2013年11月29日金曜日

小林秀雄、没後30年

今年は小林秀雄の「生誕111年」かつ「没後30年」に当たるという。
ボクもいろんな本を読んできたが、いちばん熱中して読んだのは小林秀雄だろう。
青春期のほとんどを小林秀雄に捧げたといってもいい。これほど惚れた男は
後にも先にも小林しかいない。

小林秀雄を読むということは、後述するような周辺の人たちの本も読むということで、
それだけでも書棚の一つや二つは埋まってしまう。ボクのささやかな蔵書を〝派閥〟
別に分けてみると、「小林派」と「吉本(隆明)派」に大きく分かれ、その他弱小派閥が
群雄割拠する、といった状況だろうか。

学生時代、友と語らう時は決まって小林秀雄の話題だった。
ボクが一方的にしゃべりつづけ、憐れな友は一方的に聞き役にまわった。
ボクは小林秀雄という名のキツネに憑かれ、およそ10年もの間、
のぼせたような酩酊状態にあった。

小林のどこに魅きつけられたのか、今でもよく分からない。
先月亡くなった文芸評論家の秋山駿は、
《私は小林秀雄を読む。なぜ、どんな意味で、そこには何があるから、
私は読むのか。思えば、私は元気のないときに、自分に元気を与えるために、
それを読んだのである。読む者に元気を与えてくれる――それが小林秀雄の
言葉の、いわば文体の、非常な特徴であると思う》(『小林秀雄と中原中也』)
と述べている。

また、『小林秀雄』を書いた評論家の江藤淳も同様に、
《どのページを開いてみても、読むほどに、いつの間にか
かつてないようなかたちで、精神が躍動しはじめるのを感じて
おどろくにちがいない》
それはまるで《ダンスの名人といっしょに踊っているような》体験だ、
などと述べている。

両氏が言うように、小林の文体は読む者の精神を鼓舞するような構造になっている。
ボクは今でも精神の軸がブレそうになったり、弱気の虫が騒ぎそうになったとき、
ポッポ鳩山の「鳩左ブレ」を憎しみを込めて噛みくだきながら小林の全集をひもとく。
そう、小林の作品と出来損ないの「鳩左ブレ」はボクにエネルギーを注入してくれる
「リポビタンD」なのだ。

小林秀雄の周辺を彩る交友関係も、またボクの憬れだった。
中原中也、河上徹太郎、大岡昇平、中村光夫、永井龍男、今日出海、
安岡章太郎、富永太郎、白洲正子、梅原龍三郎、そして青山二郎。
見てくれ、この錚々たる顔ぶれを。それぞれがみな独自の光彩を放ちながら
屹立している。通称「青山学院」と呼ばれるサロンがこれだ。

青山学院の面々がよくとぐろを巻いていた銀座の寿司屋「きよ田」の
新津武昭さんに、ボクはかつて小林の酒席での行状を訊いたことがある
拙著『ぼくが料理人になったわけ』を参照してください)。
「当時、一流とされてた作家連が、小林さんの〝カラミ〟に堪えきれず、
オイオイ泣き出したりするんだから、小林さんの舌鋒たるやすさまじかった」
と、新津さんは懐かしそうに語ってくれたものだ。

小林秀雄は女性関係にも彩りがあった。
中原中也の愛人・長谷川泰子を横取りしてしまうエピソードはあまりに有名だが、
〝ムー公〟こと坂本睦子との関係もまた複雑だった。一時、青山二郎と同棲していた
こともあるが、河上徹太郎や大岡昇平とも愛人関係にあった。青山曰く、
「かなり面倒な魅力を持った女」だったようで、小林は求婚し、
いったんは受け入れられるが、別の男(オリンピック選手)と逃げてしまう。
そして1958年、ムー公は睡眠薬を飲んで自殺してしまう。享年43。

高橋昌一郞の『小林秀雄の哲学』によると、
《坂本の通夜には、小林、河上、大岡をはじめ、二十人以上の文壇関係者が集まり、
大岡は途中から号泣したという》

小林は書いている。
女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしては
この世を理解していこうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた
(『Xへの手紙』)

小林はいつだって命がけだった。
戦後、「戦争を肯定した」かどで、批判にさらされるが、雑誌の座談会の中で、
こんな発言をする。
《僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。
それについて今は何の後悔もしていない……僕は無智だから反省なぞしない。
利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか

