2014年12月28日日曜日

ボクのきらいなもの2014

2014年、思いつくままに「ボクのきらいなもの」を挙げてみました
  1. 小日本など歯牙にもかけんよという顔で記者会見する傲岸不遜な支那の報道官
  2. コーナーワイプテレビの端に出る小窓画面)で大げさに目をむくバカタレ(お馬鹿なタレントのこと)ども
  3. テレビ番組で、さもしたり顔で論評する偉っらそうな評論家センセー
  4. 韓流ドラマに出てくる金太郎飴みたいな整形美女たちと男優のダサい髪型
  5. 習近平主席の分別くさい豚顔とレイムダックになったオバマ大統領の暗~い馬づら
  6. 口をほとんど開かずしゃべる猪八戒みたいな顔した民主党の枝野幸男幹事長
  7. 盗撮してください、と言わんばかりの超ミニスカートで大道を闊歩する女子高生
  8. メール打ちしながら自転車や車を運転する上海雑伎団もどきの不心得なドライバー
  9. こそこそ茂みに隠れてスピード違反を取り締まる正義感あふれる交通課のおまわりさん
  10. マツコ・デラックスやミッツマングローブなど、テレビでわが物顔のカマちゃん系タレント
  11. ハンパない」などと半端なしゃべり方をする〝無脳〟な若者たち
  12. 「すげぇ」「でけぇ」「やべぇ」などと耳障りな言葉で奇声をあげる芸ノータレントたち
  13. 連ドラ『マッサン』で可愛いエリーちゃんを執拗にいびる姑役の泉ピン子
  14. 「お帰りなさいませ、ご主人様」などとメイドにかしずかれヤニ下がるおたく系男子
  15. いい年をしてコンビニで群れを成しマンガを立ち読みするKY男たち
  16. 全身をブランド物で覆い尽くす〝外華内貧〟の成金おばちゃんたち
  17. せっかくの食事を台無しにする、ガマンと気遣いの足らない隣席のスモーカー
  18. こどもたちの遊び声がうるさい、と保育園に苦情を持ちこむ無粋な年寄りたち
  19. 車内でおもむろに手鏡を取り出し、髪の毛をいじくりまわすジャニーズ系の男の子
  20. 何を見ても「鳥肌が立ちました」と大げさにいうサメ肌の女の子
  21. それでも朝日が好き、という反体制ぶりっ子の似非リベラリスト
  22. さわると必ずボクだけをちくりと刺す、女房が自慢のバラの鉢植え
  23. 外人がそばにいると、途端にそばをモソモソ食い始める自称そばっ食い男
  24. アカ新聞嫌いな家に「旦那さ~ん、朝日をお願いしますよ」と勧誘に来るマヌケな拡販員
  25. 道草をお食べになる食うだろ!)」などと、何でも〝お〟をつける丁寧語フェチおばさん
  26. 底抜けのバカを雛壇に並べ、バカ笑いで日本人の白痴化を図る国辱的バラエティ番組
  27. 汝人民飢えて死ね、と言わんばかりに肥え太った3代続く北の将軍様
  28. 朝鮮中央テレビにいつも出てくる、大仰で威圧的なしゃべり方をする名物おばちゃんアナ
  29. これほど話題なのに、またぞろ「振り込め詐欺」に引っかかってしまう愚かな年寄りたち
  30. 「欺した側」ばかりを責め、「欺されるほうも悪い」とは決して言わない偽善的メディア
  31. 実はテレビ局の「声」なのに、「街の声をひろってみました」と公正さを装う嘘つきメディア
  32. スーパーで所在なげに女房の後に従い、買い物客の障害物と化している役立たず亭主
  33. 「昔は機動隊と激しくやり合ったんだ」などと、さも自慢気に語る白髪頭の全共闘世代
  34. 「話し合えば人間はきっと理解し合える」と夢見がちの眼をする底抜けオプティミスト
  35. 現役時代に偉かったものは、定年後も偉いままだと勘違いしているノーテンキおやじ
  36. 各国要人と握手をするとき、反射的に頭も下げてしまう日本の政治家や財界人
  37. 総理や大臣が靖國を公式参拝するたびに「公人か私人か?」と問う売国的メディア
  38. お歯黒以来のDNAか、笑うと決まって手で口を蔽ってしまうシャイな大和撫子たち
  39. 混雑したレジで自分の番が来たらおもむろに財布を取り出す、万事スローな老婦人
  40. 会話こそ最良のつまみなのに、ただ酒を食らうだけの話柄の貧しいおじさん
以上、ランダムに挙げてみましたが、実はまだまだあるのです。
とりあえず今年も中韓と朝日新聞への批判で明け暮れました。
たぶん来年も変わらないと思います。
来年の干支は未(ひつじ)だといいます。stray sheep(迷える仔羊)にならぬよう、
心して歩んでいきたいと存じます。みなさま、良いお年をお迎えください。



