2013年7月29日月曜日

会津スピリットよ永遠に

会津の旅は愉しくもあり哀しくもある。
会津藩家老・西郷頼母邸には「自刃の間」」というのがあった。
足手まといになるからと鶴ヶ城への籠城を拒み、頼母の妻・千重子をはじめ、
一族の婦女子21名が自刃して果てた場が白装束の人形によって再現されている。

千重子(34歳)の辞世の句は、

    なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節の ありとこそ聞け

細竹は風にまかせて揺れているが、その細竹にだって決して折れぬ節がある。
女性にも勁草のごとき貞操があることを知ってほしい――

千重子はまず三女の田鶴子(9歳)、四女の常盤子(4歳)、五女李子(2歳)の喉を突き、
自らも胸を刺して果てた。母と妹、親戚の女たちは互いに刺し違えて死んでいたという。
その直後、西郷邸には西軍兵士が踏み込んできた。そこで見たものは、
驚愕すべき光景だった。

逆さ屏風の一間を血潮に染めた女たちのなかには、
急所をそれて苦しむ長女・細布子(16歳)の姿があった。
細布子(たえこ)は意識朦朧として息も絶えだえ。
なだれ込んできた一団が敵か味方かもわからない。

「お味方でしょうか?」
細布子の問いかけに、小隊を率いる土佐藩士は思わず「そうです」と答えてしまう。
長女は安心したような顔をして懐剣を差し出し、従容たる態度で介錯を願う。
土佐藩士は涙をふるって介錯し、邸を立ち去ったという。

白虎隊士の墓がある飯盛山にもお参りした。
左膝をケガし、杖をついての会津旅行。171段あるという階段など到底登れやしない。
すぐ脇にスロープコンベア(歩く歩道=1人250円)があったので、
女房とボクは迷いなく楽チンなほうを選択。
娘2人は美容と健康のためにと、勇躍階段を登っていった。

参道を歩くのは今回が2度目。白虎隊殉難の地は香煙が絶えず、
かすかに雨にけむっていた。少年たちが自刃した当時、十九士の遺体は、
西軍の布告「賊軍の死体は一切取り構いなきこと」により、憐れにも遺棄されたまま、
雨露にさらされること3ヵ月。その間、腐乱した遺体にはカラスが群がり、
良家の子弟であったが為に、高価な身のまわり品は略奪され、見るも無惨な
姿に成り果てていたという。

鶴ヶ城で戦死した兵や婦女子たち2000名も同様に埋葬が禁じられた。
この心ない仕打ちが今日までの薩長への恨みにつながっている。

NHKドラマ『八重の桜』人気にあやかりたいのか、
どこへ行っても、綾瀨はるかの扮した新島(山本)八重のポスターがあった。
ボクは綾瀨の熱烈ファン。実際の新島八重は豆タンクみたいなズンドウの体つきで、
顔も炭小屋から出てきたアンパンマンみたいな円い顔だ。綾瀨の白いうりざね顔とは
似ても似つかないが、心根が〝ハンサムウーマン〟というのは分かるような気がする。

時々、スコールみたいなどしゃ降りが襲ってくる奇妙な天気。
雨雲が消えると、カーッと晴れわたって焼けるような暑さに包まれる。
「こんな時は、冷えた生ビールを飲むと元気になるんだけどな……」
ボソリとつぶやくと、娘たちは運転手の父親に向かって、
「ビールは宿屋に戻ってから。ならぬことはならぬものです!」
と、きっぱりと言い渡したものだ。

そういえば、旅館の露天風呂にも「什の掟」の高札が立ってたな。
「ウソをつくな」「弱い者いじめをするな」「卑怯なマネをするな」
「年長者の言うことをよく聞け」……いずれも現代に通じるものばかりである。
全国の小中学校にこの「什の掟」の高札を掲げ、毎日唱和させたら、
陰湿ないじめなどなくなると思うのだが、甘っちょろい考えでしょうかねェ。

もののふの道、ますらおの道に殉じた会津の少年少女たち。
愛する国のため、信ずる正義のために潔く一身を投げ捨てた彼らに、
平成の世の惰弱な我らは、どんな思いで向き合ったらいいのだろう。




←六番と七番の掟は現代人には通じないな。
近所の奥さんたちと立ち話ばかりしている
ボクにはムリな注文だ。もっとも、ボクの
お相手をつとめてくれる女性たちは、
〝元〟女性で、今は男でも女でもない、
ふしぎな動物と化しておるけどね。
 

2013年7月26日金曜日

ちょっといい話3題

蒸し暑くて、いいかげんイヤになるけど、心温まる話を3題(ますますアヂィよぉ)。

★22日、朝のラッシュ時にJR南浦和駅で起きたちょっといい話。
降車時に(マヌケな)30代女性が電車とホームの隙間(約10センチ)に挟まれてしまった。
スワ大変と、ホームや車内にいた乗客や駅員約40人が協力し、およそ32トンあるという
車輌をヨッコラショっとばかりに押して隙間を広げ、腰のあたりで挟まっていた女性を
ぶじ救出した。その瞬間、ホームには期せずして拍手が巻き起こったという。

