2012年7月27日金曜日

廃県置藩


ボクは「体罰絶対反対。話せばわかる」とお題目のように唱える、
いわゆる〝人権派〟というのが苦手、というよりひどく嫌いで、
これまたひどいことに「子供に人権などない」などと本気で思っている。

さて、いじめ問題が相変わらずかまびすしい。ボクの考えはすでに述べたが、
あの「やられたらやり返せ」戦法は現実的ではない、とする意見もあった。
たしかにやり返す元気があったら、最初からいじめの対象にはならない。
でも起死回生というか、一点突破全面展開するためには、どこかの時点で、
「エイヤーッ!」と敵の大将に組みついていく勇気がないと、
いつまでたっても問題は解決しない。

教師にしたって「体罰禁止」という法律条項で手足を縛られているのだから、
たとえいじめの現場を目撃しても、口頭で注意を与えるくらいが関の山で、
当然ながら無力でしかない。もっとも近頃のいじめっ子は暴行・脅迫・恐喝
なんて朝飯前だから、「話せばわかる」どころか、ボコボコにぶん殴ったって
わかってくれるようなタマではない。

「学校教育法」の第11条にこうある。
《校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、
文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に
懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない》

この法律が制定されたのは1947年(昭和22年)だという。
ふしぎなことに、ボクの生まれるずっと前からある法律なのに、
ボクは教師によくビンタを食らわされたり、廊下に立たされたりした。
遅刻したからと、教室から閉め出されたこともあった。
これらはすべて〝体罰〟なのに、である。

もちろんボクは「体罰容認派」だから、ボクを殴った教師を恨んでなんかいない。
いつかお礼参りをしなけりゃいけないな、と思う教師がいないでもないが、
韓国人みたいにネチネチと執念深くはないので、すべて水に流そうと思っている。

体罰禁止を条項から外したら、さてどうなるか。日教組のおバカさんたちは、
「体罰を行使できない教師だっているじゃないか」とか、
「教師たちがいっせいに生徒を殴り出したらどうするんだ」などと
マジメに心配しているという。「憲法9条を外したら、すぐさま日本は戦争をおっ始める」
というのと同じくらいバカげた理屈で、こういうのを屁理屈という。

江戸期、会津藩には日新館という藩校があって、ここに「什(じゅう)の掟」
というのがあった。藩士の子供たちには「什」という集まりがあって、そこでは
武士の子弟としてわきまえるべき心構えが厳しく教えられた。

一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三つ、虚言を言うことはなりませぬ
四つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五つ、弱いものをいじめてはなりませぬ
六つ、戸外で物を食べてはなりませぬ
七つ、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
そして7箇条の最後の文句が、こう結ばれている。
ならぬことはならぬものです
















そういえば旧社会党党首の土井たか子女史は、かつて「ダメなものはダメ」と、
消費税反対だけを掲げ選挙を戦ったものだった。これも「ならぬことはならぬもの」と同様、
問答無用のものだったが、こっちは「護憲・平和」をお題目に唱える「社会党」とか
「社民党」そのものが実は〝ダメなもの〟だったというオチなので、けっこう笑えた。

会津日新館の教えに似たものは薩摩藩の「郷中(ごちゅう)」にもあった。
郷中の掟にも、年長者を尊敬すること、負けるな、うそをつくな、
弱いものをいじめるな、などという守るべき条項があった。
そして何より卑怯、卑劣をいやしんだ。

殴る教育が悪いからといって、殴らぬ教育がいいとは云えない。
ああ、昔の教育はよかった。人権派などというわけのわからぬ連中が
幅を利かしていない時代はよかった。それが証拠に、人権派がはびこると、
日教組の親玉の民主党輿石幹事長みたいな悪相が出てくる。
あれが教育者の顔か? まるで手配写真みたいではないか。

文科省、日教組を粉砕して、昔の藩校のような学校をよみがえらせたい。
ボクは夢見るのだ。「廃藩置県」ではなく「廃県置藩」の世の中を。


←自刃した白虎隊の19名の少年たちも
この「日新館」で学んだ




2012年7月24日火曜日

カッコよく生きたい

日頃の陰徳が天に通じたのだろう、肩の痛みもだいぶ和らいできた。
プールではわずかにバタフライができるようになったし、
恒例のキャッチでもスピードボールを普段の8割方投げられるようになった。