                     


←『マッサン』でエリー役を演じている
シャーロット・ケイト・フォックス。
日本語をまったく知らずに撮影に臨んだというから、
人知れず努力をしたのだと思う。
表情がとても可愛くて、日本人好み。
豚まんじゅうみたいな泉ピン子では
縁起が悪そうなので、写真換えました。


♪エリー My Love So Sweet

2014年12月24日水曜日

ホストファミリーになりませんか?

来年あずかる予定の留学生(チェコ人、17歳)は英語の能力がexcellent(優秀)だという。
こっちは女房ともどもpoor(劣弱)そのもので、毎度のことだが、意志疎通がきびしい。
英語は好きだし得意だったハズなのだが、いかんせん会話ができない。

受験期、「赤尾の豆単」を丸暗記したクチだから、いまもって語彙力だけはある。
小説は読めるし、もちろん英字新聞だって読める。しかし、しゃべれとなるとからっきしで、
自己紹介すら満足にできやしない。学校で10年以上学んでいるのに、初歩の会話も
おぼつかないというのは、いったい何なんだろう。教育が悪いのか、
それともおれの頭が悪いのか?

たぶん両方なのだろう。実際、外国人を前にして、ただ単語を並べるだけとか、
身ぶり手ぶりだけというのでは、いかにも情けない。せめて〝ピジン英語〟くらい
しゃべりたい、と思うのだが、それすらままならない。ピジンとは、英語と現地語が
チャンポンになったような言語で、たとえばLong time no see.(お久しぶり)などが
いい例だ。明らかに英語の構文からは逸脱しているが、アメリカ・インディアンが
しばしば使った語法だという。

会話はpoorだが、読み書きができるのだから、いざとなれば筆談という手はある。
昔むかし、空海や道元といった僧侶は学問するために海を渡った。当然ながら
コミュニケーションの手段は筆談だったと思われるが、空海は会話(唐音といった)
にも長けていたという。天才の面目躍如たるところだ。

こっちは天才どころか、凡骨の最たるもので、筆談だって手に余る。
だいいち、まだるっこしくて留学生のほうが先に音を上げてしまうだろう。

あいにく英語の会話力に長けた娘たちはすでに親元を離れている。
「ときどきは顔を出して助けてやっから、心配しないでチョー!」
などと言ってはくれるが、いざとなったら娘頼みというのがいかにも情けない。

そんなこんなで、最初は互いに苦労すると思うが、
慣れてくれば意思疎通もできるようになり、
そのうち日本語だってしっかりしゃべれるようになる。
現に、短期ながらわが家であずかった留学生たちは、
もともと優秀なのだろうが、帰国間際の段階では、
ほとんど日常会話に支障がないくらいのレベルに達していた。

なぜ留学生をあずかるのか? けっこうな物入りだし、余計な神経も使わなくてはいけない。
また毎朝、早起きして弁当を作ってやらなくてはいけない。女房の最大の悩みである。
そんな七面倒くさいことをよくやるな、という声がないわけではない。たしかに滞在費用は
すべてこっち持ちだから、金は出ていくばかりだが、うちの娘たちだって同じように、
すべてあっち持ちで世話になった。イタリアに行った長女なんかフィンランドまで旅行させて
もらった。ホスト側だって余計な出費で大変だっただろう。だから、せめて恩返しをしたい。
それが1つの理由である。

しかし理由はそればかりではない。同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食うということは、
家族同然ということ。帰国後も、その絆は消えない。事実、来春、次女が結婚する
予定なのだが、式にはアメリカ・シアトルのホストファミリーも招待するし、
外国の友人たちも駆けつけてくれる。

髪の色、目の色、肌の色の異なった家族がいたっていい。
それもこれも、すべては娘たちの高校生留学から始まった。
留学先の同級生たちが観光を兼ねて日本へ遊びに来る。
また高校生の時に日本留学した子が、こんどは日本の大学に留学する。
あるいは次女がイギリス留学した時の同級生3人は、いま日本で働いている。
長女の同級生などは、もう何度も来日し、日本中をぐるりと回った。

外国人とまるで縁のなかったわが家も、にわかに出入りが激しくなってきた。
そしてまた、そのことがボクたち夫婦の生きがいにもなってきている。
人生は1回こっきり。どうせ生きるのならエキサイティングなほうがいい。
世界中にボクたちの息子や娘たちがいて、会うたびに「お父さん」「お母さん」と
慕ってくれる。なんだかふしぎな心持ちがするものだが、決してわるいものではない。
草の根の国際交流。あなたもホストファミリーになってみませんか?






