記者という稼業を長年やっていると、
面の皮がだんだん厚くなってくる。
相手がどんなにエライ人でも、
またどんな有名人であっても、
それほど動じなくなる。
新人の頃はそうではなかった。
もともと小心者で、人見知りもした。
今でもコアの部分はたいして変わっていないと思う。
が、自分を変えたい、もっと強くなりたいと念じ、
ムリに強がっているうちに、自分は強い人間であると
いつしか錯覚するようになる。その錯覚の積み重ねが、
少しずつホンモノの強さに転換していくような気がするのだ。
つまり強がりや痩せ我慢の繰り返しが、人間改造の
大きな原動力になる、ということだ。
薩長連合の立役者となった坂本龍馬には、
ひとつの流儀があった。
その1つがこれだ。
《義理などは夢にも思うことなかれ。
身をしばられるものなり》
そしてこんなのもある。
《ひとに会うとき、もし臆するならば、
その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思え。
たいていの相手は論ずるに足らぬように見えるものなり》
これには笑った。そりゃそうだろう。
閨(ねや)でじゃれ合ってる姿を想像された日には、
どんな高徳の士でも、アホに見える。
この龍馬のアドバイスは、新人記者だった私には
福音のように思えた。そして、
今でもこの金言を拳々服膺している。
世の中には、居丈高で尊大な人間がけっこういるものだ。
もちろん私の住むアパートにも何人かいて、
おつき合いするのにホトホト苦労する。
で、そんなとき、龍馬の言葉を思い出しては
気をまぎらせるのである。
いつもエッラそうな、Hさん、Wさ~ん!
奥さんだけにはやさしくしてね!
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