2014年3月31日月曜日

鍋を囲んで毒舌三昧

昨夜は数年ぶりにIさんのご光来をたまわった。
IさんはAFS日本協会の埼玉支部長で、本ブログでも「高校39年生」に始まり、
その後「雲子苦齋」「胡塞齋」と雅号が変遷していったと思ったら、
いつの間にか「キナく齋」に変貌を遂げていた、という忙しい男である。

身長は185センチ、体重は優に100キロを超えようかという巨体をユッサユッサと
揺さぶってのお出ましである。以前会ったときは「入間川部屋」の暁司(ときつかさ)
君を伴っていた。殊勝にも若い力士たちのタニマチをやっているのである。

あの日、「ボディガード代わりに連れてきた」と言ってたが、「キナく齋」さん
自身が柔道5段の猛者。噂では、留学生が来日するたびに柔道場へ連れ出し、
脳天逆落としやワンハンドバックブリーカーといったプロレス技を繰り出して、
畳の上に這いつくばらせるのが趣味だという。なんともサドっ気の多い男だが、
鬼の支部長」の盛名は海外にまで轟いているというから、留学生たちも戦々恐々だ。

この偉丈夫、高校生の時にAFSでアメリカ中西部はミズーリ州の某寒村に留学した。
歴史の授業でのひとコマ。たまたまその日は代用教員が授業を担当し、運わるく
日本軍の「真珠湾攻撃」がテーマだったという。女性代用教員は熱弁をふるった。
「ジャップたちは卑怯にも奇襲攻撃を仕掛けてきて……」
クラスの中に日本からの留学生が混じっていることなどむろん知らない。
教室内はしわぶきひとつできないくらい凍りついてしまったという。

「テリー、あんまり気にすんなよ。先生はあんなふうに言ってたけど、
ボクたちはみんなテリーのこと、好きだかんな(田舎だから少し訛ってる)……」
TerryとはTeruhikoのニックネームで、スポーツ万能のテリーはアメフトに
陸上にと大活躍で、たちまちクラスの人気者になっていた。

「実はあの時はまだ英語の理解力が足りなくてね、
先生の言ってることがほとんどチンプンカンプンだったんだ」
テリー君は頭のてっぺんをテカテカさせながら、こう曰わったものだ。
拍子抜けである。

テリー君は酒を嗜まない。一滴も飲まない。が、手土産に持ってきたのは
オーストリアのスパークリングワインで、ボクは遠慮なくいただいたが、
テリー君はただ見てるだけ。何か飲み物がほしいというので
おいしい「水道水」を出してあげた。

娘たちがいれば世話になった「鬼の支部長」との対面が久々に叶ったのだけれど、
幸か不幸か次女は横浜だし、長女は土曜日から来日しているイタリアの友人2人と
日光見物へ行っている。この伊人カップルは長女が留学したときのクラスメイト。
近くわが家にも顔を見せるので、お弁当を作っていっしょに花見をしようと計画している。
外国から友人たちが遊びに来てくれるのも、みなAFSで高校生留学したおかげ。
また〝鬼〟と知り合えたのもAFSの縁(えにし)だ。

キナく齋テリー君の口癖は「ボクはpatriot(愛国者、憂国の士)だ」というもの。
その憂国の情はボクのそれとかなり似たものなので、
水道水と〝おちゃけ〟の組み合わせながらも、話は一気に盛りあがった。

もちろん支那と韓国への毒舌攻撃はすさまじく、すでに両国はフルボッコ状態。
その攻撃の矛先はアメリカにも向けられ、オバマ弱腰外交もボッコボコにされたが、
「それでもアメリカ人は好き」というテリー君。

また、筋金入りの支那ぎらいでもあるが、やはり支那人は別。
そういえば数年前、テリー君は支那人留学生を9カ月間、自宅にあずかっていた。
何があったのか、ホストファミリーから追い出され行き場のなくなった哀れな高校生に、
やさしく手をさしのべてやったのだ。

支那人留学生が帰国する時、テリー君はこう言った。
「いいか、何度もいうけど俺はお前の国が大っきらいだ。でもお前は永遠に
俺の息子だからな……いつでも帰って来いよ」(←芝居がかってるけど、やけに泣かせるぜ)
その彼は再び来日を果たし、いまは駒澤大学に通っているという。

そう、ボクもテリーと同じで、支那と韓国の現政権は大きらいだが、
個人は別。わが家に来た支那人留学生の李さんはとても賢い素敵な女性だったし、
韓国人の友人たちはみな心のさっぱりしたいい奴ばかりだ。
政治ってやつはいつだって個人を翻弄しやがる。