また朝のバナナダイエットが効いてきたのか、
あれほど出っ張っていた醜い腹も、今は引っ込み、
クリスティアーノ・ロナウドの割れ腹筋にだいぶ近づいてきた。
それについては多少の異論はあるだろう。が、あえて無視する。
同輩らのひがみ、ねたみ、そねみになんかにつき合っていられない。

さて、いよいよ本格的な夏の到来だ。
なのに、犯罪的なまでのメタボっ腹では外出すらできやしない。
そうなりゃご先祖様やお天道様に申しわけが立たぬ。
美意識のかたまりでもあるボクは、腹を凹ますために、
この間、人知れぬ努力を重ねてきた。←ついでに麦酒もいっぱい飲んだけど

暑い夏は薄着の季節で、否がうえにもカラダの線が出てしまう。
美しいボディラインを保ちたい――その思いは老若男女を問わず変わらない。
それに、ロナウド並みに鍛えておかないと、いざという時に敵と戦えない。
子供っぽいと思うだろうが、ボクのモットーは〝常在戦場〟なのだ。

話変わって、イチローがヤンキースへ電撃移籍を果たし、
ついに憧れのピンストライプのユニフォームに袖を通すことになった。
38歳なんて、ボクらから見ればまだまだ駆けだしの小僧っ子だが、
スポーツの世界では十分ご老体で、よくまあここまで頑張ってきたと思う。

今日はさっそく古巣の対マリーナーズ戦で、場所は〝敵地〟のセイフィコ球場。
感動的だったのは、8番ライトで打席や守備位置についた時、
ブーイングどころか観客のスタンディング・オベーションがあったことだ。

イチローはサムライらしく顔色を変えなかったが、
珍しく深々と2度お辞儀を返した。
(11年間、応援してくれてアリガトウ……)
気のせいか、イチローの目が少し潤んでいたように見えた。
浪花節男のボクは、もちろん感極まってもうウルウルしている。

スポーツマンはいいなァ。
ボクは今、スポーツにしか関心が持てない。
テレビも熱中できるのはスポーツ番組だけ。

そんなわけで、肩幅のないナヨナヨっとした柳腰の男は苦手で、
スポーツ嫌いの青白き偏差値秀才などというハンパ野郎は、
宇宙の果てまで蹴り飛ばしてやりたくなる。
多少バカでも肩幅のがっしりした体育会系の男のほうが数段マシだ。
それに体育会系は長幼の序をわきまえ、きちんと挨拶ができる。
それだけでも十分めっけものだろう。

「結婚するなら断然スポーツマンにしろ!」
娘たちには耳タコになるくらい、そのことを言い聞かせてあるが、
いまだその種の男の影はなし。たぶん、どいつもこいつも帯に短し襷に長し、
ってとこなのだろう。

そりゃそうだ。テレビのバカ番組を見れば、毎度出てくるのはお笑い系と
オカマ野郎とションベン臭い女たちばかり。姿勢正しく清々しい若者など
とっくの昔に払底しちゃってる。娘にとってみれば、オヤジの要求度は高すぎるのだ。

イチローには強烈な美意識がある。
どうすればカッコよく見えるか、どんなプレーが美しいのか、
すべて計算されている。本人も過去にそんな発言をしたことがある。
「そういうのって、自意識過剰なんじゃないの?」
という声がどこからか聞こえてきそうだが、これもいっさい無視しよう。
食いもののために行列に列んだり、われがちに車内の席を占めようとしたり……。
今の世の中、美しさを意識しない人間が多すぎる。

信念を持ってカッコよく生きること――男の生き方はこれしかない。






←これってカッコ悪ゥ
肉饅だけじゃなく車も段ボール製?
(photo presented by NICKさん)


2012年7月19日木曜日

これからの「正義」の話をしよう

いきなり拙著から引用するのはちょっぴりためらわれるのだが、
ボクにしては珍しくいいことを言っている(笑)のでガマンして読んでほしい。

昔のチャンバラ映画は勧善懲悪そのものだった。見ているだけでどんな行為が美しく、
逆にどんな行為が醜いのか、自然と学ぶことができた。知らず知らずのうちに、世の中の
ルール、正邪美醜のすべてが学べた。映画館は人生の学舎(まなびや)でもあった
あんなもの善玉悪玉の単純な二元論ではないか、と笑う者があるが、単純で何が悪い。
昔の親たちは学問こそなかったが、理非曲直だけはわきまえていた。
卑怯や臆病を憎む心を子供たちに植え付けようとしていた。しかし今どきの親たちは、
銀幕の悪役みたいに、たとえ醜いことをしても豊かになったほうが勝ち、などと教えている。
出でよ、平成の多羅尾伴内!》(『おやじの品格』より)

