2016年5月11日水曜日

英語好きのガイジン嫌い

相棒のNICKは英語ができる。
その奥方のK子さまはもっとできる。
TOEICはもちろん満点の990点で、たしか英検1級も持っていた。
おまけにご両人とも日本語が達者。大学で言語学を齧っただけあって、
コトバにはやたらとうるさいのである。
「どうやったら英語がしゃべれるようになるの?」
とズバリNICKに訊いたところ、
「ひたすらシャドーイングshadowingをすることだね」だって。

BBCだとかCNNのニュースをアナウンサーの声を追いかけるようにして復唱する。
実際、NICKがやって見せてくれたが、たしかに同じようにしゃべっている。
次に何を言うか、予測できるからこその芸当だろう。素人がすぐできるといった
代物ではなさそうだ。

それでも英語には日々接している。中学生の頃からなぜか英語が好きなのだ。
寝る前には必ず英文を音読しているし、わからない単語や熟語が出てきたら、
すぐ電子辞書を引く。電子辞書は便利だ。指にツバをつけながら紙の辞書を
めくっていたら日が暮れちゃうが、電子辞書ならものの数秒で答えが出る。
わからない単語が出てきたら、日本語でも外国語でもすぐ辞書を引く、
というのがボクと女房の長年の習性。二人とも文筆業のはしくれなので、
語彙の多寡はそのまま商売にひびく。で、自然と辞書に慣れ親しんできたのである。

留学生を預かっているときは、
「わが家ではJapanese onlyだからな」
と、半ば英語を封印させているが、いきなり日本語がしゃべれるわけはないので、
そこはそこ、英語と日本語のチャンポンというかっこうになる。留学生のほとんどは
英語を母国語にしていない。それでも流暢にしゃべるのは、一所懸命学習したから
だろう。どこの国の高校生も、ほとんど例外なく、みごとな英語をあやつる。

日本人は小学校から大学まで10年以上も英語を学んでいるが、
それだけで流暢にしゃべれるようになる者はほとんどいない。
その原因はいろいろあるだろうが、身近に外国人がいないというのが大きい。
それと、英語を使わなくてもたいがいの用が足りてしまうというのもある。
それは日本人にとって大変幸せなことなのだが、そのことはまず措く。

自分の英語力がどの程度のものか、それを測る手っとり早い方法は
外国人と暮らしてみることだ。短期でいいから、留学生を家に預かるのである。
娘二人が高校生の時にイタリアとアメリカに留学した、という話は何度もしているが、
朝から晩まで外国語漬けにしてしまえば、よほどのバカでない限りしゃべれるように
なる。現にわが家の〝豚児〟たちでさえ英語やイタリア語を流暢にしゃべる。

娘たちの留学のおかげで、留学時の同級生たちがしばしば遊びに来る。
今年も去年に続いて長女の同級生・エンリカとヴィクトルがイタリアからやってくる。
また次女は次女で、連休中にアメリカ留学時の同級生とタイはバンコクで再会した。
外国語ができると、地球がずいぶん狭くなる。

留学生と日々接していると、だんだん〝ガイジン〟という感覚がなくなってくる。
見た目は紅毛碧眼で、同じ人類ではないような気がしたものだが、慣れてくると
金髪美人だってクソもするしオナラもする、ということがわかる(←当たり前だ!)。
こうなるとしめたもので、俗に云う〝ガイジン恐怖症〟なるものがみごとに消える。

英語だって相手に通じさえすればいいのだから、文法的にはハチャメチャでも、
そんなことは気にすまい、とるに足らないつまらないことだ、とやたら図々しく
なる。図々しくなれば、ブロークンな英語をどんどんしゃべるようになる。
それが通じると、ますます図に乗ってしゃべる。結果、英語がどんどんうまくなる。

ボクはまだそのレベルまでいっていないが、図々しくなったことだけはたしかで、
支那人と韓国人以外の)〝ガイジン〟がそばにいると、よく声をかける。
まずは日本語で話しかけ、日本語が苦手そうだったら、「しかたがねえなあ……」
とばかりに英語に切り替える。ここは日本なのだから、ムリして英語で話しかける
必要はないし、英語で尋ねられうまく答えられなくても恥じ入ることなどない。

ボクがなぜ英語をしゃべりたいかというと、
英語で議論をしたいからだ。英語はいまや実質的な世界共通語。
「英語=エスペラント語」であれば、どうあっても身につけたい。
身につけてどうする? アメリカ人や支那人、コリアンたちを相手に、
歴史問題でも何でもいい、正々堂々とdebateで渡り合いたいからである。
日本語なら完膚無きまでへこませてやれるのに、英語ではそれができない。
そのことが何よりもどかしく、ボクの気持ちを限りなく落ち込ませる。

「……戦争を一刻も早く終わらせるため。広島・長崎への原爆投下はアメリカの
若者の命を救うためだけではなく日本人の命を救うためでもあったのよ」
などとアメリカ人は口を揃える。無辜の民を数十万人も虐殺したというのに、
恩着せがましくも、そう強弁するのだ。

オバマ大統領が伊勢志摩サミットの後に広島を訪れるという。
何をいまさら、とは言うまい。
謝罪の言葉も期待すまい。
外交とは非情なもので、歴史はなべて残酷だ。

アメリカは米西戦争に勝ち、スペインからフィリピンを奪い植民地にした際、
抵抗したフィリピン人20万人(ほとんど軍人の家族です)を皆殺しにした。
そのことへの謝罪の言葉はまだない。

オランダは400年もの間、苛斂誅求でインドネシアを絞り上げ、
そのおかげで豊かさを享受したのに、独立戦争に負け、
インドネシアから撤退するときには、
「おれたちが町をつくり、運河をつくってやったんだ」
などと恩に着せ、あろうことか賠償金60億㌦を請求している。
白人どもの面の皮はこれほどまでに厚い。

ボクの白人嫌いは、概ね歴史から発しているもので、
けっこう根が深い。
ガイジンはきらいだけど、とりあえず優しく接してやる(支那人と韓国人以外は
――それがボクの変わらぬポリシーだ。


←こんな愛すべきバカ外人もいる。
というか、こんなのばかり。以前、
「何でもいいから漢字を書いてほしい」
と見知らぬガイジンにたのまれたので、
親切なボクは「便所」と書いてやった。
意味はmeditation(瞑想)だよ、
と言い添えたら、彼はとても喜んでいた。
おれもつくづく人が悪いな(笑)。













2016年5月4日水曜日

結婚記念日は憲法記念日

昨日は憲法記念日だった。
それと同時に、めでたくも甥っ子の結婚式が虎ノ門の霞山会館で執りおこなわれた。
親族紹介があるから10:30までに式場に来てくれ、というので
朝から夫婦で大忙しだった。

まず和光市駅から副都心線で新宿3丁目まで行き、そこで丸ノ内線に乗り換え赤坂見附へ。
さらに銀座線に乗り換え虎ノ門駅まで行き、徒歩1分でめざす会場に。
その間、およそ40分強。車内では「日本国憲法」をざっと読み返しておいた。
電車内で無粋な「憲法」を精読玩味している人間などそうはおるまい。

巷間、相変わらず護憲派と改憲派の議論がかまびすしい。
が、ギャーギャー騒いでいる連中に限って、肝心の憲法全文を読んでいない。
あんなもの20分もあれば1条から103条まで読み切れるのだから、
通勤・通学電車の中でさっさと読んでしまえばいいものを、それもしない。
するのは、バカのひとつ覚えのように「平和憲法を守れ!」「戦争法制反対!」
などと叫ぶだけだ。

憲法改正は9条のためだけにあるのではない。
戦後70年、世界の情勢は時々刻々と変わってきている。
その変化に現行憲法は追いつかず、いろんな齟齬をきたし、
きしみを生じさせている。苦しまぎれの拡大解釈や解釈改憲では
とうてい追っつかなくなってきているのである。

2013年のデータだが、諸外国では憲法改正が頻繁に起こっている。
なぜか? 世界標準に自国憲法を合わせるためだ。
ドイツ59回、フランス27回、イタリア16回、アメリカ6回、日本0回……
日本ではなぜか憲法9条だけが神格化され、憲法そのものが
神聖にして犯すべからざる「不磨の大典」と化している。

福田恆存は『日本への遺言』のなかでこう言っている。
《現行憲法に権威がない原因のひとつは、その〝悪文〟にあります。
悪文というよりは死文というべく、そこには起草者の、いや翻訳者の
心も表情も感じられない…(略)…こんなものを信じたり、
ありがたがったりする人は、左右を問わず信じられない

さらに、
《これは明らかに押しつけられてしかたなく作った憲法です。
いかにもふがいないとは思いますが、当時の実情を考えれば
情状酌量できないことではない…(略)…今のままでは自国の憲法に対して、
人前には連れて出られないメカケのような処遇しかできません。もっとも、
それを平和憲法として誇っている人もたくさんおりますけれど、
それはその人たちがメカケ根性を持ち、事実、メカケの生活をしている
からに他なりません》
そういえば、社民党の前身である旧社会党や共産党はソ連などからの
支援をしっかり受けていたものね。

そんなこんなをつらつら想いながら電車に揺られていたら、
あっという間に式場に着いた。霞ヶ関コモンゲート西館の37階。
窓からは皇居や国会議事堂が一望できた。まさに絶景である。
ボクはさっそく姉夫婦にお祝いを述べ、兄弟たちとも久闊を叙した。

甥の結婚式は気持ちのいい式だった。
中国料理の料理人である甥っ子は相撲取りみたいな巨体で一見恐そうだが、
根は心やさしき好漢である。新婦も気立てのよさそうなお嬢さんだった。
この二人ならよき家庭を築いてくれるだろう。

結婚記念日は憲法記念日
のんびり屋の甥っ子でも、生涯忘れることはないだろう。

※追記
日本国憲法はアメリカがフィリピンを植民地にしていたときの憲法を
そのままコピーしたもので、第一条の「天皇」の項を除けばほとんど
そっくりと云われています。それがいわゆるマッカーサー草案
(日本国憲法草案)なのです。フィリピン国民と日本国民が未来永劫、
アメリカには決して刃向かわない、骨なし民族でい続ける、
ということを約束させられた憲法なのです。メカケ根性のある人間にとっては
こんなありがたい憲法はありません。




←霞山会館の窓から眺めた風景。
右に皇居を遠望し、左に国会議事堂が
見える。東京の真ん中に緑あふれる
皇居があることで、どんなに救われているか。

2016年4月28日木曜日

『カエルの楽園』余滴

久しぶりに歯ごたえのありそうな仕事が舞いこんできた。
毎日、キリギリスのように歌ったり踊ったりして遊んでばかりいるので、
「奥方を働かせ、酒ばかり喰らっておる。おい、少しは女房孝行したらどうだ?」
おそらく天の声だろう。某出版社から秋口までに2冊の本を書いてくれとたのまれた。
5ヵ月で2冊? ウーン、老骨の身にはちょっと厳しいかも。
放蕩三昧のキリギリスが急にアリになれと云われてもねェ……。

で、いまはしぶしぶ資料読みに精出している。
概して資料や参考文献というのは、どれもたいがい面白くない。
歴史学者の磯田道史は「資料読みほど心躍るものはない」
などと云っているが、ボクはそれほど面白いとは思えない。

資料に目を通していると、書くテーマが徐々に絞り込まれてくる。
最初は頭の中がグチャグチャで、何がなんだか収拾がつかないような状態だが、
時が経つとだんだん発酵してきて、いい香りを放ってくる。
その発酵期間がたっぷりあれば、比較的よい原稿が書ける。

朝早くから資料読みばかりしていると、さすがに飽きる。
そんな時は何をするかというと、近くを散歩したり、軽い筋トレをしたりして
気分を変える。学生の頃はよく小説を読んでいた。試験が近くなると、
肝心の試験勉強をせず、まるで関係のない小説の世界に逃避していたのである。

