2013年5月29日水曜日

ファットボーイのjazzyな生活

レコードプレーヤーがぶっ壊れてからは、あまり音楽を聴かなくなった。
聴いていたのはもっぱらジャズ。40年前はよく新宿の「木馬」や「DUG」、吉祥寺の
「ファンキー」や「サムタイム」に通っていた。それと、当時住んでいた江古田には
「シャイニー・ストッキング」というジャズライブの店があった。まだ売れない頃の金子晴美
などがステージで歌っていて、ボクはジンライムなんぞをチビチビやりながら、心地よく
からだを揺らしていた。

ジャズを聴き始めたのは10代の終わり頃。ジャズキチの友人に勧められた1枚のレコードが
きっかけだった。『バド・パウエルの芸術』(1947年録音のルースト盤)というもので、その中に
おさめられている「アイ・シュッド・ケア」という小品に、それこそガツンと一撃を喰らってしまった。
アップテンポの曲が多いアルバムの中で、唯一と言っていいほどスローテンポの、何と言おう、
叙情性あふれる珠玉の一曲なのである。ボクはあまりの美しさに泣けてしまった。

ピアニストから入ったジャズの世界なので、まずは名だたるピアニストを総なめにした。
その後、ビリー・ホリデイなどヴォーカリストに凝り、またまた総なめにした。
読書と同じで、濫読しているうちに自分の好みがハッキリしてきて、
たとえばビル・エヴァンス(p)が好きになったら個人全集を買い込むみたいに
エヴァンスばっかり聴く、という生活を繰り返した。一時、アート・ペッパー(as)に
惚れ込んで、高価なアルトサックスを衝動買いしてしまった。
今は押し入れの中で埃を被り、年に1回虫干しされ、磨かれる日を待っている。

「で、結局のところ、誰が一番好きなの? ベスト3を挙げてくれ」」
と問われたら、さて何と答えよう。好きなアーティストはいっぱいいて、
その誰もがボクの不毛な青春時代を彩ってくれている。彼らの音楽がなかったら、
ボクの10~20代はほとんど灰色一色に塗りつぶされていただろう。

マイ・フェイヴァリット・アーティストは、
エリック・ドルフィー(as, fl, bclなど)
チャーリー・ミンガス(b)
アート・ペッパー(as)
他にもマイルス・デヴィス(tp)やコルトレーン(ts)、エヴァンスやトミー・フラナガン(p)なども
捨てがたいし、レス・ブラウンやカウント・ベイシーのビッグバンドも忘れがたい。むりやり
3人選んだが、こればっかりは甲乙つけがたい。モダンジャズの世界は実に〝豊饒の海〟
そのものなのだ。

これは余談だが、静岡市の七間町に「維也納(ういんな)」という喫茶店があった。
かつて芹沢銈介や柳宗悦らが集ったという名店で、店主の名は白沢良。その息子が
崇で、ボクはけっこう仲がよかった。維也納の2階には同じ経営の「パーソン」という
ジャズバーがあり、ボクは出張の折などに立ち寄っては崇氏とバカッ話に興じていた。

崇氏曰く。
「外国からけっこう有名なアーティストが来ては店に顔出してくれてね。即席の演奏なんかも
してくれるんだ。で、いつしか親しくなっちまう。ある時、ミンガス(レイ・ブラウンだったかも)
が機嫌悪そうにしてるわけ。どうしたの、って聞いてもそっけないの。そんな時はね、俺は
ヤツの手を引っぱってソープへ連れてっちゃう。1本抜いてやる(下品でゴメン)と俄然機嫌が
よくなっちゃうんだ、アハハハ……」
軍隊だけではない。ミュージシャンにも時には〝慰安婦〟が必要、という下世話なお話。
ボクと崇氏はそんな楽屋話を肴にしては、ゲラゲラやっていた。

ところ変わって5月19日、沼袋の「オルガンジャズ倶楽部」で、NICKさんのライブが
おこなわれた。メンバーはバンマスがNICKさん(org)、ギターがテーラー井田、
スペシャルゲストがJun Saitoこと斉藤純(ds)という顔ぶれだ。NICKさんはもともと
ピアノ弾きだが、最近はハモンドオルガンに凝ってしまい、個人教授(若い美人です
までつけるという〝ハマり〟よう(誤解を生むような言い方するなよ)。
んなわけで、夜な夜な本腰を入れていた誰と? クドイっつーの)。

演目は「バイバイ・ブラックバード」とか「ブルー・ボッサ」、「枯葉」、「チュニジアの夜」
といったスタンダードナンバーが主体で、さすがにニューヨークで活躍していたという斉藤氏
のドラミングは群を抜いていたが、アマチュアのテーラー井田(本業は仕立屋さんです)
の軽やかで歌心のあるギター(見た目はジム・ホールそっくり。特に頭のてっぺんが)
もよかったし、時々演奏に加わり万丈の気を吐いたテナーサックスの相沢某もよかった。

NICKさん? もちろん、最高でした。ハーレー乗ってるとイヤでも出っ腹が目立つけど、
オルガンは醜い腹を隠してくれるもんね。演奏はともかく(何がともかくだよ!)、
固まってるところが、もうサイコーでした(どーゆー意味だよ! ホントに聴いてたの?)。


