2014年8月27日水曜日

まず獣身を成すべし

渋谷道玄坂にある防犯用グッズの店には鋭利なナイフがいっぱい置いてある。
なかには軍事用ナイフなどもあって、いったいどこが防犯用なのかと首を
かしげてしまうが、店主に訊けば「みんな護身用に買っていくんです」とあっけらかんとした
答え。当節は護身用にナイフをポケットに忍ばせるのが流行っているのだという。

数年前、市内の図書館で大声を上げてふざけている高校生がいたので、
静かにするようにと注意したら、やっこさん、射るような視線をボクに向け、
腰を低くして右のポケットに手を突っ込んだ。ボクはとっさに、
(このバカ、抜く気だな……)
と思い、視線を外さなかったが、館員が駆けつけてくれて事無きを得た。
たぶん〝護身用〟のナイフで脅すつもりだったのだろう。

近頃の若者は、大人にちょっと注意されただけで「ムカつき」、そして「キレる」。
野蛮人のボクなんかは、この手合いに対しては「殴ったり蹴ったり」して世の中のルールを
教え込むのが一番、と思っていて、それ以上の教育法がまるで思い浮かばないのだが、
「こども性善説」に立つ〝良心的〟な大人たちは、キレるのは子ども自身にではなく、
子どもの外に原因があると信じていて、
「キレるのは子どもの魂の叫び。大人は真摯に向き合わなくてはいけません」
などともっともらしいことを言って騒ぎ立てる。

ただ単純に人格が未熟なだけだろ……)
そもそも「こども性悪説」に立っているボクは、決して猫なで声など出さず、
断固たる態度でルールを守らせること、譲ってはならないところは絶対譲らないこと、
と自分に強く言い聞かせている。

子どもの自我の形成に決定的な役割を果たすのは「父親の存在」だ。
自我(identity)というのは、簡単にいうとその人の「価値体系」のことだ。
正邪美醜を場面場面で瞬時に判断していく。「正しいこと」「大切なもの」「美しい行為」
といったことどもを中心に自分なりの価値体系をつくり、それを基準に物事を判断し、
生きていく。その価値体系が未成熟だと、正しい行動指針が生まれない。

いま、母性の肥大化と裏腹に父性の矮小化が進行している
父性が矮小化するとどうなるか。たとえば、教室では静かに先生の話を聞き、
公共の場では周りに気を遣い、勝手気ままにふるまわない。目上のものには
進んで挨拶をする――矮小化した父性でもって育てられた子は、
こうした当たり前のことができない。

先日、ボクにいちゃもんをつけ、哀れ鉄拳制裁を食らってしまった若者も、
たぶん自我の形成が遅れ、正しいこととと間違ったことの区別がつかない未熟な
人格なのだと思う。年かっこうから想像すると、父親はおそらく団塊の世代で、
「親と子は対等」などという美しい理念の下で子育てをしたのだろう。

福澤諭吉は《先ず獣身を成して後に人心を養え》と教えている。
子どもを育てるに際しては、まずケモノのごとく頑丈な肉体をつくり、
その後に知育・徳育をほどこす。部屋にこもってテレビゲームばかりやってきた世代は、
獣身もなければ清く正しい人心もない。「うっせえーんだよ、このクソじじい!」と下卑た言葉を
投げかけるばかりで、若者らしいすがすがしい気概などかけらもない。

「現代の遺物」を自任するボクは、「怯懦(きょうだ)は恥」と、心のどこかで思っている。
男は、負けるとわかっていても戦うべき時には戦う――たしかバイロン卿の言葉だった
と思うけど、この単純で原始的なプリンシプルがいまのボクを支えている。



小賢しい勘定など抜きに修羅場に飛び出していく本能的な瞬発力。
そのやみくもな瞬発力を養うため、いまだ老いた獣身にムチ打っている。
昔から言うではないか。
男は度胸、女は愛嬌、坊主は読経と。
 

2014年8月22日金曜日

あたしゃ悪くないもんね

昨日、朝霞警察署のご厄介になった。
朝まだきに、団地内で騒ぐ酔っ払いの若者2人を注意したら、逆にからまれ、
数発パンチ(署での供述書には〝強く叩いた〟と表現しました)を食らわせてしまったのだ。
すぐにパトカーが呼ばれ、署員6人ほどが駆けつけたが、その間、この男女の酔っ払いは
乱暴狼藉のし放題で、若いオンナのほうも「ジジイ、てめえが悪いんだろ!」などと、
口汚くののしっておった。