そのクセが抜けきらないのか、いまでも貴重な時間をつぶして小説に没頭したり
してしまう。ボクは筋肉が「速筋(白い筋肉)」で、瞬発力には優れているが
持続力がない。逆に女房は「遅筋(赤い筋肉)」で、マラソンなどが得意だった。
この筋肉の違いは脳の働きにも係わっているのか、女房はコツコツと仕事を
積みあげていくタイプだが、ボクはまったく逆で、ほとんど一夜漬けみたいにして
仕事と向き合う。崖っぷちに追い込まれないと、容易に腰を上げないのだ。

というわけで、資料読みの合間に小説を読んでいる。
百田尚樹の『カエルの楽園』(新潮社)がそれで、2時間ほどで読み終わってしまった。
これは私の最高傑作だ」と百田は臆面もなく自画自賛しているようだが、
例によって朝日など左翼反日新聞などからは完全に黙殺され、
アマゾンで売れゆきナンバーワンの本なのに書評欄に取りあげられることはない。
その理由は読めばよく分かる。

帯にはこうある。
《安住の地を求めて旅に出たアマガエルのソクラテスとロベルトは、
平和で豊かな国「ナパージュ」にたどり着く。そこでは心優しいツチガエルたちが、
奇妙な戒律を守り穏やかに暮らしていた。ある事件が起きるまでは――》

背表紙には《全国民必読。圧巻の最新長編》とある。
大きく出たものだが、〝最高傑作〟かどうかはともかく、まあまあ面白く読めた。
これはあくまで寓話だが、読んでいて、著者が何を言いたいのかすぐわかった。
結論のつけかたまで予測できた。なぜか? 百田とボクの頭の中身はそれほど
異ならず、国の行く末に関しても、同じような考え方を持っているからだ。

この寓話の中にはハンドレッドというひねくれ者が出てくる。
名前からして、もろ筆者の分身である(笑)。
「デイブレイク」とは何か? 「スチームボート」とは何のことか? 
「ハンニバル」は何の表意であるか? 「三戒」とは? 念の入ったことに、
尻の青い「フラワーズ」まで登場してくる。

よほど世情に疎いバカでないかぎり、これらが何を意味しているかはすぐ分かる。
江戸末期にこんな狂歌が流行った。

   泰平の眠りをさます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず 

デイブレイクにしてもスチームボート(蒸気船→黒船→美国)にしても、
あまりに直截な表現なので、つい笑ってしまった。

「三戒」を守っていれば、平和な楽園が保てるとするツチガエルたち。
凶暴なウシガエルたちに〝友情草むら〟を提案し、ノーテンキな共存を
夢見るおバカさんも出てくる。
「東シナ海を友愛の海にしよう」
と提案した宇宙人みたいな元総理がいたが、
せっかくカエルに生まれ変われたのに、相変わらずバカをやっている。

「こんど(ハンドレッド氏と)一緒に一杯やりませんか?」
某雑誌の編集長から誘われたことがある。
面白そうだが、カエルと盃を交わし合うのは、
ずっとずっと先のお楽しみにしておこう。


※追記
28日、元デイブレイク、じゃなかった朝日新聞の論説主幹・若宮啓文氏が
訪問先の支那は北京市内のホテルで死亡していることが分かった。
死因は分かっていない。享年68。



←朝日、毎日などの左翼反日メディアは、
たぶん徹底無視するだろうな。でも、ここに書かれた
警世の中身を真剣に考えなければ、ニッポンの
day-breakはありませんぞ。



2016年4月25日月曜日

我こよなくロクデナシを愛す

ボクは徹頭徹尾リアリストだが、実は理想主義者でもある。
また「性善説」にも一理あると思っているし、「性悪説」にも共感する。
人間観や人生観なんて人それぞれで、ボクのそれを煎じ詰めると、
《人間なんてみな欲深で助平で自慢話の好きなロクデナシばかり。
でもそのロクデナシが時々よい行いをする。小さな花に涙したりする。
ゆえにロクデナシを愛す。人間って面白い!》ということになる。

人間ほどおもろいものはない――これがボクの追い求める変わらぬテーマだ。
だから拙著のどれにもこのテーマが通奏低音のように流れている。

おいしい儲け話をもちかけると、小金を貯め込んだ老人たちは「どれどれ」
とばかりに身を乗り出す。明らかにマルチ商法っぽい手口なのだけれど、
欲深な目は曇っていて、その正体が見抜けない。詐欺と判ったときは
すでに遅く、苦しまぎれに「被害者の会」などを結成したりするが、
世間の目は冷たい。
「欲の皮が突っ張っていただけの話。自業自得ってやつよ」

男も女も助平だというのは当たり前で、助平でなければ人類はとっくの昔に
滅びている。歳を取っても助平は変わらず、そのことは市民プールなんかに
行くとよく分かる。高齢者向けの水泳教室は元気なジジババであふれかえり、
インストラクターが若いきれいなネエちゃんだったりすると、ジジたちの目が
ギラギラと燃えさかる。ボクはその光景を見るにつけ、
「ありゃあ、水泳教室じゃなくて〝回春教室〟だな」
と秘かにつぶやくのだが、
(あと10年もしたら、おれも仲間に入れてもらおう)
などと虫のいいことを考えている。助平では人後に落ちない。

ボクの苦手なのは自慢話の好きな人。
この手の人は隠居の身であるのに、どこそこの一流大学出で、
上場一部の会社に入り、億の単位の商談をまとめたこともあるのだよ、
などと、問わず語りにしゃべり出す。自分はそのへんに転がっている
ただの年寄りとは違うんだ、年金だってたっぷりもらっているし、
月に何回かはゴルフにも行ってる。それに、孫が東大に受かったんだよ。
どうだ、畏れ入ったか?

ボクの敬愛する斎藤緑雨はこんな警句を吐いている。
老者の道徳は、壮者の香水に異ならず
わかる、わかる……問題は香水ほどの実効があるかどうかだな。

小林秀雄『年齢』という小文の中で、こんなふうに述べている。
私は、若い頃から経験を鼻にかけた大人の生態というものに鼻持ちがならず、
老人の頑固や偏屈に、経験病の末期症状を見、これに比べれば、
青年の向こう見ずの方が、むしろ狂気から遠い》と。
小林には賛成するけど、実のところ、
無知な青年の驕慢も鼻持ちならないんだよね(笑)。

《年寄りのバカほどバカなものはない》と師匠の夏彦は言った。
人生教師になるなかれ――人は歳をとると教えたがる傾向があるが、
歳なんて勝手に押し寄せてくるもので、教える資格が自動的に生ずるわけではない。
孟子も言っている。
人の患いは好んで人の師となるにあり
2000年も前の言葉が今も相変わらずなのだから、
人間は千年も万年もずっとこのままだろう、という諦めに近い思いはある。

ボクは頑固で偏屈なロクデナシだが、人生教師になろうとは思わない。
たまに説教くさい話もするが、努めてくさみを消すように気をつけているし、
いつだって含羞のオブラートに包むようにしている(つもり)。

偉そうに話をする人には、心の中で、
「それがどうした!」
と応じている。英語でいうなら〝What about it ?
緑雨に云わせると、この一句で
たいがいの議論は果てるという。ぐうの音も出ぬと云う。




←「ボクは東大の法科を出てるんだ」
「What about it ? それがどうしたんだよ!









2016年4月21日木曜日

何があっても大丈夫?

■4月某日 晴れ
都内某所の暗くて狭い部屋で櫻井よしこさんと会った。
某出版社の社長が引き合わせてくれたのだ。
目の前に現れた櫻井さんはゴージャスな着物姿だった。
夕方から英国大使館で、エリザベス女王在位60周年を祝うパーティに
出席するのだという。
「ドレスコードがあって、イヴニングドレス着用のこととあったんですが、
わたくし、イヴニングを持っていないの(笑)。で、着物にしました」

初めてお会いするのだが、実に美しい人だ。
言葉づかいはもちろんのこと、物腰が柔らかく、笑顔が自然で、
少しもイヤミがない。腰も低く、誰に対しても対等の目線を持っている。

「10年ほど前でしょうか、月刊『文藝春秋』の連載で、長岡でロケをいたしました。
その時、ご一緒し、小嶋屋でへぎそばを食べたのが私の女房です。憶えて
いらっしゃいますか?」
ボクが図々しくもそんな挨拶をすると、
「ああ、あの時の……よく憶えております。大変お世話になってしまって……
どうか奥様によろしくお伝えください」
ボクのカミさんはフリーの料理記者。『文春』の仕事で数年間にわたり、
有名作家たちといっしょに全国各地を旅して回った。

ボクは〝大好物〟の櫻井さんに会えるというので、朝からそわそわ。
このシャツがいいか、それともこっちのシャツか……などと鏡の前で
取っかえ引っかえ。結局、麻製の黒いシャツを選んだのだが、
まるでヤクザみたい……相変わらず趣味わるいわね」と女房。
近所のこどもに「おじさん、人さらいに見えるよ」と言われたくらいだから、
人相の悪いのは自覚しているが、ヤクザはないでしょ、ヤクザは。

それと櫻井さんに会うという僥倖に舞い上がっていたのか、
会う直前のわが家での昼食に、生ニンニクを大量に食べてしまった。
昨夜の残りものの「アジのたたき」を女房といっしょに食べたのだが、
よせばいいのに生ニンニクの薄切りをどっさり加えてしまったのだ。

「ウッ、臭ッ!」
女房はボクの吐く息を嗅いだとき、思わずのけぞった。
「バカだね、あんたは。これから櫻井さんに会うんでしょ。
そんな臭い息してたら、いっぺんに嫌われちゃうわよ」
たしかに言われるとおりで、ものすごいニンニク臭がボクの周りに
漂っている。

ボクは急いで洗面所に飛んでいき、ゴシゴシ歯を磨いた。
リステリンでうがいをし、口腔内を激しくクチュクチュやった。
キシリトールのガムも必死で噛んだ。
「ハーッ」
女房の前で、吐息の検査。
「ウウ……まだ相当臭うわね。会うときは数メートルは離れたほうがいいね」

で、数時間後。互いに惹かれ合ったのか(んなわけねーか)、
ボクと櫻井さんはいつの間にか顔と顔を30センチ近くまで寄せ合っていた。
まるで若い恋人同士みたいだった。ボクはすっかりニンニクのことを忘れていて、
緊張のあまり頭の中はボーッと真っ白けだった。その間、強烈なニンニク臭が
櫻井さんの鼻腔をはげしく襲っていたにちがいない。

でも心やさしき櫻井さんは、顔色ひとつ変えず、優雅に微笑むばかりだった。
たぶん櫻井さんの豪華な着物にはニンニク臭がたっぷり染み込んでしまったと
思われる(←ファブリーズをシューッとやってください)。英国女王の記念パーティが
ニンニク臭のために台無しにならないことを切に祈るばかりだった(バカ)


※追記
朝霞市の女子中学生誘拐監禁事件(『朝霞の〝桃〟がぶじ帰る』参照)以降、
小中学生の大人たちを見る目が用心深くなってきた。いきなり小学生から
「おじさん、人さらいじゃないよね?」と問い詰められるとドキリとする。
いまどき〝人さらい〟なんて言葉は古語の範疇かと思っていたけど、
妙に懐かしく嬉しくなってしまった。それにしても人格高潔なボクに向かって
「人さらい」はないよね。さらうより、若い娘にさらわれてみたいよ。



←櫻井さんは敗戦の混乱の中、
ベトナムの野戦病院で生まれる。
この本は激動の日本を生き抜いてきた
櫻井さんのご母堂を描いたもの。
いつも前向きに生きようとする母親の生き方は、
娘の櫻井さんに多大な影響を与えた。
殺人的なニンニク臭に見舞われても
だいじょうぶ。
『何があっても大丈夫』なんだものね。
櫻井さん、ほんとうにごめんなさい。