←ふだんは商社マンで飲んべえ(余計だろ!)
NICKさん。この日はプロのドラマーと共演する
ということで、かなりコチコチに固まってた(←写真)。
でも、演奏はよかったよ。ちゃんと音出てたし(当たり前だ)。
余技の域を超えてまるでyo-gi(ヨガ行者)になってたな。
さてドラムスのシンバルの位置に注目してくれ! 
ヨコではなくタテにおっ立てるんだ。珍しいね。
斉藤氏独特のやり方なのだそうです。
photo by 畠山一郎



 

2013年5月26日日曜日

ファットボーイにデブおやじ

昨日は相棒のNICKさん(脚注あり)とつるんで川越までツーリングをした。
愛車はHarley-DavidsonのFLSTF、通称FatBoyデブ男の意)という大型バイク(1600cc)だ。
ボクは気楽な電車のほうがいい、と主張したのだが、NICKさんはどうしてもボクと
タンデム(二人乗り)したいと言い張ったので、とうとう根負けしてしまった。
女房以外の人間と肌身を合わせたことがないボクは、
NICKさんの広い背中を前にしただけで胸が高鳴ってしまった。ドキドキドッキン……。

ファットボーイというくらいだから、ずいぶん図体がデカい。文字どおりの
〝おデブちゃん〟で、映画『ターミネーター2』で、アンドロイドのシュワちゃんが
ショットガンをぶっ放しながら爆走したバイクがこのファットボーイだ。
重量は330㎏。そこに腹の突き出たデブおやじが2匹、颯爽とまたがって
ブルンブルンとすさまじい爆音(99デシベルで、オスプレイよりうるさい。みなさんゴメンナサイ
を轟かせて走るのだから、一場の春夢というより〝一場の悪夢〟というべきだろう。
ヒャッホー! イェーイ! 道をあけろォ~、ハーレー様のお通りだィ!

ハーレー専用のレザージャケットでバッチリ決めたNICKさんは、信号待ちをするたびに
エンジンを切ってしまう。「ずいぶんエコなんだね」とその高い環境意識を褒めてやったら、
「ガスをケチってるだけ。このおデブちゃんはやけに大食いなんでね」だって。
あ~あ、褒めて損こいた。

人間、肌身を合わせるとその性格がよく分かるというが(言わんがな、そんなもん)、
今回タンデムしてみてNICKさんの性格がよーく分かった。
こいつ、やけに負けず嫌いなんだ。
ボクたちデブおやじがのんびり走っていると、400ccのスポーツバイクに乗った若者が、
「おっさん、どけどけ」とばかりに、けたたましい排気音を残して追い抜いていく。

するとNICKさんの負けん気に火がついたのか、スロットルを思いっきり空けて急加速。
「てめえ、俺ッチを追い抜くなんざ、100年早いんだよ」と、ものすごい勢いで追跡、
あっという間に抜き返してしまった。おのれの非力を思い知らされた若者は、
深い敗北感と徒労感に包まれたのだろう、以後、おっさんたちの前に出しゃばることなく、
いつの間にか、悄然と姿を消してしまった。NICKさんのドヤ顔といったら……(プッ)

ボクも昔は中年暴走族を気取っていたくらいの飛ばし屋だった。
もっとも乗っていたのは400ccのスポーツバイク(カワサキGPZ400F)で、
排気量こそ少ないが、それこそ度胸ひとつで公道をかっ飛ばしていた。

そこで気がついたのは、バイクにも自ずと序列があるということだ。
信号待ちなどで一斉にバイク野郎が横並びになると、
自然と排気量のデカい順に並び、軽量級のふんどし担ぎなんかは一番後方に回される。
「そこな町人、頭が高い、ひかえおろう!」という感じだろうか、
バイク乗りもよくよくおのれの分際というものをわきまえなくてはならない。
ハーレーのような重量級の乗り手は、威風堂々と胸を張り、常に上から目線で偉ッらそうだが、
軽量級はコソコソと、それこそ上目づかいに重量級ライダーのご機嫌を伺うといった風情で、
どこか卑屈になっている。

ボクなんか中量級の三下奴だったけど、ゼロヨン加速には自信があったので、
爆音だけが取り柄で、成金趣味のハーレーなんて最初から目じゃなかった。
その飛ばし屋のデブおやじが、今は落ちぶれてNICKさんの後部席にまたがり、
ラシャメン女郎さながらに肌身を寄せて背中を温めてやっているのだから世も末である。

帰途、川越駅にほど近い「小野食品」で、本ブログでもお馴染みの
なごり雪〟さんと会い、日本一と称される豆腐や油揚げを買いこんだ。
なごり雪さんは遠路訪問の労を多とし、いっぱい〝おまけ〟を付けてくれた。

豆腐に揚げにがんもに豆乳。抱えきれないくらいのお土産を持って、
ファットボーイにまたがるデブおやじ2匹(カッコ悪ッ!)。
なごり雪さんと奥さんはその所帯染みた〝勇姿〟を見て、
目が点になっていたが、精一杯のお愛想笑いをして見送ってくれた。