戦後、文芸銃後運動を発案したとしてGHQにより「公職追放」された作家・菊池寛も、
《僕を戦争協力者として追放するなんて、アメリカの恥辱だよ。戦争になれば、
その勝利のために尽くすのはアメリカ人だろうが日本人だろうが、国民に変わりなく
当然の義務だ。僕はこんな戦争に賛成ではなかったが、始まった以上、全力を尽くして
負けないように努めるのは当たり前だし、むしろそれを誇りに思っている。僕のような
リベラルな男を追放するなんて、バカバカしいね》
と小林と同じような発言をしている。

本棚にある小林秀雄全集はもうボロボロだ。
どのページにも〝傍線〟がほどこされ、つまらぬ書き込みがしてある。
ふられるとストーカーに変じたりする、きょうびの女々しい男などには分かるまいが、
男と女が真剣に惚れ合えば、そこは地獄にも極楽にもなる成熟の場と化す。

ああ、俺の小癪な夢を破ってくれる女性は、
いったいいつ現れるのだろう(一生言ってなさい!)。
早く出てきてくれないと、死に神に先を越されてしまいそうだよ。嗚呼!



2013年11月27日水曜日

サブちゃんのフェットチーネ

先週の日曜日、ローマっ子のサブリナが遊びに来た。
相変わらずお目々も口も大きく、「濃い顔」をしている。
抜群のプロポーションもこれまた相変わらずだ。

先々週に来た仏人のアレクシアと同じく、日本語がずいぶん達者になり、
かなりこみ入った話もできるようになったのは何より嬉しい。
長女とは大の仲良しで、昼間は二人して新宿御苑で紅葉狩りをしてきたという。

「今夜のメインディッシュはこのサブちゃんが腕をふるうよ」
なんだかやけに張り切っている。見れば、スーパーで何やらごっそり買い込んできた。
聞けば、腕によりをかけた手打ちパスタをごちそうしてくれるという。

(大丈夫かな……食べられる代物であればいいんだけど)
ボクの心配顔を見透かしたように、
「マンマ直伝のフェットチーネだからね。絶対美味しいに決まってるよ」
ボクの顔をにらみつけた。
「お父さんはじゃまだから、あっち行って」
とうとう台所から追い出されてしまった。

麺棒は死んだ母親からもらった手打ちうどん用のもの。
しかし、のし台がない。仕方がないから、以前解体しておいたパソコン用デスクの
天板で代用してもらった。半端なのし台を一瞥したサブリナは不満そうな顔で、
「これ、小さいね」
「ごめんよ、これしかないんだ。名人は道具を選ばないんじゃないの?」
皮肉を言ってやったら、ニヤッと笑って、
「しかたないね。これでのばすよ」

ローマ辺りではフェットチーネというが、北のほうではタリアテッレと呼ぶことも。
きしめんみたいに幅広のパスタで、それを今、ヒィヒィ言いながらサブちゃんが
打っている。のし台が小さいから、あらかじめ生地を4分割しておいた。

「なんだか分厚いフェットチーネになりそうだな」
切る段になって、チラと見たら、まだ十分にのし切っていない状態で、
ほうとうみたいにもっそりしている。サブリナもそのことを認めているのだが、
もう疲れ切ったようすで、修正する気はサラサラ無さそうだ。

「ま、胃袋に収まっちゃえば、みんな同じだからな。分厚いフェットちゃんでもかまわんよ」
横から口を出したら、「シッシッ」と肱でつつかれ、またまた追っ払われてしまった。

トマトソース系のフェットチーネの他はイタリア流のミートボール。
何という料理名だったか忘れてしまったが、細かなイタリアのパン粉がまぶしてあり、
それをフライパンでソテーしてある。

「いっただきまーす」
ワインで乾杯して、さっそくほうとうみたいなフェットちゃんを食べてみた。
「…………」
みんな無言。サブリナも下を向いて黙ってる。
「生地がちょっと厚いけど、おいしいよ。塩がちょっぴり足りないかな」
女房が正直な感想を一言。食卓にスイスアルプスの岩塩を持ってきて、
サッサッとふりかけている。長女もサッサッ。ボクも遠慮なくサッサッサッ……。
サブリナだけは沽券にかかわるとばかり、いっさい無視。黙々と食べている。