JR東日本によると、この影響で京浜東北線に一時8分ほどの遅れが出た。
この報道は英紙ガーディアンニューヨーク・タイムズ紙など多くの海外紙でも
取りあげられ、「日本人はまたまた世界を驚かせた」「日本人の優しさに感動」
などと、多くの反響が寄せられたという。

この女性、ケガがなかったのは幸いだけど、いつも乗る車両には乗れなくなるな。
時間帯も少しずらさないと……「オイ、あの救出された(マヌケな)女だぜ
「スミマセーン、あの時ボクも押してたんです。一緒にツーショットお願いします」
などと、身辺が急に慌ただしくなりそう。それに週刊誌が執拗に追いかけてくるし。
それにしても、わずか10センチの隙間に腰までスッポリ挟まるとは。

海外紙の読者からのコメントにも、「チーズバーガーを毎日数十個食べさせれば、
こんな事故起こらないのに……」と〝10センチの隙間〟に挟まった女性の
痩せっぷりに驚くものも多かった。そうだよな、あんな狭いところに入っちゃうなんて。
ボクとかNICKさんのお腹じゃあとても無理。なんだか羨ましいような……(トホホ)

★次はコメント常連の〝木蘭さん〟のブログから。
「一輪の花も踏まなかった部隊」 陸軍中将 加藤出雲

《一方は畑で他方は傾斜していて泥が深い。道は悪い。
その畑を通っていたのだが、きれいな花が一輪泥の上に美しい顔を見せていた。

尖兵の将校がその花をよけて横の泥深いところを迂廻して歩いていた。
花の上を踏んで歩くほうが泥も少なく近道でもあるのだが、
花をふみくだくに忍びなかったのだ。

次を歩いている男もそれにならって花をよけて通った。
次々に兵隊はわざわざ泥の道を遠廻りして歩いた。
部隊が通りすぎた後にはきれいな花が泥の上に浮かんで、
ほのぼのとした美しさを見せていた。

行軍に疲れた時、実際ぬかるみ道は何層倍も疲れる。そんな時にさへも、
たった一輪の花も踏まずに通っていった兵隊の心情が嬉しいのだ》

この一文は靖國神社に祀られている一兵士の手紙を載せたもの。
泥土に咲く一輪の花にもやさしい眼差しを向ける、
日本人の美しい心根を想う。

★最後は富士山入山料の話(読売新聞より

《富士山の山梨、静岡両県4ルートで、25日に始まった入山料の試験徴収は、
大きな混乱もなく導入初日を迎えた。反応はおおむね好意的。1人1000円の
協力を求める看板を見て、財布を取り出す登山者が目立った。

山梨側の吉田口登山道では、1414人が平均905円を、静岡側3ルートでは、
1351人が平均988円を支払った》

「任意」だから、なかには500円とか100円という人もいたというが、
平均して946.5円(905+988÷2)というのは、やはり驚異的な数値だろう。
これが日本以外の国だったら、どうか。たとえばお隣の「?」だったら……

以上、またまた月並みな感想をつぶやいてしまうが、
日本人に生まれて、ほんとうによかった(最近、こればっかり)。





←この光景はすごいな。
日本人は捨てたもんじゃないぜよ!
(22日、JR南浦和駅にて)

♪(マヌケな)女性のためならエーンヤコラ、
もひとつおまけにエーンヤコラ、
 

2013年7月22日月曜日

輪切りにされちゃった日

●7月某日 晴れ
新刊書ができあがった。ボクの右手首が腱鞘炎になりかかったといういわく付きの本で、
タイトルは『?』。世界的グローバル企業の数奇な運命を辿った実録物だ。
ゴーストライターの存在はあくまで〝影〟なので、表舞台に出ることは御法度。
タイトルも伏せたままにする。売れてくれるといいな。

●7月某日 晴れ
左膝がいかれてしまったので、この日、某国立病院でMRIの検査をする。
MRIというのは磁気共鳴コンピュータ断層撮影のことで、強力な磁石でできた
筒の中に入り、磁気の力で臓器や血管、頭蓋内の断面を画像化したりする。
この検査を受けるには諸種の条件があったが、その中に閉所恐怖症の人は
「あきらめてね」というのがあった。ボクはまさにその閉所恐怖症患者だが、
幸い膝の撮影なので、首から上は筒の外。なんとかOKが出た。
この撮影、想像以上に時間がかかる。20分~30分、場合によっては40分も
かかることがある。それに音が大きいので、患者には防音用のヘッドフォン
が装着される。ボクは目を閉じてジッと我慢の子であった。せめてヘッドフォンから
心地よい音楽でも流してくれればいいのに、と正直思った。もう一つ正直に言うと、
時間がかかりすぎ。来週、輪切りにされた膝の断面を見せられることになるが、
脂身の多い骨付きハムの断面みたいで、たぶんゾッとすること必至。