イージーライダーの成れの果て、キャプテンアメリカもついに年老いたか(グスッ)。
鼓膜が破れそうな爆音を轟かせ、ボクたちは小江戸・川越をあとにした。
背中に憐れむようななごり雪さんの視線を感じながら……。



←このシュワちゃん扮するターミネーターが乗って
いるのがハーレーのファットボーイ。とにかくデカい。
そしてうるさい。川越の皆さま、騒音と醜い出ッ腹を
まきちらしてほんとうにゴメンナサイ。
みんなNICKさんが悪いんでチュ。




※脚注:NICKさん


2013年5月22日水曜日

風なくも右に傾く案山子かな

ブログをやっているとおもしろい発見がある。
こんな右翼チックで自己中心的なブログでも、けっこう愛読してくれている人が多い、
ということだ。国内だけではない。アメリカ合衆国、支那、韓国、インド、ブラジル、トルコ、
グルジア、タイ、ロシア、スウェーデン、マレーシア、アルゼンチン、フランス、シンガポールと、
それこそ世界中でこの拙い日本語で書かれたブログを読んでくれている。

そのデータは書き手だけに分かる仕組みになっていて、統計の中の〝閲覧者〟という
項目をクリックすると数字が出てくる。どの国で何人の人が読んでいるかも分かる。
たとえば本日ならアメリカで7人、インドで4人、ブラジルで2人という具合だ。
人物を特定することは難しいが、「たぶんあの人じゃないかな……」と見当くらいは
つけることができる。

フランスで1人となれば、わが家にホームステイし日本語も堪能、今夏再来日する
予定のAlexiaの線が濃厚だし、アルゼンチンで1人はもうI氏に決まっている。
長女の上司で、住商ブエノスアイレス支店の支店長だ。いずれにしろ海外で読んで
くれている人たちは日本語の達者な人で、おそらく日本企業の現地駐在員などでは
あるまいか。そしてたぶん、歩く姿がちょっぴり〝右に傾いている〟至極まっとうな人
たちに違いない。

ウソも100回唱えれば』でも書いたが、日本という王道楽土でぬくぬくしていながら、
日本の悪口ばかり言っている人たちがいる。ある台湾人がこう言ったという。
「日本に帰化して赤いパスポートをもらって心底驚いたが(色が赤だったからかしら?)、
世界中どこへ旅行しても『やあ、いらっしゃい。ゆっくりしていってください』と歓迎される。
日本人は世界中から愛されていると分かった

その後に彼はこう続けた。
「台湾人は今はそうでもないが、中国人は今も昔も海外の空港で徹底的に意地悪される。
赤いパスポートのありがたみを日本人は知らなすぎる」と。

またある中国人は、日本に帰化した時、犯罪歴がないことだけで、あまりにも簡単に
赤いパスポートをくれたので驚いたと言っている。アメリカならアメリカ憲法の勉強をし、
さらにアメリカに忠誠を誓わなくてはならない。しかるに日本では役所が「ほらよ!」
という感じで、事務的に出してくれる。この中国人は、何だか物足りないというので、
わざわざ伊勢神宮にお参りし、「日本人の新入りです。よろしくお願いします」と報告
してきたという。支那人の中にも、まっとうな人間がひとりくらいはいる。

最近では、「自分は日本人だ」というと俄然サービスがよくなるというので、
ヨーロッパのレストランなどでは日本人を詐称する支那人や韓国人が多いと聞く。
反日を唱える人間に限って「おれは日本人だ」などとウソをつき平然としているのだから、
その心根の卑しさにまず呆れてしまう。

ボクの知人に日本の戦争犯罪ばかりあげつらい、それこそ朝日新聞の愛読者みたいに、
日本および日本人の悪口ばかり言っている教員(もちろんガチガチの日教組です)がいる。
彼女は世界中を旅行して、どこの遺跡がよかった、どこのレストランがうまかったと、
あれこれ自慢しては悦に入っているが、どこへ行っても気持ちのいいサービスが受けられ、
どの観光地へ行っても笑顔で迎えられるのは、彼女のきらいな日本国政府の発行した、
菊の紋章入りの赤いパスポートのおかげ、だとは思わないのだろうか。
世界中から愛される日本という国を造って、われわれに残してくれた先輩やご先祖様
に対して「ありがとうございます」と素直に感謝する気持ちが湧いてこないのだろうか。

自国を愛せずに、どうして他国を愛せよう
コスモポリタンになるためには、まず愛国者であることが必要最低条件となる。
そんなことは子育てをしてみればすぐ分かるではないか。自分の子が愛しいからこそ
他人の子が愛しく思える。自国すら愛せない人間が、人類愛や世界平和を唱えるなど、
笑止なのだ。

ボクは日本が好きで、また日本人が好きで、日本人は類い希なる誠実で勤勉な民族だと
思っている。多少の〝瑕瑾(キズ)〟はもちろんある。が、長い歴史から見ればたったの十数年
に過ぎない。その十数年を日本人は未来永劫悔やみ、反省し続けなければならないのか?
であれば、植民地主義・帝国主義の大先輩である欧米列強などはどうしたらいいのだ。
スペインはポルトガルは? イギリス、オランダは?

