2015年4月23日木曜日

狐を拝んでいたほうがマシ

キリスト教にしろイスラム教にしろ、一神教に骨がらみで憑かれてしまった人間は、
押しつけがましくていけない。今はあまり目にすることがなくなったが、昔は街中で
モルモン教の宣教師をよく見かけた。ケント・ギルバートやケント・デリカットといった
タレントはもともとモルモン教の宣教師として来日した人たちで、ボクも高校生の頃、
一度教会に連れて行かれ、布教用のビデオを見せられたあげく、聖書をみやげに
持たされたことがある。

いろいろ本を読んでいると、日本に来た宣教師に真の〝善人〟は少なかったように
思える。イエズス会のルイス・デ・アルメイダは戦国時代の末期に来日したポルトガル人で、
フランシスコ・ザビエルの事業を受け継ぎ、日本で熱心な布教活動を行った人物として
知られている。アルメイダは主に豊後(大分県)を中心に活動し、キリシタン大名の
大友宗麟に願って土地をもらい、外科・内科・ハンセン氏病科を備えた総合病院を
建設した。これが日本で初めての西洋医学の総合病院といわれている。

乳児院を建てたり病院を建てたりしたのはアルメイダの〝善〟の一面だが、
その陰でしっかり〝悪事〟も働いていた。徳富蘇峰の『近世日本国民史』には、
キリシタン大名や豪族たちが火薬ほしさに若い女たちを南蛮船に押し込んだ揚げ句、
獣を扱うがごとく縛りあげたとある。女たちが泣き叫び喚くさまは地獄のようであった、
とも記されている。

その関連だが、1582年、「天正遣欧少年使節団」としてローマ法王のもとに遣わされた
ものたちの報告書には、
《欧州各地で、肌白くみめよき日本の娘たちが秘所丸出しで
鉄枷(かせ)につながれ、もてあそばれ売られていた。その数50万人》とある。

キリシタン大名たちが火薬1樽つき娘50人を売り飛ばしていたのだ。
アルメイダは、その人身売買の仲介者でもあった。秀吉はこの事実を知って怒り、
1587年、「伴天連(バテレン)追放令」を発令する。

時代くだって戦後間もない頃。GHQのマッカーサーは日本のキリスト教徒がたったの
20万人と聞いて驚き、日本人が野蛮で攻撃的なのは「太陽や山、キツネなどを拝む
救われない民族」だからに違いないと、聖書1000万冊を空輸し、宣教師2500人を
呼び寄せた。また国際基督教大学(ICU)をつくらせ布教に力を入れた。

ICUといえば秋篠宮の次女・佳子さまが入学して話題になった大学だが、
八百万(やおよろず)の神の総氏神ともいえる天皇家のご息女が、マッカーサーの
息のかかったキリスト教系の大学へご入学あそばされるというのは、まことに面白い。

で、話の続きだが、マッカーサーは朝鮮戦争で敵側に原爆を投下しようとしてトルーマン
大統領に解任されてしまう。泣く泣く帰国する時の日本のキリスト教信者総数は
相変わらず20万人のままだった。結局、お天道様やキツネを拝む日本人を改宗させる
ことができず、新たなキリスト者はひとりも増やすことができなかったのである。

異教徒に対しては残虐非道を専らとするキリスト教徒なんぞになるよりは、
山の神やおキツネ様を拝んでいたほうが遙かにマシ
と考えた我らがご先祖たちは、まことに賢明だったという外ない。


←ICUに入学なされた佳子さま。
しっかり勉強なさってくださいね

2015年4月19日日曜日

ボーッとできない男

血圧がなかなか下がらないのは、あんたの性格にも原因があるんじゃないか、
と医者の友人に言われた。見てるといつも頭と身体をめいっぱい動かしていて、
いわゆる「ボーッとしてる時間」がなさそうだ。〝常在戦場〟もいいけれど、
たまには桃源郷に遊ぶみたいに、心も身体も意識の外に解き放ったほうが
いいんじゃないの? 友人はそう曰うのである。

「常在戦場」はいかにも大げさだが、トイレに入るにも本を持っていき、
湯船につかっていても片時も本を放さない。子供の頃からの習慣で、
何もしない時間はもったいない、と必ず〝建設的なこと〟を自分に課してきた。
このことを自分ではごく当たり前に思っているのだが、友人に言わせると
「ほとんどビョーキ」なのだそうだ。