キナく齋テリー君よ、また遊びにおいで。
日本人をひたすら罵倒する韓国人歌手の動画」を肴に、
おいしい水道水でも飲みながら鍋を囲もうではないか(←この家は春夏秋冬、鍋ばっか)。
それにしても、(蛙みたいに)水だけでよくまあ喰ったもんだな。



※追記
言わずもがなであるが、「真珠湾奇襲」は奇襲でも何でもない。
ルーズベルト米国大統領が日本の外交暗号と海軍暗号を解読し、
事前にハワイ真珠湾攻撃を承知していたことは、いまや周知の事実だ。
ルーズベルトはアメリカをヨーロッパの戦争に参戦させるため、日本の
攻撃を知りつつ、故意にハワイの太平洋軍司令部に情報を伝えず、
太平洋艦隊を生け贄にしたのである



 

2014年3月24日月曜日

心の中はカッサカサ

別に好きこのんで読んでいるわけではないが、お隣りのクネさんが性懲りもなく
行く先々で嘘八百を並べているので、真の歴史を確認しておこうと、
以下、評判の本を読んでみた。
醜い韓国人』『日中韓2000年の真実』『韓国民に告ぐ!』『韓国併合への道 完全版
もう、この国は捨て置け!』『ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った!』『呆韓論
犯韓論』、他にも未読だが『悪韓論』とか『愚韓新論』などというのもある。

他にざっと目を通した雑誌の特集タイトルは、
『ツケ上がるな韓国!』『哀れな三等国、韓国』『韓国人の嘘が止まらない!』
『世界の嫌われ者、韓国』『韓国に白黒つけろ!』『韓流はウソだらけ』
『嫌韓台風』『この厄介な隣人』『続・韓流はウソだらけ』『「性奴隷」捏造を許すな!』
と、韓国をこきおろしたものばかり。

『文春』や『新潮』などの週刊誌はもっと過激で、朴槿恵(パク・クネ)を「今週のバカ」
などという連載企画に登場させ、クレーマーおばさんとか〝クネクネ〟などと呼んで
嘲弄している。

ほんの数年前までは、こんなタイトルをつけること自体考えられなかったのだが、
近頃は競うように誹謗中傷語をエスカレートさせている。そしてこうした本や雑誌が
またたく間に版を重ねる、というのだから、長~い出版不況に泣く業界にとっては、
干天の慈雨みたいなものだろう。パク・クネ様々と、歓喜のあまり口をパクパク、
腰をクネクネさせているのは、実は日本の出版業界なのである。

この種の本を飽きもせず(←ほんとうは心底飽きてる)読み続けていると、
だんだん心がカサカサになってくる。「そうだそうだ」と首肯するところが多ければ
多いほど、心が渇いてくる。そんな時、ボクは思うのだ。
(俺って人間は、どう転んでも政治的人間からは遠い存在なんだな……)と。

ボクは韓流ドラマは見ない。きれいなアンヨの韓流歌手の歌も聴かない。
あのど派手な衣裳と、誰が誰だかさっぱり区別がつかない整形顔を見ているだけで
不愉快になるからだ。そういえば儒教の世界では、
派手な色彩と左右対称の美が重んじられる」と拓殖大の呉善花教授は言ってたっけ。

高価な染料が買えず庶民の服は白一色だった、という歴史的事実など何のその、
歴史ドラマに登場する整形美女たちは絢爛豪華な衣裳をまとい、
史実などそっちのけで妍(けん)を競い合っている。何度も言うが、
韓国人にとって歴史はヒストリーではなく〝ファンタジー〟なのである。

ボクは「アホらしィ」と思って目をそむけるが、韓流ドラマの熱烈ファンたちは
食い入るように見つめているにちがいない。そして〝左右対称〟の整形顔を眺めながら、
(私もあんな顔になりたい)と、きっと夢見顔でうっとりしているはずなのだ。

ところで、ボクは女の化粧顔を好まない。だから女房が化粧をはじめると、
「スッピンがいやなら、せめて薄化粧にしてくれ」と〝お願い〟をする。
大概は却下されてしまうが、「自然のままがいちばん」と訴え続ければ、
そのうち効果が出てくるだろう、と儚い希望をもっている。

そんな「ナチュラル派」の人間が左右対称の整形顔を好むわけがあるまい。
野に咲く花より〝造花〟を好むという韓国人の性向とは正反対(←最近は〝真逆〟など
というふざけた言葉が流行っているようだが、恥ずかしいからやめてくれ)だからだ。

