2013年9月30日月曜日

ハイカラ祖父さんに会いたい

ボクは父方も母方も祖父のことは何ひとつ知らない。
父方の祖父は40で亡くなり、母方の祖父も若くして死んだという。
祖母さんは記憶にあるが、祖父さんは見たことがない。
聞けば母方の祖父鈴木諒二は素封家の出で、新聞記者を生業(なりわい)にし、
外国への渡航経験も複数回あるという。写真を見るとハイカラな伊達男で、
どこか面差しがボクに似ている。大変な酒豪で、
死んだら酒樽に浸けてくれ」が遺言だったという。
飲兵衛とは聞いてたが、なんとも呆れたじいさんである。

一方、父方の祖父のことは何も聞いていない。
「寅三」という名前だけがわかっている。
父が「岩蔵」で、堅物というより石部金吉金仏みたいな男だったから、
寅三じいさんもおそらくクソ真面目で面白味のない男だったに違いない。

いま悔やまれることは、祖父母の話をもっと聞いておけばよかったということだ。
祖父母がいなかったら、もちろんボクなどこの世に存在しないし、
娘たちだって生まれていない。祖父母のことだけではない。
もっと遡って曾祖父母、高祖父母のことを何ひとつ知らないのだ。

韓国だったら「族譜」というのがあって、30代前くらいのご先祖まで遡れるという。
ニセモノがかなりあるとはいうが、祖父母の名前すらウロ覚えの日本人とは
大違いである。

もし娘たちが結婚し子をもうけたら、ボクは自動的に「お祖父さん」となる(当たり前だ)。
で、もしボクが佳人薄命(←美人に使う言葉だろ!)で、孫の顔も見ずに死んでしまったら、
孫たちはどんなじいさんを想像するだろうか、
とつらつら考えてみたわけだ(←原稿に追われ、そんなヒマないはずだろ!)。

幸か不幸か、ボクにはささやかな著作がある。
なかにはエッセーみたいなものもあるから、それを読めば、
「ハハーン、じいさんはこんな立派な(愚かな?)ことを考えていたんだな」
と、ある程度はその〝人物像〟を想像することができるだろう。

それにおやじバンドをやっていた頃の颯爽たる映像がDVDにされて何枚もある。
テレビに出た時の録画映像もある。一般誌の連載エッセーだってある。
さらにはこの『忘憂日誌』という高尚高雅なブログもある。
じいさんに関する情報は山ほどあるのだ(そんなもん知りたくねーや、と言われりゃそれまでだけど)。

かつては個人が情報を発することはマレだった。
情報発信は新聞雑誌や放送メディアの専売特許で、
われわれはただそれを受信するだけだった。

しかし今は違う。インターネット時代になってSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が
普及すると、フェイスブックやミクシィなどで世界に情報を発信できるし、
動画サイトで人気が出れば、一躍〝時の人〟にだってなれる。

また友達リクエストに気安く応じていけば、容易に〝友達の輪〟をつくることができ、
擬似家族的なコミュニティを形成することもできる。そのなかで〝いいね、いいね〟と
褒め合い慰め合えば、少なくとも自慰行為の代償くらいにはなるだろう。

ボクは祖父母の情報がなさすぎて当惑しているところだが、
孫たちはジジババ情報の洪水のなかで、逆にアップアップしてしまうかもしれない。
情報というのはなくても困るが、ありすぎても困る。
情報過多の時代に生まれるだろう孫たち(まだまだ先の話だろ)に、
ちょっとばかり同情する。
 

しかし、ボクの祖父さんが新聞記者だったというのはおもしろい。
当時(明治期)の新聞記者は〝羽織ゴロ〟と呼ばれる世間の鼻つまみ者。
これもボクの祖父さんらしくて実にいい。
それにウワバミみたいな酒豪(アル中かも)だったというのも嬉しい。

隔世遺伝というのはあるらしいから、せいぜい早死にしないように
気をつけなくっちゃ、と言ってる先から酒ばかり飲んでいる。
早世(←還暦すぎたのに図々しい)どころか百まで生きて、
子や孫から「早くくたばってしまえ!」と石もて追われたりして(笑)。
人間、一寸先は闇でござんす。



←磯野家の家系図。
こんな楽しい家系図だったらいいね

2013年9月26日木曜日

伊達の「シャラップ!」に倍返しだ

クルム伊達公子(42)が、たび重なる観客の〝ため息〟に激怒して、
思わず「Shut up シャーラップ(黙れ)!」と声を荒げた。←shut upはかなり乱暴な表現です