●7月某日 晴のち夕立
You Tubeで橋下大阪市長とタレントの菊川怜が〝慰安婦問題〟でやり合っていた。
というより、東大出のインテリタレントと称する菊川が、いかにおバカさんで、ふだん
深くものを考えていないか、完璧に露呈してしまった(そんなもん、最初からわかってまんがな)。
「沖縄の米兵は風俗店を利用しろと、そうおっしゃるのですね?」
「女性は性の慰みものだと」
「兵士には慰安婦が必要だと、橋下さんはそういうお考えなのですね?」
可愛い顔したバカタレ(おバカなタレント)を前に、激高するのも大人気ないと思ったのだろう、
橋下は終始おだやかな調子でしゃべっていた。
しかし心の中では、
(何いってんだ、このバカ女は! 歴史ってものをまともに勉強したことがあるのか?
軍隊がどういうものか、戦場の性がどんなものか、まじめに考えたことがあんのかよ!)
はらわたが煮えくり返っていたことでありましょう。従軍慰安婦問題に関する発言では
国内外に物議を醸してしまった橋下だが、ハッキリ言っておこう。橋下は何ひとつ
間違ったことは言っていない。調子に乗りすぎただけだ。彼の不幸は「大衆とは無教養なもの」
メディアは大衆におもねるもの」という定理を、一瞬間ではあるが忘れてしまったことだ。
「大衆=愚民」「メディア=大衆迎合主義」。いつの時代もこの真理は変わらない。

●7月某日 晴時々曇り
猛暑の中、和光市と戸田市の境にある彩湖の畔でBBQパーティを催した。
オジサン2匹に若い娘1匹。娘は婚活中というが、真剣に男を探しているようには見えない。
どっちかというとシャイで引っ込み思案なところがあり、若い男は苦手なのだという。
そのため人畜無害のオジサンが引っ張り出されたというわけだが、いい面の皮である。
オジサンは脚が不自由なので、テーブルや椅子を組み立てたり、炭を熾したりすること
ができない。ただ椅子に座って指示するだけ。楽チンだったけど、どーしてこんな暑い
日中にバーベキューをしなければいけないの、という煩悶にずっとさいなまれていた。
しかし娘は終始楽しそうで、もう片割れのオジサンも仕事のストレスが溜まっているらしく、
ルンルンと楽しそうに作業に没頭していた。彼にはこうした息抜きが必要なんだな、
と察せられた。さて肝心のBBQ、火力が不安定な炭火のおかげで、肉も野菜も真っ黒け。
それでもパリンパリンに焦げた肉や野菜を頬ばって、3匹は終始ご機嫌だった。
不満は唯ひとつ。ビールが飲めなかったことだ。オジサン2匹は底無しの大酒飲み。
しかしこの日は、びっこを引くボクのために車を利用。運転手の片割れはもちろん
飲めないし、ボクだって遠慮して飲めやしない。というわけで、飲んだのは味気ない
ノンアルコールビールとウーロン茶。今ひとつ気勢が上がらなかったのはそのためだ。
「ああ、楽しかった。またやろうね」
下戸の娘は別れ際に笑顔でそう言った。

    ♪ これっきりこれっきりこれっきり もうこれっきりですかァー ←ハイ、そうです。

山口百恵の『横須賀ストーリー』の歌詞が瞬間、頭に浮かんだが、グッと飲み込み、
「うん、楽しかったね。近くまたやるか」
などと心とは裏腹なことをつい口ばしってしまった。




←これがMRI検査。
磁気の力で人間を輪切りにしてしまう恐ろしい装置だ。
可愛いおネエちゃんが上になったり、
横になったりして添え寝してくれれば、
1時間でも2時間でもがまんできるのにね(バカ)。











←彩湖・道満グリーンパークBBQ広場。
和光市周辺にはこうした緑がいっぱい。

2013年7月19日金曜日

残照あわれ

石川淳の著作のなかに『敗荷落日』という小品がある。
享年79で逝った永井荷風を、当時60歳の石川が悼んだ文章である。
石川は江戸随筆の流れを引く荷風散人を心から敬愛していた。
ところが……

『敗荷落日』は、
一箇の老人が死んだ》という書き出しで始まる。
文中には「目をそむける」「精神の脱落」「小市民の痴愚」などと
苛烈な言葉が目白押しで、石川の呻(うめ)くがごとき慨嘆ぶりがうかがえる。

《年ふれば所詮これまた強弩(きょうど)の末のみ。書くものがダメ。文章の家にとって、
うごきのとれぬキメ手である。どうしてこうなのか。荷風さんほどのひとが、
いかに老いたとはいえ、まだ八十歳にも手のとどかぬうちに、どうすればこうまで
力おとろえたのか。わたしは年少のむかし好んで荷風文学を読んだおぼえがあるので、
その晩年の衰退をののしるにしのびない……》

ボクも荷風全集を愛読している者の一人だが、
その日本語の美しさといったら比類がない。
師匠の山本夏彦もまた無類の荷風ファンであった。
が、荷風は人間的にはやや問題があった。
師匠は書いている。
《荷風の人物は彼が好んで援用(えんよう)した儒教的モラルからみれば
低劣と言うよりほかない……しかし些々(ささ)たるウソのごときケチのごとき、
美しければすべては許されるのである》(『美しければすべてよし』より)

