2012年5月29日火曜日

駑馬の品格

競馬はやらないけど、ディープインパクトという馬だけは好きだった。
「走っているというより飛んでる感じ……」とジョッキーの武豊は言っていた。

2006年末の第51回有馬記念。ディープにとっては最後のレースになると云うので、
そのかっ飛びぶりを目に焼きつけようと、ボクはテレビの前に陣取った。

ディープは最初、後方3番手についていて、いっこうにあがってくる気配が見えなかった。
(そんなにのんびり走ってて大丈夫なの?)ボクは気が気ではなかった。ところが、
第3コーナーを過ぎて直線に入った途端、絵に描いたようなゴボウ抜き。
ゴール200メートル手前で一気にまくりあげ、あっという間にトップに躍り出てしまった。
結果、2着のポップロックに3馬身の差をつけるという圧勝だ。

ディープは神々しいまでに美しかった。ムダを削ぎ落とした形というのは、
どうしてこんなに満ち足りたように美しいのだろう。戦い終わって四肢の筋肉が
まだ荒々しく息づいているディープを見たとき、ボクは言葉にならないくらいの
感動に満たされていた。


――子曰く、驥(き)は其の力を称せず其の徳を称す (憲問第十四)

駿馬(驥)の値打ちはその脚力にあるのではない、その品格(徳)にある――。
なかなか耳の痛い言葉だ。

現代中国はきらいだが、支那の古典、とりわけ『論語』は好きで、かつては
月刊誌に『論語に遊ぶ』というコラムを連載していたこともある。ボクの書斎の
棚には、あんまり開くことはないけれど諸橋轍次の『大漢和辞典』全13巻が
鎮座ましましている。ただの魔除けだ、こけおどしだと言うものもあるが、
支那には何かとお世話になっているのである。

話変わって作家の幸田文は、
「女は薪を割るときでも姿が美しくなければならない」
と父露伴から厳しくしつけられた。その躾は戸障子のあけたてから
酒燗のつけ方にまで及び、祖母には耳の後ろの洗い方まで教わった。

形式主義は堅苦しい。見てくれなんてどうでもいい、食えればいいんじゃないの?
満足に箸を持てない連中はそう言って開き直るが、この〝結果オーライ〟という
考え方が戦後日本の秩序や規範をどれほど壊しつづけてきたことか。
ニッポン人の精神をどれだけ堕落させてきたか。

福田恆存は、《日本人の道徳観の根底は美感である》と言った。
いくら楽ちんだからと、見目麗しい娘が足で障子をバンと開けたら、
せっかくの器量も台無しだろう。

もともと形式主義には人間の喜怒哀楽を最も効率よく表現し得た、
いわば黄金分割的な意味合いが込められていた。本来は、
疾駆するディープインパクトのように単純で純粋に美しい形であったはずなのだ。

省みるに、駿馬どころか駄馬にも劣るわが身だが、
ただべんべんと生き長らえることだけはすまい、と心に誓った。

昨日、今月28日に満98歳になった銀座「ランブル」の関口一郎氏から電話があった。
誕生会には全国から30余名が駆けつけてくれたそうだ。あいにく出席できなかったので、
お詫びの手紙を書いたのだが、電話はその返礼である。98歳にしていまだ現役。
氏にあっては、少なくとも馬齢(ディープよ、赦せ)を重ねていないことだけは確かだろう。

2012年5月27日日曜日

人柄が信頼できそうだから?

小沢一郎は四六時中〝天下国家〟のことを考えているため、秘書が4億円使ったことを
知らなかったという。不肖わたくしも、天下国家を憂えている点では人後に落ちないつもりだが、
スーパーの酒売場ではビールにするか発泡酒にするかという1000円札をめぐる問題で、
ハタと考えこんでしまう。わが家では天下国家よりも家計が優先するからである。

何ごとも「レッテル」というものは怖ろしい。ひとたび〝剛腕〟などといういかにも
誇大広告じみたレッテルを冠されると、ただの強欲なおっさんも一代の英傑に思えてくる。
で、本人もその気になって『剛腕維新』などという本を恥ずかしげもなく出して得々としている。
剛腕って、いったい何なのさ。←ヤクルトの由規(日本人最速ピッチャー)か、おまえは!