←冬枯れのわが団地。
真正面にあるのがボクの住む棟。
留学生たちはみな一様に
「緑が多いですね」と言ってくれる。
でも今は葉が落ち、その面影はなし








2014年12月23日火曜日

居眠り磐根と金髪美少女

もういいかげんにしてほしい。
佐伯泰英の『居眠り磐根 江戸双紙』をここ数年来愛読しているのだが、
いかんせん長すぎて、いつ終わるとも知れず、キリがないのだ。

現在発売中のものが47巻目。そして48巻目が正月明けには上梓される。
よくまあここまでいろんなストーリーを展開できるものだと、同業者のはしくれとしては
大いに感心しているのだが、もうそろそろ幕を引いていただけませんか、
というのが正直な気持ちだ。

佐伯の作品には多くのシリーズ物があって、代表的なのはこの『居眠り磐根』と
『酔いどれ小藤次』、そして『吉原裏同心』、『古着屋総兵衛影始末』なども人気だ。
どれもみな長丁場というのも共通していて、『酔いどれ……』と『古着屋』は
新シリーズがすでに始まっている。

本代と酒代にはカネを惜しまないボクとしては、余生を楽しく過ごさせてもらっている
だけでも佐伯先生様々なのだが、どの作品もみな似たようなところがあって、
いささか粗製濫造の感がしないでもない。

シリーズ物の時代小説で一番好きなのは池波正太郎の『剣客商売』(16巻)、
だとはすでに述べたが、佐伯の『酔いどれ』と『居眠り磐根』もなかなかの
力作だと思っている。そしてどれもが、ふしぎなくらい似通っている。

『剣客商売』は無外流の老剣客・秋山小兵衞を中心に、息子大治郞や女剣客佐々木三冬
などが繰り広げる江戸市井もので、そのintimateでfriendlyな雰囲気が読者のハートを
がっちり掴んでいるのだが、おもしろいのは、『剣客商売』と『居眠り磐根』に出てくる
老中田沼意次の扱いが正反対なところだ。

『剣客商売』の田沼は秋山父子のパトロン的な役割で、世に言う賄賂政治の極悪人
というのとは違う。大治郞の妻・三冬が田沼の妾腹の娘という設定で、田沼の評判の悪さは
どっちかというと宿敵・松平定信が流したデマではないのか、とする立場をとっている。

一方、『居眠り磐根』では主人公・坂崎磐根の命を執拗に狙うのが田村意次・意知父子という
設定で、作者の佐伯が先輩の池波正太郎の向こうを張り、いかにして差別化を図ろうかと、
相当意識して書いたのではないか、とボクは勝手に想像している。

考えてみれば、この数十年、小説は時代小説しか読んでいない。
現代小説はせいぜい外国のミステリーとか探偵小説くらいで、
あえてお気に入りを挙げればR・D・ウィングフィールドの『フロスト警部シリーズ』だろうか。

ふだんは政治や経済のお堅い本ばかり読んでいるので、
せめて蒲団に入ってからは小説を読んで頭をリラックスさせたい、
とたぶん身体が要求するのだろう、自然と小説に手がのびている。

ボクはノンフィクションやエッセイじみたものは書くが小説は書いたことがない。
というより書けない。ゼロから話をつくって、それを発展させる才能がないのだ。
いまどき小説なんて流行らんよ、といわれるかもしれないが、
小説ではなくノンフィクションばかりの世界だったら、たぶん息が詰まってしまうのではないか。
完全な作り物というのは、これはこれで必要なものなのだ。

たぶん今夜中に『居眠り磐根』の第47巻は読み終わってしまうだろう。
まだ多くの本が〝積ん読〟状態で、本棚に鎮座ましましているから、
当分の間、退屈することはないのだが、圧倒的に小説が少なく、
ほとんどがキナ臭いノンフィクションや政治評論の類ばかりなので、
ボクの表情は今しばらくは暗く沈んでいることだろう。

