2014年9月29日月曜日

ああ、定年!

先日、スーパーの袋詰めカウンターで老夫婦が人目をはばからずケンカをしておった。
「アナタ、どうしてこんなもの買ったの?」
「そんなこと、いちいち俺に指図するんじゃない!」
「そう言ったって、料理するのは私じゃないですか!」
「お前は口うるさいんだよ。いったい誰のおかげでメシが…………思ってんだ!」
とまあ、諍いの中身は実に月並みでたわいがない。

またこんな光景を目撃したこともある。ここでも老夫婦のお買い物だ。
どこか所在なげに女房殿のあとをトボトボとついていく夫が、
晩酌の肴にしたかったのだろう、タコブツの刺身をさりげなく買い物かごの中に滑り込ませた。
するとおカミさんは素知らぬ顔してタコブツを売場へ戻してしまったのだ。
夫はすかさず反撃するかと思いきや、無言で首うなだれ、
またトボトボと細君の後に従ったのである。

年金生活に入ると、タコブツさえも満足に食べさせてもらえないのか……)
なんだか身につまされる光景で、見ているこっちまで涙を誘われてしまった。

男も定年で第一線から退くと、夫婦の力関係は俄然変わってくる。
老妻に言わせれば、月給をもらってこない男は、ただ口うるさいだけの粗大ゴミ。
いっそ熨斗でもつけてゴミ収集車に持っていってもらいたいくらいなのかもしれない。
ここで不変の定理を一つ。

ニッポンの男-仕事=零(ゼロ)

定年退職し、心豊かな年金生活を送っている男がいないわけではないが、
現役を退いた男は総じて急激に色褪せ、心身ともに輝きを失ってしまう。
仕事人間だったものほどその度合いが強く、ほとんど脱け殻みたいになってしまう。
これはボクが観察していて確信した悲しいファクトである。

わが棟にもその〝脱け殻たち〟がいっぱいいる。
ボクが「むかし偉かったおじさん」と揶揄する連中のことで、
隠居なら隠居らしく、みなから愛され、若者たちの手本となるような生き方をすれば
いいものを、むかしの〝栄光〟が忘れられないのだろう、何かというと権高な態度をとる。

ボクはおばさんやおばあさんに絶大なる人気がある(←あまり自慢にならんけどね)。
若い娘にはさっぱりなのだが、男でも女でもない〝第三の性〟には、
なぜかモテモテなのである。或るとうのたった人妻がしみじみ言っとった。
「Sさんは気さくで飾らないからいいわね。ふつうの男はそうじゃないから……」
どうやらボクは、「ふつうの男」ではないらしい。

プール仲間のM子さん。ご亭主がそばにいるというのに、コースロープにもたれながら、
「Sさんの鍛え上げられた筋肉モリモリの〝上半身〟は、ほんとうにステキ!」
これって、誘惑してるのかしら? 言うことが開けっぴろげで、少しも悪びれない。
こっちはゲラゲラ笑いながら、
「ほんとうは〝下半身〟のほうがステキなんですよ」
と返してやると、夫婦そろって大爆笑。
文字どおりの裸づき合いしている仲間たちは、屈託がなくていい。

ボクは「明日からおばさんになります」とすでに〝おばさん化宣言〟を発している。
陰気なおじさんに属していることがいやで、〝白い煙と赤い玉〟が出たのを潮に、
おじさんを廃業し、おばさんになることに決めたのである。

おばさんは気楽でいい。
地位や名声などハナからないし、権力欲もおじさんほど強くはない。
もちろん見栄を張ったりはするが、ご愛敬の範囲内で、それほど臭みはない。
ただし金持ちの有閑マダムは別。わが団地にも数人見かけるが、
虚栄虚飾に充ち満ちていて、自分の〝身の丈〟を測りかねているのか、
亭主自慢と子ども自慢に明け暮れ(←自分は自慢できるものがひとつもない)、
やたらと背伸びをしたがっている。
人間の出来としては下の下の部類だろう。

ボクの敬愛する毎田周一はこう言ってる。
《世の中で一番大切なことはどういうことであるか。
頭を下げること。
一番詰まらぬことは。
高慢。》

《人間最高の徳は?
謙虚。
人間最大の不徳は?
高慢。》

皆さん、身の丈に合った生き方をしてますか?





















