2013年6月27日木曜日

「うようよ」と「うじゃうじゃ」

風船効果balloon effect〟というのだそうだ。
一部をむりやり押さえつけると他が膨らんでしまう――だから風船効果。
(しばしばアメリカの麻薬対策を批判する際に使われる。たとえば南米コロンビアでドラッグを
厳しく取り締まると、他の国にその反動でひずみが出て、結局、元の木阿弥になるというような話)

韓国では2004年、「性売買特別法」が施行され、売春一掃作戦が開始された。
韓国は世界有数の売春大国で、2003年時点で売春業の規模が24兆ウォン
(約2兆4000億円)、GDP比で4%(2007年時には6%)、
約27万人の売春婦が従事しているという。なにしろ韓国の刑事政策研究院の発表では、
20歳以上の女性の25人に1人が娼婦だというのだから、その数の多さに圧倒される。

売春婦が都市部の花街・遊郭から一斉摘発されると、
〝職場〟を失った娼婦たちはどうするか?
それこそ〝風船効果〟で、韓国以外の国へはるばる出稼ぎに行くしかない。

韓国の国家行政機関の「女性家族部」は、海外で売春する韓国人女性の総数は
約8万人と発表した。一方、中国新華社通信は「海外で売春する韓国人女性の
総数は約10万人、そのうち5万人が日本で〝活躍(ノービザだもんね)している
と報じている。

約3万人の売春婦が渡ったアメリカでは、一部の売春宿で「東京サウナ」などと謳ったり、
1万人が活躍するオーストラリアでは「日本人女子大生18歳」などと、日本人を詐称する
インチキ広告がまかり通っているという。また、アメリカのロサンゼルス警察によると、
毎月逮捕される売春婦のおよそ9割がコリアンだという。そうした事実を重く見て、
アメリカ国務省は2006年に発表した人権報告書で、韓国を「人身売買国」に規定した。

先般、衆議院議員の西村眞悟が、慰安婦問題にからめ、
日本には韓国人の売春婦がうようよいる」と本当のことを言ったら、
日本維新の会から除名されてしまった。でもねェ、5万人もいるんだから、
〝うようよいる〟と言っても〝うじゃうじゃいる〟と言っても間違いではないよね。

当初、一部マスコミ(Aなどの反日系新聞社)の取材が相次いだが、ぴたりと熄んでしまった。
韓国政府自身が「日本には韓国人売春婦が5万人いる」とすでに発表していたため、
マスコミも追求のし甲斐がなくなってしまったからだ。ザマミロ。

最近、アメリカの一部メディアの中には旧日本軍の慰安婦のことを
comfort womenではなく性奴隷sex slavesという言い方をするところも出てきた。
大阪の橋下市長の慰安婦発言も、AP通信では《橋下が、戦争中は、
性奴隷(sex slaves)が必要だと言った》と報道している。
橋下は慰安婦comfort womenか娼婦prostitutesのつもりで発言しているのに、
故意に事実をねじ曲げた報道をしているのである。悪意としか言いようがない。

このままでは、日本人は残酷でおぞましい民族というレッテルを半永久的に
貼られてしまう。支那と韓国が捏造したウソの歴史によって、日本の子どもたちが
生涯顔を上げられず、うつむいて生きるしかない状況に追い込まれてしまうのだ。
由々しき事態である。

現在、支那を訪問中の韓国の朴大統領は、先のアメリカ訪問において、オバマ大統領に、
「東アジア地域の平和のためには、日本が正しい歴史認識をもたなければならない
と執拗に繰り返したという。北朝鮮の軍事的圧力にさらされて困っている時に、
軍事同盟国の日本をおとしめるような発言をするとは……呆れはてたバカ女である。

韓国には「事大主義(勢力の大きなものに付き随う性向)」と「夜郎自大(自分を理由もなく
デカイと勘違いする性向)」という言葉がよく似合う、とボクは再三書いてきたが、
こんな話もある。韓国は日本海を〝東海〟と呼べと、国際社会に向けてしきりに
訴えているが、実は韓国国内では黄海を〝西海〟と呼んでいる。そのくせ支那に
対しては腰が引けるのか、「黄海を西海と呼べ」などと高飛車なことは一切言わない。
長い間、支那の属国だったためだろう、その卑屈な事大主義は骨がらみなのである。

世界有数の売春婦輸出大国が、旧日本軍の慰安婦問題を俎上にのせ、
〝性奴隷〟を生んだ世にもおぞましい国、と理不尽にも日本をおとしめようとしている。
この恥知らずの国・韓国と、この先いったいどうやってつき合っていけばいいのだろう。
(国交を断絶しろ、との声も挙がっている)。

キムチとマッコリの大好きなボクは、このことを思うだけで、
夜もおちおち眠れなくなってしまうのである(ウソ、爆睡してるじゃん)。
嗚呼!



