2010年7月30日金曜日

歴女、地に満てよ!

歴史は石器時代から学ぶより現代から過去へ遡っていったほうが
断然面白い。父母の若かりし頃はどんな時代で、どんな唄がはやり、
どんな服が流行していたのか。そしてどんな悩みを悩んでいたのか。

祖父母の時代はどうだったか、曾祖父母は激動の明治をどう生きたのか。
そのまた高祖父母は佐幕派? それとも勤皇派? 秩父あたりの山猿がご先祖の
わが一族では、事績と呼べるようなものなどあるまいが、それでもご先祖さんが
どのようにして時代を生き抜いてきたのか、興味津々である。

歴史教育というのは、こうして身近な人間を感じながら過去を遡れば、
活きいきとした生気が吹き込まれてゆく。学ぶ側の興味だって持続する。
名も知らぬ古代人の生活を学ぶのは、ずっと後回しでいいのである。

今朝の読売新聞の三面に『生徒3割 日本史素通り』の見出しがあった。
高校の「地理歴史」の教科では、原則2科目が必修で、必ずとるべき世界史に
加え、日本史か地理のいずれかを選べばいいという。で、結果、生徒の3割前後
が日本史を履修していないらしい。

今年4月に実施した日韓共同の世論調査では、「日韓併合」を知らない日本人の
比率は26%(韓国は9%)、20歳代では33%(韓国13%)だったという。3人に1人が
韓国人の言う「日帝36年(韓国は数えで計算する)」を知らず、ヨン様だ
ヨンハちゃんだと騒いでいるのだから、これほどおめでたいことはない。
当然ながら、伊藤博文首相が安重根に暗殺されたことなど知るよしもない。

僕は「文科省なんかつぶしてしまえ」と数十年前から言いつづけている。
ゆとり教育にしろ何にしろ、文科省の繰り出す施策で、日本国や日本国民の
ためになったものが1つでもあったか? ゲスの勘ぐりかも知れないが、
中国や韓国を利することばかりやってきたのである。

多くの国では子供たちへの歴史教育はかなり意図的かつ作為的に行なわれている。
国家への帰属意識は、歴史の共有から生まれてくると堅く信じているからだ。
現代のようなグローバル化、ボーダーレス化時代にあっては、国家というものを
絶えず意識していなければ、「その他大勢」の国々の中に埋もれてしまう。

歴史的共同体、文化的共同体としての日本というものが亡くなってしまえば、
さほど特色はないけれど、金儲けだけはやたらうまい人たちが極東の島に
暮らしている――なんてことになってしまう。これでは軽侮されることはあっても
尊敬されることは決してない。三島由紀夫の『文化防衛論』の背景には、
こうした危機感が読み取れる。

NHKの『龍馬伝』のおかげ(というよりイケメン福山雅治のおかげ)で、わが家の
オンナ3匹は、突然、グレゴール・ザムザみたいに「歴女」に変身してしまった。
「ちょっと寺田屋を見に伏見まで」「ついでに京の土佐藩邸跡も見てこよおっと…」。
女房などは出張にかこつけて龍馬の足跡を丹念に辿っている。ちょっぴり頼りない
だろうけど、少なくともわが家だけは「文化防衛」の一翼を担う覚悟でいる。
イザ……。

2010年7月22日木曜日

ヨーロッパの光と影

BSの『欧州ライフ』だとか『欧州鉄道の旅』なんてのんきな番組を見ていると、
つくづく「ヨーロッパは豊かだなァ」と思ってしまう。しかし同時に、
「この豊かさは何世紀にもわたるアジアやアフリカの植民地支配から
もたらされたものなんだよなァ」とする苦い感慨もわき起こってくる。

かつてヨーロッパは荒涼とした貧しい土地だった。
オリエントとの交易でも、近東に届けることのできた商品は、
せいぜい羊毛、皮革、蜜蝋くらいで、他には何もなかった。
他方オリエントからは砂糖や胡椒など各種香辛料の他、
樟脳や大黄などの薬品、染料や生糸、珊瑚に宝石、
高価な陶磁器などが持ち込まれた。ヨーロッパは恒常的な入超だった。

しかし、『驕れる白人と闘うための日本近代史』(松原久子著)を読むと、
ヨーロッパ諸国の歴史書にはほとんど記されていないという意外な事実が
示されている。ヨーロッパはアジアへの輸出のために、何世紀にもわたって
〝特別な商品〟を用意していたというのだ。
その商品とはキリスト教徒の男奴隷と女奴隷だった

ヨーロッパではしばしば大掛かりな奴隷狩りが行われていた。
とりわけボルガ河沿いのロシア平原でスラブ人の男女が捕らえられ、
ジェノヴァの奴隷商人らの手によってレバノンを経由し、遠くダマスカスや
バグダッド、さらには北アフリカのサラセン人の町などへ売られていった。
しかしこうした恥辱にまみれた歴史は、公に語られることは少ない。