2016年4月12日火曜日

安らかに眠れるわけがないでしょ

ボクは近頃、だんだん師匠に似てきたような気がしている。
師匠とはコラムニストの故・山本夏彦である。
師匠はよく人間を2種類に分けていた。
「賢人か愚人か」「美人か不美人か」「捕まえる人か捕まる人か」
それが人間理解の近道なのだそうで、ボクも師の教えにしたがって、
人間を2種類に分けている。

ふた派に分けて人間界を眺めると、複雑そうに思えるこの世界が
実にシンプルなものとしてボクの眼に映じるようになった。
たとえば「護憲派か改憲派か」「自民党支持か民進党支持か」
「朝日新聞派か産経新聞派か」と色分けするだけでもずいぶんスッキリしてくる。

ボクは朝日や毎日、東京新聞を蛇蝎だかつのごとくきらっている。
これらは左翼反日新聞で、日本や日本人を貶めることに心血を注いでいる。
日本の新聞のはずなのに、なぜか支那や韓国の顔色ばかりうかがい、
あろうことか秋波さえ送っているのである。

となれば朝日の愛読者で、護憲派の民進党支持者とは酒を飲んでも
うまくはないだろうし、へたをするとケンカになるかもしれないので、
できるだけ近づかないほうが賢明だ、という理屈になる。彼らは敬して
遠ざけたほうが、精神衛生上すこぶるよろしいのである。

なぜ朝日や毎日がきらいなのかというと、この反日新聞は日本の悪口だけでなく
ウソばかり書くからである。何年か前に「珊瑚落書き事件」というのがあった。
朝日新聞社のカメラマンが沖縄の西表島において、自作自演で珊瑚を傷つけ、
その写真を元に説教くさい新聞記事をでっちあげた事件である。

《百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、
すさんだ心の日本人》などと、日本人の下劣な品性を鬼の首でも取ったように
罵倒した。しかし実際は朝日新聞記者の捏造記事だとバレてしまい、
精神が貧しく本性下劣なのは朝日新聞社そのものだった、というマヌケな
結末になってしまった。日本人を貶め、くさす目論見はみごと外れた。

また朝日は故・宮沢喜一元首相の言葉に仮託して、
《日本に来た米軍は軍紀の厳しい軍隊だった》
などと書いている。まっ赤なウソである。最初に進駐した神奈川県では、
下半身の暴走した兵隊どもが、手当たり次第に女を犯した。
1ヵ月に2000件以上の婦女暴行事件を起こす軍隊のどこに〝厳しい軍律〟が
あるというのか。ちなみにGHQは、新聞検閲で事件を起こした米兵を「大きい男」
と表記するよう命じている。支那人の犯罪を「外国人風の」とはぐらかす朝日新聞は、
たぶんこの時の検閲がトラウマになっているのだろう。

4月11日、アメリカのケリー国務長官が広島の平和記念公園を訪問、原爆慰霊碑に
献花するだけでなく原爆ドームも視察した。慰霊碑の碑文にはこうある。
安らかに眠ってください、過ちは繰返しませぬから
これじゃまるで日本人が原爆を落としたみたいだ。
東京裁判で日本無罪論を展開したインドのパール判事も、
「この碑文はおかしい」と疑問を投げかけた。原爆を落とした当事国のアメリカが
謝罪のために建てたというのなら分かる。が、悲しいかなこれは日本人の建てた碑
である。であるならば「過ちはきっと償わせますから」と刻むのが本筋だろう。

師匠・夏彦翁は言っている。
《私はアメリカ人の良心も日本人の良心も信じないものだ。アメリカの知識人は
本土決戦で死ぬべき日本人を助けてやったと、あろうことか恩にきせる。あの
無差別爆撃でどの位非戦闘員が死んだか、数えてみたことがあるか。東京裁判は
終戦早々だから、いくらか後ろめたかったのだろう、南京虐殺は初め1万、次第に
5万10万30万にしたかったのはシナ人ばかりではない。アメリカ人もしたかったのだ》

イギリスはアヘン戦争を詫びたことがないし、インドネシアを徹底搾取したオランダ
だって詫びやしない。もちろんアメリカの歴代大統領は原爆投下を決して詫びる
ことはしない。現に、ケリー国務長官は、原爆死没者慰霊碑を前にしても頭を
垂れることをしなかった。もし核廃絶を謳うオバマ大統領が広島の地を踏んでも、
たぶん詫びることはないだろう。ノーベル平和賞が聞いて呆れる。

←中央がケリー国務長官。
米国民の眼があるから、謝罪
と受け取られる〝deep bow〟
は決してやろうとしない。
「おまえたちは女子供など
無辜の民を無惨にも虐殺
したんですぞ。一片の良心が
あるのなら頭くらい下げたら
どうだい。エーッ?」





2016年4月4日月曜日

美少女戦士はフランス人

フランス人のAlexiaがパジャマ持参でやってきた。
高校生の時に日本へ留学し、ささやかながらわが家も
ホストファミリーをつとめさせてもらった。嬉しいことに、帰国してからも
日本びいきは変わらず、ボクや女房のことを「お父さん」「お母さん」と
慕ってくれる。あれからはや5年。彼女はまだ大学生(リヨン大学)ながら
すっかり大人び、いつの間にか妙齢な女性に変身していた。

わが家の娘たちと同様、AlexiaもAFSで日本へ留学した。
日本のアニメを見て育った世代で、いわゆるコスプレイヤーのひとり。
ロレーヌ地方の実家では、ひそかに美少女戦士セーラームーンの衣裳を身にまとい、
《愛と正義のセーラー服美少女戦士、セーラームーン!》
《月に代わって、お仕置きよ!》
などと、決めぜりふを叫んでいるらしい。このセリフ、自分で自分のことを
〝美少女戦士〟というところが笑えるが、大まじめにやっているAlexiaの
姿を想像するとちょっと危ないニオイがする。

その美少女戦士が今、インターンシップで来日し、日本の企業で見習いとして
働いている。インターンシップとは学生が将来のキャリアを実現するため、
一定期間、実際の企業で働くこと。この三菱系の企業では毎年40~50名の
外国人学生をインターンとして採用している。彼女は7月までの半年間、
ここでみっちり絞られることになる。

彼女は大学卒業後の身の振り方をいまだ決めかねている。
母国フランスでは若者の失業率が高く、就職もままならない。
もしヨーロッパで職を求めるなら、「ドイツに行く外ない」と彼女は言う。
それに、
「自爆テロや移民・難民の流入などで、治安は悪くなるばかり。
みんな疑心暗鬼になっている」

地下鉄などに乗っても、隣にアラブ系の人が座ったりすると、
「心臓がバクバクしてきちゃって……なんだか息苦しくなっちゃうの」
と、うかつに外出もできない状態。インターンシップで日本へ行っているほうが、
むしろ両親にとっては安心なのだという。

Alexiaは高校生の時から日本語が達者で、いまやへたな日本人より
よほど流暢に日本語をあやつる。昨日は、散歩をしたり、カフェに入ったり
したが、その間、ずっとしゃべりっぱなし。話題は主に「ISの自爆テロ」や
「アラブとヨーロッパの歴史的関係」「ヨーロッパの行く末」などについてだった。

同い年の日本の女の子とこうした話題で議論ができるかというと、
正直、「ウーン」と考えこんでしまう。もともとフランス人やイタリア人は政治好きで、
おまけに議論好きというのもあるが、彼女の知識はハンパじゃない。
コスプレをやって、美少女戦士を気どりもするが、そこはしっかり勉強もしている。
芸能ネタとファッションや旅行、グルメの話しかできない幼稚な日本のなでしこたちとは、
趣がまるでちがうのだ。

しゃべり疲れたから、2人でお買い物。近くのスーパーで夕飯用の買い出しをした。
「何が食べたい?」と訊けば、彼女は「お刺身」とか「お寿司」と答えるに決まっている。
そのことが分かっているので、お刺身売り場をそそくさと通りすぎようとすると(笑)、
「ホタルイカもおいしいよね」とか「鶏のレバーも好きィ」などと口をはさむので、
しかたなく買い物籠に放り込む。ワインのつまみがほしいのだろう。
それにしても好みがいかにも〝おやじ〟くさい。

高校留学時にはもちろん酒は出せなかったが、今は堂々と飲むことができる。
フランスでは16歳で飲酒ができるらしいが、日本ではもちろんダメ。もし飲酒が
AFS日本支部にバレたりすると、本国へ強制送還されてしまう。Alexiaは自分でも
「いけるクチ」と豪語しているくらいだから相当の酒豪で、その夜も2人でビールを
たっぷり飲んだ後、赤白のワインをそれぞれ空けてしまった。

こっちはすっかり酔っぱらってしまったが、彼女は終始シャキッとしていて、
まだまだいけそうなそぶりだった。泊まりがけで来ているので、
「今夜は腰を落ち着け、とことん飲もう」てな心もちなのだろう。
こっちも飲んべえでは人後に落ちないが、相手を少し甘く見すぎてしまったようだ。
フランス女、恐るべし。

飲んでいる間じゅうも、ずっと難しい議論がつづいた。。
彼女はもともと思想的には「中道」だったのだが、
いまは「中道よりやや右寄り」になって、いままで無視していたマリーヌ・ルペン
率いる極右政党「国民戦線」の〝反EU〟や〝移民反対〟といった政策に対しても、
少しずつ惹かれている自分がいて、驚くという。
人権国家を標榜してきたフランス。右派勢力の台頭がこの国の
何かを変えようとしている。

フランスの抱える闇は深い。
ヨーロッパはいったいどこへ向かっていくのだろう。


←カミさんとAlexia。
個人情報保護というややこしい問題
がありますので、正面からの写真は
載せられません。ニコール・キッドマン
にそっくりの可愛い女性です。

2016年3月29日火曜日

朝霞の〝桃〟がぶじ帰る

朝霞市の女子中学生が2年ぶりに救出された。
この女子生徒の捜索用チラシはうちの団地のそこかしこに貼られていた。
なんてったって朝霞市はボクが住む和光市の隣町。ごくごく近所で起きた
失踪事件だったので、突然いなくなってしまったSちゃんのことはいつも心に
留めていたし、仲間内の話題にのぼることもたびたびだった。

テレビニュースですっかりお馴染みになってしまった朝霞警察署は、歩いて10分ほどの
ところにある。数年前、傷害容疑←結果的には不起訴になりましたのでご安心を)で何時間も
取り調べられた身の上だから、どういうわけか親近感を持ってしまって、テレビカメラの
前に警杖持って突っ立っているおまわりさんに対しても、
「おい、テレビに映ってっからな、がんばれよ!」
などと声をかけたくなってしまう。

それにしても2年間も監禁されていたとは……親御さんも生きた心地がしなかっただろう。
娘を持つ親なら、それがどれほど胸を締めつけられる責め苦であるか、よーく分かる。
気の小さいボクなんかとっくに発狂している。

樺風(かぶ)などとふざけた名の犯人は、カッターナイフで右首筋を切り自殺を
図ったらしいが、生への未練が捨てきれないのか、血まみれになったまま発見され、
警察の御用となった。白樺の風、などという風流な名が泣くほど卑怯未練な男である。

1965年作の映画に『コレクター』というのがある。
ある男がひそかに想いを寄せる女性を誘拐監禁し、
奇妙な共同生活を送るという映画である。
主演の犯人役は『スーパーマンⅡ』で悪役・ゾッド将軍を
演じたイギリスの名優・テレンス・スタンプだ。

この映画が封切られた年の11月、豊島区で同じような事件が起きた。
風采の上がらぬ中年男が17歳の女子高生を誘拐し、自宅アパートに
監禁したのだ。そして特異な同棲生活が始まる……。

この犯人は翌年5月に逮捕されるが、彼の日記にはこんな文句が
連ねてあったという。
I'm lonely man , I have to find for a peach , and it must be white ripe peach.
おれは孤独な男だ。だから〝桃〟を探さなくてはならない。それは白く熟れた桃だ
この男、英語ができたらしい。で、たまたま熟れた桃をみつけ、「靴べら」で脅し、
自宅アパートに連れ込んだ。凶器が靴べらというのが、いかにも衝動的な
犯行を思わせておかしい。