内閣支持率のアンケート調査などには、よく「支持します」の理由の中に
「人柄が信頼できそうだから」なんていうのがある。パーセンテージも
「他の内閣より良さそうだから」に次ぐ高率であることがふつうだ。

ボクの運転免許証用の顔写真は、むかしも今もそれは怖ろしい顔をしている。
警察署で写真を撮る際にニコッと微笑んだら、すかさず「笑わないでください」
とお叱りを受けた。免許用の写真は笑ってはいけないのだ。

そのため女子供を10人ほど殺していそうな、それこそ「ムショからただいま帰りました!」
というような極悪非道の顔をしている。ほんとうは心優しきジェントルマンなのだが、
見てくれは、自分で云うのも何だが、ちょっと怖い。先ほどのアンケート調査の
「人柄が信頼できそうだから」という項目では絶対選ばれそうにないご面相なのだ。

つまり「人柄」なんてものは、それほど当てにならないもので、見てくれなどでは
何ひとつわかりっこない。政治家を選ぶ際には、一にも二にも政策や政治信条、
もっと平たく云えば政党で選ぶのが賢い選択というものなのだ。
そのことがよく分かっていないから、ハト派だから鳩山さんがいいとか、
ドジョウみたいに地道にコツコツやってくれそうだから野田さんがいい、
ということになってしまう。その結果が民主党政権という史上最悪の政権を
戴くハメになってしまった。まことに愚かという外ない。

今度の小沢事件はつまらない虚偽記載の問題などではなく、小沢一郎の不正蓄財が
真相という見方もある。小沢が幹事長や党代表をやっていた時期に、政党交付金の
うち100億円を超える使途不明金が出ているというのだ。

小沢は世田谷の一角に豪邸を構え、秘書によれば〝(世田谷区)深沢銀行〟と
呼ばれるくらい自在に大金を動かしているという。だから検察は、
「なんらかの不正蓄財がなければ、そんなことできるわけない」
と見て躍起になっているのだ。検察で挙げられなかったら、
いよいよ最後は国税の出番である。

小沢は剛腕などと云われているが、ボクはイリュージョンだと見ている。
そんなもの、マスコミが創り出した実体のない幻想に決まっている。

ハッキリ言って小沢問題なんてもうウンザリ。他にやるべきことが山ほどあるのに、
つまらない党内抗争に明け暮れている。谷亮子(こいつにはガッカリだ)を含め、
小沢チルドレンと呼ばれる有象無象など、選挙をやれば空中分解して消えてしまう。
奴らにムダ飯を食わせてやる義理などないのだ。この際、何度でも言う。
宦官揃いの民主党なんかにこの国の舵取りを任せておいたら、
いつの日か支那の属国にされちまうぞ。

支那も韓国もロシアも大きらい。
なぜって、彼の国の住人は平気で歴史をねじ曲げ、
スキあらば他人の持ち物を奪い取ろうとするからだ。


「中国へ旅行に行きませんか?」
と人からよく誘われる。ボクは丁重にお断りする(台湾は別ですが……)。
(ふざけるな。あんな国へなんか死んでも行くもんかよ。
ちょっとでもニッポン人の気概ってものがあるなら、
支那なんぞへノコノコ物見遊山に行けるかってんだ。
毒餃子でも食ってピーピーやってろ、このスットコドッコイ!)

とまあ、年甲斐もなく興奮してしまったが、
ウソは書いてないつもり。
我利我利亡者の支那なんぞになめられてたまるか。

個人的には自民党の小池百合子か安倍晋三のリーダーシップに期待したいところ。
谷垣総裁? だめだ、あいつは。人はいいが器が小さすぎる。
それにしても日本のリーダーたちは小粒になったね(嘆息)。


2012年5月25日金曜日

第3回辻静雄食文化賞

昨日、恵比寿ガーデンプレイス内の高級レストラン「ジョエル・ロブション」3階で、
第3回「辻静雄食文化賞」の贈賞式があり、不肖わたくしめも参加させてもらった。
この賞は「食」の分野のアカデミー賞とも云われる権威ある賞で、2012年度は
悦ばしくも『田口護のスペシャルティコーヒー大全』が受賞作に選出された。

