2010年5月31日月曜日

ハトがガンになる日

ハト山のお坊ちゃまが、とうとう馬脚(鳩脚?)を現し、ハトからガンになってしまった。
お坊ちゃまの低能ぶりは、昔からつとに知られるところで、僕なんか
機会あるごとに揶揄、嘲弄、罵倒してきたものだが、「鳩山=ハト派=善玉」という
短絡的分類が久しく横行してきたおかげで、「ボンクラの正体見たり……」
という具合には、なかなかならなかった。

政治家のレベルは国民のレベル以上にはならない、とはよく云われる言葉だが、
まさにその通りで、お坊ちゃまの低能ぶりは、われら日本国民の低能ぶりを
そのまま写したものと云っていい。情けない話だが、史上最悪のバカ殿を戴いた
日本国民は、史上最悪のおバカな家臣団なのだ。

お坊ちゃまは「友愛」をその政治理念に掲げ、先の日中首脳会談では、
東シナ海を「友愛の海にしましょう」と提案した。しかるに現実は、
中国海軍の艦船がわがもの顔に遊弋し、あからさまに示威行動
を示すに至っている。御しやすし、と侮られたのである。

そもそも「民主主義」とは何なのか?
簡単に云ってしまうと、人間同士、お互いにつかみ合いや取っ組み合いの
ケンカをしない程度の秩序だけは守ろうよ、というのが基本概念で、
「democracy=でも暮らしいい」な~んてのんきに洒落てる場合じゃなく、
中身はまっことリアリスティックで泥くさ~いものなんじゃ。(←龍馬か、おまえは!)

つまり、人間は放っておくと何をするかわからないし必ず衝突する。
マキャベリではないが「ヒトはみな悪党だ」とする「性悪説」に立脚している。
ハト山のお坊ちゃまが掲げる「性善説」など、誰も信じちゃいないのだ。

そんなことは東西の歴史をちょっとばかり囓れば、誰にだってわかることで、
お坊ちゃまの人間観、歴史観は空想家が抱きそうな甘っちょろい幻想に過ぎない。
政治家に求められるのは健全なリアリストであって、夢見ることではない。
その点、お坊ちゃまはあまりに幼稚で、実に危険極まりないのである。

よりにもよってこの時期に、朝鮮半島にはキナ臭い暗雲が垂れ込めてきている。
有事法制さえままならない日本が、いざ中原に覇を競うという事態になったとき、
ハト山総理の最高司令官でやっていけるのか。ぶじ難局を乗り切れるのか、
不安はつのるばかりなのである。

この際、何度でも云う。
あの焦点の定まらないような目つきをしたノーテンキな総理を、
キャピキャピはしゃぎ回る奥方共ども、早くニッポン丸の操舵室から引きずり下ろしてくれ。
そして永久に政界から追放してくれ。このオメデタ夫婦にふさわしいのはバカタレ
(おバカなタレントの略)どもが跳梁跋扈する〝芸ノー界〟しかないのだ。

2010年5月25日火曜日

本棚が消える日

学生時代、友人Y君の下宿を訪ねたら、6畳一間にミカン箱と
読みさしの本が数冊置いてあるだけで、あとは何もなかった。
テレビはおろか、机もなければ本棚もない。殺風景といえば、
これほど殺風景な部屋はなかった。

大学卒業後、英字新聞の記者となったY君は、秋田出身の英才で、
猛烈な読書家だった。ところが彼の下宿には、読書家を思わせるような
痕跡がまるでなかった。それも道理で、Y君は読んだはしから古本屋へ
売り飛ばしていた。そしてその代金で、また新しい本を買う。

僕は彼の合理的かつシンプルな読書生活をカッコいいと思い、
さっそくマネてみた。買う→読む→売る→買う……おかげで学生時代の
蔵書数は実に貧寒なものとなった。そして今はというと、増えるにまかせている。
当然ながら本棚に収まりきらず、床に積み上げたり納戸に押し込んだり……。
数えたことはないが、駄本の数はおそらく万の単位になるだろう。

しかし、これからは「本に埋もれた生活」というものを想像すること自体が
むずかしくなるかもしれない。アップル社のiPadは13ミリの厚さで重量は
たったの680グラム。が、約50万冊分(最大64ギガバイトの場合)の本を
すっぽり収めてしまうという。へたな図書館の蔵書なんかiPad1台あれば
すべて飲み込んでしまう。

紙の本と電子本。どっちも長短あるが、世の趨勢は徐々に電子本のほうへ
傾いている。金利のかさむ物流倉庫は不要だし、絶版なんてものもなくなる。
iPadひとつあれば、とりあえず読書人を標榜できるのだからこんな便利なものはない。