この犯行に影響を与えたのが映画『コレクター』だった。
つまりこの豊島区の誘拐魔は映画の中の犯人フレディのコピーキャットなのだ。

被害者が犯人と長期にわたって生活を共にしていると、犯人に対して
過度の同情や好意を抱くことがあるという。この現象を精神医学用語で
「ストックホルム症候群」と呼ぶという。逆に監禁者が被監禁者に親近感を
抱いてしまう現象を「リマ症候群」と呼ぶ。1996年に起きた在ペルー日本大使
公邸占拠事件が下敷きになっているという。

いずれにしても監禁される側の〝桃ちゃん〟はたまったもんじゃない。
映画『コレクター』の〝桃ちゃん〟は最後には死んでしまうが、
朝霞の〝桃ちゃん〟はぶじ親元に戻ることができた。
2年という失われた歳月はもう帰ってはこないが、
この困難を糧にして未来に向かって歩んでいってほしいものだ。

ご近所だから〝桃ちゃん〟と出会うことがあるかもしれない。もし目が合ったら、
フルネームで呼びかけ、「よくがんばったな!」とエールを送ってあげよう。
たぶん怯えた目で見返してくるだろうけど……(笑)←見た目、恐そうなオッサンだものね

ああ、おじさんもジュクジュクに熟れた〝桃ちゃん〟がほしい(バカ)。

←映画『コレクター』で犯人役を演じた
テレンス・スタンプ。若い頃、ボクはこの
スタンプに憧れ、髪型(のちに長髪の時期があった)
にも憧れ、床屋で「こんな髪型にしてほしい」
とスタンプのブロマイドを見せたら、
床屋のおやじはプッと吹き出した。
元から断たなきゃダメってわけか(笑)。

2016年3月21日月曜日

親不孝者はさっさと消えちまえ!

近頃の子供たちは何か困難なことがあるとすぐ自ら命を絶ってしまう。
成績が悪くても死んじゃうし、いじめられても死ぬ。もちろん失恋すれば首をつるし、
親や教師に叱られただけですぐビルから飛び降りてしまう。
日本の若年層の自殺率はG7の中で断トツのトップで、英独の3倍、
なんとイタリアの4倍だという。死にすぎである。

広島府中町の中3生徒が、志望する私立高校への学校長の推薦状が
もらえず、そのことを悲観して自殺してしまった。中学1年時に万引きした
という誤った記録が抹消されずに残っていたため、担任の女性教諭が
その記録を検証せず鵜呑みにしてしまったためだ。ほんのちょっとした
凡ミスで、かけがえのない命が失われてしまった。

ボンクラの担任教師や学校側がもちろん悪い。
しかしボクは思うのだ。親に先立ち、自ら命を絶った生徒がいちばん悪いと。
ボクは自殺する人間に対しては冷たいのだ。

学校長の推薦状がもらえなかった?
それがどうしたっていうんだよ。
「そんなもん、なんぼのもんじゃい!
と、なぜ雄々しくハネ返すことができないのだ。

推薦状がないと志望校に受からない、というのなら、
それはそれでしかたないじゃないか。そんなことで
人生が決まってしまうわけでもなし、別の高校を受ければ済むことだろ。
そこで一所懸命勉強し、希望の大学に受かり、「ザマミロ」とみんなを
見返してやれば済むことじゃないか。『お楽しみはこれからだ』の心意気で、
深く静かに潜行しコツコツやっていけばいいことで、なにも死ぬことはない。

自慢じゃないがボクなんか、就職に際して教授の推薦状なんか一枚も
もらったことがない。教授のおぼえめでたき、という優秀な学生ではなく、
その対極にあるようなダメ学生だったため、推薦状など皆無だった。
だからって、あたしゃ死のうなんて思いません。ジーパンに革ジャン姿で、
数十社を受けまくりましたよ。もっとも、ことごとく落ち討ち死にしましたがね。
その話はすでに「ブルージーンと革ジャンパー」でご披露いたしました。

出来の悪い学生でも、まじめにコツコツやっていけば、
人並みのサラリーマンくらいにはなれる。もちろん女と結婚だってできるし、
家だって持てる。ボクの場合は志望の高校、志望の大学にまぐれで
受かり、ぶじ卒業できたけど、「だからどうした!」といわれれば、
格別言いたいことはない。今にして思えば、大学なんてどこだって
同じようなものだろうし、そこで有用な何かを学んだということでもない。

何が言いたいのかというと、およそ人生なんて自分の思いどおりには
ならないのがふつうで、思い描いたとおりの人生なんてあるわけがない、
ということだ。もしそんなものがあったら、だいいち気持ちが悪いだろ?

スペンサーだかダーウィンだかが唱えた「適者生存の法則」というのがあるけど、
要はこの広島の中3生徒は環境に不適格な弱い生き物だった。
自然淘汰されるべき弱い生き物だった、と云う外ないですな。
ご両親の無念いかばかりかとは思うけど、この程度の逆風で
命を絶ってしまう人間は、この先、どう転んだって脈はありませんよ。
遅いか早いかの違いでね。たぶん優秀ではあっても生命力が弱かったのでしょう。

ボクは小中学を通してずっといじめられていた(←自慢してる)。
でも、そんなうすらみっともない悩みを親に打ち明けられっこないから、
ひとり悶々と過ごしていたが、ふしぎに死にたいとは思わなかった。
ただ太宰治の『人間失格』や梶井基次郎の『冬の蝿』などの暗い作品には共感し、
むさぼるようにして読んだ記憶がある。たぶん読書でカタルシスを得て、
どうにか心のバランスをとっていたのだろう。

(あの野郎、いつかきっとやっつけてやる……)
そして雌伏すること5年、読書のかたわら筋肉もりもりのマッチョに肉体改造した
ボクはかつてのいじめっ子を呼び出しコテンパンにのしてしまった。

ボクは英語の成績以外はみな平均以下だった。
とりわけ現代国語や古文なんかはサイテーの部類だった。
だが皮肉なことに、いまは曲がりなりにも「文筆業」でメシを食っている。
人生、どこでどう転ぶか、神様だって知りはしないのだよ。
口の減らない女房は、
「あなたは身体じゅうから変な物質をいっぱい出すから(←臭いもんね、おれの足)、
文筆業じゃなくて〝分泌業〟だわね」
などと小バカにする。

死にたいやつは勝手に死ねばいい。
自分のことばかりで、両親の深い悲しみを想像できないような親不孝者は
さっさと死んでしまえばいいのだ。

「命の大切さを教えたい?」
「心のケアが大事だと?」
バカな校長どもはいつだってこんな台詞を吐き、神妙にかしこまる。
フン、笑わせやがる。そんなマニュアルどおりの心に響かぬ常套句で
生徒の自殺が減るもんかよ。教師ってやつはどこまで世間知らずなんだ!
心のひ弱な親不孝者はさっさと死んでしまえ!




←環境に適応していったものだけが
生き残ってきた。だれひとりとして
「推薦状」なんて持っていなかった


2016年3月15日火曜日

千三つ屋を大統領に!

民主党と維新の党がくっついて「民進党」になるという。
当然ながら「なりふりかまわぬ野合」と斬って捨てる声は少なくないが、
せめて党名でも変えて心機一転の〝めくらまし〟をかませなければ、
党の存続すら危ぶまれる、というのだから、新党の脈はすでに上がっている。
「羊頭をかかげて狗肉を売る」といったら台湾本家の民進党(正式名は民主進歩党
には失礼だろうか。〝民進党日本支部〟に雁首ならべた有象無象は、
せいぜい見かけ倒しの狗肉売りに精を出すことだ。

日本では「リベラル」というと、いかにも知的な感じがして聞こえがいい。
辞書で引くと「自由主義を重んじるさま、進歩的な人」などとのんきなことが書いてある。
字面を追うだけなら、ボクなんかまさにリベラリストそのものだが、
日本のリベラル派というのはちと趣を異にする。その特徴をいくつか挙げると、
●すでに崩壊している社会主義に、今もって心情的なシンパシーを寄せている。
●何かというと反体制、反権力を気取りたがる。
●自分は安全地帯にいながら、口先だけで革新や改革を唱える。
●いつだって「反自民」で、朝日や毎日の社説をオウム返しに言う癖(へき)がある。
●「若い頃はゲバ棒で機動隊とやり合ったんだ」が孫への唯一の自慢話。

また一般に「保守=タカ派」「リベラル(革新)=ハト派」というイメージもある。
おまけに「タカ派=好戦的」、「ハト派=平和的」と考えられてもいる。
政治や歴史に不案内な人たちは、改憲を唱える保守タカ派の自民党などより、
ハト派のリベラル政党に投票したほうが日本の平和が保てそう、
などとつい考えてしまいがちだが、実際はそうではない。
平和主義者が多いリベラル政党のほうがむしろ危ういのである。

アメリカではいま、大統領選の予備選が繰り広げられ、共和党のトランプ候補
や民主党のサンダース候補の奮戦ぶりが報じられているが、考えてみれば、
片や「千三つ屋(せんみつや)=不動産屋」のトランプで、こなた「社会主義者」の
サンダースというのだから面白い。三流役者のレーガンだって立派な大統領だった
のだから、千三つ屋が大統領になれない道理はないけれど、不法移民の流入が
絶えないからとテキサスとメキシコとの国境にthe Great Wall(万里の長城)を
築いてしまえ、というのだから笑える。

テキサス州とカリフォルニア州にはスペイン語の地名が多い。
なぜならもともとメキシコの土地だったからだ。テキサスはかつて
メキシコの一州だったが、奸智にたけたアメリカはテキサスに移住したアメリカ人に
独立運動を指嗾(しそうし、いったん独立させた後、自国に帰属させてしまった。
メキシコ人の側からすれば、
「もともと俺たちの土地じゃないか、そこに移住して何が悪いんだよ!」
という理屈だろう。
クリミア半島のロシア帰属をアメリカはしきりに非難するが、
「そんなもん、言えた義理かよ」というのがボクの言い分である。

さて話を戻すと、アメリカ民主党リベラル派(日本の旧民主党も同じ)の危うさについてである。
アメリカという国は〝世界の警察官〟みたいに言われているが、実際は〝戦争屋〟と
呼ぶほうがふさわしい。それも民主党政権の時に多く戦争が起きている。

第2次世界大戦はどうか。あれは民主党のルーズベルト政権の時だった。
広島と長崎に原爆を落としたのも民主党のトルーマン政権。同じく朝鮮戦争
もトルーマン政権で、ベトナム戦争も介入に踏み切ったのは民主党のケネディ政権
だった。そしてケネディの跡を継いだジョンソン政権が本格的な武力介入をおこなった。
つまり世界を揺るがした戦争の多くはリベラルな民主党政権時代に起こったのだ。
民主党=ハト派で平和的というイメージが強いが、実際は逆なのである。

何度もいうが、ボクは日本ではタカ派の自民党を支持し、
アメリカでもタカ派の共和党を支持している。だから、「千三つ屋」トランプの
怪?進撃にはいくぶん戸惑ってもいるのだが、民主党のクリントンやサンダースが
大統領になるよりはマシだろうから、いまはただ静観するのみだ。
リベラル派ぎらいが嵩じると、千三つ屋でも三百代言(ルビオ候補のような弁護士あがり
でも応援したくなってしまうのだから、自分でもいやになる(笑)。

さて日本では7月に参院選が実施される。
「変わりばえしない自民党より衣替えした民進党のほうがよさそうね」
などとは、くれぐれも思わないことだ。民主党政権時代のあの〝混迷の3年半〟を
決して忘れず、「左翼リベラル政党=愚者の群れ」と肝に銘じることである。

いくらお色直しをしようが中身はまったく変わっていないし、変わりようがない。
相変わらずの愚者の群れで、こんな奴らに税金でタダ飯を食わせてやっているのか
と思うと胸クソ悪くなり、心悸まで昂ぶってくる。
※脚注 国会議員の歳費(給料)は年間2200万円ほど。それに文書通信交通費やら政党交付金やらが加えられますから、
年間4400万円ほどがふところに入ります。この金で豪遊し、不倫をし……いや、失礼。マジメな議員も少しはいます。

再三くり返して恐縮だが、鉄血宰相ビスマルクの名言をひとつご披露する。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

←千に三つも本当のことを言わない、
千の物件のうち三つくらいしか成約が
ならない、という意味から不動産屋は
「千三つ屋」と蔑まれました。不動産屋には
娘を嫁にやらない、とまで言われました。
今はもちろん違いますが、この千三つ屋の
王といわれるトランプ氏。意外や、歴史に残る
名大統領になったりして……


※追記
ちなみにボクは改憲論者ではありません。
自主憲法制定論者」です。
なぜなら現行憲法は日本が主権を失っていた時期に
制定されたものだからです。つまり近代憲法としての
正当性をそもそも欠いているのです。したがって
速やかに廃棄し、新憲法制定に着手すべきなのです。護憲派はその
意味でも日本人としての矜恃を欠いた隷属的精神(メカケ根性ともいう)
の持ち主という外ありません。

2016年3月8日火曜日

〝老いるショック〟をぶっ飛ばせ!

