2015年12月31日木曜日

来年の抱負を一席

今年も余すところあとわずか。
次女が嫁いだり、留学生がとっかえひっかえホームステイしたりと、
いろいろあったが、やはり次女の結婚が最大のエポックだったような気がする。
最愛の娘を嫁に出すというのは勇気が要ることだし、エネルギーも要る。
今はただただ娘夫婦の幸せを祈るばかりだ。

さて感傷にひたってばかりいてもしかたがないので、来年の抱負を箇条書きにする。
たぶん酒ばかり喰らっていて、そのほとんどが実現されないとは思うが、
あんなことをやってみたい、こんなこともやってみたいと目標を立てることは、
それはそれでいいことなので、ランダムに挙げてみることにする。

●斉藤和義の『ずっと好きだった』の高難度ギターテクを完全マスターする。

●他人の本ばかり書いていないで、たまには自分の本も書く。

●歌って踊れるマルチな物書きをめざす。

●速球にさらに磨きをかけ、若い頃の最速(128キロ)を超える。

●腹筋・背筋・体幹を鍛え直し、「25㍍・バタフライ」で16秒台をめざす。

●膝の負担を減らすため、体重をあと5キロ落とす(現在78㎏)。

●今年同様、留学生を積極的に受け入れる。ただし日本文化に興味を持つ♀に限る。

●poorな英会話能力をせめてfair(まあまあ)くらいのレベルにもっていく。

●ボクに憧れるグルーピー(60~70代♀)の年齢層をせめて40~50代に若返らせる。

●休肝日を年に数回はつくる。

●日本を貶めようとする〝左翼反日分子〟は徹底して叩く。

●反日を国是とする支那と韓国には、あらゆる機会をとらえて反撃する。

●朝日・毎日を中心とする左翼反日メディアに対しても攻撃の手をゆるめない。

●女房をいままで以上に大切にする(←なんか唐突でわざとらしいんですけど……)。

●稼いだカネは生活費を除き、その大半を本代と酒代に費やす。

●友達は兄弟以上に大切にする。

●健やかに暮らしていられることを神仏に感謝する。

●親の墓参りだけは欠かさない。

●足るを知り、いたずらに他人を羨まない。

●むやみに人を殴らない。殴りたくなったら、一拍おいてまず深呼吸する。

●しかし、いざという時のために「戦える肉体」は常時キープしておく。

●米国TVドラマ『NCIS』のギプス捜査官のようにカッコいいおじさんになる(プッ)。

●同じく『NCIS』のジヴァ捜査官のような強くて可愛い女を道端でひろってくる(バカ)。

●ユーモア精神を忘れずに、それもちょっとブラックなやつを。

●金銭に恬淡たるべし(ただし、来るものはこばまず)。


さて元旦にはローマっ子のサブリナが遊びに来る。
大嫌いだというチーズを出して歓迎してやろう。





2015年12月29日火曜日

孫に背中を見せてはいけない

暮れも押しつまった時期に起きた陰惨な事件。
千葉県君津市の民家で老夫婦の遺体が見つかった。
殺人容疑で逮捕されたのは夫婦の孫で、県立高校に通う17歳の少年だった。
少年は、「祖母、祖父の順に襲った。その後、自宅でテレビやビデオを見ていた」
などと、悪びれもせず淡々と話しているという。

祖母には背後からツルハシで襲いかかったが、当たらなかったのでナイフで刺し、
異変に気づいた祖父とはもみ合いになったが、倒れた祖父の頭部をツルハシで
一撃しトドメを刺した。祖母は背中を刺され脊髄を損傷したことによるショック死、
祖父は脳損傷などで死亡した。可愛がっていた孫に背後から襲われるなどとは
夢にも思わなかったであろう。その無念、絶望……察するに余りある。

少年は、
ストレスを解消するため人を殺そうと思った。誰でもよかった
「通行人を殺そうと思ったが、逃げられるかもしれないので身内にした」
などと供述しているという。

人を殺してみたかった……

ここ数年、こんな些細な動機で人を殺める事件が相次いでいる。
2000年、愛知豊川市で17歳の少年が主婦を殺害
2014年、名古屋大学の女子大生が主婦を手斧で襲い、マフラーで首を絞めた
2015年、東京は五反田駅の路上で33歳の男が通行人を包丁で刺した
彼らはそろって「人を殺してみたかった……」と供述している。

昔は「尊属殺人」は重刑で、「死刑または無期懲役」だった。
が、いまは日本国憲法第14条「法の下の平等」に反するとして、
その重罰規定は事実上ほとんど死文化している。
ボクなんか「尊属殺」の規定復活を強く望んでいるのだが、
憲法違反といわれてはどうにもならない。

人を殺してみたい、とする衝動はどのようにして起こるのだろう。
「極楽願望」の強いボクはクモ1匹殺すのもためらうほどなのだが
←芥川の読みすぎそのくせゴキブリは平気でひねりつぶす)、
名大の女子大生などは殺人を犯した後、楽しげに「ついにやったーっ!」
などとツイートしていたというから、悔悟の念などかけらもないのだろう。
なんともはや、今どきの若者ときたら、その心底がさっぱりつかめない。

ボクにはまだ孫がいないが、孫に襲われるような世の中では、
サッカーの澤選手の名セリフ《苦しいときは私の背中を見て!》などとは
軽々しく言えない。おちおち背中も見せられやしない。

超一流のスナイパーであるゴルゴ13こと、デューク東郷は、
絶対に他人に背後をとらせなかった。
俺の後ろに音もたてずに立つようなまねをするな!
彼はそう言うと、問答無用で殴り飛ばした。
彼にとっては「自分の背後をとられる=死」だからだ。

ゴルゴ13を敬愛するボクも、彼同様、用心深い性格で(というより臆病)、
電車の中などでも周囲に不審な人間はいないか、といつも眼を光らせている。
不起訴にはなったが(←悪人ばらを成敗しただけ)、傷害罪で捕まっているだけに、
もう二度とこちらからは先に手が出せない。正当防衛は認められるだろうが、
先手必勝の極意を実践できないため、自ずと用心深くならざるを得ないのだ。

もしボクに孫ができたら、必ず言い聞かせることにする。
「おい坊主(♀も同様)、おじいちゃんの後ろに音もたてずに立つようなマネをするなよ」






←孫にもこんなセリフを言わなくてはならない
なんて、いやな世の中になったもんだねえ……

2015年12月26日土曜日

恥は掻き捨てるにかぎる

毎週日曜日は「キャッチボールの日」である。
現在、メンバーは8名。全員が集まることはめったにないが、
都合のつくものたちが近くの小学校の校庭に、三々五々集まってくる。

創設メンバーはボクとシモちゃん。団地の管理組合で知り合った仲で、
キャッチを始めてもうかれこれ8年になる。数年後、やはり管理組合で
知り合ったトミさんが加わり、ずっとこの3人でやってきた。3人ともに
飲んべえで、キャッチのあとの〝反省会〟がまたお楽しみであった。

「反省会」といってもキャッチの上達に資するようなことは何もやっていない。
近所のコンビニで缶ビールとつまみを調達し、これまた団地内のちっちゃな
公園のベンチで、ビールを飲みながらバカッ話に花を咲かせる。
ただそれだけである。
反省とは、つまりこうした愚かな生き方を深く〝反省〟する、ということなのだ。

キャッチボールのどこが面白いのか――あんなもの、ただボールを投げて受けて、
そのくり返しじゃないの、と言うものがあるが、全然分かっておりませんな。
キャッチボールはいわば精神のエクササイズで、あれで立派な〝哲学〟なのですよ。
『強い父さん、賢い母さん』参照

サラリーマンのシモちゃんとトミさんは、
「キャッチのあとに一杯やり、バカッ話で大笑いすると、なんかこう、
いやなことを忘れて、明日からまたがんばろうって気になるんだよな……」
なんて言っている。8年も続いているのは、案外そんなところに理由が
あるのかもしれない。

シモちゃんは今夏、会社帰りに同僚と酒を飲み、しこたま酔っぱらったあげく、
二人してタクシーにはねられ、入院してしまった。同僚は腰の骨を折り、
シモちゃんは頭部を激しく打って脳の髄液が流れ出そう、というところまでいった。
一時は再起不能かと囁かれもした。

しかし、われら飲んべえ仲間の想いが天に通じたのか、シモちゃんは奇跡的に快復。
しばらく運動と酒は医者から禁じられていたが、ようやくお許しが出て、いまは
以前と同じように投げたり走ったりしている。飲酒も完全復活だ。

友達というのはいいもんだ。
遠慮なく何でも言い合える仲というのはそうそうあるもんじゃない。
互いに「ああ、こいつも俺と同じバカなんだな」と、どこかで共感し合えないと
なかなか真の友達にはなれないものだ。

オトコという生き物は、大したことがない割には変に誇り高く、
ちょっとした物言いに傷ついたりする。見かけによらずナイーヴなのだ。
だから、遠慮せずズケズケものを言い合ってはいるのだが、心臓にグサリと
刺さるような言葉だけは微妙に避けている。「寸止め」が肝心なのだ。
その適正な間合いが大事で、こればっかりは年の功でつかむしかない。

裃を脱ぎ、変なプライドを捨て、徐々に〝オバサン化〟していくことが幸せへの道
とボクは何度も「オジサンの生き方」について語ってきたが、
多く不器用でつぶしの利かないオジサンたちは、いまだに定年後の生き方に
逡巡している。

「そのカミシモ、さっさと脱いじゃったら?」
ボクはしかつめらしい顔をしたオジサンを見ると、つい声をかけたくなってしまう。
すでに〝80%オバサン化〟しているボクからみると、面子だとかプライドに
こだわって身動きできないオジサンたちが歯がゆくてしかたないのだ。

かの坂本龍馬も言っている。
恥ということを打ち捨てて世のことは成るべし》と。
ボクなんか本も書いているが、恥だって負けないくらいかいている。
どう転んだって聖人君子にはなれないのだから、それでいいのですよ。
迷えるオジサンたちよ、キャッチボールに興じながら人生を考えてみませんか。






←キャッチをしながら、そこはかとなく
人生を考えてしまう〝三バカ大将〟
の面々。

2015年12月19日土曜日

MIRAIプログラム

昨日からスロヴァキア人の女性をあずかっている。
名前はソーニャ。172㎝の長身で、金髪の美人である。
妹のペトラは180㎝、会社を経営している父親は197㎝、
ソーニャの従兄弟は2mを超えている(2.07mでジャイアント馬場と同じ)というから、
揃って巨人ばかりの一族だ。ソーニャもがっしりした体形で、
聞けば3年間女子ラグビーをやっていたのだという。

ソーニャは日本政府肝煎りの対日理解促進プログラム「MIRAIプログラム」の
一環として初来日した。この人的交流プログラムは世界各国からおよそ5700名の
大学生や大学院生を招聘し、親日派・知日派を増やすことを目的としたもので、
今回は欧州各国から150名が参加した。スロヴァキアからは彼女だけ。国際法を
学ぶエリートで、母親も弁護士をしているという。

もちろん日本語はサッパリだから会話はすべて英語。彼女の英語はexcellentだが、
われらジジ&ババのそれはpoorそのもの。あわや無言の〝行〟が始まるのかと
思いきや、どういうわけかブロークンながらペラペラと言葉が飛び出してくる。
ソーニャもまずはひと安心といった面持ちだ。理由はよく分からないが、
たぶん〝ガイジン慣れ〟してきたからだろう。間違った英語でも少しも恥ずかしい
と思わなくなった。ここは日本だものね、なんの引け目があるものか。

昨夜のディナーはいつものように鍋。嶋中家は冬になると鍋料理ばかり食べてる、
と嫌みを言った友がいたが、たしかにわが家は棚卸しのできる鍋が好きだ。野菜が
たっぷり摂れるのもうれしい。トマーシュは高校生だったからお酒は飲ませられ
なかったが、ソーニャは23歳だから酒の相手をしてもらえる。というわけで鍋を
つつきながらビールやワインをグビグビやり、大いに盛りあがった。

今朝は全員6時に起きた。日帰りながらソーニャは名古屋へ視察に行くのだ。
見学するのはトヨタ産業技術記念館やのりたけの森といったところ。もちろん
名古屋城も見る予定だ。

今夜は娘2人も助っ人に駆けつけてくれるから、にぎやかな夕べになりそうだ。
ディナーは「手巻き寿司」の予定だが、seaweed(海藻)が苦手と言っていたから、
さてどうなることやら。一方でraw fish(生の魚)は大丈夫とも言っていたから、
ま、なんとかなるでしょう。必要以上に相手の都合に合わせない、というのももてなしの
コツだ。要はホスト側のふだんの生活を見せればいいわけで、食事だってふだん
食べているものをそのまま出せばいい。

初日、ソーニャは玄関から靴を履いたまま上がりこんでしまった。
日本では履き物を脱ぐと頭で分かってはいても、いざその場になると
コロッと忘れてしまうらしい。アメリカから次女の世話になったホストファミリー夫妻が
来日したときも、奥方のテレサはヒールを履いたまま上がりこんでしまった。
ソーニャはすぐに気がつきI'm sorryを何遍もくり返し平謝りだったが、
その懸命なしぐさが妙におかしかった。

ケチ臭いことはあまり言いたくないが、国の血税を使ったプログラムなのだから、
寝る時間を惜しんででも大いに学んでいってほしい。そして日本のことを好きに
なってほしい。
「日本はどこもきれい。道にゴミがひとつも落ちてない」
ソーニャの日本の第一印象はこれだった。アジアでは他にスリランカへ行ったことが
あるらしいが、日本はまったく別世界だとも言っていた。

彼女は疑問に思ったことはすぐ質問する。これが嬉しい。
「日本とヨーロッパはすべてが逆なような気がします」
欧州とはまったく別の文化・文明圏が地球の反対側にあるのだ、
ということを分かってもらえただけでも嬉しい。
何年後かは分からないが、彼女とはまたいつか会えるような気がしている。