「サブちゃん、サラダも食べたら?」
ひたすらパスタを食べ続けているサブリナに向かって、ボクの手づくりサラダを勧めたら、
「サラダはメインディッシュの後ね」
なるほど、イタリア式にプリモピアット(第1の皿)のパスタをまず平らげて、
それから主菜のセコンドピアット(第2の皿)を食べ、コントルノ(サイドディッシュ)
のサラダ、ドルチェ、カッフェとつなげるつもりなのだ。
身体に染みついた作法なのだろう。

ああ、お腹いっぱい。ごちそうさまでした。
甘いデザートワインを飲みながらしばし歓談。

出てきた話は「今のローマは昔のローマじゃない」「もうイタリアには帰りたくない」
といった嘆き節ばかり。フランス人留学生のアレクシアがこぼした中身と同じである。
アフリカや西アジアなどからの移民が増えて、急に治安がわるくなり、街が荒んできた。
「もう怖くて、一人では歩けないね」
あの陽気なサブリナが嘆くのだから、事態はかなり深刻なのだろう。
サブリナはつい数日前にイタリアから帰ったばかりなのだ。

それでも笑顔の似合うサブちゃん。
イタリア式ジェスチャーの数々をレクチャーしてくれて、
そのたびにわが家は笑い声に包まれた。

麗しのサブちゃん、また遊びに来てね。

 

2013年11月23日土曜日

隣人(韓国)はパラノイア

韓国で英雄視されている安重根を日本政府が「犯罪者だ」と言ったら、
韓国が猛烈に反発している。

1909年(明治42年)、旧満州のハルビン駅で伊藤博文を闇討ちし殺害したのが
安重根だ。伊藤博文は明治の元勲で、日本の初代首相である。その伊藤を暗殺した
ゴロツキを日本政府が「テロリスト」と呼び「犯罪者」と呼んで何がわるい。

ジャーナリストの黒田勝弘はこのことに関して、
《米国ではジョージ・ワシントンは独立・建国の英雄だが、英国では反逆者といわれている。
それと同じだが、そんなことで米英は争わない。歴史認識が違って当然だからだ》
と言っている。まさに然りだ。

♪ あゝ、それなのにそれなのに、ねえ……
朴槿恵大統領ときたら北東アジアの「共同歴史教科書」の発刊を日中両国に提案している。
そのことだけでも、「こいつは歴史ってものがまったく分かってねえな」とガッカリさせられる。
安倍首相は朴のことを「優れた指導者」などと精いっぱい持ち上げ
「ねえ、こっちを向いてよ」と盛んに秋波を送っているが、
なにが優れた指導者なものか。頭のいかれた、ただのバカ女ではないか。

朴は目の前で安重根みたいなテロリストに父母を相次いで殺害された。
そして自らも、地方遊説中に男にカッターナイフで切りつけられ、危うく命を
落としかけた。右の耳下から顎にかけて10㎝の傷を負い、60針縫う手術を受けたのだ。
その際、ライバル政党から「60針縫ったのは整形手術」などと中傷されたというのだから、
東日本大震災の際、サッカーの試合で韓国人サポーターが「大震災をお祝いします」の
横断幕を掲げ、世界中から非難された構図とまったく同じである。
あの国の人間は火病をわずらっているせいか頭に血が上ると、
途端に善悪の判断がつかなくなってしまう。

日清戦争終結時に結んだ「下関条約」の第一条にはこうある。
清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、
独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は

永遠に廃止する
しかしこの第一条は、韓国の国定国史教科書からは削除されている。
朝鮮が支那(清)の属国だったことが国民にバレてしまうからだ。
代わりに、朝鮮は5000年の偉大な歴史と文明を持つ大帝国であったが、
抵抗むなしく日帝に植民地にされてしまった、と書いてある。

この朝鮮独立を清国に約束させたのは伊藤博文だ。朝鮮併合に反対したのも
伊藤博文だった。その朝鮮の恩人ともいうべき伊藤を暗殺したテロリストを
国家の英雄として顕彰し、よりによって支那にお願いしてハルビン駅頭に
石碑を建てようというのだから、いったいどこまでクルクルパーなのか。
テロリストの石碑といい、慰安婦像といい、韓国という国はなぜか外国に石碑を
建てたがる。それもウソで固めた石碑を。