近頃やけに「老い」を感じる。
顔にシミが多くなった。肌に艶がなくなってきた。
首回りがたるんで、つまむとなかなか元にもどらない。
もちろん白髪が増え、ヒゲはほぼ真っ白けになった。
臍下三寸のお毛々にも白いものが混じっている。

キャッチボールでも、以前のようなスピードボールが投げられなくなってきた。
泳いではバタフライに精彩を欠いている。バッタは上半身の力で泳ぐものではない、
リズミカルに腰を使って泳ぐ。その腰にしなやかさとネバリがなくなってきたのだ。
自分では若い若いと思っていても、やはり衰えはひたひたと忍び寄ってくる。

以上は「カラダ」の衰えだが、これはまあ、しかたがないだろう。
もう若い頃のように跳んだりはねたりはできないし、
若い娘っこから恋文を渡され「好きです」などと告白されることもない。
ときどき団地内のバアさんたちから秋波を送られることはあっても、
切った張ったの色恋沙汰になることはまずない。
ああ、すべてが一場の春夢……人生はほんとうに儚くも短い。

女性は男性以上に〝老い〟に敏感だ。
毎日、鏡に向かって化粧をしているせいだろう、
老いの兆候に対しては異常なほど過敏になっている。
ボクの女房などは白髪1本で世も末とばかりにギャーギャー騒ぐ。

テレビでは〝アンチ・エイジング(抗老化)〟を謳ったスキンケア商品や
サプリメント健康食品などのCMが花盛りで、市場規模も数千億円と
年々増大している。娘時代は貴重な時間とエネルギーのほとんどを
「過食」と「拒食」の間を往ったり来たりすることに費やしてきた彼女たちが、
こんどは「アンチ・エイジング」一本にしぼって金と時間をつぎ込んでいる。

ボクはその健気なまでの努力を嗤いはしないが、老化を力ずくで押しとどめよう、
などとはさらさら思わない。むしろ「老化」を楽しむようにしている。
鏡をのぞけば、たしかに白髪白髯の生気のないおっさんが映っている。
(でもね……)
とボクは思うのだ。けっこう年相応にカッコいいじゃん――。

なるほど「カラダ」は衰えたが、「ココロ」はむしろ尻上がりに爛熟に向かっている。
その充実ぶりが顔の表情にも出てくるのか、どこか駘蕩とした雰囲気が漂っている。
若い頃の顔には不安と驕慢が同居していた。未熟そのもののいやな顔だった。
そしていま、自分でもふしぎな心持ちなのだが、
(60数年生きてきて、いまの顔がいちばん好きだな)
と、臆面もなく言えてしまうのである。

世の中には、ある年齢にならないと分からないことがある。
親の年齢になって初めて「ああ、親父はこのことを言ってたのか」
胸にストンと落ちてくる。偉人たちの箴言が素直に腹にこたえる。
読書尚友」を地でゆき、死んだ人ばかりを友としてきたボクのような人間は、
この〝予定調和〟的な考え方が、やけに身に滲むのである。

〝老い〟にあわてふためき、アンチ・エイジングに血道を上げるのもけっこうだが、
「老いるショック」をものともせず、むしろプラスイメージに変え、
前向きに生きていけたら、と思う。
そこで今回のテーマにふさわしいお上品な替え歌をひと節考えてみた。

   

  ♪  60歳になったら
      60歳になったら
        愛人100人 できるかな
      100人と やりたいな
      差しつ差されつ 蛇の目傘
      スッポン スッポン スッポンポと     (童謡『一年生になったら』の加齢バージョン)  






←娘たちが小さかった頃、
みんなでよく歌ったな。

2016年3月1日火曜日

ブルージーンと皮ジャンパー

3月1日、2017年卒の大学生の就職活動が解禁になった。
〝一浪一留〟のダメ学生だった40年前の自分をふと思い出す。

ボクは「就活」なるものをいっさいしなかった。
会社訪問も先輩訪問もしなかった。
(まあ、いざとなったら何とかなるだんべェ……)
ノーテンキにもまるで切迫感がなかった。
他人事みたいにのんびりしていた。

リクルートスーツにも縁がなかった。
「服装で目立とうとしてはいけない」
だから〝黒系〟を選べ、などという「就活の鉄則」も知らなかった。
髪だって長髪のままだったような気がする。

だから筆記試験にしろ面接にしろ、普段どおりのカッコウで通した。
すなわち革ジャンにブルージーンズ姿である。
おかげで、やけに目立った。完全に浮いていた。

その〝空気の読めない、非協調的な、あるいは反社会的なポーズ〟
が、「危ない人」と見定められたのか、受ける先からことごとく落ちた。
企業側は「普段どおりのカッコウでどうぞ」と言ってる割には、
それを真に受けた学生をしっかりふるいにかけていた。

新聞社、通信社、出版社、製薬会社、鉄鋼商社……あとはもう忘れたが、
この田舎出の〝革ジャン男〟は試験を受けるたびに袖にされた。
ある通信社の面接に臨んだら、
「外国語は最低1ヵ国語はしゃべれますよね? できればもう1ヵ国語も……」
と訊かれた。脈はなさそうだったので、
「失礼いたしました」
と、その場からそそくさと立ち去った。

十数社受けてすべて不合格。親の心配顔を見て、さすがに焦った。
敗因分析をしたら「そうだ、背広を買いにいこう!←そっちかよ!
ごく単純な結論に至った。赤点だらけのひどい学業成績を棚に上げ、
敗因をもっぱら革ジャンのせいにした。

急いでデパートへ走り、奮発したのがダーバンの青い吊しのスーツ。
そしてピエール・カルダンの赤いネクタイ。
髪も小ぎれいにカットした。見違えるような貴公子ぶりだった(←自分で言うな)。

おかげで、小さな出版社に合格した。大企業どころか、超零細企業である。
面接時に女社長から、
「あなたはたいそう目立ちたがり屋のようね」とイヤミを云われた。
赤いネクタイを見て、自己顕示欲が強いと思ったのだろう。←大当たり~!
編集部長が、
「君はドイツ文学専攻とあるけど、特にどの作家を研究したんだい?」
「ハイ、実はドイツ文学はからっきしでして、
在学中は小林秀雄ばかり読んでました

すかさず他の面接官が小林秀雄に関する質問を次々と浴びせかけてくる。
ボクは得たりとばかり、的確に応えていく。それはそうだろう、
高校時代からほぼ10年間、小林秀雄一色に染まった生活を送ってきたのだ。
小林秀雄に関することなら女性関係でも何でも知っている。
その一点集中型のこだわりぶりに面接官も強い印象を受けたようすだった。

この小さな出版社には13年間奉職した。
そして独立し、フリーの〝100円ライター〟に。
カミさんは、同じ雑誌の編集部で机を並べていた同僚だ(←「芸がないね」と言わんといて)。
この出版社に就職していなかったら、もちろん娘たちは生まれてこなかっただろうし、
和光市に居を構えることもなかった。つまりバンド仲間やキャッチボール仲間、
それにかわいい〝団地妻たち〟と知り合うこともなかった(笑)。

思えば、すべてが偶然の産物とはいえ、どこか〝運命的〟なものを感じる。
もしも革ジャンにジーンズでなく、就活スーツを身にまとって、地道に会社訪問を
積み重ねていたら……別の会社のサラリーマンとなり、別の女と所帯を持ち、
それなりに幸せに暮らしていたにちがいない。

で、つくづくボクは思うのだ。
いまの生活があるのは、あの「ブルージーンと革ジャンパー
おかげではなかろうか)と。
革ジャン姿で就活し、ことごとく門前払いを食らい、最後の最後、
首の皮一枚で小さな出版社に引っかかった。そのおかげで女房と出会えた。

就活に突入する学生たちよ。
一流企業に入ることだけが人生の最終目標ではあるまい。
食い扶持を稼ぐ場所なんて、どこだっていいのだよ。
富貴を求めるのもけっこうだけど、こんな古諺だってありまっせ。
    立って半畳寝て一畳、天下とっても二合半
そういえば渋谷宮益坂に元相撲取りが経営する「二合半」という居酒屋が
あって、よく通ったな。あの店、まだあるのだろうか。

毎日二合半以上飲んでいるボクなんか零細出版社を経た後、
ほぼ30年間、ずっと1人でやってきた。
カミさんも同じ。ふたりとも腕一本脛一本、ずっとフリーでやってきた。
生活は決して楽とはいえないが、福澤諭吉の「痩せ我慢の哲学」をもろ実践し、
目いっぱいミエを張って生きてきた(笑)。また曲がりなりにも娘2人をぶじ育てた。

自分をいちばん輝かせるにはどうしたらいいか。
人に負けない「something」を何か持っているか。
芸は身を助く、というが、自分が熱中できるsomethingさえあれば、
どうにかこうにか食っていけるものである。

就活なんてあまり〝大ごと〟に考えないほうがいい。
自分で選んだ道を、脇目もふらずまっしぐらに歩んでいけばいいのだ。
目の前に与えられた仕事をバカまじめにこなしていけば自ずと道は開けてゆく。
瞬間、瞬間の選択が、まぎれもない自分だけの道だ。





←この中で「革ジャン+ジーンズ姿」って
けっこう勇気要るよね←ただの「匹夫の勇」だろ!