24日、東京・有明テニスの森公園でおこなわれた東レ・パンパシフィックオープンの
シングルス2回戦で、伊達はオーストラリアの選手と対戦し、惜しくも敗れてしまった。
第1セットを落とし、第2セットで巻き返しを図ろうとした伊達は、必死にボールに
食らいついた。しかし奮戦むなしくボールはネットに。すると観客は「あ~あ!」。
伊達はマジ切れして英語で「シャーアアアアアアラップ!」と吼えた。

その後、タイブレークとなり、息をのむ場面で伊達は痛恨のサーブミス。
7000人収容のスタンドからは悲鳴のような〝ため息〟がまたもれた。
すると伊達はまたまたブチ切れて、観客席に向かって「ため息ばっかり!
一声吼え、怒りを爆発させた。観客たちはキョトンとし、いつしかしらけ鳥が。

結局、試合は2-0で伊達の敗退。
伊達はよほど癇にさわったのか、試合後の記者会見でも、
「欧米(の応援は)はそうじゃない」などと、日本の観客の応援マナーを批判。
同じ〝ため息〟でも欧米のは「オォー(↑)」とポジティブで、日本のは「アァー(↓)」
と暗く沈みこむみたいにネガティブなのだという(←オォーとアァーの違いかよ)。
もっと選手の背中を押してくれるような〝明るいため息のつき方〟を、
日本の観客も学んでほしい、と注文をつけた(←ボクは檀蜜の「ハァハァ」がいいな)。

「シャラップ!」といえば先般、国連拷問禁止委員会で聴衆の笑いに「シャーラップ!」
と叫んで退任させられたアホ大使がいたが、なぜか「シャラップ」は日本人にご縁がある。

伊達のマジ切れを見てボクは、「このおばさん、自分を何様だと思ってんだよッ!」
とマジに切れてしまった。伊達を応援しようとお金を払ってチケットを買い、わざわざ
見に来てくれたお客さまに対して、「マナーを知らない」とは何たる無礼、何たる不遜!
「シャラップ!」とケンカ腰で叫ぶほうがよっぽどマナー違反だろ。

ラーメンの湯切りざるみたいなものを振りまわし、ボールを打ち返してなんぼ、
という見世物興行のかたわれでありながら、自分が〝虚業〟の世界でおまんまを
食べさせてもらっている「芸人」のひとりだってことをすっかり忘れている。

野球でもサッカーでも同じ。ちょっとばかり有名になると、自分たちが「遊芸稼ぎ人
の同類であり子孫であることをきれいさっぱり失念してしまう。昔の寄席などでは、
へたな噺家を前にした客たちは、平気で大あくびをしたり、なかには寝っ転がって
寝てしまうものもいた。しかし、ひとたび気の利いたことを言うと客はガバと起き上がって
拍手を送った。そんな客たちを相手に、噺家たちは必死に芸を磨いたのである。

観客の「こもるようなため息」が気に食わないのなら、ため息をつかせないような
手に汗握る好試合をやってみろ。世界ランキング60位のおばさんが、何寝言いってんだ!
自分の未熟さを棚に上げ、負けたのは観客の〝ため息〟のせい、などと憎まれ口を
叩いているようでは、すでにおばさんの脈は上がってるな。欧米人のため息のほうが上等、
などとラチもないことを言ってるヒマがあったら、せっせと腕を磨くこった。

すりこぎ棒のでっかい奴や、湯切りざるのでっかい奴を振りまわすだけ(野球とテニス)
あぶく銭がもらえるってことが、どんなにすばらしいことか、とくと考えたらいい。
〝虚業〟に生きるものは、お天道様の下を歩けるだけでもありがたいのだ。
平和な時代でなかったら、一粒の米さえ食えやしない。

現にボクだってクルムおばさんの同類だ。言葉という符牒を操ってメシを食う典型的な
「虚業」に生きている。米や野菜といった形あるものは何ひとつ作れず、唯一の造形物
といったら〝ウンコ〟くらいなものだ。著作? あんなものただのイリュージョンにすぎんよ。

だから銀行はわれら虚業に生きる人間を信用せず、金を貸してくれないし、ボクも借りない。
虚業に生きるものは、いつだって内心忸怩(じくじ)たる思いを噛みしめているのですよ(ウソ)。
そんでもって、原稿が書けずに、いつも出てしまう「あ~あ」という絶望的なため息。
     

     ため息は命を削る鉋(かんな)かな

削られっぱなしで、もう後がありませぬ。



←おばさん、お黙り!
なにが背中を押してくれるようなため息が欲しいだ!
見に来てくれているだけでもありがたいと思え、
このスットコドッコイ!