「もう少しきれいな日本語を使おうね」
やさしく諭してやると、ますます怒り狂い、「うっせえんだよ、このくそジジイ!」
手がつけられない。おまわりさんも呆れていたが、一応、相手のアンちゃんが
「アゴと腹に1発ずつ食らった」
と証言しているものだから、「旦那さん、申し訳ないですが署までご同行ねがえませんか」
とあくまで辞を低くして頼んでくる。しかたがないからパトカーに揺られ、
朝のドライブと洒落てみた。

ボクはたしかにジジイだが、とっても血の気の多いジジイで、
昔からケンカっ早いので有名だった。で、ケンカが強いのかというとそうでもない。
チンピラヤクザに死ぬほどボコボコにされたことがあるし、電車内で狂犬のような若者と
血を流しながら殴り合ったこともある。車内は阿鼻叫喚の大騒ぎだった。

TVコマーシャルの中で、ある年老いたプロレスラーが言ってたな。
「男はイザとなったら、両腕に女房子どもを抱えて走れるくらいの体力がなければ
ダメだ。年を取っても同じ。男とは元来そういうものなんだ」
ボクもまったく同感。イザとなったら、自分が楯になって家族を守る。
男は死ぬまで番犬で、凶暴な番犬の機能が衰えたら男を廃業するしかない。
だから、日頃から身体を鍛え、筋肉マッチョを維持している。

今どきの若者なんて、口ばっかり達者で体力はなし。殴り合いのケンカなんか
生まれてこの方したことがないから、1発アゴに食らったりするとすぐにビビってしまう。
次いで強烈なボディブローを浴びせてやれば、もう勝負は決まりだ(これ、あくまで創作ですから
誤解なきように。ボクはあくまで強く叩いただけ。もちろん自分の身を守るための正当防衛であります)。

その昔、毎日新聞コラム「余録」の名コラムニストが、バカ騒ぎしている若者たちを
注意したら、逆に返り討ちにあって死んじゃった、という事件があった。
ボクも警察署で言われた。
「へたに注意したりするともみ合いになってケガをすることがありますから、
まずまっさきに110番してください」
つまらぬ義侠心がアダになり、『無名の100円ライター 返り討ちにあってくたばる
なんて見出しが新聞の三面記事に出たりして(笑)。

でもね、ボクはそれでもいい。誰が何と言おうと〝ワル〟に対しては
ドンキホーテのように遮二無二立ち向かっていきたい。
あとで死ぬほど後悔するような臆病者にはなりたくない。
「義を見てせざるは勇なきなり」
と孔子様も言っておるではないか。
タマはもう出ないけど(最後に白い煙が出た)、「タマ無し」と呼ばれたくはないからな。

以前も言ったが、
「平和とは戦いのない状態をいう」
戦いを避けるには戦いに備えるしかない。
今回の騒ぎの一因は相手に〝タマ無しジジイ〟と見くびられてしまったためか(笑)。
あのアンちゃんもガールフレンドの前で〝ええかっこしぃ〟をしたかったのだろう。
(ふふん、こんなジジイ1匹、震え上がらせるなんぞワケないわ)
ってね。

ところが、案に相違して手強かった?
ま、あくまで正当防衛ではあるが、相手を傷つけてしまったのはまずかったな。
深く反省しておりますでございます。
まだまだ修行が足らんのよね。









あのガキ、今度会ったらタダじゃおかないからな(こりゃあかん、ぜんぜん反省しとらん)。









 

2014年8月19日火曜日

信州ぶらり家族旅

家族で信州をぐるりと旅してきた。
プランはすべて女房と娘たちが立て、おじさんはただ車を運転するだけ。
娘二人も免許証を持ってはいるが、ハンドルを握ると頭の中が真っ白に
なってしまうらしいので(筋金入りのペーパードライバーなのです)、運転はご遠慮ねがった。

運転手のつらいところは、旅館に落ち着くまでお酒が飲めないことだ。
(ああ、生ビールが飲みたい…)
と思っていても、グッとがまんしなくてはいけない。
そんな時、つい恨めしげに娘二人をにらんでしまう。
(この親不孝者めが!)