2016年2月21日日曜日

晴耕雨読もまた楽し

昨日、ヒマにあかせて3冊の本を読んだ。
ボクは速読家なので、日に3冊程度なら少しも苦にならない。
その3冊の読後感を少し書く。

住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち(川口マーン惠美、講談社+α新書)
イギリス在住のマークス寿子やドイツ在住のクライン孝子の本は西洋との比較のなかで、
「こんなところが日本人のダメなところ」などと、日本および日本人を上から目線で
こきおろすところがある。彼女らの論調はいつだって「日本はダメだけどイギリス、ドイツは
すばらしい」というもの。自虐趣味のある人間には心地よいのかもしれないが、
愛国主義者のボクには不向きだった。

その点、ドイツはシュトゥットガルト在住30年のマーン惠美はボク好みだ。
結論としては「日本人は世界一の楽園に住んでいる」ということなのだが、
双手を挙げて日本を礼讃しているわけではない。
《東京は魅力的だが、その風景は混沌としている。私たちは統一した景観をつくる
ということに関しては大失敗してしまったようだ》
こう落胆するが、
《これほど多くの人間が住みながら、これほど清潔で、これほど多くのことが
スムーズに機能する都市は、東京をおいて世界のどこにもない》
と、欧米の「ストック型社会」に対する「フロー型社会」のダイナミックな律動感
をしっかり評価している。

思想信条もボクと同じ。EUに対する悲観論もボクと同じ。
ヨーロッパは1つという〝夢〟から始まったEU。しかしその夢はことごとく破れ、
《EUは今や要塞だ。自分たちの富を囲い込み、
貧しい国の人々を寄せつけないための要塞である》
と悲しく断じている。
ああ、EUはついに排他主義と利己主義の集団に成り下がってしまったのか。

ところで、日本礼讃本のなかに、『ハーバードでいちばん人気の国・日本』という
のがあるが、この本は期待外れだった。ただ「新幹線お掃除劇場」の章だけは面白い。

■『コーヒーの科学旦部幸博、講談社ブルーバックス)
「カフェ・バッハ」店主・田口護との共著『コーヒー おいしさの方程式』につづき、
旦部が総力を挙げて書きあげた力作だ。科学的見地からコーヒーを分析した本で、
これに優る本は、向こう100年くらい出ないのではないか。ただ難しすぎてボクみたいな
「文系人間」のカボチャ頭には荷が勝ちすぎるのも事実。それでも頑張って読了した。
おかげで頭の芯がいまだにジンジンする。さすが〝Mr. ブタンジオン先生〟の本である。
身体に変調をきたすくらい中身が濃い。

ご存じのように、コーヒーおたくのMr.ブタンジオン先生はネット上に『百珈苑BLOG』なる
サイトを開設していて、本ブログでもおなじみの帰山人の『珈琲漫考』と並称されるほど
の人気サイトに育っている。ボクみたいな〝非コーヒーおたく〟からすると、何が何だか
サッパリわからないサイトなのだが、コーヒーに関して〝くるくるパー度(コーヒー偏差値)
の高い人たちにとっては、感涙にむせび泣くほどに中身が濃いらしい。

中身がみっしり詰まっている分、熟読玩味するには少しばかりの忍耐と根性が要る。
知識なんかさほどなくても根性があればいい。困難に立ち向かう根性さえあれば
十分読み切れるし、おぼろげながらエッセンスもつかめる。が、読後、
しばらくは帯状疱疹並みの頭痛が残る。たぶん良書の証しなのだろう。


居眠り磐根 江戸双紙50 竹屋ノ渡(佐伯泰英、双葉文庫)
ようやく終わってくれそうな気配である。このシリーズはけっこう面白いものだから、
次から次へと読み進んだものだが、40巻くらいから息切れがしてきて、
(まだ続くのかよ……)
だんだんいやになってきた。それでも作者は「51巻目で幕にします」と宣言している
から、まあここまでつき合ったんだから、最後までお伴してやるか、とその後も
アマゾンで買い続けた。

そして正月に同時発売されたのが50巻目と51巻目。
しばらく本棚の上にほったらかしておいたが、
(そろそろ引導を渡してやるか……)
と手に取ったのがこの50巻目。けっこう面白い。
そして昨夜、最後の51巻目の半ばまで読み進んだ。

主人公の坂崎磐根は相変わらず強い。いや強すぎる感があって、
相対的に刺客の弱さがいつも際立ってしまうのだが、まあ、強い分には
こっちも安心して読めるから、精神衛生上はすこぶるよろしい。
また息子の空也が父を凌ぐほど強くなっている、というのも嬉しい。
雑賀者の霧子が好きなボクとしては、もっと彼女の活躍する場面をつくってほしい
ところだが、磐根の取り巻きはいかんせん多いものだから、まんべんなく活躍させる
というのもつらいところだろう。読んでるこっちはお気楽でいいが、作者としては骨身を
削るほどの難行苦行にちがいない。

全51巻のシリーズというのはかなり長い部類だと思うが、
よくまあここまで引っぱってきたものよ、と心底感心する。
しかし、いかんせん長すぎましたね。


←それぞれに読みごたえがありました






2016年2月13日土曜日

不倫よりプリン

明治期、総理大臣や蔵相を歴任した松方正義は世に聞こえた艶福家だった。
明治天皇に、
「松方、おまえの子供は何人か?」
と聞かれ、
へい、ソロバンを拝借
と答えたという逸話がある。なんと、その数150人。
つまり〝囲いもの〟がいっぱいいて、日夜子づくりに励んでいたということだ。
半分うらやましくもあるが、すべてのお妾さんにまんべんなくサービスして回るのも、
それはそれで大変だっただろう。それでも90歳まで生きたというのだから、
絶倫だっただけでなく生命力も強かった。

松方以上に助平だったのは伊藤博文だった。片っぱしから女に手をつけ、
「箒(ほうき)の御前」の〝尊称?〟を奉られていた。箒とは女を撫で斬りにするという
花柳界の隠語で、男として最も恥辱とされたらしい。伊藤はまだ下草もまばらな
〝半玉〟まで撫で斬りにし、「千人斬り」の異名をとった。手当たり次第で見境がない。
かつて千円札の肖像になったことがあるが、「マン札でなけりゃ理に合わん
という声もあった(笑)。

つい最近まで艶福家は尊敬される対象だった。
戦前までは、関西などでは夫が妾をもつことを誇りとする風があった。
「うちの主人は働きもんやよって、お妾やら置かはる」
「うちのは新町にも北にもお妾置いてまんねん。えろう稼ぎの多い
お商売上手の旦那はんですよって。偉いと人も思いまっしゃろ」
そして正夫人とお妾さんの仲がよいと、「賢夫人」などと褒め称えられた。

        金も出来たし 着物も出来た
            そろそろ 旦那と 別れよう

という都々逸があるが、お妾は「一櫛、二帯、三小袖」といって、
これを右から左へ流せば(←昔なら質屋、今はブランド品買取店で)、高額な金に換わった。

民主党のloopy鳩山由紀夫は妾の子だ。
実父の威一郎が石橋安子と結婚する前に朝鮮人の妾に産ませた子で、
つまり弟の鳩山邦夫は異母兄弟ということになる。一説には祖父の一郎
が朝鮮人の女に産ませた子、ともいわれていて、まさに〝謎〟だ。
また一郎の実父で、衆議院議長を務めた和夫も、これまた〝箒御前〟だったという。
甲斐性持ちと呼ばれた男たちは、どいつもこいつもそろって艶福家だったようだ。

さて、自民党の宮崎謙介衆院議員が、妻の出産直前に女性タレントと〝H〟を
していたことがバレてしまい、とうとう議員辞職するハメになった。
出産に合わせて〝育児休業〟を取ると宣言していたものだが、それこそ〝意気地〟
のない結末になってしまった。不倫ではなく、プッチン・プリンでも食べていれば
よかったものを……身のほど知らずの大バカ野郎である。

ところで、世界的な歴史人口学者のエマニュエル・トッド博士は、こう言っている。
《どうも日本人は結婚ということを厳密に考えすぎるように思います。もっと気楽に
結婚して、もっと気楽に離婚してもよいように思います。そうすれば、もう少し
子供の数も増えるでしょう。これは冗談ですが、比較的経済力のある男性が、
妻以外の女性にも子供を産んでもらったら、少子化の問題などいっぺんに
解決するのではありませんか(笑)。

お妾さんは明治15年、刑法改正で非公認となった。それまでは二親等で、
妾といえども人のものに手を出せば「姦通罪」が成立した。さらに明治31年、
民法の改正で法律上は妾という存在が否定され非合法となった。

ああ、いっぺんでいい。松方正義みたいに、
「へい、ソロバンを拝借」
などと言ってみたい。男ならみんなそう思うはずだ。

宮崎議員を吊し上げ悦に入っている記者やカメラマンたちだって、
〝不倫〟の〝ふの字〟も知りましぇーん、といった朴念仁ばかりじゃあるまい。
自分の助平を棚に上げて、よくまあ正義漢面ができるなあ。

たしかにあいつは女房を裏切った人でなしのサイテー野郎だけど、
あの程度の「魔が差した経験」なら誰にだってあるだろ。
「ない!」というやつはたぶん〝タマ無しの偽善者〟だな(笑)。

あんなもの、単なる発情男の〝火遊び〟だ。寄ってたかって吊し上げるほど
のものではあるまい。この世に清廉潔白な男なんざいやしないのだから、
一度や二度の〝過ち〟くらい、許してやったらどうだ。

政治家は政治さえしっかりやってくれればいい。「臍下三寸」が暴走しようがしまいが、
それはごくごくプライベートな問題で、われわれが関知すべき問題ではあるまい。
それを言ったらヒヒ爺の伊藤博文や松方正義なんて1日とて保ちやしない。
下半身の問題は夫婦あるいは関係者が解決する外ないのである。


ああ、「蓄妾」が大目に見られていた、大らかな時代が懐かしいよ。
蓄妾は決して犬畜生の所業ではありませんぞ。





←去る10日に発売された『サライ』3月号。
第2特集の巻頭言を書かせてもらった。
ただしこのプロファイル写真(「蛮爺's」の公演風景)は、
本ブログの投稿でもおなじみの、コーヒーおたく帰山人が
いたずらして差し替えたものだ。
まったく、あの腕白おやじときたら……(笑)。







※追記
後日、この〝ゲス宮崎〟は、複数の女に結婚を
持ちかけ、「ボクの胸に飛びこんでおいで」などと
甘言を弄していたことが発覚。
「許してやれよ」と書いた不明を恥じる次第であります。
とんでもないペテン師野郎です。即刻、宮刑に処すべし!

2016年2月7日日曜日

帯状疱疹と誕生会

■2月某日
帯状疱疹にかかってしまった。
髪の生えぎわに赤い吹き出物がポツポツできたと思ったら、
首筋、胸、肩、背中の右半分に蕁麻疹のような湿疹が広がってきた。
アレルギー性の湿疹など珍しくないので、放っておいたらみるみる成長。
(これは尋常ではないな……)
ネットで症状を書きこみ検索したら、「帯状疱疹」の症状と一致している。
帯状疱疹は子供の頃にかかった水疱瘡のウィルスが神経節に潜伏していて、
数年後あるいは数十年後に突然復活するというタチの悪い病気。
ストレスや加齢などで免疫性が落ちるとかかるらしい。

ふつうは3週間~1カ月で治るらしいが、ヘタをすると皮膚症状が回復しても
痛みだけが継続して残る「帯状疱疹後神経痛」になる可能性もあるという。
とにかく皮膚の腫れも尋常ではないが、間欠的におそってくる刺すような痛み
がつらい。ボクの場合は、針で頭を数秒おきに刺されるような感じで、
思わずイタタタタ……と叫んでしまう。それもそのはず、某医者は、
「頭痛の激しさはガンの痛みに次ぐほど」と言っている。ああ、神様仏様、助けて!