オランダなどはインドネシアを400年近く植民統治し、せっせと富を奪って自国を肥やし続けた。
オランダ人の体格が立派なのは、この400年間にわたる富の収奪のおかげだといわれている。
先の大戦時、日本はインドネシアからオランダを駆逐した。その後日本の敗戦が決まった時、
オランダは何をしたか。再び攻め入り、インドネシアの再植民地化を推し進めようとしたのだ。
インドネシア国民は独立に向けて抵抗した。その独立運動を陰で支えたのは、
日本に帰国せずインドネシアに残った日本の敗残兵たちだった。

日本人は大戦中にわるいことばかりした、と過剰なほどに反省するものがいるが、
イギリス人やオランダ人は懺悔などしない。タチの悪いことに、オランダ人は戦時中、
オランダ人捕虜が虐待されたなどと日本に因縁までつけている。自分たちが400年間、
インドネシア人を奴隷のごとく虐待搾取してきたことなどすっかり忘れているのだ。
あろうことかあるまいことか、'71年に昭和天皇がオランダを訪問した際、
群衆は、「ヒロヒトは犯罪者!」(どっちが犯罪者だよ!)などと叫び、
卵や魔法瓶を投げつけた。陛下がお手植えした苗を引き抜いた。

こうした破廉恥国家と比べ、日本と日本人は何と健気なのだろう、とつくづく思う。
ボクはハッキリ言う。日本人はすばらしい歴史とすばらしいご先祖様に恵まれた
すばらしい民族だと。こんなふうに思う人間に対して、「右翼だ」「国粋主義者だ」と
レッテル貼りがしたいのなら、どうぞ御勝手にと言う外ない。



話変わって、ある経済評論家はこう言っていた。
《よい日本人を育てると、その人は生涯に一億か二億の税金を納入するから、
出産と育児こそ最高の公共事業である》と。
まさに至言だろう。

みなさん、世界のどこへ出しても恥ずかしくない立派な日本人を育てましょう。
そして、最高とも言える〝公共事業〟をみなで応援しましょう。



←わが家の近くの自衛隊官舎内の桜並木。
 
  ああ、「花は桜木、人は武士……」
  右翼チックだなァ。

2013年5月20日月曜日

『水野仁輔 カレーの教科書』補記

コーヒーの世界では南千住「カフェ・バッハ」の田口護が第一級の理論家だが、
カレーの世界では〝カリ~番長〟の異名をもつ水野仁輔がそれに当たるだろう。
本業は広告代理店の中堅サラリーマン。しかし趣味が嵩じてカレーに関する本を
次々と出版。いまや〝カレー業界〟では押しも押されぬ第一人者になってしまった。

田口護の最強の理論書といえば『珈琲大全』と『スペシャルティコーヒー大全』だ。
特に前者は増刷に次ぐ増刷で、中国語版と韓国語版まで登場、台湾や中国大陸では
バカ売れだという。田口は中国・韓国ではVIP待遇で、彼の地へ行くと「先生、先生」と
異常なほどに熱烈歓迎されるというから、その影響力たるやすさまじい。

その田口の『珈琲大全』に匹敵するくらいのパワフルな理論書が本日発売される。
水野仁輔 カレーの教科書』(NHK出版)がそれで、お手伝いしたボクが言うのも
なんだが、世界に類を見ない画期的な理論書といえるだろう。内容紹介の帯には、
《今後数十年は、この本を超えるカレー本は出版されないかもしれない》とあるが、
〝かもしれない〟は余分だろう。カレーをこれほどまで緻密に分析し、その中から
不動の理論を導き出し、わかりやすく解説した本の出現は、まさに空前絶後だ。

水野仁輔は静岡県浜松生まれの39歳。ボクの女房が出た浜松北高校の後輩で、
当時浜松市内にあった「ボンベイ」というインドカレー専門店に足繁く通い、
眠っていた水野の〝カレー魂〟に火がついてしまった。なにしろ中学高校の頃から
スパイス類に夢中で、自分でオリジナルのカレー粉を作ってはそれを小袋に詰め、
首からネックレスみたいにぶら下げては街を闊歩し、時々匂いを嗅いで、
「ウーン、たまらんねェ」などとひとり恍惚としていたというのだから、相当変わってる。

この男の一念はハンパじゃない。スパイスで作るカレーには黄金律といえる理論が
きっとある、と確信した彼は、その仮説を実証すべく某インド料理店に日参。1年半に
わたって300回以上通いつめ、毎回日替わりカレー2種を食べ、調理場に顔を出しては
シェフに作り方の伝授を請うた。で、どうなったか。結論から言ってしまおう。600種類に
およぶカレーのレシピは、水野の立てた仮説とまったく同じプロセスを踏んでいたのである。
水野はこの原理原則ともいうべき理論を〝カレーのゴールデンルール〟と名づけた。

