若い時分は近・現代詩ばかり読んでいた。
朔太郎、中也、富永太郎、鮎川信夫、田村隆一、ランボー、マラルメ、ボードレール……
変わり種では沖縄出身の放浪詩人・山之口貘がいた。
貘さんの詩はゆる~いフンドシみたいで、ついクスリと笑ってしまうのだけれど、
どこか物悲しい。
★若しも女を掴んだら
若しも女を掴んだら
丸ビルの屋上や煙突のてっぺんのような高い位置によじのぼって
大声を張りあげたいのである
つかんだ
つかんだ
つかんだあ と張りあげたいのである
掴んだ女がくたばるまで打ち振って
街の横づらめがけて投げつけたいのである
僕にも女が掴めるのであるという
たったそれだけの
人並みのことではあるのだが
貘さんは池袋駅西口にある「おもろ」という沖縄料理の店によく出没した。
おもろはボクの好きな店の一つで、2階席に上がると貘さんが手笛を吹きながら
踊っている陽気な写真が飾られている。
店の暖簾をくぐると左側にL字型のカウンター席がある。
そのカウンター席の左のどんづまりが貘さんの指定席で、
いつも静かにカラカラを傾け、泡盛を舐めるように飲んでいたという。
ボクは貘さんの温もりを感じたくて、よくその席に座らせてもらった。
貘さんがふれたであろう飴色のカウンターを愛おしげに撫でさすったこともある。
ボクの頭をガツンと一撃し、メロメロにさせた詩がこれ。
★座蒲団
土の上には床がある
床の上には畳がある
畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽という
楽の上にはなんにもないのであろうか
どうぞおしきなさいとすゝめられて
楽に坐ったさびしさよ
土の世界をはるかにみおろしているように
住み馴れぬ世界がさびしいよ
突然、貘さんの話を始めたのは、本棚を整理していたら「山之口貘全集」(思潮社)
がひょっこり顔を出したから。埃を落としぺらぺらめくっていたら、
なんだか急に懐かしくなって、あらかた読んでしまった。貘さんの詩を読んでいると、
どういうわけだか人恋しくなってきて、それこそ泡盛でもちびちびやりたくなってしまう。
さて、恥ずかしながらこの拙稿がブログを始めてから通算500本目に当たる。
2009年12月に始めたから、5年と2カ月。平均すると月に8本の駄文を
倦かずにアップしてきた勘定になる。何をやっても三日坊主のじいさんが、
よくまあ、続いたものである。
貘さんは池袋西口の「珊瑚」(閉店)と「おもろ」が贔屓だった。
その貘さんがこんなとぼけた詩を残している。
★人の酒
飲んでうたっておどったが
翌日その店の名をきかれて
ぼくは返事にこまった
人の酒ばかりを
飲んで歩いているので
店の名などいらないのだ
ボクも貘さんのように、
できるだけ人の酒ばかりを飲み、
歌って踊って、いたずらに馬齢を重ね、
べんべんと生き長らえる覚悟であります。
日本国を愛し、朝日の新聞紙(しんぶんがみ)を憎み、
餓狼のような隣国どもとの断交を希い、
かつ死ぬほどおヒマな方は、
今後とも、倦かずにつき合ってくださいまし。
そのうち、きっといいことがあります。
←慢性的金欠病だった貘さん。
だからこそすばらしい詩が書けたんだろうな。
写真を見ると、豪壮なお屋敷に住んでいるみたいだけど、
軒先三寸を拝借して居候を決め込んでいるだけ。
貘さんは生涯お金に縁がなかった。
まるで誰かさんみたいだ。
朔太郎、中也、富永太郎、鮎川信夫、田村隆一、ランボー、マラルメ、ボードレール……
変わり種では沖縄出身の放浪詩人・山之口貘がいた。
貘さんの詩はゆる~いフンドシみたいで、ついクスリと笑ってしまうのだけれど、
どこか物悲しい。
★若しも女を掴んだら
若しも女を掴んだら
丸ビルの屋上や煙突のてっぺんのような高い位置によじのぼって
大声を張りあげたいのである
つかんだ
つかんだ
つかんだあ と張りあげたいのである
掴んだ女がくたばるまで打ち振って
街の横づらめがけて投げつけたいのである
僕にも女が掴めるのであるという
たったそれだけの
人並みのことではあるのだが
貘さんは池袋駅西口にある「おもろ」という沖縄料理の店によく出没した。
おもろはボクの好きな店の一つで、2階席に上がると貘さんが手笛を吹きながら
踊っている陽気な写真が飾られている。
店の暖簾をくぐると左側にL字型のカウンター席がある。
そのカウンター席の左のどんづまりが貘さんの指定席で、
いつも静かにカラカラを傾け、泡盛を舐めるように飲んでいたという。
ボクは貘さんの温もりを感じたくて、よくその席に座らせてもらった。
貘さんがふれたであろう飴色のカウンターを愛おしげに撫でさすったこともある。
ボクの頭をガツンと一撃し、メロメロにさせた詩がこれ。
★座蒲団
土の上には床がある
床の上には畳がある
畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽という
楽の上にはなんにもないのであろうか
どうぞおしきなさいとすゝめられて
楽に坐ったさびしさよ
土の世界をはるかにみおろしているように
住み馴れぬ世界がさびしいよ
突然、貘さんの話を始めたのは、本棚を整理していたら「山之口貘全集」(思潮社)
がひょっこり顔を出したから。埃を落としぺらぺらめくっていたら、
なんだか急に懐かしくなって、あらかた読んでしまった。貘さんの詩を読んでいると、
どういうわけだか人恋しくなってきて、それこそ泡盛でもちびちびやりたくなってしまう。
さて、恥ずかしながらこの拙稿がブログを始めてから通算500本目に当たる。
2009年12月に始めたから、5年と2カ月。平均すると月に8本の駄文を
倦かずにアップしてきた勘定になる。何をやっても三日坊主のじいさんが、
よくまあ、続いたものである。
貘さんは池袋西口の「珊瑚」(閉店)と「おもろ」が贔屓だった。
その貘さんがこんなとぼけた詩を残している。
★人の酒
飲んでうたっておどったが
翌日その店の名をきかれて
ぼくは返事にこまった
人の酒ばかりを
飲んで歩いているので
店の名などいらないのだ
ボクも貘さんのように、
できるだけ人の酒ばかりを飲み、
歌って踊って、いたずらに馬齢を重ね、
べんべんと生き長らえる覚悟であります。
日本国を愛し、朝日の新聞紙(しんぶんがみ)を憎み、
餓狼のような隣国どもとの断交を希い、
かつ死ぬほどおヒマな方は、
今後とも、倦かずにつき合ってくださいまし。
そのうち、きっといいことがあります。
←慢性的金欠病だった貘さん。
だからこそすばらしい詩が書けたんだろうな。
写真を見ると、豪壮なお屋敷に住んでいるみたいだけど、
軒先三寸を拝借して居候を決め込んでいるだけ。
貘さんは生涯お金に縁がなかった。
まるで誰かさんみたいだ。