 

2014年9月22日月曜日

嬉し悲しき独立記念日

スコットランドは幸か不幸か〝独立ごっこ〟に終わってしまったが、
わが家の長女は昨日みごと「独立」を果たした。
親元を離れて暮らすのは高校時にイタリアはトリノで1年間ホームステイして以来のこと。
数年前に親元を離れていった妹に刺激されたのか、
(このまま親元でぬくぬくと惰眠を貪っていてはいけない)
と危機感を感じたのかどうかは知らないが、突然、「家を出たい」と言い出した。

おじさんはショックだった。次女はすでに横浜暮らしだから、
これで娘2人が親を捨てて出ていってしまうことになる(←大げさだろ!)。
残されたのはジジとババ。これからいったい何を支えに生きていけばいいのか……。

女親は息子が巣立つと号泣し、男親は娘が巣立つと号泣するという。
ボクは兵庫県の野々村〝号泣議員〟を「男の風上にも置けないフニャチン野郎
と蔑んでおったが、いざ娘たちが「ほな、サイナラ」とあっさり出ていってしまうと、
「ウワーン! やっと育てた娘なんですゥ! 世の中を……ウッ……ガエタイ(変えたい)」
などと泣き出したくなる。


アパートのお隣さんはどうやらオトコらしい。
「挨拶に行ったら、男の人が出てきた。別にふつうの人だったよ……」
〝おたく〟みたいな人だったらイヤだな、と長女はちょっぴり心配しておったが、
ごく〝人並み〟の男だったらしく、安心したという。でもおじさんは心配だ。
「洗濯物に男のパンツ(父ちゃん愛用のユニクロパンツがいいな)を混ぜときなさい」
「表札には複数名書いとくといいんだ」
などと貴重な防犯上のアドバイスをしてやったが、娘は鼻でせせら笑ってた。

「子の親離れより親の子離れのほうが深刻だね」
女房は意気消沈しているおじさんに対して非情な言葉を浴びせかけるが、
おじさんは反論する気力すら失せてしまっている。

Mさんから頂戴した大きな栗(渋皮煮が甘くておいしい)をモソモソ食べ、
ようやく元気を取り戻せそうな気分になりかけたが(おいしかった。Mさん、ありがとね)、
やっぱり長女の賑やかな話し声と飛びっきりの笑顔が目の前から消えてしまうと、
「ウワーン! だからァ……グズッ……命がけでェ……ウワーン!」
となってしまいそうで、自分でも自分が怖い。

昨日は次女のボーイフレンドとも会った。一緒にプールで泳ぎもした。
キャッチボールもした。メシも食った。長女の引っ越しを手伝ったあとの
ハードトレーニングだったから、もうヘロヘロだったが、とても充実した一日であった。
でも……おじさんは未練たらしく長女の心配ばかりしている。


長女もいつの日かカレシを見つけ、わが家に連れてくるだろう。
いや、へたをすると生涯その日が来ないかもしれない。
結婚するにしろしないにしろ、彼女が選ぶ人生である。
しかしいずれにしても、娘たちは雄々しく親元を巣立っていく。
ああ、喜び半分、さびしさ半分……おじさんという生き物は悲しい運命の下にある。
「ウェーン! だからァ…この日本はァ…アゥアウゥアゥ…ウェーン!」(←一生やってなさい








←ケニヤで赤ん坊を抱く長女。







※追記
しかし考えてみれば、女房の亡父(浜松)は1男2女を全員東京の大学に行かせ、
3人はそのまま東京と埼玉に所帯を持つことになってしまった。息子や娘たち、
そして孫たちに会えるのは年に数回。
(ずいぶん淋しい思いをしていたんだろうな……)
義父や義母の気持ちがいま、ようやく分かったような気がする。
こっちは巣立ちといっても、電車に乗ればすぐに会える距離にいる。
贅沢を言ってはバチが当たるな。反省、反省……

2014年9月18日木曜日

スコットランドの独立ごっこ

早稲田大学在学中、次女がイギリス北東部のニューカッスル大学に留学したという話は
すでにしたが、大学を選ぶ際、スコットランドのエディンバラ大学という選択肢もあった。
どちらでもOKだったのだ。エディンバラはスコットランドの首都。
旅好きの女房は次女在英中に渡英し、母子でスコットランドをぐるっと巡ってきた。

そのスコットランドが今、分離独立するかどうかで揉めている。
そのあたりの事情は『独立ごっこ』の中でも少しふれたが、
どうやら〝ごっこ遊び〟では収まらない雲行きになってきた。