わが家はみんなカレー好きで、娘たちが小さかった頃からハウスバーモントカレーの
贔屓だが、この本の制作に係わった頃から、スパイスカレーも作るようになった。
上野アメ横の「大津屋」でスパイスを買い込み、水野考案の「ゴールデンルール」に
従って作っていく。作り方は簡単で、誰にでも本格的なインドやタイのスパイスカレーが
できてしまう。この勝ち誇ったような達成感はいったい何だろう。

かつて、スパイスカレーはカレー上級者だけのマニアックな料理で、
ごくふつうの日本人にはアンタッチャブルな世界だった。しかしこの
『カレーの教科書』を読めば、目の前の霧が晴れるように、スパイス
カレーの奥深い世界を一気に見はるかすことができる。
これは世界に類のない、とんでもない本(トンデモ本ではないです)なのである。

カレーはラーメンと並ぶ日本の〝国民食〟だという。しかし国民食といわれる
割には「謎」や「神話」が多く、理論的にも解明されてこなかった。たとえば、
「何十種類のスパイスを調合したからホンモノ」だとか「何日間寝かせたからうまい」
だとか、「玉ネギはあめ色になるまで炒めないとダメ」といった〝迷信〟である。
なぜか日本人はその迷信を心底ありがたがっている。ほんとうにそうだろうか?

インドではせいぜい7~10種類くらいのスパイスを使う(3~4種類で充分といった声も)。
日本には「40種類のスパイスを調合……」などと自慢する店があるが、
スパイスが多いと逆に個性を打ち消し合って、凡庸な味と香りに仕上がってしまう。
種類を多く混ぜればいい、というものではないのだ。

世間に流布する玉ネギの〝あめ色神話〟にも大いに異議ありだ。
だいいち、当節はこの〝あめ色〟が分からなくなってきている。
水野のカレー教室に通う生徒からは、
「あめ色の〝あめ〟はいったいどの飴ですか?」
という質問が飛ぶという。たしかに飴にもいろいろある。
水飴にカンロ飴に黒飴……。あめ色のモデルになった飴って何だろう?

そのあめ色の続きだが、弱火で30~40分以上炒めなくてはいけない、
なんていったい誰が決めたのだろう。
一般的にインドでは強火のまま短時間(10分以内)であめ色に仕上げてしまう。
いや、そもそもあめ色にしなくてはいけないというオブセッション(強迫観念)が
最初からないので、炒め具合にも自ずと深浅がある。大事なのは
「どんなカレーにしたいのか」という作り手のイメージだ。炒め具合もその
イメージによって変わってくる。本書では、短時間であめ色にするショートカットの
〝裏ワザ〟も披露されている。

水野の少年のような懐疑心はこれら〝迷信〟の一つ一つに科学的なメスを入れていった。
ジャンルの異なるフレンチの世界からも意見を聞き、学者先生の話にも素直に耳を傾けた。
そして導き出した「答え」がこの『カレーの教科書』だ。

これは単なるカレーのレシピ本などではない。
カレーに淫する男が、カレーの奥の院に世界で初めて踏み込んだ
(インド人は日本人みたいに徹底して調理を分析したりしない。
「親方からそう教わった」「昔からそのやり方だ」――それでオシマイである)、
インド人もびっくりの、歴史的、あるいは比較文化論的に価値の高~い本なのである。
水野仁輔は実に何とも、どデカいことをやってのけてくれた。

カレールゥで作るカレーはもちろんうまい。本場のインド人だって、
「こいつはうまい。いったい何という料理なんだ?」と真顔で訊き返すくらいうまいのだから、
世界に堂々と誇ってもいい。でも、メーカーお仕着せの味に満足できなくなったら、
気まぐれでもいい、各種スパイスを使って本格的なインドやタイのカレーを作って
みてはどうだろう。水野理論どおりに作れば、これが実に簡単にできるのだ。
ホームパーティなどで披露したらバカ受けすることまちがいなし、である。

何度でも言う。この本はすごい。制作スタッフのボクが言うのだからまず間違いはない
(これを一般に自画自賛という)。ご用とお急ぎでない方は、ぜひ手にとってほしい。
そして実際にカレーを作ってほしい(作ってみればボクの言うことにきっと納得するだろう)。
あなたはたちまち「カレー名人」と呼ばれるようになるだろう。





←水野仁輔の畢生の大作がこれ。
  目からウロコの話がてんこ盛りだ。


2013年5月16日木曜日

ウソも100回唱えれば

「慰安婦問題」(そんなものは存在しないっつーに)が相変わらずかまびすしい。
この出来損ないの猿芝居をここまでこじらせたのは、
いわゆる反日分子と呼ばれる以下の腐れインテリ左翼だ。