←コリアンタウン新大久保で繰り広げられた
反韓デモ。うすぎたないヘイトスピーチが
街にあふれていた。「殺せ!」とは何だ、
この無知蒙昧なバカ野郎ども! 
だから〝右翼(ネトウヨも)=無脳〟って言われちまうんだ。
どうせやるならもっとお上品にやれ!
(文句言えた義理か!)

2013年6月24日月曜日

狒々じじい悶々

■6月9日(日)
プール仲間のU氏と町田市にある旧白洲邸「武相荘(ぶあいそう)」を訪ねた。
白洲次郎・正子夫妻が60年近く住んだ茅葺き屋根の邸宅である。
GHQから「従順ならざる唯一の日本人」として畏怖された白洲次郎。
プリンシプル(自分の信じた原則)にうるさい男で、
「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」
と正子夫人も呆れている。

白洲正子は樺山伯爵家の次女として生まれた行動派の女性で、
小林秀雄や青山二郎らと親交を結び、文学・骨董の世界で思いきり翼を広げた。
「韋駄天お正」という綽名をたまわるほどのハッチャキで、彼女もまた
プリンシプルに殉じた青竹のような生涯を送った。

次郎の遺言『葬式無用、戒名不要』の直筆にしみじみ見入る。
正子の書斎もじっくり観察。古色蒼然たる本の背表紙を眺めていたら、
彼女の豊かな精神世界が眼前に広がる思いがした。もっと勉強せねば……

■◎月◇日(日)
豊島区要町にある「熊谷守一(くまがいもりかず)美術館」をひとり訪れる。
絵心などという洒落たものは持ち合わせがないが、熊谷の著作『へたも絵のうち
を読んでから、この超俗の画家に興味を掻き立てられ、いつか行こう行こうと念じていたが、
果たせずにいた。熊谷の晩年の絵はシンプルそのもので、まるで素人が描いたような
印象すら持つ。42歳で結婚、5人の子を持つが、貧乏ゆえに長女と次男を喪う。
食べるものにも事欠き、夫人は「お願いですから絵を描いてください」と再三訴えるも、
熊谷は絵筆をとることはなかった。晩年の30年間は自宅(現美術館)から一歩も出なくなり、
わずか15坪の小庭が熊谷の小宇宙となった。
作品鑑賞後、館内のカフェでコーヒーを喫し、熊谷の97年の生涯に想いを馳せた。

■▽月※日
コーヒーおたくの帰山人氏から薦められていた殿山泰司の『JAMJAM日記』を読む。
宮下順子の上で腹上死する役を演じた殿山の狒々(ひひ)じじいは、文章家としても有名。
《三文役者は虚勢を張って生きていくもんじゃけえ(三文ライターも同じじゃけえ)
《健全なる精神は不健全なる身体に宿るんだぞッ 阿呆!》
《国家も国歌も関係ねえよ。オレは1945年8月以後〈君が代〉を唄わない》
ジャズとミステリーをこよなく愛した三文役者。日記には「ヒヒヒヒ」だとか「キャンキャン」
だとか「バカヤロ!」「アホンダラ!」といった〝殿山擬音語〟がてんこ盛り。
黒メガネの似合う、まことにユニークな狒々じじいであった。

●6月23日(日)
昨日、ローマっ子のサブリナが久々に遊びに来た。相変わらずの大きなお目々で、
ジッと見つめられると吸いこまれてしまいそうになる。
「サブちゃん(北島三郎かよ!)、ボーイフレンドはできたかい?」
なにげなく訊いたら、「そのことなんだけど……」とそれはそれはこみ入った話を開チン。
絶えず言い寄ってくるA男にはまるで気がないのだけれど、想いを寄せるB男は
逆にそしらぬ顔。サブちゃんのことを好いちょるのかそうでないのか、さっぱりわからない。
「で相談なんだけど、お父さん、B男のことどう思う?」
ときたもんだ。こっちは思わず「ウーン……」。

お父さん(ボクのことです)の若い頃はまるでケダモノで、
女と見るとよからぬところへ連れ出し、衣服をひんむいては狒々じじいみたいに
けしからぬ行為に及んでいたものだが、近頃の若者は、草ばかりお食べになっているせいか、
なんとのォ生気も覇気も無く、「今日は一日ヒマなんだァ」とサブちゃんがさり気なくB男に
サインを送っても、「良い一日をお過ごしください」などというつれないメールが返ってくる。

飛びっきりの据え膳が目の前にあるっていうのに、
どこに目をつけてんだか、まるで手を出そうとしない(ああ、もったいない)。
まったく何を考えているんだか。
恋に悩むサブちゃんの運命やいかに。
ニッポンのふにゃチン野郎ども! もそっとシャキッとしろいィ、シャキッと!




