2011年9月26日月曜日

理研のある町

埼玉県和光市はHONDAの町であり、理化学研究所の町でもある。
理研はもともと文京区駒込にあって、古くは鈴木梅太郎、寺田寅彦、
中谷宇吉郎、池田菊苗、湯川秀樹、朝永振一郎といった
錚々たる科学者を輩出してきた。和光市に移転したのは1967年で、
現在の理事長はノーベル化学賞を受賞した野依良治である。

理研には世界中から優秀な科学者が集まっている。
ボクが通っているプールに外国人が多いのはそのためだ。
仲良くなったドイツ系米国人のクルツ、ドイツ人のスザンナ、韓国人のキム、
そういえば、わが家の台所で一緒にめしを作った毛むくじゃらのアルメニア人
も理研の若き研究者だった。みんなエリート中のエリートである。

話変わって、広島の原爆碑にはこう書いてある。
安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから
主語はない。読みようによってはまるで日本が過ちを犯したように受け取れる。
原爆を投下したのはアメリカで、無辜の民20万余を殺傷したのだから、
ボクは「過ちはきっと償わせますから」に差し替えてもらいたいのだが、
碑文を制作した広島大教授によると主語は「人類」なのだそうだ。

日本人は何かというと広島・長崎の惨禍を持ち出すが、なに日本だって
同じ破壊兵器をせっせと開発していた。ただアメリカに先を越されただけの話で、
開発に当たっていたのは理研の仁科芳雄博士の研究グループである。

敗戦後、マッカーサーに先んじて乗り込んできたアメリカの特殊部隊は、
まずまっ先に仁科研究所を破壊し、その研究機材をすべて東京湾に
投棄してしまった。もし原爆の完成がアメリカに先んじていたなら、
攻守はにわかに逆転し、原爆碑はアメリカのどこかの都市に建てられて
いたかもしれない。

孟子は『地を易(か)うれば皆然り』と言った。その意味するところは、
「人は置かれた立場によって意見や行いを異にするが、
立場が入れ替われば、やることは同じ」という意味である。
日本は被害者面をして原爆の非を唱えているが、
ひとつまちがえれば非を鳴らされる側に立っていた。

原爆は悲惨なもので、願わくば用いてもらいたくはない、
と考えるものだが、だからといって非核論者というわけではない。
むしろ逆で、核抑止力をとりあえずは信じている。実際に行使しないまでも、
経済、軍事を含めた有効な外交のためには必要なインフラ、
と考えてもらえばいい。ムダといえば最たるムダだが、
それが冷徹な現実なのだ。

理想はアメリカの核の傘から離脱し、自前の核を保有すること。
その詳しきは控えるが、中国、北朝鮮、ロシアという餓狼のような
核保有国に囲まれている現実を直視すれば、
その結論が最も現実的かつ妥当なものに思える。

「核」という言葉を聞いただけでヒステリックに大騒ぎし、
思考停止状態になってしまう極度のトラウマから、
日本人はいったいいつ解放されるのだろう。


あ~あ、また余計なことを言ってしまった。
これで平和主義者の女性ファンが2~3人は確実に減るな。
ボクは改憲論者であり、核保有論者でもある。愛国者であるがゆえに、
たどり着いた結論がそれだ。持ったが病で、こればかりはどうしようもない。






2011年9月20日火曜日

友よ、健やかであれ

「人の話をまったく聞かない人だね」が、女房の亭主評である。
「同じ質問を何度もしないでよ。それはおととい話したでしょ」
そう言われても、記憶にないのだからしかたがない。
話を聞いてない、というより聞いた話をすぐ忘れてしまう。

この10年で健忘症が一気に進行してしまったようだ。
これでもジャーナリストのはしくれだから、同じ質問を
数分後にくり返していると知った時、目の前が少し暗くなった。
「そのことは……たしか先ほどお話ししましたよね」
取材相手の呆れた顔。なんともバツが悪い。

ひとは齢を取ると記憶力が減退するだけでなく、
ますます自分中心になるという。他人の話に興味を示さず、
自分のことばかりしゃべりたがる。

カラオケボックスなどでよく見られる光景と根っこは同じである。
友人たちが歌い終われば盛大な拍手を送りはするが、
あれは儀礼的、もしくは「自分の番の時はヨロシクね」
と保険をかけているようなもので、歌なんてろくすっぽ
聴いちゃァいない。聞くふりをしながら歌詞集をせっせとめくり、
次に歌う唄を必死になって探している。

年寄り同士の会話もそれに似ている。聞いているふりはしているが、
相手の話なんか実はどうでもよくて、片っぽうの話が一段落するや、
「今度は私の番よね」とばかりに勢いこんで話し出す。
話の中身は子や孫の自慢話ばかりである。

Aが孫自慢を始めると、Bも負けじとまくしたてる。
またAがCという友人のことを褒めようものなら、
Bは必ずいやな顔をする。ひとは年齢を閲するにつれて
嫉妬深くなるのか、たとえ他人であっても、自分への称讃
以外はおもしろくないのである。