悪役その1……吉田清治。『私の戦争犯罪』の著者。慰安婦問題の火付け役となった本で、
後に作り話であったと判明、本人もそのことを認めた。
悪役その2……福島瑞穂。社民党の反日議員。よせばいいのに元慰安婦と名乗る
金学順 という女性を公の場に引っ張り出し、「私は慰安婦でした」と証言させる。
悪役その3……植村隆記者(朝日新聞)。金さんは「親に40円で売られた」と証言しているのに、 《女子挺身隊の名で戦場に連行された》などと書き、大騒動の発端を作った。
悪役その4……加藤紘一内閣官房長官(当時)と宮澤喜一首相(当時)。事実調査を
する前に、盧泰愚(ノ・テウ)大統領の前で〝8回も!〟「ゴメンナサイ」と謝ってしまう。
悪役その5……河野洋平。内閣官房長官(当時)。いわゆる「河野談話」を発表。
政府が強制連行を認め、官憲等による関与もあった、と言ってしまう。
外交的失敗 の最たるもの。
悪役その6……戸塚悦朗。弁護士。従軍慰安婦=性奴隷Sex-Slaveとし、
国連人権委員会に提訴。後に特別報告書が採択された。
日本の恥を世界にぶちまけた張本人。

この問題の経緯はややこしく煩瑣なので、詳述するのは別の機会にゆずるが、
要は上掲の悪役たちが、反日の御旗の下に八面六臂の大活躍をし、
「ウソも100回唱えればホントになる」という言葉そのままに、
とうとうホントのことのように見せかけてしまった、というお粗末だ。

これら悪役の中でA級戦犯といえそうなのは、まずはこの問題のきっかけをつくった
大ウソつきの吉田清治だ。そして強制連行の事実がないことを知りながら強制連行が
あったと書いてしまった朝日の植村隆記者。それにろくすっぽ調べもしないで、
先に謝ってしまったほうが勝ち、とばかりに〝河野談話〟なるお追従話を発表して
しまった河野洋平。最後に、18回も国連に押しかけ、執拗なロビー活動を繰り広げ、
軍隊性奴隷制military sexual slaveryをでっちあげ、国連の報告書に性奴隷sex slave
という言葉を挿入してしまった戸塚悦朗だろう。あとの有象無象はB、C級戦犯だろうが、
いずれにしろ〝国賊〟と呼ぶに一片のためらいも感じない、人間のクズどもである。

そんなに日本がきらいなら、中国でも北朝鮮でも、とっとと好きな国へ出ていってくれれば
いいものを、菊の紋章の入ったパスポートを持ち、いいおべべを着ていい物を食べ、
王道楽土と見まがうような生活をしていながら、お国の悪口ばかり言っている。
あのフーテンの寅さんに、「てめえ、さしずめインテリだな」と、威勢のいい啖呵で
やりこめられる手合いがこの連中だろう。

2011年12月、韓国ソウルの日本大使館前に慰安婦像が建立された。
英語、韓国語、日本語で碑文が書かれていて、
英語のところには、Japanese military sexual slaveryと書いてある。
日本政府は再三撤去を申し入れているが、いまだ果たされていない。

余談だが、韓国ソウル大学の安秉直(アン・ビョンジク)教授が、名乗り出た40人の
慰安婦について聞き取り調査をしたところ、軍による強制連行の事実はなかった、
との結論を得た。それどころか文玉珠という元慰安婦には当時の金で2万6000円の
貯金があった。5000円で家が建つ時代に慰安婦たちはそれだけ稼いでいた、
ということである。貧しさゆえに売られていったのは事実だろう。
が、慰安所で稼いだ金を親元に仕送りし、なお家が4~5軒建つほど金があまった
いうのも事実。これが奴隷身分だったとしたら、貯金などできるわけがない。

ついでに言うと、朝日にウソの記事を捏造した植村記者の奥方は韓国人。
日本政府を相手に裁判を起こしている遺族会幹部の娘だ。
慰安婦問題を捏造した朝日新聞社は、いまだに植村記者の書いた
《女子挺身隊の名で戦場に連行された》という記事に関して、
あれは間違いであったと一言も謝罪していない。
この新聞社は、訂正とか謝罪をしない傲岸不遜な新聞社として有名で、
ここまで国益を損なう不始末をしでかしておきながら、
最後まで頬被りをしようっていう腹づもりらしい。

ソウル大学の安教授は、西岡力(東京基督教大学教授)に向かって、
「私は韓国で強制連行はなかったと言っているんだ。日本の総理が認めたら
私の立場がないじゃないか」
と満腔の不満をぶちまけているという。
やれやれ。



なんとも気分がわるいので、験直しに素敵なダンス動画をどうぞ。
http://m.facebook.com/ellentv/posts/10151658610593980
どうでした? 心が洗われるようなシルエットでしょ?

ついでにこんなのもどうぞ(隠れAKB48ファン)。
http://www.youtube.com/watch?v=ZCNiY-j6VsI
『恋するフォーチュンクッキー』って、いいよねェ。


 

2013年5月10日金曜日

ラシャメン日本!