「大津いじめ事件」の余震がまだ続いている。「いじめ」は人類創世以来続いている
人間の持って生まれた病癖で、世の中から一掃することなどできっこないのに、
誰が言い出したのか「いじめ撲滅」「暴力絶対反対」「人の命は地球より重い」などという
ロマンティックなスローガンが世に満ちみちている。

そしていつも聞かされる当該学校長のあのセリフ。
生徒と父母を交えた緊急集会後のあの決まり文句である。
「子供たちに命の大切さを教えました」「生徒たちには心のケアを」
校長のセリフは判で押したようにいつも同じ。こんなお定まりの紋切り言葉が、
子供たちの心に響くと、本気で思っているのだろうか。

卑怯なマネはするな!
●ケンカは素手で1対1でしろ!
●臆病は恥だ!
●負けるとわかっている戦いでも、
男はやるときはやるのだ!
親や教師は、子供たちを前にこれらの徳目を
耳タコになるくらい熱っぽく語るべきなのだ。

かつて親や教師たちは「正義」について語ってくれた。「勇気」の大切さを説いた。
「怯懦(きょうだ)は恥」ということも教えた。いや、教えられずとも、チャンバラ映画が
それらすべてをまとめてレクチャーしてくれた。ところが今は、「暴力はいけない」
とか「何より平和が大事」とか「話し合いが一番」と言うばかり。

なかには、わが子がいじめられるよりは、いじめの同調者の中に加わっていたほうが
安心でいい、とする親が出てくる始末。これじゃあ、いじめられっ子を助けようとする、
「カチカチ山」のウサギのような勇気ある子は出てくるべくもない。

義を見てせざるは勇なきなり――とはいうものの、「いかなる暴力もダメ!」
とガキの頃から頭にたたき込まれれば、弱者を守ろうと蛮勇をふるいたい時にも
心のブレーキがかかってしまう。そして結局は見て見ぬふりだ。

「いじめ」があることが問題なのではない。右を向いても左を見ても、
この世は〝いじめの市〟ではないか。問題なのは「いじめ」をハネ返す力がなく、
自ら命を絶ってしまう子供が増えていることだ。強い抑圧に耐えられぬ惰弱な心が
育っていること――それが問題なのだ。

ボクも他人をいじめたことがあるし、いじめられたことはその数十倍もある。
しかし幸いなことに死のうとは思わなかった。耐性があったわけではない。
「あんちくしょう、今に見てろよ」とする情強(じょうごわ)な負けん気が、
人並み程度に備わっていたからに他ならない。

で、単細胞のボクは三島由紀夫に倣って身体を鍛えることにした。
高価なバーベルセットを買い込み、せっせとマッチョな肉体をつくりあげた。
福澤諭吉も言っているではないか。
まず獣身を成して後に人心を養え》と。

洋行した息子に宛てた手紙の中でも、諭吉パパはこう書き記している。
学問を勉強して半死半生の色の青い大学者になって帰ってくるより、
筋骨たくましい無学文盲なものになって帰ってこい!》と。

文武両道といえば簡単だが、まずはたくましい肉体を身につけ、
その上で学問にいそしみ、人としての見識を高める。

諭吉パパの教えを後生大事に守ったボクは、
ある時、かつての〝いじめっ子〟とリベンジマッチを行い、
相手をさんざん打ちのめしてしまった。
マッチョな獣身が惰弱な心をも筋肉質に造りかえていたのだ。
その後、いじめっ子とは仲直りし、親友となったのだが、
ほどなくして彼は死んでしまった。自殺だった。

さて、いじめる側が何らかの罰を受けるのはしかたのないことだが、
いじめられる側も被害者ぶるだけでなく、「怯懦は恥」という言葉を
心に刻み込まなくてはならない。男は臆病者と呼ばれたらオシマイなのだ。

