ボクは父方も母方も祖父のことは何ひとつ知らない。
父方の祖父は40で亡くなり、母方の祖父も若くして死んだという。
祖母さんは記憶にあるが、祖父さんは見たことがない。
聞けば母方の祖父鈴木諒二は素封家の出で、新聞記者を生業(なりわい)にし、
外国への渡航経験も複数回あるという。写真を見るとハイカラな伊達男で、
どこか面差しがボクに似ている。大変な酒豪で、
「死んだら酒樽に浸けてくれ」が遺言だったという。
飲兵衛とは聞いてたが、なんとも呆れたじいさんである。
一方、父方の祖父のことは何も聞いていない。
「寅三」という名前だけがわかっている。
父が「岩蔵」で、堅物というより石部金吉金仏みたいな男だったから、
寅三じいさんもおそらくクソ真面目で面白味のない男だったに違いない。
いま悔やまれることは、祖父母の話をもっと聞いておけばよかったということだ。
祖父母がいなかったら、もちろんボクなどこの世に存在しないし、
娘たちだって生まれていない。祖父母のことだけではない。
もっと遡って曾祖父母、高祖父母のことを何ひとつ知らないのだ。
韓国だったら「族譜」というのがあって、30代前くらいのご先祖まで遡れるという。
ニセモノがかなりあるとはいうが、祖父母の名前すらウロ覚えの日本人とは
大違いである。
もし娘たちが結婚し子をもうけたら、ボクは自動的に「お祖父さん」となる(当たり前だ)。
で、もしボクが佳人薄命(←美人に使う言葉だろ!)で、孫の顔も見ずに死んでしまったら、
孫たちはどんなじいさんを想像するだろうか、
とつらつら考えてみたわけだ(←原稿に追われ、そんなヒマないはずだろ!)。
幸か不幸か、ボクにはささやかな著作がある。
なかにはエッセーみたいなものもあるから、それを読めば、
「ハハーン、じいさんはこんな立派な(愚かな?)ことを考えていたんだな」
と、ある程度はその〝人物像〟を想像することができるだろう。
それにおやじバンドをやっていた頃の颯爽たる映像がDVDにされて何枚もある。
テレビに出た時の録画映像もある。一般誌の連載エッセーだってある。
さらにはこの『忘憂日誌』という高尚高雅なブログもある。
じいさんに関する情報は山ほどあるのだ(そんなもん知りたくねーや、と言われりゃそれまでだけど)。
かつては個人が情報を発することはマレだった。
情報発信は新聞雑誌や放送メディアの専売特許で、
われわれはただそれを受信するだけだった。
しかし今は違う。インターネット時代になってSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が
普及すると、フェイスブックやミクシィなどで世界に情報を発信できるし、
動画サイトで人気が出れば、一躍〝時の人〟にだってなれる。
また友達リクエストに気安く応じていけば、容易に〝友達の輪〟をつくることができ、
擬似家族的なコミュニティを形成することもできる。そのなかで〝いいね、いいね〟と
褒め合い慰め合えば、少なくとも自慰行為の代償くらいにはなるだろう。
ボクは祖父母の情報がなさすぎて当惑しているところだが、
孫たちはジジババ情報の洪水のなかで、逆にアップアップしてしまうかもしれない。
情報というのはなくても困るが、ありすぎても困る。
情報過多の時代に生まれるだろう孫たち(まだまだ先の話だろ)に、
ちょっとばかり同情する。
しかし、ボクの祖父さんが新聞記者だったというのはおもしろい。
当時(明治期)の新聞記者は〝羽織ゴロ〟と呼ばれる世間の鼻つまみ者。
これもボクの祖父さんらしくて実にいい。
それにウワバミみたいな酒豪(アル中かも)だったというのも嬉しい。
隔世遺伝というのはあるらしいから、せいぜい早死にしないように
気をつけなくっちゃ、と言ってる先から酒ばかり飲んでいる。
早世(←還暦すぎたのに図々しい)どころか百まで生きて、
子や孫から「早くくたばってしまえ!」と石もて追われたりして(笑)。
人間、一寸先は闇でござんす。
←磯野家の家系図。