2013年9月24日火曜日

親日が罰せられる国

韓国のニュースの中に、酒に酔った30代の男が95歳の老人を杖で殴り殺したという
のがあった。老人が日本の植民地時代を懐かしがり称讃したから腹を立ててやった、
というのが殺害の動機である。韓国では歴史の〝真実〟を語ると殺されてしまう

ご存知かとは思うが、韓国には「親日法」という法律がある。
「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」というのが正式名で、
要は日本を褒めたりすると罰せられる、という法律だ。
罰せられないまでも、上記の老人のように私的制裁を加えられる。
あるいは社会的地位を追われたり財産を没収されたりする。
これでは誰だって口をつぐむしかない。命あっての物種だからだ。
しかしなかには勇気ある人がいる。この88歳の老人もその1人で、
韓国は歴史捏造をやめるべきだ」と動画の中で訴えている。

李完用元首相については以前ふれたことがある。
1910年の「日韓併合条約」にサインした当時の大韓帝国の首相で、
いまは憐れ国賊のひとりに数えられている。
死後、人格は好き勝手に捏造され、墓は幾度も暴かれた。
日本ではどんな悪人でも「死ねばみな仏」となるが、支那や韓国では違う。
悪人は未来永劫悪人のままで、墓は暴かれ遺体(韓国は土葬)はムチ打たれ辱められる
とても同じ人間のやることとは思えないが、ほんとうの話だからしかたがない。
李完用の場合は子孫の墓まで壊されたので、遺族は廃墓にしてしまった。

李完用は生前こんなことを言っていた。
《現在の朝鮮民族の力量をもってしては、とても独立国家の体面は保てない。
亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。
欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を
振りかざして小言を言う。気に入らぬこと甚だしいが、これは朝鮮人を同類視している
からでもある。そして日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる
唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民族が豚の境涯から脱して、
人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、実に変な話だ。
わが輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ》

そして臨終での言葉。
私の生涯は汚辱で終わるのだ。人々は栄光を度外視して汚辱の生涯だけを
拡大して伝えるだろう。それは当然のことだ。人生は動機よりも残した足跡が大事だから。
親清派や親露派には無関心の寛容を見せながら、なぜ親日派だけにそれほどに
苛酷なのか知れない。きっと、結果的に国が亡びたからそうなのだろう。
私も自主独立だけを絶対値に信じる者だ。ただその次善の策が親日であっただけだ。
なぜ併合条約に前後して、この国の独立主義者たちは私をぶち殺さなかったのか。
密かにもの足りなく思う。私はなぜ農民の子に生まれなかったのだろう。それが怨めしい》

李完用は韓国では国賊であり、売国奴であり、極悪人だ。
その代わりに日本の初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文(植民地化に反対していた)
を暗殺した「安重根」のようなゴロツキが英雄に祭り上げられている。
いったいどこの国にゴロツキを国家の英雄にする国があろうか。

あの国はおかしい。変である。狂っているとしか言いようがない。
韓国起源説」というのがある。サムライや日本刀、ソメイヨシノも韓国起源で、
孔子やキリストまで韓国人だったなどと言い、支那から猛烈な反発を浴びている
最近では世界四大文明を興したのは韓国人だった、などと放言して世界中の
失笑を買っている。たぶん劣等感の裏返しだとは思うが、ほとんどビョーキである。

執念深いところでは、相変わらず「日本海」を「東海」と呼べ、と世界中に訴えかけている。
すでに黄海を「西海」と勝手に改称し、中国人のひんしゅくを買っているのだが、
黄海を西海にしろと世界に訴えた形跡はない。標的はいつだって日本なのである。

「日本人は歴史を直視せよ!」
「歴史を忘れた民族に未来はない」
韓国人は二言目にはこう言って口角泡を飛ばす。
しかしそういう韓国には、日本の戦前と同じで「国定教科書」しかないのだ。
国定ということは、一方的な政府見解や自分たちに都合のいい歴史だけを教えられる。
つまり、昔の日本の悪名高き「大本営発表」とまったく変わらないのである。
歴史を捏造して恥じない〝ウルトラファンタジー国家〟の韓国。
「未来がない」のが韓国だってことは、すでに明々白々ではないか。

ところで、今朝の読売の朝刊(9/24付)にこんな記事(「韓国マスコミの罪」)が載っていた。
《最近、日本の外交当局者の間で「韓国嫌い」が確実に広がっている。
韓国は国際社会でいつも日本につっかかり、こちらが理屈や道理を説いても
通じないのだという。「中国のほうがよほど話ができる」。そんなぼやきすら
聞こえてくる……》