←サブちゃんの写真はプライバシー保護(うるさいね、これ)の
観点から削除いたしました。グラマラスな肢体を見せられず残念。
このシルエットを見て勝手に想像してね!
ううう……もっとぶって! キャンキャン!

 

2013年6月19日水曜日

慰安婦は高給取りだった

慰安婦問題についてはずいぶん書いた(こんな辛気くさいこと、本当は書きたくないのだけどね)。
韓国・朝鮮人が難クセつけたがるのなら分かる。しかしその尻馬に乗って、
わが同胞までもが「女性蔑視」だ「人権侵害」だといきり立つのはいただけない。
なぜいただけないのか? 歴史ってものがまるで分かっていないからである。

今日の眼をもって昨日を論ずるなかれ――
これはボクの師匠・山本夏彦のことばだが、似たようなことを多くの人が言っている。
これは大事な原則だ。当時、慰安婦はたしかにいた。というより、売春婦は世界最古の職業
といわれ、今だって〝ソープ嬢〟などと呼ばれる遊女がいるし、「援助交際」の名の下に
春をひさぐ女子高生もいる。つい最近まではトルコ風呂という慰安所が至るところにあり、
それ以前は吉原や玉の井、洲崎といった赤線地帯がいっぱいあった。しかし昭和31年に
「売春防止法」が制定され、33年にはついに赤線が廃止されることになった(名目上だけどねw)。

欧米ではどうか。何かというと道徳家ぶった説教を垂れたがる先進国どもだが、
〝あっち〟のほうも先進的なのか、売春を合法化している国は意外と多い。
●デンマーク……1999年、18歳以上の売春が合法化
●オランダ……2000年、16歳以上の売春が合法化。アムステルダムには、
例の〝飾り窓の女〟がいっぱいいるし、立ちん坊(街娼)だっている。
●ドイツ……2002年、売春を合法化。売春合意年齢は21歳から。ベルリンだけでも
売春宿が700軒、売春婦はドイツ全土で40万人いる。合法化したことでドイツ政府は
ちゃっかり「sex税」まで徴収している。

いずれにしろ、ボクが6歳までは「赤線」は官許で公認されていた。つまり、戦時中は
「公娼制」が厳として存在していたのである。慰安婦というのは、いってみれば
公娼制がそっくりそのまま戦地に移行しただけのもので、なぜ慰安所をつくったかというと、
兵隊が現地の女性を強姦陵辱しないようにするためだ。それと性病防止が主たる理由である。
戦場の性と慰安婦の問題はどこの国の軍隊も抱える深刻な問題で、
それにはいろいろなタイプがある。

日本などは「慰安所併設型」タイプで、アメリカ軍は「自由恋愛型」タイプ(ものは言いようだ)、
旧ソ連や韓国(ベトナム戦争での実態を見よ!)などは「現地調達型」あるいは「強姦レイプ型」
タイプなどといわれているから、現地の女性たちにしてみれば、日本式の慰安所併設型
タイプが一番安心できるだろう。

当時合法だったものを、現在の視点(価値観)から野蛮だ、不当だと謝罪や補償の対象と
するのは法の常識に反している。当時日本は貧しかった。東北などでは貧しさゆえに娘を
売る家が多かった。日本に併合された朝鮮も同じで、40円そこそこで親に売られる娘たち
が後を絶たなかったのである。彼女たちは戦地に行って慰安婦となり、得た収入を親元に
仕送りして形ばかりの親孝行をしていた。哀しい現実である。

そのことに対して女性差別だ、人権無視だと訴えてもしかたがないではないか。
豊かになった現在のわれわれが、人権意識も希薄で貧しかった時代の日本人を
裁く権利があるのか。それに法の常識にも反している。
何度も言うが「法律不遡及の原則」というのがある。
《実行時に合法であった行為を、事後に定めた法令によって裁いてはならない》
とする近代刑法の大原則である(←それを破ったのが極東軍事裁判だった)。

