2013年4月25日木曜日

口のへらない隣組

麻生副総理ら閣僚たちの靖國神社参拝に、例によって支那と韓国が反発している。
自分の頭の上のハエを追っていればいいものを、「歴史認識が足りない」などと、
いつもながらゴチャゴチャとらちもないことを言っている。自分たちこそ歴史を平気で
ねじ曲げているくせに、「日本の右傾化はアジア諸国との関係を難しくする」
などと図々しくも説教まで垂れている。笑止である。

対して安倍首相は、
「金大中時代以前は(抗議が)ほとんどない。なぜ、急に態度が変わったか、
ちゃんと調べておく必要がある。中国もA級戦犯が合祀された時も、
その時の首相の参拝に抗議しなかった」
としっかり反論している。

A級戦犯合祀が一般に知られたのは、昭和54年4月19日の新聞報道からだ
(実際は、前年の秋の大例祭の前日に合祀されていた)。そして時の内閣総理大臣は
大平正芳。大平首相は同年8月15日に参拝している。もちろん、支那は何も言わなかったし、
〝火病患者〟の韓国人だって自傷行為や日の丸を食いちぎったりはしなかった。
大平が日中国交正常化の際の外相だったから遠慮したのでは、という見方もあるが、
それならばなおのこと〝ご都合主義〟としか言いようがない。

靖國神社に祀られているのはおよそ246万余の祭神だ。祀られている英霊は、
〝天皇のために忠義を尽くして斃れた人々の霊〟である。

もとは「東京招魂社」と呼ばれていて、明治12年に「靖國神社」と改称された。
殉難者の霊を祀るというのは嘉永6年(1853年)、つまりはペリー来航の年であるが、
この嘉永6年以降の国事殉難者の霊を祀るというところから出発している。
幕末の動乱はこの年に始まる、という認識なのだ。

天皇のために死んだ人々の霊、とはすなわち「官軍」のことで、皇運の挽回のために
尽力し斃れた志士たちを指している。そのため、幕府方の戦死者は靖國には祀られていない。
新撰組や会津びいきのボクなんか、「それは不公平とちゃう?」なんて思ってしまうのだが、
現実は冷厳なもの。英霊として祀られているのは、天皇のためにがんばった人たちだけなのだ。

出征する兵士たちにとって靖國神社に祀られるということは、非常な励みになった。
ちっぽけな存在に過ぎない一介の庶民の自分が、お国のために命を捨てれば、
畏れ多くも天皇陛下が直々に御親拝なさってくれる。こんなにありがたいことはない。
いいも悪いも、兵士たちの精神の拠りどころになったのが靖國神社だったのである。

あのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も日露戦争の日本軍の強さの源泉について、
《現在、戦争に召集されている何千何万という若者の口から、名誉を担いながら
故国に帰りたいなどという表現を一言も聞くことはできない……異口同音に語っている
希望は「招魂社」に長く名をとどめたいということだけである》
と記している。

しかるに今、天皇陛下は靖國神社へ参拝することはしない。
天皇・皇后両陛下のご臨席をたまわるのは全国戦没者追悼式である。
つまり、天皇は戦死した英霊たちの熱い思いに報いてはいない。

支那人や朝鮮人は何かというとA級戦犯という言葉を使う。
A級戦犯がどんな罪を犯したのかというと、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」だという。
この罪状は戦後、ドイツのニュルンベルグ裁判を開く際に即席でこさえられたもので、
まぎれもない「事後法」だ。事後法は国際法上、違法とされている。

「事後法の禁止」という法律は、
『行為時に法律上犯罪とされていなかった行為を、後に制定された法律によって
裁いてはならない』とする原則中の原則で、「遡及処罰の禁止」ともいう。

東京裁判でインドのパール判事だけがこのことを告発した。曰く、
「仮にこれ(事後法)が認められるなら、欧米列強がアジアやアフリカで行った
侵略行為こそ裁かれなければならないはず。ところが戦勝国は自分たちの罪状には
いっさいふれず、日本のみを侵略国として断罪した」
これが有名な〝日本無罪論〟である。