←娘たちと語らうソーニャ。
かなり裕福な家のお嬢様なのか、
第一印象は「躾の良さ」だった



2015年12月10日木曜日

ユダヤの恩人はA級戦犯

6000人のユダヤ難民の命を救ったとされる外交官・杉原千畝(ちうね)。
その杉原を主人公にした映画『杉原千畝』がいま公開されている。
杉原に扮したのは唐沢寿明で、その迫真の演技が評判だという。

リトアニアの日本領事館に赴任していながら日本政府の命令に背き、
ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人たちに日本通過ビザを発給しつづけた杉原。
その人道的功績によって「日本のシンドラー」などと呼ばれているわけだが、
そもそも金目当てでユダヤ難民を救ったとされるオスカー・シンドラーと並称される
こと自体が不面目なこと、とボクは考えている。人格高潔な杉原に比べれば、
女たらしで遊び人のシンドラーなどは虫ケラも同然で、むしろシンドラーこそ
「ドイツの杉原」(志の気高さは月とスッポンだけどね……)と称されるべきなのである。

さてヘンリー・S・ストークスの書いた『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』
という本によると、ユダヤ難民の命を救った日本人は杉原だけではないことが分かる。

1930年代末、およそ2万人のユダヤ難民がナチスの迫害を逃れ、シベリア鉄道で
満州国境へ押し寄せていた。当時、関東軍ハルビン特務機関長だった樋口季一郞
少将(後に中将)が、新京に司令部を置く関東軍参謀長にユダヤ難民の入国の許可を
求めた。当時の参謀長は東條英機中将だった。もし入国を許可しなければソ連が
ドイツへ送り返してしまう。

東條は「民族協和と八紘一宇の精神」にしたがって2万人のユダヤ人を入国させた。
当然ながら同盟国ドイツの外務省からは猛烈な抗議だ。しかし東條は少しも動じず、
「当然なる人道上の配慮である」として一蹴した。もしも東條が部下の樋口に許可を
与えなかったら、ユダヤ難民の命が救われることはなかっただろう。

イスラエルの首都エルサレムに『ゴールデンブック』なるものがある。ユダヤ民族に
貢献した者、ユダヤ人に救いの手を差しのべた人たちを顕彰するためのものだが、
そこに樋口とその部下、安江仙弘(のりひろ)大佐の名が刻まれている。本来なら東條
の名がいの一番に掲載されるべきものなのだが、悲しいかなハルビンのユダヤ人社会
のリーダーは樋口らの上官・東條の存在も、その果たした役割も知らなかった。

靖國神社に当時の小泉首相が参拝した時、支那の李肇星(り・ちょうせい)外相は、
「戦後、ヒトラーやナチスを崇拝したドイツの指導者はいない」などと、
口をきわめて非難した。東京裁判で「A級戦犯」として処刑された東條英機は
もちろん靖國神社に合祀されている。そもそも東京裁判を認めていない立場の
ボク(ブログ内『座して死を待つよりは……』参照)からすると、A級もB級もないわけで、
「戦犯」などとはとんだお笑いぐさなのだが、日本を永久に「戦争犯罪国家」にして
おきたい支那からすれば、東條英機はヒトラーと同列に扱うべき極悪非道な人間
なのだろう。ふざけた話だ。

杉原千畝は6000人のユダヤ人にビザを発給して「日本のシンドラー」あるいは
「東洋のシンドラー」などと讃えられている。だが2万人のユダヤ人の命を救った
東條英機の功績はほとんど知られていない。ユダヤ人だけでなく、世界中の人たちに
この隠された事実を知ってもらいたくてささやかな一文を草した。



←「日独伊三国同盟」の祝賀会に
同席した東條英機(当時は陸相)。
東條はユダヤ人に対しては一貫して
同情の念を持ち続けていた







※追記
作家の野坂昭如氏が9日、不帰の人となった。
ボクにも少なからぬ縁があって、そのことは
ブログ内の「大きな栗の木の下で」に書いた。
享年85。ご冥福をお祈りする。

2015年12月1日火曜日

信州お笑いの旅

週末を利用して信州へ1泊旅行に行ってきた。
今回は娘婿も加わった総勢5名の陣容だが、なにしろ自家用車が1500㏄の
コンパクトカーなので、はたして山道が走れるかどうかが心配のタネだった。
婿は元早大アメフト部出身で、100キロ超級の大男。ボクと2人合わせると
200キロを超えてしまう。番犬代わりにすればこれほど頼もしい男もいないが、
飯をたらふく喰らうのが、これまた悩みのタネだった。

女3人寄ると〝姦(かしま)しい〟というが、後部座席の女3人は最初から最後まで
しゃべりっぱなしで、たわいのない話に盛りあがってはケラケラと笑っている。
特に長女は〝お笑い系〟の典型で、次女がボケなら長女はツッコミ、
身ぶりや顔の表情が大ぶりだから、つい笑わされてしまう。

「ネパールでは2人の男から求婚されちゃってね、あんまりしつこいから
適当にAのほうが好きといったら、Bがガックリきちゃって、AとBは友だち
同士なんだけど、互いに口を利かなくなっちゃった(笑)……」

長女はどこかの国へ行くたびに求婚されているようで、それも揃って大金持ちだ。
「日本じゃまるっきりもてないけど、異人さんにはもてるんだよねェ……」
何ごとにもアグレッシブで、自分の意見はハッキリ言うような欧米型の女だから、
気の弱い日本の男どもは気後れしてしまうのだろう。

さて、わが家では旅行計画を練るのはカミさんの役目。
ボクはその手の面倒な計画を立てるのは大の苦手なので、
必然的にお鉢が女房に回っていってしまう。

カミさんはヒマワリみたいに明るい性格で、飛び切りのおしゃべり好きだから、
婿さんが初めて参加する今度の旅行はずっと楽しみにしていた。
毎日、原稿書きに追われ、1年365日、ほとんど休みなく働いているのだから、
女房にはこうした息抜きが絶対的に必要なのである。

だから、車中でも食事中でも、また旅館に落ち着いてからも、
のべつまくなしおしゃべりに興じ、腹を抱えて笑っている姿を見ると、
何やらこちらもホッとする。やはりそこは母子、遠慮のない軽口が飛びかい、
婿もつられてついニヤニヤしてしまう。なかなかいい雰囲気だ。

江戸後期の歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)はこんな歌を詠んでいる。

    たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどい
                   頭(かしら)ならべて 物をくふ時



キャピキャッピ言い合いながら飯を喰うのはほんとうに楽しい。
幸せというのはそんなささやかなひとときに感じられるものらしい。
今月半ばにはスロヴァキアから新しい留学生(♀)が来る。
わが家には2泊3日の短期滞在だが、望むらくは明るい子がいい。
手巻き寿司を楽しんだり鍋をつついたり……いい思い出ができそうだ。




←長野・東御市にある海野宿(うんのじゅく)。
日本の道百選の宿場町だ。会津の大内宿
ほどの賑わいはないが、しっとりとした風情が
旅情をかきたてる

2015年11月17日火曜日

八百万の神が世界を救う

あの日、フランスはリヨン大学に通うAlexiaに心からの哀悼の意を伝えた。
そう、パリ同時多発テロがあった日である。
幸い彼女の親族や知人に被害者はいなかった。

Alexiaとは4カ月前に別れたばかり。夏休みを利用して日本に〝里帰り〟し、
ボクとNICKが組む「蛮爺's」の舞台もかぶりつきで観てくれた。その彼女も、
「フランスはこれからもっともっと悪くなる。悲しいけど、それが現実だね」
とフランスの将来にはひどく悲観的だ。別に人種差別主義者ではないけれど、
イスラム文化に浸食されつつある今のフランスには大いに不満なのだという。

預言者ムハンマドの風刺画を掲載したシャルリー・エブド紙がテロの襲撃に
あった事件は記憶に新しいが、ムハンマドが実は同性愛者だった、
などと侮辱する程度ではまだ生やさしい。ダンテの『神曲』には、主人公(ダンテ自身
が地獄めぐりをした際に、一人の亡者に会ったとある。
《この亡者、上は頤(おとがい)から下は臭い音を発する部分まで唐竹割り。はらわたは
両脚の間にぶら下がり、内臓は丸見え、、呑み込んだものを糞にする不浄の囊(ふくろ
もまた……》

この真っ向唐竹割りになった亡者こそムハンマド(マホメット)で、地獄に堕ちた理由は、
「神の言葉でないものを神の言葉と偽り、多くの人間を欺いた罪」
なのだという。つまり、世界中におよそ16億人もいるイスラム教徒は
ムハンマドという宗教的ペテン師にだまされた大バカ野郎という理屈になる。
キリスト教徒は多かれ少なかれ、イスラム教徒に対してはこんなふうに思っている。

一方、神の言葉を書きとめたとするコーランには、ユダヤ人は猿と豚の子孫と書いてある。
サウジアラビアのモスクでは今もくり返しそう教えられているというから、
アラブ人とユダヤ人の対立の根は深い。いや、キリスト教徒とユダヤ教徒との
対立はもっと根深い。

かつてのナチのホロコーストを思い起こしてほしい。
ヨーロッパでは約600万人のユダヤ人が殺された。
その中には150万人の子供たちも含まれている。
アンネ・フランクは教会にかくまってもらえなかった。ユダヤ人だったからだ。
一方、映画『サウンドオブミュージック』のモデルとなったフォン・トラップ一家は
キリスト教徒ゆえに教会にかくまってもらった。口には出さぬが、
キリスト教徒はみんなユダヤ人をきらっている。

1917年、イギリスのバルフォア外相がパレスチナにおけるユダヤ人国家の建設を
約束している。これが有名な「バルフォア宣言」だ。最初の提案では
パレスチナではなくアフリカのウガンダに建設するはずだった
しかし約束の地がアフリカの奥地ではユダヤ人が集まりっこない。で、結局、
パレスチナの地に決まった。なぜ約束したかというと、時は第一次世界大戦の
まっ最中である。戦争をしている当事国としてはどうしても潤沢な戦費がほしい。
実のところユダヤ教徒のことなどどうでもよかった。金持ちのユダヤ人たちを味方に
つけ資金を援助してもらいたかっただけだ。

そもそもシリアの内戦は宗教問題が発端だ。アサド政権はアラウィ派(シーア派の一派)
で、多数派のスンニー派と対立している。その間隙にイスラム国がつけこんで内戦に
火がついてしまった。

欧米人は「イスラム教徒は内輪もめばかりしているテロリストども」などと思っている
ようだが、なに、それはお互いさまで、歴史的に見ればキリスト教徒同士の醜い争い
のほうが激しかった。たとえば「聖バルテルミーの虐殺」(1572)がある。
フランスのカトリック教徒が〝ユグノー〟と呼ばれるカルヴァン派のプロテスタント
を大量虐殺した事件で、犠牲者の数は1~3万人、最大10万人ともいわれている。
女子供もみさかいなく殺し、バラバラにされた死体はセーヌ川に投げ込まれた。

イスラム過激派の自爆テロは残酷だ、とだれもが非難する。
世界貿易センターに突っこんだテロリストたちも、今回、パリで同時多発的に
無差別殺人をおこなったテロリストたちも、誰ひとりとして死を恐れていない。
「神は偉大なり!」と叫びながら自爆していった。

コーランの教えでは、異教徒を殺して殉死するものは即、
天のパラダイスに行って72人の処女を抱けるとある。
テロリストが女性の場合は童貞の男の子を抱けるのかどうかは知らないが、
男なら「72人の処女」を慰みものにできるという。ずいぶん豪儀な話だ。
でも、もう死んじゃってるんだもの、そんな元気があるのかしら。
死んでも安眠できず閨房(けいぼう)で酷使されるなんて、イスラム教徒の男もつらい。
↑実際はコーランにもハーディス(コーランの解説書)にもそんなこと書いてないらしい。ガセネタか?

さてムスリムに同情しつつも、ボクはいつも「イスラムの停滞」について考えてしまう。
十字軍に攻められていた時代は、アラブの文明のほうがヨーロッパより数段上だった。
しかしヨーロッパ社会は15世紀あたりから600年かけて徐々に成熟していった。

一方、イスラム圏はアッラーの神による〝個人の安心立命〟のみを優先した。
どうやって飯を食っていくのか、ということがアラブの世界では高度に社会化しなかった。
まだ石油が出るからいいが、大昔はともかくアラブから文明世界における科学や
テクノロジーはいっさい生まれていない。それはそうだろう。科学実験で失敗しても
「すべては神の思し召し」というのでは、科学する心や向上心など育ちようがない。

ボクたち無神論者は、
「21世紀にもなって、まだアッラーの神かよ」
などと、つい小バカにしたくなってしまうものだが、
世俗主義(政教分離主義)を排斥している限りは、
アラブの停滞は今後もつづくことだろう。

ユダヤ教にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、
一神教の原理のもとでは、互いの正義が異なるため、ささいなことで殺し合いに
なってしまう。生命尊重の原理より正義が優先してしまうためだ。

日本はどうかというと、ジブリの『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』を見るまでもなく、
八百万(やおよろず)の神が跋扈する多神教の世界で、クリスマスだろうとハロウィンだろうと、
なんでもかんでもお祭りにしてしまう。そこには七面倒くさい教義も正義も存在しない。
節操がないといえばそれまでだが、なぜかみんな楽しく暮らしている。

宗教戦争などというものは絶えて久しい。←その昔、「天文法華の乱」なんてのがあったっけ
一神教社会の重苦しさに比べ、多神教社会のなんと自由なことか。
日本人のこの〝いいかげん(好い加減)〟な宗教観が、世界平和を実現するカギでは
ないのかと、近頃はそのことばかり考えている。みなさんはいかがお考えですか。






←この節操のない多神教の世界が
世界を救う、と思うのですがねえ……


2015年11月10日火曜日

「とか弁」より「ドカ弁」

言葉は時代とともに変化していくものというのは分かります。
現代日本語を平安時代の紫式部が耳にしたら、何を言ってるんだかサッパリ
分からないでしょう。とりわけ若者言葉というのは、いつの時代にあっても年長者
を悩ませるものです。