まさにそのとおり。どんなに委曲を尽くしても彼らは聞く耳をもたない。
すぐ頭に血がのぼり、暴力をふるったり日の丸を食いちぎったりする。
火病」を患っているから、なおのこと恐いし、不気味だ。

「反日」がすでに骨がらみとなれば、あとは無視するしかあるまい。
へたにつき合うと、こっちまでアホが感染(うつって)しまう。
ウソで固めた夜郎自大のゴロツキ国家。いつか天罰が下るだろう。




←四大文明はすべて韓国が起源、
とする気宇壮大な〝妄想国家〟。
この国の人間は、たぶん〝クルクルパー度〟
では世界一だろう。こんな嘘八百を
教科書に載せて教えているのだから、
呆れるどころか、ちょっと恐くなる。
世界一の〝妄想国家・韓国〟。
一番になれてよかったね(プッ)。




※お願い
右上の池で金魚を飼っております(黒1匹+赤3匹)。
忙しさにかまけて餌やりを忘れてしまうことがあります。
餌は左クリックすればいくらでも出てきます。おまけにタダです。
ご用とお急ぎでない方は、どうか餌やりにご協力ください。
金魚たちは〝愛〟に飢えております。
←←の生涯は汚辱で終わるのだ。人々は、栄光を度外視して汚辱の生涯
 だけを拡大して伝えるだろう。それは当追記然なことだ。人生は動機よりも
 ※※※※残した足跡が大事だから・・・親清派や親露派には無関心の寛容を見せ
 ながら、なぜ親日派だけにそれほど過酷なのか知れない。きっと、結果的 に国が滅びたからそうなのであろう。私も自主独立だけを絶対値に信じる者だ。ただ、その次善の策が親日であっただけだ。なぜ併合条約に前後し て、この国の独立主義者たちは私を殺さなかったのか。ひそかに物足りなく思う。私はなぜ農民の子に生まれてこなかったのだろう。それが怨めしい!」 「私の生涯は汚辱で終わるのだ。人々は、栄光を度外視して汚辱の生涯
 だけを拡大して伝えるだろう。それは当然なことだ。人生は動機よりも
 残した足跡が大事だから・・・親清派や親露派には無関心の寛容を見せ
 ながら、なぜ親日派だけにそれほど過酷なのか知れない。きっと、結果的 に国が滅びたからそうなのであろう。私も自主独立だけを絶対値に信じる者だ。ただ、その次善の策が親日であっただけだ。なぜ併合条約に前後し て、この国の独立主義者たちは私を殺さなかったのか。ひそかに物足りなく思う。私はなぜ農民の子に生まれてこなかったのだろう。それが怨めしい!」

2013年9月21日土曜日

恥ずかしき〝缶ピー時代〟

煙草は18歳から吸って48歳でやめた。ちょうど30年吸い続けたことになる。
煙草を喫んでてしみじみうまいなあ、と思ったことは幾度もあるが(仕事のあとの一服とか)、
あとは惰性でプカプカやっていただけで、ほんとうのところうまかった
のかどうかは分からない。

若い頃は粋がって、くわえ煙草で歩いたり、プカプカふかしながら
バイクに跨っていたこともある。街中には同じように粋がって歩いているお兄ちゃんが
いっぱいいるから、たぶん動物の発情期にはよく見られる現象なのだろう。
侘び寂びたおじさんの目から見ると、まるでサマになっておらず、甚だカッコ悪い。
悔しかったローレン・バコールみたいにカッコよく吸ってみろ、
と心の中で嘲笑っている。とはいっても、30~40年前の自分がまさにこの
お兄ちゃんだったのだから、冷汗三斗(れいかんさんと)の思いとはこのことだ。

雑誌記者をやっていた頃は、植木等ではないが〝日本一の驕慢&自己陶酔男〟だった。
取材先に行くと、やおら鞄から「缶ピー」を取り出してテーブルの上にドンと置く。
そして両切りのピースに火を点け、お客さんを前にさもうまそうに一服するのである。
この恫喝的パフォーマンスに、まず相手はカチンとくる。
(この若僧が……)
と敵意をむき出しにする。

実際、新人だった頃、取材先の著名な会社社長から、
君ねえ、評判わるいよ……生意気だって、みんな言ってるもの」
開口一番、強烈なパンチを喰らってしまった。
(へーえ、俺ってそんなに生意気なのか)
面と向かって言われたのは初めてだから、さすがにショックだった。
以後、態度を改め、缶ピースはやめてショートホープに変えた。←そーゆー問題かよ!