余談だが、東京裁判はその後、国際法学者の間では完全に否定され、
違法な裁判であったとする見方が定着している。あのマッカーサーでさえ、
1951年5月3日、アメリカ上院軍事外交合同委員会において、
「日本にとってあの戦争は、自存自衛のための戦争だった」
と証言している。あの戦争は侵略戦争などではなかった、と言っているのだ。

何度でも言う。日本にはA級もB、C級の戦犯もいない。
靖國に祀られているのは「法務死」を遂げた昭和殉難者の霊ばかりである。
靖國問題は純然たる国内問題であって、支那や朝鮮が関与すべき問題ではない。
公正と信義を有し〝平和を愛する諸国民(日本国憲法前文より)〟の支那と朝鮮の民よ、
つべこべ言わず、すっこんでろ!

2013年4月24日水曜日

いやな感じ

次女が「カレシ(今風の言い方でどうぞ)に会ってほしい」と言い出した。
何ともいえぬ〝いやな感じ〟がおそってきて、突然不機嫌になる。
理由は分からない。木の芽時だから、ともいえるし、感じやすい年頃だから、
ともいえる。いや、娘をもつ男親が人類創世以来ずっと感じてきた胸騒ぎが
〝これ〟にちがいない。

ボクは反射的に「いやだね」と言った。娘にではない。娘との仲介役をつとめている女房
にである。わが家の女3匹はスマホで結ばれている。相談事はすべて女房の担当で、
おやじは完全に干されている。癇癪持ちで、すぐ頭ごなしに「バカヤロー」と叫ぶ野蛮な
おやじなんか、とっくの昔に娘たちの視界から消去されている。

「あなたも結婚する前の自分を思い出してみればいいのよ。相手の父親から会いたくない
といわれたら悲しいでしょ? いつかは親元を離れていくものなんだから、会いたくないと
こどもみたいにダダをこねたって仕方ないじゃないの。ほんとうに勝手なんだから……」
女房は呆れ果てたという顔をして、そっぽを向いた。

カレシがどんな素性の人間かは知っている。写真も見た。
どうやら二人は、結婚を前提につき合っているらしい。
ボクは以前、娘たちの結婚相手にいくつか条件を付けたことがある。
●スポーツマンであること(できれば体育会系。でも脳みそまで筋肉というのは困る) 
●朝日、毎日、岩波の愛読者でないこと(愛読者はほとんどクルクルパーである)
●酒が飲めること(でも寝酒に三升飲む『酔いどれ小藤次』みたいな吞兵衛はお断り)
●読み書きソロバンができること(=要はふつうの教養人であればいい。学歴なんぞ問わない)
●愛国者であること(靖國参拝を課すわけではないけどね)

ほんのささやかな条件である。
守る守らないは別として、小さい頃から〝洗脳〟してきたおかげで、
娘たちは草食系のナヨナヨした男など目もくれなくなった。
戦後民主主義を信奉する左翼リベラリストも自然と消去されていった。

で、次女のお眼鏡にかなった運の悪いオトコだが、もとアメフトの選手らしく、
もくず蟹が甲冑を着たようなからだつきをしている。ボクも胸囲120センチと胸板と
面の皮だけは厚いほうだが、それよりひとまわりも二回りも大きい。

この男が朝日ぎらいで愛国者かどうかは知らない。
が、少なくとも見た目は頼り甲斐のありそうなオトコである。
娘が選んだオトコだ、おやじが「いやだ、いやだ」とダダをこねたって
所詮、結婚する時は結婚する。ムダな抵抗だと分かってはいる。
でも、この〝いやな感じ〟がなかなか拭い去れない。
婿が誰であっても、「会うのは結婚式の当日でいい」なんて思っている。