また新たに設けられた同賞の「専門技術者賞」には神楽坂は
「ル・マンジュ・トゥー」の谷昇さんが選ばれた。谷さんの店は
何か祝い事があるたびに家族で訪れ、フードジャーナリストであるわが女房とも
永いつき合いと云うこともあって、彼の受賞はわがことのように嬉しかった。
谷さんはボクと同い年で、今年で還暦。
目を潤ませながらの受賞挨拶も実にみごとなもので、ちょっぴり胸が熱くなった。

賞の選考委員は、国立民族学博物館の石毛直道氏を委員長に、
フランス文学の鹿島茂、作家阿川佐和子、文芸評論家福田和也、
辻調校長辻芳樹といった錚々たる面々で、
個人的には大好きな阿川さんとツーショットでも撮りたいな、
などとミーハー気分で出かけたのだが、あいにく彼女は欠席だった。
しかたがないので、会場にウヨウヨ群れていた
うら若き女性編集者をとっつかまえては、写真に収まった。

さて肝心の受賞作の話をしよう。ボクも少しばかりお手伝いさせていただいた
『おスペ大全』だが、受賞理由にはこうあった。
科学的視点を加えた技術の理論化により、新たなコーヒーの価値観を確立し、
コーヒー技術書として、またコーヒー文化論としても完成度の高さが卓越している

完成度の高さが卓越している――ときたもんだ。マイッタな。テレちゃうよ。
身にあまる評価をいただき、感謝の言葉もありませぬ。田口御大になり代わり、
ここに改めてお礼を申し上げる次第でごじゃりまする。

というわけで、夜は銀座へ繰り出しフレンチレストランで祝賀会。
例によってジュヴレ・シャンベルタンなど高級ワインをガブ飲みし、
前後不覚になってぶっ倒れた。気がついたらわが家の寝床で
高いびき。いったいいくつになったら〝適量〟をわきまえるのかと、
わが身を省みてつくづく情けなくなった。

授賞式会場の様子はいずれ写真をまじえて紹介する。
まずは緊急速報ということでご容赦あれ。





右:辻芳樹校長
中央:田口護氏
左:石毛直道選考委員長


ところで副賞50万円はみんなで山分けした――という夢を夕べ見た。
なんだか正夢になるような気がしてならない。←しつこいッつーの!








贈賞式のようすが動画で見られます。
興味のある方はどうぞ。
第3回辻静雄食文化賞贈賞式











※追記
辻静雄とコーヒーとの関係はよく知らない。
でもこんなことを書いているから参考まで。

《私にとってモーツァルト(バッハじゃないんだな、これが)のK377の第2楽章の
変奏曲は一種の薬のようなもので、日常頭の痛い時、苦しい時、困った時、
これを聴くと、まるで濃いコーヒーを飲むと痛みや苦しみを、
じわじわと癒してくれるように、鎮められる効果がある》
(『続 私のモーツァルト』帰徳書房編 帰徳書房)

2012年5月23日水曜日

『GOD IN A CUP』(カップの中に神を見た)

カフェ・バッハの大番頭Nさんから『GOD IN A CUP』という本を読めと薦められた。
Nさんは滋賀医科大のT博士から読むことを勧められたらしい。T博士とは、
例の〝ひょっこりひょうたん島の博士〟にそっくりなコーヒー狂いの医学博士
(本業はガン抑制遺伝子の研究)で、人気ブログ「百珈苑」の主宰者でもある。
聞けば、コーヒーに関する文献資料は世界中からかき集めているというから、
この手のお手軽本などは食後のデザート代わりにホイホイ読み飛ばしているのだろう。

著者のWeissmanは『ニューヨークタイムズ』や『ワシントンポスト紙』などに
食文化論的な記事を寄稿している女性記者で、この本の中ではスペシャルティコーヒー
に魅了された3人の男たちを追っかけている。

本の副題はThe Obsessive Quest for the Perfect Coffee(完璧なコーヒーを求めて)
というものだから、簡単に云ってしまうと、アメリカ版の『コーヒーに憑かれた男たち
ということになる。話の中心人物はシカゴIntelligentsiaのGeoff Watts、
ノースカロライナ・ダーハムはCounter CultureのPeter Giuliano、
そしてポートランドStumptownのDuane Sorensonだ。
この3人がアメリカ版の〝御三家〟ということになる。