とか弁」はいまも健在です。
「テレビとか見ますか?」
「会議とかやるんですか?」
少しは馴れましたが、時にイラッとして「テレビとか、じゃなくてテレビを、だろ?」
とたしなめてやりたくなります。

ていうか」「みたいな」「だったりして」もイライラさせられる言葉です。
「あの娘かわいいっすよね、てゆーか、すっげェ美人じゃないっすか?」
「首相の名前のほうとか知らなくても生きていけるじゃないですか、みたいな」(朝日新聞より
かとおもうと、
「てめえ、ぶっ殺されたいのかよ、みたいな」
と、過激な言葉の後に「みたいな」を付けると、すべて赦されてしまうみたいな……(笑)。
頭の堅いボクにとっては若者言葉でいうところの、「意味わかんなーい」であります。

これら語尾がのびて要領を得ないしゃべり方は、専門家に言わせると、
摩擦回避型」というのだそうで、ものごとを断定せず、それとなくはぐらかす効果が
あるといいます。なぜそんなしゃべり方をするかというと、相手に本音をぶつけてしまうと、
お互いに傷ついてしまう。だから本音は言わず、表層的なやりとりでなんとかその場を
取りつくろう。若者同士の薄っぺらで希薄化した人間関係がこうした表現法を生みだした
のだろう、というのです。

ボクみたいに何でも断定調で言い切り、他人との摩擦などいっこうに気にしない人間
にはサッパリわかりません。たぶん心が弱いために、他者との軋轢を必要以上に
恐れているためだと思われます。そういう軟弱な人間は、ラグビー日本代表の
五郎丸選手でも見習ってキン肉マンのようにたくましくなることです。
福澤諭吉は言いました。
先ず獣身を成して後に人心を養え》と。
若者はすべからく「ドカ弁」を喰らい強健な身体を育成すべし。
英語で言うところのA sound mind in a sound bodyでしょうか。
そうすれば「とか弁」とかとおさらばできます(笑)。

意味わかんなーい言葉はまだまだあります。
最近よく耳にするのが「~てございます」という言葉。
政治家や役人、ビジネスマンがよく使っています。
「ただいま検討してございます」
「検討しております」というのをより丁寧に言ったつもりなのでしょうが、
どこか違和感をおぼえます。

ボクは「検討しております」あるいは「検討中でございます」で十分だと思うのですが、
それでは物足りないと思うのか、不必要なくらい丁寧にしたがります。
政治家などは〝無脳〟なせいか、国会の質疑などでよく、
「検討しておるところでございます」などとクドい言い方をしていますが、
なぜ「検討中でございます」ではいけないのか、そこのところがよくわかりません。

「動詞連用形+てございます」は昔の小説などにも出てくるようです。
藤村の『夜明け前』には、
《お塩で味がつけてございます》
というセリフが出てきます。

しかし、
「名産品を用意してございます」
「商品は多数在庫してございます」
「こちらの席が空いてございます」
「考えてございません」
などとなると、どうもしっくりきません。
「こちらの席が空いております」「名産品を用意しております」のほうが
数段スッキリすると思うのですがねえ。


←南ア戦での最後のトライ。
トライしたヘスケスは数秒前、
スクラム組んでいる時に尻が
めくれてしまっていた。
意外ときれいなお尻だった。
それにしても〝獣身〟というのは
カッコいいねえ。男はこうでなくちゃね。
見てよ、このたくましい二の腕と太もも、
男はやっぱ筋肉よ←意味わかんなーい!

2015年11月2日月曜日

君は夢見がちな眼をしていますか

ザ・モンキーズのヒット曲に『Daydream Believer』というのがあります。
軽快なリズムの、ちょっとおセンチな曲で、ボクも若い頃よく口ずさんだものです。
このDaydream Believerというのはどういう意味かというと、
白昼夢にふける人とか夢想家、空想家というような意味です。

なぜこんな前フリをするのかというと、日本のインテリ層にはこのDaydreamerが
殊のほか多いからです。彼らはたとえばこんなふうな言い方をします。
「戦争だなんて口にする人間がいるから戦争が起きる。
そうした人間は平和の敵であり人民の敵なんだ」
平和にな~れ!〟と呪文のように念じていれば日本は未来永劫安泰で、
つまりは〝神州不滅〟なのだ、というのであります。

こういうのを「念力平和主義」という、とボクは幾度となくブログに書き、
この夢想家たちを批判していますが、彼らは意外にしぶとくて、
いまや若者たちの間にもその〝念力主義〟が蔓延しつつあります。
若者というのは総じて「正義感」のかたまりで、おまけに「軽躁」のかたまりでも
ありますから、すぐかぶれてしまうのです。

ボクも夢見がちの眼をしてるときがありますが、それはたいがい目の前に
妙齢な女性(にょしょう)がいるときに限られていて、ふだんは常にリアリストで
あろうと努めております。ですから、日本の平和は「憲法9条」があるおかげ、
などというたわごとはいっさい信じません。戦後日本の平和はまちがいなく
「日米安保条約」と「自衛隊」によって保たれてきたのです。

パレスチナとの抗争が絶えないイスラエルでは、子供をグループで外へ連れ出す
ときには引率の教師は自動小銃を持つことが義務づけられています。彼らは
自分以外の誰も信じません。そうしなければ生きてゆけない厳しい現実が目の前に
広がっているからです。

かつて日本の某学者先生はこんなことを言いました。
「日本の安全は国連軍に守ってもらえばいい」

このノーテンキな学者先生はおそらくマキャヴェッリの『君主論』なんて読んだことが
ないのでしょうね。マキャヴェッリの人間観はご承知のように、
人間なんて、どいつもこいつもみな悪党だ
とする〝スーパー性悪説〟に立脚しています。これは単なる感慨とか空想といったもの
ではありません。目の前の人間をつぶさに観察してみたら、みなしょうもない悪党ばかり
だった、と遅疑なく言い放っただけです。

もちろんイスラエルの民は徹頭徹尾「性悪説」を支持しているでしょうし、
パレスチナの民も同様でしょう。いや、世界的に見れば性悪説に立っている
人のほうが圧倒的に多数派なのです。

しかるに、日本には「東シナ海を友愛の海にしましょう」などと寝言をいう元首相が
いるくらいですから、「性善説」を支持する人たちが殊のほか多いのです。
彼らには共通した特徴があります。多くが朝日や毎日といったおめでたい新聞を
読んでいて、そのせいかどっちかというと右脳より左脳が重くなるという病癖があり、
どうしても身体が左に傾いてしまうことです。

また彼らは押し並べてDaydream Believerで、厳しい現実には目をそむけ、
鵞毛のように軽い観念論や美しい抽象論をふりかざします。
よろずイデオロギー優先ですから、その理屈に合わない現実は自動的に
オミットされてしまうのです。差別用語かもしれませんが、
彼らは「あきめくら」なのです。

性悪説の元祖ともいえるマキャヴェッリはこんなことを言っています。
私はあらためてくり返す。国家は軍事力なしには存続不可能である、と。
それどころか、最期を迎えざるをえなくなる……(中略)……君主国で
あろうと共和国であろうと、どこの国が今までに、防衛を他人に任せたままで、
自国の安全が保たれると思ったであろうか

500年以上前に生きたマキャヴェッリがいま生きていたら、東洋の果てに
その〝マヌケな島国〟があったと腰を抜かすほど驚くにちがいありません。
なんと言っても日本には、「非武装中立」を大まじめに唱えていた政党が
ありましたからね。民主党の前身である旧社会党であります。

日本国憲法前文にはこうあります。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して
われらの安全と生存を保持しようと決意した》と。
つまり、日本人の生存権自体を、心やさしき〝諸国民〟
の手にゆだねております、ということであります。
その諸国民とは支那、ロシア、北朝鮮、韓国といった国々です。
日本の隣国は平和を愛し信義を守る素敵な国ばかりです(笑)。



きつ~い冗談はさておき、
夢見るドリーマーになるのか、それとも冷徹なリアリストを貫き通すのか。
あなたはどちらがお好みですか?





←500年前に生きたニッコロ・マキャヴェッリ。
目的のためには手段を選ばない非情な
〝マキャヴェリズム〟という言葉によって
いまに知られています。

2015年10月30日金曜日

ハロウィーンって何なのさ!

明日はハロウィーンなので、混乱を見越して渋谷の街にDJポリスがご出座なのだという。
年々、騒ぎが大きくなっていく感じで、ハロウィーン商戦のマーケットは、近くクリスマス
を抜くだろうといわれている。

テレビのニュースなどでも原宿の街をのし歩く仮装した若者たちを取りあげている。
魔女だとかゾンビだとか、うすっ気味わるい格好をした若者たち(=バカ者たち)が、
ひたすら目立ちたい一心でノーテンキに歩いている姿は、「この世の終わり」を思わせる。
日本人も堕落したものだ。

ボクは現代の遺物といわれるくらい「頭がかたい」人間なので、あのような無教養
そのもののバカ騒ぎを見ると、彼らの頭上から数機のドローンを使ってドロンとした
糞尿をぶちまけたくなる。あの連中は真正の日本人じゃない。靖國の英霊たちは
あんなうすらみっともない連中を守るために死んでいったのではないのだ、
と声を大にして叫びたくなる。←頭堅すぎ!
何がハロウィーンだ、何がTrick or Treatだ、バカバカしい。

そもそもハロウィーンの原型は古代ケルトの祭りである。ケルト人にとっては
毎年10月31日が1年の終わりで、夏の終わりでもあった。この31日には、死者の霊が
家族を訪ねてくるという。なんだか日本のお盆に似ている。しかし霊といっしょに悪霊
なども這い出してくるので、その悪霊を追い出す儀式が、現代の「ジャック・オー・ランタン」
などにつながっている。すなわちカボチャの中身をくりぬきお化けのような顔にする
あのランタンである。

物の本によると、「古代ケルト+古代ローマ+キリスト教」が現代のハロウィーンに
つながっているというのだが、いずれにしても日本人にはまったく関係がない。
あえて言えば古代ケルトの血を引くアイルランドやスコットランド、ウェールズと
いったところの祭りだろう。

クリスマスだって関係ないんだから堅いこと言うなよ、といわれればたしかに
そのとおりで、何でもお祭りにしてしまうこの無節操さが、日本の平和を保っている
としたら、あの〝バカ者たち〟だって少しは生きる価値があるのかもしれない。
しかしねェ、ハロウィーンは単なる〝仮装行列の日〟ではないのだけどね。

日本人はとにかく節操がない。特に宗教に関してはまったくの無節操で、
仏教でも神道でもキリスト教でも、なんでもごちゃ混ぜにして澄ましている。
イスラムから見るとほとんど「日本人は狂っている」としか思えないだろう。

しかしデタラメで節操がなく、何でもかんでもお祭りにして騒いでしまえ、という精神が、
宗派の違いで血を流し合うガチガチの一神教などより争いのない平和な社会を
つくり得るとしたら、いったいどういうことになるのか。
なんだか仮装したマヌケ面のバカ者たちが、神々しく見えてくるではないか。

そうか、あのゾンビや魔女に扮したあのバカ者たちは平和の使者だったのか。
現代の遺物であるおじさんも、いっしょに行列に加わろうかしらねえ。



さて、数時間前、ネパールで10日間の震災支援ボランティアに参加してきた長女から、
ぶじ羽田に着いたと連絡があった。父親としてはまずはひと安心だ。
メールには強烈な陽射しのおかげで肌がカッサカサになったと書いてあった。
でも父としてはこう思うのだ。
「A子よ、おまえさんのカッサカサの肌こそ美しいのだよ」
と。ああ、親バカちゃんりん、そば屋の風鈴か……

明日(31日)にはトマスもチェコから帰ってくる。




←娘が撮った機上からの写真。
きれいに富士山が写っている。





2015年10月27日火曜日

江戸っ子・ピアフ熱唱

●10月24日(土)
知人のKさん(♀)が米寿を迎えるにあたり、記念にシャンソンを披露しよう
ということになった。シャンソンはもう17年のキャリアだという。会場は
練馬区大泉学園町にある「花あそび」という小粋なカフェ。そこのマダムの
肝煎りで、半日貸し切りのパーティをやることになった。
 
Kさんに伴奏をつけるのはわが「蛮爺's」の〝蛮〟担当のNICKだ。
いつもはジャズばかり弾いていて、シャンソンの伴奏は初めてだという。
4時開演の前に、わが家で1時間半ほどKさんを特訓した。これが2度目のレッスンである。

本番の出来はすばらしいものだった。NICKも感心するほどの出来栄えで、
Kさんも満足そうだった。曲の合間のスピーチで、
あたしはエディット・ピアフならぬ〝江戸っ子・ピアフ〟ですから
とやって、会場を沸かせた。深川生まれの深川育ち。ちゃきちゃきの江戸っ子
だからか、実に気っ風がいい。「蛮爺's」も最後に歌を披露、風邪ッぴっきだから
ムリかと思ったが、なんとか咳き込まずに歌い終えた。

Kさん、素敵でしたよ。それにとてもおきれいでした。
Sさん、ウィットの効いた司会、とてもgoodでしたよ。


←大泉学園のKさんのご自宅でレッスンをつけるNICK。
さすが4歳のみぎりから身につけたテクニックだ、
シャンソンでもみごとな伴奏ぶりだ








●10月25日(月)
トマーシュの祖父が危篤だというので、急遽、チェコに一時帰国させた。
マレーシアから来たアシュレーの祖父さんもやっぱ危篤だというので、
彼女もいま国へ帰っている。海の向こうの「晩爺's」は〝危篤〟づいているようだ。


トマーシュは相変わらず薄い掛け布団一枚にハダカで寝ているから、
とうとう風邪をひいてしまった。「あれほど言っただろ!」と、ボクは叱った
のだが、暖かい寝具を用意すると「要らない」という。欧米人はハダカで寝る、
というのはよく聞く話だが、風邪をひいちまったら元も子もない。