そしてボクが最も憎み軽蔑する傍観者たち。
いじめを見ても、見ぬふりをする多くの子供や教師
いじめ問題で勤務評定が悪くなると昇進や給与に響く)。
わが身可愛さに、義侠心を発揮できない弱い心。
その悪質さはいじめっ子以上かもしれない。

彼らは、被害者の葬儀の場では、きっと涙を流すだろう。
マスコミやテレビカメラを意識しながら、さめざめと泣くのだ。
が、たぶんそれは空涙だろう。翌日にはケロッとし、
友人同士、何事もなかったような顔して冗談を言い合うのだ。
傷ついた生徒たちに心のケア? フン、そんなもの必要ないね。
おそらく彼らは、自分だけは責任を免れていると信じている。
ほんとうは彼らこそ冷酷な加害者なのに。

「父性」が衰弱すると、正義だ勇気だという徳目が忘れられ、
わが身大事に走る「母性」のマイナス面だけが突出してくる。
平和な時代には、つい父性より母性が強くなりがちなのだ。
父よ、サンデル教授のマネでいい、
今こそ子供たちに向かって「正義」を語ってくれ。
「勇気」の大切さを吹き込んでくれ。

2012年7月17日火曜日

水に流す

世界の「民族ジョーク集」をぺらぺらめくっていたら、こんなのがあった。
なかなかどうして本質を突いているので感心する。
三すくみ
自分の国の悪口を云うのが日本人
日本人の悪口を云うのが韓国人
日本人と韓国人の悪口を云うのが中国人

恩讐
中国人は恩には恩、仇には仇で返す
韓国人は恩には仇、仇にも仇で返す
日本人は恩には恩、仇にも恩で返す

日本には「水に流す」という言い方がある。
「過ぎてしまったことはすべて水に流そうじゃないか」
などと云い、過去のわだかまりを互いに消そうと相つとめる。
菊池寛の『恩讐の彼方に』という作品が脈々と読み継がれているのは、
あの作品に顕れている心情が日本人にピタリと来るからだろう。

済んでしまったことは仕方がない、とする恬淡とした態度――。
日本ではこうした寛仁大度(かんじんたいど)な姿勢が高く評価されるが、
その価値観が世界中どこでも通用すると考えるのはいささか危険だ。
現に韓国人は「従軍慰安婦問題」や「日帝36年」を再三蒸し返し、
「賠償が済んでない」だとか「天皇は謝罪しろ」などと
執拗な抗議を繰り返す。

韓国人による厳格な責任の追及や抗議は、
「禊(みそぎ)」という考え方が支配的な日本人の心情にはおよそ馴染まない。
(過ぎたことを、いつまでゴチャゴチャ言ってるんだ。潔くない連中だな)
多くの日本人はそんなふうに思い、逆に反発を感じてしまう。

こっちとしては、
「過去に迷惑をかけたけど、そのことは水に流し、お互いに友好を深めようよ」
という考えなのだが、韓国人は「何を虫のいいことを。過去の罪科は絶対に水に流さないぞ」
という頑なな態度を変えようとはしない。「恨(ハン)」の国の面目躍如といったところだが、
これでは永久に仲良くなれっこない。

さてドーバー海峡を渡った英国紳士は紳士でなくなる、という諺がある。
七つの海を支配したイギリスは阿片戦争で清国から香港をぶん捕り、
インドさえをも植民地にした。日の丸は血で穢れているなんて云うけれど、
ユニオンジャックの穢れ様ときたら日本などの比ではない。
だからといって、イギリス人が過去の侵略を詫びたかというと、
詫びるどころかいけしゃあしゃあとした態度で超然としている。
その傲然とした態度に気圧されるのか、旧植民地だった国々は
抗議の声すら挙げようとしない。

1997年の香港返還。その際、パッテン総督やイギリスの皇族、政権トップの
誰一人として「155年間の主権侵害をお詫びします」と言ったものはなかった。
インドにおいても同じ。だが中国人やインド人が英国のそうした傲岸不遜な態度に怒りを
露わにしたという話も聞かない。それどころかインド独立運動の指導者ガンジーなどは、
「二度と外国の植民地にはなりたくないが、どうしてもならなくてはいけないなら、
もう一度イギリスを選ぶ」と言ったそうだ。