来年はヒツジ年だという。
草食系が喜ぶような静かな年になるのだろうか。
春には次女が結婚し、秋にはチェコから留学生が来て、半年間世話をする予定だ。
金髪美少女でなけりゃイヤ、と強く願っていたのだけれど(←バカ)、
あいにく男の子になってしまった。
それも身長186センチの大男だという(←あとで分かったが実際は190㎝だった)。
ということは、半年間、上から目線に耐えなけりゃいけないわけだ(笑)。
不謹慎なことを考えていたから、たぶん天罰が下ったのだと思う。
あ~あ、男かよ……と言いつつも、楽しみにしてっからね(わが家の女どもが)。




←AFSの高校留学生。
わが家は埼玉にあるが、なぜかAFS練馬支部に属し、
来年、チェコの高校生(17歳)を預かることに。
雲をつくような大男と聞いている。
メシをいっぱい食べるんだろうな……




2014年12月20日土曜日

日本人は底抜けのお人好し

先の衆院選で安倍政権圧勝の報道を受けた支那のネット上には、
「日本は民族、国家を挙げて軍国主義に傾きはじめた」
「日本人という民族は悔い改めない民族であることがわかった」
などといった書き込みが目立ったという。

阿倍の葬式はウチで出す」と、かつて朝日新聞幹部は豪語したものだが、
その朝日も「吉田調書」や「従軍慰安婦」の誤報問題でケチがつき、
逆に自分たちの葬式を出さざるを得ないところまで追いつめられている。
加えて〝安倍政権打倒〟の社是をあざ笑うかのように、自民党が圧勝してしまったものだから
さあ大変。その嘆きようは無知蒙昧な支那人の嘆きとまったく同じである。

ボクの願いはただ1つ。生きている間に、支那の共産党政権と朝日新聞が
完膚なきまでたたき潰され、それを目の当たりにすることである。
それを正夢にするためには、陰に陽に両者への反撃の手を休めず、
窮地へと追いつめなくてはいけない。ところが実際は、それどころではない。
日本の外務省は何を勘違いしているのか、敵に塩を送って得々としているのである。

「塩」の中身はもちろんODAである。驚くべきことに、あの暴虐非道な支那に対して、
毎年300億円ものODA(政府開発援助)を供与し続けている。考えても見てくれ、
支那は世界第2位の経済大国で、GDP(国民総生産)は日本の2倍もある。
外貨準備高に至っては日本の約3倍。およそ390兆円もあり、もちろん世界一だ。
こんな金持ち国に対して、日本はいつまで資金援助をしなくてはならないのか。

ODAには大きく3つのタイプがある。
①低利で資金を貸す円借款
②返済義務のない無償資金協力
③専門技術者などを派遣し開発を支援する技術協力

円借款は支那国内の空港や港湾、鉄道、発電所などの大型インフラ整備に使われ、
今日の支那の発展を支える基礎となった。しかし借款なので、使い途については
いっさい口出しできない。元東急エージェンシー社長の前野徹は、
《日本からの〝上納金〟を使って軍備を拡張し、北鮮にも多額の経済援助をしている。
日本人が汗水たらして稼いだカネが、中国経由で北鮮にわたり、そのカネで作った
ミサイルが日本に向けられている》
などと語っている。こんなマンガみたいなことが現実に起きているのだ。

終戦直後、中国共産党の蒋介石はこう言って胸を張った。
恨みに報いるに恨みをもってせず》と。
日本への戦後賠償の請求をすべて放棄する、と高らかに宣言したのだ。

ところが日中国交回復の際、日本の田中角栄首相は政治的野心からか、
賠償金代わりの経済援助を中国政府に申し出てしまう。事実上、ここで賠償問題が
復活する。そしてこの30年間、日本から引き出した円借款という名のODAは6兆円、
旧輸出入銀行経由の借款を含めると約10兆円にもおよぶという。

円借款はいずれ日本に回収されようが、②の無償資金協力と③の技術援助は
「贈与」であり、1円たりとも戻ってはこない。①の円借款は幸い2007年に終了した。
インフラ整備が結果的に支那の軍事力増強を下支えするという危惧が生まれたからだ。
ところが②と③はいまだに継続され、その額、年間300億円を数える。

尖閣諸島への領海侵犯をくり返し、東シナ海上空に防空識別圏を一方的に設定。
また最近は、サンゴ密漁船を日本の領海内に送り出し、無法な乱獲をくり返した。
支那の膨張主義的な政策はとどまるところを知らない。おまけにPM2.5が日本に
流れ込んだり、反日暴動が頻発したりと、ODAによって「親日派を育成する」とする外務省の
思惑はみごと外れてしまった。親日どころか、支那は反日の温床になっている。

こんな反日国家にせっせとカネを贈り、なけなしの技術まで教えこんでいる。
いったい日本という国はどこまで世間知らずのお人好しなのか。
陰ひなたとなって支援を惜しまなかった「あしながおじさん」に対して、
貧しかった子どもたちが長じて乱暴者となり恩を仇で返す、といった構図である。
これをマンガと言わず何と言おう。

やることなすことがトンチンカンで、日本の国益に反することばかり
くり返す外交オンチの外務省などもう要らない。
あんな売国的省庁など、
中韓&朝日とともに消えてしまえ!