〝晴れ女〟を自任する女房と長女が同行しているにもかかわらず、
信州はあいにくの雨。それでも車から降りるたびに雨がやむのだから、
〝晴れ女〟の面目躍如たるところか。結婚して30年、この「霊力」のおかげで、
どれだけ助かったことか。

初日の昼飯は、軽井沢にあるイタリアンの「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ
この長ったらしい店名だけはいただけない。たぶん客に意地悪しているにちがいない)でとった。
シェフは小林幸司という〝ふつうじゃない〟男で、拙著の中にも出てくる天才的料理人である。
彼の料理本を何冊もまとめたフードジャーナリストの女房は、
「小林さんの料理は決してふつうにならないの。味が複雑なのよ」
と絶賛する。ボクも同感だ。彼は好んで複雑をめざしているわけではない。
単純をめざしつつも、ついには複雑の相を帯びてしまう。資質なのだろう。

この「フォリオリーナ何とか」からほど近いところに、星野リゾートの開発した
星野ハルニレテラス」がある。9棟の建物に14の個性的なショップが
ウッドデッキでつながっていて、中央には湯川の清流が流れている。
ちょっとした小粋な〝街〟というべきだろうか。

このショップの中に名にし負う「丸山珈琲」が入っていたので、
冷やかし半分に深煎りブレンド2種を買ってみた。
あとで飲んでみたが、ボクと女房の評価は「コンビニ〝街カフェ〟とどっこいどっこいかな」という辛口のもの)
このコーヒーチェーン店のオーナーは商売人としては傑出しているようだが、
コーヒーの味づくりに関しては悲しいかな二流だ。飲むたびにその思いを強くする。

さて雨空の中、軽井沢に始まって中条、上田、須坂小布施、長野と
いろんなところを回った。宿にした「やきもち家」では、信州名物の「おやき」
をいただいた。以前、信州を回ったときも腹いっぱいおやきを食べたが、
今回はほどほどにし、代わりに自家製を味わってみることにした。

さっそく昨日作ったのが野沢菜入りのおやき。で、今日は茄子をみそと砂糖で炒めた
〝茄子あん〟のおやきを作った。あんをくるむ皮は強力粉と薄力粉を同割にし、
そこに少しばかりベーキングパウダーを混ぜる。
できあがったおやき2種12個ずつは、それぞれタッパーに入れ、冷凍庫へ。
こうしておけば食べたいときにレンジでチンし、トースターでカリッとさせればいい。
ちょっと小腹の空いたときなどに、これがあれば何かと助かる。

家族旅行は楽しい。車の中は笑いが絶えず、
ふだんは横浜にいる次女も思いっきり羽を伸ばしたようだ。
娘たちがまだ小さかったころは、こうやっていつも4人で旅行した。
全員そろっての家族旅行は今回が最後だろうか…
ハンドルを握りながらも、ついそんなことを思ってしまった。



←信州名物「おやき」。
宿泊先の旅館で焼いてくれた。
辛味の効いた「野沢菜あん」の
入ったのがうまかったな
旅館やきもち家にて







 

2014年8月14日木曜日

神楽坂で日本情緒を味わう

あのマイクが帰ってきた。
アメリカ西海岸で優雅な生活をしているマイクはAll Hands Volunteersの一員でもある。
東日本大震災の際にはいち早く駆けつけてくれて、岩手・大船渡を中心に、同じく
All Handsの会員である長女といっしょに瓦礫の撤去や遺品の整理などに汗を流してくれた。

そのマイクが1年ぶりに来日した。しばらく大船渡でボランティア活動に従事していたが、
東京に戻ってからはもっぱら観光三昧。嶋中家と食事をご一緒したいというもので、
神楽坂に一席設け、歓待した。いや、実際は歓待されてしまった。勘定をぜんぶ持つと
いうのだ。ふふ……参ったな(笑)。仕方がないからご好意に甘えることにしたが、
2軒目の分はこっちが持った。

わが家の参加者はボクら夫婦と長女の3人。
相変わらず飯場人足みたいなカッコウをしたマイク。禿げ上がった頭にはいつもの
くたびれた帽子、首にはタオルを巻いていた。こっちもTシャツに短パンという貧乏人
スタイルだから、ひとのことをとやかく言えないが、飛行機はファーストクラス、
宿泊先は超一流ホテル、都内の移動はすべてタクシーというリッチな男にしては、
見た目がいかにもバランスを欠いている。

マイクは英語、それも巻き舌の〝モゴモゴ米語〟しかしゃべれないから往生する。
それも早口でまくしたてるから、さっぱり聴き取れない。
Mike, speak more slowly, please.
鍛え抜かれた?Queen's Englishで応戦すると、しばらくはゆっくりしゃべってくれるが、
そのうち忘れてしまって元の木阿弥に。もっぱら長女に通訳をたのんだ。

