先日、スーパーの袋詰めカウンターで老夫婦が人目をはばからずケンカをしておった。
「アナタ、どうしてこんなもの買ったの?」
「そんなこと、いちいち俺に指図するんじゃない!」
「そう言ったって、料理するのは私じゃないですか!」
「お前は口うるさいんだよ。いったい誰のおかげでメシが…………思ってんだ!」
とまあ、諍いの中身は実に月並みでたわいがない。
またこんな光景を目撃したこともある。ここでも老夫婦のお買い物だ。
どこか所在なげに女房殿のあとをトボトボとついていく夫が、
晩酌の肴にしたかったのだろう、タコブツの刺身をさりげなく買い物かごの中に滑り込ませた。
するとおカミさんは素知らぬ顔してタコブツを売場へ戻してしまったのだ。
夫はすかさず反撃するかと思いきや、無言で首うなだれ、
またトボトボと細君の後に従ったのである。
(年金生活に入ると、タコブツさえも満足に食べさせてもらえないのか……)
なんだか身につまされる光景で、見ているこっちまで涙を誘われてしまった。
男も定年で第一線から退くと、夫婦の力関係は俄然変わってくる。
老妻に言わせれば、月給をもらってこない男は、ただ口うるさいだけの粗大ゴミ。
いっそ熨斗でもつけてゴミ収集車に持っていってもらいたいくらいなのかもしれない。
ここで不変の定理を一つ。
ニッポンの男-仕事=零(ゼロ)
定年退職し、心豊かな年金生活を送っている男がいないわけではないが、
現役を退いた男は総じて急激に色褪せ、心身ともに輝きを失ってしまう。
仕事人間だったものほどその度合いが強く、ほとんど脱け殻みたいになってしまう。
これはボクが観察していて確信した悲しいファクトである。
わが棟にもその〝脱け殻たち〟がいっぱいいる。
ボクが「むかし偉かったおじさん」と揶揄する連中のことで、
隠居なら隠居らしく、みなから愛され、若者たちの手本となるような生き方をすれば
いいものを、むかしの〝栄光〟が忘れられないのだろう、何かというと権高な態度をとる。
ボクはおばさんやおばあさんに絶大なる人気がある(←あまり自慢にならんけどね)。
若い娘にはさっぱりなのだが、男でも女でもない〝第三の性〟には、
なぜかモテモテなのである。或るとうのたった人妻がしみじみ言っとった。
「Sさんは気さくで飾らないからいいわね。ふつうの男はそうじゃないから……」
どうやらボクは、「ふつうの男」ではないらしい。
プール仲間のM子さん。ご亭主がそばにいるというのに、コースロープにもたれながら、
「Sさんの鍛え上げられた筋肉モリモリの〝上半身〟は、ほんとうにステキ!」
これって、誘惑してるのかしら? 言うことが開けっぴろげで、少しも悪びれない。
こっちはゲラゲラ笑いながら、
「ほんとうは〝下半身〟のほうがステキなんですよ」
と返してやると、夫婦そろって大爆笑。
文字どおりの裸づき合いしている仲間たちは、屈託がなくていい。
ボクは「明日からおばさんになります」とすでに〝おばさん化宣言〟を発している。
陰気なおじさんに属していることがいやで、〝白い煙と赤い玉〟が出たのを潮に、
おじさんを廃業し、おばさんになることに決めたのである。
おばさんは気楽でいい。
地位や名声などハナからないし、権力欲もおじさんほど強くはない。
もちろん見栄を張ったりはするが、ご愛敬の範囲内で、それほど臭みはない。
ただし金持ちの有閑マダムは別。わが団地にも数人見かけるが、
虚栄虚飾に充ち満ちていて、自分の〝身の丈〟を測りかねているのか、
亭主自慢と子ども自慢に明け暮れ(←自分は自慢できるものがひとつもない)、
やたらと背伸びをしたがっている。
人間の出来としては下の下の部類だろう。
ボクの敬愛する毎田周一はこう言ってる。
《世の中で一番大切なことはどういうことであるか。
頭を下げること。
一番詰まらぬことは。
高慢。》
《人間最高の徳は?
謙虚。
人間最大の不徳は?