それにひき比べ、軽々しく頭ばかり下げている日本の政権トップたち。
数百年かけて培った英国の〝旦那主義〟をマネようとしてもムリだろうが、
周辺諸国にただペコペコするばかりではあまりに能がないし情けない。
勝てば官軍と云ったら身も蓋もないが、敗軍の日本にだって一片の理はあったのだ。
だからというわけではないが、イギリスみたいに歴史上の善悪正邪に関しては
超然とした態度で臨む、といった図々しさも時には必要なのではないか。

恨みは忘れず、末代まで語り継ごうとする韓国と北朝鮮。
「水に流す」「和を以て貴しとす」といった価値観を大事にするわが日本国。
似てそうで似てない隣国同士。あらためて「近くて遠い国だな」と思わずにはいられない。































2012年7月11日水曜日

苦味礼讃

苦いものをきらう人たちが増えているという。
日本能率協会総合研究所が発表した味覚に関する調査によると、
「きらい・苦手な味」のトップに挙がったのは「苦味」だった。
全体の6割がそう答え、3年前の調査に比べても1割以上も増えているという。

そんな風潮の中、苦くない鮎の養殖に成功したというニュースがあった。
ミカンの皮から抽出したエキスを鮎の餌に混ぜることで、柑橘系の香りがする
鮎ができあがったのだ。苦味がなくオレンジの香りがする鮎の塩焼き。
あるいはレモンジュースのような香りが鼻腔をくすぐる鮎めし。
どうです、食べたくなりますか?(ウェーッ!)

およそ生き物であれば「甘味は栄養、酸味は腐敗、苦味は毒」
のサインであることを知っている。ものを食べる時に、
それを瞬時に判断できないと生死に関わるからだ。
苦味は食べ物に含まれている毒を警告する役割があるとされ、
さまざまな学習・経験を経なければ「苦い味」をおいしいとは感じないという。
つまりは「大人」にしかわからない味ってわけだ。

長女はボクより酒が強そうだが、女子会なんかで飲む酒はもっぱら甘いカクテルだという。
「ビールは苦いからきらい」という発言を聞くと、(まだまだねんねだな)と思う。
しかしビール嫌いが長女だけでなく、若者全体に蔓延していると聞くと、
いささか心配になる。「大人の味」でもある「苦味」をひたすら忌避する若者たち。
これも大人になりたがらないピーターパン・シンドロームの一種なのだろうか。

ワインの価値といえば苦味ではなく渋味だろう。良質の渋味こそワインの真骨頂といえる。
コーヒーはどうか。「やっぱ酸味よねェ」という浅煎り派もいるだろうが、
コーヒーはやはり、良質な苦味に真の価値があると思う。ボクは深煎り派で、
ことあるごとに深煎りコーヒーを礼讃しているが、浅煎り派はそれが面白くないらしく、
「筆者はコーヒーのことが少しもわかっていない」などと拙著のレビューにイヤミを
書いたりしている。ああそうですか、ってなもんで柳に風だが、
浅煎り派にも読んでもらいたい一文がある。

それは臼井隆一郎氏が書いたこんな一節だ。
コーヒーは複雑な苦みを特徴とした飲み物である。子供の飲み物ではない。
生きることがきれいごとでは済まないことを知った大人の飲み物である。
コーヒーには単に自然の苦みばかりではなく、社会や歴史の苦みも溶け込んでいる。
それがいい。大人が生きていく上で必要な認識など、
苦みからしか生まれてこないのである》

テレビのグルメリポーターは二言目には「このお肉、やわらかくておいし~い!」
と叫ぶ。あるいは「見た目よりあっさりしていておいしい」という。この手合いは、
やわらかくてあっさりした味であれば、何でも「おいしい」と感じるようだ。
つまりは許容度のきわめて狭~い鈍な舌をお持ちのようで、
「じゃあ、歯が欠けるほどクラスト()の硬いバゲットは不味いのかよ?」
とツッコミを入れたくなる。

鮎の苦み、フキノトウの苦み、ゼンマイ・ワラビの苦み、
ビターチョコの苦み、ブラックコーヒーの苦み……
これらのほろ苦さがわからない奴らに人生の何がわかるというのか。←また始まった
もちろん〝臥薪嘗胆〟の意味すらわからないだろう。