その荷風は、千葉市川の僑居(きょうきょ)で、貯金通帳をこの世の大事と握りしめ、
深夜の古畳の上に血を吐いて死んでいた。
戦後の作品のなかで見るべきものといえば、わずかに『葛飾土産』のみ。
あとは《小説と称する愚劣な断片》《無意味な饒舌》、
すべて読むに堪えぬもの、聞くに値しないものであった、
と石川は容赦なく切り捨てる。

そして最後の条は、
《日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと縁が切れたところの、
一箇の怠惰な老人の末路のごときには、わたしは一灯をささげるゆかりも無い
と非情に突き放す。
追悼文中の白眉といわれる『敗荷落日』。
ボクは荷風のすごさを知っているだけに、石川の嘆き節も実によく分かる。

突然、なぜこんな話を書いたかというと、
珈琲業界で神様のように敬愛されている人物の珈琲が、
この10年にわかに衰えをみせ、悲しくも荷風晩年の
〝愚にもつかぬ断章〟と似たものを眼前に彷彿させるからである。
もう脈はあがった、と説くものもいる。

その当たれるか否かは知らぬが、
神様になった男の瑕瑾をとがめるといった趣味は、ボクにはない。
石川の科白を借りれば、
「わたしは年少のむかし、好んでこの店の珈琲に親しんだので、
その晩年の衰退をののしるにしのびない……」

怠惰な老人どころか、老人は謹直勤勉にして少しも労をいとわぬ真正の職人だ。
ああ、この名人の創る珈琲はすばらしいの一語に尽きた。
だから、何と言おう、ただひたすら切なく哀しいのだ。
願わくば、味感の復活のあらんことを……。





←晩年、小市民的な痴愚の世界に
埋没してしまった荷風散人。

2013年7月16日火曜日

それでも美人がいい

「うちのカレーは40数種のスパイスがブレンドされてます!」
こんなキャッチコピーがあると、
(きっと本格的なカレーかも)と、素人はついふらふらと店の扉を開けてしまう。
そして食べ終わったあとに思うのだ。
(なんだ、ふつうのカレーじゃん……)

東京カリ~番長の水野仁輔は言っとった。
「スパイスの数は多ければいいってもんじゃない。あんまり数が多いと、
互いに個性を打ち消し合って、結果的に何の変哲もない凡庸な味に
なってしまうんだ。インド人は多くて4~7種類くらい。ボクなんかたった3種で
個性豊かなカレーを作れるよ」

ボクも番長の弟子(不肖だけどね)だから、師匠の言うことはよ~く分かる。
実際試してみて、すでに実証済みだ。さて通称〝赤缶〟と呼ばれている
S&Bのカレー粉は約35種類のスパイスがブレンドされている。この赤缶は
日本ではロングセラー商品で、この赤缶に匹敵する商品はいまだ出ていない。
なぜか? 味と香りが平均化され、誰にでも好まれる香味に仕上がっている
からである。つまりは〝凡庸な味〟だからこそ幅広い層に支持されている

個性が強い人は万人に愛されない、とよく言われる。
アクが強いために敵味方がはっきり分かれてしまうからだ。
ボクなんかその典型で、口も性格も悪いから味方より敵のほうが断然多い
(自慢すんな、そんなもん!)。

どうしたら万人(ボクの場合は蛮人に好かれる)に好かれるようになるかといえば、
人間のカドを削って円くなればいい。八方美人的に誰にでも笑顔をふりまき、
鳩ポッポにエサなんぞをやって人畜無害の善人を装えばいいのだ。
その間、自分の尖った個性はグッと押し殺す。

百珈苑」でお馴染みの、滋賀医科大の旦部幸博博士が面白い話を聞かせてくれた。
「昔は、酸味の強い豆と苦味の強い豆、アフリカ産の豆に中南米産の豆と、
個性派をいろいろ混ぜる〝ブレンド論〟が流行りました。でも、混ぜれば混ぜるほど
味が平均化され、無難な味になってしまった。誰にでも好まれる味かもしれないけど、
何と言いましょうか、面白味がないんですよね」

関連話として旦部先生が披露してくれたのがこれ。
世界各国の女性の平均的な顔一覧(画像)(下記参照)

各国の女性の顔を平均化すると、どの国の女性も〝美人〟になってしまう
という面白いデータだ。これもカレーやコーヒーと同じで、平均化すると凡庸だが、
誰にでも好まれる味(顔)になってしまうという一例。
旦部先生、遠慮がちに曰く。
「たしかにみんな美人です……でも、味わいとか面白味には欠けますね」

味わいも面白味も要りまッせん。美人であれば何でもいいんです(笑)。
ボクの好みは、ロシア人でしょ、ポーランド人でしょ、それとギリシャ人もいいな…。
どっちかッつーと、愁いを帯びた顔が好みなんだ(誰も聞いてねェつーの)。
他には……いや面倒くせェ、棚ごとぜ~んぶください(売り物かよ!)