←支那の十八番となった反日暴動。
こうして内政への不満をガス抜きさせている。








※注
ボクは中国という国名をできるだけ使わないようにしています。
「中国」とは「世界の中心の国」の意で、そこには中華民族の
抜きがたい優越意識がうかがわれるからです。支那には
いまだに〝華夷秩序〟が存在します。支那が世界の中心で、
その四囲に夷狄〈東夷,北狄,南蛮,西戎〉がいるという
発想です。その時代遅れの考えに与したくないので、
ボクはあえて「支那」という言葉を使います。中国人は
この支那という言葉がきらいなようです。英語ではChinaと
いうのにね。ボクは東夷ニッポンの野蛮人ですから、
ずっと支那と言い続けます。

2014年12月12日金曜日

エリーと蘭ちゃんがいる朝

ボクは「ながら族」なので、ラジオとかテレビをつけっぱなしにしていないと仕事ができない。
以前は、朝起きるとまずラジオのスイッチを入れた。TBSラジオの『森本毅郎・スタンバイ』
を聴くためである。しかし、いまはNHK総合の『おはよう日本』に乗り換えている。
理由は『TBSと朝日は底なしのバカップル』に書いたとおりだ。

『おはよう日本』には鈴木奈穂子がいる。美人である。しかし土日祝日担当の
和久田麻由子はさらにその上をゆく超美人である。起き抜けの寝ぼけ眼には美人がいい。
美人は頭をスカッと覚醒させ、背筋をピンと伸ばしてくれる。
これが泉ピン子やマツコ・デラックスのような醜女(??)だったら、
一日中不快な気分にさせられてしまう。
寝覚めのいい朝には何といっても美人が特効薬なのだ。

鈴木奈穂子には妹がいる。この妹、わが家に一度遊びに来たことがある。
実は彼女(妹)とボクの長女は、高校の同級生なのだ。だから結婚式にもよばれ、
美人の姉とも会った。
「どうだった? お姉さんはきれいだった?」
結婚式から帰った長女にまっ先に訊いたのは鈴木奈穂子のことだった。
美人好きの助平な父を持つと娘も気骨が折れる。

おじさんの好みなんか聞きたくないだろうけど、ほんとうのことを言うと、
鈴木奈穂子はタイプじゃない(大きく出たね)。また和久田麻由子はたしかに美人だけれど、
なんだか美しすぎて近寄りがたいところがある(東大出というところも気に入らん)。
そこへいくと気象予報士の渡辺蘭はいい。
超美人というのではないけれど、愛嬌があって、実にカワユイのだ。
「蘭ちゃ~ん! がんばってねェ~!おじさんが応援してっからねェ~」
彼女が出てくると、ボクはついテレビ画面に向かって手を振ってしまう。
これを見た娘たちは、「ウウウ……変態おやじッ」と蔑むような視線を向けたものだ。
(いいもんね、蘭ちゃんはお父さんのものだもんねェ。ヒヒヒヒ)
変態おやじはめったなことではへこたれないのである。

美人をたっぷり鑑賞したあとは、いよいよ『マッサン』の出番だ。
今日はエリーシャーロット・ケイト・フォックス)が階段から転げ落ち流産してしまうという
悲しい場面だ。両手で朝食のお盆を持ち、二階の居候のもとへ運ぶと聞いた時、
ボクは「ダメッ! エリー、危ない!」と思わず叫んでしまった。そしたら案の定、
エリーはどうとばかりに脳天逆落としに。(あ~あ、とうとうやっちまったよ……)
病院で流産を告げられた時、ボクはエリーとともに泣いた。