いまアメリカでは〝The Third Wave(第3の波)〟と呼ばれるコーヒー熱が高まっている。
スタバやピーツコーヒー&ティーといった大規模チェーン店ではなく、きわめてローカルな
ロースター兼コーヒーショップが注目を集めているのだ。これらの新興勢力はスタバなどより
はるかに高品質なコーヒー、すなわちスペシャルティコーヒーを直接農園から買い付けている。
そしてプロバットやゴットホットというヴィンテージ物の機械でていねいに焙煎するのである。

サードウェイブのコーヒーショップはエスプレッソよりドリップを基本にしている。
といっても日本の御三家みたいに「ネルがいい、いやペーパーだ」という世界とは
趣を異にしている。通読した限りでは、日本の御三家やそれに続くコーヒーの
〝小鬼〟たちのほうが〝くるくるぱー度〟はずっと上のような気がする。
ひとつことに集中し、道を究めようとする思いの強さは、ひいき目の買いかぶりで言えば、
日本人のほうが一枚も二枚もうわてという印象だ。ただしその求めんとする道筋が、
グローバルスタンダード(そんなものクソ食らえだ!)からはちょっぴりズレている(笑)。

さて米国の御三家も、ニカラグアやルワンダ、ブルンジ、エチオピア、さらにパナマへと
産地めぐりをしていくうちに、産地や農民、物流などが抱える問題点にぶち当たり、
ひとしきり悩んだりする。富める国と貧しい国、搾取する側とされる側、コーヒーを
介したアメリカの政治的思惑やSCAAの皮算用。「SCAAなんてクソ喰らえだッ!」などという
悪態も飛び出してくるくらいだから、単なる南北間の経済格差という問題だけでなく、
さまざまな問題に直面した御三家各人の対応が描かれる。

そして例によってパナマのゲイシャ種の登場だ。エスメラルダ農園を中心に話は進むが、
その間にカッピング審査などの詳細な描写も出てくる。おまけに「丸山珈琲」の社長まで
顔を出すのだからサービス満点だ。登場シーンをひろってみると、カッピング会場で、
《ケンタローだけは平然としていた》はいいのだが、《still as a yogi ヨガの行者みたいに
じっと動かなかった》には笑ってしまった。アメリカ人って奴は、東洋人と見るや決まって
ヨガや禅と結びつけたがる。もっともyogiだけにヨガは丸山氏の余技なのだろう(笑)。

T博士によると、いくつか事実誤認百珈苑BLOG参照)があるとのご指摘だが、
ストーリー自体は悪くはない。英語だってボクが読める(理解してるかどうかは怪しい
くらいだから、さほど難解なものではない。←思いっきりミエ張ってる

個人的に面白かったのはパナマ・ドンパチ芸者のほうがエスメラルダ芸者より、
いつだってちょっとばかり〝おいしい〟と書いてあることだ。
ドンパチのセラシン親子と仲のいいバッハの田口さんには嬉しい本だろう。

そのうちに気をよくしたヨガ行者がすばらしい名訳(迷訳?)で翻訳出版するかも
しれないので、乞うご期待だ。






←アメリカ版の『コーヒーに憑かれた男たち』だな。
本家本元のほうが断然面白いけど……(笑)

2012年5月20日日曜日

ゲイシャでドンパチ

昨夜は久しぶりにゲイシャを揚げ派手にドンパチやった。
おかげで腰の具合がすこぶるわるく、
深酒が過ぎて頭も痛い。おまけに身体中からゲイシャ衆の
フローラルな残り香が漂ってくるしまつ。困ったもんだ……。

昨晩揚げたゲイシャは少し変わり種で、わざわざ中米パナマからお越しねがった。
風呂に入らないナチュラル志向のものもあれば、斎戒沐浴したのもあり、
半分肌がヌルヌルしていて体臭の強いのもあった。ママかたのゲイシャもいた。
近頃はなぜかこのヌルヌルしてクサいのが受けているらしい。時代は変わった。

「いったいオマエは何の話をしてるのだ? 単なるノロケか?」
いや、失礼いたしました。 ノロケではございません、コーヒーの話をしております。

昨日、南千住の「バッハ」で『パナマ・ゲイシャの多様性と可能性を楽しむ会』という
奇妙奇天烈な会があり勇躍参加させてもらった。集まったメンバーがすごい。
雑誌記者はもちろんのこと、料理学校の教授やワインのエキスパートまでが
顔を揃え、なかでも圧巻は、ボクが畏怖してやまないY氏T氏がばっちり
席を同じくしたことであった。