たしか以前はインテリ臭いドイツ人とつき合っていたはずなのだが、
ある日、「なんだか頼りないから別れた」と、あっけらかんと告げられた。
「日独防共協定」はこれでご破算となった。
そうそう、頼りないヤツはだめ。いざという時は鉄砲かついでお国のため、
家族のために一身を捧げる男でなけりゃね。

娘をもつ男親に必ず訪れるというこの〝いやな感じ〟。
「おまえは何にも感じないのか?」
と女房に聞いたら、
「感じるも何も、しょうがないじゃない。いつかはお嫁に行くんだから」
と、のれんに腕押しで、いっこうに張り合いがない。
これが息子だったら、女房も男親が感じるような〝いやな感じ〟を感じるのだろうか?

ああ、いつか来る日、とは分かっているが、
先延ばししてほしい気持ちと、「早く嫁に行ってしまえ!」という気持ちが
綯い交ぜになって、なんだか妙に落ち着かない。

木の芽時になると、ひとは精神に異常をきたすという。
こんな時は酒を飲んでやり過ごすしかないだろう。
誰かつき合ってくれるヒマなやつ(数人、思い浮かべてる)はいないかしら。




※追記
お見合い(何が見合いだ!)した感想;
「いやな感じ」の男は、想像以上に「いい感じ」の男であった。
悔しいけれど、それが正直な印象だ。このポンコツおやじは
ほんとうに定見がないな(笑)。











 

2013年4月22日月曜日

高倉健はダイコンなり

キネマ旬報によると笠智衆は名優なのだという。あんなもの、なにが名優なものかと
ボクなんか大根役者の最たるものと思っているが、あの死ぬまで消えなかった熊本なまりと
朴訥な演技を愛するファンは多い。

「不器用ですから」と恥ずかしそうにつぶやく高倉健も名優の一人に数えられている。
ただ黙って木偶のように突っ立っているだけの男の、いったいどこが名優なのだと、
これまた一言イヤミを言ってやりたいのだが、健さんファンは圧倒的で、多勢に無勢、
数の勢いでむりやり沈黙させられてしまう。で、ボクはそっとつぶやくのだ。
(どうひいき目に見たって、ダイコンだね、あの男は……)

さて怪優と呼ばれた三国連太郎が昇天した。昔は生国に二説あった。
鳥取といい、また群馬とも称していたのである。ボクの名付け親(?)である竹中労が、
「ところで、あんたの生国は鳥取? それとも群馬?」
と訊いたら、
「生まれたのは群馬じゃないんですか? 
なにぶん、そのときは赤ん坊だったから、まったく記憶にないんです」
とぼけた野郎である。

ひと呼んでキチガイ役者、また怪傑コジキ仮面。トップ屋・竹中労先生にいわせると、
《本人に会ってみて、タマゲちまったナ。幻滅を通りこして、悪い夢でも見てるンじゃないかと、
小生は目をこすったねエ。なるほど、超人にはちがいないが、なんともうすよごれた、
人間離れのしたバッチイ男ではあった》

三国の借金癖は有名で、いっこうにあらたまる気配はなかった。
《東映トップスター時代、ベンツに乗って撮影所にやってきながら、人の顔見れば
「五百円貸してください」というのが口癖。最近は千円に値上がりした》

名だたる借金魔の三国。あの六尺豊かなからだを縮こめ、恐縮したようなフリして
借金を踏み倒し、女のミサオを奪い、あとは野となれ山となれと、この世を斜めに
生きてきた――労先生はこう決めつけるのである。

悪い女に引っかかるだけではない。三国は金さえあれば古本を買ってしまう。
当時、映画界では、殿山泰司と一、二を争う読書家だった。それはまあけっこうなのだが、
経済観念ゼロ。おそらくつましくも賢い女房殿(何番目の?)がいなかったら、
詐欺罪か無銭飲食でムショ入りしていただろう、と陰ではしきりと囁かれていた。