それにしてもエリー役のシャーロット・ケイト・フォックスはカワユイな。
エリーが劇中で歌う『The Water is Wide(「広い河の岸辺」)』は、いまやボクの十八番だし、
ニッカウヰスキーの「竹鶴」もボクの欠かせぬナイトキャップとなった。
ああ、こんな女房がいたら、どんなにか幸せだろうと、ついつい不心得なことを
考えてしまうのだが、かたわらで必死になって原稿を書いているカミさんの姿を見ると、
(おれに甲斐性がないばっかりに、苦労ばかりかけてしまうな)
と、これまた深く反省してしまうのだ。

遠い異国から嫁いできたエリー。モデルとなった竹鶴リタの苦労話は
「マッサン」と呼ばれた男、竹鶴政孝の夢』を読めばよくわかる。
そんなけなげで可愛いエリーを、マッサンの母親役の泉ピン子がいびり倒すのだから
たまらない。その憎々しげな顔といったら。もともと〝いじめ〟というものを心底嫌悪して
いるボクとしては、「いじめの権化」と化したこのバアさんがどうしても赦せない。
(おのれ、この糞ババア! よくもボクのエリーを……そこに直れ、手討ちにしてくれる!)

年老いたせいか、フィクションと現実の見分けがつかなくなっている。
(ピン子のやつ、覚えてろよ。目にもの見せてやるからな)
テレビのこっち側で、おじさんはひとり力みかえっている。
今朝も変わらず平和でのどかです。





←気象予報士の渡辺蘭ちゃん。
カワユイね。あなたの笑顔で
おじさんは救われてます。






※追記
「最近のブログの内容、ちょっと堅すぎるんじゃない?」
と、秩父にいる従兄弟の嫁はんから苦情とお叱りを受けた。
彼女は気性のサッパリした女性で、どっちかというとボク好み。
というわけで、お堅い政治経済の話は脇におき、
エリーと蘭ちゃんの話にした。「朝ドラ」なんて『おはなはん』以来、
見たことなかったが、今回の『マッサン』は別。エリーよ、いじめ
なんかに負けるな! そのうちピン子は死ぬ。淋しくなったら
わが家へおいで。鍋でも囲んでにぎやかにやろう!←こればっか

2014年12月5日金曜日

愚民をなめたらいかんぜよ!

第47回衆院選が始まった。
この師走の寒空のもと、日本中のあっちこっちで、たすき・鉢巻き姿の候補者たちが、
声も嗄()れよとばかり、街行く人に訴えかけている。また、誰の入れ知恵なのか、
「本人」などというマヌケなたすきを掛けた候補者もいて、よせばいいのに
汗だくになって自転車をこぎ、「握手の数=得票数」などと秘かに票を読んでいるのか、
手当たりしだい握手をねだっては頭を下げまくっている。あの臆面のなさはいったい
何なんだろう。

十年一日のごとく変わらないこの選挙風景を見ていると、ボクはいつも思うのだ。
本来ならこの人に市政なり国政の場に出ていってもらい、おらが村、おらが国のために
誠心誠意がんばってもらいたい。国民のために汗をながしてもらいたい――
だからどうかぶじ当選してくださいと、有権者の側が頭を下げお願いすべき筋合いだと
思うのだが、頭を下げているのはいつだって立候補している側で、米搗きバッタどころか、
土下座さえしかねない低姿勢の候補者もいる。これはちょっと異常ではないのか。
議員になるために、なぜそこまで卑屈になる。

(今後は有馬の温泉につかったり、SMバーで可愛いネエちゃんに思いっきり
いたぶってもらったりと、政務活動費を思うぞんぶん使わせていただく所存であります。
有権者のみなさまにおかれましては、後日、わたくしの似顔絵入りの団扇を贈らせて
いただくつもりであります。わが家およびわが一族の繁栄のために、みなさまのお力添えを
たまわり、まことにありがとうございました。祝勝会のあとは、馴染みのSMバーでひと汗
ながしてまいりますので、お先に失礼いたします。それではみなさま、ごきげんよう)
みごと当選した候補者が、壇上でバンザイを三唱している映像をよく見るけれど、
心のうちをのぞき見れば、おおかたこの程度のことしか考えていないのではないだろうか。
不必要に頭を下げ、大衆に媚びを売る姿を見ていると、ついそんなふうに思ってしまうのだ。

民主党の海江田党首は、
「阿倍さんが経済の舵取りをしてから早や2年が経ちました。この2年で、ほんとうに
みなさんの暮らしがよくなりましたか? よくなったのはホンのひと握りの人たちだけで、
庶民の暮らしは少しもよくなっていない。みなさん、アベノミクスは失敗したんです。
この選挙はアベノミクスの失敗隠しのための選挙なんです」
などと、やっている。ほんまにアホとちゃうか。