このY氏とT氏に、本ブログでもお馴染みのK氏こと帰山人氏が加わると、
通称〝TKY48〟と呼ばれる3バカ、じゃないコーヒー業界の〝裏の御三家〟
のご出座~ッということになる。フツーの人なら畏れ入ることはまずないが、
ギョーカイ人なら恐懼感激し、平蜘蛛のように床に這いつくばることになる。

ゲイシャというのは何を隠そうエチオピア起源のコーヒー原種のことで、
国際オークションで超破格値をつけたことで一躍有名になった。
景気のよさそうな名前のドンパチやママカタはパナマのコーヒー農園名で、
業界内では「ドンパチ・ゲイシャ」「ママカタ・ゲイシャ」というだけで意味は通じる。

100グラム1万円もするような高級コーヒーをテイスティングする機会などザラにはない。
あのフローラルな香りを嗅ぎたいと、コーヒーにうるさい連中が日本中から集まった。
大阪からは博覧強記のY氏、滋賀からはひょっこりひょうたん島の博士の再来を思わせる
T氏(こっちは本物の博士だ)が上京してガチンコ勝負。みな生唾を飲み込んだまま
2人の激しいやりとりを注視した。

Y氏とT氏の掛け合いはすごかった。何を言ってるのか、さっぱり分からない。
切れ切れにエステル系がどうしたとか、フルハニーがこうしたとか、エコ・ウォッシュトが
すべった転んだとか言ってたようだが、まるで宇宙人同士がしゃべっているみたいで、
地球人のボクたちは「ここはどこ? 私はだれ?」と自分の立ち位置を見失いそうな
気分だった。それほど空気は一触即発の緊張をはらみ、今にも爆発寸前だった。

ああ、それにしても名古屋のK氏がいなくてよかった。噂では、
くるくるパー度(コーヒーおたく度ともいう)〟ではK氏が他の2人を圧倒している
(Y氏とT氏の弁です)というから、もし3人揃ったら、それこそ「コーヒーは爆発だッ!」
と自爆テロみたいにひっちゃかめっちゃかになっていたことだろう。

銀座の二次会でもY氏とT氏のちんぷんかんぷんな闘論はつづき、他の出席者を
唖然呆然、げんなりさせていたが、すでにあっちの世界の人になってしまった2人は
まるで空気が読めず、相変わらずブタンジオンがどうしたとかオカチメンコがこうしたとか、
えらく小難しい話に没頭していた。困った人たちである。

というわけで、YTコンビのおかげで、とんでもないゲイシャ遊びになってしまったが、
さすがにしゃべり疲れたのか、YT両氏が口をつぐんだのを潮にようやく幕が引かれた。
結論としてはハニー仕立てのゲイシャの匂いが腐ったチーズみたいで最高、
ということになり、ナポレオンとジョセフィーヌのアレを一瞬思い浮かべてしまったものだが、
今朝になったら〝後朝(きぬぎぬ)の別れ〟のような心持ちになり、一瞬陶然としてしまった。
お後が宜しいようで。



2012年5月17日木曜日

役人に食い潰される日

フリーライターになりたての頃、農水省傘下の天下り法人で仕事をもらったことがある。
ヨーロッパなどで盛んなアグリツーリズム について、日本での将来性を探ってくれ、
という依頼である。今から25年ほど前の話で、今はグリーン・ツーリズムなどと呼ばれているが、
要は農村民泊のことだ。ボクは全国各地へ飛び地道に取材して回った。
震災被災地の福島・飯舘村などにも足を運んだ。できあがったレポートは大部のもので、
それに見合う報酬もいただいた。

何が言いたいのかというと、1年ほど出入りしたその天下り法人は文字どおりの〝天国〟
だった、ということだ。ボクの〝畢生の大作〟は「ハイ、ご苦労さん」のひと言で、そのまま
お蔵入り。誰にも見られることなく棚の奥に仕舞いこまれてしまった。
こうしたプロジェクトを達成しました、という単なる証拠物件みたいなものだから、
労作もヘチマもない、ハナから中身なんてどうでもいいのである。

この天下り法人、3月の年度末になると、「どこへ旅行に行く?」なんて話で持ちきりになる。
早い話、出張名目でどこか温泉めぐりをし「余った予算を使ってこい」ということなのだ。
ボクは下請け業者だから見て見ぬふりをしていたが、(民間なら確実に潰れるな)と、
あまりの〝ぬるま湯〟ぶりに開いた口がふさがらなかった。