そのうち、紙の本で育った世代と電子本世代との間で、
空前のジェネレーション・ギャップが生まれるだろう。
「あのインクの匂いとかページをめくる時の指の感触がたまらないんだよな」
と旧世代が夢見がちに言えば、
「なに、それ? 俺たちだって指でページをめくってるよ」
と新世代が訝しがる。

文庫本をポケットに突っ込んでのひとり旅。
河原の土手に横になり、緑風に吹かれながら読みさしの詩集を開く。
気のきいた一節には傍線が引かれ、書きこみがしてある。
幾度となくひもといたお気に入りの本。青春期の悲喜こもごもが、
その一冊に丸ごと詰めこまれている。紙本が持つこうした風情や余韻を、
後代の電子本世代にどうやって伝えたらいいのだろう。

いま、五木寛之の『親鸞・上巻』をパソコン上で読んでいる。
無料公開されているので、ためしにダウンロードしてみたのだ。
たしかにページを〝めくる〟のだが、マウスでクリックしてめくる
という感覚になかなか馴染めない。むしろ指先でめくれるという
iPadのほうが、われら旧世代には馴染めるかも。

読書のスタイルもどんどん変わっていく。
ペンでなければ原稿が書けない、と駄々をこねていた自分も、
いまや「キーボードでなけりゃ一文字も打てない」とうそぶいているのだから、
そのうち、「やっぱ電子本だよね」などと、鳩山君みたいにあっけらか~んと
宗旨替えをするに決まっている。《それ君子は食言せず……》か……。
とてもじゃないけど、君子なんぞにはなれそうにない。

2010年5月22日土曜日

デジタル美人

ケータイも持たず、パソコンも使えず(ワープロだけはどうにか操れる)、
デジカメもだめ。21世紀にいながら、ほとんど19世紀に生きている僕は、
IT社会の何たるかも知らず、道端にまるで棄民のようにうち捨てられている。

先日、老母の米寿を祝う小旅行があったが、その際に女房が撮った写真を
画像編集ソフト「Picasa3」にアップしてみた。娘たちは以前からこのソフトを
利用していたようだが、僕と女房は初めて。使ってみると意外と簡単で、
デジカメで撮った写真を好きなように編集することができる。

色の調整やコントラストの強弱、傾いていた身体をまっすぐにする、
なんてことはお茶の子さいさいで、トリミングなども自由自在。驚いたのは、
顔のシミや傷を取り除いたり、白髪を染めたりするのも簡単、ということだった。

実際の話、シミを取ったりシワをのばしたりするには金とエネルギーが必要だが、
デジタル写真の中では、簡単にできてしまう。さっそくレタッチの技術で母の白髪を染め、
兄や義兄の顔のシミを落としてやった。そしたら案の定、見違えるくらい若くなった。

あんまり面白いので、兄の顔を実験台にいろいろためしてみた。
「額のあたりが後退してきてるようだから、リーブ21で殖やしてやっか!」
「姿勢はまっすぐにできるけど、根性まではムリだろうな……アハハハ」
などと、むちゃくちゃ言いながら勝手にいじくり回している。
これって、けっこうサディスティックな快感が味わえる。

それにしても、顔のシミやシワ取りが、パソコンの画面上でいとも簡単に
できてしまうとは、実に恐るべき時代といわねばなるまい(←時代劇かよ?)。
お見合い用の修正写真など、専門業者を介さずとも簡単にできてしまう。
実年齢が50ン歳?でも、写真では30代後半? 

こんな手品みたいなことが、マウス操作ひとつでできてしまうのだからスゴイ。
デジタルの世界はまさにフェイクな偽物天国と云っていいだろう。
19世紀の遺物である僕にとっては、ただひたすら怖ろしい。

2010年5月18日火曜日

母が菩薩になる日


母の米寿を記念して、兄弟揃って1泊旅行に出かけた。(←夫婦単位で)
場所は群馬・みなかみの鄙びた温泉宿。すぐ近くに奈良俣ダム
と人造湖ならまた湖(写真)がある。雪解け時期になると、洪水吐き
から勢いよく放流され、観光客の目を楽しませてくれる。

子供の頃はいざ知らず、それぞれに独立してからは、兄弟が一堂に揃うのは
正月と法事の時ぐらいで、泊まりがけで旅行することなどただの一度もなかった。
今回の小旅行は文字どおりの記念すべき旅行となった。

僕には兄、姉、弟がいる。それぞれにクセのある性格を持っているが、共通項が
1つある。揃ってひねくれ者だ、ということだ。それも異常なほどに。
父は偏屈で通っていたが、これほどまで歪んではいなかった。
母は荒っぽいが、根は陽気で屈折したところはない。僕ら兄弟の
病的なまでの頑迷さと角々しさは、実に突然変異的なのである。