一方、健さんは三国とは対照的で、実生活ではごく平凡なマジメ人間。
礼儀正しく、勤倹の精神に長け、飲む打つ買うにとんと縁がない。
ようするに、ツマラナイ人である。朴念仁、石部金吉、カナボトケなのである。
おまけに大の無口。余計なことも肝心なこともしゃべらない》(竹中労)

学園紛争華やかなりし時代、健さん扮するマジメヤクザ(?)は、
ゲバルト学生のアイドルだった。
  ♪ とめてくれるなおっ母さん、背中(せな)じゃ銀杏が泣いてるぜ
ああ、男・東大どこへ行く。

ところがマジメヤクザの健さん、任侠映画が低俗だからと、ヤクザを捨て、
ただのマジメ人間になっちゃった。そして柄にもなく芸術づいちゃった。
労先生は言っとる。
俳優にとって最も自戒すべきは、不知半解に芸術づくことだ》と。
《ヤクザ映画は無頼を描くがゆえに低俗なのではなく、
無頼を描き切れぬがゆえに低俗なのである》

好いた女房に三行半を突きつけ、長脇差(ドス)をのみ、
義理が重たい男の世界に生きんとするマジメヤクザの健兄ィ。
スクリーンではファナティックな人斬りを演じ、
それなりにサマになっていたものだが、
芸術路線に転じてからの健さんは単なる木偶(でく)に成り下がり、
かつての精彩はみじんもない。

ボクは寅さんに生き寅さんに死んだ渥美清こそ役者のホマレだと思っている。
ああ役者たちよ、まちがっても芸術家のマネだけはしないでくれ!
なに? 健さんと吉永小百合の悪口は映画界のタブー? そんなもン、知らんがな。

仄聞(そくぶん)するに、健さんの人柄はとってもいいという。男が惚れる快男児だともいう。
しかし演技の質と人となりは別。この際だ、何度でも言ってしまおう、
人物は第一級かもしれない。が、高倉健は紛うかたなきダイコンである



←「自分、不器用ですから……」と健さん。
不器用すぎるよ。でもやっぱカッコいいな。








 

2013年4月15日月曜日

オムツからオムツまでの間

よく「間がもてない」などという。
会話が途切れ、沈黙が続くと、気まずい〝間〟ができる。
若い頃はこの〝間〟が苦手だった。話の接ぎ穂を探すのにひと苦労した。
しかし、爺(じじい)になった今は、その悩みから完全に解放されている。

昔はタバコを吸ったり、酒を飲んだりしてその「間」をもたせようとあがいた。
酒やタバコは「間をもたせる」ためのツールで、いまでも酒を飲まなきゃ
間がもてない、などという人がいる。その気持ちはよ~くわかる。

昨日は叔母の一周忌の法要があり、秩父まで車で出かけた。
和光から秩父まではおよそ2時間半(渋滞なしの場合)。4~5月の観光シーズンともなると、
国道はどこも大渋滞だ。なにしろ埼玉県の南の端から北の端まで行くのだから、
渋滞に巻き込まれたら大変だ。日頃から心がけのいいボクは、万一のことを考え、
朝まだきに出かけ、秩父に着いてから喫茶店に入ってのんびり時間をつぶした。

札所十二番・野坂寺での法要と墓参が終わったあとのお斎(おとき)は
「かわ伸」での鰻と蕎麦料理。献杯の音頭で始まった歓談は気のおけないものだったが、
車で参会した者はもちろん酒が飲めない。で、例によってウーロン茶や
ノンアルコールビールで喉をうるおした。目の前に座った実兄は、ノンアルコールの
ビールなんか飲めるか、とヤケクソ気味にウーロン茶をあおっていた。
兄の言うとおり、ノンアルコールビールの味はいつだってひどいものだ。