ちなみに英語のslave(奴隷)という言葉は、ギリシャ語のSlav(スラブ人)
が語源だ。スラブ系のロシア人やセルビア人にとっては、過去に奴隷として
売買されたという自民族の忌まわしい歴史を惹起させる言葉で、
まことに不愉快千万に違いない。

のちに輝かしい大航海時代を迎え、ヨーロッパの反撃が始まるが、
ロマンあふれる探検旅行の実態は、優れた文化の普及や異教徒の魂の救済
余計なお世話なんだよね)どころか、侵略と虐殺、掠奪の血塗られたものだった。

あの伊人コロンブスのアメリカ大陸発見(先住民からすれば、
別に〝発見〟されたくはねえや、ということになるのだろうが……)
でさえ略奪が目的の旅で、スペインに富と資源をもたらせば、
コロンブスはそのお宝の10分の1がもらえるというせこい契約だった
コロンブスは掠奪遠征隊の親玉だったのである。

欧米人の多くは、自分たちの歴史こそが世界史だと思っている(フシがある)。
そしてあらゆる民族は、欧米文化の恩恵に浴することで後進性から救われたのだ、
と思い込んでいる(フシがある)。「未開人たちの蒙(もう)を啓(ひら)いてあげたのは
文明人の私たちなのよ。少しは感謝したらどうなのよ、エーッ?」ってか? 

欧州は歴史の表舞台に10周遅れで参加し、たかだか近代に華々しくデビュー
してきただけなのに、人類史のすべてにわたって主役を演じてきたかのような
顔をして澄ましている。厚顔無恥もいいところだ。

英語に堪能な友人Nは、英語は「怒りの言語」だと言う。英語でしゃべっているときは、
なぜか権利の主張に全精力を注ぐという非常に攻撃的な思考回路が働く、
というのである。そうした心的状況におかれた自分は、ほんとうの自分でないような
気がしてイヤなんだ、と彼は言うが、その攻撃的な言語は、まぎれもなく
ヨーロッパの食うか食われるかという酷烈な風土・歴史が育んだものなのである。

ソファにごろりと横になり、のんびりしたヨーロッパの紀行番組を見ながら、
欧州の豊かさに敬意を表しつつも、いくぶん興ざめで理不尽な彼らの歴史も
同時にふり返ってみた。やれやれ……。





追記
《アメリカ大陸の「発見」という言葉それ自体が、ヨーロッパ人の自己中心的な世界観に基づいている
わけで、アメリカ大陸には2万年も前からモンゴロイド系の人々がユーラシア大陸から移り住んでいたと
いう事実を、偏見なしに受けとめれば、「コロンブスはヨーロッパ人として初めて足を踏み入れた」などの
表現に変えるべきでしょう》とは鈴木孝夫著『日本の感性が世界を変える』から引用。

2010年7月19日月曜日

カリスマ焙煎士

コーヒー名人にまつわる本を書いたためか、
世間は僕のことをコーヒー通と思い込んでいるふしがある。
とんだ誤解である。僕はそんなご大層なものではなく、
ただのコーヒー好きにすぎない。

昔は味音痴のことを「のどめくら」といった。
今は差別用語(言葉狩りは実に愚かな行為です)になっていて、
大っぴらに使うことはできないが、
僕は隠れもないのどめくらなのである。

その味音痴が、今をときめくコーヒー名人・大宅稔氏と接近遭遇した。
大宅氏は京都府美山町に「オオヤコーヒ焙煎所」を開設していて、
世間では彼のことを〝幻の焙煎士〟だとか〝カリスマ焙煎士〟などと
褒めそやしている。小売りはせず、住所や連絡先なども非公開。
大宅氏のたてたコーヒーを手ずから飲む機会は、時々出没するという
コーヒー屋台のみとなれば、その〝まぼろし度〟はいやがうえにも高まってくる。

その大宅氏が東京・蔵前にコーヒー屋台を出すと聞き、
コーヒー好きの友人と連れだって行ってみた。
大宅氏のコーヒーは過去に何度か口にしている。
娘の上司の商社マンI氏がわざわざ手に入れてくれたのが最初で、
その後、女房が関西出張の折に何度か買い求めたりした。
飲んだ印象を劇画調に言うと「ムム……ただ者ではないな」となるだろうか。