そういえば、かの日露戦争もロシアの南下政策から朝鮮を守る戦争だった。
ところが朝鮮は時勢に鈍感なのかいっこうに独立の機運を示さない。
挙げ句に、恩人の伊藤博文を暗殺してしまうのだから、もうムチャクチャだ。

結果、日韓併合となってしまったのだが、日清・日露の戦争がなければ、
朝鮮はロシアか清国に占領され、今ごろは、チベットやウイグルと同様、
悲嘆に明け暮れているはずだ。そのことについてはすでに何度も書いているが、
朝鮮人は二言目には「日帝36年の支配」をいう。が、その36年間に日本は
国家予算の多くを割き、朝鮮のインフラを整備してやったのだ。

これがもし「露帝36年の支配」だったらどうする。インフラ整備どころか、
男たちはシベリアに送られ強制労働、女たちはロシア人の慰みものになるだろう。
もちろんハングル文字など使えず、必死でキリル文字を学ぶのだ。
それに引き比べ日本の統治の紳士的なこと。
搾取どころかすべて日本からの持ち出しで、
その額、現在の金額にして9兆円にのぼる

苛斂誅求の植民地政策では先輩格の西洋列強はどうだったか。
やっこさんたちはアジアの植民地から撤退するとき、投下した資本分を
しっかり請求して撤退したのである。お人好しの日本だけが9兆円をそのまま
朝鮮に置いてきた。この9兆円がなければ「漢江の奇跡」もへったくれもない。
もちろんサムスンもヒュンダイもないだろう。

その事実を、韓国人はいっさい知らされず、
あろうことか、「3.1独立運動」の記念式典で朴大統領は、
《(日本の植民地支配という)加害者と被害者という歴史的立場は、
千年の歴史が流れても変えることはできない
などと演説しているのだから、「共通の価値観」を持つなんてことは
夢物語だ、ということがよく分かるだろう。

だいいち、「共同歴史教科書」をつくられて困るのは韓国だろう。
歴史の真実が分かってしまったら、赤っ恥をかくのは韓国だからだ。
以下に朝鮮の辿った歴史を簡単に記す。

紀元前108年~220年:漢(植民地)
221年~245年:魏(植民地)
108年~313年:晋(植民地)
314年~676年:晋・宋・梁・陳・隋・唐(属国)
690年~900年:渤海(属国)
1126年~1234年:金(属国)
1259年~1356年:モンゴル(属国)
1392年~1637年:明(属国)
1637年~1897年:清(属国)
1897年:下関条約により清の属国から開放される
1903年:ロシアが朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシアの属国化を回避
1905年~1910年:日本(保護国)
1909年:併合に反対した伊藤博文がテロリスト安重根に暗殺される
1910年~1945年:日本(併合)
1945年~1948年:アメリカ(非独立)
1948年:大韓民国成立(アメリカ軍による統治によって国家基盤が形成され成立)

偉大なる歴史と文明をもつ大帝国だなんて〝ウソっぱち〟もいいとこ。
最初から最後まで、属国か植民地でしかなかった悲しい国なのである。
だから神話や歴史を捏造し、あたかも真実であるかのように教科書で教え、
マスコミもグルになって協力している。ボクが「ウソで固めた国」というのはそこなのだ。

こんな悲しい歴史しかもてなかった、という事実には同情したい。
だからといって歴史をねじ曲げ、国民にウソを教えていいことにはならない。
歴史の捏造は犯罪行為だ。パラノイア(妄想狂)をわずらった隣人の、
荒唐無稽な嘘八百は、もうウンザリだ。









2013年11月17日日曜日

草食系って実はパワフル?

リヨン大学から慶大に留学している仏人のAlexiaは梅干し以外は何でも食べるが、
特に魚介類が好きで、昨日はいっしょにお刺身用の魚を買い出しに行った。

Alexiaはフランス東部のロレーヌ地方出身。内陸部だから、昔から肉料理ばかり食べて
きた。そのため、日本への留学の一番のたのしみは寿司や刺身など、新鮮な魚を
腹いっぱい食べることだ、と彼女は言う(食べさせるほうは大変だけどね)。
Alexiaはコション(cochon=豚)の愛称で呼ばれているように無類の健啖家で、
何を出しても「これ、おいしいね」と平らげてくれる。
パパさん兼料理人のボクとしてはこれほど嬉しいことはない。