ほんの数年前までは、「憲法改正」を口にすると右翼軍国主義者と呼ばれた。
これが政治家だったら政治生命を失いかねなかった。「改憲」はタブーだったのだ。

ところがどうだ、最近の世論調査では「改憲すべきだ」が51%(読売新聞)とか
56%(日経新聞)を占めている。尖閣諸島や竹島、北朝鮮の核問題で目がさめたのか、
「不磨の大典」にもようやく手が入れられようとしている。此度の〝黒船〟は
アメリカではなく支那や朝鮮。平和ボケした日本人の目を醒ましてくれたのだから、
持つべきものは善きサマリア人、いや平和を愛する隣人諸国(んなわけねーだろ!)。

《世論なんて、お盆の上の豆みたいなもの。右へ傾ければ右へ、左へ傾ければ左へ、
ザザーッと一斉に転がっていく。新聞報道もおんなじね》
と言ったのは作家の曾野綾子。世論とか民意といったものがいかにいいかげんで
当てにならないものか、まさに正鵠を得た発言というべきであろう。

「護憲派」は相変わらず平和憲法を守ろう、第9条を守ろうと気勢を上げているが、
第9条のおかげで戦後の平和が保たれていたわけでは決してない。
戦後日本の平和は東西冷戦という状況下、日米安保条約という軍事同盟によって
守られていたのである。そこのところを勘違いしてもらっては困る。

日本国憲法がアメリカの植民地だったフィリピン憲法を下敷きにしているという事実は
あまり知られていない。同国憲法の第2条には〝戦争放棄〟がたしかに謳われている。
占領下の人間は、未来永劫、ご主人様に歯向かってはいけませんよ、という占領者側の
思いが込められている憲法で、わが日本国憲法がわずか1週間で書き上がったというのも、
こうした下敷きがあってのことであれば容易に納得できる。

同じく敗戦国だったドイツの場合はどうか。ドイツに対しても占領軍の米英仏は
自分たちに都合のいい憲法を押しつけようとした。が、ドイツ人は国際法を楯に抵抗した。
国際法の「陸戦の法規慣例に関する条約」の付属書第43条には、
『一国の主権が侵害されているときに、その国の根本的な法体系や憲法を
占領国が変えてはならない』(大約)とある。ドイツはこの条項を楯に抵抗したのだ。

日本はどうか。当時、日本にはこの陸戦法に関する条約を言うものが誰もいなかった。
そのため、幣原喜重郎首相がGHQの草案をいとも易々と受け入れてしまったのである。

ドイツが新憲法を作ったのは1949年。ナチスドイツの反省から、侵略戦争を違憲とする
平和的な憲法を作った。しかし、国家たるもの武力を保持しなくてはならない、とする
考えが根強く、'54年に憲法を改正、その後も次々と改正し、軍事力を整えてきた。

1968年、ソ連がチェコを侵略する。あの有名な〝プラハの春〟である。
その年、ドイツは憲法の大改正をおこない徴兵制を復活させる。
ドイツの国土を守るのは、ドイツ国民の責任と義務である、と明確に規定したのだ。
そして今日まで、ドイツは59回も憲法を改正している(2013年現在)。
'54年の第1回改正から数えるとちょうど59年、
なんと毎年1回の割合で改正している計算になる。
憲法改正はタブーでも何でもなく、ごくふつうにおこなわれていることなのである。

「日本の国土を守るのは、日本国民の責任と義務である……」
戦後68年間、アメリカの囲い者となって、骨の髄までメカケ根性が染みついてしまった
日本人には、こんな当たり前のことすらわからなくなっている。
長い間、腕っぷしの強い旦那の懐でぬくぬくしてきたために、国際社会で何が起きても、
「無責任」「無関心」を押しとおし、「平和ボケ」の中で安住してきた。

「たとえメカケと呼ばれようと、旦那様の庇護の下に暮らしたほうが楽ちんでいいわ」
という意見もあるだろう。でもね、アメちゃんという旦那はそれほどお人好しではないですよ。
アメちゃんが日本を軍事的にも経済的にも保護育成したのは、米ソの冷戦があったから。
共産主義への砦として、また東側陣営に向けた一種の高級ショールームとして、
日本や西ドイツの経済発展が必要だったからであって、それがアメリカの国益にかなった
からに他ならない。国際情勢が変わり、アメリカの国力の低下が叫ばれる時代にあっては、
いつまでも安穏としたラシャメン(洋妾)暮らしが続けられるとはかぎらないのである。

フィリピン憲法のコピーを後生大事に信奉している護憲派の教条主義者たちよ。
アメちゃんにむりやり押しつけられた憲法に頬ずりする矜恃なき者たちよ。
ワイドショー的で薄っぺらな正義感をふりまわす視野狭窄の左翼リベラリストどもよ。
ちったァ冷静な目で、歴史をおさらいしてみたらどうなんだ?

かの鉄血宰相ビスマルクも言っているではないか。
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ》と。
おのれのつまらぬ経験など、何ほどの価値があろう。
もちろんあなたたち(メカケ根性丸だしの護憲派の人たち)は愚者も愚者、
徹頭徹尾グシャグシャであります。グシャ、グシャ、グシャ…










 

2013年5月3日金曜日

空手と料理人

相も変わらぬ「いじめ」「体罰」「セクハラ」「パワハラ」が紙面を賑わせている。

    浜の真砂は尽きるとも 世に〝いじめ〟の種は尽きまじ  (石川5右衛門

およそ生きとし生けるものに〝いじめ〟はつきものである。
たとえばあの小心な鳩。日本の首相にも〝鳩〟の字を冠した暗愚な男がいたけれど、
鳩のいじめは執拗で残酷だという。徹底的に相手の首筋を狙ってつつき続け、
場合によっては死ぬまでやる。平和の象徴などとは、ブラックジョークもいいとこなのだ。