直接小売りはしないが、大宅氏の焙いた豆を弟子筋の店で
分けてもらうことはできる。京都の「KAFE工船」や
六花」「オパール」などがそれである。

蔵前に出現した屋台はたった5席の小体なつくり。
ロハスな感じの大宅氏が、はんなりとした手つきでネルを操り、
濃茶点前のような濃醇なコーヒーをたててくれた。

品書きはカメルーンの浅煎りとグアテマラの中深煎りの2品のみ。
どちらものどめくらの僕を唸らせるに十分な出来ばえで、
どこか〝コーヒーの鬼〟と呼ばれた名人・標交紀のコーヒーを彷彿させた。

たかがコーヒーと馬鹿にしてはいけない。
広い世間には、ロマネ・コンティのようなコーヒー――すなわち
焙煎士の銘を心に刻みつけたくなるようなコーヒーも存在する。

写真で見ると、大宅氏の焙煎機はランブルの使っているのと同じ
富士珈琲機械製作所の、通称〝ブタ〟と呼ばれる3.5キロ釜と思われる。
大宅氏はまだ若い。後生畏るべし、とはよく言ったもので、
コーヒーを味わったかぎりでは噂にたがわぬ名人とみた。
ここはひとつ、大宅コーヒーのゆくすえをじっくり見守ることにしよう。


2010年7月15日木曜日

人権派大っきらい

以前、近所の焼き肉レストランでこんな光景を目にした。
親子4人連れの家族が食事をしているのだが、
食事中、一切会話がないのである。
禅堂みたいに食事中の会話を禁止しているわけではなかろう。
この一家には、そもそも「会話」というものが存在しないのだ。

見ると、父親は酒を飲みながら肉をせっせと焼いている。
そのかたわらでは、2人の男の子がゲームボーイに熱中し、
母親は母親で、ケータイのメール打ちに興じている。
肉が焼けると箸をつけるのだが、ゲーム機やケータイの
画面に顔を向けたままで、相変わらず会話はなし。
この不作法を父親は叱ろうともしないから、おそらく
この一家の食事風景は、いつもこんな具合なのだろう。

西諺に曰く、
Spare the rod and spoil the child.(ムチを惜しむと子供をダメにする)
また旧約の箴言集26章にも、
《馬のためにはムチあり、ロバのためにはくつわあり、
愚かなる者の背のために杖あり》とある。

洗濯機の中にわが子を入れて回してしまうような体罰を
〝愛のムチ〟とはいわないが、悪さをした子供の頬を、
思いあまって叩いてしまった経験は僕にもある。

どんな状況下であっても暴力はいけない、
と人権派は言う。が、必ずしも僕はそう思わない。
もし僕が冒頭の焼き肉だんまり一家の長であるなら、肉を食わせる前に、
愚かなる息子たちへまず平手打ちを数発食らわせてやるだろう。

イギリスのパブリックスクールでは悪さをした子供への体罰として
籐のムチで尻を叩くという躾が、1986年、ようやく法律で禁止されたという。
日本では60年以上も前に教育現場での体罰が禁止(1947年、学校教育法第11条)
されているのに、イギリスではごく最近まで法律で認められていたのである。

もっとも、僕は高校時代も生意気だからとセン公によく殴られていた。あの時、体罰が
法律違反だってことを知ってたら、「先生、殴ったりしたら、手が後ろに回りますぜ」
と凄んでやったのに……ああ、返すがえすも残念至極。僕らの時代は、
先生が生徒を殴るのは当たり前で、今とは正反対だった。←どっちも恐いヨ

動物学者のコンラッド・ローレンツも言っている。
《子供の時にガマンを含め、肉体的な苦痛を味わった
ことのない子供は、長じて不幸な人間になる》と。

ところで、体罰を禁止したイギリスの学校の後日譚だが、
ムチ打ちをなくしたら途端に学校が荒れ出して、
体罰復活を望む声が澎湃と湧き起こったという。

子供なんてものは人間になる前の動物で、まだ修行の身なのだから、
ストイックな生活を強いられムチで叩かれるのは当然ではないか。

「躾」という字は武家礼式の用語として生まれた国字
(峠や凪などと同じく日本発祥の漢字のこと)のひとつで、
「身のこなしを美しく」の意だ。美しくなりたかったら、
せいぜいムチで叩かれることだ。←アミタイツにハイヒールのムチも可

2010年7月10日土曜日

美しく生きる

僕は若者嫌いを公言し、自著の中にもそのことを再三書いてきた。
理由のひとつは、彼らが恐ろしく無知だと云うことだ。
彼らは信じがたいくらいものを知らない。なぜって? 本を読まないからだ。
人類がこれまで育み培ってきた知恵を、受け継ぐ気などさらさらないらしいのである。
それでいて一流大学で学んでいる、というのだから笑わせる。

「おたくのお子さんは、どちらの学校へ?」
まず、この種の問いかけを禁句にすべきだろう。
どこの学校で学んだかは問題じゃない。何を学んだかが問題なのだ。

俗に「自由放任は野蛮人をつくる」という。
ケータイがほしいと言えばすぐ買い与え、
わが子がスカートの裾をたくし上げたり、腰パンをはいても見て見ぬふりだ。
結果、姿勢正しくすがすがしい青年の姿を見ることまれになってしまった。