おかげでこっちも風邪をうつされてしまい、ひどい目にあっている。
熱はないのだが、咳がひどく、夜中じゅうゴホゴホやっているから、
喉と胸のあたりが痛い。今月末が原稿の〆切だから、泣きっ面に蜂だ。

●10月26日(月)
昨日、毎日新聞出版の週刊『エコノミスト』の編集記者がボクの取材に来た。
コーヒーについて原稿を頼まれたのだが、単行本の〆切を抱えていて四苦八苦の
状態でとてもムリですと断ったら、それじゃあインタビューだけでもと、
わざわざ和光市まで足を運んでくれた。

ボクの『コーヒーに憑かれた男たち』と『コーヒーの鬼がゆく』を読んだだけでなく、
ブログものぞいてくれたらしく、ボクのお腹を見て「なるほど腹筋を鍛えておられる」
と褒めてくれた。ボクが腹筋、背筋、体幹を鍛えているという話を書いたものだから、
さりげなくその話題にふれたのだ。また実際、咳き込むたびにエビ反りになるから、
いやでも腹筋背筋が鍛えられているのかもしれない。ゴホゴホ……

ボクは朝日、毎日新聞ぎらいと日頃から公言しているが、
なぜか両紙からの取材が多い。また友人もいる。
「ブログでいつも悪口を書いてますよ」と事前に言ってあるのだが、
ニヤリと笑うばかりだ。政治の話をするわけではないので、関係ないのだろう。

いずれにしろ、わざわざ草深き田舎町までご足労ねがいまして、
ほんとうにご苦労様でした。


























2015年10月21日水曜日

ヒマラヤの寒空のもと、娘は……

相変わらず原稿との格闘の日々がつづいている。
ほとんど右手だけでキーボードを叩いているので、
右手首が腱鞘炎一歩手前の状態で、とても痛い。

「あんなに強く叩いてたら、誰だっておかしくなるわよ」
と、カミさんは呆れてる。ショパンのノクターン(夜想曲)を弾くみたいに、
こうやって軽やかに叩けばいいのよ、と実演してくれるのだが、
ピアノの弾けない爺さんがショパンになれるわけがない。

南米旅行から帰ってきたばかりの長女が、一昨日、また機上の人になってしまった。
ネパールで震災支援をするというのだ。ちょうど6カ月前に起きたマグニチュード7.8の
大地震。死者8460人、負傷者14398人を数え、ネパール人口のおよそ30%、800万人
が被災したという。そのネパールへ行き、外国人ボランティアにまじって家屋の修復
などの手伝いをするという。

「まだ余震もあるというから、自分の身を守ることを最優先するんだぞ!」
はなむけの言葉としては、こんなことしか言えなかった。

それにしてもなんという娘だ。
学生時代から世界中を飛びまわり、ヒマさえあればボランティアだ。
ヨーロッパでもアフリカでも、そしてもちろん日本でも。岩手・大船渡には
いったい幾たび通ったことか。深夜バスで往き、深夜バスで帰ってくる。
そして、すぐさま出勤だ。

「ひとにはやさしくしろ!」がわが家の家訓。
と同時に「悪いやつには容赦をするな!」もまた家訓だ。
その教えが効いたんだか、困っている人がいると、
まずまっ先に手を差しのべようとする娘たち。
そのやさしい心根が、親としては何より嬉しい。

PTSD(閉所恐怖症)患者のボクなんか、長時間機内に閉じこめられた状態を
想像するだけで息苦しくなってしまうが、娘は「最新映画を何本も観ちゃった」
とまるで屈託がない。どっちに似たんだか、物怖じしないというのも長女の長所か。
また根が明るい性格だから、外国人の輪の中にもすんなり入っていける。

食べものの好き嫌いがなく、バッタでもヘビでも何でも食べてしまう。
サバイバルゲームになったらすこぶる強いだろう。
こんなハッチャキ娘ですが、どこかによい婿さんはいないだろうか。
いまなら格別お安くしときますが……



←ケニアの小学校にて、
現地のこどもと戯れる長女







2015年10月11日日曜日

淡々と書く

毎日、原稿書きでひっちゃかめっちゃかになっている。
飯のタネとはいえ、因果な稼業で、毎度のことながら憂鬱な日々を過ごしている。

むかしはペン、いまはパソコンで書く。でもピアノ弾きみたいに
両手を使えないので往生している。手指の活用比率からすると
左手10%、右手90%という感じだろうか。あまりのバランスの悪さで、
やけに肩が凝る。それに毎度のことながら右手首が腱鞘炎になったみたいに痛い。
長時間坐っているから腰も痛いし、眼も疲れる。

だから時々は、バランスボールに身体をあずけ、エビ反りをして背筋を伸ばす。
あるいは足首に1.5㎏のウェイトを着け、近くの公園内で自転車をこいでくる。
爽やかな風に吹かれながら、
  
   ♪ サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤッホー……

なんて歌っていると、頭の中がリフレッシュされ、「さあもうひと踏んばりだ」と
仕事に集中できる。原稿を書くというのは、一にも二にも集中力が大事で、
それを欠くと、たちまちロクでもない文章ができあがる。

もともとボクの原稿なんてロクでもないものなのだが、
あんまりひどくなると肝心の銭がもらえなくなる。
だからもらえそうなギリギリのところでがんばって書いている。

いまは午前10時。トマスはまだ寝ている。先週の日曜は昼になってようやく
起きてきた。遅いじゃないかと叱ったら、
「チェコでは午後1時をまわって初めて遅いといいます」
などと平然という。口だけは減らないやつだ。

むかしはもっぱら深夜に書いていた。が、いまはそれができない。
10時過ぎるともう眠くなってしまうからだ。その代わり朝が早い。
6時にはもう起きていて、先日は4時に目が覚めてしまった。
しかたがないから、近所をぐるりと自転車で走ってきた。

時に、頭が冴えて気の利いた文句がポンポン出てくる時がある。
しかし、できあがった原稿は必ずしもよくはない。
テンションが高すぎて、表現がオーバー過ぎるのだ。
よい原稿を書くコツは、平常心で淡々と書くこと。
東海林さだお風にいうと、ひたすら淡々と書くから
〝ひたたん書き〟とでも称すべきなのかもしれない。

一方、酔って書くと、しばしば〝That's awesome!〟と叫びたくなる
ようなフレーズを思いつくことがあるが、あとで読み返してみると、
たいていガッカリする。やはり文章も酔っぱらっていて、どこか千鳥足なのだ。
これでは使いものにならない。

ラブレターを思い起こしてもらえればわかる。
深夜に書いたラブレターを翌朝読み返すと、
恥ずかしさのあまり首を括りたくなってしまう。だから、
「この手紙は深夜零時に書いたものなので、君も同じ時刻に読んでね」
と、事前に連絡しておくといい(←これも手紙でか?)

夜はつい気分が高揚してしまって、文章まで妙に気取ったものに
なったり、ピョンピョン跳ねたような陽気すぎるものになってしまう。
だから相手にも同じような環境の中で読んでもらうのだ。
文はその人のその時々の気持ちを正直に映し出してしまう。
〝文は人なり〟といわれるゆえんなのである。

素人の書いた文章がダメなのは力みすぎているためだ
特にオトコと称するややこしい種族は、
「おれはこんな難しい漢字だって知ってんだぞ!」
とばかり、難解な漢字や四文字熟語をやたら使いたがる。
自分がいかに優秀な人間であるか見せつけるためだ。

漢字が多い文章は全体に黒っぽく見える。
それに角張り尖っている分だけ読みづらい。
だから適宜「かな文字」に開いてやる。すると文が白くなる。

力まず気負わず、肩の力を抜いて淡々と書く。
泥のように晦渋な言葉はできるだけ避ける。
いつも平易な文章を心がけ、文全体を白っぽくする。

ボクはこんなふうにして〝ライター稼業〟をやってきた。
40年もやっていれば、力みは自然と消えてなくなる。
どう転んでも自分を超えた文章は書けないので、
半分開き直り、素直な文章を心がけている。

原稿のデッドラインは今月末。
いまようやく半分のところまで来た。
これからがほんとうの正念場だ。



←わが家のバルコニー(5階)から見た
団地内の景色。この赤や黄の花は
ポーチュラカ。書斎からこの景色を
眺めながら原稿を書いている。緑が
多いと心が和みます









2015年10月7日水曜日

「飲~める賞」だけでいいや

ノーベル・物理学賞を受賞した梶田隆章氏は、わが母校・県立川越高校の出身だという。
ボクの8年後輩で、弓道部だったという。目立たない地味な男だったらしい。

ボクはノーベル賞ならぬ「飲~める賞」はすでにいただいているが、
ノーベル賞はまだで、おそらく数年後には文学賞(これから書くつもり)が
もらえるだろう。ムラカミハルキとかいう人気者に先んずるのが目標で、
いま懸命に書いているところだ(←ついでに恥もか?)。

ニュートリノの研究に多大な貢献をしたスーパーカミオカンデ。
この巨大な研究施設を形作る光電子増倍管は「浜松ホトニクス」が
製造したものだ。府中に住む女房の姉は、かつて浜松ホトニクスの
社員だった。が、婚約者のイギリス赴任が決まったため、1年足らず
で辞め、イギリスへ渡ってしまった。

何が言いたいのかというと、梶田氏のノーベル賞受賞をめぐって、
川越高校と浜松ホトニクスというキーワードで、梶田氏とわが一族がつながった、
ということなのだ。「な~んだ、そんなことか。単なる偶然じゃないか」と
言われればたしかに偶然で、そこには何の意味もないし、
そのおかげでわれわれが格別偉くなったわけでもない。
でもまあ、堅いことは言わず、このむやみに嬉しい気持ちを
どうか汲んでくださいな、という話で、もちろん深い意味などないのである。

居候のトマスに、「日本人が2人、ノーベル賞をもらったんだぞ」
と自慢したら、「知らない」とそっけない。
数日前も「ラグビーで南アをやっつけたんだ。知ってるか?」
と訊いたら、やはり「知らない」だった。こいつは何にも知らない。

「チェコの首相は何という名前なんだ?」
と訊いたときも、「知らない」だった。
「女子体操のチャスラフスカは知ってるだろ?」
には「知ってる」だったが、それ以上は黙りこくっていた。
まったく、この男は、どこをつついても無反応だ。

長女が休暇をとってチリ、アルゼンチンを旅行してきた。
例によってバックパックを背負ってのひとり旅である。
イースター島にも行って、夕陽に沈むモアイ像を見てきたという。
写真を見せてもらったが、幻想的ないい写真だった。

かたや〝何でも見てやろう〟という好奇心旺盛なオンナの子がいて、
こなた娑婆の出来事には少しも興味がない、というパソコンおたくのオトコの子がいる。
地球上には、いろんなニンゲンがいるもんだな、と感慨を新たにしている
今日この頃である。



←イースター島のモアイ像




photo by 長女

2015年9月29日火曜日

ハレンチ韓はきらいです

81歳になる叔母は「韓ドラ」が大好き。足腰が弱り、部屋に閉じこもりがちな
叔母にとって唯一の楽しみといってもいい。韓国と韓ドラが大きらいなボクは、
「叔母さん、そんなもの見るの、おやめなさいな」
と言ってやりたいのだが、それこそ大きなお世話で、そんなことを言ったら、
叔母のささやかな生きがいを奪ってしまうことになる。

叔母は親戚じゅうで一番の美形と呼ばれた女性で、いまなおその美貌をわずかに
とどめている。韓国に生まれたなら、さぞかし引く手あまただっただろうと想像されるが、
それはあくまで「若い」という条件付きの話で、年を取ったとなると話は別だ。
韓国という国は役立たずの年寄りや身体障害者に対してやけに冷たいのである。

拓殖大学教授で作家の呉善花は、先般、韓国に滞在中、見知らぬ男から、
あなたはなんでそんなにブスなの?
ずけりと言われたらしい。
彼女曰わく、韓国は世界一の「いじめ大国」で、自分より〝低い〟人間に
対してはいじめがひどいのだという。

以前、ブログの中で「病身舞」のことを取りあげた。酒席で身障者をマネた踊りを
披露し、みなで笑いころげるという趣向である。評論家の加瀬英明は、
「韓国に行ってビックリしたのは、目が不自由な方に後ろから石を投げるんです」
などと報告している。聞けば、しばしば身体障害者に対して露骨にツバを吐く行為が
目撃されるという。不浄なものを追い払う行為なのだという。

韓国人は整形好きだ。なぜ整形が好きなのか。それは左右の目の大きさが
違っていたり、目と口と鼻のバランスが悪かったりすると、「ある種の身障者」に
見られてしまうからだ。儒教の影響なのか「左右対称が美しい」という奇妙な
美意識に凝り固まっていて、左右が非対称な顔を見ると、寄ってたかっていじめる。
根強い男尊女卑の伝統もあるが、韓国人の男などは、大半が不細工なくせに、
自分のことは棚に上げ、醜女を徹底的に蔑みいびるのである。

韓国は世界一の売春婦輸出国で、日本には5万人、アメリカには3万人、
オーストラリアにも数万単位の売春婦がいる。呉教授の話では、
「ロサンゼルスにいる売春婦のほぼ90%は韓国系」
なのだそうだ。表面的にはコリアン・マッサージとして営業しているのだが、
裏に回るとしっかり春をひさいでいる。新手の売春法なので、アメリカの警察も
ビックリ仰天しているらしい。売春に関しては韓国はウルトラ先進国なのである。

それくらい買売春に対して罪の意識をもたない韓国人が、日本に対しては
従軍慰安婦問題で極悪非道、人非人のごとく非を鳴らす。ベトナム戦争時に
数万人の私生児を現地にこさえたくせに、よくまあそんなことが言えるなあ。
もっと昔には、モンゴルに攻め込まれた時、数十万人の女性を草原の地に
連れて行かれた。また李氏朝鮮時代には毎年、数百人のうら若き女性を
清朝に貢いでいた。「千年の〝恨(ハン)〟」を言うなら、日本に文句を言う前に
まず支那やモンゴルに文句を言いなさいよ。それが筋ってもんだろ!