承知のようにイギリスの正式名称は「グレートブリテン、および北部アイルランド・
連合王国」というが国名が長すぎるので、、一般には連合王国(United Kingdom)と
呼ばれている。

そのUKを民族別に腑分けすると、
●イングランド=ゲルマン系のアングロ・サクソン人
●スコットランド=アイルランドから来たケルト系のスコット人
  
●北アイルランド=ケルト人
●ウェールズ=ケルト系のブリトン人(大陸に追いやられた人たちはフランスの
ブルターニュ地方に住みついた。ブルターニュとは「ブリトン人の地」の意)

ということになる。

つまり現在のイギリスは、5~6世紀、北海からやってきたゲルマン民族のアングル人と
サクソン人が先住のケルト人を追っ払って多数派となった、という国なのである。
イギリス人といっても1500年前はドイツ人だった――まず必要なのはその認識だ。

スコットランドの国土面積はUK全体の約30%、人口は8%に当たりおよそ530万人だ。
GDPは約9%を占めるに過ぎないというから、仮に独立しても深刻な影響はおよぼさない、
とする声もあるようだが、はたしてそうか。

スコットランドの独立運動が盛んになったのは北海に油田が発見された1960年代からだ。
この原油収入のほとんどを中央政府が持っていってしまい、スコットランドへの配分が少ない
というのが、彼らの大いなる不満の一つなのである。もし分離独立に成功すれば、
油田からの税収だけで530万の人口を養える、という理屈なのだが、どれだけもらえるかは
中央政府との交渉次第だから、そう簡単には事は運ばない。
それに産出量が毎年落ちてきている。北海油田だけに頼るのは危険な賭けでもある。

いずれにしろ独立問題がこじれれば、ポンドの大幅下落は避けられず、
イギリスの存在感も相対的に薄れていくだろう。
それにスコットランドにはSLBMを搭載した原潜基地を有している。
防衛戦略も大幅な変更を迫られることは必至だ。

もしスコットランドが分離独立することになると、ウェールズや北アイルランド、
さらにはスペインはカタルーニャ地方にもナショナリズムの大波が押し寄せるかもしれない。

世界には少数民族も含めると、約3000~3200の民族があるとされている。
国の数をおよそ200とし、平均すれば1国が約16の民族を抱えこむことになる。
その民族がそれぞれ〝民族自決〟を掲げ、独立運動に血道を上げるようになったら
どうなるか。安易に住民投票や国民投票が多用されると、国家や社会が不安定化し、
とても危険な事態が招来されるのである。

ドイツには《痛みのある終わりのほうが、終わらない痛みよりよい》とする諺がある。
どんな決着になるか分からないが、もともと北ドイツから渡ってきたイギリス人も、
この諺を噛みしめる日が早晩来るのかもしれない。

次女のニューカッスル大学での同窓3人が、
いまAET(アシスタント・イングリッシュ・ティーチャー)として
日本の学校で働いている。エマやダニエル、スチュワートがそれだ。
みな固唾を飲んで投票のゆくえを見守っている。




←スコットランド独立のために戦った
実在の人物ウィリアム・ウォレスの
生涯を描いた映画『ブレイブ・ハート』。
主演のメル・ギブソンがカッコよかったなァ。
今年はイングランド軍を撃破した「バノックバーンの戦い」
からちょうど700周年に当たるという。
独立派の鼻息が荒いのも当然か





 

2014年9月12日金曜日

「1億総介護社会」をどう生きる

赤ん坊や幼児はほんとうに可愛い。
ベビーカーに乗り、ちっちゃなアンヨをふてくされたように投げ出している赤ちゃん。
保育園の柵付きリヤカーに揺られ、にぎやかに押し合いへし合いしている園児たち。
ボクはこうしたあどけない幼児(おさなご)たちを見ると、つい目元口もとがゆるんでしまう。

そして同時に、わが娘たちが床をハイハイしていた頃のことを思い出す。
泣き叫ぶ娘のオムツを替え、お尻をきれいに拭いてやると、肌はもうサラッサラ。
指でつつくとマシュマロみたいにやわらかい。あの感触はいまもボクの手指に残っている。