戦前の朝鮮半島で発行されていた新聞には「月収は300円以上」とする慰安婦募集の
広告(写真参照)がいくつもあった。当時の将校の月給が70円(戦地手当を入れても90円)、
兵士の月給が10円以下の時代だから、その待遇のよさがわかろうというものだ。
強制連行を主張する歴史無視のおバカさんたちは、慰安婦を「性奴隷sex slave」
などと呼んでいるが、こんな高給取りの奴隷があるものか。
もし本当なら、ボクだって娘たちを売り飛ばしている。いやその前に、
〝慰安夫〟として自ら進んで応募しているだろう(おまえみたいな醜男を誰が買うか!)。
このことを裏づける資料がアメリカ国立公文書館にある。その公式文書はこれだ。
●http://texas-daddy.com/comfortwomen.html

そもそも奴隷と呼ぶこと自体が失礼千万なことで、当時の慰安婦たちを侮辱するものだと
いうことに気づいていない。愚かな連中である。アメリカのおバカな議員たちも旧日本軍の
慰安婦問題を批判しているが、いったいどこまでマヌケで恥知らずな連中なのだ。

昭和20年9月8日、アメリカ占領軍の第一騎兵師団が焼け野原の銀座に進駐してきた。
そこで日本人は初めてジープというものを見る。焼け残ったビルは次々と接収され、
いまの「和光」ビルはPX(米兵専用の店)となり、「松屋」もPXとなった。「松坂屋」は
地下一階から地下三階まで「オアシス・オブ・ギンザ」という名の慰安所になった。
そこで400人の大和撫子たちが表向きはダンサーの名目で肌身を汚していたのである。
これらはすべてGHQの命令だった(米国のバカ議員たち、もっと歴史を勉強してね!
 あんたたちの父親世代は日本人慰安婦にたっぷりお世話になったかもしれないのだから)。

♪ ああ、それなのに、それなのに、ねェ~(歌ってる場合か!)

一方、韓国人は愚かにも「女子挺身隊=慰安婦」だと勘違いしている(いや、むしろ確信犯か?)。
日本人もいっしょになってそう信じているのだから、まさに「無知は罪なるか」である。

女子挺身隊と慰安婦はまったくの別物で、前者は工場などで勤労奉仕する
女子勤労員の自主的組織のことである。ボクの母も戦時中は川越郊外(上福岡)にあった
「火工廠(かこうしょう)」に駆り出され弾薬製造に携わっていたと言っていたから、
へたをすると勤労女子学生までもが慰安婦と勘違いされてしまう。
〝身を挺する(自分の身を犠牲にして投げ出すの意)〟という言葉が誤解を生むのか、
無知というのはまったく恐ろしいものである。

この不毛な問題にふれるのは、ほんとうに疲れる。
何? 韓国人との賢いつき合い方だって? 
声をからし委曲を尽くしても、彼らはまったく分かろうとはしない。
初めから分かろうという気などないのだ。
虚勢ばかり張った〝夜郎自大〟の国は「無視」するのが一番。
(↑韓国に最もふさわしい四文字言葉は「事大主義」と「夜郎自大」「外華内貧」であります)
ボクは最近、「韓国」の二字を見るだけでイライラしてしまう。
〝ウソで固めた国〟は必ず歴史からしっぺ返しを受けるだろう。




←慰安婦の募集広告。
前払いは3000円まで可とある。
この新聞広告を見ても、「強制連行」など
なかった、ということが理解できるだろう。
慰安婦たちは家を数軒建てられるくらいの
貯金ができたといわれる。それでもなお、
日本政府から補償金を搾り取ろうとするのか。
誰が入れ知恵をしたかは知らないが、
年寄りをさらし者にして、罪深いものだ。







2013年6月14日金曜日

酔いどれ小藤次は左利き?

佐伯泰英にめっちゃくちゃハマっている。
ほとんど1日1冊のペースで読み飛ばし、
いまは『居眠り磐根シリーズ』の第18巻目を読みはじめたところだ。
すでに『酔いどれ小藤次シリーズ』の既刊分(番外篇入れて全20巻)は全巻読破してしまった。

それにしても佐伯の筆力たるやすさまじい。
20日間で1冊というペースで書き上げると聞いたが、
どうやったらそんな芸当ができるのか。
佐伯は言う。
「ほとんど粗筋は考えていません。最初の十数行が書けたら、
あとは勝手に登場人物が動いてくれますから……」

テレビでもドラマ化された『居眠り磐根シリーズ』(双葉文庫)は40数巻あり、
いまでも延々と書き続けられている。シリーズ累計がなんと1500万部というから驚きだ。
ためしに1冊平均650円としてザッと計算してみると、
650円×15000000冊×0.1(著者印税率)=9億7500万円
著者の取り分が10億円(税引前です)近いというのだから、
〝100円ライター〟のボクなんか頭がクラクラして目を回しそうになる。
このシリーズの版元の双葉社は、もうウハウハで笑いがとまらないだろう。