野党に限らず与党もそうだが、候補者たちの頭の中にある認識はみんないっしょだ。
つまり、「目の前にいる愚民どもをだまくらかすにはどうしたらいいか」という一点である。

(忘れっぽい愚民どもは、民主党政権時の数々の失敗など、
もうとうの昔に忘れている。経済の話なんてどうせ分かりっこないんだから、
適当にお茶を濁し、笑顔で握手していれば、愚民たちはすぐだまされてくれる。
こんなもん、赤子の手をひねるよりたやすいわい。ヒヒヒヒ……)

ああ、それにしても共産党党首のSや維新の党の江田何とかいう共同代表の、
底意地のわるそうなマヌケ面はなんとかならないもんか。顔も悪相で貧しければ、
演説の中身も貧寒そのもの。このレベルでよく党首なんぞが務まるなあ、
とむしろ感心してしまうほどなのである。

愚民と侮るかもしれないが、ボクは民主党政権下の〝何ひとつ決められなかった政治〟を
よーく覚えている。彼らは財源のメドもつかないまま、子ども手当などのバラマキを公約した。
いまもまた若者に対する支援を訴え、若者たちの可処分所得を増やし、分厚い中間層を
復活させる、などと息巻いている。彼らができるのは大衆迎合主義ともいうべき給付金の
バラマキだけ。日本経済の生産性を高め、経済自体のパイを大きくするというマクロの視点が、
決定的に欠けている。

前回の衆院解散時(民主党野田政権)の株価はどうだった?
2012年11月16日時点で9024円。今回はどうか。2014年11月21日時点で1万7357円だ。
雇用者報酬(働く人の給料の合計)は246兆円から254兆円にのびている。
失業率だって4.1%から3.6%へと改善されている。著名な経済学者が言ってたが、
世界のエコノミストに見せたら、ほぼ全員が〝すばらしい!〟と評価するデータ
なのである。この経済政策のいったいどこが失敗だったのだ。

地方や消費の弱い層にまで、まだその恩恵が行きわたっていないというのは事実だろう。
しかし考えてもみてくれ。日本は10年以上、いや20年もデフレが続いていたのですぞ。
末端までお金が回るのは、もう少し時間が必要なのですよ。20年辛抱したのだ。
あと1~2年待ったとしてもバチは当たらんでしょ。

「アベニミクスではだめなんです。アベノミクスは失敗したんです」と偉そうに講釈を垂れている
野党の候補者たちよ! そんなに批判するのなら、世界中のエコノミストたちを唸らせるような、
すばらしい対案を示してくださいな。その対案もないくせに、人の揚げ足ばかり取る。
ボクが「アホとちゃうか?」と呆れるのはそこなのだ。

おれたち庶民を政治経済オンチの愚民、などと思っているような候補者は、
いつかきっと手痛いしっぺ返しを受けるだろう。
口先ばかりで中身のない、民主党や共産党、社民党といった有象無象は
今年こそ年貢の納め時になるにちがいない。
夢見がちで薄っぺらな左翼リベラリストどもよ、
朝日・毎日新聞ともども、早くこの世の中から消えてなくなってしまえ!





←やっぱこっちの総選挙のほうが楽しいな


2014年12月1日月曜日

情報は教養じゃない

テレビを観るとタレント(悪い洒落だと思うのですが才能の意です)と称する娘っこが
何かを見るたびに「すごーい、すごーい!」を連発しています。
かと思うと「やべぇ、これマジ、やべぇ」などと、ラーメンをすすりながら叫んでいるバカタレ
おバカなタレントのことです)もいます。どうやら「やべぇ」は「おいしい」と同義らしいのです。

先日、ボクが愛のムチでぶっ叩いてやったアンちゃんも、
「なんだよ、てめえ、うっせぇんだよ!」
「なんか文句あんのかよ、この糞ジジイ!」
とひどく貧しい日本語を叫んでおりました。
警察官がいうには大学生ということらしいのですが、
あの貧寒な語彙から想像すると、教養程度は3歳以下かと思われます。

さてボクはスマホもガラケーも持ちません。
超のつく機械オンチなので、あのように複雑怪奇な機械は操れないのです。
電車に乗ると、老若男女を問わず、みな揃ってスマホとにらめっこをしております。
うちの女房などは分からないことがあるとすかさずスマホを取り出し、
ピコピコピコとやって、「へーえ、そういうことなのか」などとひとり合点しています。
辞書代わりなんですね、スマホが。今のスマホは相当進化していますから、
機能はパソコン並み。みんな携帯用のパソコンを持って歩いているんです。