偏屈同士が顔を合わせると、必ずといっていいくらい衝突する。
現に、旅行直前に長兄とひと悶着あった。弟ともメールのやりとりの中で
ささくれ立った言葉の応酬があった。嫁さんたちは「四六時中いっしょだったら、
いったいどうなっちゃうのかしら?」と生きた心地もしなかっただろうが、
幸い「母のお祝い」という一点でブレーキがかかり、角突き合わせることなく、
ぶじ祝賀セレモニーは終わった。

血は水よりも濃し、というが、水より薄い血だってある。また近くの他人のほうが
遠くの親戚などよりよほど大事な場合だってある。兄弟と過ごした期間は20年
そこそこだが、女房とは26年、友人にいたっては40年近くつき合っている。
「去る者は日々に疎し」というが、音信が途絶えたり、顔を合わせる機会が減ってくると、
たとえ血肉を分けた兄弟であっても、ついつい関係が疎遠になってしまう。

そんな薄い血であっても、母の力は偉大だ。かつての気丈さこそ見る影もないが、
その求心力たるやいまだ衰えを知らない。薄い血の兄弟であっても、
「母さんのためなら」と目的を一にして集まってくれる。

血のつながりというのは時にありがたく、時に鬱陶しい。
末の弟などは絶えず上から押さえつけられ、
今でも陰に陽に圧力を感じているだろうから、
鬱陶しさの度合いもまたひとしおだろう。

「たまたま出てくる順番が先だっただけで、どうしてこう兄貴風を吹かしたがるんだ?」
弟の心中を忖度すれば、おそらくこんな感じか。こっちは威張ってるつもりはないし、
上から目線で物を言ってるわけではない。だが、弟にしてみれば、兄や姉たちは、
いつだって目障りで鬱陶しい存在なのだろう。それに兄弟だからという甘えで、
ついぞんざいな言葉づかいになり、礼を失してしまうことがある。

それぞれに独立した家庭をもち、曲がりなりにも社会人として
立派に生活しているのだから、兄弟とはいえ、互いに一片の敬意を
払うべきなのに、なかなかそうはならない。つい子供の頃の調子で
馴れなれしい口をきいてしまう。兄弟同士のつき合いは本当にむずかしい。

今回の小旅行はいろいろなことを教えてくれた。
兄弟はやっぱりいいもんだ、と思う反面、
「おいおい、勘弁してくれよ」とその場から逃げ出したくなる瞬間もあった。
そんなすべてを了解し、森羅万象を真綿でやさしく包み込むかのように、
老母は童女のような笑顔で静かに見守っていた。
母は知らぬ間に慈母観音菩薩と化していた。

2010年5月10日月曜日

惚れたが因果か

夫婦で両国の江戸東京博物館へ行ってきた。特別展示『龍馬伝』を見るためだ。
NHKドラマ『龍馬伝』の人気(福山雅治人気といったほうがいいかも)はすさまじく、
今まで歴史ドラマにさほど興味を示さなかった女房までも、福山龍馬にはぞっこんで、
おかげで結婚26年目にして初めて共通の話題を持てるようになった。
福山龍馬サマサマである。

平日にもかかわらず、館内は客であふれ、老若男女を問わず、日本人がいかに
龍馬を好いちょるか、よ~くわかった。展示は龍馬の遺品や書簡集などが中心で、
よほどの歴史好きでなければ、地味で退屈極まりないものなのだけれど、
誰もみな熱心で、無学な僕などにはサッパリの、達筆で書かれたさまざまな書簡を
丁寧に目で追っていた。

いわゆる「歴女」と呼ばれる若い女性たちも「龍馬のことならぜ~んぶ識りたい」
とばかりに、難物の崩し書きを倦かずに眺めていた。正直、この光景には驚き、
感動もした。日本もまだ捨てたものではないぜよ。

何が面白いって、歴史を学ぶほど面白いものはない、とは僕の師匠・小林秀雄
の言葉だ。歴史といっても堅く考える必要などない。歴史学者ではないのだから、
小難しい史料を読む必要はないし、重箱の隅をつついたような新解釈をものにしよう
というのでもない。気に入った時代小説や歴史小説、雑学本の類を勝手気ままに
読み散らかすだけで十分なのだ。

僕の友人に歴女のはしりとも云えるA女史がいる。彼女は戊辰戦争の際、
朝敵とされた会津武士に肩入れするあまり、早乙女貢の長編小説『会津士魂』
全13冊をたちどころに読破してしまった。僕など、とてもそんな根性はない。
女は強い。惚れたら一途、なのである。