なぜ佐伯の時代小説はこんなにも人気があるのか。
つらつら考えてみるに、「おもしろいから」の一言に尽きようか(←当たり前だろ!)。
「小藤次」も「磐根」もストーリーの設定は驚くほど似ている。
どちらの主人公もわけあって地方の小藩を脱藩あるいは離藩。
江戸で裏長屋住まいをしながら、刀剣研ぎや鰻裂き、
時には用心棒などのアルバイトをしながら生計を立てている。

両者とも剣の達人で、向かうところ敵なし(ちょっと強すぎるかも)。
またひそかに想う女性(にょしょう)がいて、経済的に支援を惜しまぬ有力パトロンもいる。
交際範囲は広く、町奉行所や幕府の要人たちとも昵懇の間柄だ。
そして性格的にはどこか間が抜けていて、底抜けに情が深い(なんだかボクみたい)。
わずかに異なるのは「磐根」の人品卑しからぬハンサムボーイ(これもボクみたい)に対して、
「小藤次」は五十路を超えたハゲでチビで風采の上がらぬ
〝もくず蟹〟のような顔をした男だということだ。

その〝もくず蟹〟の『酔いどれ小藤次シリーズ』がついにドラマ化され、
今夜(13日、pm7:30~、NHK・BSプレミアム)お目見えする。正月に放映された
1作目の『御鑓拝借』の再放送分で、21日(金)からは毎週放映されるという。
主人公の赤目小藤次に扮するのは竹中直人。まさにイメージにピッタリの
キャスティングといえようか。田舎の義母が正月に見て絶賛したというから、
今夜はビールでも飲みながらじっくり鑑賞することにする。

若い頃はあまり小説は読まなかった。
しょせんフィクション、作り物だという思いがあって、
もっぱら小難しい社会科学系の本や評論のたぐいばかり読んで力んでいた。
学生運動が華やかなりし頃で、小説などという軟弱なものを読む雰囲気ではなかった、
ということもある。

小説のすごさを教えてくれたのはドストエフスキーだが、
いかんせん肩が凝る。もっと心から愉しめるような小説はないものだろうか。
そこで読み始めたのが司馬遼太郎や池波正太郎の時代小説である。
なかでも池波の『剣客商売』や『鬼平犯科帳』は肩が凝らずに読める本の代表だった。
それと藤沢周平の作品群。彼らが鬼籍に入ってしまったあとは、
心にポッカリ穴があいてしまった。
(これからどうやって余生を過ごしていったらいいのだろう……)

そこで登場したのが佐伯泰英だ。ボクはこの偉才の存在をまったく知らなかった。
誰かに勧められた記憶はあるにはあるが、
(どうせへたっぴぃな若手作家の一人だろ? ガッカリさせられるだけだ)
若手作家への根強い不信感がぬぐいきれなかった。いつも裏切られていたからだ。

しかし佐伯は違った。モノホンだった。それにボクより10歳も年上の苦労人だ。
何より人物描写がうまく、ストーリー展開も申し分ない。
ただ立ち合いの描写が津本陽ほどリアルでなく、毎回同じなのが玉にキズだが、
まあそれも、ご愛敬だろう。

ボクの老後の楽しみ(寝床で本を読むこと)を用意してくれた佐伯泰英に感謝。
ブランデーをちびちび舐めるように、再読三読して愉しませてもらうことにする。
粗製濫造は困るけど、どうか長生きしておもしろい小説を書きまくってくださいませ。



←『酔いどれ小藤次シリーズ』の第1作目、
「御鑓拝借」。風采の上がらぬ小男だが、
剣の腕前は並みではない。小説の中では
片想いの「おりょう様」が出てくる。これが実に
凛とした女でいいんだなァ。
ああ、ボクの〝おりょう様〟は何処に?←嬶(カカア)がいるだろ!





※追記6/15(土)
ドラマを見ての感想を一言。「ウーン、今イチかな……」
構成やキャスティングはいいのだけれど、主人公・赤目小藤次の殺陣がぜ~んぜんダメ
だった。竹中は子供の頃にチャンバラしたことがないのかしらね。それに竹中は左利きだ。
ボクは最初、わざと左に剣を持っているのかと思った。でも違った。竹中は芸能界でも知られた
〝ギッチョ〟だそうだ。立ち回りを見てると、どうしても丹下左膳とダブっちゃう。しかし
丹下左膳ほど巧くない。腰が入ってないから、つい上体だけの剣さばきになり、
リアリティが感じられない。それに竹中の必死の表情が原作の「堂々とした態度」とは
えらく離反していて、少しも強そうに見えない。やはり『シコふんじゃった』の竹中では
無理があるのか。いろいろ調べたら「武士は右利き」が絶対的な決まりなのだとか。
竹中ははまり役だと思ったが、ギッチョだったのが返すがえすも残念。