煙草だけではない、パイプもやっていた。
20代でパイプなんぞをくわえていると、まずロクなことはない。
「嘴(くちばし)の黄色い野郎が偉っらそうに……」
周囲から総スカンを食らってしまう。
あざけり笑うような視線もチクチク感じた。
しかしボクはめげなかった。

くわえ煙草といいパイプといい、20代のボクは何をそんなに粋がっていたのだろう。
いや、煙草だけではない。ウイスキーなんかもこれ見よがしにラッパ飲みしてた。
飲み屋に行けば見知らぬ客にインネンをつけ、「表へ出ろッ!」と吼えまくった
勢いよく出たはいいが、逆にボコボコにされるのが常だった。
威勢だけはいいが、からっきしケンカに弱いのである。

あの頃の自分を思い出すと、顔から火が出そうになる。
恥ずかしい。ひたすら恥ずかしい。他人様に多大な迷惑もかけた。
しかし当時の心境がどうだったのか、まるで思い出せない。
ただ粋がって自分の存在を主張したかっただけなのか。
愚かといえば、これほど愚かなことはないが、これも発情期特有の
生理現象です、と説明されれば、納得するしかない。

しかし思い出せることが1つだけある。当時読んでいた小林秀雄全集のなかの
『年齢』という小文で、その中にあるこんな一節だ。
私は、若い頃から経験を鼻にかけた大人の生態というものに鼻持ちがならず、
老人の頑固や偏屈に、経験病の末期症状を見、これに比べれば、
青年の向こう見ずの方が、むしろ狂気から遠い、そういう考えを、
持ってきたがためである……》
案の定、この箇所には赤線が引っぱってある。
「青年の向こう見ずの方が、むしろ狂気から遠い」という一節を、
免罪符代わりに使おうと、たぶん虫のいいことを考えていたに違いない。←正解!

ああ、思えば〝缶ピー時代〟が懐かしい。
あの頃は、狂犬みたいに、あたりかまわず吼えまくり咬みついていた。
「狂気から遠い」とは、とうてい思えないくらい狂っていた。
いや、いまも同じ。歯抜けジジイになっちまったが、老いた狂犬には違いない。
腐れ左翼のバカ野郎どもを見ると、欠けた歯をむいて遮二無二突っかかってゆく。
今も昔も、わたしは大バカ野郎のコンコンチキでございます。
あな、かしこ。





←ボクの最初の師匠がこの人。
大学時代はこの人の全集ばかり
読みふけっていた。
汲めども尽きぬ知識の宝庫だった。
あの節はずいぶんお世話になりました。
合掌。


 

2013年9月15日日曜日

天上大風

例によって原稿書きに追われ、連休もヘチマもない。
昨日は朝5時起きしてひたすら書きまくった(←担当編集者の目を相当意識してるな)。
出来は部分的によかったりまあまあだったり。
一応、プロ」だから、わるいというのはない。あったら金輪際仕事なんて来ない。

9月いっぱいで1冊書き上げてくれ、と編集者からきついお達しが出ている。
まだ序盤戦のつもりでいたが、すでに月の半ばに来てしまった。
後がない。だんだん崖っぷちに追い込まれていく。

自分で言うのも何だが、崖っぷちの絶体絶命というのはきらいじゃない
むしろ異常にアドレナリンが出てハイな状態が続くから、見た目はルンルンと明るく元気だ。
しかし、いつもあるところに色鉛筆や資料、辞書の類がないと神経が狂い始め、
原稿の中身も微妙に狂いが生じてくる。四六時中、戦闘モードで張りつめているため、
わずか1ミリ1センチのズレや狂いが許せないのだ。

書き仕事は終日机にへばりついている。
もともと腰痛持ちだから長時間の座り仕事は拷問みたいなものだが、
ここ数カ月はなんとか持ちこたえていた。ところが今朝、重い植木鉢を持ち上げたら
グギッとやってしまった。やばい、かなりやばい。

で、さっそくコルセット(←母の遺品です)を腰に巻いてパソコンに向かっている。
ムリはできないので、そおっと腰かけ、そおっと立ち上がる。
膝もいかれているので、高血圧の薬とともにグルコサミンを服む。

外は嵐のような雨と風。台風18号が接近しているという。
「台風って、どうして日本ばかり狙って来るんだろ。大陸は晴れてるのにね。
日本列島が防波堤の役割を果たしてるってわけか。損な役回りね……」
女房が新聞に目をやりながらボソッとつぶやいた。
たしかに損な役回りだ。支那や韓国から迷惑料を徴ってやりたくなる。

