2011年11月21日月曜日

コーヒーも音楽熟成

コーヒー生豆を10年以上寝かせる、といえば銀座のランブルが本家本元だが、
店主の関口一郎氏が音楽を聴かせながら熟成させている、
という話は寡聞にして知らない。

日本音楽熟成協会」というのがあって、食品などの熟成過程で音楽をかけてやると、
糖度やうま味がアップするという。「音楽熟成」というのだそうだ。

たとえばバナナを室(ムロ)に入れ熟成させる際にモーツァルトの曲を流す。
するとバナナの糖度が上がり、おどろくほど美味なバナナになるという。
名づけて「モーツァルトバナナ」。

モーツァルトの曲には800ヘルツ以上の高周波とゆらぎの音がたくさん含まれ、
あらゆるものの分子を活性化する作用があるという。
そういえば牛の乳を搾る時、モーツァルトをかけてやると乳の出がよくなる
という話を聞いたことがある。

音楽熟成はあらゆるところに応用され、ワインの熟成はもちろんのこと、
工場作業員のストレス解消や事故率低下、
客の入りの悪い店の集客力アップなどにも効果を発揮するという。

女房に聞いたら、先日訪れた佐渡島の黒イチジク(フランス原産)も
モーツァルトを流し熟成させているという。モーツァルトを流すと、
ねっとりとした食感と濃厚な甘みが増すらしい。

群馬・高崎の大和屋が「石蔵熟成珈琲」という炭火焙煎コーヒーを売り出した。
まだ飲んではいないが、大谷石を積んだ石蔵の中で1年間生豆をエイジング、
もちろん豆にはモーツァルトを聴かせている。大谷石は遠赤外線の放出量が多く、
食品に含まれる水の分子を活性化させる働きがあるという。

わが家も女房が身ごもった時、モーツァルト(主に後期の交響曲40番と41番)
を聴かせてやったことがある。乳の出をよくするためと胎教のためである。
しかしその後は、エリック・ドルフィーやチャーリー・ミンガスといった
前衛ジャズばかりかけて聴かせた。そのおかげなのかどうか、
娘たちの熟成はいくぶん過剰に進んでしまったようだ。

コーヒーにモーツァルトはぴったりかもしれないが、ワインの熟成には
ぜひとも浪花節を聴かせてやってほしい。ワインは良質な渋みが命。
渋みといったらなんてったって浪花節が一番だろう。
「広沢虎造熟成ワイン」とか「玉川勝太郎長熟ワイン」なんてものがあったら
すぐにも買って飲んでみたい。

いま、わが家にはコーヒー生豆が10キロある。懇意の友人からの
還暦プレゼントである。それにしても10キロとは(呆然)……。
一部は煎って、残りは熟成させてみよう。

この際だから、モーツァルトよりもボクの歌を聴かせながら熟成させてやりたい。
というわけで、毎日、生豆を前にギターをかき鳴らしながら歌っている。
家人は迷惑がっているが、豆たちは喜んでいるようだ。



※来年は辰年でボクは年男。モーツァルトにたよらずとも熟成が進み、
ほどよく渋みも増してきている。
さぞ女性にもてる年になるだろう。←バカは死ななきゃ……

孔門十哲の1人子貢は孔子の死後、6年間喪に服したという。
今年は震災もあったし母も死んだ。子貢のマネはできそうにないが、
せめて「服喪三年」の気持ちだけは忘れずにいたい。
というわけで、ご無礼ながら皆々様への年末年始のご挨拶は遠慮させていただきます。

2011年11月18日金曜日

和合に本腰

ことばの問題のつづき。

ボクの親友チョ・ヒチョル先生のことはすでにお馴染みだが、
今回は彼の奥方・崔銀珠(チェ・ウンジュ、韓国では夫婦別姓)さんのエピソード。

チェさんは日韓同時通訳では第一級の人で、金泳三、金大中元大統領
来日の際にも同時通訳をつとめている。小5~高1まで日本で過ごし、
その流暢な日本語はほとんどネイティブと変わらない。

1988年のソウルオリンピック。冷戦のさなか、「東西の和合」が大会テーマだった。
彼女はソウルオリンピック組織委員長の通訳をつとめ、8ヵ国同時通訳で進められる
開会式と閉会式でも日本語部門を担当した。

コトの起こりは開会式だった。コンノリという民俗遊戯で雌雄のコッ(太い綱)が
激しくぶつかり合うクライマックス。彼女はいろんな思いで感極まってしまったのか、
思わずこう叫んでしまった。
ただいま和合が絶頂に達しましたッ!