ギリシャでは大人の4人に1人は公務員だという。日本のうわてを行く〝役人天国〟で、
公務員は「◇△手当」の名目で次々と加算され、時にその加算分は基本給の3倍にも
なってしまう。年金は50代から支給され、本人が死亡した場合、受給権は妻だけでなく、
未婚または離婚した娘も引き継ぐことができるという。
この税金太りした連中が今、EUの課した財政緊縮策がいやだとダダをこねている。
いったい誰が同情するか、そんなもん。

このギリシャ式役人天国、日本に置きかえたってそう変わりがない。
ギリシャではパソコンを使う公務員に「パソコン手当」、休みをとらない職員に
「皆勤手当」が支払われていたというが、日本でも国と地方を問わず、
公務員は8キロ以上の遠出をすると1回1000円程度の「旅行手当」がつく。
和歌山や広島でも支給されるという「寒冷地手当」、ハローワークの窓口で働くのは
精神的苦痛を伴うからと支払われる「窓口手当」、なんと川崎市には「出世困難手当」
なる珍種もあったという。

係長を5年やっても課長になれない。こうしたダメ人間は半ば哀れみと親しみを込め
「(出世が)困難係長」と呼ばれていた。そして彼らには課長に準ずる給与が支払われて
いたのである。ことほどさように、日本は役人ウハウハ天国で、
年金も退職金も健康保険も住宅も、すべて民間をはるかに上回る充実ぶりなのである。

「官僚を打倒する!」と鳴り物入りで政権をとった民主党。
今や逆に打倒軽蔑罵倒され、公務員という名のノーメンクラツーラが国中に溢れかえっている。
ギリシャの悪夢が日本でも現実となる日はそう遠くはないだろう。

ハッキリ言ってしまおう。ボクは役人がきらいである(軍人や消防隊員など一部を除く)。
娘たちには「役人と銀行員とだけは結婚してくれるな」ときつく申し渡してある。
役人天国か、思うだに胸っクソわるくなる。

2012年5月13日日曜日

西洋の没落

ヨーロッパが大変なことになっている。
EU各国の財政が悪化し、軒並み緊縮策が採られているため、
国内産業は冷え込み、労働市場がどんどん縮小している。

わが家にホームステイしたフランス人のAlexiaも、
「フランスはもうだめ。仕事が全然ない。1年前に大学を卒業したお姉ちゃんも
いまだに仕事が見つからず、今は遠くシンガポールで就活してる。
日本で働きたいとも言ってるけど、日本語ができないし……。
わたしもヨーロッパが沈没する前に、どこか他の国へ逃げ出したい。
みじめなヨーロッパなんて見たくない」
と、メールで窮状を訴えてくる始末だ。

また、去年の暮れにわが家へご尊来いただいたイタリアからの客たち4人も、
長女の話によると定職がなくアルバイトでしのいでいるらしい。
そのうちの一方のカップルは、互いに結婚を約束し合っているのだが、
経済的に自立できないため先延ばしにしているし、もう片方のカップルは
イギリスとオーストラリアに生き別れで、目下遠距離交際中だ。
彼らが長女の月給の額を聞いたとき、「ひえーっ、俺たちの倍もらってるよ」
と驚いたのもふしぎではない。ヨーロッパでは今や、大学を出ても、
まったく仕事がないのである。

特に25歳以下の若年層の高失業率が問題で、
スペインでは51.1%、ギリシャでは51.2%と2人に1人が失業している。

日本と同様、ヨーロッパは高齢化社会で、就労年齢は年々上がってきている。
年寄りがなかなか現役を引退しないため(年金受給年齢が引きあげられている
という事情もある)、必然的に「席が空かない」状態が続いていて、
そのシワ寄せが若者に向かっている、という悪しき構図だ。

若者を雇っても即戦力にはならないし、訓練や研修にコストがかかる。
通常、有能な社員を一人前に育てるには3年かかるというが、
この不景気ではそんな余裕はない。
企業がベテランの高齢者を優遇し、若者を冷遇するのは故無きことではない。