ボクは車内の少数派になりましたが、二宮金次郎みたいに本を広げます。
スマホは情報を入手するには便利ですが、情報は単なる情報でしかありません。
ボクは情報にはいささか食傷気味で、ありとあらゆる情報ですでに頭の中は
パンパンに膨らんでいます。情報はほんのちょっとだけでいいのです。

職掌柄、ボクは辞書をたくさん持っています。
諸橋轍次の大漢和辞典も全巻揃えています。
むかしは諸橋の漢和辞典を持ってるよ、といえば、みな畏れ入ったものですが、
今の若い人たちは、「モロハシテツジ? 知らな~い。だれ、そのおじさん?」
と、ありがたみがまるで伝わりません。おじさんの心はひどく傷つきます。

習い性になっているのか、辞書はよく引きます。
原稿を書いていていちばん重宝するのは類語辞典です。
同じ言葉を何度も使うのは物書きとして恥ずかしいことなので、
適切な類語をそこに充てはめます。こうして語彙力が自然と身についていきました。

正しい日本語力をつけるには本を読むしかありません。
それにはいい文学作品を読むことです。
ボクは〝青白き文学青年〟のはしくれでしたから、人並み以上には本を読んでいます。
好きな作品があると、その作家の全集を買い込み、数年かけて読破します。
そんなことを小中学校から続けていますので、家じゅう本だらけで、
本棚に入りきらないものは納戸に押し込んであります。底が抜けそうです。

日本のヤングママたちは、「英語、英語」と騒ぎすぎです。
小学校からの英語教育は、それはそれでけっこうだとは思うのですが、
肝心の日本語がおろそかにされたら元も子もありません。
ボクの経験からいうと、日本語力のない人は英語も巧くなりません。

映画字幕翻訳者として知られる戸田奈津子さんも言ってます。
戸田さんは「英語がお上手なんですね」と褒められると、こう切り返すそうです。
《この仕事は英語力より日本語力なんです。4分の3は日本語力だと思います》

本を読むには忍耐力が要ります。何百、何千という本を読むには
とほうもない忍耐力が必要です。あとは馴れでしょうか。馴れればスイスイ読めます。
しかし何といっても重要なのは、読書が他の何にもまして面白いということです。
ボクは本の中毒ですから、身近に本がないと中毒症状が起きます。
本はそれほどに面白く、読むことが快感になります。

永井荷風、小林秀雄、石川淳といった名文家の作品を読むと、
心が洗われるような思いがします。
小林秀雄などは、もういくたび読み返したか分かりませんが、
読むたびに新たな発見があり、深く考えさせられます。
また石川淳の融通無碍、活殺自在な文章にふれると、日本語の持つ力強さ、
優雅さ、品格、すべてが感じとれます。日本語は美しい、とつくづく思います。

戸田奈津子さんはこうも言ってます。
情報は教養ではない。人間の価値を決めるのは教養です。
自分で本を読み、考えなければ、教養は身につきません》と。
まったくそのとおりだと思います。

「すげぇ」とか「やべぇ」とか聞くもおぞましい言葉を吐く〝無脳〟な連中に
用はありません。ボクはこの手の人間には近づかないし、またつとめて
近づけないようにしております。教養の深浅は10分も話せば判ります。
ボクは取材相手に、
「シマナカさんと話してると、30分で丸裸にされちゃいますね。
すべてが見透かされているようで、正直、恐いです」
と言われたことがあります。お世辞半分としても、
この言葉は今でもボクの勲章になっております。

ところで例の事件の顛末ですが、検察庁から何の知らせもありません。
「不起訴処分の時は、何も知らせません。期限は11月いっぱいです」
担当の検察官はこう言っておりました。
つまりボクは不起訴処分になったようなのです。
あの「うっせぇんだよ! この糞ジジイ!」と叫んでいた無教養なアンちゃんは、
さぞ悔しがっていることでしょう。正義は勝つのだよ、この愚か者めが!
まだまだ世の中は捨てたもんじゃありません。

みなさん、本を読んで、美しい日本語を身につけましょう。
本が苦手の人は、代わりにボクのブログを読むことです。
美しい日本語はもちろんのこと、世の中の正邪美醜、、
またどうやったら女の子にもてるようになるのか、
熟読玩味すればそんなノウハウまで自然と身についていきます。
もっとも〝女の子〟には〝元〟という言葉が冠せられますがね……




←完成までに30年を要したという
諸橋轍次の大漢和辞典