その赤ん坊も80年、90年と齢を重ねれば、こんどは大人用オムツのお世話になる。
団地内のゴミ置き場にある生ゴミ用コンテナ内は、用を足した大人用オムツでいっぱいだ。
年々、その数が増えているような気もする。要介護の老人が殊の外多いのだろう。

1億総介護社会」を迎え、大人用オムツの市場規模は年々膨らんでいるという。
'12年に子供用オムツの市場を追い抜き、現在、その市場規模は1600億円にのぼる。
ボクもそのうち、「アテント」や「ライフリー」といった老人用オムツの世話になるのかと思うと、
正直、気分が落ち込んでしまうが、そうなる前にポックリ逝かなくっちゃ、
と切実に思う(←ポックリ願望がある人ほどポックリに縁遠いそうだ)。

よくポックリと同様に「ピンピンコロリ(PPK)」という言葉が使われる。
死ぬまでピンピンして、長患いせずにコロリと逝く生き方を理想としているわけだが、
現実は病院のベッドで長期の寝たきりになって死ぬ「ネンネンコロリ(NNK)」が
大半を占めるという。老人用オムツが売れるわけだ。

改めていうまでもないが、赤ん坊はかわいいし、肌もきれいで、心もまっさら。
ウンチは臭いけど、あのあどけない笑顔を想えば、オムツ替えも苦にならない。
しかし老人は違う。見た目もしわくちゃだし、憎まれ口はたたくし、少しも可愛くない。
排泄物は大量で、おまけにその臭いときたら……(笑)。

さて人間の子は十月十日で生まれてくる。なかには生まれてすぐに7歩あゆみ、
右手で天を左手で地を指し、「天上天下(てんげ)唯我独尊」(この世で自分が一番尊い、と
〝自己チュー〟的な解釈がまかり通っているようだが、それは違う。「自分という存在は他に代わりのない
かけがえのない人間として生まれており、その命のままが尊い」の意である)と唱えた偉い人もいる。

またボクの敬愛する「老子」は母親の胎内がよほど居心地がよかったのか、
生まれ出るのに80年もかかっている。生まれた時は白い髯が生えていたというから、
さぞ母親はビックリしたことだろう。

ブラッド・ピット主演の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』という映画は、
第81回アカデミー賞の作品賞、美術賞、視覚効果賞などを受賞した名品だという。
ボクはあいにく観ていないが、この主人公も老子みたいに80歳の状態で生まれ、
年を経るごとに若返って、最後は赤ん坊として死んだという。

大人用オムツをつけて死ぬか、子供用オムツをつけて死ぬか……that is the question?
まるでハムレットみたいな心境だが、どっちにしてもあまりカッコよくない。

どうせ死ぬならカッコよく死にたい。
戦場で敵弾に当たって散華する、なんていうのが理想なのだが、
北九州市の特定危険指定暴力団「工藤組」の近所に住んでいないかぎり、
そんな僥倖にめぐり合うことはまずない。「常在戦場」がモットーではあっても、
オムツを着けたままの散華だけは願い下げだ。

人の一生は「オムツからオムツまでの間」だという。
どんなに栄耀栄華を極めても、その成れの果てが〝オムツ〟では、言葉がない。
まあ、それが人生といえばそれまでだが、それだけになおのこと、
セリーヌの墓に刻まれたという「否(ノン)」の一語が身に沁みる
実際は海の絵とヨットの絵が刻まれている、というのですがねw)。



←実家の孫(長兄の孫です)。
赤ん坊ってティッシュをぐちゃぐちゃにする
のが好きなんだよね。
健やかに育ってねHちゃん。







 

2014年9月10日水曜日

ユニクロ大好きおじさん

全米テニス準決勝、「錦織圭vsノバク・ジョコビッチ」は壮絶な戦いだった。
別名〝ユニクロ対決〟とも呼ばれたように、この2人がユニクロのブランドイメージを一気に
押し上げてくれたのは確かだろう。ユニクロ愛好者としてはまことに慶賀に堪えない。

ボクはユニクロがまだ海の物とも山の物ともつかない時代からの愛好者だった。
こう言うといかにも先見の明があったかのように聞こえようが、
何のことはない。要はカネがなくてユニクロしか買えなかった、というだけの話だ。