話が脇道にそれてしまったが、要は心のカサカサをどう修復させるかという話をしている。
人間というのは面白いもので、どんな場合でも〝自然治癒力〟は発揮されるようなのである。
それは何かというと、就寝前の時間帯はややこしい政治の本は遠ざけ、
心に潤いを与えてくれそうな書物に自然と手が伸びる、ということなのだ。
たぶん心のバランスをとろうとする本能的な働きがあるのだと思われる。

最近までは道元や良寛などの宗教書を好んで読んでいたが、
今は中島敦の『山月記』や『李陵』『名人』といった漢文調の名文を音読している。
ボクは若い頃から中島の作品が好きで、『山月記』などは気の利いた箇所を
諳んじることもできる。
《己の珠に非ざることを畏れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、
また、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦(平凡な人々のこと
に伍することも出来なかった……》

こうした名調子を音読していると、次第に自分の中のリズムが調えられ、
心の中に清流が流れていくような気分になる。
芸術作品の力というものは、人が思っているほど微弱なものではないようだ。

クネがクネクネしようが、キンペイが色褪せた華夷秩序を復活させようが、
ほんとうはどうでもいい。バカは捨て置けばいいのだ。だがバカの目標が
日本を貶めようとすることであるなら、いたずらに黙過することはできない。

心がカサカサになる代償として、中韓の暴論に反駁する知識は十分身につけた。
が、なんだかひどく虚しい。この三国の派閥争いは、いったいいつまで続くのだろう。





←この手の本が常にベストセラーになるのだから
尋常ではない。良書もあるにはあるが、
柳の下のどぜうを狙った追随本がほとんど。
いずれにしろコリアンの異常な精神構造を
目の当たりにして愕然とすること必至だ

 

2014年3月17日月曜日

カラダに悪いもの大~好き!

モツとかホルモンとか、いわゆる内臓類が好きで、精肉売場の片隅にそれを見つけると、
つい手がのびてしまう。酒と醤油と砂糖で甘辛く炒め煮し、それをアテに冷やしたビールを
ガンガン飲む。ああ、生きててよかった、としみじみ思う瞬間である。

モツは噛むほどに陰翳豊かな表情を見せてくれる最良の肴で、ものによっては高雅な
オードヴルの趣きさえ感じさせる。『東京煮込み横丁評判記』や『悶々ホルモン』などは
ボクの愛読書で、ホルモン系の店が多い京成押上線沿線(立石に多い)や赤羽、北千住
にはしばしば足を運び、日々の鬱屈を溶かし込んだようなモツ煮に舌鼓を打つ。

貧乏学生だった頃、ボクは新宿駅西口線路沿いの思い出横丁、通称〝ション横〟
によく通った。慶応のお坊ちゃま学生たちは身のほど知らずにも銀座なんかに
繰り出していたようだが、同じ塾生でも慢性金欠病のボクらボンビー学生は
早稲田のムサい学生たちと肩を並べ、ション横で酎ハイをあおっていたのだ。
ガツだのハツだのホーデン(睾丸)だのを頬ばっていると、自分が獰猛な肉食獣に
なったような気がしたものである。

昔はモツやホルモンを悪食(あくじき)呼ばわりするものがあった。しかしさすがに今は違う。
内臓類はおいしいと、その美質が広く認知され、ホルモン系の店はどこも大盛況だ。
血圧と尿酸値が高くなおかつ高脂血症のボクは、ホルモンや魚卵の摂取を医者から
きびしく制限されている。が、
       モツ無くて 何が浮世の 余命かな
などと考えるひねくれ者だから、医者にすればまことに扱いにくい患者だろう。

下町のやきとんやモツ煮の店に行くと、
「えーっと、とりあえずホッピーの〝三冷〟にチレ刺とニコタマをもらおうか」
などという注文が飛びかっている。
「〝三冷〟っていったい何?」
初心者は首をかしげるが、「ホッピーとジョッキとキンミヤの三点を凍らせたもの
というのが正解だ。氷入りだと焼酎の味が徐々に薄まってしまうが、三冷ならいつまでも
濃度が持続する。〝三冷〟はホッピー党の間では必須の心得なのである。

「三冷は分かったけど、〝キンミヤ〟って何なの?」
お上品な山の手の飲み助には馴染みが薄いのかもしれないが、
キンミヤとはホッピーとの相性がいい下町酒場御用達ともいうべき焼酎のことで、
このキンミヤ焼酎を知らないと下町酒場では〝もぐり〟と見なされ軽蔑される。