Alexiaは現在21歳。日本語は相当上達していて、昨日はオランド政権のこと、EUのこと、
移民問題、とりわけ不法移民のこと、慶大での授業のこと、彼氏のこと……ありとあらゆる
問題について話し合った。口癖は「もうフランスはだめだね」の一言。若者の失業率は高いし、
モラルは低下してるし、治安もわるくなっている。「なんでドイツとフランスだけがギリシャや
スペインを助けなくてはいけないの?」と、最後はついグチも出る。

彼女の姉のCarol-Anneは中国に5年間留学したことがある超美人で、中国語はぺらぺら。
他に英語、ドイツ語に堪能で、今はベルリンで翻訳の仕事をしている。なぜドイツ
で働いているのかというと、ロレーヌ地方はドイツと国境を接していて、アルザス・ロレーヌ
といえば、独仏でいつも領有を争っていた歴史的な場所。ドイツにはなじみが深い。

それとフランス国内に職がないという経済事情もある。そしてこれが肝心なところだが、
Carol-AnneはいわゆるヴィーガンVegan(絶対菜食主義者)なのだ。ヴェジタリアンは
卵や乳製品は食べるが、その極端な一派のヴィーガンは一切の動物性食品を受けつけ
ない。もし彼女がわが家を訪ねてきたら、いったい何を食べさせたらいいのだろう。
ボクはそのことを考えただけで、途方に暮れてしまうのである。

そもそもヴィーガニズムとは何かというと、「人間は動物を搾取することなく生きるべきだ」
とする主義で、日本の調査捕鯨を妨害するシー・シェパードの連中のほとんどは
ヴィーガンといわれている。エコロジーや動物愛護の精神が極端に走った例だから、
単純といえば単純なのだが、ガチガチのリゴリズムは扱い方がやっかいだ。

バターやチーズなど乳製品の宝庫であるフランスは、当然ながらヴィーガンに対しては
冷淡だが、ドイツは逆にレストランなどでもヴィーガン用のメニューなどが充実している。
Carol-Anneのボーイフレンドはさらに輪をかけたヴィーガンの最右翼だから、
ドイツしか住むところがない、というのがどうやら実情らしい。

「私はヴィーガンなんていや。チーズは大好きだし、お刺身やお寿司が食べられないなんて
考えただけでも目の前が真っ暗になっちゃう」と言いながら、大皿の上の残った刺身を見て、
「これ、だれも食べないの?」
「ああ、食べていいよ」
「ホント? ありがとぉ!」
と、さも嬉しそうに箸をのばす。
(この仔豚ちゃんは絶対ヴィーガンにはなれないな)
ボクはその時、確信した。

ヴィーガンについてもう少し付け加えると、トライアスロンやウルトラマラソンといった
耐久レースのトップ選手にはなんとヴィーガンが多いのだという。動物の肉こそが
パワーの源だとする観念が徐々に覆されつつある。現に、重量挙げやボディビル
の選手の中にも、ヴィーガンに転向するものが増えているという。

ボクは反禁欲主義の肉食系だが、ヴィーガンに転向すれば高血圧や心不全、
脳梗塞や大腸ガン、前立腺ガンなどになる確率が激減するのだという。
「転ぶべきか、転ばざるべきか。それが問題だ」
一瞬、ハムレットの心境になりかけたが、結局、うまいチーズや焼き鳥、
分厚いロースのトンカツが食べられないくらいなら死んだほうがまし、
という気高い結論に落ち着いた。

そうだ、Carol-Anneが来たら、Alexiaがきらいな梅干しと納豆をごちそうしてやろう。
それとボクの育てた生育不全のミニトマト。きっと感激の涙を流してくれることだろう。



←ヴィーガン向けの食材あれこれ
動物性のものは一切ない

2013年11月9日土曜日

ウイスキー・オン・ザ・ロック

歴史テストの設問にこんなのがあった。
Qアメリカ大陸を発見した人は(        )である。
カッコ内を埋めよ、という問題に(りっぱ)と書いたものがあったという(笑)。

けっこう笑える話だが、クリストファー・コロンブスという探検家は〝立派〟どころか、
強欲で残忍な男だった。なにしろ航海に先立ち、発見地から上がる収益の10分の1を
寄こせ、とする契約を交わし、水や食料をわけてくれた先住民を見つけ次第殺した。
その数数万にのぼるというのだから〝りっぱ〟もへったくれもない。