コンビニのスイーツに群がる今どきの発育不全な草食系男子たち。
フワフワ・トロトロの甘い菓子類に脳を冒されてしまっている軟弱男たち。
こんなヤワな連中とカクテルを飲みながら膝を交えて語り合う、
なんて金輪際御免こうむりたいね。
ああ、やだやだ。←向こうだってイヤだってよ




※お知らせ
この数カ月、金魚にエサをやっていません。
孤立無援のクロ金魚?にやったエサを
数で勝るアカ金魚が横取りしてしまうので、
懲らしめのつもりで断食させているのです。
ああ、かわいそうなまっ黒クロ助……。

クリックするとなんぼでもエサが出ますので、
遠慮なくやってください。
孤城落日の悲哀を感じているクロ助を
ヨロシクお引き立てください。






2012年7月8日日曜日

バツイチ万歳

60肩を押してひと泳ぎしてきた。
プール仲間から肩こりには磁気ネックレスが効く、といわれたもので、
さっそく買い込み、ここ数日つけているが、いまだ効果現れず。
痛みさえとれるのなら藁をもすがりたい思いなのだ。

プールは相変わらずのジジババ天国だが、
今日も〝聖水の素〟といえそうな若い女性が数人入ってきた。
若いといってもあんまり若すぎて小・中学生なんてことになると、
聖水どころか、こんどはオシッコで濁らされる心配までさせられるが、
それでもジジババで淀(よど)んだ水が少しは清められそうだから
ありがたい。飲むと生き返るような思いがする。←青汁かよ!

話変わってバツイチの甥っ子が再婚した。嫁さんもバツイチで、
ちょうどお似合いというわけだが、甥にはもったいないくらいの美人で、
親戚じゅうでは「檀れいにそっくり」などと噂されている。

実際、檀れいも真っ青という超ウルトラ美人で、
こんな妖艶な美女がプールに来てくれれば、おっさんたちの背筋
だってピンと伸びるだろうし、ムスコだって元気になる。

ボクもバツイチになれば、こんな美女にめぐり会えるかも、
なんて不謹慎なことをつい考えてしまうが、昔と違って、
「あたし、バツイチどころかバツニなんですゥ」なんて告白しても、
だれにも咎められないし、かえって「カッコいい」などと勘違いする
バカも出てくる始末で、世の中、実に平和なのである。

ボクはあいにく再婚はまだだが、できれば檀れい以上の美女をもらいたい。
そういえば、エデンの園のAdamはEveと初めて会った時、
Madam, I'm Adam(逆から言っても同じ)とマヌケな挨拶をしたそうだ。

Adamという男はなんともいけ図々しい。実は彼はバツイチで、
Lilith(リリス)という先妻がいたのに、そのことをイヴには黙っていた。
『創世記』の1章27節のくだりにはこうある。
《神その形のごとくに人を創りたまえり。すなわち神の形のごとくにこれを創り、
これを男と女に創りたまえり》

この一条はアダムの肋骨からイヴができる前の話で、中世の文献によれば、
先妻のリリスは夫アダムとの性生活に大いに不満があったという。
アダムは常に「上」がいいと云い、リリスは「下」じゃいや、
とアダムの傲岸で支配的な性格にウンザリしていた。
で、ついにアダムのもとを去り、紅海沿岸に転居したのだという。

人類の祖先とされるアダムがバツイチだったというのだから、
われわれ子孫がバツイチを恥じる必要など毛頭ない。大手をふるって
「ボクちゃん、バツがいっぱいで数え切れないんですゥ」
と胸を張ればいい。

うまいことやった甥っ子のH夫君、檀れいに似た嫁はんのE子さん、
どうか幸せになってください。叔父さんは陰ながら見守っております。

ところで可愛いH夫君、ここは内密の相談なんだけど、
たまにはあんたの嫁はんを叔父さんに貸してくれませんか?
加齢臭とションベン臭がプンプンする、
われらが温水プールの〝御清め役〟をやってほしいのです。
俗塵で濁った水を清らかな聖水に変えてほしいのです。
鼻汁を青汁に変えてほしいのです。←なんだか汚いな









2012年7月2日月曜日

もしもし邱さんQさんよ

   

照明を低く落とした大フロア。そこに参集した黒服の群れ。
案内状には「平服にてお越しください」とあったのに、これである。
ジャケットこそ羽織ったが、下はジーパンという出で立ちで
のこのこ出かけてしまったおのれの抜け作ぶりが恥ずかしい。
あの広い会場で、自分だけが完全に浮いていた。
平服といわれたら平服にしてちょうだいよ、まったくもォ……
日本人は、どこまで堅っ苦しいのか。