←女性は平均化すると美人になるという。
世の女性の皆さま、ミキサーで攪拌され、
平均化されてください。美人であれば
み~んな引き受けます(中韓以外だけど)。
ところで、韓国女性が〝整形ブレンド〟だから
それなりに美人というのは分かるけど、
日本女性はちょっと見劣りがするな。
ボクの気のせいかしらね。

2013年7月14日日曜日

旅をするバカしないバカ

わが家の女3匹は旅行好きだ。ヒマさえあれば、ふらりと出かけてしまう。
先だって、長女は例によってバックパックを背にエジプトへ行き、
次いでスペインはバルセロナに渡った。その2日後、エジプトで
クーデターが起き、大統領が追放された。危機一髪の脱出だった。

その長女はいま、女房といっしょに四国へ渡り、道後温泉の湯につかっている。
旅先にどんな名所旧跡があり、どんな人との出会いがあり、どんな物を食べたのか。
ふつうなら喜び勇んで旅のよもやま話を報告するのだろうが、わが家にはそれがない。
留守番役のボクが、旅行話にも土産にも、まるで関心を示さないからである。

女3匹は国内だけでなく、世界中を旅している。
国の数なら長女が一番で、アメリカ大陸以外ならほとんど踏破している。
写真もいっぱい撮っている。ところが先日、その貴重な写真がパソコン上から
消えてしまった。ボクが誤って「ゴミ箱」にポイしてしまったからだ。

この時はさすがに焦った。どういじくりまわしてもデータが戻ってこない。
しかたなくデータを復元させる専門の会社に片っ端から電話してみた。
「100%復元させるのはムリですね。よくて85%くらいでしょうか」
電話口に出た男はしょっぱなにこう言った。
「料金はおいくらくらい掛かりましょうか?」
「ものにもよりますが、個人の場合、最低5万円くらいでしょうか」

5万円? そんな金あるわけないだろ。
でも、なんとか復元しなけりゃ長女から半殺しにされてしまう。
(ああ、どーしよう)

ボクは大泉学園のヤマダ電機へすっ飛んでいった。
「パソコンのデータを復元するソフトがあると聞いたんだけど……」
「何を復元させるんですか?」
「写真10年分のデータです」
「パソコンの電源は切ってありますか?」
「いや、切ってないけど、それが?」
「切らないと、どんどん上書きされてしまいますよ」
そりゃ大変だ! 

1万円で復元ソフトを買ったボクは、店員におどかされ急いで帰宅。
マニュアルを読むのももどかしく、復元ソフトを挿入した。
格闘すること数時間。機械オンチだなんて言ってられないので、
汗だくでがんばった。その甲斐があったか、消えたデータが少しずつ戻ってきた。

「2割方消えちゃったね……」
長女は復元された写真をチェックしながらボソリと呟いた。
「ゴメンよ……ほんとうにゴメン」
面目なさにボクは、塩をまぶされたナメクジみたいに縮こまっていた。

旅行すると、人はなぜ写真を撮りたがるのだろう。
世の中、記録がすべてで、運動会に結婚式、女子会に海外旅行と、
手当たり次第に記録する。目で見、耳で聞き、忘れるものはいっそ忘れればいいのに、
忘れたらこの世の一大事とばかりにカメラやビデオにすがりつく。
カメラを持たない〝肉眼派〟のボクには到底理解できない世界である。

旅行はきらいではない。若い頃はずいぶん旅行したし、
雑誌の仕事でも全国各地をくまなく歩いた。海外にも行った。
でも、今は……ロバが旅をしてもウマになって帰ってくるわけではない、
とする西諺を信じ、もっぱら本の世界、イマジネーションの世界に旅をしている。

ボクは今、時代小説を読みながら江戸の街を逍遙している。
猪牙舟(ちょきぶね)に揺られ、お壕端の桜を見ながら涼風に吹かれている。
デジカメでは撮れない世界だが、ボクの旅心は十分満足している。
データは心の中。復元ソフトはもちろん要らない。




←猪牙舟にゆられながら……
 

2013年7月13日土曜日

文字に目方があった頃

時代小説を読んでいると、時間の流れが現代とずいぶん違うことに気づかされる。
移動はほとんど徒歩だし、通信手段は飛脚を使っての書状のやりとりしかない。
飛脚にもいろんなランクがあって、料金が最低の「並便り」となると江戸から京阪まで
片道30日かかった。最速の「定飛脚」は4~6日で走破したというが、料金はおよそ4両。
女中の給金が年1両2分くらいだったというから、その高額ぶりが想像できよう。

それだけに、遠方から書状をもらった時の感激は尋常一様ではない。
小説の中では、まず発信されたとおぼしき方角に向かって拝礼し、
次いで神棚に捧げ、伏し拝むシーンが出てきたりする。

《辰平は不覚にも文字が霞んで見えなくなった。
瞼が熱くなり、涙が零れそうになった》(『居眠り磐根江戸双紙31 更衣ノ鷹』より)

こっちも思わず感情移入してしまい、鼻の奥がツンとしてくる。
いったん巻き戻した書状を、何度も披いてはジッと見入って感激を新たにする。
当時の手紙に書かれた文字には、現代とは比べものにならないくらいの重みと価値
があっただろうと推察される。

翻って現在、通信手段は飛躍的な進歩を見せている。
外国を旅行しても自宅とケータイで連絡し合えるし、
スカイプを使えばパソコン上で地球の裏側の人間と顔を見ながら話ができる。
江戸時代の人間が、この最先端技術を目の当たりにしたら、
驚きのあまり卒倒し、そのまま昇天してしまうかもしれない
(現代人のボクだって目を回してるくらいだものね)。