さて「間をもたせる」という話だが、あれほど気まずい沈黙をきらったボクが、
やはり年の功で面の皮が厚くなったのか、近頃はその沈黙がまったく気にならない。
もちろんタバコやら酒といった小道具も必要ない。終始、春風駘蕩とした気分で
「間」をもたせることができるのである。たぶん他者に余計な気をつかわなくなった、
というのが大きいのかもしれない。
「あなたは要するに自己チューなのよ。人を人と思わないもんね」
女房はいつもこう言ってバカにするが、半分は当たっている。

法要の際の会食に集まったのはごく内輪の者ばかりで、
ほとんどが50~60代の従兄弟同士。こどもの頃はカワイイ顔をしていたが、
半世紀も経ってしまうとみな無残に変わり果てた姿になってしまう。
男たちは髪が抜け、醜く太り、腰が痛い膝が痛いとまずは病気自慢から会話が始まる。
女たちも文字どおりオンナを捨てた抜け殻となり、
往年の美貌と艶っぽさは見る影もない。
が、どこか煩悩から解き放たれたような顔をしていて、
〝オバサン好み〟のボクからすると、みな味わい深いいい顔をしている。

従兄弟同士といっても、小さい頃に〝遠くから顔をながめ合った〟程度の仲で、
遊んだ記憶もなければケンカした記憶もない。ただ血がつながっている(らしい)
というだけで、なぜか気安く声をかけ合っているのだから、なんともふしぎな関係だ。
お互いにお互いを知らない。そもそも飲んだり旅行したりという共通体験をもたないのだから、
それこそ話の接ぎ穂がない。若い頃だったら、さぞ気まずい雰囲気になっただろうが、
今はごくふつうに軽口をたたき合っている。それぞれ苦労して生きてきて、
それなりに年輪を重ねたおかげなのだろう、「間をもたせる」などという
つまらないことに神経を使わなくなっている。

五十路を過ぎると、身体のあちこちのパーツが錆びついてくる。
腰痛膝痛は言うにおよばず高血圧に糖尿病、白内障まで発症したものもいる。
みんな満身創痍だ。施主のT君も膝がいかれちまったようで杖をついていたが、
挨拶の中で、
「こういうあらたまった席ではなく、ごくふつうに会って酒を酌み交わしたいですね」
などと言っていた。そうだねえ、そんな時間が持てればいいねえ。
もうそれぞれの持ち時間がなくなってきているものね。

一方、母方の川越本家の跡取り息子K君は、スピーチの中で、
「毎月1回、父の墓と嫁さんの実家の墓にお参りしてます」
と殊勝なことを言い出した。若い頃に悪行の限りを尽くしたからだろう、
還暦を前にして心を入れ替えたのか、いきなり真人間になってしまった。
「どうしちゃったの? 身体の具合でもわるいの?」
「なんか魂胆があるんじゃないの?」
遠慮のない冷やかしが飛び交っていたが、善人に変身したK君はうろたえることなく、
穏やかな笑みを返していた。なんだか気味がわるい。

還暦を迎えると純真なこどもの心に先祖帰りするのか、
俗塵にまみれた心身が、洗濯されたみたいにまっさらになる。
ボクが善人になった?時機とみな歩調を合わせているから、
おそらく誰のもとにも訪れる自然現象なのかもしれない。

揃って好々爺になってしまった従兄弟たち。
善人ぶるのは気の弱りの証拠か。
もう長くはないんじゃないか、といささか心配になってくる。
ひとの一生はオムツからオムツまでの間。せいぜいみんな長生きしようね。

突然だが、ミュージカル『The Cats』の〝Memory〟の歌詞が思い出されてしまった。
Memory, all alone in the moonlight
I can smile at the old days
I was beautiful then
I remember the time I knew what happiness was
Let the memory live again

ご存知、娼婦猫のグリザベラが若く美しかった日々をふり返り、
明日の幸せを願って絶唱する曲だ。ボクはこの歌が好きで、
I was beautiful thenのくだりになると、いつも泣けてしまう。
ボクは人一倍美しかったもんね。
言ったもの勝ちだから、先に言っときます(笑)。




 