先祖代々、最初からこの地に住んでいる先住民にしてみれば、
「頼みもしねぇのに、別に〝発見〟されたくなんかねぇや」がホンネだろう。
1492年はイヨク(意欲)に燃えるコロンブス」などと語呂合わせで暗記した
我らがノーテンキぶりと無知蒙昧さを大いに恥じなくてはならない。

さてボクは残虐非道なコロンブスの話をしたいわけではない。「発見」された土地は、
必ずしも「発見者」のものではない、という話をしたい。

支那は明代(1368~1644)の本に「釣魚台(=尖閣諸島)」の字が載っていて、
あの島嶼(とうしょ)は自分たちが発見したのだから自国領土だ、と主張している。
これが愚論暴論だということくらい赤ん坊だって分かる。「あの島は漁師をやってる
習菌屁さんのご先祖が発見したのだから、支那のもんだべ」などと言い出したら、
世界中の島々が直ちに係争地になってしまう。

国際法上で領土として認められるのは、「どの国が実効支配してきたか
の一点だ。いくら明代に支那人が発見したとしても、こんなちっぽけな島は
何の役にも立たないと、19世紀までほったらかしにしたら、領土であるなどと
言えた義理ではない。が、非法治国家の支那にはそんな正論すら通用しない。

日本は1895年、この島がどこの国にも属していないことを確認した上で、
閣議決定にて領土とし、島に国標を立てた(1937年に再建)。その翌年から1940年
までの44年間、この島の鰹節工場などでは200人あまりの日本人が働いていた。

1920年、中華民国駐長崎領事が、魚釣島に漂着した支那人漁師たちを救護した
人々に感謝状を送り、そのなかで尖閣のことを「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」
と明記している。だから、1958年と1966年に北京で出版された「中国全図」でも
日本領となっていると専門家は指摘している。

支那が突如として「あの島はわが領土」と言い始めたのには理由がある。
1969年、国連の調査でこの辺りに大型海底油田があると報告されたからだ
車内や海外の観光地で平気でクソを垂れてしまう恥意識と法意識の欠如した
支那人は、どうせ〝ダメモト〟だからと、とりあえず無理難題をふっかけるという
のが常套手段だ。世間知らずでお人好しの日本人が相手なら、うまくすれば譲歩する
かもしれない、とソロバンをはじいたはずだ。完全になめているのだ。

支那と干戈(かんか)を交えても、イザとなったらアメリカが助けてくれるから大丈夫だよ、
ってか? 国防を半世紀以上も他国に任せたまま、平和憲法とやらを後生大事に守り
ながら、繁栄に浮かれてきたニッポン。「わが国」といわず「この国」と言いたがる
国家意識の希薄な国民である。支那が領海を侵犯しても「まことに遺憾である」
の一言で片づけてきたこの切迫感のなさはいったい何なんだろう、と思う。

冷戦時代の1981年、スウェーデン海軍は領海侵犯したソ連の潜水艦(ウイスキー級)
爆雷で追い込み、みごと座礁させたことがある。これを「ウイスキー・オン・ザ・ロック」
という。支那の潜水艦が日本の領海を侵犯したら、日本もこのスウェーデン海軍の
毅然たる勇気を見習って爆雷で追いつめるべきだ。

自分の家の敷地内に武装した賊が侵入したら、即応戦して賊を叩きのめすか
追い出すのが常道だろう。「遺憾である」などとのんきなことを言ってると、
与(くみ)しやすしとばかりに何度でも襲ってくる。自国領土と領海を守る
気概のない国は世界から侮られ、早晩滅びるというのが歴史の教えるところである。



旧ソ連のウイスキー級潜水艦
座礁させられた場所にある記念碑。
ウイスキー・オン・ザ・ロックとは
よくぞ言ったものだ

2013年11月1日金曜日

犬と支那人は……?