1軒目は創作料理の店だったが、2軒目は勝手知ったる居酒屋の「伊勢籐(いせとう)」。
〝国宝級〟などと言われるくらい昭和情緒のあふれる店で、創業は昭和12年。
今は3代目だが、先代店主には幾度も取材させてもらったことがある。

縄のれんをくぐると、左手にL字状のカウンターがあり、囲炉裏端には頭を丸め、
作務衣姿の店主が正座姿でお燗番をしている。この店には「白鷹」の燗酒しかなく、
どうしてもという客にかぎって冷や酒も出してくれる。ビールや焼酎はもちろんなし。
黙って座れば、いやも応もなく一汁四菜の料理がポンと出てくる
見れば鴨居には「静希」と書いた額が。声高にしゃべる客があると、
「お静かに願います」と店主にピシャリとたしなめられる。
酒は静かに飲むべかりけり――この店の創業来の掟である。

マイクもこんなお店は初めてなので、入るなり店のぐるりを見回して興味津々。
小上がり席の客たちが揃ってヒソヒソ声でしゃべっている光景を不思議そうに
眺めていた。谷崎の『陰翳礼讃』を地でいっているようなたたずまいは、
外国人の眼には殊のほか珍奇に映るようで、しきりに小声でvery nice! を連発していた。

たっぷり昭和初期の雰囲気を楽しんだボクたち4人は、
心もお腹も満たされ、至福のひとときを夜の神楽坂で過ごした。
マイクも十二分に満足してくれたようで、ご相伴にあずかったボクたちも
何やらホッとした気分だった。

神楽坂下までゆっくり散策したボクたちは、マイクとハグを交わし別れた。
マイクは宿泊先のホテルまでタクシーでご帰還、ボクらボンビー一家は
地下鉄で帰路についた。
「伊勢籐は気に入ってもらえたようだね」
長女がニコリと微笑むと、みな無言でうなずく。

飲むんだったら神楽坂で。
これがここ数年来のボクの心得である。
スペイン風のバルやタベルナ、トラットリアや無国籍料理の店。
ありとあらゆる酒場や料理屋が軒を並べている。
そしてときたま、芸者衆のそぞろ歩きに出くわしたりする。
こんな艶っぽい街で、艶っぽい女の子とデートをしてみたいですな。
なに? 女房が聴いてる? くわばら、くわばら。





←昔から変わらぬ「伊勢籐」のたたずまい。
自在鉤の下には炉が切ってある。







(写真提供:東京カレンダー)

2014年8月7日木曜日

プール難民の悲しき習性

連日の殺人的な猛暑。環境省は今世紀末に日本は亜熱帯化する恐れがある、と発表した。
こんなときのウォーキングやジョギングは自殺行為に等しいので(もっとも、ボクは膝が
いかれていて15分以上歩けない)、もっぱらプールで泳ぎまくっている。

とはいえ、わが町(埼玉県和光市です)の市営プールは震災時の影響で底が抜けてしまって
閉鎖され、ボクたち〝プール難民〟は必然的に水を求めて流浪することになってしまった。
最初は朝霞市のプールへ身を寄せたが、基準値を超えるレジオネラ菌が検出された
というので、ここも閉館。しかたなく、板橋区や練馬区営のプールまで遠征している。

昼間のプールは〝じじばばの巣窟〟という報告はすでにしたが、
それぞれのプールに共通しているのは、牢名主のようなボス猿が隠然たる勢力をなし、
当該プールを事実上仕切っているということだ。ボス猿は概ね60代後半から70代の
〝おじいさん〟で、その周りに50~60代のメス猿を5~6匹はべらせている。

ボクたち〝はぐれ猿〟が心すべきは、ボス猿に敬意を払い、メス猿には決してちょっかいを
出さないことだ。「泳がせていただきますでございます」とあくまで謙虚に、できるだけ
身を縮めて泳ぐこと。(ここはホームではない、アウェーなのだ)と、絶えず自分に言い聞かせ、
出すぎたマネをしないこと。ボス猿がひと泳ぎしたら、「みごとな泳ぎですね」などと褒めちぎり、
ご機嫌を取る。ついでにメス猿たちにもおべっかを使い、つとめて嫌われないようにすること
が大事だ。

それぞれのプールには〝しきたり〟がある。
板橋区営のプールで同じはぐれ猿の仲間とおしゃべりに興じていたら、
「おしゃべりはあっちでやってくれ。コース内では無用なおしゃべりは禁止だ」
と、ボス猿らしきおじいさんにひどく怒られた。