←映画『シコふんじゃった』の中の竹中。
この〝下痢ピー男〟の役は最高だった。



 

2013年6月10日月曜日

DJポリスのお兄ちゃん

虫酸が走るほどきらいなのは〝群れる若者たち〟、と再三ボクは言ってきた。
若者が群れをつくると粗忽な目立ちたがり屋が必ずしゃしゃり出てきて、
ウケを狙った大仰なパフォーマンスを演じたり、奇声・蛮声を張りあげたりする。
すると、ふだんは羊のように温和しい「その他大勢」もその尻馬に乗って騒ぎ出す。
これを「付和雷同」という。若者(ボクにはバカ者と聞こえる)の得意技のひとつである。
「和して同ぜず」なんて気概のある若者は、もうとっくに払底してしまった。

6月4日、サッカー・W杯・ブラジル大会、アジア最終予選の「日本対オーストラリア戦」が
埼玉スタジアムでおこなわれた。1対1の引き分けで、W杯大会出場を勝ち取ったのは
めでたいが、例によって渋谷駅前のスクランブル交差点には知能指数の低い若者たち
や野次馬が繰り出して、狂喜乱舞のバカ騒ぎをやらかそうという、まさにその寸前だった。

ところが今回は、大阪・道頓堀川に身投げ?する少数のバカ者たちはいたものの
(中国ではこのニュースに「日本の川は飛び込めるほどきれいなんだね」と逆に羨んだとか)、
東京渋谷では数百人規模の機動隊がスクランブル交差点とセンター街の一部を封鎖、
花火や爆竹で暴れようとする若者たちを巧みに迂回路へと誘導してしまった。
前回、お調子者の若者が商店を壊したり、タクシーのボンネットをボコボコにしたりと、
乱暴狼藉の限りを尽くしたので、警察も今度ばかりは「勝手は赦さぬ」という気構えで
きびしく臨んだようだ。

渋谷で騒ぐ若者たちは「渋谷はサッカーの聖地」だという。
が、真のサポーターからは「なんで渋谷が聖地なんだよ!」と怒りの声が上がっている。
騒いでいるのはただのお祭り好きの偽サポーターじゃないか、というわけである。
いずれにせよ、渋谷のスクランブル交差点で見知らぬもの同士がハイタッチや
ハグをして喜び合うのが、どうやら〝お洒落でカッコいい〟ということらしい。
なかにはハイタッチならぬ〝パイタッチ〟や〝下半身タッチ〟をするけしからぬ輩もいるらしく
(おじさんも内心、やってみたいと思ってる)、「聖地」は「性地」のことかと妙に納得したりする。

外国メディアも注目する渋谷のスクランブル交差点。今回の目玉は何といっても
〝DJポリス(MCポリスと言い替えろの声も)〟の登場だろう。20代のこの隊員、
第9機動隊の広報係に所属している剣道4段の猛者らしい。

(カッワゆ~いミニスカポリスだったらもっと良かったのに……)
助平なおじさんはついそう思ってしまうのだが、とにかく、見た目はごっついが
温厚そうなおまわりさんが誘導指揮官車の上でマイクを握った。
「通行妨害するとイエローカードですよ。2枚目が出る前に歩道に上がってくださ~い」
などと、暴走寸前の若者たちにユーモア(?)を交えてやさしく呼びかける。

「おまわりさんもこんな夜に怒りたくはありません。
さあ皆さん、手を挙げて横断歩道を渡れますか~?」
「ハーイ!」
「皆さ~ん、おうちに帰るまでが真の応援でちゅよ~!」
「ハーイ!」
幼稚園児かよ、こいつらは。

このDJポリス、騒乱を回避させた功で警視総監賞の授与が検討されているという。
ただ職務を遂行しただけなのに感状までもらえるとは。警察って楽チンなんだね。
「身内同士で好きなだけ褒め合ってね……」と、これはボクからの応援エール。
お返事は?
「ハーイ!」
よくできました。お利口さんでちゅねェ。



←一躍脚光を浴びた〝DJポリス〟のお兄ちゃん。
宮城県出身で、まだ独身だという。
「これを機に嫁さん候補が殺到するといいでちゅね~?」


 

2013年6月4日火曜日

東大生はアホばかり

毎週日曜日はキャッチボールの日だ。団地の仲間たちと近所の小学校校庭で
1時間ほど汗を流す。もうかれこれ5年以上続いているから、飽きっぽい性格の
ボクにしては〝一大珍事〟の部類に入る。