正面の祭壇には清澄で高々とした精神を感じさせる「一生書生」の4文字が、
参列者の心に涼やかな活を入れるかのように映し出されていた。
会場には『昴』の曲が静かに流れている。邱さんのお気に入りらしい。

皇居前にある「パレスホテル東京」。
本日は去る5月16日、88歳で死去した邱永漢(きゅう・えいかん)氏の「お別れの会」が
2階「葵の間」にて厳かに執り行われた。僭越ながらわたくしめも追悼の列の端に加わり、
一輪の白菊を霊前に供えてきた。

邱永漢氏は直木賞作家で経済評論家。いや、そんな肩書きだけではとても間に合わない。
実業家であり、株投資家であり、起業家であり、経営コンサルタントであり、
稀代の食通であり、かつては台湾独立運動に尽くした志士でもあった。
著作は450冊を超え、「お金儲けの神様」などと呼ばれた。

司会進行役は元TBSアナウンサー生島ヒロシ氏がつとめ、
邱さんと親交の厚かったユニクロ社長の柳井正氏が弔辞を読んだ。
失礼ながら弔辞は凡庸だったが、短く切り上げてくれたことが救いだった。
高齢者が多く、みな立ちっぱなしだったので、長広舌は迷惑なのだ。

さてボクの周囲を見回せば政財界のお偉い人ばかり。ボクの隣には
政治評論家の岡崎久彦氏がいた。新幹線に間に合わないので中座する、
などと独り言のようにブツブツ言ってたと思ったら、いつの間にか消えていた。
ああ、それにしても堅っ苦しい。早く退散するに如くはないと、心の中で
「邱さん、お世話になりました」と呼びかけ、小宴もそこそこに、
すたこらさっさと脱け出してきた。

450冊も本を書いたというだけで、寡作のボクなんか卒倒しそうになるが、
わずかに読んだ本の中では『食は広州に在り』が一番好きだ。
まず文章が洒落ている。邱さん一流の毒気とユーモアに満ち、
何より根底に書巻をひそめた格調高い文章がいい。
邱永漢は金儲けの達人である前に達意の文章家なのである。

《私がいわゆる食通でないことは私がいわゆる進歩的文化人でないのと同じくらい
確実なことである。私の舌は相当の鈍物で、珈琲と紅茶の区別くらいはつくが、
特級酒と一級酒を識別するだけの能力がない》(『食は広州に在り』)

コーヒーと紅茶をわずかに見分けられるという邱さんが、ある日、ボクに電話で、
「至急事務所までご足労ねがいたい」と言ってきた。13億という巨大なマーケットを
にらみ、中国雲南省でコーヒーを栽培したいから、ちょいとお知恵を拝借したい、
とこう言うのである。

そんなことがご縁で、邱さんのブログ『もしもしQさんQさんよ』に連載コラムの
ページをいただき、邱さんの誕生会などにも招待された。
邱さんのいいところは、「一生書生」という座右の銘にあるように、
ボクみたいな若輩者に対しても決して奢り高ぶらず、対等に遇してくれるところだ。
その謙虚な姿勢が邱永漢事務所の隅々まで浸透しているから、
秘書や社員一人一人と接しても、実に気持ちがいいのである。

「嶋中さん、他人(ひと)の女房と自分の文章はよく見えるもんですよ。ハハハ……」
たぐい稀なるユーモアとひねりの利いた毒舌。それが聞けなくなるのはひどく淋しい。

叔母の七十七日忌が終わったら、今度は母の一周忌、そして邱さんのお別れの会……。
ここのところ〝彼(ひ)岸の人たち〟との心の交流が続いている。
(し)岸の人たちとのつき合いは何かと七面倒くさいが、あっちの人たちは
余計なことをつべこべ言わず(当たり前だ)、あっさりしているからまことに気楽でいい。

邱さんのことだ、彼岸に行っても天人天女の綺麗どころに囲まれ、
「ねえ、邱先生ったらァ……」などと甘えられ、思いっきりヤニ下がっていることだろう。
そして極楽でも儲けのネタを探しているに決まってる。転んでもタダでは起きないのだ。
心よりの合掌。