昔は「なんだユニクロか」と言われた。そこにはいくぶん蔑みの響きがあった。
「あっ、貧乏人の行く店ね……」
言葉にせずとも、そんな含みが感じられた。

ボクは靴以外は靴下、パンツ(下着です)、ズボン(今でいうパンツです)、
上着(Tシャツやフリースジャケットなど)、帽子とすべてがユニクロ。
昔はジーパンなどはリーバイスかエドウィンと決めていたのだが、
今はほとんどユニクロ製だ。伸縮性がいいから、とてもはきやすいのである。
ボクみたいなスレンダーな身体(←「虚偽報告!」の声も。だんだん朝日に似てきたか)には、
ユニクロのスキニーフィットジーンズがよく似合うのだ(勝手に言ってなさい!)。

ボクがもっとも軽蔑し、憐れみさえ覚えるのは、いわゆる「ブランド人間」だ。
バッグはエルメスやシャネルにヴィトンで、靴はフェラガモと超高級ブランド品を
身にまとい、これ見よがしに見せびらかす。韓国や韓国人を形容する言葉に
外華内貧」という流行り言葉があるが、まさにそれで、外見を飾れば飾るほど
内面の貧寒さ、心の空虚さが映し出されてくる。

ボクはユニクロの〝ブランド人間〟だが、全身をユニクロで固め、
「どうだ、すごいだろ」と自慢する気にはならない(←だれも畏れ入らないよ)。
そのうちユニクロブランドがシャネルやエルメスと拮抗するようになる
かもしれないが、どうせそこまでは生きられまい。

虚栄物欲を捨て去るのはほんとうにむつかしい。
人間は例外なく煩悩のくびきからは逃れられないようにできていて、
禅語で言うところの「本来無一物」という境地にはなかなか到達できない。

しかし質素を本(もと)とし、一瞬であっても虚栄虚飾を排することができれば、
すがすがしい風が心の中に吹きわたっていくのではないか。

ここでボクの敬愛する〝えんぴつ無頼〟竹中労の小文を引用させてもらう。
まるでボクの現在の心境を歌ったものではないか、と思えるからだ。

《フリーのもの書きになってから、
およそ四半世紀の日々を、
追い立てられるように私は生きてきた。
過去に一刻の安息もなく、
未来に向かって一文の貯えもなく、
六十の坂(原文は五十の坂)を越えてしまったのである。
嘆いているのではない。
〝三文文士〟の人生はかくあるものかと、
いっそ私は爽快なのだ……》

これって、貧乏人のひがみなんでしょうかね。
それとも開き直りか(笑)。

でもね、名利や財貨なんてものは所詮塵芥(ちりあくた)に過ぎず、
死んでしまえばすべてがパーです。
近頃は歳のせいか、そんなことばかり考えてしまうのです。
ニヒっているのでしょうかねェ(笑)。

マタイ伝福音書第6章にはこうあります。
汝ら己がために宝は天に積め』と。



←世紀のユニクロ対決。
 

2014年9月5日金曜日

「朝日」憎けりゃビールまで……

世の中には2種類の人間がいます。
「朝日新聞が好きな人」と「そうでない人」の2種類です。
ボクは後者で、ボクの友だちの多くも後者に属しています。

かつてボクは、朝日新聞が過去に犯した誤報や虚報を詳しく調べたことがあります。
ずいぶんありました。「従軍慰安婦問題」は虚偽報道の代表的なものですが、
もっと大きいのは「南京大虐殺」の捏造記事です。どちらも支那と韓国を利する
ための外交カードに使われ、日本の名誉が著しく傷つけられています。

朝日新聞は日本や日本人が誇らしく思うような記事はあまり書きません。
支那や韓国が喜びそうな記事ばかり書きます。彼の国が喜ぶのは
日本を貶め、日本人の尊厳を傷つけるようなニュースです。
朝日の報道姿勢は一貫して〝反日〟で、まるで支那や韓国の新聞社のようです。
そして今回の「従軍慰安婦」報道の訂正と取り消し(決して謝罪とはいえない)……。
言い訳ばかりに終始していました。

ハッキリ言いましょう。
朝日新聞社は爪先から頭のてっぺんまで腐り切っています。
あのような国賊的新聞は、メディアの責任として「廃刊にすべきだ!」
とする怒りの声が、いま日本国中に澎湃として巻き起こっています。