よく酒品がいいとか悪いとかいう。
酒の席では人の悪口や仕事上の鬱憤を話題にすべきではない、などとしたり顔
でいうものもいる。しかしボクは思うのだ。今までどれだけ酒席に連なったか
憶えていないが、場が盛りあがる一番の話柄(わへい)といえば無能な上司と
出来損ないの後輩たちの悪口を肴にすることに決まっていた。

悪口にも言い様がある。ユーモアの衣に包んだ悪口はなかなか洒落ていて
それほど捨てたものではない。要はお上品に知的諧謔をまじえてやればいい。

昨日も恒例のキャッチボールをしたあと、公園のベンチで悪友たちと飲んだ。
話題は団地内に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する〝俗物たち〟に対する
お上品な?悪口だった。酒がすこぶる旨かったのは言うまでもない。





←このざっかけないやきとんを頬ばり
ウメ酎をおちょぼ口ですする、という
のが人生最高の快事なのである

 

2014年3月14日金曜日

おじんがしゃべるピジンな英語

英文は読めるし理解もできる。でも話せない――大多数の日本人が抱える悩みである。
ご多分にもれずボクもこの「話せない」一派で、できるのはただ単語を並べるだけだ。
それでも大概通じてしまうものだから、あまり深刻に考えずにいた。

概して日本人は外国語が苦手といわれている。
でも次の文章を読んで理解不能、という人はあるまい。

《京都先斗町の置屋の一室。天鵞絨(ビロード)友禅の壁掛けの前で、
しどけない襦袢姿で到来物のカステーラを食べている芸妓がいる。
かと思うとパンを千切って口に運ぶもの、金平糖を舐めるもの、
カルタ遊びに興ずるものと様々だ。器量もピンキリで、くわえ煙草の旦那が
「おめでとさん」と声をかけても、仕込みがわるいのか、
みなウンともスンとも言わなかった……》

上記の文は、ボクがいま即席でこさえたものだが、この中に外来語がいっぱいある。
その外来語は英語ではなくポルトガル語だ。「パン」とか「カステーラ」ならすぐわかる
だろうが、さて他にいくつあるだろう(答えは文末)。

若い頃から英語の教材はいっぱい買い込んである。一番高かったのはTBSブリタニカの
英語教材セットで、テキストやカセットテープ、ブリタニカ百科事典(英文)など一式で
40万円もした(月賦で買った)。十分活用したのかというと、さにあらず。
カセットテープなどはまだカバーをしたままのものが100本近く眠っている。
百科事典数十冊はほとんど開かれることなく、生ゴミに出されてしまった。

その他、『すぐに英語がしゃべれます』といった類の本や教材は数知れず。
英語がしゃべれるようにと投資した額はいったいどれほどになるのだろう。
それでも満足な英語はしゃべれず、いわゆるピジン英語pidgin Englishくらい
しか発せられないのだから情けない。

ピジン英語というのは、たとえば、
「ユー カム ヒアー ツモロー オーケーね?」
みたいな〝英語もどき〟のことである。これでも意味は十分通じるのだから、
恥じ入ることはないのだけれど、完璧な英語をしゃべらなくてはいけない、
という強迫観念に囚われている多くの日本人は、なかなか口を開こうとはしない。
プライドの高い高学歴のインテリとなるとなおさらだ。

しかし英語圏でない国の人たちは平気な顔して英語もどきをしゃべる。
インド人の英語なんか、巻き舌なのかゴロンゴロンと聞こえるばかりで、
何を言っているのだかサッパリで、タイ人なんかもデータdataを「ダータ」
などと発音して澄ましている。だから一生の恥などと思わず、
図々しくペラペラとまくしたてればいいのである。

TOEIC満点の次女は、まあ英語をしゃべれるのは当たり前として、
TOEIC850点の長女は、イタリア語ほどではないけれど、
いざとなればこれまたペラペラとしゃべり出す。外人慣れしてるのだ。
語彙力だけに限ればボクのほうが遙かに上だけど、
ヒアリング力、スピーキング力となるとまるっきり敵わない。

来週、長女の留学時の同級生2人(恋人同士)がイタリアから再来日する。
日光や飛騨高山などに行く予定だそうで、この間、長女が安価なホテル探しなどで
なにくれと面倒をみている。このイタリアンはどちらかというと英語が不得手なのだが、
それでも臆せずにしゃべる。今回もわが家の近くの公園でいっしょにお花見でもしようと、
計画しているのだが、きっとピジン英語をまくしたててくるだろう。
そもそも〝臆する〟とか〝恥ずかしい〟といった感覚がないのだ。

ボクは毎日ちょっとずつでも英語にふれるようにしている。
7年後の東京オリンピックには世界中から外国人がやってくる。その時までには
ペラッペラになる予定なのだ(あくまで予定です)。しかし、今までのやり方ではまったく
進歩が期待できないので、これからは実践重視に切り替える。