練馬区営のプールでは、片道通行のコースで、勝手にスタートしたら、
これまたボス猿の情婦みたいなおばさんにこっぴどく叱られてしまった。
まずは他の人にアイコンタクトをし、「わたくしがお先にスタートさせていただきます」という、
サインを送らなくてはいけない。で、「ああ、お先にどうぞ」のお許しが出たら、そこで初めて
スタートができる。実に、何と言おう、お行儀がよろしいのである。

ボス猿たちは絶えず群れに眼を光らせている。
流浪のはぐれ猿が群れの中の比較的若いメス猿(それでも50代だが)に気安く声をかけ、
軽口を叩いたりすると、すぐに寄ってきて無言の警告を発する。
「こいつは俺の女だ。手出しをするな!」
怖い眼でにらみつけ、闘志をむき出しにする。じいさんの示威(じい)行動だ。

ボス猿もその取り巻きたちも、概して歳を取っているから、
メス猿の前で〝ええかっこしぃ〟をしようと思っても、そのエネルギーはすでにない。
その引け目があるためか、ボクたちよそ者がこれ見よがしにスイスイ泳いだり、
華麗なるバタフライなんぞを披露したりすると、敵意をむき出しにしてにらむ。
こうなると、ただでは済まない。

孔子様は言われた。
《六十にして耳順(みみした)がう。七十にして心の欲するところに従って矩(のり
をこえず》と。

でも、こんなの嘘っぱちだ。
年寄りのバカほどバカなものはない
師匠・山本夏彦の言葉だが、こっちのほうがすんなりと胸に落ちる。
人間は猿より頭の毛が3本多い分だけ利口なのだ、といわれるが、
にわかに信じがたい気がしている。








←ボス猿のご機嫌取りもラクじゃない

2014年8月5日火曜日

TBSと朝日は底なしのバカップル

朝は十数年来ずっとラジオを聴いてきた。
TBSラジオの『森本毅郎・スタンバイ!』と、それにつづく『大沢悠里のゆうゆうワイド』である。
前者は20年以上続いているし、後者は28年間もつづく超の付く長寿番組である。

森本の歯切れのいいバリトンのニュース解説はとても分かりやすいし、
ただ頷くだけでほとんど声を発しないアシスタントの遠藤泰子も奥ゆかしくていい。
つづく大沢悠里は古ダヌキらしい惚けた貫禄で、酸いも甘いも噛み分けた感じ。
とりわけ金曜日担当の「さこみちよ」とのおバカでエッチなやりとりは無性に楽しい。
ここに自己チューの毒蝮三太夫が絡んできたりすると、もうひたすらグチャグチャになって、
一気に世紀末的な雰囲気が漂ってくる。このデカダン的雰囲気がまたいい。

ところが最近、森本毅郎の発言が鼻についてきた。
もともと毎日新聞系のTBSラジオだから、パーソナリティもゲストもつむじが思いっきり
〝左巻き〟ということは承知している。しかしそれらを差し引いても森本のしゃべくりが
面白いから聴き続けていたのだが、森本も老いのせいか以前にも増して左巻き傾向が
強くなり、だんだん聴いているのがアホらしくなってきてしまった。特に話題が「原発」だとか
「集団的自衛権」などというややこしい問題となると、朝日や毎日新聞の社説をそのまま
引用したかのような発言をするので、
「こいつはバカか?」と、愛想も小想(こそ)も尽き果ててしまったのである。

つい先だっての金曜日はゲストが評論家の小沢遼子だった。
もと「ベ平連」の女闘士で、天皇制打倒では森本と思想信条を同じうしているオバサンだ。
この小沢が、与謝野晶子の詠んだ『君死にたまふことなかれ』を取り上げ、こう曰うたのだ。
この歌は第2次世界大戦中、(昭和)天皇のためにドンパチやってる時に
詠まれたもので……》

ボクは放送を聴いていて、思わずわが耳を疑った。
(プッ……バカも休み休み言ってくれよな。たしかに(晶子は)1942年まで存命だったけど、
よりにもよって第2次世界大戦はねえだろ……評論家というのはこの程度の教養でメシが
食えるのかよ。ずいぶん楽チンな商売だな)

ブログ内の『反戦詩なんかじゃない』にも書いたが、この『君死にたまふことなかれ』
が発表されたのは1904年(明治37年)9月の『明星』で、日露戦役の旅順攻撃に参加
していた弟・籌三郎(ちゅうざぶろう)に宛てて詠まれた歌である。当時は、戦争なんて士族が
するもの、という認識があって、堺の商人の息子である弟がなにも異土の骸になることは
ないんだよ、と姉の晶子が切々と呼びかけたものである。

