせいだろう、優越した日本文化に対抗するため、時代考証など
おかまいなしに、豪華絢爛な衣裳をキーセンに纏わせる。
そのけばけばしさはエスカレートするばかりだ。宮脇氏は言う。
韓国人にとっての歴史は、こうであってほしかった、という願望そのものでもあるのです
何度も言うが、韓国人にとって歴史は〝ヒストリー〟ではなく〝ファンタジー〟なのだ。

安く買えるからと、日本のテレビ局は韓国ドラマを大量に買い入れ、これでもかというくらい
流し続けている。結果、「韓国にはあんなすばらしい歴史があったのね」などと勘違い
する無知なおっちょこちょいも出てくる。韓国人も「こんな立派な国を日本は蹂躙した。許せない」
と日本のオバサンたち以上に勘違いしてしまう。ウソの歴史を吹き込まれる両国民の、
どちらも不幸なのである。

「戦後、アメリカは敗戦国日本の国民を〝洗脳〟するために、ほとんど無料で
自国製テレビ映画を提供したそうです。わたしたちはアメリカの生活の豊かさにあこがれ、
すっかりアメリカナイズされてしまいました」(宮脇氏)
それと同じ日本の〝韓国化〟が今、じわじわと進行しつつある。

ウソで固めた韓国歴史ドラマにゆめゆめ惑わされてはいけない。
かのファション・デザイナー、ジョルジォ・アルマーニだって言っている。
私はニセモノが嫌いだ。見せかけの真実は見たくない

←こんなド派手な衣裳はあり得ないのです。
嗚呼! ウソで固めた韓国歴史ドラマ。
いつか必ず歴史から復讐されますぞ
(『ファン・ジニ』)







 

2012年10月3日水曜日

ゲイシャで2度いく

昨日、久しぶりにゲイシャと遊んだ。女房が留守なのでちょっとした火遊び。
生殺しのままじゃかわいそうなので、とうとう最後までイッテしまった。

ゲイシャ遊びにうつつを抜かす連中は揃ってこう言う「ゲイシャは生殺しがいい」と。
ボクはそうは思わない。やはり2度いかせてあげたほうがいい。あっちも喜ぶし、
こっちだって後味がいい。色香ばかりを嗅いでいたって始まらないではないか。

もともとゲイシャ遊びは好きではなかった。金はかかるし、後を引くし。
でも熱心に勧める人がいて、とうとうその誘惑に抗しきれず、ハマってしまった。
金にあかしてドンパチやり、鼻が曲がるほどアソコの匂いを嗅いだ。
でも、もう飽きた。ナポレオンだってジョセフィーヌのあの匂いには閉口してたもの。
飽きるのだよね、あのニオイは。

というよりフライパン上のアヒルではないが、熱~い鉄板の上で2度も3度ぴょんぴょん
跳ねれば、よがり声とともに体臭なんて消えてしまう。代わりにまったりとした濃醇な味。
後朝(きぬぎぬ)の別れもへちまもない。味わい尽くしたらハイサヨナラだ。
遊び戯れた部屋には残り香が漂っている。で、証拠隠滅のため消臭ファブリーズを
あっちこっちにシュッシュッシュッ……。

こいつはいったい何の話をしているんだ? また昼間から酔っぱらっているのか?
ふふ……素人衆にはさっぱりでしょうね。でもコーヒー関連の人ならすぐわかる。
生殺しがいいとか2度イクとか、アソコの匂いがたまらんとか……。
ボクは中途半端な生殺しはきらい。やっぱ最後までいかせちゃったほうがいい。
そこにはめくるめくような、実に味わい深い世界が広がっている。

さて話変わって次女が家を出て早や5ヵ月。女房とはしょっちゅうスマホでやりとりしているようで、
時々暮らしぶりが耳に入ってくる。最近はおやじの淹れてくれたコーヒーがやけに懐かしく、
寮でも自家焙煎コーヒーが飲みたいのだという。といってもドリッパーもないしミルもない。
「早く買い揃えろ!」と言ってあるのだが、仕事が忙しいのか、いっこうに買う気配がない。

近く家族の会食があるので、その時にでも、心入れのコーヒー(ゲイシャじゃない)を
持たせてあげよう。あのねんねも、ようやくコーヒーのほろ苦さが分かる年頃になったようだ。
嬉しいけどちょっぴり淋しく、そして哀しい。還暦は感じやすい年頃なのだ。