幸い団地の中にテキサス生まれの気のいいおばちゃんがいて、
ボクとは比較的仲がいい(いつも長々と立ち話をする。ボクもすっかり〝おばさん化〟してるのだ)。
だいぶ南部訛りのきつい英語をしゃべるけど、この際贅沢なんか言ってられない。
「Hi!  Margot !  What's up?」
次に会ったら日本語ではなく、こんな調子でやってみよう。

そうはいっても彼女は未亡人になったばかり。
また人妻を口説いてやがる、なんて近所の人に思われたら心外だしなァ(笑)。
嗚呼、英語は分かるけど、しゃべれない――この日本人に共通する悲しい現実は
すこぶる身体によくない。




←世界にはピジン英語でOKなところが
いっぱいある








※追記
次女から「dataをダータと読むのはタイ人だけじゃない。アメリカ人もダータで、デイタと
読むのはイギリス人」という指摘があった。知ったかぶりはするもんじゃないな(笑)。


※質問の答え
《京都先斗町の置屋の一室。天鵞絨(ビロード)友禅の壁掛けの前で、しどけない襦袢姿で
到来物のカステーラを食べている芸妓がいる。かと思うとパンを千切って口に運ぶもの、
金平糖を舐めるもの、カルタ遊びに興ずるものと様々だ。器量もピンキリで、くわえ煙草
旦那が「おめでとさん」と声をかけても、仕込みがわるいのか、みなウンともスンとも
言わなかった……》
以上の太字はすべてポルトガル語由来の言葉です。

2014年3月10日月曜日

「親米」も「嫌米」もきらいです

3月11日の〝あの日〟が近づいてくると、各メディアは判で押したように震災の特集を
組みます。ボクの中で「3.11」はもちろん重い体験です。形ばかりですが復興ボランティア
にも参加しました。長女などは岩手・大船渡へいったい幾たび支援に行ったことか。
わが娘ながら頭が下がります。

東日本大震災は身をもって体験した恐ろしい出来事でした。メディアが採りあげるのは
当然のことです。しかしボクの中では「3.10」も重い出来事なのです。1945年3月10日、
午前零時8分にその大惨事は起こりました。「東京大空襲」です。
そのことは「あの日から65年」でもふれました。

ボクは「親米派」でもないし「嫌米派」でもありません。アメリカは次女が留学した国であり、
ボクの従兄弟(父方の叔母はアメリカ人と結婚)たちが住んでいる国でもあります。
また仕事で何度かおじゃました国であり、新婚旅行先もアメリカでした。
ハリウッド映画は今でも大好きだし、アメリカ人の友達もいます。

でも、あの「3.10」のことを思うと、アメリカという国が心底憎らしく思えるのです。
というか、戦争の狂気の渦に巻き込まれた人間というものが空恐ろしくなります。
東京大空襲における死者は10万人、負傷者11万人、そのほとんどが非戦闘員で、
無辜の市民でした。猛火にまかれ逃げまどう市民に向けて、低空からは機銃掃射が
浴びせられました。ボクは直接体験したわけではありませんが、関連書籍を読み、
生き残った人から直接話を聞いたりすると、その酸鼻の様が想像され、
言葉を失ってしまうのです。あれは明らかなジェノサイド(虐殺)で、
国際法違反の犯罪です。

さて朝日新聞は〝反日売国メディア〟だと、再三再四訴えておりますが、
一度だけまともな記事を載せたことがあります。某評論家の署名入りで、
アメリカ空軍による東京の市街地空襲を「戦時国際法違反」と論じたのです。
'45年秋、GHQ(進駐軍)はすぐさま朝日新聞に対して発行停止を命じました。
たとえ正論であっても連合国を批判してはならないのです。

これを機に「プレス・コード」という検閲が怖くなり、朝日を初めとするマスコミは連合国
の言うことに右倣えすることになります。いわゆる「War Guilt Information Program」、
直訳すると「戦争罪悪感宣伝計画」の片棒を担ぎ出すのです。
日本が戦争を起こしたことは神をも畏れぬ大罪で、日本はアジア諸国に多大な
迷惑をかけた。戦争は悪だ。二度と起こしてはならないと、日本人の深層心理に
罪悪感を植えつけ、日本人を芯から骨抜きにする(インチキ)プログラムでした。