20年以上前は、通信手段といえば電話やFAXが主だった。
ボクの書斎は女房と共用だが、終日、仕事の電話が鳴りっぱなしだった。
今はどうか。電話などほとんどかかってこない。仕事の打ち合わせは
ほとんどメールで済ませているからだ。そのせいか、たまに受話器が鳴ると
一瞬緊張する。まるで電話に恐れおののいた新入社員の頃みたいである。

「メールですか? やりませんね。パソコンが苦手なもので……」
たまに〝テレフォン派〟が生き残っていたりすると、化石を見るような思いがする。
「ケータイは持ってません」
とボクが言った時、相手が見せるかすかな戸惑いと同種のものだろう。

水茎(みずくき)の跡もうるわしき手紙をしたためていた時代と、
鵞毛(がもう)のような言葉が電波に乗って宙を舞っている時代。

前者の言葉には、恐らく石片に刻みつけたような「目方」があっただろう。
そして言葉の一つ一つに力があった。言葉は言霊(ことだま)そのものだった。

今さら飛脚の時代に戻りたいとは思わないが、
言葉が符丁のように宙に舞う時代が生きやすいとは限るまい。
言葉が軽い分だけ、人と人との関係も鵞毛のように軽いからだ。
それが現代といってしまえばそれまでだが、言葉に目方があった時代のほうが、
人間は正直でちょっぴり神に近かったような気がする。

時代小説を読む愉しみ?
「人間が無垢だった時代に一瞬なりとも戻れるから」
と答えたら、ちょっとカッコつけすぎだろうか。

昨日から女房と長女は四国・愛媛を旅行している。
今日は大洲へ行く予定、と先ほどメールが入ったばかりだ。
顔文字ばかりのメールをプリントアウトして神棚に捧げる気にはならない。
メールの文字がわずかに霞んで見えるのは、たぶん老化のせいだろう。


←飛脚の走る速度は時速約8キロ。
ちなみに箱根駅伝の走者はおよそ20キロだ。

2013年7月10日水曜日

焙煎技術世界一になった日本人

いま、宅配便で届いたばかりのコーヒーを飲みながらブログを書いている。
ラベルには「エチオピア・イルガチェフ・コンガ農協」とある。
焙煎したのは福岡「豆香洞(とうかどう)」の後藤直紀さんだ。

後藤さんは去る6月26日~28日にフランスはニースで開かれた
コーヒー焙煎の競技会「World Coffee Roasting Championship 2013」において
みごと優勝した人物である。つまり〝焙煎技術世界一〟に認定された。

コーヒーは生豆の質はもちろんだが、味を決定するのは何といっても焙煎だ。
焙煎がお粗末だと、どんなにすばらしいコーヒー豆でも、そのキャラクターが
引き出せず、凡庸な味にとどまってしまう。

エチオピア・イルガチェフという豆は個性派の最右翼で、
〝山椒は小粒でピリリと辛い〟というタイプ。小粒ながらキャラが立っている。
イエメン・モカやパナマ・ゲイシャと同じように柑橘系の香りが特長だ。

ボクはこのエチオピア・イルガチェフとスマトラ・マンデリンが好きで、
中深煎り~深煎りで仕上げている。特にマンデリンはチャーフ(薄皮)の出が
少ないので、手網焙煎者には大助かりなのである。焙煎すると、
台所のガス台周りがチャーフだらけになるから、あとの掃除が大変なのだ。

「(エチオピアは)けっこう深く煎ってあるけど、すっきりした味だわね」
と、これはコーヒー狂の女房の弁。
ボクは舌も鼻もバカだから、「うまい・まずい」の区別もおぼつかないが、
わが女房殿は犬並みの嗅覚(人間の1億倍の嗅覚を持つ)と洗練された舌を持っていて、
料理はもちろんのこと、コーヒーの香味もたちどころに嗅ぎ分けてしまう。(ワンワン

さすがに世界一に認定された焙煎士のコーヒー、まずかろうはずがない。
聞けば後藤さんは南千住は「カフェ・バッハ」の田口護(焙煎御三家のひとり)
の下で3年間修業し、福岡県大野城市に自前の店をオープンさせたという。
5年前のことである。

たまたま後藤さんが世界一になったが、日本にはまだまだ焙煎名人がゴロゴロしている。
実名を挙げるのははばかられるが、ボクが名人と勝手に思っている人は
(ボクを含め?)少なくとも10人はいる。日本にはそういうアルチザン(職人)を愛し育む
土壌があるのだ。反対に韓国人などは、汗をかく仕事は卑しいと思っているから、
永遠にcraftmanshipは育ちようもなく、名人上手も輩出されない。
ブルーカラーを卑しむ国に〝匠の技〟などあり得べくもないからだ。

ちなみに2013年度の優勝者は日本人の後藤さんだが、
2位、3位と台湾勢が占めているのが嬉しい(共産中国は嫌いだが、台湾は好き)。
後藤さんの師である田口護が台湾では〝神様〟のように尊敬され、
著作の『田口護の珈琲大全』が飛ぶように売れている、というのが
分かるような気がする。