こんな光景を法事の席などでもたびたび目にしてきた。
結局、人間というのは「自分」がいちばん可愛くて、
「自分」にしか興味がなくて、「自分」のしてきたことを
口にしているかぎり、話題が果てしなく続く、
ということなのだろうか。


18日(日)の午後、中学時代の合同同窓会(3年1~6組)が川越で開かれた。
ボクはつむじ曲がりだから例のごとく欠席したが、
ずいぶん盛会だったようで何よりである。
半世紀ぶりに会う友はどんな顔をしているのだろう。
はたして名前が思い出せるだろうか。

5年後に再会を約して散会になったと聞いている。
会いたい気持ちと、それを否定する気持ちがせめぎ合う。
すでに鬼籍に入ってしまった友もいる。明日はわが身か。
今はせめて「友よ、健やかであれ」と願うばかりだ。

写真は川越第一中学校・第20回(昭和42年卒)合同同窓会・3年2組の面々
/ネット上に開設された写真館より無断拝借。中央3人が我らが恩師で、
左から体育担当の灰野、理科の高橋、英語の大塚の各先生だ。
灰野先生にはよく尻を蹴っ飛ばされたものだが(男子生徒だけです)、
なんかヨボヨボの好々爺になっちゃったみたいで、哀しい。
不肖の一生徒より愛をこめて――先生方、いつまでもお元気で。














2011年9月12日月曜日

五十肩とバタフライ

五十肩になってしまったみたいだ。
右肩が重くてズキズキ痛む。

それでも昨日は大事な水泳大会。
3種目にバタフライで出場し、
もう1種目はクロールで泳いだ。

先月開催された別の水泳大会では
2種目のバタフライ(25㍍と50㍍)にエントリー。
共に優勝し、金メダルを獲得した。

若い頃から腰痛が持病で、おまけに五十肩の疑いがあるというのに、
腰や肩に最悪といわれるバタフライを泳ぐとは、
ボクもよくよく酔狂な男だが、世間様に通用しそうな泳ぎといったら
唯一これしかないので、しかたなく泳いでいる。

年を取ると、いろんなところにガタが来る。
俗に「ハメマラ」というが、それ以外にも、
髪は薄くなるわ、加齢(華麗?)臭がするわ、
足がもつれてよく転ぶわ、肝心なことを云う時に
舌がつるわ、物忘れが激しくなるわとロクなもんじゃない。

それでも日頃の精進のおかげか、5年前の記録より
0.02秒速くなっているのだから、バタフライに関しては、
ほんのわずかではあるが〝進化〟しているのだろう。

スポーツはいい。見るのもやるのも楽しい。
近頃はテレビといえばバラエティと称するバカ番組か
韓流ドラマしかない。あんなものを見てたら、
脳みそが腐ってしまうので、ボクはもっぱら
スポーツ番組かニュースしか見ない。

この数週間、サッカーの国際試合が目白押しで、
「なでしこジャパン」や「ザックJapan」からは
たっぷりと元気をもらった
なでしこたちよ、感動をありがとう
おかげで心が癒されたわ、ホンマ。←この二枚舌め!

ひきだしの中には、水泳大会で獲得した金メダルがいっぱいある。
近頃は金が値上がりしているので、ひとしお嬉しい。








2011年9月8日木曜日

狂信的愛国主義者

ロンドン五輪アジア最終予選で『なでしこジャパン』が3連勝し、
本日午後、北朝鮮と対戦する。勝てば予選首位が確定、
3大会連続4度目の五輪出場が決定する。

なでしこにしろザックジャパンにしろ、日本が勝つと、
わが家は狂躁の極みに達し、飲めや歌えやの大騒ぎとなる。
とにかくどんなスポーツでも、外国人を木っ端みじんにやっつけて
くれるとこの上なく嬉しい。ただし外国からの留学生がいる時は、
理知的なリベラリストの顔をして、狂信的愛国主義者の顔は
ひとまず隠しておく。

気に入らないのは、こんな時に「元気をもらいました」とか
「勇気をもらった」「感動をありがとう」などとぬかす輩だ。再三云うけど、
ボクはこの「元気をもらいました」や「背中を押してもらった」という言葉が大きらい。
この種の薄っぺらなセリフを臆面もなく吐きちらす連中を見ると、
顔面に思いきりパンチをお見舞いしたくなる。

それと「癒された」という言葉も実にいやらしい。とりわけ若い連中が
「ゆるキャラって心が癒されるんだよな」なんて云うのを聞くと、
「生まれた時から癒されっぱなしのくせして、なに寝言云ってやがる!」
と怒鳴りつけたくなる。

元気をもらっただの、癒されるだの、日本はいったいいつから半病人の国に
なっちまったんだ? 日本は〝半病人収容所列島〟か?