心身がいつも戦闘モードになっていると、アドレナリンというホルモンが出て
脳の交感神経を刺激するという。すると呼吸も荒くなり、血圧も上がる。
緊張状態というのは戦うために必要なエネルギーを集中させる反応で、
「常在戦場」だと、絶えず緊張が強いられ血圧が上がりっぱなしになってしまう。
これではとてもじゃないけど長生きできませんよ、と友人はこう言うのである。

女房の見立てはまるで違う。彼女曰わく、ボクは朝から晩までボーッとしていて、
血圧は塩っ気と〝おちゃけ〟の摂りすぎ、とまるで容赦がない。

どっちの言うことも、なるほどもっともである。
そこで、日がな一日ボーッとして過ごそうと、ひとり動物園に行くことにした。
行った先は上野動物園だ。おそらく40年ぶりだと思うのだが、サル山でも眺めながら
難しいことなど考えず、ただボーッとすることにつとめることにした。

友人に言わせると、これが一番いけないのだそうだ。
ただボーッとすればいいものを、必死になってボーッとなろうとしてしまう。
これじゃあ副交感神経ではなく、またまた交感神経が刺激されてしまう、と。
身体に染みついた習慣とは恐ろしいものだ。頭を空っぽにして、ただボーッと
しているという至極簡単なことができないとは……

江戸期の歌人で国学者の橘曙覧(たちばなのあけみ)はこんな歌を作っている。
  
   たのしみは 心をおかぬ 友どちと原文ママ 笑ひかたりて 腹をよるとき

気の合った友達とおしゃべりをしながら、腹がよじれるほど笑う。
そういうひとときが何よりの楽しみなんだ、という歌である。

ボクが飲んべえ仲間と酒を酌み交わしながら倦かずにやっているのは
まさにこのことで、いつだって腹がよじれるくらい笑っている。
まさかそんな時は、アドレナリンが出ているわけではあるまい。
ボクの場合、緊張状態が解かれるのは、酒を飲んでいる時くらいしかないので、
健康のため、ボクはしかたなく酒を飲んでいるのである。
ほんとうはつらいのだ(バカ)

動物園へ行ったはいいが、やけに混んでいる。土曜日(18日)というのも
あって親子連れであふれかえっている。それと外国人の多さにも驚いた。
白いのも黒いのも黄色いのもいて、「ここは異国じゃないのか?」
と錯覚するほどだった。

その人の波に圧倒されたか、動物たちはひたすらサボタージュを決め込み、
なかには死んだふりをするものもいた。サル山のサルたちも毛づくろいばかりに
熱中し、おどけたしぐさを見せてくれない。ゴリラ君は頭からすっぽり毛布をかぶり、
これ見よがしに人目と喧騒を避けている。

結局、ボーッとする時間が取れず、動物園を出てアメ横を歩いた。
ここでも殺人的な人波に揉まれ、支那人観光客の甲高い声だけが
横丁に響いていた。たぶん血圧はうなぎ登りだっただろう。




←「おいらも血圧が高いんだ。あんまりジロジロ
見ないでくれよ」と赤ゲット姿のゴリラ君。

2015年4月13日月曜日

日本人の恥っさらし

親善試合のために韓国へ行き、親善のついでに集団万引きをした埼玉の
私立本庄第一高等学校のサッカー部員22名が韓国の警察に検挙された。
当校の副校長は記者会見の場で、「その場の生徒の流れでやってしまったようです」
と述べているが、ほんの数人なら出来心ということで弁解のしようもあるだろうが、
そのまま紅白試合ができる22名という大集団が「家族にプレゼントしてやりたかった」
と後先考えず一斉に万引きしてしまったのだから、申し開きなど立ちようがない。
この無知蒙昧の恥っさらしどもは、いったいどういう教育を受けているのか!