韓国・朝鮮人には、根強い〝侮日観〟があって、日本人と肌身を合わせるとか、
血が混ざったりすると、大変な屈辱感におそわれるらしい。こっちだって元は
どブスの整形女なんかと交わりたくねえや、と言ってやりたくなるが、
こうした考えもまた根強い儒教的な〝華夷秩序〟から来ている。
支那を中心として、そこから遠ざかるほど野蛮、という考え方である。
日本は東の海の果てにある蛮族の国。その遅れた東夷・ニッポンに
高度に文明化されていた(ホントかよ?)朝鮮が36年間も支配されてしまった――
この倒錯した屈辱感が今でも半島全土を蔽っている。

そんな韓国人の悲しい心性を知ってか知らずか、叔母は今日もまた韓ドラの整形男や
整形女を見て、随喜の涙を流している。早く目を醒ましてくださいよ、叔母さま。





←韓国文化の恥部とされる「病身舞」

2015年9月21日月曜日

筋肉おじさんと哲学少年

おじさんはみな、いわゆる「おじさんズボン」をはいている。
上はチェックのポロシャツで下はダボッとしたチノパン。
それで決まってシャツはズボンにinしてる。

ボクはおじさんズボンははかない。
夏場はTシャツにショートパンツ。晩秋あたりからボタンダウンのカジュアルシャツか
長袖Tシャツ、そしてジーンズという組み合わせになる。これらほとんどがユニクロで、
ユニクロは創業以来の熱烈ファン。Tシャツにしろジーンズにしろ、肌ざわりや伸縮性
が抜群にいいのだ。トマス(居候)の着ているヨレヨレのそれに比べると、
質の高さが群を抜いている。

「お義父さんの世代でタンクトップ着てるというのは珍しいですよね」
娘婿のY君が女房にそっと耳打ちしたという。褒めてんだか貶してんだか
サッパリわかりませんが、たしかに団地内でタンクトップを着ているおっさんは
かなり少数派だ。元アメフト選手のY君は図体がでかいこともあってか、
大変な汗っかき。ボクも汗っかきでは人後に落ちず、酷暑の夏を過ごすには
タンクトップは欠かせない。

精神の若さは必ず外見にも反映する。
いわゆる〝おじさんファッション〟がいやなのは、
そこにピンと張りつめた緊張感がないからだ。
ボクは体育会系の人間なので、ヒマさえあれば身体を鍛えている。
ブヨブヨのお腹に細い腕では、いざとなった時に闘えない。

去年、深夜に騒ぐ若者に天誅を加えたことで警察沙汰になった。
検察まで送られ、運良く不起訴にはなったが、いつまたこんな事件に巻き込まれるか
わからない。所詮この世は「常在戦場」。身に降りかかる火の粉は自分で払わなくては
ならない。そんな時のために、日頃から闘える身体をキープしているわけで、
筋力トレーニングに腹筋、背筋、そして体幹の鍛錬は必須なのだ。

ボクは子供の頃からジーンズ派で、死ぬまでジーンズで過ごそうと思っている。
特に〝ファッション〟にこだわっているわけではない。むしろ関心がないと言っていい。
ただ自分に似合いそうなものを身につけている。また、オール・ユニクロ製だから、
コスト的に見ても相当安く上がっている。

話が変わるが、19日、ラグビーW杯初戦で、日本代表(世界ランキング13位)が
過去2回の優勝経験をもつ南アフリカ(同3位)に34対32で逆転勝ちした。
ボクは後半10分過ぎからの試合をテレビ観戦していたのだが、残り時間
が数秒というところで逆転トライした時は、思わず飛び上がって、
「ヤッターッ!」
と叫んでしまった。現地(英国ブライトン)で観戦していた日本人の中には、
涙を流していたものもあったが、ボクも胸に熱いものがこみあげてきて、
思わず、
「トマース! 日本は勝ったぞォ! ウォー、ついにヤッターッ!」
と叫んでしまった。自室から飛び出てきたトマスは、すでにケダモノ化している
〝父ちゃん〟を見て目を白黒。テレビ画面を見て事情がわかったのか、
冷ややかな目で一瞥しニヤリと笑った。

トマスは「スポーツは苦手。好きなのは〝哲学〟」なんて言ってるくらいだから、
サッカーにもラグビーにも関心がない。
「哲学って、いったい誰を読んだんだよ」
と、いくぶんからかい気味に訊いたら、
ハイデガーが好きです……」
「ハ、ハイデガー…………」
ボクは口あんぐり。学生時代に『存在と時間』に幾度か挑戦したが、
さっぱり理解できなかった。こんな〝ひょうろく玉〟がマルティン・ハイデガーかよ。
唖然茫然……

筋肉マッチョの右傾化おじさんと、チェコの哲学少年。
この2人が川越を散策してきた。連休の日曜なのでどこも人・人・人の波だ。
おじさんはラグビー初戦のことで頭がいっぱいだったので、
もう見飽きた蔵造りの街(←生まれ故郷だもの)を適当に見物したあと、
「トマスちゃん、そろそろ帰ろうかねェ?」
猫なで声でそう言うと、少年は黙ってコックリ。
ビュンビュン飛ばす帰りの車の中では助手席でスヤスヤとお眠り遊ばしていた。
きっとトマスの夢路は〝哲学の道〟を辿っていたに違いない(プッ)。



←川越「喜多院」にて、グラサン姿の哲学少年。
ボクにはただのすけこましのアンちゃんに見える



2015年9月16日水曜日

〝サヨク〟のおつむはお猿並み

昨日の夕方は、『歴史通』編集長の立林昭彦さんと新しい本の打ち合わせ。
途中で、『WiLL』編集長の花田紀凱かずよし)さんもお見かけしたので、
そっとラブレターをお渡しした。つい最近読んだ『「正義」の嘘』が大変面白かったので、
エールを送っておいたのである。両氏はもと『文藝春秋』の名編集長。いまは往年の
生気を失ってしまった文春を離れ、ワック出版を舞台に鋭い論陣を張っている。

打ち合わせが終わると、立林さんが麹町の「汐風」という店に案内してくれた。
船宿割烹と謳っているから魚がうまいのだろう。立林さんは刺身の盛り合わせを
たのみ、まずはヱビスの生で乾杯した。

こぢんまりした店で、そう何人も入れないのだが、次から次へと常連さんが
やってくる。ボクの隣の小座敷には、5~6人のグループが。見れば女優の
藤田弓子もいる。小太りのちっちゃなオバサンである。そうかと思うと、
カウンターで民主党の江田五月がひとり酒を飲んでいる。立林さんは、
完全に無視だ。

「いや実は、つい先だって星陵会館で日露戦争勝利を祝う集まりがあって、
ボクも参加したんです。そしたらいきなり全員起立して国歌斉唱でしょ、
ビックリしちゃって……」
と面白おかしく切り出したら、立林さんは大笑い。
「11月には同じ会場で三島の〝憂国忌〟の集いがありますよ。
村松英子や西尾幹二、堤(堯)さんやヘンリー・ストークスも来ますから、
ぜひ参加してくださいよ。もっとすごいから(笑)」
顔ぶれを聞くと、どんなふうに〝すごい〟のか容易に想像できて、ちょっと怖い(笑)。

ビールのあとは白ワイン、日本酒ととどまるところを知らない。
「〝サヨク〟がいま、安保法制問題で騒いでるけど、どう思います?」
と水を向けると、
「〝サヨク〟はとにかく勉強しないな。カルト宗教みたいに洗脳されちゃうと、
もうずっとそのままって感じで、歴史も学ばなければ現実も見ない。要はバカなんだな
まったく同感。近くで陰気に独酌している江田五月にこの〝天の声〟が届いたかしら。
バカにつける薬はないのだよ。

そうとう酔ったから、もう帰ろうとしたら、立林さんがもう一軒つき合えと言う。
で、タクシーに乗り、ホテルニューオオタニの「バー・カプリ」へ。
二人でモヒートを飲みながら、なおも〝憂国談義〟は続いた。

例によって前後不覚になるくらい酔っぱらって、
肝心の打ち合わせの中身までうろ覚え。
明日18日は安保法案を成立させなくてはならない大事な日だ。
安倍ちゃんにはぜひがんばってもらって、愚かな〝サヨク〟どもを
木っ葉みじんに粉砕してほしい。

←このおっちゃんとおばちゃんたち、
安保法制の意味がほんまに分かってんのかいな。
たぶんサル並みの脳ミソ(お猿さん、ゴメンナサイ)だろうから、
ムリだろうな。左翼政党の〝戦争法案〟という悪宣伝に
まんまとのせられているところが、その証左だ。憲法9条
さえ守っていれば、戦争なんて起きない、と思っている
ところがなんとも悲しい。もしそれほど霊験あらたかなる
条文なら、世界中の国が自国憲法に採り入れますよ。
こういうおめでたい思想を〝平和念力主義〟あるいは
念仏平和主義〟という

2015年9月13日日曜日

トマスの「海を感じる時」

昨日は次女の誕生日を祝う食事会。10日遅れの会だけど、
娘や婿、居候(トマス)も参加するにぎやかな食事会になった。
場所は北青山の「太月」という日本料理店。候補店はいっぱいあったが、
居候に本格的日本料理の醍醐味を味わってもらおうという〝親心〟も
ちょっぴりあって、今回はこの店に決めた。

6人が通されたのは簡素な個室。床の間には〝雪月花〟の掛け軸があり、
どこかで鈴虫が鳴いている。
「リリリリリリ……」
ちょっとうるさい。あるかないかの幽き鳴き声なら風流だろうが、
ずっと鳴きっぱなしだと耳障りになる。

トイレに立ったついでに、店の人にそっと、
「無粋なお願いで申しわけないんですが、虫の音のボリュームを
もう少し下げていただけませんか?」
すると恐縮した体の店の者がそっとあるところを指さすではないか。
そこには小さな虫籠があって、本物の鈴虫がリリリリと鳴いているのである。
なーんだ、ホンモノだったのか……2人は顔を見合わせクスリと笑ってしまった。
個室の引き戸の中にも虫籠があった。栄養がいいのか、
これが実によく鳴くのである。虫を黙らせるのはあきらめることにした。

料理はどれもおいしかった。
トマスも美しい料理の盛りつけに感心した風で、
チェコの母親や妹に伝えたいのか、しきりに写真を撮っていた。

誕生会が終わるとそのまま横浜へ向かった。
横浜レンガ街の近くの「カップヌードルミュージアム」で、
「世界で1つしかない自分だけのカップヌードル」を制作したあとは、
海なし国から来たトマスに待望の海を見せてあげた。

そして夜は中華街でチャイニーズ・キュイジーヌを心ゆくまで堪能。
娘婿のYは元アメフト選手だけに、腕の太さだけでもトマスの3倍くらいはある。
このYがトマスを弟のように思っているのか、食事中などでもやたら〝いじる〟
のである。トマスもいじられることがまんざらイヤでもないらしく、
たのもしい〝アニキ〟のそばで狆コロのようにじゃれついている。

トマスは世界一のビール消費国から来ている。
聞けば、あっちでは18歳以上は飲酒可能で、フランスやイタリア、オランダなど
は16歳から酒が飲める。日本でも飲酒年齢を18歳以上に引き下げようと法制化の
議論がなされたが、つい最近、先延ばしされてしまった。世間的には「まだ早い」
ということか。欧州からの留学生たちはさぞガッカリしたことだろう。
もし酒を飲んだことがバレたらどうなる?
もちろん待っているのは強制送還だ。

娘婿は底なしの酒飲みだから、ボクとは実に相性がいい。
生ビールの次は紹興酒をボトルで頼んだのだが、
あっという間に2人で空けてしまった。
飲んべえの良き婿を選んでくれた。次女には深く感謝している。
N子よ、誕生日おめでとう。Y君と末永く仲良くね。



←日本料理店「太月」の料理。
見た目もしゃれていて、味もいい。
ただ鈴虫が元気よすぎる

2015年9月9日水曜日

噛んでください、思いきり

ボクたち夫婦は結婚披露宴を2度やっている。あんなもの1度で十分なのだが、
なかなか複雑な事情があって、新郎側の親戚を集めた披露宴と新婦側の披露宴を、
それぞれの生まれ故郷(川越と浜松)で厳かにとりおこなったのである。

川越で行われた披露宴は旧い料亭の一室を借り受けた。
ひととおりの儀式を済ませ、宴もたけなわになった頃、
母方の叔父のひとりが、「そろそろ唄でも歌うべえ」と、いきなり立ち上がった。
この秩父に住む叔父は歌が好きで、毎晩のようにカラオケスナックで自慢の喉を
披露している、とは聞いていた。新郎新婦はひな人形みたいに正座したままで、
まだ緊張が解けずにいた。

酒で顔を真っ赤にした叔父は、借りてきた猫みたいに縮こまっている新郎新婦に
一瞥を加えると、すかさずアカペラで歌い出した。バリトンのよく通る声である。

   ♪ くもり ガラスを 手で拭いて   あなた 明日が 見えますか

これって、もしかして大川栄策の『さざんかの宿』じゃないの?