←邱さんの類い稀なるブラックなユーモアが懐かしい。
その後、邱さんの遺灰は東京湾に散骨された。
生前から邱さんが望んでいたことだという。
黙祷……


2012年7月1日日曜日

異端と正統

昨日は母の一周忌の法要があった。
母が死んでもう1年。無常迅速というが、あっという間の1年だった。

暑い中、親戚のものたちが大勢参列してくれた。まことにありがたい。
いまや親の代がほとんど鬼籍に入ってしまったので、
法事の席はボクたち50~60代が中心だ。
思えば従兄弟たちと顔を合わせるのは慶事と仏事しかない。
そして互いに思うのだ。(年をとったなァ……)と。
同時に、(みんな年相応のいい顔になってきたなァ)とも思う。

当節は何かというとアンチエイジング流行りだが、
若ければいい、というものではない。人生の荒波を乗り越えてきた顔は、
それなりに美しいのだ。従兄弟たちの〝変わり果てた〟顔を見るたびに、
子供の頃のかわいい顔と二重写しになり、(ずいぶん老けちまったな)と
憐れみの情すら覚えるが、頬ずりをしてやりたくなるほど愛おしく
思えることもある。

     今では女房子供持ち
     思えば遠く来たもんだ
     此の先まだまだ何時までか
     生きてゆくのであろうけど
                        中原中也『在りし日の歌』より

ついでながら、海援隊の武田鉄矢が作詞したという『思えば遠くへ来たもんだ』は
この詩をパクったものといわれている。

それはともかく、これまでいろいろな葬儀に参列し、いろんな宗派宗旨にふれてきた。
神道があれば臨済宗、曹洞宗、浄土宗に浄土真宗、そして
〝南無妙法蓮華経〟を延々と唱題する創価学会の葬儀もあった。

うちの菩提寺は天台宗だ。天台宗は最澄を開祖とする宗派で、正式名は
「天台法華宗」。幾千あるお経の中で、一番価値の高いのは「法華経(正式名は
妙法蓮華経)」とした。だから日蓮宗とは同じ法華経を信ずるもの同士なのだが、
なぜか仲がわるいという。

妙法蓮華経というのは妙(たえ)なる法を説いた蓮華のようなすばらしいお経、
という意味で、その妙法蓮華経を大いに広めれば、万民が幸せになるというのが
日蓮の考え方だ。で、うちわ太鼓をドンドコと叩きながら〝南無妙法蓮華経〟を唱題する。
「南無」はI believeの意で、「帰依しま~す」という呼びかけだ。

日蓮は他宗派を異端とし、それを認めないという厳しい態度を貫いた。
法華経が唯一正しくて、他の宗派はみな間違っていると説いたのである。
日本には珍しく戦闘的な宗派といえるかもしれない。
しかし、いくら戦闘的といってもイスラムのシーア派対スンニ派のように、
血で血を洗うような激しさはない(かつてはあった)。

キリスト教には「異端は異教の罪よりも重い」という言葉がある。
異教というのはたとえばキリスト教に対する仏教やヒンドゥー教など、
まったく別の宗教のこと。それらよりむしろ「異端」、つまり同じ宗教でありながら
解釈を変えたもののほうが罪が重い、というのである。シリアの内戦に見られる
「体制派=アラウィ派(シーア派の一派)」と「反体制派=スンニ派」の対立が
まさにそれだろう。

イスラム教は異教に対しては比較的寛容といわれている。が、異端には厳しい。
なぜなら異端は神に対する冒涜だからだ。

南無妙法蓮華経を延々と唱題する宗派にも、正直閉口するが、
だからといってこの宗派を信ずる従兄弟と絶縁しようとは思わない。
ましてや彼らを根絶やしにしてやろうなどとは金輪際思わない。
そしてまた、わが天台宗が唯一無二の正統性を有しているとも思わない。
そもそも天台宗の何たるかを知らない。

遠いアラブの国々の争いを見ていると、日本に生まれたことの
幸せをしみじみ思う。



秩父のT夫ちゃんとM代さん。
昨日は遠くからアリガトね。
どうだった川越の〝粗餐〟の味は? 秩父の粗餐のほうがおいしい?
「秩父流」のほうに正統性がありそう? それとも川越流?
あ~あ、やっぱり平和なニッポンに生まれてよかった。