本日午後、長女は10日間の休暇をもらって南米ペルーに旅立つ。
ついこの間、エジプトやスペインに行ってきたばかりなのに、
芭蕉じゃないけど、《片雲の風に誘われて 漂泊の思ひやまず……》
といったところか。トルコでの日本人女子大生殺人事件があったばかりだから、
父親としては無事帰国するまで気が気ではない。なにしろ鉄砲玉みたいな娘で、
小田実の『何でも見てやろう』のオンナ版なのだから始末にわるい。
あのデラシネみたいな漂泊癖、いったい誰に似たんだろう。

書物の中で世界中を飛び回り、時空間をも超えて過去や未来に行ったり来たり
しているボクとしては、「百聞は一見に如かず」という諺を頭では理解しているが、
正直、それほど信じてはいない。

標高2280メートル、アンデス山麓にあるという世界遺産のマチュピチュ遺跡。
「あのあたりをグルッと回ってきます」と娘はあっけらかーんと言ってたけど、
ボクはそんなものを見るより、良寛禅師の『天上大風』の書を眺めながら、
天空高く舞い上がった童たちの凧を心に思い描いていたほうがいい。
自分もまた凧になって吹かれているような大らかな気分になってくる。

ボクも女房もどっちかというと出不精なタイプだ。
半径500メートル以内の生活圏で生きることに何の抵抗もない。
5大陸を制した長女はいったい、誰の血筋を引いたのだろう。






←良寛禅師の天真爛漫な書。
いいですねえ、風がぴゅーぴゅー
吹きわたる感じがします

2013年9月8日日曜日

東京オリンピックよ再び

2020年の東京五輪開催が決まった。
まずはめでたし、というべきか。
高円宮妃久子様安倍首相のスピーチが決め手になった、
とする外国メディアの報道もあった。たしかに流暢なフランス語と英語で被災地支援に
対する礼を述べた久子様のスピーチは堂に入ってたし、
安倍首相のスピーチも身ぶりよろしく説得力のあるものだった。
これがloopy鳩山やイラ菅、張形どぜうといった〝3バカ〟だったら、
と思うとゾッとする。安倍ちゃんが首相でほんとうによかった。

この開催決定に日本中が歓喜に沸いたが、お隣の韓国はガッカリだったようだ。
韓国は東京開催をなんとしてでも阻止しようと、直前に福島第一原発の汚染水
流出問題を大々的に報じ、東北8県の水産物の輸入を全面的に禁止する、
と発表した。日本へのマイナスイメージを世界中にアピールするためである。

ボクなんか人糞酒トンスルを愛飲し、平気でウンコを食べる食糞文化の国
〝汚染水、汚染水〟と大騒ぎするなんて、正直なに寝言を言うか、
と呆れる思いで、
「人糞酒を飲むくらいなら汚染水をバケツ一杯飲んだ方がマシ」
などと、ついナショナリスティックに反論したくなってしまう。
しかし反日で凝り固まった彼らには、そんなジョークさえも通じまい。

ある韓国人ブロガーは、
《日本は第二次世界大戦を引き起こした戦犯国であり、最近では歴史を歪曲し、
軍国主義を復活させようとしている。こんな国に平和の祭典、五輪を開催する
資格などない》
と訴え、韓国政府は、
《世界平和に逆行する行動と、外交レベルで世界にアピールすべき》
とまで言っている。

もしも東京開催となったら、
《ヒトラーが民族の優秀性を誇示した1936年のベルリンオリンピックと同じような、
歴史上恥ずべき大会になるだろう》
と憂えるだけでなく、旭日旗とハーケンクロイツ(鉤十字)をイコールでつなげる
画像まで添付、日本は〝戦犯国〟だと再三にわたってアピールしていた。

戦犯国が開催する五輪への出場はさぞ心苦しいだろうね(同情します)。
韓国はぜひとも大会ボイコットを決めてほしいものです(賛成しますわ)。

それにしても、韓(から)の国は骨の髄まで日本がきらいなんだな、
とつくづく思い知り、なんだかひどく悲しくなった。
ウソで固めた歴史を半世紀以上も教えられていると、
みなこんなふうに怒りっぽくて自己チューの、
〝恨(ハン)〟の染み込んだ卑屈な民族になってなってしまうのか。
いや、卑屈さの裏返しで逆に傲岸不遜になってしまう。

二言目には戦犯国と日本を責めるが、ベトナム戦争時に犯した韓国軍の
暴虐ぶりと比べたら、いったいどっちが〝戦犯国〟なのか、と言いたくなる。
以前も紹介したが、ベトナムには韓国人が強姦し、その結果生まれた混血児
ライタイハン(韓国人との混血児)が3万5000人もいる。また虐殺されたベトナム人(民間人)
の約80%(30万人以上)は韓国軍の手によるものと言われている。
ベトナムの〝嫌韓〟には歴とした理由(わけ)があるのだ。