ボクも焙煎者のはしくれだが、うまくいく時とダメな時の波があって、
安定した焙煎がまだ十分にできていない(謙虚だな、感心、感心)。
それでも犬の鼻を持つ女房が文句も言わず黙って飲んでくれているのだから、
絶品とは言わぬまでも、それほどひどい代物というわけではないのだろう(どこが謙虚だよ!)。

世界一の焙煎技術と認定された後藤さんのコーヒーを、
ネット通販でいつでも飲めるのだからありがたい。アルチザンを敬愛する
日本という国に生まれてほんとうによかった(最近、この言葉で締めくくられるケースが多い?)。

それにしても、この夏は暑すぎるな。日本に生まれたことを後悔しそうになる(笑)。
近く留学生が来日し、わが家も面倒みるけど、この熱帯並みの暑さには閉口するだろうな。
あっぢぃよー!





←「焙煎世界一」に認定された「豆香洞」の後藤直紀さん。
若き日本の焙煎士たちよ、彼のあとに続け~ッ!








※追記
8/1日付けの『毎日新聞』に
焙煎技術世界一〟とする後藤さんの記事が出ていた。
後藤さん、おめでとう。
 

2013年7月6日土曜日

会津びいき

今月末、家族揃って会津に出かける。
ボクは根っからの会津ファンで、『ある明治人の記録ー会津人柴五郎の遺書(中公新書)
は、ボクが感動した本の最右翼、とブログでもたびたび紹介してきた。
読み始めると巻措く能わず、涙なしには読めやしない。

《いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、
むなしく年を過して齢(よわい)すでに八十路(やそじ)を越えたり》

《戦闘に役立たぬ婦女子はいたずらに兵糧を浪費すべからずと籠城を拒み、
敵侵入とともに自害して辱めを受けざることを約しありしなり。わずか七歳の
幼き妹まで懐剣を持ちて自害の時を待ちおりしとは……》

後に「義和団の乱」の防衛戦で活躍し、世界中から称讃された会津人・柴五郎は、
会津戊辰戦争で祖母や母、姉妹が自刃。官軍に降伏後、下北半島の僻地に移封され、
筆舌に堪えがたいほどの悲惨な飢餓生活を送る。その無念さを胸に明治を生き、
華やかな維新の歴史から抹殺された暗黒の史実に光を当てる。
これは敗者が懊悩の果てに語った感動の歴史秘話だ。

NHKドラマの「八重の桜」とは関係ない、というとウソになるが、
ドラマは見ていないので、直接触発されて「会津旅行」を企画したわけではない。
ボクはすでに馴染みだが、女房や娘たちが会津の土をまだ踏んでいないというので、
かつて薩長の地を訪れたわが家の女どもに、
「薩長を知って会津を知らなきゃ片手落ちってもんだろう」
と、会津びいきのボクが急遽発案したものなのだ。

ドラマは見なかったが、綾瀨はるかは好きだ。
以前、NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』という紀行番組を見た。
ゲストが綾瀨はるかで、訪問するところが主役を演じた舞台・会津若松市だった。

この時の彼女の言動ふるまいを見て、ボクはたちまち綾瀨はるかファンになってしまった。
美形でむちゃくちゃ可愛いというのもあるが、実に天真爛漫で気取りがなく、
まさに〝天然ちゃん〟を絵に描いたような女性なのだ。

俗に美人には32相あるという。瓜実顔に富士びたい、眼はぱっちりと鈴を張ったよう、
鼻は高からず低からず、口もと尋常、腰は柳に雪の肌……綾瀨はるかはこの32相を
すべて備えている。

昔、松坂慶子がまだ若く、そんなにデブチンでなかった頃、
渋谷のNHKの廊下ですれ違ったというボクの友人(NHK職員)は、
「あまりの美しさにボーゼンとし、頭がクラクラした」
と言っていた。その松坂の美しさに綾瀨はるかは匹敵する。

さて絶世の美女を形容するのに、こんな言い方もある。
たとえば「沈魚(ちんぎょ)」、よく知られているのは「落雁(らくがん)」、
閉月(へいげつ)」、「羞花(しゅうか)なんていうのもある。
泳ぐ魚は水底に沈み、飛ぶかりがねは目を回して落下し、
月は雲間に隠れ、花も羞じらってしまう……それほどの美人である、
ということなのである。「落雁」というのは菓子名にも残っている。
が、美女を形容する言葉だと知るものは少ない。

かつての出版社の同僚に会津若松出身の女性がいた。
綾瀨はるかをもう少しボーイッシュにしたような美人で、
〝勁草(けいそう)〟という言葉が似合う新島八重のような女性だった。

プール仲間のM女史の口癖は「ならぬことはならぬものです」。
ご母堂が会津出身で、
「これほどまでに頑固な女を私は知らない」
と呆れていたくらいだから、「会津=頑固もの」の定式はいまだ健在なのだろう。

会津戦争後、鶴ヶ城に残っていた二千人以上にのぼる藩士や商人、農民の死体は
官軍によって埋葬が禁じられ、城内には藩士たちにまじって女性や子供の腐乱死体も
散乱していた。多くは鳥のエサになったという。この酷薄な仕打ちを恨みに思い、
この地には、145年経ったいまでも薩長を憎む気風が連綿と受け継がれている。