長く続いている要因をつらつら考えると、いくつか思い当たるフシがある。
たぶん一番の要因は運動後の〝水分?補給〟だろう。たっぷり汗をかいたボクたちは、
その足でコンビニに寄り、缶ビールとつまみを確保する。そして団地脇にある公園の
ベンチで渇いた喉をうるおし、バカッ話に花を咲かせたあと、「また来週!」といって
散会するのである。キャッチが主なのかプチ宴会が主なのか、判然としなくなっているが、
ただのキャッチだけだったら、こんなに長くは続かなかっただろう(飲んべえは意地汚いからな)。

どうせおっさんのキャッチボールだろ、などと侮ってはいけない。
最初は蝶々が止まれるくらいのゆる~い球を投げ合っていたが、肩ができるにつれ
剛速球を投げ込めるまでに進化していった。これでも若い頃は120キロ台後半の速球を
ビシビシ投げ込んでいた(スピードガンで測りました)。さすがに還暦になると球速の衰えは
いかんともしがたいが、それでも生っちょろい若者の投げるへなちょこ球よりは
数段活きがいい。

ウソだと思ったら、ためしにボクの直球を受けてみたらいい。スナップの利いた球が
手元でグーンと伸びるから、へたをすると受けそこなったりつき指をしたりする。
相棒はうっかり股間(♪静かな股間の森の陰から~)で受けてしまい、タマタマが青黒く
変色してしまった。そして数日間は閨房の褥での〝夜なべ仕事〟ができなかった
という(奥さん、ゴメンナサイ)。またフォークボールは落差が大きいので、あらかじめ
言っておかないと容易に捕球できない。われら草野球世代のキャッチボールを、
ゆめゆめ侮ってはいけないのである。

話変わって、東大の野球部の連敗が続いている。'10年秋から56連敗中というから、
その負けっぷりはみごとと言う外ない。昨夜、NHKの『クローズアップ現代』でその話題を
取りあげていた。あんまり情けないので、元巨人軍投手の桑田真澄を特別コーチに招聘
したという。桑田コーチは嘆いていた。
「投手は打たれても悔しがらない。打者は凡退しても悔しがらない。
ヘラヘラと照れ笑いをしている。これじゃあ勝てるわけがない」

東大野球部は六大学野球のお荷物と言われてきた。リーグから外せという声も出ている。
この偏差値秀才たち、練習をサボってるわけではない。むしろ逆で、練習をやりすぎてる。
1日12時間も練習するという。アホ、ボケ、カス……頭わいてんちゃうか?

さすがに桑田コーチはこのダラダラ練習をやめさせ、短時間集中型の練習に切り替えさせた。
そんなことジョーシキで、桑田でなくともわかりそうなものだが、オツムの出来が異なる
東大生と東大出の監督にはわからない。

女房の兄が東大出だから、東大の悪口を言うと何かと差し障りがありそうだが
(どうせ見てねえからいいか)、東大の野球部員の多くはこう考えるのだという。
(オレたちは野球も勉強もしなけりゃいけない。文武両道だからだ。
しかるに他大学の野球部員は勉強せずに野球ばっかりやってる。
そんな野球バカに勝てるわけないじゃん……)

自分たちが弱いのは頭のよさの裏返し? ついそんなふうに考えてしまうから、
負けが「屈辱」にならず「誇り」になってしまう。負のスパイラルはタチが悪いのだ。
しかしなんとも鼻持ちならない連中ではないか。

ボクは「真のエリート」の存在を否定しない。むしろ絶対必要だと思っている。
前号で〝世論〟というもののいいかげんさについて書いた。どの国にあっても、
大衆は愚かなもので、広い教養に支えられた大局観などあり得べくもない。

真のエリートとは何か。藤原正彦が明確に定義づけている。
文学、歴史、思想、科学などの広範な教養に裏打ちされた
圧倒的な大局観や総合判断力を有し、いざというときには
国家のために命を捧げる気概を有する者》だと。

東大野球部出の人間は、はたして真のエリートに成り得るか?
彼らは心底そう思っているだろうが、ボクはまったく思わない。
残念だが、せいぜい財務省とか県警の〝ダラ幹〟になって
部下に威張り散らすくらいが関の山だろう。
受験テクニックに長け、記憶力がいいだけの偏差値秀才
コンピュータ1台あればで間に合っちゃいます)に、
圧倒的な大局観など期待するほうがまちがっている。