■2月某日
ボクと長女の合同誕生会を銀座の『エル ビステッカーロ』で開く。
出席したのは他に女房と次女夫妻。幸い帯状疱疹は顔には出ていないので、
〝端正な顔〟を隠さずに街を歩くことができた。銀座はボクの庭みたいなもの。
久しぶりに歩いたら、やたらと中国語が耳に飛びこんでくる。
(ああ、おれの街もついに騒々しい支那人観光客の軍門に下ったか……)
気分は落ち込む一方だった。

中央通りを外れ、一筋入ったら、通りの植え込みに手を伸ばしている支那人の
おばさんがいた。植えられている赤い椿をこっそり手折らんとしているのだ。
「コラッ! 何てことをしてるんだ、やめないか! 」
かなりきつい調子で叱ったら、いったん手を引っ込めたが、
まだあきらめきれない様子だった。おそらくボクがいなくなったら、
また戻ってきて枝を折るつもりなのだろう。まったく支那人ときたら……

会食は予定どおりはじまった。
ボクと婿さんはいつものように生ビールをたのみ、その後は赤ワインにした。
料理はどれもうまい。基本はローマ料理で、ローマっ子のSabrinaを連れてきたら
さぞ喜んでくれるだろう。ボクは以前、ノロウィルスにやられ誕生会を台無しにした
前科があるので、帯状疱疹のうずくような痛みはなんとか意志力で押さえつけた。
せっかくのお祝いの席で痛みに歪んだ顔はできない。ボクはワインをガブ飲みした。
痛み止めの麻酔のつもりである。

女房と長女、そして次女夫妻とは有楽町の駅で別れた。
みな次女の家まで遊びに行くという。ボクはひとり有楽町線に乗り、
一路和光市へ。酔いも手伝ってグーグー寝てしまったのだが、
小竹向原駅で和光市直通の各停に乗り換えてくれと車内アナウンスがあった。
てっきり一本で行けると思ったのだが、西武池袋線の保谷行きに乗ってしまったのだ。

あわてて乗り換えてホッとしたのもつかの間、
(いっけねえ、網棚に娘たちからもらった誕生プレゼントを置き忘れた!)
ひと駅先の新桜台の駅で「網棚に忘れ物をしてしまいまして……」と駅員に報告。
すぐに手配してもらい、そのまま連絡先を残しひとまず帰宅した。

ほどなく新桜台駅の駅員から連絡が入った。
それらしき紙袋が発見されたという。ついては石神井公園駅に保管しておくから
すみやかに受け取りに行ってくれ、というメッセージだった。
(ああ、よかった。もしも見つからなかったら、娘たちやカミさんから総スカンを食ってしまう。
へたすりゃ、血を見るかも……)

ここでも日本に生まれてよかった、としみじみ思う。
忘れ物、落とし物がよほどのことがない限り手もとに戻ってくる。
こんなすばらしい国は世界中どこを探してもないですよ、
とわが家にホームステイする留学生たちもよく言っている。

というわけで、翌日の今朝、ボクは車を飛ばし石神井公園駅で〝ブツ〟を確保。
ホッと胸をなで下ろした。
帯状疱疹といい、支那人観光客のババアといい、網棚への置き忘れといい、
なんともついてない1日だった。でも、家族の「ほっこりした愛」を感じた1日でもあった。




←『エル ビステッカーロ』で食べた料理。
どれも実にうまかった。





photo by Akko

2016年2月4日木曜日

朝日の読者は〝くるくるパー〟

いま開かれている衆院予算委員会の質疑だが、
例によって民主党や共産党の、質問とはいえないような
〝言いがかり〟や〝揚げ足取り〟〝誹謗中傷〟は目にあまる。
それでも与党率いる安倍首相は堂々たる受け答えで、
格の違いをあらためて思い知らせてくれる。

それにしても民主党の岡田代表や共産党の志位委員長の
〝くるくるパー度〟は群を抜いている。ただ反対するだけで、
安倍首相が「反対するなら対案を示してくださいよ」と応じると
口をつぐんでしまう。最初から気の利いた対案などないし、
そもそも頭が悪いから現実に即したアイデアなど浮かびようがない。
自民党にはとにかく反対する。どんなすばらしい法案でも反対する。
日本の野党はまるで〝パブロフの犬〟並みのオツムなのだ。

このバカ犬たちが頼りにしている新聞が朝日や毎日などの左翼系反日新聞だ。
その昔、朝日新聞の入社時の願書には「支持政党」を書きこむ欄があったという。
1970年代の話だが、
「仲間内では共産党と公明党はペケ。自民党は論外。民社党もきつい。
支持政党なしもダメ。日本社会党(現・民主党)と書くしかないんだ」
という噂が流れていたという。この内輪話を披露しているのは元朝日新聞記者の
永栄潔氏。つまり受験生の思想調査をしているわけだが、合否判定の最終段階では、
公安警察の協力を得て一人一人身元調査をしていたという。

ボクは筋金入りの反共主義者(元はマルキストだけどね)で、左翼思想にかぶれた
人間を見ると、こっちもパブロフの犬みたいについ「お気の毒に」と思ってしまう。
何度もいうが、ボクはいわゆる〝転向者〟だ。サラリーマン時代に味わった労働運動
の矛盾によって目が開かれ、物事の判断には複眼的な視点が必要だ、と痛切に思った。
どんなに正しいと思っていても、いっぺん逆の立場になって考えてみると、
絶対的に正しいと思ったことが必ずしもそうではない、ということがわかる。
ボクが左翼に対しても右翼に対しても不満なのは、彼らの体質が偏狭な精神と
複眼的思考の欠如といったものに他ならず、そこから一歩も出ていないことだ。
ある種のイデオロギーに凝り固まっていては真実など決して見えやしない。

「お気の毒に」の対象者は朝日や毎日、東京新聞などを愛読している人たちも同様で、
この人たちはインテリを気取っているが、実際は知能レベルが低く、
イデオロギーに左右されやすい、いわば発達障害ともいえる
かわいそうな人たちなんだな……)
と、心から同情してしまうのである。

団地の中にも「お気の毒な人たち」はいっぱいいる。
彼らに対しては敬して遠ざけるのが一番で、少しでもそのニオイを感じたら、
すたこらさっさと離れるに越したことはない。以前、朝日大好き人間と駅前で
酒を酌み交わしたことがあるが、案の定、大ゲンカになり、互いをバカ呼ばわり
するハメになってしまった。この元商社マンで年上のガチガチ左翼は、
サンケイ新聞を「おっかない新聞」「話題に出すだけでも恥ずかしい」などと曰わった。
ボクは「朝日こそ平気で国を売る恥ずかしい新聞じゃないか」と思っているから、
話がかみ合うはずがない。


ここで誤解を避けるためにちょっとだけ自己紹介。
   ●支持政党は「自由民主党」
   ●購読新聞は「読売新聞」、ただしネットでは「産経ニュース」
   ●思想的には「中道から〝ちょっとだけ〟右寄り」
   ●好きなビールは「よなよなエール」「東京ブラック」
   ●好きな女優は「綾瀬はるか」「波瑠」「本田翼」「高畑充希」「コート・デ・パブロ
   ●好きな映画は「許されざる者」「シネマパラダイス」
   ●好きなテレビドラマは「NCIS
   ●好きな国は「日本国」
   ●きらいな国は「美国」「支那」「テーハミング」
   ●好きな歌は「愛燦々」「ずっと好きだった」「君が代」


これらを読んで思想信条や女の趣味が合わねェな、
と思ったらさっさと見限っておくんなまし。
別に引き留めやしませんから(笑)。
ボクは残る余生を「思想信条を共にする人たち」と心安らかに過ごし、
少しでも日本国のためになることをしたいと考えているので、
「反日的ポーズ」を気取る〝くるくるパー〟の人たちとは「席を同じうせず」
でやっていきたいのです。どうか悪しからず。



←波瑠ちゃん、かわいい!
ちょっぴり天然のところがまたいい




2016年1月25日月曜日

続・酒とバカの日々

■1月24日(日) 晴れ
午後、近所に住むDanielの一家とアフタヌーンティを共にした。
Danielはオーストラリア人で、大阪は枚方生まれの奥さんと結婚し2子をもうけている。
15歳の時から車椅子生活という彼とはふとしたきっかけで知り合った。
たまたまボクの団地の公園で子供たちを遊ばせていた彼に、ボクが声をかけたのだ。

Danielは日本語があまり得意ではない。でもそんなこと関係ない。
ボクはいつものように日本語オンリー。あっちも必死で日本語を使おうとする。
「ゆっくりしゃべってくれれば英語もOKだよ」
ホッとしたような表情を見せる。彼の住むマンションはここから200㍍くらい先。
奥さんは和光市の誇る理化学研究所の研究員で、
Danielとは豪州留学中に知り合ったという。

子供たちは幼稚園に通う長女と、まだオムツの取れない長男の「一姫二太郎」。
この2人が腕白そのもので、昨日も居間にあるバランスボールを恰好のオモチャと
思ったか、バンバンと激しく弾ませたり、ソファの上からボールめがけて豪快にジャンプ
したりと、見ているこっちは、床やテーブルの角に頭をぶつけるんじゃないかと、
ハラハラドキドキのし通しだった。
(子供のエネルギーって、ほんとうにすごいな!)
子育てをやっていた頃をしばし思い出すスリリングなひとときだった。

そして今日、買い物帰りにその腕白な長女Kの通う幼稚園の前を通りかかったら、
子供たちが元気よく園庭を走りまわっていた。そして、なんと……親分肌の彼女が、
気弱そうな男の子を庭の隅に追いつめ、首を絞めていたのだ。ボクは思わず、
「オイ、女の子に負けてどうする。男だったらしっかりしろ!」
形勢不利な男の子を思いきり叱咤したのだ。腕白娘のKはボクの顔をみとめると、
「ヘヘヘ……」と照れかくしに苦笑い。ワーイ、と叫びながら行ってしまった。
ああ、げに女は怖ろしい。


■1月某日(金) 晴れ
ボクが黒衣(くろこ)としてお手伝いした単行本が発売された。
本のタイトルは『?』。著者の前作は5万部以上も売れたヒット作で、
今回はその続編といったところ。ボクは裏方の黒衣だが、売れればやはり嬉しい。

近頃は裏方仕事ばかりだが、たまには表舞台に立つこともある。
来る2月10日発売の月刊誌『サライ』3月号(小学館)は第2特集で
「コーヒー」を予定していて、編集部から見開きで「巻頭言」を書いてくれとたのまれた。
イケメンじじいの写真付きなので、嶋中ファンはぜひ買い求め、家宝にしてほしい(笑)。


■1月某日(日) 晴れのち雪
近所にある中華料理店「Chai菜」(ちゃいさい)で、ささやかな新年会を開いた。
お相手は相棒のNICKと、同じ団地内のTさん。もとは読売新聞の記者だったが、
北大教授を経ていまは桜美林大学の教授だ。中国問題の専門家で、著書も多い。
「マオタイ酒が手に入ったから一杯やりませんか?」
誘ってくれたので、ボクはお抱え楽士のNICKを伴って参加した。

貴州のマオタイ酒は高級酒の代表で、日中国交回復時に田中角栄が
この酒でもてなされ、一躍その名を轟かせた。

原料はコウリャンで、アルコール度数は53度。匂いを嗅ぐと独特の刺激臭がある。
「こうやって一気に飲むものなんだ」
TさんとNICKは一息にあおる。楽士兼商社マンのNICKはビジネスで20回以上、
支那に渡っている。新疆ウィグル地区にも行っている。

あっちで何度も「カンペイ!」とやって杯を飲み干しているだけに、
2人ともさすがに飲み方をよく知っている。それにしてもこの酒、むせるほどに強い。
ボクは白酒(パイチュウ)はほどほどにして甕出しの紹興酒に切り替えた。

NICKは調子に乗ってガンガンやり、鉋ッ屑が燃えあがるみたいにペラペラと
舌が回転しはじめた。こうなると後が怖いので、いい加減のところで幕にした。
ああ、酒飲みは意地汚くていやだねえ……(←おまえのことだろ!


■1月25日(月) 晴れ
今日も飲み会。ここのところ飲んでばかりなので、さすがに昨日は休肝日にした。
お相手は団地仲間のYさん。病気の奥さんの介護で、大変ご苦労しているのだが、
少しばかり体が空いたので、酒の相手をしてくれとたのまれた。

ボクなんかのご相伴でよかったらいつでもOKですよ、と日頃から言ってある。
ボクとはなぜか気の合う先輩で、飲むといつも掛けあい漫才みたいな楽しい
酒になる。老々介護は互いの命を削ってしまう。たまにはバカッ話でもして
リフレッシュしなかったら体も神経も参ってしまう。

夫婦というのはふしぎなものだ。何十年も連れ添うと、一心同体みたいな境地になる。
たとえ口げんかばかりしていても、どこかで深くつながっていて、互いにしっかり
いたわり合っている。Yさんも同じ。奥さん、早くよくなればいいですね。





 

2016年1月20日水曜日

Atsushiの『愛燦々』がいい

車を運転しながらラジオを聴いていたら、ふと懐かしい曲が聞こえてきた。
愛燦々』という曲だ。
おや? おかしいな……小椋佳でもないし、もちろん美空ひばりでもない。
でも、いいなこいつ。のびやかで透明感がある。いったい誰なんだ、こいつは?