戦後60余年、豊かさを誇っていたヨーロッパが、アメリカに端を発した
金融危機以来、坂道を転げ落ちるように凋落の一途を辿っている。
欧州再生の道はあるのか。われわれと寝食を共にした若者たちが、
貧困にあえぐ姿は見たくない。

経済が行きづまると、必ず戦争の足音が聞こえてくるものだ。
不吉なことが起こらなければいいのだが。


2012年5月11日金曜日

『8人の女』

劇団フーダニットの第12回公演を観てきた。
演目はロベール・トマ作の『8人の女』。
トマの代表的な戯曲のひとつで、上演時間3時間という大作だ。

この小劇団の上演を観るのは今度で3回目。好んでミステリー劇を演じることが多く、
今回の作品は『罠』『みかんの部屋』に続くトマ作品の第3弾ということになる。

フランスはパリの郊外。森の中の一軒家に暮らす一家の話だ。
男は邸宅の主人マルセル(結局1度も姿を見せない)ただ1人で、
そのマルセルが殺される。外は猛吹雪。閉ざされた邸宅内での密室殺人をめぐる
典型的な推理劇である。

登場人物はマルセルの妻、娘、妻の母、妻の妹、メイド……。
遺産相続をめぐる醜いバトル劇が進行するにつれ、
女たち8人のおぞましい過去と正体が次々と暴かれていく。
その事実は意表を突くものばかりなので、
どの女も「こいつが殺人犯か?」と思えてくる。

役者たちはプロではない。主婦ありOLあり、学生あり。
しかし、その迫真の演技はどれも玄人はだしで、
思わず身を乗り出してしまう。おまけに美人揃いだから、
つい目を凝らして見入ってしまう。美人に弱いのだ。

演出はセリフだけで展開する会話劇。それぞれがけっこうな長台詞なものだから、
役者はさぞ大変だろうとお察しする。ボクなんか昨夜のおかずが何だったか、
思い出せないくらい痴呆が進んでいるから、長台詞をしゃべっているというだけで
いやも応もなく尊敬してしまう。なかにはセリフをとちった場面もいくつか見られたが、
これもご愛敬で、演出がいいのか、全体にはうまくまとめられていた。

この劇団の演出家兼座長は、出演した8人の女性の中のメイド役で、
ボクが雑誌編集をやっていた頃の先輩記者の奥方である。
先輩記者は現在某大学の教授をやっていて、ミステリー評論家でもある。
夫婦揃ってミステリー大好き人間なのだ。

例によってトマお得意の奇想天外の幕切れだったが、
ボクはちょっぴりその結末を予想していた。
それにしても、オンナという生き物は怖ろしい。
劇を観たオトコどもは心底恐怖に震え上がり、
帰宅後、妻と娘たちに対してつい疑心暗鬼の目を向けてしまうことだろう。

(オンナを侮ってはいけない……)
ボクは心より反省した。
(でも才色兼備となると話は別……そんなものはオトコの描いた、ただの幻想だな)
ボクの確信は揺るぎなかった。←少しビビってる



2012年5月9日水曜日

ジイさんの示威行動

今朝もプールでひと泳ぎした。
まずウォームアップ代わりにクロールで800メートル。
身体がほぐれたら、次はバタ足25メートルを10本と
50メートルのダッシュを10本。ついでに200メートルを2本。
最後にバタフライを数本。これでだいたい2000メートルくらいか。

昨夜は寝不足なので、このくらいで切り上げる。
ハリ切りすぎると昼飯後に眠くなり、仕事にならないからだ。
近頃は歳のせいか、ソファに横になるとそのまま寝入ってしまうことが多い。
「まったくいいご身分だわね……」
女房の皮肉が聞こえてきそうだ。

ボクの通うプールにはジジババしか来ない。
たまに若い娘が入ってきたりすると、ジイサンたちは俄然ハリ切り出し、
娘の目の前で慣れないバタフライなんぞを披露したりする。
ジジイの求愛、ではない示威(じい)行動である。

先日、若い夫婦らしきカップルがひょっこり現れた。見かけぬ顔だから、
たぶん初めてなのだろう。サーフパンツの旦那は泳ぎが苦手のようで、
子供用プールでひとりバシャバシャやっている。

奥方のほうはトビウオみたいなスイマーで、いきなりボクたちの上級者コースに
飛び込み、スーイスイ。
(いいね、ありゃモノホンだな……)
オジサンやオジイサンたちからため息がもれる。おまけに美人でスタイルがいい。