   ♪ 愛しても 愛しても   ああ 他人(ひと)の妻

ねェ叔父さん、ここは結婚披露の場ですよ。よりにもよって不倫の歌ですか……
なんだか妙な気分だったが、叔父の十八番が不倫の歌なんだからしかたがない。

   ♪ ぬいた 指輪の 罪の あと   噛んで ください 思いきり
      燃えたって 燃えたって   ああ 他人(ひと)の妻
      運命(さだめ) 悲しい   冬の 花
      明日は いらない    さざんかの宿

俺たちに明日はないってか? とうとうボニー&クライドにされちまった。 
運命(さだめ)悲しい、といきなり決めつけられてもねェ……いや、まいったな。

叔父は、新郎新婦のことなどそっちのけで、目をつむり恍惚とした表情で歌ってる。
隣の新婦(あの頃は可愛かったニャア)を見ると、下うつむいてモジモジしている。
たぶん、
(こっちの親戚はどいつもこいつもロクなもんじゃないな……)
と思っていたことだろう。たしかにロクなもんじゃない。

そんなロクデナシどもに祝福されたこの夫婦は、
喧嘩しいしいではあるが、なんとかここまで別れずにやってきた。
運命(さだめ)は悲しいものだったかもしれないが、
娘2人を育て、やっとこさっとこ生きてきた。

ボクはさっき、ギターをつま弾きながら、この因縁の『さざんかの宿』を
ひと節歌ってみた。いい歌である。叔父が好きになるのもむべなるかな。
その歌好きの叔父もすでに鬼籍に入っている。やさしい叔父だった。
大酒飲みのとんでもない男だったが、今にして思えば、みなよき思い出だ。

父も母も、叔父も叔母も、ことごとく死んでしまった。
みなひとクセある、気むずかしい人間たちだったが、いまはひどく懐かしい。

ボクも甥っ子や姪っ子の披露宴では、ぜひともこの『さざんかの宿』を歌ってやりたい。
迷惑がられても、ヤジが飛んでも、羽交い締めにされても歌ってやりたい。
この歌は心に残る名曲だ。



←「さざんかの宿」
余計な話だけど、「さざんか」はほんとうは
「さんざか」という名前だった。それが
いつの間にやら「さざんか」になってしまって……
「さんざかの宿」じゃ、なんか色っぽくないもんね

 


2015年9月6日日曜日

左から見ると真ん中も右に見える

昨日、〝ウヨク〟の集いに参加した。
ボク自身はウヨクでも何でもなく、真ん中から右に30度ほど傾いている程度だと
思っているのだが、教育勅語や軍人勅諭を復活させろ、とか憲法を改正しろ、
朝日・毎日新聞をぶっ潰せ、などと、日頃から口酸っぱく訴えているので、
世間的に見れば、ウヨクと呼ばれてもしかたないのかもしれない。
もっとも、何と呼ばれようとまったく気にはしませんが……。

雑誌『WiLL』の花田紀凱(かずよし)編集長は、
「ハナダ、おまえはウヨクか?」と尋ねられ、こう答えたという。
いえ、左から見ると真ん中も右に見えるんです

こういうユーモア感覚は、サヨクの人間にはほとんどない。
ボクもずいぶんサヨクの人間と会い、酒を飲んだが、
総じて暗いタイプが多く、近視眼的で温かい人間性とユーモア精神に欠けている
民主党の岡田党首がその代表だろう。朴念仁を絵に描いたようなあの男と、
酒を飲みたいと思うかね?

ウヨクの集いというのは、「ポーツマス条約」110周年を祝う会で、
日露戦争の歴史的意義をもう一度考えよう、という集まりである。
場所は永田町で、衆議院議員会館の真ん前にある星陵会館だ。

9月5日はポーツマス条約から110周年、日露戦争勝利の日である。
日清・日露の戦役が世界史的に果たした意義は大きく、まずはアジア諸国の
覚醒があった。有色人種は白色人種に500年もの間、虐げられ、搾取され、
奴隷状態に置かれていた。そんな中、日本人が、世界最大の陸軍を持つ
ロシアと戦い、みごと打ち負かす。
「おれたちにできなかったことを日本人がやってくれた!」
この攻守逆転のコペルニクス的転回が、やがてインド独立運動などに結びついていく。

それなのに、現代日本では「大東亜戦争は日本の侵略戦争だった」などとする
自虐史観がまかり通り、あまつさえ日露戦争まで侵略戦争と言い出す始末だ。
GHQの押しつけた「WGIP= War Guilt Information Program」によって、あるいは
その優等生的な推進者・朝日・毎日新聞などによって、いまだに日本人は
自虐的歴史観に苛まれ、いわれなき贖罪意識を持たされ続けているのである。

開演は14:00。全員起立し、日の丸に向かって国歌「君が代」の斉唱だ。
ふつう国歌斉唱などというと、みな小さな声でモゴモゴ歌うか、いっさい
口を開かず黙って突っ立てるか、といったケースが多いのだが、この会は
違う。なんてったって〝ウヨク〟の人たちが会場を埋め尽くしている。
彼らは例外なく腹の底から雄々しく声を出し、荘厳な雰囲気をつくりあげる。

開会の辞は外交評論家の加瀬英明。父親の俊一(としかず)は外交官で、
1945年9月2日、かの戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書の調印式で、
重光葵外相のそばに常に付き添っていたのがこの俊一である。
加瀬は言う。
日本は戦闘には負けたけど、戦争には負けてない
なぜなら、アジア・アフリカから白人たちを追っ払い、独立を果たさせたからだ、と。

今年2月、若くして亡くなったアフガニスタンの駐日大使・ハロン・アミンは、
かつて「日露戦争勝利100周年を祝う青年の集い」に参席し、
こうスピーチした。
「我われアジア人は、どれだけ日本の勝利に勇気づけられたか……しかし、
いまの日本人はそうした輝かしい歴史を知らず、いわゆる自虐史観に
とらわれている。愚かなことです。日本人は武士道を忘れてはなりません

その言やよし。
ボクなんかわが家の居候の留学生にまで『武士道』(原文は英語です)を読めと、
半ば強制的に読ませている。日本人の倫理観や美感、死生観を支えているのは、
仏教や儒教、神道といろいろあるだろうが、「武士道」もその一端を担っていると、
ボクは堅く信じている。

日本人よ! そろそろ自虐史観の桎梏から解き放たれるべきじゃないの?

←この会場に行くまでの話。
ボクは駅で品のいい夫人から声をかけられた。
「失礼ですが星陵会館へ行かれるのですか?」
ボクは驚いた。
「そうですが……なぜわかりましたか?」
夫人はニコリと笑ってこう言った
「なんとなく、そんな雰囲気を漂わせていました」
2人は思わず笑い合った。
〝ウヨク〟はニオイで分かるんでしょうかね。
ハハハ……






※特記
〝サヨク〟とは何か? 英語でいうとCommunismで、「共産主義」と訳すが、
ボクの敬愛する高山正之は「凶惨主義」と訳している(笑)。コミュニズムは
搾取を排すとか、富を平等に分かち合うとか、耳に心地よい言葉ばかり
並べるが、実態は邪悪そのものの思想で、ロシアで3000万人、支那で5000万人、
カンボジアでは300万人が殺された。たった100年足らずの間に1億人近くが
殺されたのである。朝日や毎日、東京、中日といった〝サヨク〟反日新聞グループは
この世にも恐ろしい〝凶惨主義〟にかぶれた連中が牛耳っている。
ボクの書棚には大月書店の『資本論』全5冊が鎮座ましましているが、
処分せず置いてあるのは自分への戒めのためである。
「おまえはこんな本のために、青春の貴重な一時期をムダに送ったんだよ!」
ハッキリ言おう。〝サヨク〟は人間社会を破壊する毒虫だ、と。




2015年9月2日水曜日

♪おべんと、おべんと、嬉しいな

来る日も来る日も、ジメジメとした日々が続いたが、今日は昼過ぎから久々の晴れ。
部屋干ししていた洗濯物を陽の下にさらした。洗濯機でドライをかけても、
やはりお天道様で乾かした仕上がりには敵わない。あんまり暑いのも困りものだが、
たまにはカラッと晴れてくれないと、気分まで沈みがちになる。

トマーシュは相変わらずボーッとしている。大男(190㎝)知恵が総身にまわりかね、
というわけではないのだろうが、動きが緩慢でキビキビしたところがないから、
時々、尻を思いきり蹴りとばしたくなる(←凶暴だね、相変わらず)。
テレビはきらいだというし、映画にも興味がない。キャッチボールは一度だけやったが、
2度目を誘うと「ウーン」というような顔をする。アウトドアスポーツが苦手となると、
さていったい何をやったらいいんだ?

朝、急いで弁当を作り、学校へ送り出した。
  
   ♪ おべんと、おべんと、嬉しいな、何でも食べます、よく噛んで~
 
そういえば娘たちが保育園から帰ってくると、よく歌ってたな……(シミジミ
トマーシュのトレードマークはニット帽。首から下は制服だ。←これでいいのかいな?
昨日は雨の中、傘も持たずに出かけてしまった。欧米人は雨に濡れることを厭わない、
とよく聞くが、だんだんドシャ降りになってきた。ボクは慌てて傘を手にトマーシュを
追いかけた(あたしゃ膝が悪くて走れないんだよォ)。後ろから大声で呼びかけたら、
ようやくふり向いてくれた。キョトンとしている。

とにかく忘れっぽいヤツで、ガスのスイッチを切り忘れることはしょっちゅう。
洗濯物だって、あれほど「すぐ出して!」と口酸っぱく言っているのに、
発酵しかけたパンツなんぞがタンスの中にこっそり押し込んである。
また、朝、シャワーを浴びる際に換気扇を回さない。←欧米人って、夜入らないんだよね
しかたがないから、ちょっと説教することにした。
Be sure to put on the ventilator whenever you take a shower.←いつもこうスラスラ出るとは限らない
ついでに、「トイレの換気扇もまわしてね」と念を押しといた。

こっちは英会話なんて気の利いたものはできないから(←単語並べるのがせいぜい)、
「家の中では日本語を使うこと!」
と再三言っている。が、いかんせん日本語能力が乳幼児並みなのだから、どもならん。
カミさんと話し合ったのだが、まずボキャブラリーを増やすことが大事だから、
家中の家具や置物に付箋を貼り、「これは何々です」と日本語と英語で説明した
らどうか、という話になった。そのための付箋をわざわざダイソーで買ってきた。

カミさんは今、老母の世話をしに浜松の実家へ帰っている(毎月1回のおつとめです)。
だからトマーシュの弁当づくりは留守を預かる亭主のおつとめとなる。
キャラ弁こそできないが、この程度のもの(写真参照)なら、ものの数分で作ってしまう。
「どう、お父さんの弁当はうまかったかい?」
帰宅したトマーシュに訊いたら、いつものように両手の親指を立て、「グーッ!」
見たら一粒も残さず食べてくれた。これなら作りがいがあるってものだ。

さて、11月半ばまでに300枚の原稿を書いてくれ、という仕事の依頼が入った。
しばらくオバサンをやっていたので、仕事勘が戻るかどうか心配だ。
簡単に引き受けてしまったが、翌月からまた地獄のような原稿書きが待っている
のかと思うと、いささかゲンナリする。すっかり遊び癖がついてしまった。

今夜のおかずは何にしよう。細胞が〝オバサン化〟してるから、いつもこんな
心配ばかりしている。昨夜はメインディッシュがスパゲッティ・カルボナーラ。
前回失敗したから今度こそ、と思ったが、また失敗してしまった。茹でたスパゲッティに
卵をからめるのだが、温度が熱すぎて、卵が炒り卵状態になってしまうのだ。
明らかに凡ミス。主夫歴30年、などと言えた義理ではない。ああ、恥ずかしい。
トマーシュも心なしかうつむき加減でボソボソ食べていた。感想を訊くのはやめた。





←昨日の弁当。アスパラの肉巻きが主菜だ


















←9/2のお弁当。主菜はコロッケ。
手抜きして冷食を使ってしまった






←ついでに9/3の分も載せちゃえ。
ごはんは白米と玄米の紅白ごはん。
日の丸にはならなかったけど梅干し
も添えてみた

2015年8月30日日曜日

オジサンがオバサンになる時

先日、ラジオに出演した。といっても団地内の小さなラジオ局で、
自治会・放送委員のTさんから、
「嶋中さんは団地の中にも友だちがいっぱいいらっしゃる。会社をリタイアしたおじさん
たちに向けて、友だちの作り方の極意みたいなものをご披露いただけませんか?」
と依頼されたもので、快くOKした。

Tさんはだいぶ買いかぶっているが、ボクは格別友だちが多いわけではない。
ただし知り合いはいっぱいいる。friend(友だち)とacquaintance(知り合い)は
違うのである。

ボクの友だちは飲んべえばかりで、人はいいが、ほとんどみなロクデナシ野郎
といっていい(←おまえが一番だろ!)。知り合いはオバサンかオバアサンが多く、
オジサンとオジイサンは意識的に避けている。特に会社をリタイアしたばかりの彼らは、
気むずかしい人が多く、話すのがめんどうだから、こっちからはできるだけ近づかない
ようにしているのだ。

司馬遼太郎のエッセイ『風塵抄2』の中に「窓を閉めた顔」という小文がある。
司馬は言う。中国人の顔はリラックスしていて、どなたもご自由にお入りください、
というように「顔の窓」が開いているが、日本人はそうじゃない。いつだって窓や
シャッターが閉められていて、概ね気むずかしそうな仏頂面をしている、と……。

ボクはまずこの話を引用し、団地内のオジサンやオジイサンも同じように「顔の窓」
を閉め切っている、というような話から切り出した。それでは友だちも知り合いも
できませんよと。

ボクは長らく〝主夫〟を兼業しているので、ダイコンやネギをぶら下げたまま、
よく知り合いのオバサンたちと立ち話をする。最初はぎこちなかったが、30年も
やっているとすっかり板につき、今やすっかりオバサンになっている。

ボクはラジオで、
オジサンはすべからくオバサン化すべし
と訴えた。ボクの細胞はたぶん80%くらいはオバサン化していて、
そのうち完全に性転換できそうなあんばいなのだが、友だち作りの要諦は、
まさにこの「オバサン化」なのである。

〝社畜〟として長く会社に飼い慣らされてしまうと、定年となってリタイアしても、
自分の住む町の地域社会になかなか溶け込めない。同僚以外とは話したことが
ないから、隣家の奥さんともまともに口がきけない人が多いのだ。つまりは社会性
がまるでない。つぶしがきかないから、ただ仏頂面をするしかない。リタイア後の
オジサンは実に扱いにくいのである。

原因はいろいろあるが、学歴だの履歴だのといった輝かしい過去の栄光が
ジャマしている場合が多い。どこそこの大学を出ただとか、一流企業の部長職に
あっただとか、そんな経歴は裸一貫になってしまったオジサンには何の関係もない。
むしろそれが足枷となって、フランクな人間関係を築けない。

かつては部下を数十人抱え、億単位の商談をまとめたこともあるだろう。
社の内外で〝切れ者〟と噂されたこともあったかもしれない。
でもね、隠居生活の中で、そのことがいったい何の役に立つっていうの? 