近頃は、「朝日」嫌いが昂じてか、「アサヒ」と名のつくものはみな癪のタネで、
アサヒビールさえ忌み嫌うようになってしまいました(←関係ねえだろ!)。

内閣改造で法務大臣の席を射止めた松島みどりは、元朝日新聞政治部の記者。
道理で赤いスーツがお好きなわけだ(永田町でのニックネームが「レッド松島」)、
とひとり合点したものですが、朝日を蛇蝎のごとく嫌う安倍首相が、
よくまあ朝日出身者を大臣にしたものだ、と半ば感心し、半ば心配もしていたのですが、
「従軍慰安婦問題」では公然と古巣の朝日を批判しているようですから、
おそらくは〝改心・転向〟して、ようやくまっとうな頭になったのでしょう(それでも親中・親韓派)。

おバカな韓国人は朝日新聞こそ日本の〝良心〟を代表するクオリティペーパーだと、
思っています。実際、日本の左翼文化人やインテリが好んで読む、というのは事実で、
そのことだけでもリベラルな文化人やインテリの〝浅学菲才ぶり〟や〝うさん臭さ〟が
透けて見えるというものですが、その「良心」が「K・Yサンゴ事件」や「吉田調書事件
でも得意の〝マッチポンプ〟ぶりを発揮し、日本人の尊厳を著しく傷つけています。

朝日新聞はなぜそこまでして日本および日本人を貶(おとし)めたいのでしょうか。
とりわけ「従軍慰安婦問題」では、その〝捏造報道〟のおかげで、日本の国益が
どれほど損なわれ、日本人への信頼と尊敬がどれだけ失われたか、
想像するだに恐ろしくなります。

なにしろ旧日本軍や日本政府が韓国・済州島において、12歳から25歳までの若い女性を
片っ端から連行し、「性奴隷」として兵隊たちの慰みものにした、という虚偽報道を
世界中にばらまいたのですから、その罪は万死に値します。そしてこの捏造記事を
32年間(ああ、32年間も!)も放置し、その間、訂正も謝罪もおこなわなかったのです。
そして今回の〝釈明記事〟ですが、よーく読んでみると、手のこんだ言い訳ばかりで、
謝罪の一言もありません。往生際が悪いというのはこのことです。

以前も書きましたが、戦後70年間のほとんど、日本は自民党政権によって運営されて
きました。つまり政治でも経済でも、朝日の主張と〝正反対〟のことをやってきた。
おかげで国は安泰、経済も活況をきわめ、世界有数の経済大国にのし上がることが
できたのです。

朝日の言うことと逆のことをやっていれば、
日本の平和と安全は保てる――この事実は
とてつもなく重いものです。

日本の悪口ばかり書き、日本人の誇りを傷つけることに生き甲斐を感じている朝日新聞
とその記者たち。経営の中枢に〝支那と韓国の影〟といったものを感じてしまうのは
ボクだけでしょうか。

それでも朝日を読み続ける、という熱烈朝日ファンはいるでしょう。
また「昔から読み慣れているから」と、軽い気持ちで購読を続ける人もいるでしょう。
別に咎めやしません。どうぞご勝手に。

でも、ひと言だけいわせてください。
この〝マッチポンプ・ペーパー〟とでも呼ぶべき朝日新聞の虚偽報道のおかげで、
いわれなき非難にさらされ泣いている海外在留邦人がいっぱいいるのです。
彼らの子どもたちが学校で「残虐非道な日本人!」などといじめられているのです。
日本人になんか生まれてこなければよかった、と悔やんでいる子がいるのです。

「言論の自由」「思想信条(良心)の自由」「報道の自由」はたしかにありましょう。
しかし嘘八百を並べ、好き勝手に記事を書き、日本および日本人を貶める自由が
はたしてあるのでしょうか。そんなことが許されていいものでしょうか。

ボクは今、とても腹を立てています。
(朝日と日教組は必ずぶっ潰してやる)
などと年甲斐もなく力み返っています。
蟷螂の斧であることは重々承知しておりますが、
微力ながらもひと太刀浴びせてやりたいのです。

日本の〝敵〟「朝日新聞」は即刻廃刊にすべきです。
社長以下、経営陣は総退陣すべきです。
それがまっとうな「良心」というものでしょう。



←ボクのお気に入りのプラカードです
もちろん「バカ=左翼文化人+インテリ」で、
「ヤクザ=新聞拡販員」のことです。
とにかくしつこいんだ、こいつらは……












 