こうした事実を韓国の歴史教科書は教えているのだろうか?
平気で顔を整形してしまう国は、平気で歴史をも整形してしまう。
そのツケはいつか必ず払わなくてはなるまい。
韓国の出場しない東京オリンピック……(静謐で上品なオリンピックになるだろうな
ああ、憐れむべき国、悲しい国……その名はKorea(あー、コリャコリャ)。



←7年後、日本へ外国人がいっぱい来てくれる。
それだけでも嬉しい。ボクも老骨にムチ打って、
「お・も・て・な・し」に精を出そう。

2013年9月6日金曜日

ハダカ踊りは芸術か

ニュース番組のなかで、「浅草サンバカーニバル」に跳梁(ちょうりょう)する盗撮魔たちを
特集していた。見ると全裸同然で踊り狂う踊り子たちの後ろにカメラやビデオを構える
おじさんたちが群がっている。カメラのアングルはほとんど下半身に向けられ、
お尻だけをズームで撮っているおじさんもいる。

踊り子たちが移動すると、おじさんたちもゾロゾロと移動する。
なかには最良の撮影スポットを確保しようと、人波をかき分け、
踊り子たちの真正面に飛び出すおじさんもいる。
レンズの狙う先はもちろん踊り子たちの股間である(♪静かな股間の森の影から~)。

テレビ局の回し者であるレポーターは、そんなおじさんたちの鼻先にマイクを向ける。
「ずっとお尻ばかり撮られてますが、何の目的で撮ってるんですか?」←バカ、決まってんだろ!
「………………」
「ネット上で盗撮ビデオの売り買いが行われてるようですが……」
「個人で愉しんでるだけだよ。うっせぇなー(←こいつは怪しい)」

おじさんたちに次々とマイクを向けると、ほとんど無言で無視されるが、
なかにはテレビカメラを払いのけ、全速力で駆け出すおじさんもいる(負けるな、おじさん!)。

レポーターは今度は踊り子たちにマイクを向ける。
「盗撮されていることに対してはどう思いますか?」
「正直、気持ちわるいわね。あたしたちの踊りを興味本位で見られるのは心外。
できれば〝総合芸術〟として見てほしいわ
常連だというベテランの踊り子は、立派なお尻をプルンプルンさせながら、
そう曰わった。

毎年2月に開催される本場ブラジルのリオカーニバル。
世界中から70万人の助平な観光客が押し寄せるという。
また期間中に毎年死者が200人以上出るというのもすさまじい。
そして、その4分の1が腹上死というから、何やら羨ましくなる。
聞けばドラッグをやり、下半身の暴走をコントロールできなくなってしまうらしい。
だからブラジル人は12月生まれが多いのだという(ホンマかいな!)。

そのためカーニバルの期間中、政府は2000万個におよぶ〝コンドーさん〟を
無料配布するという。1965年の「ニューヨーク大停電」で、10ヵ月後に
出生率が44%上がってしまったという轍を踏みたくないのだろう。

一方、「浅草のサンバカーニバル」は可愛いものだ。死ぬ奴はもちろん出ないし、
出るのは健気な盗撮魔のおじさんたちだけ。ボクなんかほとんど全裸に近い
かっこうでお尻を丸出しにして踊っている露出狂のダンサーのほうがよっぽど問題で、
公然ワイセツ罪でしょっ引かれるべきは踊り子たちだろう、と勝手に思っているのだが、
TバックならぬIバックショーツ(ひも無し)をまとったド派手衣裳の踊り子は、
ストリップと見まがうような挑発的ダンスを、臆面もなく「総合芸術です」と言い張っている。

「裸同然のかっこうで踊ってるんだもの、盗撮されて当然よ。
いやなら胸もお尻も隠せばいい。ホンネのところはあの胸を、
あの尻を、多くの人に見てもらいたいんでしょ?」

女房もボクと同感のようで、いかにも正義漢のようにふるまっていた
レポーター(傍若無人はそっちだろ!)に対して、満腔の怒りをぶつけていた。
わが家の住人は、いたずらに正義をふりまわす
メディアの連中が大きらいなのだ(←夫婦共に活字メディアの人間なのにねw)。

尻撮る阿呆に撮られる阿呆――どっちもどっちだな。
呆れたことに楽天やアマゾンの通販では男女向けに
Iバックショーツなるものを売っている。女はまだしも、
男でこんなものを身につける変態野郎がいるんだねェ。
驚き桃の木山椒の木であります。

〝芸術作品〟だと称する尻や股間を必死の思いで盗撮しているおじさんたち!
世間の冷たい視線など気にせず、 これからも「いいお尻」をいっぱい撮ってくださいね!
陰ながら、応援してまっせ。