盗んだのはベルトや財布、アクセサリーなど約70点で、日本円にして28万円相当のもの
だという。実は被害にあった店(9店舗)も違法な偽ブランド商品を販売していた手前、
表沙汰にはしたくなかったようなのだが、防犯カメラに犯行の一部始終が映っていたため、
やむなく警察沙汰にするという流れになってしまったようだ。

盗みといえば、昨年9月の仁川アジア大会でカメラを盗んだとして略式起訴された
競泳の冨田尚弥の一件もある。本人は無実を訴えているが、この男も日本男児として
満天下に恥をさらしたA級戦犯といっていいだろう。本人は、
《身柄拘束されると思い、容疑を認めただけ》と弁解しているが、
やってもいないのなら、なぜ「やった」と言ってしまったのか。

仁川地裁の公判では、
《警察官が「犯行を認めれば日本へ行く飛行機に乗れるし、否認すれば
帰ることはできない」と言った》と説明してるが、こんな初歩的な脅しにまんまと
引っかかってしまうところが、いかにも情けない。泳ぐことにかけては人並み以上
かもしれないが、人間性や成熟度に関してはサル並み(お猿さん、ごめんなさい)のようだ。

韓国のメディアはこれら一連の事件をこぞって取りあげ、
「日本の選手たちは盗みばかりやっているのか」などと鬼の首でも取ったかのような
ハシャギっぷりだ。〝パクリ〟の卸元ともいえる韓国から、盗人扱いされるのは
まことに心外なのだが、弱みを握られてしまったこっちが悪いのだから致し方あるまい。
それにしても、これだけの不始末(万引きは窃盗であり、10年以下の懲役が法定刑とされている
重い罪です)をしでかしておきながら、退学どころか廃部されることもなく、
ただの自宅謹慎が科せられただけ、というのだから呆れる。

またネット上に校名が出ると学校の評判が落ちてしまう、とする父兄たちの要望もあって、
学校側はいまや火消しに大わらわなのだという。日韓関係がギクシャクしている
この折に、無知でノーテンキなサッカー馬鹿たちによって、日本と日本人の名誉が
著しく傷つけられてしまったというのに、学校の評判も糞もないだろう。
本庄第一高等学校の関係者たちよ、恥を知りなさい、恥を!

このノータリンどもは日本と朝鮮半島との歴史的な関係や、彼の地の人々が言う
「日帝36年」の意味さえ知りゃあしない。おそらく「竹島問題」も知らないだろうし、
「従軍慰安婦問題」にも関心はないだろう。太ももだけではなく脳ミソまで筋肉にして、
ただボールを蹴っ飛ばし、グラウンドの中を走りまわるしか能はないのだ。

太宰治は「無知は罪なりや」と問うたことがあったが、
現代人はもはや罪を罪として感じないところにまで退行しきっている。

こういうところで、またぞろ「教育勅語」を復活させよ、なんて話を持ち出すと、
左側の桟敷から待ってましたとばかり、「よっ! 国粋主義者!」などとお声が
掛かるだろうが、なにも古い抽斗から手垢にまみれた勅語を引っ張り出すわけじゃない。
左桟敷の人たちは「皇祖皇宗」や「皇運を扶翼すべし」、あるいは「臣民」なんて言葉が
お気に召さないようだから、そんなものはカットしてもいいが、教育勅語の骨子といえる
徳目だけは捨ててほしくない。

その徳目を要約すれば以下のようになる(Wikibooksより)。
  1. 親に孝養をつくしましょう(孝行)
  2. 兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
  3. 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
  4. 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
  5. 自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
  6. 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
  7. 勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
  8. 知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
  9. 人格の向上につとめましょう(徳器成就)
  10. 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
  11. 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
  12. 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)

文句のつけようのないすばらしい徳目ではないか。ボクの願いはこれらの徳目を
織り込んだ「新教育勅語」をつくり、全国の小中学校で毎朝唱和させることだ。
会津若松および福島県では「什の掟」をベースにした「あいづっこ宣言」を策定し、
「ならぬことはならぬものです」を引用した「NN運動」を展開しているという。

恥っさらしの水泳選手やサッカー選手を二度と生まないためにも、
人間性を高めてくれる「新教育勅語」の策定が急がれる。















2015年4月11日土曜日

「蛮爺's」の熱い夏

ボクはシャイで小心者の割には目立ちたがり屋だ。
他人への思いやりは人一倍あるが、それ以上に自己チューでもある。
協調性は一見ありそうだが、実際はほとんどない(小学校の通知表には「協調性なし」と書かれた)。
群れるのが死ぬほどきらいといいながら、けっこう群れている。

というわけで、今夏、団地内で開催される恒例の夏祭りに参加することにした。
祭りの屋台でやきとりを売るのではない。会場にしつらえたステージで7年ぶりに
歌うのである。腹の底から声を出して歌えばボケ防止になるというし、
ギターで指を小まめに動かせば血のめぐりだってよくなる。
新バンド名は見た目そのまんまの「蛮爺's」。相棒はお抱え楽士のNICKである。