現在の朝日、毎日新聞、岩波書店や講談社、民主党や日教組などの
〝反日活動〟をみると、GHQの画策したこのWGIP(戦争罪悪感押しつけ計画?)
がいかに成功したかがよくわかります。朝日・毎日などはWGIPの優等生で、
まんまとアメリカの策略に乗せられています。結果的には成功したのでしょうが、
成功しすぎた、とアメリカも半分呆れているにちがいありません。

このWGIPの成功を見て「しめた!」と思ったのか、今度は支那まで米国のマネをし、
「戦中戦前の日本はすべて悪い。安倍政権はその悪い日本を復活させようとしている」
などと盛んに情宣活動をおこなっています。支那はしたたかな国であります。

明日は「3.11」で、東北大震災の被災者を追悼する日ですが、
その前日の「3.10」も同様に、同胞たちの死を悼む日であります。
また昨日「3.9」は亡父の祥月命日でもありました。
3月はなぜか死者との語らいが多く、涙腺がゆるむ月なのです。
謹んで合掌。





←児童文学作家・高木敏子さん原作
『ガラスのうさぎ』を映画化したもの。
高木さんは東京大空襲で両親と妹を
失っている




2014年3月8日土曜日

もの言わぬは腹ふくるるわざ

日本には「以心伝心」とか「口は禍いの門」とか「能ある鷹(豚?)は……」
なんていう諺がいっぱいある。ぺらぺらと鉋っクズが燃え上がるように
中身のない話を垂れ流す男は、「巧言令色鮮(すくな)し仁」とばかりに
一蹴され、出世もできなければトモダチもできない。日本人は今も昔も
「男は黙って……」が好きなのである。

日本人は断定調を好まない。「俺はこう思うんだ」とか「君の意見には反対だな」
などという言い方をすると、たとえ正しくても相手からうとまれてしまう。意見の相違は
人間関係に摩擦を生むから、なるべく言いたいことを言わず、ガマンするのが大人の
分別とされている。ハッキリと断定口調で言わず、控え目に、どうとでもとれるように
ファジーに表現する。すべてが〝生ぬるい〟――これが日本的表現の特徴だ。

欧米は逆である。互いの意見の違いがあるのは当然、と最初から考えているから、
自分の思うこと、信じることを、まずは相手にストレートにぶつける。
相手を傷つけてはいけないと、遠回しに言ったり、不必要にホメ合ったりはしない。
日本人のように過度に「親和」を築こうとはしないのだ。
むろんどちらが正しいというのではない。それぞれの文化の違いがあるだけである。

国際会議の場などでは、日本人は得意技を発揮する。有名な〝3S〟だ。
〝silence(だんまりを決め込む)、smile(意味もなく笑う)、sleep(居眠りしてる)〟
まさかTPP協議の場でも〝3S〟を決め込んでいるとは思えないが、
議論ベタは相変わらずだ。自己主張が苦手なのである。

「沈黙は金 Silence is golden」という格言がある。日本では英国から入ってきた諺
だと思われているようだが、実はスイスの「ある碑文」に刻まれた言葉で、
原文はドイツ語でSprechen ist silbern , Schweigen ist golden つまり「雄弁は銀、沈黙は金」
という言葉である。そもそも英国に「沈黙は金」という諺はなく、あるのは「沈黙は同意」、
すなわちSilence is consent というもので、黙っていたら同意したのと同じですよ、
という意味だ。

トーマス・カーライルに『衣裳哲学』(岩波文庫)という本がある。ボクはあいにく
読んだことがないのだが、明治以降戦前までは、日本でもよく読まれた本だという。
『武士道』の新渡戸稲造などはこの本を30数回読んだという逸話があるくらい
明治人は好んで読んだらしい。実はこの本の中に「沈黙は金」という格言が出てきて、
そこだけ日本人の頭の中にインプットされてしまったらしい。

カーライルは後に別のところで、
とは言うものの、やはり正しく使えば沈黙よりは雄弁のほうがいい」などと言っている
ようなのだが、そのへんのところはふっ飛んでしまって、「沈黙は金なり」だけが日本に
定着してしまった。格言の意味する精神文化が、
「巧言令色鮮し仁」と相通ずるところがあったからだろう。

ボクは「男は黙って」の西郷(隆盛)タイプが好きだが、体質的には正反対の
おしゃべりタイプで、とりあえず「言いたいことはいっておく」「軋轢は、まァしかたがない」
と考える人間である。それが欧米型かどうかは知らない。が、不必要に親和を築く、
などというややこしいことはしない。人にむりやり合わせることが生来苦手なのだ。
だから、小学校の通信簿にはいつだって「協調性なし」と書かれていた。
実はこれがボクの秘かな勲章なのだから、筋金入りのひねくれ者といっていい。