2013年4月10日水曜日

神様だって働く国

マーガレット・サッチャーはガチガチの保守主義者で、
当時、英国病に喘いでいたイギリス経済をみごとに再生させた。
《社会主義は優れた人や自分で仕事を始めて儲けようとする人の足をみんなで引っぱる。
要するに嫉妬から出ているのだ。こんなのが昔からあったら、我々はまだ石器時代だ》

日本の安倍首相もガチガチの保守主義者といわれる。
彼は、
《がんばった人が報われる社会を作りたい》
とサッチャーと同じようなことを言っている。
がんばった者が出世して金持ちになる。けっこうなことじゃないか、とボクなんか思うが、
民主党をはじめとする社会主義者たちは、このことが何より気に入らない。
日教組や自治労といったバリバリの社会主義団体が支持母体だからだろう、
カビの生えた不毛な平等論をふりかざし、底辺に全体を合わせようとする。
旧ソ連の停滞ぶりという歴史的事実から何も学んでいないのだ。

日教組流でいうなら、
「徒競走をしても最後は手をつないでみんなでゴールしましょう」
といった〝ゆきすぎた結果平等〟に執拗にこだわっている。
その結果、勉強は苦手だけどかけっこは得意、とする子の晴れ舞台が奪われてしまった。
これもある種の〝嫉妬〟から発したもの。社会主義の本質は、
出る杭は打たずにはおかないという〝嫉妬〟なのである。
Iron Ladyのサッチャー曰く、
《金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない》

劇団「四季」の浅利慶太は団員の入団式の時にいつもこう言うという。
「この世界は不平等と思え!」
手をつないでいっしょにゴールしてきた〝平等世代〟にしてみれば、
浅利の言葉は不本意だろうし、ショックだろう。演技のうまい俳優はエラくなり、
へたな俳優はいつまでも下積みのまま。思えば当たり前の話で、
勝負の世界だから、うまいとへたが劃然と分かれる。
下積みから抜け出したかったらうまくなるしか方法はない。

古来より日本人には「努力は報われる」という発想があった。
また努力が奨励されるという風土もあった。しかし戦後、
左翼勢力の間違った平等思想が蔓延するにつれ、
刻苦勉励という徳目が徐々に失われていった。

社長がトイレ掃除をする国など他にない。
「君子は心を労し、小人は肉体を労す」などと言い、
肉体労働を卑しむどこかの国とは大違いである。
儒教精神に骨の髄までおかされてしまっている国や、
労働が懲罰的なものであるとする非プロテスタンティズム(下記参照)の国々では、
働かない階級が一番エラいとされているようだが、
日本では逆に働かないものは蔑まれる。

『古事記』には天照大神が自ら蚕を飼い、機を織るとある。
この国においては、神様だって労働している。
社長が便所掃除をしてなに悪かろう。
日本はほんとうにすばらしい国だ、とあらためて思う。



※プロテスタントの徳目
●日々のパンのために蜂のように働け
●他人の汗にすがって生活するな
●汝の額に汗せよ(神がアダムに言った言葉)
●働かざる者は食うべからず(パウロ)






 

2013年4月3日水曜日

輝けウォーターボーイズ!

この数十年、同窓会のたぐいは首をすくめて見送ってきたけれど、
昨日、40数年ぶりの「プチ同窓会」に参加した。高校時代のクラブ仲間である。

ウォーターボーイズ』という映画をご覧になったことがあるだろうか。
廃部寸前の男子高水泳部のダメ男たちがシンクロナイズドスイミングに挑戦するという
爆笑コメディで、妻夫木聡や玉木宏がそのダメ男を演じ、大ヒットした映画だ。

モデルとなったのが県立川越高校の水泳部で、実はボクの出身クラブなのである。
幸いなことに、ボクたちの時代はシンクロと無縁で、恥ずかしいかっこうをしなくても済んだが、
当時もダメ男はいっぱいいて、そのダメ男4人組が雁首を揃えたのが昨夜の集まりだった。