高慢。》
皆さん、身の丈に合った生き方をしてますか?
「アナタ、どうしてこんなもの買ったの?」
「そんなこと、いちいち俺に指図するんじゃない!」
「そう言ったって、料理するのは私じゃないですか!」
「お前は口うるさいんだよ。いったい誰のおかげでメシが…………思ってんだ!」
とまあ、諍いの中身は実に月並みでたわいがない。
またこんな光景を目撃したこともある。ここでも老夫婦のお買い物だ。
どこか所在なげに女房殿のあとをトボトボとついていく夫が、
晩酌の肴にしたかったのだろう、タコブツの刺身をさりげなく買い物かごの中に滑り込ませた。
するとおカミさんは素知らぬ顔してタコブツを売場へ戻してしまったのだ。
夫はすかさず反撃するかと思いきや、無言で首うなだれ、
またトボトボと細君の後に従ったのである。
(年金生活に入ると、タコブツさえも満足に食べさせてもらえないのか……)
なんだか身につまされる光景で、見ているこっちまで涙を誘われてしまった。
男も定年で第一線から退くと、夫婦の力関係は俄然変わってくる。
老妻に言わせれば、月給をもらってこない男は、ただ口うるさいだけの粗大ゴミ。
いっそ熨斗でもつけてゴミ収集車に持っていってもらいたいくらいなのかもしれない。
ここで不変の定理を一つ。
ニッポンの男-仕事=零(ゼロ)
定年退職し、心豊かな年金生活を送っている男がいないわけではないが、
現役を退いた男は総じて急激に色褪せ、心身ともに輝きを失ってしまう。
仕事人間だったものほどその度合いが強く、ほとんど脱け殻みたいになってしまう。
これはボクが観察していて確信した悲しいファクトである。
わが棟にもその〝脱け殻たち〟がいっぱいいる。
ボクが「むかし偉かったおじさん」と揶揄する連中のことで、
隠居なら隠居らしく、みなから愛され、若者たちの手本となるような生き方をすれば
いいものを、むかしの〝栄光〟が忘れられないのだろう、何かというと権高な態度をとる。
ボクはおばさんやおばあさんに絶大なる人気がある(←あまり自慢にならんけどね)。
若い娘にはさっぱりなのだが、男でも女でもない〝第三の性〟には、
なぜかモテモテなのである。或るとうのたった人妻がしみじみ言っとった。
「Sさんは気さくで飾らないからいいわね。ふつうの男はそうじゃないから……」
どうやらボクは、「ふつうの男」ではないらしい。
プール仲間のM子さん。ご亭主がそばにいるというのに、コースロープにもたれながら、
「Sさんの鍛え上げられた筋肉モリモリの〝上半身〟は、ほんとうにステキ!」
これって、誘惑してるのかしら? 言うことが開けっぴろげで、少しも悪びれない。
こっちはゲラゲラ笑いながら、
「ほんとうは〝下半身〟のほうがステキなんですよ」
と返してやると、夫婦そろって大爆笑。
文字どおりの裸づき合いしている仲間たちは、屈託がなくていい。
ボクは「明日からおばさんになります」とすでに〝おばさん化宣言〟を発している。
陰気なおじさんに属していることがいやで、〝白い煙と赤い玉〟が出たのを潮に、
おじさんを廃業し、おばさんになることに決めたのである。
おばさんは気楽でいい。
地位や名声などハナからないし、権力欲もおじさんほど強くはない。
もちろん見栄を張ったりはするが、ご愛敬の範囲内で、それほど臭みはない。
ただし金持ちの有閑マダムは別。わが団地にも数人見かけるが、
虚栄虚飾に充ち満ちていて、自分の〝身の丈〟を測りかねているのか、
亭主自慢と子ども自慢に明け暮れ(←自分は自慢できるものがひとつもない)、
やたらと背伸びをしたがっている。
人間の出来としては下の下の部類だろう。
ボクの敬愛する毎田周一はこう言ってる。
《世の中で一番大切なことはどういうことであるか。
頭を下げること。
一番詰まらぬことは。
高慢。》
《人間最高の徳は?
謙虚。
人間最大の不徳は?
高慢。》
皆さん、身の丈に合った生き方をしてますか?