ボクは「体罰絶対反対。話せばわかる」とお題目のように唱える、
いわゆる〝人権派〟というのが苦手、というよりひどく嫌いで、
これまたひどいことに「子供に人権などない」などと本気で思っている。
さて、いじめ問題が相変わらずかまびすしい。ボクの考えはすでに述べたが、
あの「やられたらやり返せ」戦法は現実的ではない、とする意見もあった。
たしかにやり返す元気があったら、最初からいじめの対象にはならない。
でも起死回生というか、一点突破全面展開するためには、どこかの時点で、
「エイヤーッ!」と敵の大将に組みついていく勇気がないと、
いつまでたっても問題は解決しない。
教師にしたって「体罰禁止」という法律条項で手足を縛られているのだから、
たとえいじめの現場を目撃しても、口頭で注意を与えるくらいが関の山で、
当然ながら無力でしかない。もっとも近頃のいじめっ子は暴行・脅迫・恐喝
なんて朝飯前だから、「話せばわかる」どころか、ボコボコにぶん殴ったって
わかってくれるようなタマではない。
「学校教育法」の第11条にこうある。
《校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、
文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に
懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない》
この法律が制定されたのは1947年(昭和22年)だという。
ふしぎなことに、ボクの生まれるずっと前からある法律なのに、
ボクは教師によくビンタを食らわされたり、廊下に立たされたりした。
遅刻したからと、教室から閉め出されたこともあった。
これらはすべて〝体罰〟なのに、である。
もちろんボクは「体罰容認派」だから、ボクを殴った教師を恨んでなんかいない。
いつかお礼参りをしなけりゃいけないな、と思う教師がいないでもないが、
韓国人みたいにネチネチと執念深くはないので、すべて水に流そうと思っている。
体罰禁止を条項から外したら、さてどうなるか。日教組のおバカさんたちは、
「体罰を行使できない教師だっているじゃないか」とか、
「教師たちがいっせいに生徒を殴り出したらどうするんだ」などと
マジメに心配しているという。「憲法9条を外したら、すぐさま日本は戦争をおっ始める」
というのと同じくらいバカげた理屈で、こういうのを屁理屈という。
江戸期、会津藩には日新館という藩校があって、ここに「什(じゅう)の掟」
というのがあった。藩士の子供たちには「什」という集まりがあって、そこでは
武士の子弟としてわきまえるべき心構えが厳しく教えられた。
一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三つ、虚言を言うことはなりませぬ
四つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五つ、弱いものをいじめてはなりませぬ
六つ、戸外で物を食べてはなりませぬ
七つ、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
そして7箇条の最後の文句が、こう結ばれている。
ならぬことはならぬものです
そういえば旧社会党党首の土井たか子女史は、かつて「ダメなものはダメ」と、
消費税反対だけを掲げ選挙を戦ったものだった。これも「ならぬことはならぬもの」と同様、
問答無用のものだったが、こっちは「護憲・平和」をお題目に唱える「社会党」とか
「社民党」そのものが実は〝ダメなもの〟だったというオチなので、けっこう笑えた。
会津日新館の教えに似たものは薩摩藩の「郷中(ごちゅう)」にもあった。
郷中の掟にも、年長者を尊敬すること、負けるな、うそをつくな、
弱いものをいじめるな、などという守るべき条項があった。
そして何より卑怯、卑劣をいやしんだ。
殴る教育が悪いからといって、殴らぬ教育がいいとは云えない。
ああ、昔の教育はよかった。人権派などというわけのわからぬ連中が
幅を利かしていない時代はよかった。それが証拠に、人権派がはびこると、
日教組の親玉の民主党輿石幹事長みたいな悪相が出てくる。
あれが教育者の顔か? まるで手配写真みたいではないか。
文科省、日教組を粉砕して、昔の藩校のような学校をよみがえらせたい。
ボクは夢見るのだ。「廃藩置県」ではなく「廃県置藩」の世の中を。
←自刃した白虎隊の19名の少年たちも
この「日新館」で学んだ