ボクの愛読書『徒然草』には「もの言わぬは腹ふくるるわざなり」とある。
言いたいことをいわずにしまい込んでいると、精神衛生上すこぶる悪し、
という意味だ。これからもファジーを排し「おしゃべり断定口調路線」で行くことにする。


←欧米では、意見を言わないのは、
言う能力がないから、知能が低いから、
と見られる。つまり無能の証しってこと

2014年3月4日火曜日

弱腰平和主義の行く末は

ウクライナが揺れている。
クリミア半島はほぼロシア軍に制圧され、一触即発のムードが高まってきた。
こんなときは必ず「あくまで話し合いの解決をめざすべきだ」という正論が
しゃしゃり出てくるが、「話してわからぬ相手はぶん殴るに限る」というポリシーの
ロシアには馬の耳ならぬ〝熊の耳に念仏〟で、何の効果もない。

EU各国もアメリカも、なかなか有効な手が打てない。G8からロシアを締め出せ、
経済制裁を課せ、などと威勢のいい掛け声がないわけではないが、エネルギー分野で
ロシア依存の高いドイツなどは、事を荒立てたくないからか、半分腰が引けている。

ボクはかつて、「平和主義者が戦争を起こす」という一文をブログに書いた。
先の大戦はなぜ起こったのか。ヒトラーのドイツ軍がラインラントに進駐したとき、
イギリスとフランスは見て見ぬふりをした。第一次世界大戦の犠牲があまりに
大きすぎたことから、〝平和至上主義〟が両国の圧倒的な世論を形成していて、
軍事行動がとれなかったのだ。

ヒトラーにとっては大きな賭けだった。後に分かったことだが、さすがのヒトラーも
「あの時だけは2、3日眠れなかった」と側近にもらしていたそうだ。それともう一つ。
ヒトラーはドイツ軍に「もしフランス軍がやってきたら撤退せよ」と命令を出していた。
実際のところは仏英の顔色を見ながら、おっかなびっくり軍隊を出していた、
というのだから驚きだ。歴史に「if」は禁物だが、「もし英仏が軍事介入していたら……」
と思うと、歴史というものの皮肉と残酷さを感じないわけにはいかない。

話変わってイギリスとアルゼンチンが戦ったフォークランド戦争。
あの戦争はどうして起こったのか。理由は意外と簡単だった。
イギリスが国防費削減を掲げて航空母艦を退役させ、軍事力の弱体化を
世界中に見せつけてしまったからだ。このことがアルゼンチン政権に対し、
「フォークランド諸島を武器で守る意志はない」という間違ったサインを与えてしまった。

鳩山と菅の民主党政権は、「東シナ海を友好の海にしよう」などとノーテンキな書生論を
ぶち上げたため、中韓露に侮られ、尖閣や竹島、北方四島で露骨な示威行動や威嚇
を受けてしまった。民主党の〝お坊ちゃま〟たちは、「弱腰平和主義が戦争を起こす
という先の大戦の教訓から、何ひとつ学んでいないのだ。中韓露のような、民主主義の
根づいていない全体主義国家(韓国も体質は同じ)に対しては、平和主義は危険な誘惑
となる、と肝に銘じておくべきなのである。

フランスを見てくれ。大戦後は断固核武装すると言って、いまだに核廃棄はしていない。
武器はどんどん輸出するし、独自の核実験もしている。これらはみな第2次世界大戦の
苦い教訓のためだ。国連の軍縮会議で、フランスの代表はこう発言している。
「核武装は断固として解かない。よく守ることこそ平和の礎だからだ

日本にも平和主義者がいっぱいいる。佃煮にするくらいウジャウジャいる。
ほとんどが朝日・毎日新聞の愛読者で、いっぱしインテリを気取っているのが特徴だ。
彼らはマッカーサーがたった1週間でこさえた日本国憲法フィリピン憲法のコピーです
不磨の大典と崇め奉り、われら改憲派を〝軍国主義者〟と呼んで非難している。
かつてのイギリスやフランスの世論を支えた平和至上主義とまったく同じ世論を、
性懲りもなく日本で形成しようと目論んでいる。実に危険きわまりない。

朝日愛読者や民主党支持者など、いわゆるリベラリストたちに必要なのは現実主義的な
考え方だ。空想や夢想に陥らず現実のきびしさを十分わきまえて事に処する態度。
有能な政治家はみなリアリストで、「鳩」や「菅」のような子供じみた夢想主義を掲げる
ものなどいない。現実主義と理想主義は必ずしも矛盾しないが、朝日や民主党には
決定的にリアリズム精神が欠けている。