だからというわけではないが、ボクはあえて提言したい。役立たずのいじめ防止策などを
必死で考えるより、「いじめに耐え、反撃する」手立てを考えたほうがいいと
親なり学校が戦い方の極意、ケンカ殺法を伝授してやったほうが話が早いのだ。

それでも死ぬしかないと決断したのなら、それも運命だろう。
だが、どうせ死ぬのならいたずらに学校やマンションから飛び降りるのではなく、
いじめっ子の家の玄関口で、これ見よがしに首をくくったほうがいい。

ボクも昔はいじめられっ子の一人で、誰にも相談できず悩んだことがあった。
でも「自殺」の二字はついに思い浮かぶことはなかった。日夜考えていたのは、
どうすれば相手をボコボコにできるか――ただその一点であった。

単純なボクはケンカに勝つ極意は、物理的なパワーと蛮勇だと確信した。
専門書と筋肉強化器具(ダンベルなど筋トレ用器具)を買い込み、
自分に合ったプランを立て、肉体と精神を改造する鍛錬を開始した。
ボクは日に日に筋肉マッチョとなっていった。
それと並行して片っ端から本を貪り読み、
精神的にも相手のオツムを凌駕できるほどまで成長した。
そして運命の日、ボクはあっけなく宿敵のいじめっ子を殴り飛ばし、組み敷いた。
以来、いじめは熄()んだ。

相撲や柔道と、体育会系スポーツのいじめや暴力が世間を騒がせている。
その内実については体育会系出身のボクは骨身に滲みてわかっている。
ところ変わって、ここに紹介するのは料理業界のいじめである。

ボクは長年、料理業界を取材してきた。カリスマシェフだとか〝鉄人〟と呼ばれる人たちも
個人的によく知っている。彼らの若き修業時代をつづった記事を雑誌に連載していたこと
もある。料理業界のいじめは日本に限ったことではない。フランスでもイタリアでも事情は同じ。
アプランティ(見習い)時代は悲惨そのもので、いきなり包丁や焼けたフライパンが飛んできたり、
階段から突き落とされたりする。

「マキシム」や「トロワグロ」といった名だたるレストランでソーシエ(厨房内の№1で、ソース係
までのぼりつめるような日本人は、なぜか空手や合気道の有段者が多かった。
ある有名な料理人は、アプランティ時代、アルバイトで酒場の用心棒をやっていた。
酒癖の悪い暴れん坊を腕ずくで外へおっぽり出すのだ。
たまたま取材相手がそうだっただけなのかもしれないが、会う人間がことごとく
空手つかいばかりなので、「料理人と空手との関係」について調べたらけっこう面白い
記事が書けそうだ、といっとき考えたことがある。

料理人に空手つかいが多いのは、たぶん厨房内の〝いじめ〟と関係しているのだろう。
先輩たちから繰り出される執拗ないじめ。そのいじめに対抗する自衛本能がおそらく
格闘技の習得に向かわせるのだと思う。

カリスマシェフの一人、「オテル・ドゥ・M」のMシェフは、先年、傷害容疑で書類送検された。
従業員の顔面を殴り、受話器を投げつけ、顔面打撲のケガを負わせた容疑である。
しかしこの程度の暴力は業界内では常識で、フライパンで殴ったり熱湯をかけたりするのも
日常茶飯事だ。ひどいのになると、フライヤーからお玉で熱した油をひょいとすくい、
何食わぬ顔でぶっかける輩もいる。

有名シェフたちを集めた座談会などを催すと、
みな、そうしたいじめや暴力をむしろ自慢気に披露したりする。
どれほど相手にダメージを与えたか、強烈であればあるほど称讃されるような
〝いじめ自慢〟が料理人たちの会話の中にごくふつうに出てくる。
そのことを誰もとがめないし、むしろ座が和むとばかり、みな面白がって語る風がある。
徒弟制の悪しき伝統なのか、今ならマスコミの好餌となりそうな話がてんこ盛りだ。

特にラーメン業界などには暴力がつきもので、
本気で実態調査をすれば〝縄付き〟がいくらでも出てくるだろう。

ボクより料理業界に深く関わっているベテラン記者の女房は、
そうした裏話の宝庫で、ビックリ仰天するようなスキャンダルを
いっぱい見聞きしている。「いっそ告発記事でも書いたら?」と、
ボクがいくらそそのかしても、
「こればっかりは口が裂けても言えないね」
とガードはすこぶる堅い。
友人たちでもあるシェフたちを〝売る〟わけにはいかないのだ。

徒弟制度の良いところはもちろんある。
が、悪しき側面が多いのもまた事実。
いじめや暴力を〝愛のムチ〟と許容してきた世間にも責任の一端はある。
「料理の極意? そう、愛情をもって作ることでしょうか」
にこやかにこう語るカリスマシェフの厨房では、
皮肉にも暴力が常態化していた。
セレブが集うお店だと? ケッ、笑わせやがる。