ボクは彼らのことを「むかし偉かったオジサン」と半ばからかい気味に
呼んでいるのだけれど、そういう誇り高きオジサンたちがやたらと多いのである。
特にこの団地内には佃煮にしたいくらいウジャウジャいて、正直、ウンザリする。

その点、オバサンたちはいい。話の中身はほとんどたわいのないものばかりで、
人生の指針になるような話は皆無ではあるけれど、オジサンみたいに変に偉ぶったり、
卑屈になったりしないところがいい。子供自慢や孫自慢だって最初は鼻についたが、
最近はふつうに聞けるようになった。いよいよ100%オバサンになる日も近いな、
と予感させる今日この頃なのである。

団地総会などでは六法全書を片手に熱弁をふるうオジサンもいたりして、
つい涙を誘われてしまうのだが、あのような場で一席ぶって、存在を知らしめることが
自己実現の道だとたぶん勘違いしているのだろう。
(あんたは、むかしは偉かったのかもしれないけど、リタイアした今となりゃ、
誰も畏れ入ったりはしませんよ。だいいち、俺たちはあんたの家来じゃないもの
ボクは心の中でそう叫んでいるのだけれど、オジサンは我関せずといった風で、
人の迷惑も顧みず、滔々と長広舌をふるっている。

何度でも言おう。みんなに愛されたかったら、輝かしい学歴も履歴もすべて捨て、
裸一貫のキャラクターだけで勝負することだ。まちがっても「□△☆商事・元営業本部長」
などというマヌケな名刺は出さないこと。〝元〟という一字に万感の思いをこめている
つもりだろうが、笑われるのがオチだから、やめたほうがいい。

オジサンはすべからく〝オバサン化〟すべし。
幸せになる道はそれしかない。プッ……




←わが団地には気むずかしい
オジサンたちがいっぱいいる。
彼らは奥方からも神からも
見はなされている。
ああ、かわいそうなオジサンたち……

2015年8月24日月曜日

ガリバーの子孫よ、ようこそ

22日(土)から異人の居候をあずかっている。
AFSで日本の高校に留学しているチェコ人のトマーシュである。
首都プラハ生まれの17歳で、身長190センチ、体重74キロのヒョロッとした巨人である。
スウィフトの『ガリバー旅行記』に出てくる小人の国リリパットや映画『猿の惑星』の猿
は日本および日本人がモデルとされているが、トマーシュにしてみれば、
さながらガリバーになった気分だろう。わが家などは天井が低いものだから、
さっそく鴨居(じゃないけど、それに似たようなところ)に頭をぶつけている。
ベッドだって小さいから膝を抱え丸くなって寝なくてはならない。
つい同情の涙を禁じ得ないが、その厄災はすべて小人国のせいというわけではない。
巨人に生まれついてしまった身の不幸をまずは嘆くべきなのだ。

トマーシュの日本語はまだ幼児並みだ。ひらがなはかろうじて読めるがカタカナは
まだ分からない。だから今日から本格的に特訓する。本人はやる気満々なのだが、
さてどうなることやら。金髪ボインの可愛い異人ちゃんなら、手取り足取り、他にも
いろんなところを取って教えてあげるのだが、相手がガリバーの子孫の、それも
むさ苦しい男じゃねェ……教える側の意欲も今ひとつわかないのである。

彼はさっそくスカイプで母親(スタニスラーヴァ)をパソコン画面に出してくれた。
さいわい娘たち2人も応援に駆けつけてくれていたので、互いに紹介し合うことができた。
ただボクはすでに酔っぱらっていたので、何をしゃべったのかまったく思い出せない。
(あんな酔っぱらいのおやじがいる家で、息子は大丈夫なのかしら……)
たぶん異人の母は驚き呆れ、そして少なからず心を痛めたことだろう。

初日、ボクはさっそく異人を広場に引っ張り出し、キャッチボールを教えた。
生涯で2度目だという。2度目にしてはまあまあの出来だ。チェコに野球はなく、
やるのはもっぱらサッカー。冬はアイスホッケーが盛んだという。
「得意なスポーツは何なの?」
と訊いたら、しばし考えた後「水泳」だって。
「水泳パンツは持ってきてるの?」と訊いたら、
「Yes!」と元気よく答える。なければボクのインキンタムシ付き熟成パンツを
気前よく貸してやろうと思っていたのだが、まあ、活躍の場がなくてよかった。

あと数日で夏休みが終わり高校の2学期が始まる。そうなれば毎朝弁当を作って
持たせなくてはならない。別にキャラ弁みたいな凝った弁当を持たせようなどとは
ツユほども思わないが、シンプルな海苔弁というわけにもいかず、それなりに頭を
悩ますことにはなるだろう。しかしまあ、それも楽しからずや、だ。

これから半年間、異人との暮らしが始まる。
文化の違い、習慣の違い、そして何より言葉の壁が立ちはだかる。
昨日のランチには冷麺を作ってあげた。が、例によって音を立てずモソモソ
食べている。
日本では麺類を食べる時は音を立ててもいいんだよ
としつこいくらいに言ってもモソモソ食いをやめない。
わが家に来た異人たちは皆そうである。
たぶん音を立てて食べようとしても、経験がないから音の立て方が
分からないのではないか。げに習慣とは恐ろしい。

彼には新渡戸稲造の書いた『武士道』を与えた。原文、すなわち英語のそれである。
ボクのお抱え楽士であるNICKから借りたもので、これを日本滞在中に読み切れと
やんわり押しつけた。ボクは矢内原忠雄訳のものを何度も読み返しているが、
原文はボクの英語力では手に負えないくらいむずかしい。この本をなぜ押しつけた
のかというと、日本精神、サムライ精神のすべてがこの本に詰まっているからである。

(とんでもない家に来ちゃったな……俺はこれからどうなっちゃうんだろ)
トマーシュはたぶんそう思い、不安にかられていることだろう。
そう、ボクはこの異人を立派な〝サムライ〟に仕立てあげようとしている。
飛んで火に入る夏の虫か。ああ、かわいそうなトマーシュ……







←サムライに仕立てられてしまう
かわいそうな異人(異星人?かも)さん









2015年8月19日水曜日

泣くんじゃねえよ、男だろ

早実が仙台育英に負け、関東第一が東海大相模に負けてしまった。
一年生ながら打率4割7分、打点8、ホームラン2本という怪物の清宮幸太郎や、
チームを率いるキャッチャーの加藤、2打席連続ホームランの富田など、錚々たる
スラッガーを擁する早実が決勝まで進んでくれるものと期待していたが、叶わなかった。
テニスの錦織が敗れ、清宮やオコエ瑠偉までもが消えてしまったら、
(明日から何を楽しみに生きていったらいいんだ……)
と、正直ガックリくる。

格別、高校野球が好きなわけではない。むしろ無関心に近く、夏の甲子園などは
(見てるだけで暑っ苦しい)と完全無視。バンビ君やハンケチ王子にも縁がなかった。
唯一、記憶にあるのは1969年、青森三沢高校と松山商業との熱闘2日間で、この時
ばかりは三沢高校の白皙のピッチャー・太田幸司を真剣に応援したものだ。

高校野球がなぜ苦手かというと、「汗と涙の甲子園」といった浪花節的ムードが
イヤなのだ。負けると、身も世もないくらいに泣きじゃくる選手たち。
喜怒哀楽は素直に出したほうがいい、と日頃言ってるくせに、
負けると判で捺したように泣きじゃくる選手たちの顔を見るのがきらいなのである。
(力いっぱい戦って敗れたのだから、いっそ爽やかに笑顔でいてほしい)
そのほうがどれほどカッコいいか――ボクはそう思うのだが、世間はどうやら逆らしい。

公衆の面前で恥ずかしげもなく泣くという行為に対して、日本人は概ね寛容だ。
「それだけ純真だってことだよ」と、むしろ泣くことを期待しているフシがある。
「世界水泳」の渡部や星が金メダルを取って大泣きした時もそう思ったのだが、
日本の観客は「涙は美しい」と考えているのではないか。
テレビ局のインタビュアーはよく、
「天国のお父さんもきっと喜んでいるでしょうね」
などと、選手の涙を誘うようなセリフを必ず吐く。
泣かない奴は人でなし、みたいな雰囲気が自然と作られてしまう。

男は一生の間で2度泣くことが許されるという。
1つはオギャーと生まれた時、2つめは母親が死んだ時である。
てなわけで、母が死んだ時は思いきり大泣きしたものだが、
もうあとがない。

「娘さんの結婚式の時も、たぶん大泣きこくだろうな」
口さがない悪友どもは、こう言ってボクの涙を期待したものだが、
みごとにハズレた。そんなつまらないことで泣くようなヤワな精神ではないぜよ。
見損なっちゃあいけませんぜ。

清宮も敗戦インタビューで少し泣いていた。
「コラッ、泣くんじゃない! 男がすたる!」
ボクはテレビ画面に向かって咆えた。
このおやじは年がら年中、テレビに向かって咆えている。

「また甲子園に舞い戻ってくるから砂なんか要らない」
と清宮。彼らしいセリフで、ボクは少しだけ見直してやったが、
それなら砂と同じく涙も要らなかった。

嗚咽しながら甲子園の砂を袋に詰める選手たち。
あの光景を美しいと見るか、情けないと見るか――
ボクはむろん後者で、どうしても
「未練ったらしい……」
と思えてしまう。

お父さんは甲子園に行ったんだぞ、といつの日か、
その土を披露して、子や孫に自慢したいのかい?
まだ10代という若い身空で、50年後に自慢するための証拠品集めかい?

彼らの涙を責めはしない。
甲子園の砂を袋いっぱいに詰めるのも、まあいいだろう。
ただボクなら泣かないだろうし、土なんか死んでも持ち帰らない。
すべては美意識の違いだと思っている。
甲子園球児たちをバカにしているわけではもちろんない。
ただ一言いいたいむずかしい年頃なのだよ、このおやじは。
青年よ、赦せ!





←今やお馴染みになった
甲子園の砂集め。
ボクの目には「未練」と映る

2015年8月7日金曜日

八月は業火に焼かれる月

◆8月某日(晴れ)
こどもの頃は夏が好きだった。
弟といっしょによく川越の市営プール(ボクたちは陰で〝しょんべんプール〟と呼んでいた)に通い、
帰りに駄菓子屋に寄って、何やらわけのわからないお菓子(四角いワッフル状の菓子で、
小麦粉を甘く練って蒸かしたもの)を買い食いするのが楽しみだった。駄菓子屋には得体の
知れないお菓子がいっぱいあり、それらは様々な添加物や色鮮やかな合成着色料に
まみれていた。おかげで丈夫なカラダができた。

夜になると蚊帳をつって寝た。ホタルを放つこともあった。
寝苦しかったが、今ほどではなかったような気がする。

この頃は、夏が厭わしくなってきた。
暑さだけではない、8月はいやでも先の大戦を思い出させる月なのだ。
「安全保障法制」が「戦争法案」などとケチをつけられ、安倍内閣が
窮地に立たされている。バカは死ななきゃ治らない、というが、
「朝日・岩波文化」に毒され続けると、「自虐史観」も骨がらみになってしまう。

高校で「近・現代史」が必修になるという。
「遅かりし由良之助」には違いないが、まずは悦ばしい、と言っておこう。
ただ問題は、教える中身だ。日教組の反日教師に教えられた日にゃ、
目もあてられない。

◆8月某日(また晴れ)
台所に立っている時、洗濯物を干している時、公園を散歩している時、
ふとしたはずみに母のことを思い出してしまう。地獄の釜が開く
お盆の月だからだろうか、近くに母の気配を感じてしまうのである。
「母さん……」
心の中で小さく呼びかけると、母はなぜか遠くに行ってしまう。
淋しそうな顔をしている。
「母さん………」

◆8月某日(またまた晴れ)
ロシアはカザンで開かれている「世界水泳」で、星奈津美(200㍍バタフライ)に次いで
渡部香生子(200㍍平泳ぎ)も金メダルを獲得した。まずはメデタイ。ただひとつだけ注文。
インタビューに臨んで感極まったか、2人は大泣きしてたが、あれはやめてほしい。
いい大人がみっともないのだ。人前では涙を見せない――感情をコントロールするのも
大人のたしなみです。

◆8月某日(たぶん晴れ)
17日(月)に新橋で「司馬会」が開かれる予定だ。
この会は、もといた会社の同僚(男3人、女1人)たちと結成した司馬遼太郎を
愛する会で、今回は「オス2匹+メス1匹」の組み合わせ。この美人のメスA女史
は司馬の『燃えよ剣』が大好きで、土方歳三にぞっこん惚れ込んでいる。

以前は、司馬作品の品評会の趣が少しはあったものだが、年を経るにしたがって、
ごくふつうの〝飲み会〟になってしまった。今回は久しぶりの会だけに初心にかえって
まじめに語り合いたいと思う。

※追記
メスがもう1匹加わることになった。女房である。美人のメスA女史と書いたので、
危機感を感じ目付役に回ったのだろう(プッ!)。ますます司馬さんが遠くなっていく。

◆8月某日(晴れ……ウンザリ)
周囲に思いのほか〝朝日新聞派〟が多くてウンザリする。
あれほどの誤報・虚報を流し、日本国および日本国民の名誉を著しく
傷つけた新聞だというのに、いまだに購読をやめず、朝日の論説のマネをして
安倍政権批判を繰り返している。この連中は〝恥〟というものを知らないのだろうか。

ボクの師匠の山本夏彦は、
理解は能力ではない、ただ理解したいか、したくないかがあるだけ
と言った。つまり理解力の有無ではなく、ただの「願望」だというのだ。

左巻きの人を相手に「安保法制」の重要性を説いても、おそらくムダだろう。
ボクは幾度となく左巻きを相手に議論をしてきたが、徒労だった。
ハナから分かろうとしない人に、千万言を費やしても決して分かってはもらえない。
そもそも分かろうという意志も願望もないのだから、いくら委曲を尽くしてもムダなのだ。
夏彦は言う。
《人は分かって自分に不都合なことなら、断じて分かろうとしないものだ》
そう、
理解は、だから能力じゃない、願望なんだ》(『意地悪は死なず』より