以前はドラムス、ベース、リードギターと錚々たるメンバーを擁していたが、
今回はごく零細で、二人っきりの舞台だ。NICKも電子ピアノではなく、
アメリカから取り寄せたハモンドオルガンを弾く。なにしろどでかい代物だから、
舞台まで運び込むのに難儀しそうだが、これでなくてはイヤ、とダダをこねている。
困った男だ。

歌うのは団塊の世代(66~68歳)が青春期に歌ってたであろう曲ばかり。
この団地住民の中心世代が〝団塊〟だから、ユーミンの歌やら中島みゆきの歌で、
ビールでも飲みながら若かりしあの頃を懐かしんでもらおう、という趣向なのだ。
二人だけの舞台ではちょっぴり淋しいので、長女(高校時代にヒップホップダンスをやっていた
とローマっ子のサブリナみごとな美脚の持ち主)に、
「バックでダンスとコーラスを担当してくれない?」
と声をかけてみたら、「絶対にイヤ!」と断られてしまった。
二人とも見かけによらずシャイなのである。
しかたがないので、むさいNICKおじさんと二人だけでシコシコやることにした。

昔のバンド仲間に言わせると、ボク(ヴォーカル&リズムギター)は〝音感とリズム〟
に問題があるのだそうだ。音程は狂わないのだが、バックの演奏を無視して
勝手に曲調をアレンジしたり、一拍遅れて歌い始めたり、勝手に終わったりと
めちゃくちゃなのだそうだ。ボクにはまったく身に覚えのないことなのだが、
ボクよりもはるかに音にうるさいセミプロ級の仲間たちが言うのだから、
たぶん本当なのだろう。

なにしろ美空ひばりやマイルス・デヴィスと同じで(←ミエはって大物ばかり並べてる)、
楽譜がさっぱり読めないのだからどうしようもない。
「前奏は8小節入れて、間奏は4小節にしよう」
とNICKが言うのだが、この何小節というのがそもそもわからない。
何分の何拍子というのもわからない。だから変なところで
歌い始めたり、いきなり終わったりして仲間のひんしゅくを買ってしまう。
ならば音楽の基礎をイチから勉強するかというと、それもしない。
その手のややこしいことはできるだけ避けて生き長らえてきたので、
この先もその線でいいかげんに生きてゆきたい、と虫のいいことを考えているのだ。

昨日、池袋のクロサワ楽器店でエレアコ用のギター弦を買った。
ついでにカポタストとピックも買った。家に帰ってさっそく弦を張り替えたが、
これがけっこう手間がかかる。うまく張れてもしばらくは音が安定しないから、
頻繁にチューニングを繰り返さなくてはならない。

ボクは団地内のおじさんたちには怖れられているが(コワモテだもんね)、
おばさんやおばあさんには絶大なる人気がある人妻にやさしいから)。
おそらく祭り当日はステージ前のかぶりつき席が
おばさん同士の壮絶な奪い合いになるだろう。

祭りの日程はまだ未定だが、毎年、7月の第4土曜日(雨天の場合翌日曜日に順延
に行っているから、今年は7月25日(土)あたりだろうか。死ぬほどヒマで、ボクの
勇姿ならぬ赤っ恥をさらしている姿をしっかりご覧になりたい方は、
ぜひとも観に来てください。入場は無料です。ブログ読みました、と声を
かけてくれれば、やきとりの一本くらいはごちそうします(ケチ)。






←これは2007年の舞台。
まだみんな若いな。






※追記
正式日程が決まりました。
「蛮爺's」の舞台は7/25(土)、午後3:15~4:00の45分間です。
雨天時の場合は翌26日(日)の午後6:30~7:00に変わります。

2015年4月2日木曜日

「匿名」は卑怯なり!