こんな楽しい家系図だったらいいね
父方の祖父は40で亡くなり、母方の祖父も若くして死んだという。
祖母さんは記憶にあるが、祖父さんは見たことがない。
聞けば母方の祖父鈴木諒二は素封家の出で、新聞記者を生業(なりわい)にし、
外国への渡航経験も複数回あるという。写真を見るとハイカラな伊達男で、
どこか面差しがボクに似ている。大変な酒豪で、
「死んだら酒樽に浸けてくれ」が遺言だったという。
飲兵衛とは聞いてたが、なんとも呆れたじいさんである。
一方、父方の祖父のことは何も聞いていない。
「寅三」という名前だけがわかっている。
父が「岩蔵」で、堅物というより石部金吉金仏みたいな男だったから、
寅三じいさんもおそらくクソ真面目で面白味のない男だったに違いない。
いま悔やまれることは、祖父母の話をもっと聞いておけばよかったということだ。
祖父母がいなかったら、もちろんボクなどこの世に存在しないし、
娘たちだって生まれていない。祖父母のことだけではない。
もっと遡って曾祖父母、高祖父母のことを何ひとつ知らないのだ。
韓国だったら「族譜」というのがあって、30代前くらいのご先祖まで遡れるという。
ニセモノがかなりあるとはいうが、祖父母の名前すらウロ覚えの日本人とは
大違いである。
もし娘たちが結婚し子をもうけたら、ボクは自動的に「お祖父さん」となる(当たり前だ)。
で、もしボクが佳人薄命(←美人に使う言葉だろ!)で、孫の顔も見ずに死んでしまったら、
孫たちはどんなじいさんを想像するだろうか、
とつらつら考えてみたわけだ(←原稿に追われ、そんなヒマないはずだろ!)。
幸か不幸か、ボクにはささやかな著作がある。
なかにはエッセーみたいなものもあるから、それを読めば、
「ハハーン、じいさんはこんな立派な(愚かな?)ことを考えていたんだな」
と、ある程度はその〝人物像〟を想像することができるだろう。
それにおやじバンドをやっていた頃の颯爽たる映像がDVDにされて何枚もある。
テレビに出た時の録画映像もある。一般誌の連載エッセーだってある。
さらにはこの『忘憂日誌』という高尚高雅なブログもある。
じいさんに関する情報は山ほどあるのだ(そんなもん知りたくねーや、と言われりゃそれまでだけど)。
かつては個人が情報を発することはマレだった。
情報発信は新聞雑誌や放送メディアの専売特許で、
われわれはただそれを受信するだけだった。
しかし今は違う。インターネット時代になってSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が
普及すると、フェイスブックやミクシィなどで世界に情報を発信できるし、
動画サイトで人気が出れば、一躍〝時の人〟にだってなれる。
また友達リクエストに気安く応じていけば、容易に〝友達の輪〟をつくることができ、
擬似家族的なコミュニティを形成することもできる。そのなかで〝いいね、いいね〟と
褒め合い慰め合えば、少なくとも自慰行為の代償くらいにはなるだろう。
ボクは祖父母の情報がなさすぎて当惑しているところだが、
孫たちはジジババ情報の洪水のなかで、逆にアップアップしてしまうかもしれない。
情報というのはなくても困るが、ありすぎても困る。
情報過多の時代に生まれるだろう孫たち(まだまだ先の話だろ)に、
ちょっとばかり同情する。
しかし、ボクの祖父さんが新聞記者だったというのはおもしろい。
当時(明治期)の新聞記者は〝羽織ゴロ〟と呼ばれる世間の鼻つまみ者。
これもボクの祖父さんらしくて実にいい。
それにウワバミみたいな酒豪(アル中かも)だったというのも嬉しい。
隔世遺伝というのはあるらしいから、せいぜい早死にしないように
気をつけなくっちゃ、と言ってる先から酒ばかり飲んでいる。
早世(←還暦すぎたのに図々しい)どころか百まで生きて、
子や孫から「早くくたばってしまえ!」と石もて追われたりして(笑)。
人間、一寸先は闇でござんす。
←磯野家の家系図。
こんな楽しい家系図だったらいいね