秩父で叔母の葬式があった。去年死んだ母の妹で、享年86。
これで母の兄弟姉妹はすべてあの世へ行ったことになる。
叔母の家の宗派は臨済宗南禅寺派。禅宗だということは分かるが、
その特徴や詳しいところは知らない。
葬儀が始まるとまず会葬者(身内・親戚のみ)に三角の白い紙が配られた。
ひもが付いていて、これを額につけるのだという。女性はわらしべみたいな
ものを髪につけさせられる。時代劇などで死者の額に三角の白い布をつけるが、
会葬者までつけさせられるとは思わなかった。なんだかひどくカッコ悪い。
あとで調べたら、紙冠とか宝冠、カミエボシ、マンジヌノなどと呼ばれるもので、
白は清浄無垢につながるので、死者の魂の浄化や死の穢れを祓う意があるという。
隣に座った従兄弟は不謹慎にも笑いをかみ殺しながら、ボクを見て
「よく似合ってるよ。ブログに載せたいからあとで記念撮影しよう」などと、
ひそひそ声で言ってくる。バカにしてやがる(笑)。
坊さんの読経が始まった。般若心経までは分かったが、あとはどんなありがたいお経も
われら凡人の耳には子守唄でしかなく、(さわりだけでいいんだけどな……)などと
またまた不謹慎なことを思いつつ、ついうつらうつらしていたら、突然、「喝(カーツ)!」
と大喝された。思わず目をあけたら、前の席のちっちゃな女の子はよほど驚いたようすで、
半分べそをかいていた。
最後に「喝!」と叫ぶのは禅宗の特徴で、「引導香語」というらしい。
文字どおり「悟ったかッ!」と死者に向かって引導を渡すのだという。
一方で白川夜船を決め込んでいる会葬者を揺り起こしたり、
さらには子供を泣かせるという副産物的な〝効用〟もあるので、
坊さんの密かなお楽しみになっている。
それにしても、えらく長い葬式だ。延々6時間もやる葬式は生まれて初めてだ。
年寄りたちにとっては寿命の縮む6時間だったにちがいない。←たぶん坊主の陰謀だろう
従兄弟の喪主に恨みつらみは言いたくないが、正直云って弔電披露だけは早めに
切り上げてほしかった。ふつうは主だったところを2~3本読み上げ、
あとは端折るものなのだが、今回は義理堅くぜ~んぶ読み上げた。
30分以上はかかっただろうか、ボクはほとんど発狂寸前だった。
集まった人たちはみな忙中の閑を盗み、会葬に出向いてくれている。
それなのに、来もしない人の名前を、なにゆえもったいつけて読み上げる必要があるのか。
衆議院議員に銀行のお偉いさん、取引先企業の社長さんと、
地方の名士の名前が次々と読み上げられるのだが、誰も聴いちゃあいない。
(早く終わってくれ)とみな心の中で念じている。
どこの何様の弔電であれ、来もしないで会葬者をかしこまらせ、
大きな顔をすることは許されない。
結婚披露宴のバカバカしさに比べれば、葬式には少なくとも
愚劣さと軽薄さがない分だけ、ボクは葬式を愛しているのだが、
あの弔電の読み上げ「完食」にはちょっぴりガッカリした。
商売上のお付き合いや義理人情のしがらみがあるのはわかる。
しかし、わざわざ足を運んでくれている会葬者にまず敬意を払うべきで、
弔電披露は形ばかりのセレモニーで十分なのだ。
『○○様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます』
会葬者から云わせてもらうと、「直に会葬してそれを言ってくださいな!」
という理屈になる。横着なんだよね、やっぱり。
♪ 安保反対!←いや、ボクは安保賛成派でした
弔電、フンサイ!
これで母の兄弟姉妹はすべてあの世へ行ったことになる。
叔母の家の宗派は臨済宗南禅寺派。禅宗だということは分かるが、
その特徴や詳しいところは知らない。
葬儀が始まるとまず会葬者(身内・親戚のみ)に三角の白い紙が配られた。
ひもが付いていて、これを額につけるのだという。女性はわらしべみたいな
ものを髪につけさせられる。時代劇などで死者の額に三角の白い布をつけるが、
会葬者までつけさせられるとは思わなかった。なんだかひどくカッコ悪い。
あとで調べたら、紙冠とか宝冠、カミエボシ、マンジヌノなどと呼ばれるもので、
白は清浄無垢につながるので、死者の魂の浄化や死の穢れを祓う意があるという。
隣に座った従兄弟は不謹慎にも笑いをかみ殺しながら、ボクを見て
「よく似合ってるよ。ブログに載せたいからあとで記念撮影しよう」などと、
ひそひそ声で言ってくる。バカにしてやがる(笑)。
坊さんの読経が始まった。般若心経までは分かったが、あとはどんなありがたいお経も
われら凡人の耳には子守唄でしかなく、(さわりだけでいいんだけどな……)などと
またまた不謹慎なことを思いつつ、ついうつらうつらしていたら、突然、「喝(カーツ)!」
と大喝された。思わず目をあけたら、前の席のちっちゃな女の子はよほど驚いたようすで、
半分べそをかいていた。
最後に「喝!」と叫ぶのは禅宗の特徴で、「引導香語」というらしい。
文字どおり「悟ったかッ!」と死者に向かって引導を渡すのだという。
一方で白川夜船を決め込んでいる会葬者を揺り起こしたり、
さらには子供を泣かせるという副産物的な〝効用〟もあるので、
坊さんの密かなお楽しみになっている。
それにしても、えらく長い葬式だ。延々6時間もやる葬式は生まれて初めてだ。
年寄りたちにとっては寿命の縮む6時間だったにちがいない。←たぶん坊主の陰謀だろう
従兄弟の喪主に恨みつらみは言いたくないが、正直云って弔電披露だけは早めに
切り上げてほしかった。ふつうは主だったところを2~3本読み上げ、
あとは端折るものなのだが、今回は義理堅くぜ~んぶ読み上げた。
30分以上はかかっただろうか、ボクはほとんど発狂寸前だった。
集まった人たちはみな忙中の閑を盗み、会葬に出向いてくれている。
それなのに、来もしない人の名前を、なにゆえもったいつけて読み上げる必要があるのか。
衆議院議員に銀行のお偉いさん、取引先企業の社長さんと、
地方の名士の名前が次々と読み上げられるのだが、誰も聴いちゃあいない。
(早く終わってくれ)とみな心の中で念じている。
どこの何様の弔電であれ、来もしないで会葬者をかしこまらせ、
大きな顔をすることは許されない。
結婚披露宴のバカバカしさに比べれば、葬式には少なくとも
愚劣さと軽薄さがない分だけ、ボクは葬式を愛しているのだが、
あの弔電の読み上げ「完食」にはちょっぴりガッカリした。
商売上のお付き合いや義理人情のしがらみがあるのはわかる。
しかし、わざわざ足を運んでくれている会葬者にまず敬意を払うべきで、
弔電披露は形ばかりのセレモニーで十分なのだ。
『○○様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます』
会葬者から云わせてもらうと、「直に会葬してそれを言ってくださいな!」
という理屈になる。横着なんだよね、やっぱり。
♪ 安保反対!←いや、ボクは安保賛成派でした
弔電、フンサイ!