歴史好きの人間は話題が豊富だ。おしゃべりしていても飽きさせない。
A女史などはその典型で、ドラえもんのポケットみたいに、話題が縦横無尽、
いくらでも湧き出てくる。たとえ芸能ゴシップ話であっても、「彼は慶喜的な性格かな。
頭が良すぎて、いざとなると臆病になっちゃう……」などと、歴史上の人物に
仮託して話したりするから、どこかアカデミックな色彩を帯びてくる。
そして次から次へと話題が広がっていく。歴史好きは話し上手でもある。

龍馬が三味をつま弾きながら歌ったとされる端唄をひとつ。

   ♪何をくよくよ川ばた柳 水の流れを見て暮らす 

さて、福山龍馬もますます快調だが、龍馬を支えた京・寺田屋の女将、お登勢
を筋肉マッチョのヌードで話題となった草刈民代が演じるという。A女史は
この配役に「イメージが壊れる」と大反対、うちの女房も『Shall we ダンス?』以来、
大の草刈り嫌い(大根のうえにいじわるそうだから、がその理由)になっているから、
もちろん不同意の大ブーイング。許しがたい暴挙だ、と息巻いている。
わけわかんないけど、ああ、女性ファン、恐るべし!

2010年5月6日木曜日

墓場が一番

4日、プール仲間のOさんと下町散歩。
雑司ヶ谷霊園を皮切りにチンチン電車の
荒川線に乗って巣鴨、さらには谷中墓地、
ツツジが満開の根津神社(左写真)と、年寄り
(俺たちのことだ)が好みそうなところをグルリと回ってきた。

雑司ヶ谷霊園では漱石や荷風といった文人たちの
墓参り。ついでに『龍馬伝』に出てくるジョン万次郎
の墓にも掌を合わせてきた。

天気がよかったせいか、どこも行楽客であふれ、
とりわけ巣鴨地蔵通り商店街は、
どこから湧き出てきたのかと思えるくらい
年寄りたちであふれかえっていた。

その熱気ムンムンの群衆にまぎれ込むと、
けっこうすんなりと風景に溶け込んでいるじゃないの、
と認識を新たにする。つまり、どう転んだって、
俺たちは年寄りそのものだってことがよくわかった。


墓場巡りや巣鴨詣でを好むのは、たぶん不快指数が低いためだろう、と思っている。
僕にとって不快指数が最も高まるのは、若者たちの話し言葉を耳にした時だ。
原節子や東山千栄子を今さら引っぱり出すのもなんだが、彼女たちが操った、
耳に心地よい美しい日本語を少しはマネてほしい、と耳障りで下品な
言葉を吐き散らす若者たちを前に、つい説教を垂れたくなってしまう。
いやはや全身が小言幸兵衛と化してしまうのだ。

だから互いに不愉快にならないようにと、僕は彼らが群がる渋谷や原宿
といった街には、用心深く近づかないようにしてきた。なにしろ腰パンをはいた
若者(バカモノともいう)が視界に入ってきただけで、心悸が昂ぶってしまうのだから、
若者ぎらいは宿痾(しゅくあ)みたいなものだ。

ノーテンキなOさんは、そんな僕の気質を知ってか識らずか、
佃煮になりそうな年寄りたちを視界いっぱいに広げて見せてくれた。
本人は何を勘違いしているのか、色気も水気もあるホルモンたっぷりの女性に、
まだ未練がありそうなそぶりだったが、帰宅後にケータイ写真に写った自分の姿
を見て、「ああ、俺もジジババの原宿のクチだった」と、ようやく現実に気づいてくれたようだ。

あの日、谷中霊園内の天王寺駐在所(山手線の内側で唯一警察官家族が
住み込んでいる派出所)の前でウロウロしてたら、当の警察官が自転車でご帰還、
やや不審顔で「何かご用ですか?」と職質(俺たち人相悪いもんね)。

Oさんがニッコリ笑って、
「いや、実は佐々木譲さんの『警察の血』の中に、谷中の天王寺駐在所
だ出てきますでしょ?……で、どんな人たちが住んでいらっしゃるのかなァ、
と話していたところに、ちょうどご本人がお見えになったという次第で(笑)」

人の良さそうな駐在さんは、幸いその本の読者だったようで、
僕たちの不躾な質問にも快く答えてくれた。いや、それどころか、
「花見の季節は深夜まで乱痴気騒ぎでしょ、家族が眠れなくてね……」
などとグチまで飛び出す始末で、すっかり意気投合。
勤務中だっただろうに、しっかり話し込んでしまった。

雑司ヶ谷も谷中もあふれんばかりの緑で、つい墓地にいることを忘れてしまう。
やっぱり行楽は墓場にかぎりますな。