最後に夏彦の決まり文句をひとつ。
《人間というものはいやなものだなあ》(『良心的』より







←蚊帳を吊って寝る。懐かしいなあ……

2015年8月4日火曜日

水泳でも〝中高年の星〟に

この炎天下、ものの数十分も外歩きをしたら、ジジイの丸干しができあがってしまう。
それでも必死の形相でジョギングしているおじさん(寿命を縮めてるだけなんだけどね)や、
気息奄々、いまにも息が絶えそうな顔で買い物袋をぶら下げているおばあさんもいる。
今年の夏は、日本国じゅうが、サバイバルゲームの戦場と化している。

こんな時は、ムリして外出するよりは冷房の効いた部屋で「世界水泳2015」なんぞを
見ていたほうが数段利口だ。汗だくでボールを追うサッカーや、汗みずくのデブ同士が
激突する相撲なんぞを見ていると、こっちまで大汗かきそうだが、なんてったって水の中
だものね、見ているほうも全身の汗が引いていくような涼やかな気分になる。

試合会場はロシアのカザンという町。あいにく日本のホープ・萩野公介は右肘骨折で欠場
しているが、代わりに入江陵介や瀬戸大也、渡部香生子などが万丈の気を吐いている。
昨日は、ブレストの渡部が200㍍個人メドレーに出場し、みごと銀メダルを獲得した。
非凡の才は早くから注目の的であったが、いままさに全開ってところか。

アメリカのケイティ・レデッキー(18歳)もすごい。昨日は1500㍍フリーの予選で、
はやくも世界新記録を出している。過去にはイアン・ソープやマイケル・フェルプスなど
天才的逸材が話題になったものだが、今年の世界水泳のヒロインはまちがいなく
このレデッキーだろう。また男子ブレストでは、イギリスのアダム・ピーティーが彗星の
ごとく飛び出してきた。ブレストでは北島康介が一時代を築いた時期もあったが、
いよいよ「ピーティー時代」の到来が予感される。

テレビ中継を見ていると、アナウンサーや解説者は、お決まりのようにこう言う。
「□△選手は後半強いですからね……」
いつもそう。日本人選手はたいがい「後半強い」ことになっている。
期待して応援していると、たしかに後半追い上げる選手も中にはいるが、
結局は先行選手に逃げ切られてしまう。なぜか? 
ライバルの有力選手は「前半」も「後半」も強いからである。

それと常套句のように言うのは、
みんないい表情してますね」というもの。
選手控え室などの表情を見ても、特に緊張するでもなく、リラックスした
〝いい表情〟をしているというのだ。ボクなんかこうしたコメントを聴くと、
「それがどうしたんだよ!」と突っこみたくなる。
「いい表情をしていれば試合に勝てるのかよ!」
どのスポーツ競技においても〝いい表情〟についてコメントする日本のスポーツ
解説者というのは、いったい何の根拠があってそんな無駄口をたたくのか。
ボクは高校時代、水泳の試合で、いつも「いい表情」をしていた、と自分では思って
いるのだが、試合ではことごとく敗れた。表情なんて関係ない。

それにしても、一流選手というのはおそろしい。
ボクが50㍍泳いでいる間に軽く100㍍は泳いでしまう。
ジジイ一匹と若鮎のような一流選手と比較すること自体がそもそもアホらしいのだが、
彼らのスピードは尋常ではないので、どうやったらあんなに速く泳げるものなのか、
その〝秘訣〟とやらをこっそり教えてもらいたくなる。

最近は体力がめっきり落ちてしまったが、それでも地元のプールでは
上位数名の中に入っている。活きのよさそうな若いもんにも負けていない。
こういうのを一般に〝爺意識(じいしき)過剰〟とか〝夜郎自大〟という。
おバカな韓国人の得意技とされているものだが、
いよいよ俺も誇大妄想狂のコリアンに似てきたのかもしれない。嗚呼! 

水泳はいい。運がよければ〝聖水〟の恩恵に浴することだってできるし、
身体だってぐっとひき締まる。ゴルフみたいに金を食うわけでもない。
パンツ一丁とゴーグル、水泳帽さえあれば、どこでも泳げるのだから、
ボクみたいな貧乏人にはもってこいのスポーツなのだ。
ボクは水泳でも〝中高年の星〟になるつもりだ。




←1500㍍フリー予選で、世界新記録を
マークしたケイティ・レデッキー。態度も
でかいが、図体(183センチ)もでかい。














2015年7月26日日曜日

「蛮爺's」の熱闘45min.

「蛮爺's」がついにメジャー()デビューした。
ボクと盟友NICK(こっちが〝蛮〟でちゅ)との〝じっちゃんコンビ〟である。
NICKは自慢のハモンドオルガンを、ボクはエレアコ(エレクトリック・アコースティックギター
を弾きながらのヴォーカル担当である。

会場は熱気でムンムン、というより殺人的な暑さでステージ上に蜃気楼が
立つほどだった。ボクは熱中症にかかる寸前の状態で歌い続け、全9曲を
ぶじ歌い終えた。軽い吐き気もあって、終わった後は腰がふらついた。
たぶんステージ上の温度は40℃近くあったのではないか。ボクは暑さで頭が
クラクラしながらも、必死で歌った。あれはまさしく拷問だった。老人虐待だった。

NICKも相当へばっていた。なにしろ400㌔近いオルガンを家から搬出し、
ステージに上げるだけで大半のエネルギーを使い果たしてしまう。
幸いハネムーンから帰ったばかりの娘婿(元アメフト選手)と、来月からわが
家の居候となるチェコ人(190センチ)の留学生が応援に来てくれたので、
彼らの手を借り(1人は猫の手だったけど……w)、なんとか舞台に運び上げた。
みんな汗だくで、ほとんど放心状態だった。

そんな最悪の状態で45分間、歌い、かつ弾き続けたのだから、倒れなかったのが
不思議なくらいだ。ボクは歌いながらも、半ばやけっぱちになり、楽譜をステージ上に
ぶちまけたり、ギターケーブルを蹴っ飛ばしたりした(←性格が粗暴でわがままなんです、ハイ)。
半死半生・気息奄々の状態だから、自分でも何をやっているのかわからないのだ。
観客には大変失礼をしてしまった。

歌は「カントリーロード」に始まって、「いい日 旅立ち」「時代」「卒業写真」「イマジン」
と続き、「涙そうそう」「駅」(音程が狂いっぱなしでサイテーの出来だった)「メロディー」とつなげて、
最後は「心の旅」で幕にした。自己採点は、80点くらいか。あの暑ささえなければ、
曲の合間に気の利いたおしゃべりだって入れられたのに、熱中症寸前の状態では
そんな余裕などない。とにかく早く終わらせなけりゃ、とそればかり考えていた。

ぶじ終わった後のビールのうまさと言ったらない。
NICKと互いの健闘をたたえ合い、別れた後、わが家は近くの中華料理屋へ
会食に出かけた。ボクたち夫婦と、長女、次女夫婦、フランス人のAlexia嬢、
チェコ人Tomas君の総勢7名である。

そしたら、ほどなくしてNICKと奥方のK子、それと友人らしき人が来店した。
妙な胸騒ぎはしていたのだが、とうとう鉢合わせをしてしまった。
ボクとNICKはよくこの店を利用する。和光市にレストラン・居酒屋は数々あれど、
味のよい店といったらこの店しかない(悲しい町)。考えることはだいたい同じなのである。
生ビールを飲み、紹興酒を飲み、数々の料理を平らげ、いっぱいしゃべり、
いっぱい笑い、熱い夏の1日が終わった。

※追記
動画は『涙そうそう』の一部です。後半ちょっと歌詞をまちがえます。
度の入ってないグラサンをかけ、若者ぶってカッコつけてるから肝心の
歌詞が読めないのです。そのグラサンも汗のせいでどんどん垂れ下がってきます。

※追記の追記
本日(27日)、全曲を網羅したDVDを棟の先輩のHさんからいただいた。
さっそく見てみたが、そのひどいこと。自己採点が80点なんてとんでもない、
どうひいき目にみたって45点ってとこか。ああ、自信なくした……
歌手への道は断念するしかないか(←バカ)。

































2015年7月22日水曜日

「蛮爺's」のお通りだい!

◆7月某日(晴れ
NICKの家で歌の練習。3畳ほどの狭い部屋にハモンドオルガンや電子ピアノ、
シンセサイザー、アンプ、各種ケーブル類が所狭しと詰めこまれている。
掃除なんて気の利いたものは、この十数年、行われた形跡がない。そんな物置みたいな
部屋で年老いたファットボーイが肩寄せ合い、オルガンとギターをかき鳴らしては
蛮声を張りあげているのだから、家人も隣人ももちろん逃げ出したくなるだろう。
現に、NICKの奥方は「テニスの練習があるから……」などと言い訳しつつ、そそくさと
出ていってしまった。身内のものに煙たがられている歌を、縁もゆかりも無い聴衆が、
はたして聴いてくれるだろうか。にわかに不安になってきた……

◆7月某日(晴れ
テレビニュースで、安倍内閣の支持率が低下している、とどの局も喜び勇んで
報道している。日本のメディアは総じて〝左巻き〟が多いので、アベちゃんが
沈没しそうになると嬉しくてたまらないようだ。ボクはそんな報道を目にするたびに、
メディアに対して「バ~カ!」と軽侮の念を抱き、舌を出す。
(なんにもわかっちゃいねーな)
支持率が低下している理由は「安保法制」と「新国立競技場建設」の問題である。
ハッキリ言って、国防問題はそこらへんにおるおっちゃん・おばちゃんには分からない。
若者にもわからない。つまり誰にも分からない。国際政治学や歴史、軍事、地政学
など幅広い知識がないと理解できない分野なのだ。

ボクはもちろん安倍内閣支持で、「戦争法案」だとか「徴兵制になる」などとデマを
飛ばしている無責任な野党に腹が立ってしようがないのだが、ここはアベちゃん
と同じ、じっと我慢の子である。それにしても「60年安保」「70年安保」騒動の
愚劣さから何も学んでいないのだから、人間というのは愚かな生き物なんだな、
とつくづく思う。安倍内閣の支持率低下を支那や北朝鮮、韓国がどれほど喜んでいる
ことか。国益を損なう野党各党は、まさに獅子身中の虫という外ない。

◆7月某日(また晴れ
毎年楽しみにしている「ムジカ・ドマーニ」のコンサートに行ってきた。
水泳仲間のSさんを中心に結成されたコーラスグループで、クラシックやオペラ
にとどまらず、ポップスに童謡と幅広いレパートリーをこなす熟年グループである。
今回は「ジョイ・アンジェリ」という小学生中心の音楽サークルも加わり、賑やかで
楽しいコンサートに仕上がっていた。

「ジョイ・アンジェリ」は映画『サウンド・オブ・ミュージック』の中で歌われた「ドレミの歌」
や「私のお気に入り、」「エーデルワイス」などを元気よく歌ってくれた。エーデルワイス
などはすべて英語で歌いこなし、観客の万雷の拍手を浴びていた。ボクもこの映画は
大好きで、テレビで再放送されるたびに見てきた。英語の脚本も買い込んだ。
劇中のマリアやトラップ大佐になったつもりで歌うのである。個人的には人形劇の場面
で歌われる「ひとりぼっちの羊飼い」が好き。ヨーデルみたいに、
♪レイホー、レイホー、レイホー
とやるんだが、なかなかうまくいかない。

会場には「フィフティーズ」のO女史がいた。ムジカ・ドマーニとのジョイント公演が
多い女性コーラスグループのひとりで、ボクの憧れの人。歌はもちろんのこと、
彼女にはどこか華があって、会場をほんわかした温かいムードで包んでくれる。
このO女史、今回は出演者ではなく観客席で応援。和光市を引き払い群馬県に
引っ越してしまったので、たぶんリハーサルの日程調整がつかなかったのだろう。
でも、ご挨拶はしたし、「恋文?」も手渡した。彼女からは素敵なCDをもらってしまった。
聴くのがもったいないから、まだ机の奥にしまってある。数年後には熟成し、発酵して
えもいわれぬ歌声を響かせてくれるだろう。その日が待ち遠しい。←バカ

◆7月某日(またまた晴れ
来る25日(土)の夏祭りには、「蛮爺's」としてステージに立つ。7年ぶりのパフォーマンス
である。相棒はお抱え楽士のNICK。文字どおりのファットボーイ(デブ男)だが、
「オルガンで腹は隠せるもんねェ……」
などとうそぶいている。学生時代の写真を見ると細面で秀才っぽいいい男だったのに、
今は見る影もない。奥方は「詐欺よね、まるで」などと、ボヤくことしきりだ。

その日は、ハネムーン中の娘夫婦も、時差ボケもものかは、駆けつけてくれる。
フランスからはA子ちゃん、チェコからはT君、近所に住むオーストラリア人のD君、
それに団地住人でアメリカ人のMさんも応援に来てくれる。もちろん団地妻でボクの
グルーピーでもあるおばさんやおばあさんたちもぎょうさん見に来てくれる。
台風12号の心配はもうなくなった。熱いステージになりそうである。

出し物の中には玉置浩二の「メロディー」や竹内まりやの「」なんていう難曲もある。
無謀すぎる、という声もないことはないが、何ごともチャレンジ(「東芝」精神かしら?)だから、
精一杯がんばってみるつもり。やったら、「ジジイ! ひっこめェ~!」とブーイングの
嵐になったりして(笑)。その時はその時で、白ぱっくれて歌うだけ。
ボクは逆境に強いのだ。ザマミロ。



←ステージではキッズたちのダンス・パフォーマンス
もある。「蛮爺's」はこの子たちの前座です。
ああ、情けなや……