←なるほど、たしかに〝総合芸術〟だ。
この撮影が「是」で、女子高生のスカートの
中の盗撮が「非」という理屈が、おじさんには
どうしても分かんないんですけどね。
見てくださいな、このはち切れそうなお肉を。

2013年9月3日火曜日

「一応、東大です…」

何度も言うけど、ボクはおじさんがきらいだ。
ほとんど憎んでさえいる。
自分がもう立派な?おじさん(おじいさんだろ!)なのに、
なぜかおじさんという種族がきらいなのである。

いやなおじさんの典型が同じ棟にいる。
このおじさんは無口で無愛想だ。笑った顔を見たことがない。
いつも不機嫌そうな顔をしていて、エレベーターに乗り合わせても、
「俺に話しかけるんじゃねえ」オーラをあたり一面にふりまいている。
こっちから挨拶すると、ニコリともせず尊大ぶった一瞥を投げかける。
「てめえいったい何様だと思ってんだよ、この唐変木のひょうろく玉め!」
ボクは心の中で顔面にパンチをお見舞いする。

このおじさん、現役時代はさぞ偉かったのであろう。
名刺を出せば、取引先の誰もが平蜘蛛のように這いつくばったに違いない。
でもね、今はただの隠居の身。昔日の栄光など、赤の他人には
何の関係もありましぇーん。だいいち、ボクはおじさんの家来じゃない。

それでもおじさんは、「下郎、下がりおろう!」といった高慢ちきな顔で、
あたりを睥睨(へいげい)する。ひとは年齢を閲(けみ)するにつれ、自負心がやわらかく
ほぐされていくものなのに、このおじさんはそんなもの、どこ吹く風だ。

噂では、おじさんは東大法学部出のエリートで、親兄弟全員が東大一家なのだという。
ボクは真のエリートは必要な存在だと思っている。こう言うと、左翼のおバカさんたちは
猛烈に反発してくる。エリートと聞くだけで敵愾心を抱いてしまうのだ。
左翼の人たちは教育があっても教養がない。そこが哀しい。
バカにつける薬はないのである。

さてéliteとはフランス語で「選ばれし者」の意だ。どんな社会、国家にあっても
優れた能力を持つエリートの存在は不可欠である。だから、
強い克己心で人一倍努力した人間に対しては、社会は相応の敬意を
払うべきなのだろうが、日本にあっては、エリートはほとんど唾棄すべき
存在と化しているのだから始末にわるい。「東大出」はその最たるものだ。

幕末の下級武士は生活が貧しく、特権など何もなかったが、
武士は四民のトップであるというエリート意識は持っていた
エリートとは、noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)という言葉があるように、
高い身分に伴う道徳上の責任を負う者のことをいう。社会のために、
自分の利益とは関係なく、何かを為す――そういう特別な責務をもつ
人間たちをエリートと呼ぶのだ。だから社会階級には関係ない。
エリートとは意識の問題であり、意欲の問題だ、と哲学者オルテガは言った。

ボクはエリート意識こそ教育の要諦だと思っている人間だが、
日本ではエリートへの風当たりが強く、まじめに勉学に励む少年少女を
「ガリ勉」だとか「点取り虫」と呼んで不必要に蔑む風潮がある。
出る杭は寄ってたかって打とうとする。また軍人エリートにミスリードされ、
散々な目に遭わされたためか、戦後の日本人はエリートを警戒し、
白眼視するようになってしまった。結果、エリートたちの精神も自然とゆがみ、
どこかニヒルな影を引きずって、世間を斜めに生きるようになってしまった。

「失礼ですが、大学はどちらですか?」
「いや、大したところじゃないです」
「なにか差し障りがありそうですね」
「いやそんなことはない。一応、東大です…」

東大出はしばしばそんな言い方をする。
たぶん、この同じ棟に住む尊大なおじさんも「一応…」のクチだろう。
素直に胸張って「東大です」と言えばいいものを、「一応」だもんね。
「一応」というのは「とりあえず・ひとまず」の意ですよ。

「とりあえず(ひとまず)東京大学に入っときました」ってか。
大したもんだよ蛙のションベン、
見あげたもんだよ屋根屋のふんどしってね。

結論? そんなものあるわけない。
寅さんと同じで、この手のインテリは虫が好かないだけ。
てめえ、さしずめインテリだな!」
駄インテリは、寅のこの一言でイチコロだ。

ボクはやっぱり「おばさん」が好き。
明日からおばさんになります。



←「さしずめ」って言葉が秀逸だな。
なかなか言えませんよ、こんなセリフは