閑話休題。
おやじの妹で、アメリカに住んでいた叔母が死んだと、さっき連絡があった。
これで父方のキョウダイsiblingsはすべてあの世へ行ってしまったことになる。
今年は父方の叔父、次いで実母、父方の叔母と、
親や近親が立て続けに死んでしまった。

東日本大震災といい台風といい、
いったい2011年という年はなんという厄年なのだ。
合掌。

2011年9月5日月曜日

どぜう召しませ

外務省のホームページには、竹島についてこんなふうに記されている。
1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国
固有の領土です
2.韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている
不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行う
いかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。

自民党政権下では、一貫して「不法占拠」を主張してきた。
だが、民主党政権になってからは、党内で申し合わせているのか、
「不法占拠」という言葉を一切使わず、岡田克也外相(当時)の
国会答弁では「不法占拠という言葉を使わないことが自分の
信念である」とまで言っている。いったいどんな信念なのか。

韓国の天気予報では、竹島に晴れや雨の天気図を示しているという。
日本はどうか。気象庁のホームページには北方領土や竹島は記載
されているが、その地域の天気予報マークは付けられていない。

鬱陵島視察問題で、韓国から入国拒否された3人の自民党議員のうちの一人、
PKOイラク先遣隊長で〝ヒゲの隊長〟として知られた佐藤正久議員は、
某雑誌の座談会の中で、「わが国の領土であることを広く国民に知ってもらう
ためにも、気象予報士の方がテレビで『明日の竹島の天気は晴れです』」と
言っていただきたい。そうすれば、国民の意識も変わってきます」と発言
しているが、まさに正論というべきだろう。

1965年の日韓基本条約以来、この竹島問題に関して日本が国際司法裁判所へ
一度も提訴してこなかった理由は、領土問題を紛争化しない、という両国の
政治合意があったためだ。

しかし李明博政権は、その合意を守らず、ことさらに紛争を拡大しようとしている。
こうなったら、白黒つけるためにも国際司法裁判所へ提訴するしかあるまい。

野田新政権は「ドジョウ内閣」などと呼ばれ、庶民派を気取っている。
内閣支持率も読売の調査では65%の高率だという。
ドジョウと言った途端に世論が好感するのだから、
日本国民をコントロールするなんてチョロイものだ。

《世論なんて、お盆の上の豆みたいなものね。右へ傾ければ右へ、
左へ傾ければ左へ、ザザーッと一斉に転がっていく》(曾野綾子)

韓国による不法占拠を「不法占拠」と断ずることなく、
口の中でモゴモゴ言ってごまかしているような、
優柔不断の民主党政権に、国民はいったい何が期待できるというのだ。
お人好しの政治オンチにもほどがある。
なにがドジョウ内閣だ、バカバカしい。

2011年9月2日金曜日

プールサイドのKYたち

プールに通っていてつくづく嘆かわしく思うのは、
周りが見えない人、状況の読めない人がずいぶん増えたなァ、
ということだ。

車を運転していて、一般道から幹線道路へ合流する場合、
ふつうは後方から来る車のスピードを見て、どのタイミングで入るべきか
瞬時に判断する。当たり前の話だが、もしもそのタイミングを誤ると、
重大な衝突事故を引き起こしてしまう。
しかし、この当たり前の判断ができない人が増えているのである。

ロープに仕切られたコースを幹線道路に見立てれば、
泳ぎの巧みな人、そこそこ巧い人、それほどでもない人と、
いろんな人が泳いでいる。

実際はそれぞれ自分の力量を見きわめ、自分にふさわしいコースを選ぶため、
3コースある場合は、「上級者」コース、「中級者」コース、「その他」のコース
という具合に自然とクラス分けされるものなのだが、
いわゆる〝KY〟と呼ばれる空気の読めない人たちは、
犬かき程度の人でも、いきなり上級者のコースに入ってきたりする。

ボクの通っているプールにも仲間内で「クラゲ1号、2号」と呼ばれている
〝障害物〟が2匹いるが、彼らの行動形態はすでに熟知しているので、
できるだけ接近遭遇しないように間隔をあけて泳ぐことができるが、
新参のKYたちはそうはいかない。

こっちがターンするつもりで泳いでいくと、いきなり鼻先に飛び出してくる。
それでも向こうがこっちより上級なら衝突こそまぬがれるだろうが、
たいがいは下手っぴぃで、こっちは急ブレーキをかけざるを得ない。
車だったら、もろに衝突である。

自分と他人との距離感がつかめず、適正な〝車間距離〟もわからず、
まるで自閉症患者みたいに自分のことしか頭にない。ある意味では、
車内であっけらかんと化粧するバカ娘たちの同類だろうが、
この種の欠陥人間がいま、急速に増殖してきている。

あまりに危険なので、いつだったか若い男をひっつかまえ、
懇々と説教してやったものだが、このおたくっぽい顔した男は、
終始、「このオヤジ、何をそんなに怒ってるんだ?」というような顔をしていた。
まともに日本語が通じやしないのだ。

若い連中ばかりではない。いい年をしたオヤジにもこの手合いが多いものだから、
ほんとうにいやになる。

みなさん、くれぐれも車間距離は守りましょう。
ひとも車も急には停まれないのです。