なかでも一番のダメ男はボクで、今でも思い出すと頓死しそうになるくらい血圧が上がるので、
今まで川高水泳部出身ということはひた隠しにかくしてきた。もちろんOB会などという
恐ろしい集まりには死んでも出るつもりはない。昨夜の出席は、だから年のせいで
焼きが回ったのだ、と自分で自分に言い聞かせている。

肝煎り役を務めてくれたビッグT君は川越にある造園業者の親分だ。
すでに孫が3人もいるという温厚篤実な紳士で、ブレスト(平泳ぎ)が担当だった。
スウェーデンのウプサラ大学出身という変わり種で、当時〝フリーセックスの国〟として
知られていた国へ、何を勘違いしたのか、しゃにむに留学してしまった。

当時と同じ骨皮スジエモンのリトルT君は、6人の孫に養分を吸い取られてしまったのか、
アフリカの飢餓難民みたいに痩せさらばえ、背中をトンと押したら倒れてしまいそうだった。
40数年前も骨と皮ばかりだったから浮力がつかず、なんだか奇妙な泳ぎで水と格闘していた。
中学校で物理を教えていた、などと自慢していたが、たぶんホラだろう。

飯能の山奥で林業を営んでいるO君は典型的な末端肥大症で、手足が大きいから、
効率よく泳げた。そのためか練習時も試合時も思いっきり力を抜き、先輩たちから、
「おい、流してんじゃねえよ!」
といつも叱られていた。それでもニタニタ薄笑いをうかべて泳ぐのだから、
なんとも気色のわるい男だった。

そんなロクデナシ男たちが40年ぶりに再会した。話題は自然と部活の話になる。
インキンたむしの巣窟だったチョー不潔な部室、薄氷を砕きながら泳いだ悲しき新入生時代、
指導と称して女子高水泳部員のあらぬところを触りまくっていた助平な先輩たち……と
話のタネは尽きなかった。

「合宿時に爆睡してると、先輩たちが何とかタームという軟膏を俺たちのポコチンの先に
塗りまくるんだ。ついでに赤チンで落書きもする。こっちは疲れて死んだように眠ってるから
まったく気づかない。夢の中で、なぜかポコチンがおっ立ってカッカッと熱くなってる。
そして変な夢見てうなされるんだ」
ビッグT君が打ち明けてくれた。卒業後、いかにも唐突にスウェーデンの大学に留学したのは、
たぶんこの時の〝快感〟が忘れられなかったのだろう。何とかタームのおかげである。

みんなすっかり老け込んで、変わり果てた姿になってしまったが、
とりあえず生きていることが確認できてよかった。それと相変わらずのダメぶりも
しっかり確認できた。進化していないのはご同慶の至りで、アホは死ぬまでアホなんだ、
とあらためて認識した次第だ。外はあいにくの雨。でも心の中は晴々としていた。







←映画『ウォーターボーイズ』にはダメ男がいっぱい。
ボクたちはそいつらよりもさらにダメ男だった。

2013年4月1日月曜日

『椏久里の記録』

福島県相馬郡飯舘村に「椏久里(あぐり)」という自家焙煎コーヒー店があった。
「あった」と過去形にしたのは、2011年4月11日をもって店を閉めたからである。
福島第一原発の事故で、放射線量の高い飯舘村全域が計画的避難区域と
なったため、店をたたまざるを得なかったのだ。

椏久里のオーナーである市澤秀耕・美由紀夫妻のことは、かねてより知っている。
奥方の美由紀さんが南千住の「カフェ・バッハ」でコーヒー焙煎を学んだというので、
取材で2度ほど飯舘村の店におじゃましたことがある。