また一方では、兵庫・宝塚で、日頃のしつけが厳しいと、
中3少女が友人と謀り、自宅に放火して母親を殺してしまった。
殺した理由は、ただ「うざいから……」

語彙が貧しければ、精神世界は当然のごとく貧寒で、深くものを考えられない。
考えるという行為には言葉がつきもので、言葉が貧しければ考える中身も
貧しくならざるを得ない。語彙が豊富なら精神世界は豊かで、もちろん
他人への思いやりといったものも、その世界を彩ってくれる。

中3少女にとっては「うざいor not」がすべてで、わずか数百語程度の語彙力で
この世界を推し測っている。『論考』のウィトゲンシュタインも言っている。
The limits of my language means the limits of my world.
(言語の限界は世界の限界を意味する)と。
語彙の貧しさは視野狭窄のエゴイストをつくってしまうのだ。

自分を圧迫するものはすべて「うざったいもの」に分類され、
それらはある日突然、予告なしに消去される。親兄弟も例外ではない。

最近の若者たちに特徴的なのは、まず挨拶ができない。
人づきあいの上での常識が著しく欠けている。
何人かに立ち混じれば、自ずから働くべき心くばりというものが一切ない。
KY(空気が読めない)なんて幼児性丸出しの言葉が流行っているが、
彼らのKY度は想像をはるかに超えている。おまけに、
矜恃、プライド、まるでなし。要は生き方がマジメじゃないのだ。

6月22日付のブログ『哀しきフランス人』の中で、
「フランス人さえいなければ、フランスという国は最高なのに」
などと、悪口を書いてしまった。因果はめぐる小車か、来月、フランスの高校生を
預かるハメになりそうだ。読書とマンガを描くのが趣味という静かな女の子だという。
であるなら、少なくとも「うざい」などという下品な言葉で
世界をひと括りにするような野蛮人ではないはずだ。

人生で一番大事なものは何だろう。
いのち長らえること? それとも金儲け?
僕は美しく生きることだと思っている。
「マジですか?」
「……ウーン」

2010年7月5日月曜日

ようこそウサギ小屋へ

時々、短期の留学生を預かる。
なぜ短期かというと、わがウサギ小屋rabbit hutchには余分な部屋がないからだ。
長期(1年)の学生は預かりたくても預かれないのである。

留学生にはプライバシー保護の観点から1部屋明け渡さなければならない。
となると、家族構成員の中から、1人はじき出される計算になり、
その悲しき犠牲者はたいがい僕の役回りとなる。

昼間はいいが、夜、寝る場所がない。
仕方がないから、仕事場兼書斎の、それも
溶岩のように堆積した本と本の間に、わずかな隙間を確保し、
そこにふとんを敷いて寝るという仕儀になる。もし地震で本が
崩れでもしたら、哀れ圧死というマヌケな最期を迎える

ある時、脚を折り曲げ猫みたいにちぢこまって寝ている姿を、
オーストラリアからの留学生(この時は高校の女の先生だった
に目撃され、互いにバツの悪い思いをしたことがある。

しかし、ありのままの日本人の生活を見てもらうという意味では、
国際相互理解に貢献している(←モノは言い様だな)ようで、
帰国後にどんな報告をしているかは知らないが、
ニホンノオトウサンハ、ジブンヲギセイニシテ、ワタシヲモテナシテクレマシタ
などと、好意的に受け取ってくれたに違いない。←甘いねェ、君は

留学生にはなるたけふだんどおりの生活を見せることにしている。
といっても裸にステテコ姿であちこち歩き回ったり、
いきなりオナラの3連発(←これ、あくまで喩えですから誤解のないように
を食らわす、なんてはしたないことはしない。わが家の場合、
いつものようにお上品に過ごせばいいので、いたって気は楽だ(ホントかよ)。

タイ、マレーシア、ニュージーランド、オーストラリア、フランス、イタリア、
アメリカ、中国、台湾……etcとさまざまな国からお客さまが来た。
今秋は次女の友人たちがイギリスから大挙して押しかけてくる予定だ。
その間は、たぶん極度の失語症に陥るだろうから、
今のうちにいっぱいしゃべっておくことにする。

閑話休題。
右側の金魚だか鯉の泳ぐ池にご注目あれ。
ここにマウスのポインターを置くと金魚が寄ってくる、
というのはかねてより知っていたが、クリックするとエサが出る仕掛けを
うかつにも知らなんだ。おヒマな方はぜひエサをやってください。
いくらでも食べますから。




←娘たちが世話になった高校生留学組織「AFS」