その日の夕刻、当時のNHKソウル支局長が日本語の「和合」の持つ
もう一つの意味をそっと教えてくれた。いわずと知れた「夫婦の性の営み」のことだ。
「キャーッ! うそでしょう?」
チェさんは両手で顔を覆ったまま、しばらく口がきけなかったという。

それが契機となり、チェさんはお茶の水女子大学に留学し、
日本語を一から学び直すことになった。
日本語のブラッシュアップにいよいよ〝本腰を入れる〟ことになったわけだ。

あっ、いけねえ。女性に「本腰を入れる」なんてお下品なことばを
使わせちゃいけないんだよね(←わざとらしい)。
社民党の土井たか子センセーはよく使ってたけどね。
あれは遊里から出たことば。
意味はもう、おわかりですよね。

2011年11月10日木曜日

やらさせていただきます

今さら国語の乱れを嘆いてみてもはじまらないが、
次女に以下のように問いかけたところ、こんな答えが返ってきた。

「最近、〈雰囲気〉を〈ふいんき〉と言う人が多いらしいけど、どうなの?」
「そんなの今やジョーシキ。私もときどき使うもん……」
事実、〈ふいんき〉と入力、変換キーを押し、しばらくして
ようやく「ハッ!」と気づくこともしばしばだという。
蛙の子はやはり蛙か。

「ふ・ん・い・き」だと「ふ」と「ん」に力を込め、ハッキリ発音しないと、
次の「い」へうまくつなげない。でも「ふ・い・ん・き」なら口をさほど
動かさなくてもスムーズに発音できる。横着なしゃべり方だけれど、
省エネでCO2の排出量も少ない、という理屈なのだろうか。

そういえば「山茶花」だって本来は「さんざか」が正解だった。
が、いつの間にか「さざんか」になり、今やすっかり定着している。
「ふいんき」が多数派になる可能性は大なのだ。

文化庁による世論調査によると、「ら抜き」言葉に関しては、
16~19歳では約73%が間違って使用しているという。最近では
「さ入れ」言葉も猛威をふるっていて、「読ませていただきます」は
「読ま<さ>せていただきます」となり、「行かせていただきます」は
「行か<さ>せていただきます」となる。

loopyな鳩山元首相がこの「さ入れ」言葉の名人で、今でも、
「お訴えを<さ>せていただきたい」「汗を流<さ>せていただきます」
などとやっている。おそらく閨房のしとねでも、幸夫人に向かって、
「今夜はがんばら<さ>せていただきます」などと、
ムスコともども頭を下げているのだろう。

笑っちゃうのは、東国原(そのまんま東)前宮崎県知事が、
自らの談合問題にふれた際、
「私も、かつて不祥事を起こ<さ>せていただきましたが……」
と口走ってしまったこと。あわてて言い直したというが、
これなんかは呆れるよりも思わず吹きだしてしまう。

言葉の問題はまだまだ言い足りない。
が、キリがないのでやめる。
結論はなし。オチもなし。
ただ憮然としている。


2011年11月2日水曜日

NGOどぜう内閣

日本人は隣家の庭木が少しでもわが〝小庭〟を侵食したりすると、
ケシカランといって文句を言うくせに、竹島や尖閣諸島が侵食されても、
のんしゃらんと他人事みたいな顔をしている。

平成9年、西村眞悟議員が国会議員として初めて尖閣諸島の
魚釣島へ上陸した時も、マスコミはほとんど無視、
「またぞろ右翼議員がバカなことをしでかした」みたいに報道する
メディアもあった。この国では憲法と領土問題に首を突っ込むと、
「右翼」というレッテルを貼られてしまう。

どういうわけか日本人は領土、領海、領空に対する防衛意識が低く、
とりわけ民主党政権にその傾向が強い。
ほとんどビョーキと言っていい。

その主権意識の低さは、いったいどこから来るものなのだろう。
某評論家は、民主党が不磨の大典のごとく崇める日本国憲法の、
その「前文」が根源ではないか、と推測している。

憲法前文にはこうある。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して
われらの安全と生存を保持しようと決意した》と。
つまり、日本人の生存権自体を、心やさしき〝諸国民〟
の手にゆだねております、ということだ。
オイオイ、日本のまわりに、平和を愛する国なんてあったっけ?

情けないことに民主党政権は、「NGO内閣(非政府内閣)」などと
陰口をたたかれるほどの素人甘ちゃん集団。
おまけに、揃って自衛隊ぎらいの軍事オンチ内閣だから、
シビリアンコントロールの概念すら分かっていない。

菅前総理はかつて、
改めて法律を調べてみたら、(総理大臣は)自衛隊に対する
最高の指揮監督権を有すると規定されている」などと発言したことがある。
そう、自衛隊の最高指揮官はもちろん内閣総理大臣だ。
そんなことはジョーシキで、どんな出来損ないの小学生だって知っている。
軍事オンチもここまでくると末期的という外ない。

ボクの親は「勉強するとバカになるからあんまり勉強するな」
と常日頃から言っていた。かの福澤諭吉も頭でっかちの本の虫を
〝文字の問屋〟と軽蔑し、無用の長物と切り捨てていた。

菅も鳩山も、もともとオツムの出来がわるいくせに、
ムリに詰め込んだものだから、バカがこんがらがってしまったらしい。
なんてったって、言うに事欠き「友愛の海」だもんね。おまけに、
日本列島は日本人だけのものではない」(鳩山)などと言い出す始末。
じゃあ、いったい誰のものなんだよ。
感動しすぎて涙が出るよ。



※明日3日(木)は「明治節」で祝日だ。
今は「文化の日」などと呼び、いったい何の祝日やら分からないが、
もともとは明治天皇の誕生日を祝い、明治の遺徳を偲ぶ日だった。
「尚武の日」とでも名づければよかったのに。