かつて長州藩の本拠地だった萩市は1986年、
「戊辰戦争からすでに120年、もうそろそろ和解の時機では……」
と会津若松市に対して〝友好都市提携〟を結ぼうと呼びかけたが、
時期尚早なりと峻拒された経緯がある。青年会議所も同様である。

会津人にとって「先の大戦」とは大東亜戦争のことではない。
会津戊辰戦争のことなのである。そんな骨っぽい土地柄の会津に
13年ぶりにおじゃまする。「会津桐屋」の水そばが何とも楽しみだ。



←スペンサー銃を手にする新島八重。
綾瀨はるかちゃん、カッワイイね。
それにしても幕末の歴史を知れば知るほど、
会津藩は貧乏クジを引かされた、と思うね。
会津の犠牲の上に今日の日本があると思うと、
感慨深いものがあります。官軍だけでなく、
彼らの御魂も靖國はもとより、地方の招魂社、
すなわち護国神社に祀ってやれないものかしらねェ。

2013年7月1日月曜日

酒とバカの日々

いたって無趣味だから、金はほとんど使わない(ものは言いよう。まるであるみたいに聞こえる)。
着るものはユニクロのTシャツに短パンだし、ゴルフやパチンコ、競馬にも興味なし。
バーやクラブのはしごもしないし、国内外の旅行にもまるで関心がない(長女とは正反対)。

金の使い途といったらせいぜい酒代と本代だけ。
それに若い水っ気のあるオンナはうっとうしいから願い下げ(大きく出たね)。
元はオンナだったという〝おばさんたち〟がいちばん気楽でいい。

おじさんの友は少ないが、おばさんの友だちはいっぱいいる。
なぜか昔から、おばさんとかおばあさんにはもてるのだ(自慢にならんよ)。
おじさんという種族はダメだな。社会的地位とかメンツ、体面ばかりにこだわって
なかなか胸襟を開こうとしない。バカになりきれないのだ。

その点、おばさんはいい。元はオンナでも、今はそんなややこしいもの、あっさり捨てている。
だからメスを意識しないで済むし、こだわるべき社会的地位などハナからないのだから、
大口開けてガハガハ笑うし、「亭主は役立たずでね……」などと、閨房での秘め事も
あっけらかんと教えてくれる。逆にいうと、この目の前のおっさんは人畜無害の元オトコだから、
何を話しても安心、とハナから見切っている(グスン)。

これでも昔は〝危険な匂い〟をまき散らし、若いオンナたちの心を虜にしていたものだが、
今やすっかり警戒心を解かれ、危険な匂いどころか加齢臭ばかり発散する
「無菌無精子男」に見られている。そこがちょっぴり不本意で哀しい。

今、夢中になって読みふけっている佐伯泰英の『居眠り磐根シリーズ』は、
直新影流の達人・佐々木磐根(旧坂崎)が主人公。この男、実によくもてる。
女だけでなく、男にももてるというのだからモノホンだ。

ストーリーは単純で、いわゆる剣劇と〝江戸市井もの〟がチャンポンになったような趣き。
28巻目となると、さすがにマンネリ化し中身もダレてきたが、ここまで来たら最後まで
(現在43巻目が発売中)つき合ってやるか、と1日1冊のペースで読み進めている。

若い頃は変に気負って、エンターテインメント的な小説なんて邪道だし堕落、
などと勝手に独り決めし、いわゆる〝純文学〟系の堅ッ苦しい本ばかり読み、
終始眉間に皺を寄せては、しかつめらしい顔を売り物にしていた(ナンパ戦術なんですゥ)。

が、40代になる頃から、司馬遼太郎や池波正太郎、藤沢周平といった作家に親しみ、
以後、純文学の桎梏から解き放たれ、エンターテインメント系に急傾斜していった。
面白くなければ小説じゃない――ようやく肩の荷が下りた心境だ。

時代小説のよさは、サムライの倫理観や市井の人たちの義理人情を学ばせてくれる
ところにある。昔のチャンバラ映画みたいに、読むほどに世の中の正邪美醜のすべてを
学ぶことができる。そして最後は正義が勝つというハッピーエンド。

ボクは小説でも映画でもハッピーエンドでないと機嫌がわるい。それと巧まざるユーモア。
若い頃は、暗~い小説や気の滅入りそうなATG映画ばかり観ていたが(あれも時代の空気か)、
歳をとると、アンハッピーとはいわないまでも実生活がもろ深刻なせいか、
せめて映画や小説だけはハッピーであってほしい、と思うようになる。
何も金を払ってまで暗~い顔をしていたくはない。

酒を喰らいお気楽な小説を読み、おばさんたちとバカッ話に花を咲かせる。
人生、これ以上の快事があるものだろうか、と畏れながら愚考するのだが、
みなさんはいかがでしょう? ンーッ? なんか文句ある?




←テレビドラマの『居眠り磐根』。
まだ一度も観たことないが、
磐根役の山本耕史、おこん役の
中越典子はイメージ的には適役だと思う。
今小町のおこんさん、かわいいね。