若い女性が泳ぐと塩素入りプールも少しばかり清められるような気がして、
たとえゲボッと飲み込んでも、「聖水」を飲んだみたいで気持ちがいい

オジサンたちはみんな同じ気持ちなのか、なんだかんだと言っては
美人スイマーにすり寄ってゆく。いつの間にか彼女の周りはオジサンの
人だかりだ。オバサンたちはその光景を横目に見て、
「男って、やーね」と眉をひそめている。が、オジサンたちはどこ吹く風だ。

かわいそうなのは子供プールで無聊をかこっている若旦那だ。
自分の女房がわけのわからん変態オヤジたちに囲まれ、
いまにも襲われそうな雰囲気なのだから、気が気じゃない。

それにしてもハダカになってしまうと、野生の本能が目覚めるのか、
男はオスになり、女は露骨にメスになる。かみしもを脱いだ途端に
ケダモノ化現象が起きるのだ。それは齢を食っても変わらぬようで、
むしろ齢を重ねたほうが色濃く出てくるような気がする。

しょんべん臭いプールの水を聖水に変えてくれた美しきスイマーは
草食系亭主に手を引かれ、そそくさとプールを出ていってしまった。
残されたのは相変わらずのジジとババ。先ほどまでバタフライの
示威行動に励んでいたジイサンは、今度は自慰行動にいそしむべく、
つまらなそうな顔して、これまたつまらなそうな顔をしたオバサンたちの群れに
すり寄っていった。








2012年5月2日水曜日

才色兼備やーい!

アンチエイジング流行りで、最近は「美魔女」なんていう造語まで生まれてきている。
ウィキペディアによれば、美魔女とは、35歳以上の〝才色兼備〟の女性のことらしく、
「魔法をかけているかのように美しい」女性だからそう呼ばれるのだという。

整形とかしわ伸ばしとか人為的加工を加えたものはその限りではない、
という但し書きがあるわけでもなさそうだから、とりあえず金を使って外見を
整えれば美魔女ができあがる。もっとも、賢い女性はそんな愚かなマネは
しないだろうから、どうしても〝才色兼備〟という条件がひっかかってしまう。

さてここで思いきって憎まれ口をたたいてしまおう。
35年と300ヶ月生きてきて、職掌柄いろんな人とお付き合いしてきた。
ふつうの人では会えないような著名人とも会ってきた。
ついでに女性に関しても若干の知見を得た。

が、悲しいかな才色兼備の女性にはついぞお目にかかったことがないのである。
どこかにいらっしゃるらしい、ということは風の噂に聞いている。
死ぬまでに一度、そのご尊顔を拝したいと念じてはいるのだが、
いまだ果たせずにいる。

40代後半なのに20代後半にしか見えない美魔女は、
たしかに美しい外見を誇っていることだろう。が、頭の中身まで
20代のままに留まっているとしたら、とても魅力ある女性とは言いがたい。

才気溢れる女性なら佃煮にするくらいいるだろう。
色香ただよう美形(整形も可)なら、それこそ韓流ドラマの中に腐るほどいる。
ただし、才と色を兼ね備えた女性となると寥々たるもの、というのが現実だ。
才豊かな女性は往々にして醜女(←田嶋陽子や上野千鶴子を見よ!)だし、
豊胸美人はくるくるパーに決まってる(←ボクはむしろパーが好きw)。
知勇兼備の男が少ないのと同様、才色兼備の女性もハナから品薄なのである。

ボクは元来厚化粧の女性を好まない。白粉を塗りたくった女性を見ると、
つい侮蔑の表情を浮かべてしまう。スッピンとは申しません。
どうぞ化粧をなさってください。でも、できれば薄化粧がありがたい。
なぜなら化粧の濃さと知能程度は反比例するからであります。

男(ボクだけか?)が女性に求めているのは、
厚化粧でごまかそうとするような美しさではない。
年相応の成熟した輝きであり心の美しさなのである。

妖艶な花の盛りもいいが、葉桜の奥床しさもまたいい。
アンチエイジングだ美白だと、どんどんエスカレートしていくと、
行きつく先は鈴木その子そのもので、ほとんど魑魅魍魎の世界になってしまう。
ありのままがいい。化けて粧うのはほどほどに。