世の中にはまれ?に出来損ないの人間がいるものだ。
昨夏、深夜の迷惑行為をボクに注意され、逆ギレした揚げ句、
「なんだよ、このクソオヤジ! 文句あんのかよォ!」
と食ってかかり、ボクの〝愛の鉄拳〟を喰らった若者もその一人だろう。
温厚篤実を絵に描いたようなボク(←自分で言うな)は、若者の精神を鍛え直してやろうと、
心を鬼にして拳をふるった(ものは言いようだな)。

また一昨日の夜、近所の公園で夜桜見物をしようと、キャッチボール仲間と
静かに花見をしていたのだが、無粋にもひとりの若者がやってきて、
バスケットの練習を始めた。この公園には一般市民向けのバスケットコートがある。
静かな花見の宴に響くボールの音。若者は倦かずにドリブルをし、ゴールネットを揺らす。
風流もヘチマもない。実に耳障りな音である。

「おい、あんちゃん、いいかげんに止めたらどうだ! うるさいんだよ!」
ボクが注意しようと思ったら、同じく切れやすいTさんが先に咆えた。
若者は暗闇の中でしばらくジッとしていたが、そのまま無言で立ち去った。
「……ったく、空気の読めないヤツが多すぎるんだよ」
Tさんはボソリと吐き捨てた。

いや、ボクもやんわり注意しようと思ってたのだ、と言うと、
「だめだめ、傷害罪の前科者だろ? ロウさんは危険すぎるよ」だって。
あのねェ……起訴される一歩手前でとどまったから、前科者でも何でもないんだけど。
人聞きが悪いからやめてもらえる?
とうとうオレが一番アブないおやじにされちまった。

ブックレビューに★1つの辛い点をつける輩も出来損ないの仲間だろう。
どんな人気作品のレビューでも、必ず1人や2人はこうした不心得者がいる。
他の大多数が★4つとか★5つをつけて好意的な感想を述べているのに、
この手の根性曲がりは、ハナからけなすことが目的だから、つまらない御託を並べては
本の中身をこきおろす。ボクの著作にもそんな輩が投稿しているし、ゴーストで書いた
人気の本も例外ではない。目立ちたがり屋なのか、日頃の鬱憤がたまっているのか、
とにかく徹頭徹尾、ボロクソにけなすことに奇妙な情熱を傾けている。
悲しい人間なのだろう。

ボクは思うのだ。
この手の人間は真の読書家ではない、と。
大多数の人間が★1~2をつけているというのならいざ知らず、
★4~5が9割以上で、世間的評価が高いとされる本に、あえて★1つの難癖をつける
というのは、よほど説得力のある論考でないかぎり、まず無視されるのがオチだろう。
その種のいちゃもんレビューは、概して論理がめちゃくちゃで、ひとりよがりの感情論
が多い、という特徴をもっている。どこか心を病んでいるのか、生来性格がねじくれて
いるのか、いずれにしろ淋しい人格であることはまちがいない。

重箱の隅をつつくような難癖ばかりつけたがる人間というのは、民主党議員の中にも
いっぱいいるが、そのことはひとまず措き、ブックレビューで難癖をつけることに
無上の生きがいを感じている連中に一言いってやりたい。

自前で本を買い、読んでみたら面白くなかった。で、その腹いせにブックレビューで
★1つをつける――うっぷん晴らしをしたい気持ちは分からぬではないが、
他人の本をけなす前に、その程度のロクでもない本を
買ってしまった己の不明をまず恥じろ、とボクは言いたい。

匿名性をいいことに、誹謗中傷のかぎりを尽くすというのは、どう考えても
まともな精神じゃない。才知が足りないとか事理に暗いというだけでなく、
どこか偏執狂的な危ないニオイさえ感じてしまうのである。
ハッキリ断言できるのは、この手の輩は九分九厘卑怯者だってことだ。
たぶん面と向かっては何も言えない臆病で小心な人間なのだろう。

ボクもカスタマー・レビューを時々投稿することがあるが、
たいてい★4~5つの時だ。お節介ながら、いい本だったから他人にも勧めたい。
そんな思いを込めて投稿する。もちろん★1つの辛口レビューなど
投稿する気はない。悪口を書いてやろう、と思うそのさもしい心根がイヤなのだ。

自分で言うのも何だが、ボクは人をけなすことにかけては天才的で、
速射砲のように悪口雑言が飛び出してくる。
まるで漱石の『坊ちゃん』さながらに、である。
でも陰に隠れてコソコソやる、というのはボクの趣味ではない。
相手をやっつける時は、面と向かってに決まっている。
投稿であれば必ず署名を入れる。

ネット社会は、卑怯者が跋扈(ばっこ)する社会でもある。
「匿名」での誹謗中傷は卑怯なり、と肝に銘じたほうがいい。