2014年9月1日月曜日

小椋佳と「うなぎパイ」

毎月、老母の介護のため浜松の実家に戻る女房が、
時々手みやげに買ってくるのが春華堂の「うなぎパイ」(←ボクはもう食べ飽きた)だ。
浜松みやげといえば「うなぎパイ」で決まり、というくらい有名で、
全国の名物土産物ランキングでも「白い恋人」(北海道)「長崎カステラ」(長崎)に次ぎ
堂々第3位の栄誉に輝いている。

この〝夜のお菓子〟と謳った「うなぎパイ」には『うなぎのじゅもん』という名の
PRソングがある。作詞・作曲は小椋佳で、小椋が第一勧銀(現みずほ銀行)の
浜松支店長をやっていた時の作品だという。春華堂が担当取引先だったもので、
おそらく義理でつくらされたものだろう。

小椋佳を知ったのは高校生の時だった。深夜のラジオから流れる甘い歌声を聴き、
いっぺんで好きになってしまった。『シクラメンのかほり』は今でもボクの十八番だし、
気分が落ち込んだりした時はギターをつま弾きながら『少しは私に愛を下さい』を歌って
自分を慰めたりする(←愛に飢えているんです)。

小椋佳は今でこそテレビなどに露出しているが、銀行員との掛け持ちをやっていた時は、
いっさいテレビに出なかった(←会社との約束だったから)。ボクはラジオを聴きながら、
声のイメージから福山雅治みたいな美男子を想像していたのだが、
実際は想像とはまるで違っていた(笑)。

《ひと目見て、さて何と言って断ろうかと思った……》
これはレコード会社のプロデューサーT氏の言葉で、やはり美少年を想像しながら、
まだ見ぬ有望株を約束の喫茶店で待っていたのだが、現れ出たのが
とても歌手という風貌ではない》男だったもので、ひどくガッカリした、
と後に語っている。T氏はまた、《当時はアイドルにしろ歌手にしろ、
必ずテレビで売るから、容貌が悪いのは問題外だった》と正直に語っている。
小椋もボロクソに言われたものである。

小椋は東大法学部卒の学業優秀な男で、ウソ偽りなく第一勧銀の頭取候補だった
浜松支店長をやっていたのは'91年からほんの2年ほどで、その後、
本店の財務サービス部長となり、'93年、歌手に専念するため退職している。

わが家には小椋佳直筆の色紙がある。女房の唯一のお宝である。
そこには《ねむの木の揺さぶり止まず逢いたき時》という歌が添えてある。
義父が末娘(ボクの女房です)のために書いてもらったものだ。

義父は当時、第一勧銀浜松支店長だった小椋とビジネス上のつき合いがあった。
義父の会社は同支店の重要取引先のひとつだったのである。

小椋はすでに2000曲を超える楽曲をつくっている。
銀行員をやっていた時、すでに〝副業〟で年間24億円も稼いでいたというから、
才能というものは恐ろしいものである。天は二物を与えず、というが、その格言は
凡夫匹夫の嘆きを鎮めるためのもの、ということがよく分かる。
天より選ばれし者は二物も三物も与えられているのである。

しかし小椋の人生は決して順風満帆ではなかった。
次男が14歳の時、突然、若年性脳梗塞で倒れ、全身不随の重体に陥ってしまう。
医者も「回復不可能」と非情な宣告。そんな中、いつものように次男を病院に見舞い、
ベッドの傍らで、ふと自作の歌を口ずさんでいたら、口もきけなかった次男が、
父親の声に合わせてかすかに歌い出した。
「空耳か?」
息子が歌をうたっていると分かった時、小椋は感極まって涙が止まらなかったという。

その奇跡的な出来事を契機に、次男はめきめき快復し、
今は日本に3人しかいないという「さつま琵琶製作師」(神田宏司)として活躍している。

胃がんの手術で、胃の4分の3を切除してしまったという小椋佳(70)。
すっかり痩せさらばえてしまったが、あの甘やかな美声は昔のままだ。
小椋は自分でこさえる歌詞についてこう語っている。
個人的なことを書けば書くほど、その詞は普遍性をもつ
この言葉から、ボクはこんなふうに考える。
domesticであればあるほどinternationalなものに近づいていくと。
名言というより普遍性をもった至言だな。




←このご面相だもんね。
《とても歌手という風貌ではない》
と言われちゃうのもわかりますよ。
そういえばマラソン解説者の増田明美
もウグイス嬢みたいに美声だったよね。
(『増田明美大っきらい』参照)