手前味噌になるが、ボクの住む団地(約1600世帯)は「さいたま景観賞」にも選ばれた
花と緑の美しい団地で、外国からのお客さんもみな一様に「素敵!」「きれい!」と感嘆の
声をあげてくれる。たぶんこの沿線ではもっとも美しい団地のひとつではないかと思う。

そんなわけで、ボクも微力ながら棟の「植栽ボランティア」の一員として活動している。
ところが数週間前、女性会員の前で力のあるところを見せようとして
重い植木鉢を持ち上げたところ、腰を「グギッ」とやってしまった。持病ともいえる
ギックリ腰をまたぞろ再発させてしまったのだ。

今はようやく治りかけているところで、年甲斐もなく「ええかっこしぃ」をするのは
つくづく懲りた。もともと箸より重いものを持ったことがないという〝お坊ちゃま育ち〟
なものだから(大ウソつきめ!)、力仕事は向かないのだ。でも、見た目はムキムキの
マッチョ男だから、「力仕事は嶋中さんにお願いね」などと女性陣の期待も大きい。

そんなある日、団地の構内を支那人のご一行様(男ばかり5~6人)が通りがかった。
何かの視察団だろうか、ピーチクパーチクと傍若無人の大声でしゃべりながら
歩いているから、遠目からでもすぐ分かった。見るともなく見てると、
きれいに手入れされた植栽や花壇に、「カーッ、ペッ!」と勢いよく痰を吐いた。
ひとりではない、数人が続けざまにツバと痰を吐いたのだ。

ボクはこの無礼に対し、「コラッ、何をやってるんだ。汚いじゃないか。
君たちにはマナーってものないのか!」と猛然と抗議した。せっかく丹精して
育てている花壇に向かって痰を吐くとは……ボクの剣幕に恐れをなしたのか、
支那人たちは首をすくめて足早に通り過ぎていった。

また別のある日、地下鉄有楽町線の車内で、ボクの隣に支那人の男女が座った。
ボクはいつものように本を読んでいたのだが、このお隣さんがこれまた
抑揚のある高い声でピーチクパーチクと、のべつしゃべりっぱなし。
周囲の人も顔をしかめていたが、ボクだって読書に集中できやしない。

「君たち、もう少し静かにしゃべれないか?」
口調は穏やかながらウムを言わせぬ態度でこう言ったら、
日本語は分からなかったようだが、何となく雰囲気を察したか、
しゃべるのをやめ、ほどなく別の車両に移っていってしまった。

支那人旅行者のマナーの悪さは、いま国際的な問題になっていて、
YouTubeなどで「中国人マナー」などと検索すると、車内で大小便をしている人や、
場所柄をわきまえず大声で怒鳴り合ったり取っ組み合ったりしている旅行者たちが
いっぱい出てくる。

支那のミニ・ブログ「ウエイボー(微博)」には、ローマはコロッシアム遺跡近くの往来で、
支那人旅行者が傘で隠しながら大便をしているのを、同じ支那人旅行者が
目撃したという報告がのっていた。世界各国の旅行者たちがいる前で、
平気で尻をまくり、それも衆人環視の的になる公道で、まるで犬猫のように
クソを垂れてしまう神経というのは、いったいどういうものなのか。

大便といえば、今年9月、四川省のある街で、若い夫婦が子供に街角で大便させていたところ、
女性清掃員が父母に厳重注意。そしたら逆ギレし、悪態をつきながら2度にわたって大便を
清掃員の顔に投げつけるという事件が起きた。清掃員もウンの尽きであった。

「何事もがまんしない」というのが支那人の民族的気質らしいが、ほしいものがあると、
駄々っ子みたいに屁理屈を並べ、挙げ句の果てに説教まで垂れるのには閉口する。
現に領土問題に関して、8月15日付け『人民日報』は、
「サンフランシスコ平和条約は中国の抗議と反対を顧みずに決定されたもので、
違法であり無効である」と主張。よって沖縄も日本の領土ではない
などと戦後秩序を全否定するような記事を載せている。国際法もへちまもない。

頭のいかれた韓国、北朝鮮、そして支那という〝3バカ〟を隣国をもつ日本という国は、
ほとほと隣人に恵まれないかわいそうな国なのだな、と思い悲しくなる。
犬と支那人および韓国人はわが団地内に入るべからず
愛国者のボクは、こんな看板を立てたい衝動にかられることがよくある。



←あのねぇ……こんなところで
パンティをおろさないでよね。

それにしても周囲には人もいっぱい
いるだろうに、よくこんな破廉恥なマネが
できるものだ。トイレの扉を開けっ放しにする
という習慣が、羞恥心を奪っているのだろうか。
ねえ、隣のおバアちゃん、何見てんのよ?
(立派なお尻だねぇ……)