ウクライナのクリミア自治共和国に侵攻したロシア軍は、
「侵略ではない、自国民を保護するための正当な行為だ」と強弁しているが、
国際法違反であることは明白である。その理屈が通るなら、どんな国にでも
「自国民保護」の名目で軍隊を送れることになってしまう。

米露の冷戦が再燃したとメディアは騒いでいる。
が、正確には「米国を中心とした西側の民主主義国」と、
「中露など全体主義国」との〝新しい冷戦〟が始まったと見るべきだろう。

ウクライナ情勢の緊迫化で、ロシアのルーブルが対ドルで過去最安値を更新中だという。
またエネルギーのロシア依存を減らす動きも出てきている。
ロシアの支払う代償はあまりに大きい。



←治安部隊の楯にバラの花を挿す
デモ隊の女性(ウクライナ)。
東大紛争時に「暴力はやめておうちに帰ろう」
と訴え、学生たちにキャラメルを配った
〝キャラメル・ママ〟にどこか似ている。
ただしこっちのほうが断然絵になる。
いつの世でも美人は得だな



 

2014年3月1日土曜日

「サウイフモノ」に私はなれない

昨日は昼酒を飲んだ。
毎度のことだろう、と思われると心外である。
たしかに毎日酒は飲んでいるが、お天道様が上がっているうちは飲まない。

しかし、昨日はのっぴきならない事情があって昼酒を飲んだ。
相方が老母(96)の介護があって、夜は飲めないのだ。
昨日はたまたまデイサービスの日で、昼間に空き時間ができ、
久しぶりに会おう、ということになった。

場所は都営新宿線「西大島」駅から歩いて7~8分のところにある「番外地
という名の立ち飲み酒場。つまみのほとんどは100~200円で、昼12時に
一番乗りしたのだが、あっという間におじさんたちでいっぱいになってしまった。

とりあえずビールから始まって、あとはハイボールをグイグイ。
「角」がベースだとダブルで400円するので、200円のブラックニッカにする。
つまみは豚骨、チャーシュー、ウドぬた、菜の花のおひたし、牛タンマリネ、
などを注文、そのどれもがおいしく、いっぺんでファンになってしまった。

相方はかつて高円寺で「十一房珈琲店」、荻窪で「移山房」を経営していた愚公こと
Yさん(バツイチ、独身。拙著『コーヒーに憑かれた男たち』にも登場している)。
昔は〝御三家〟のひとつ、銀座「カフェ・ド・ランブル」で9年近く焙煎を担当し、
そのまた昔はあの手塚治虫の「虫プロ」で漫画制作に携わっていたという
変わり種だ。コーヒー業界では知る人ぞ知る男なのである。

そのYさんが飲むほどに酔うほどに饒舌となり、自作の人生標語を教えてくれた。
老母の介護をしたり、日々明るく暮らす上での心得なのだという。
《いつもニコニコ笑顔を忘れず、
背筋を伸ばし、
おのれの自慢をせず、
また他人を悪くいわない。
そして、身のまわりは常に整理整頓》

いくぶん認知症の進んだ老母に対しては、
《シモの世話もいとわず、笑顔で接し、必ずそっとタッチする
この「そっとタッチする」というところが肝心なのだという。
家は古い団地のエレベーターのない階にあり、下から母を負ぶって運ぶという。

Yさんと話をしていて、ボクはふと宮澤賢治のことを思い出していた。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ  慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ  イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト  味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ  ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ  ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰の  小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ  行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ  行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ  行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ  ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリ(原文ママ)ノトキハナミダヲナガシ  サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ  ホメラレモセズ
クニモサレズ  サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

ボクなんか超のつく木偶(でく)だから、「サウイフモノ」になれそうな気が
しないでもないが、めっちゃ欲はあるし、味噌と少しの野菜だけじゃあ腹の虫が
治まらないので、たぶんムリだとは思う。

「老・老介護」は悲惨だという。たしかに悲惨な面はあるだろう。
そんなことは百も承知だろうが、おくびにも出さず、Yさんは老いゆく日々を
明るく過ごしている。いや、そうするように努めている。

「親に手をあげたりしたら、それこそ一生後悔する……後悔だけはしたくない」
Yさんはそう言って苦く笑う。
だんだんキリスト様みたいになってきたね
とボクがからかうと、顔をくしゃくしゃにして笑った。

Yさん、またいっしょに飲もうね。




←西大島駅から15分ほど歩くと
下町情緒たっぷりの砂町銀座商店街。
いいですねえ、この雰囲気。
Yさんは〝下町〟という言葉がきらいで、
〝東東京〟と言え、というのだが……(笑)