森本も別段、放送中に間違いを訂正していなかった……ってえことは、小沢同様、
歴史に無知なのか、それとも盟友の小沢にちょっぴり遠慮したのか、
そこのところはよく分からないが、いずれにしろ公共の電波を使いながらの
チョーお粗末なウソ話で、聴取者も迷惑なら反戦のダシに使われた与謝野晶子も
大いに迷惑、いい面の皮なのである。

日教組はこの歌を〝反戦詩〟の代表作みたいに喧伝しているが、
当時の戦争観が現代の戦争観と異なることは論を俟たない。
だいいち反戦詩だったら雑誌『明星』は発禁処分にされたはずだが、
そんな事実はまったくない。
左巻きの日教組が教宣活動に利用しようと、故意に反戦詩に仕立て上げた。
それがことの真相なのである。

骨の髄までおバカな森本&小沢よ!
だれだって戦争なんて御免だし、戦争には絶対反対なのですよ。
どうやったら戦争にならずに済むか。あなたたちは平和憲法の、とりわけ第9条を
守り、集団的自衛権にも反対すれば戦争は起こらない、と主張するわけだけど、
ボクたち右巻きはその反対で、憲法を改正し、しっかり軍備を整え、アメリカとの
軍事同盟を強めておけば、自ずと戦争が避けられるという考え方だ。
簡単に言ってしまえば、
腕っぷしの強そうな筋肉マッチョに殴りかかろうとする愚か者はいない
という理屈である。

「戦争反対」というゴールは同じだけれど、アプローチの仕方がまるで正反対。
ついでに言うと、ボクたち右巻きの考え方のほうが世界的には主流で、
森本&小沢組の考え方を披瀝したら「アホとちゃうか?」と笑われるのは必至だ。
なぜか? ボクたち右巻きは世界中がそうであるように「性悪説」に立ち、
左巻きたちは「鳩山のお坊ちゃま」がそうであったように、
また夢見がちな乙女が抱くような「性善説」に立っているからである。

戦後、70年もの間、曲がりなりにもボクたちは平和に暮らすことができた。
朝日の主張と逆のことをやれば国の安寧が保てる》とは、
われら右巻きの考え方だが、まさに戦後70年、朝日・毎日、旧社会党や共産党の主張と
正反対の政策をおこない、経済の繁栄と国の安全が保たれてきた。
その政権を担ってきたのはいったいどこの政党か?
森本や小沢が蛇蝎のごとくきらう自由民主党ではないか。
彼らは自民党のおかげで平和と豊かさをぬくぬくと享受してきたクセに、
自民党を心底憎んでいる。
これはいったいどういうことなのか。

ボクは内村鑑三の言った《平和なときの平和論》という言葉を思いうかべる。
内村曰く。
《平和なときに平和論を蝶々するものは戦争になると黙して、たちまち戦争支持に転じ、
支持しないものがいると支持する仲間に引きいれようとする。それでも平和論を唱えて
やまないと、見放して当局に密告するか、石を投げる。投げるのは他ならぬあの平和な
ときに平和論を唱えていた者どもだ》


ジャーナリストの堤堯(つつみぎょう)が言っている。
《戦いを避けるには、戦いに備えるしかない。
これが古今東西の鉄則だ。だから「武」という字は、
「戈(ほこ)」を「止」めると書く》








←もう聴いてやらないもんね!
ついでに「聞く朝刊」は間違いで「聴く朝刊」が正しい。
聞くは英語でいうとhearで〝きこえてくる〟の意。
意志的にきくは「聴く」でlistenを使う。






※追記
5日、朝日新聞は5日の朝刊で、いわゆる「従軍慰安婦問題」をめぐる報道で、
〝一部?〟誤りがあったと認めた。その1つは済州島での〝慰安婦狩り〟だが、
それをあったとする「吉田(清治)証言」は虚偽だった、と32年ぶりに認めた。
〝性奴隷〟という不名誉な言葉を世界に拡散させ、日韓関係を冷却させるきっかけを作った
朝日の記事。朝日新聞社長を国会に喚問し、その事実関係を糺すことが求められる。
ああ、それにしても32年とは! この新聞社は根太から丸ごと腐っている。
日本の名誉のために、「朝日不買運動」が澎湃として起こらんことを祈って……