ああ、東大(東京大工組合のことです)を蹴っ飛ばし慶大に行っといて、
ほんとうによかった(←こいつが一番アホや)。




←とめてくれるな、おっかさん!
ああ、親は慈悲垂れ、子はクソ垂れる。
その昔、東大でもゲバルトの嵐が
吹き荒れましたですな。



 

2013年6月1日土曜日

「世論調査」はウソっぱち

新聞・テレビ各局は何かというと「世論調査」をやる。
安倍内閣を支持するか否か? 消費税の値上げに賛成か否か?
TPP参加に賛成か否か? 橋下大阪市長の慰安婦発言は適切か否か?
テレビのニュースキャスターなどはその調査結果をまるで「天の声」のように奉り、
われら愚民を前に「民意である。頭が高~い、下がりおろう!」とばかり畏まらせる。

フン、何寝言いってやんでェ、こちとら小江戸っ子(川越生まれです)でィ、世論調査が恐くって
田楽刺しが食えるかってんだ。そもそも新聞社やテレビ局が世論調査をやること
自体がおかしいじゃねえか。

アメリカにはギャラップだローパーだピューリサーチセンターだ、といった世論調査の
専門会社があって、自主的に質問文を組んでいる。調査結果は新聞社に配信され、
一字一句といえども訂正してはいけないことになっている。客観性が保たれているのだ。

それにひき比べ、日本では多く報道機関が世論調査を実施する。
新聞は「第4の権力」というくらい世論を左右させる力を持っている。
たとえば新聞社Aが少数意見にしろ進歩的意見にしろ、
ある実現させたい意見なり抱負を持っていたとする。彼らは表現のプロだ。
その意見を裏づけるようなwording(質問文、言いまわし)なんかいくらでも
考えることができるだろう。

結果、世論はたしかにわが社(例:朝日新聞とか)の方針どおりに動いている、
それを支持している、という体裁をとることができる。たとえば朝日はこんな質問をする。
質問A:「①あなたは今の内閣を支持しますか? ②あなたの経済状態は最近厳しいですか?」
本来ならこの①~②の順番で質問すればいいものを、朝日は、
質問B:「①あなたの経済状態は最近厳しいですか? ②あなたは今の内閣を支持しますか?」
という順番で質問するのである。

よほど羽振りのいい人間でない限り、家計のやりくりについて聞かれるとつい
「ウーン」と唸ってしまう。厳しい現実が身に滲みているからだ。
で、直後に「今の内閣を支持しますか?」と聞かれるものだから、
つい勢い余って辛口評価になってしまう。こうやって世論を思う方向へと
誘導していくのである(ミスリードの何と多いことか!)。やり方がなんとも陰湿でせこい。

聞いたところでは、昔は新聞・テレビもふところが豊かで、1回に1500万円くらいの
予算を組み世論調査をしたものだが、今では経営が厳しく、その10分の1の予算で
下請けに出すという。おまけに最近の調査はRDD方式といってコンピュータに
自動的に電話番号を抽出させている。実はこの方式だと固定電話にしかかけられず、
ケータイは除外される。平日の昼間に固定電話で応対できる人といったら、
まず専業主婦がほとんどだろう。これでは〝公平な世論〟にかなりの〝偏り〟が
生じてしまう。

かつて、大戦前のアメリカでこんな実験が行われた。
質問A:「アメリカはイギリスやフランスを助けるべきですか?」
最初にこんな質問をした。それともう一つがこれ。
質問B:「アメリカはヒットラーと戦っているイギリス、フランスを助けるべきですか?」
後者の質問のほうが支持率が圧倒的に高かったという。
つまり、「ヒットラー」という感情的な形容詞を入れるだけで支持率が変わってしまうほど
世論なんてものはいいかげんで当てにならない、ということなのである。

ついでに言ってしまうと、ギャラップ社の質問項目への答えは「イエス?or ノー?」
と単純だが、日本の場合には「どちらとも言えない」という選択肢がある。
いかにも日本的といえば日本的だが、この数値が時に半数以上になったりすると、
ボクの血圧は一気に上がり、「この大バカヤロー!」と叫んでしまうのである。

「どちらとも言えない」というのは何なんだ? 「分からない」と答えるよりはメンツが
保てそうだから、どこかの策士が気を利かしたつもりなのか? こういうのを「奸智・狡知」
というのだ。要は質問に対して自分の頭で考え答えられない単なるバカではないか。
そういう輩が40%も50%もいるもんだから、癇性のボクはつい「イラッ」ときてしまうのである。

あんた生きてんの、それとも死んでんの?
どちらとも言えない……」


←「どちらとも言えない」だ?
頭は生きてるうちに使ってね