2人のなれそめが変わっている。当時、秀耕さんは役場の職員で、美由紀さんは県の
生活改良普及員をやっていた。担当は飯舘村で、農家の暮らしをよくするための
アドバイスをするというのが仕事である。ひょんなことから、美由紀さんは農家実習を
することになった。2泊3日の農業研修でお世話になる家は秀耕さんの実家だった。
美由紀さんと過ごしたこの3日間、秀耕さんは彼女と絶対目を合わそうとはせず、
ひと言も口を利かなかった。←意識過剰だったんだね。わかるなその気持ち。ウンウン……

半年後、美由紀さんは交通事故に遭ってしまう。車にはねられてしまったのだ。
ぶつけてきたのは何を隠そう秀耕さんだった。
「あれっ? あの時の実習生でねえの?」
交通事故の加害者と被害者。なんというドラマティック?な再会だろう。
この奇縁(あんまりありがたくないだろうけど)によって2人はめでたく結婚する。

秀耕さんは朴訥で物静かな純情男。美由紀さんは目のくりっとした勝ち気なお嬢さん。
おまけに美人である。2人は1男2女に恵まれ、実家の敷地内に「椏久里」をオープンする。
地域の人たちに愛される店にとどまらず、「飯舘村に椏久里あり」とその盛名は日本中に
轟いていた。そのコーヒーの名店が原発事故のあおりを食い立ち退きを余儀なくされたのである。

いま、椏久里は福島市野田町にある。2011年7月、二本松市から移築した古民家を
改造し、「ニュー椏久里」として再開したのだ。コーヒーの挽き売りを始める直前、
「コーヒーの放射線量は大丈夫ですか?」
お客さんからそんな電話がかかってきた。市澤さんはさっそく専門機関に測定してもらい、
不検出という結果を得た。

飯舘村にはいつ帰れるかわからない。もう帰れないかもしれない。
それでも故郷の村に帰れる日を夢見ながら、日々、がんばっている。
そんな2人が『山の珈琲屋 飯舘 椏久里の記録』(言叢社)という本を書いた。
焙煎の師匠であるバッハの田口護氏お薦めの書でもある。
興味のある人はぜひ手にとってほしい。

ボクも先日、遅蒔きながら福島のいわき市へボランティア支援に行ってきた。
震災から2年。わが家の女たちは陰に陽に被災地を支援してきたが、
ボクは口ばっかりで実質何もしてこなかった。せいぜい東北の酒を飲むくらいであった。
ようやく腰を上げたというていたらくで、ほんとうに情けなく思っている。

いわき市は地震、津波、火災の三重苦に見舞われ、死者数は441人。
過去に津波が来たことがなく、チリ沖地震の時も被害がなかった。
そのためか三陸の〝津波てんでんこ〟みたいな言い伝えもなく、
最新の津波対策もなかったため、被害が広がってしまった。

生徒会長をやっていた優秀な高校生が病院に入院していた老人たちを何人も救いだし、
もう1人救おうと戻ったところで津波に飲まれてしまった、という悲しい話も伝わっている。
海岸沿いには無残に破壊された堤防があちこちにその残骸をさらしている。
いかにものすごいエネルギーだったかが思い知らされる。

ボランティアに参加する人たちは、若い女性に混じってポツリポツリと
中年のおじさんがいる、という感じで、若い男性とおばさんたちがほとんどいない。
若い男の人はほとんど無関心というか、来てくれないよね
岩手・大船渡へすでに十数回支援に通っている長女もそんなことを言ってたっけ。
ボクだって偉そうなことを言えた義理ではないが、まだまだ支援の手を必要としている。
これからも都合がつけば参加したいと思っている。

福島産というだけで野菜も魚も買ってもらえない。
いわれなき風評被害は甚大だ。瓦礫(この言葉は使いたくないのだが)
も引き取ってもらえない。市内の至るところにある瓦礫の山が、
冷たい雨に打たれていた。





←飯舘村は美しい村だ。
その美しい村にもう帰れないかもしれない。
避難する時、雑誌の取材があり、市澤さんはこう訊かれた。
「あなたにとって一番大切なものは何ですか?」
「焙煎機です」
思わず答えてしまったという。