「Exile」というグループでヴォーカルを担当しているAtsushiという男だった。
ボクはいわゆる歌番組というのをほとんど見ないし、J-popというのも知らない。
Exileというダンシング&ヴォーカルユニットがあることは知っていたが、
歌って踊っているところをまともに見たことがないし、ましてやグラサンをして
ちょび髭のAtsushiなんて男は聞いたこともなかった。見れば、グループの面々は
みなひと癖ありそうなチンピラのお兄ちゃん、という感じで、ストリートダンサーが
出世してテレビに出てるんだな、という印象だった。

ここで自分の不見識を詫びなくてはならない。Exileのダンスや歌はけっこういけるのである。
ツッパリあんちゃんのAtsushiの歌が特にいい。なんというか、小林秀雄流に言えば、
「哀しみが疾駆する」という感じだろうか。この『愛燦々』というカバー曲にもそこはかとなく
哀愁が漂っている。このあんちゃん、ただ者ではないのだよ。

で、さっそく我ら「蛮爺's」のレパートリーにこの曲を加えることにした。
蛮爺'sはボクと相棒のNICKが組んでいるダンシング&ヴォーカルユニットで、
団地のオバサンやオバアサンを中心に絶大な人気を誇っている。
今夏、恒例の夏祭りのステージでこの『愛燦々』を朗々と歌い上げたなら、
感動したオバサン&オバアサンたちが思わず失禁してしまうにちがいない。

話は変わるが、昨日、1000円のカットハウスで髪を〝ベリーショート〟にしてきた。
別にAtsushiを気取ったわけではない。が、知り合いのオバアサンに、
「嶋中さんは短い髪がお似合いですね」とおだてられたものだから、
その気になって頭の両サイドを思いきりバリカンで刈り上げてもらったのだ。

ほんとうは流行りの〝剃りこみ〟を入れようかとも思ったのだが、
「いい歳こいて何考えてんのよ!」と女房からきつくお叱りを受けそうなので、やめた。
還暦過ぎて剃りこみを入れ、グラサンかけて街を闊歩したりすれば、
〝チョイ悪おやじ〟くらいには見えるだろう。それとも〝極悪おやじ〟か?

それでは、Atsushiより甘いセクシーヴォイスで憶えたての『愛燦々』をご披露しよう。
嶋中ファンのオバサンやオバアサンはくれぐれも尿もれにご注意くださいませ。
Atsushiに敬意を払い、グラサン姿で歌うボクのエキサイティング動画は、
「嶋中労」でググって(←グーグルで検索することですw)〝動画〟をクリックしてくれれば
見られます。これぞ眼福であります(←自分で言うな!)。




←ExileのAtsushi君。
街のチンピラやくざ風だが、
歌はいけてる。

2016年1月14日木曜日

枕を高くして寝られない

ボクは寝ているとき、半分死んでいる。
睡眠時無呼吸症候群というやつで、特に酒を飲んだあとの症状がひどい。
カミさんに言わせると、〝グガー、グガー〟というケダモノじみた鼾(いびき)が、
一瞬止まり、1分くらい息をしていないのだという。

こんなときは、たいがい怖ろしい夢を見ていて、夢のなかでも海で溺れたり、
悪漢に首を絞められたりと大忙し。案の定、息ができずもがき苦しんでいる。
その苦しさといったら、あなた……、
(ああ、俺もいよいよ年貢の納め時か。案外あっけない人生だったな……)
などと、もう半分あきらめている。

しかし、しばらくすると、
「ウウ……プファーッ!」
と、突然止まっていた呼吸が元にもどる。同時に目も覚め、
(ああ、夢か……まだ生きてるようだな……ウウウ、助かったぜ)
心底ホッとするが、胸のあたりが締めつけられたみたいに苦しい。

朝、カミさんにそのことを報告すると、枕を高くして寝ているせいよ、
と言われた。生まれてこの方、いつだって枕を高くして寝ているのだが、
この無呼吸症候群の患者には、これが一番よくないという。
首が曲がったまま、すなわち気道が曲がって半ばふさがった状態で
仰向けに眠るため、呼吸に支障をきたすのだ。

ボクは寝る前に寝床で本を読む。50年来の習慣で、
ひそかな楽しみと言っていい。本は仰向けになって読むのだが、
その際、枕が高いほうが読みやすいので、枕の下にクッションを2個ばかり
重ねたりする。で、そのまま寝入ってしまうことがある。
そうなると「無呼吸」という拷問が待っている。

あの息苦しさは二度と御免蒙りたいので、カミさんのアドバイスを受け入れ、
枕を低くして寝ることにした。こんなでき損ないの男だが、まだ命が惜しい。
効果はすぐ現れた。鼾をかくのは相変わらずでも、呼吸が止まることがなくなった。
怖い夢も見なくなった。
太った人、高血圧の人は睡眠時無呼吸症候群になりやすいというが、
あの無呼吸状態はほんとうに怖ろしい。この世の終わりかと思わせる。

今年の抱負の中に、体重を5キロ落とすというのがあったが、
どうやら真剣に取り組む必要がありそうだ。がんばって痩せて首の回りの
贅肉を落とす。この余分な〝お肉〟が気道を狭めている恐れがある。

閑話休題。
正月早々、団地内を散歩していたら、顔見知りの若奥さんが
すれ違いざま、「嶋中さん、少し痩せたんじゃない? カッコいいわよ」
と声をかけてくれた。実際はそれほど痩せたわけではないのだけれど、
一時は90キロ近くあったから、その時期に比べれば10キロ強減量している。
いずれにしろ、カッコいいといわれれば悪い気はしない。

すぐその気になってしまう単純な性格もあって、その日一日、
ずっと気分は爽快だった。たとえお世辞でも褒められれば誰だって嬉しい。

ボクはこの人心収攬の「原理原則」を骨身に染みて思い知っているので、
できるだけ人を褒めるようにしている。女性には特にそうしている。
なかにはどうにも褒めようのないご面相やスタイルの人もいるが、
そういうときは、無理にでも召し物やバッグなど小物を褒める。すると、
「イヤーン、嶋中さんったら、またまたお上手なんだから」
などと照れるが、みなまんざらでもない顔をしている。

市議選に立候補するわけでもなし、愛想やおべんちゃらは無用なのだろうが、
人間関係の潤滑油と申しましょうか、人を褒める効用はこれでまたバカにできないのだ。

睡眠時無呼吸症候群の話が妙な方向へ行ってしまったが、
つまりはもう少しスレンダーな体つきになって、24時間、
ずっと楽に呼吸ができるようになりたいな、という話をしたいわけ。

そのためには枕を高くして寝ないこと。
あれをやると「苦しきことのみ多かりき」でロクなことにはならない。






←気持ちよさそうだニャン……










photo by だいさん

2016年1月5日火曜日

娘よ、戦争について語ろう!

暮れから正月にかけて、娘たちが帰ってきた。
娘たちが加わると、わが家は途端ににぎやかになる。
ふだんはカミさんと二人だけの食事で、ものを噛む音だけが聞こえる、
といったような静かな食卓だが、これが一気に長屋の井戸端会議みたいな
あんばいになる。そしてさらにお祭り娘のSabrinaが加わったりすると、
もうひっちゃかめっちゃか……。

そして三が日が終わって、戻ってきたいつもの静かな日々。
吉田拓郎の歌ではないが、

   ♪ 祭りのあとの淋しさは  死んだ女にくれてやろ

というような、ちょっぴりおセンチでニヒルな気分におそわれる。

娘たちとは酒を酌み交わしながらいろんな話をしたが、
何を話したのか、いまはとんと思い出せない。

娘たちと込み入った政治の話をしたことはほとんどない。
戦争の話などを口にしようものなら、カミさんもろとも「場所柄をわきまえてよね!」
というような非難がましい眼を向けてくる。

お屠蘇気分の正月に、無粋な政治の話なんか持ちだすなよ、
とお叱りを受けそうだが、いつ持ちだしても「場所柄をわきまえてよ」
なのだから、結局、同じなのである。で、ボクは、
(所詮、オンナ・コドモに政治はわからんわな)
という、つまらない結論に落ち着いてしまう。これは女性差別でも何でもない。
悲しいけれどまごうかたなき現実だ。

娘二人は留学経験者で外国語も達者、外国人の友だちも多い。
なかにはチャイニーズもいるしコリアンもいる。彼らとどんな話をしているのか
知らないが、もしも話題が70年前にまで遡ったら、慰安婦問題にしろ何にしろ、
娘たちはどこまで日本の立場を正しく説明できるのだろうか。にわかに心配になってくる。
この世代は、学校で日本の近・現代史をほとんど教わっていない。

戦後世代は、ボクらも含め、「日本は悪い国であった」と教え込まれている。
特に、教科書検定の事前運動でいま〝評判〟の東京書籍の歴史教科書などは、
最初から最後まで反日自虐史観に貫かれている。こんな教科書で教わったら、
それこそ目もあてられまい。支那事変に火をつけたのは日本で、日韓併合も
日本の侵略的意図から、などと教えこまれる。とにかくアメリカが「善」で日本は「悪」。
原爆投下も、だからやむを得なかったと……。

でもこれらすべてがまっ赤なウソだったとしたら?
ボクは近・現代史に関する本を数百冊読んできたが、読めば読むほど、
先の大戦がアメリカやイギリスによってあらかじめ仕組まれた戦争だった、
ということがわかってきた。日本は侵略国家などではない、窮鼠猫を噛むではないが、
追いつめられた揚げ句の、祖国防衛戦争があの戦争の実態だった。そのことは
あのマッカーサーでさえ証言している(マッカーサー証言』参照)。

こうした事実をわが娘たちを含めた若者たち、いや大人たちだって知りはしない。
知らないから安保関連法案に反対する学生団体「SEALDs(シールズ)」などと
いうおバカな学生たちがハバを利かせることになる。すべて無知から来ている、
と言ってもいいだろうが、この状況は昔の全共闘世代とそれほど違ってはいない。
どちらもサヨク思想にかぶれた知恵遅れの甘ちゃんたちなのだ。

ボクは娘たちを無知蒙昧な輩たちの仲間と思いたくないし、思ってもいない。
しかし自分のアイデンティティ(固有性、主体性)が何であるのか、
ハッキリ自覚しているようには見えない。そこが父としてなんとも歯がゆい。
自分のアイデンティティを確立させるには、しっかりした歴史観を持たなくてはならない。
自分の国のことをよく知ること。そのことによって日本人としての精神に目覚め、
軸のブレない自我が形成される。


ボクは娘二人に一冊の本をプレゼントすることにした。
陸軍士官学校出身で、アサヒビールの副社長をつとめ、平成26年に亡くなった
中條高徳の著作『おじいちゃん戦争のことを教えて』(小学館文庫)という本である。
アメリカの高校で学ぶ中條の孫娘の質問状に答えるといった体裁の本で、
祖父の中條が噛んで含めるようにあの当時の日本の立場を書き綴っている。
実に読みやすく、それでいて内容のしっかりした、掘り出し物といえるような良書である。

日本の近・現代史に疎くてねえ、と思っている人にはぜひ読んでもらいたい一冊だ。
新年早々、きな臭いタイトルで縁起でもないと思われるかもしれないが、
とっておきの「おすゝめ本」を紹介してみた。


←右の小冊子は版元が全国の読者から感想文
募集し、その中から入賞作品を選びまとめたも
の。この入賞作のなかに本ブログへのコメントで
おなじみの「木蘭さん」こと鈴木日宣さんの作品が
「優秀作品賞」の栄誉に輝いている。こちらも
感動の作品集である。
また木蘭さんは『サンケイ・エクスプレス』に
尼さんの徒然説法」を連載しています。
「安保法案」についても世の誤解を解こうと健筆
をふるっています。応援してやってください。






2016年1月2日土曜日

サブちゃんのいるお正月

昨日は麗しのSabrinaが新年の挨拶に来てくれた。
わが家はこのローマ生まれの明るい娘が大好きで、
彼女と話していると笑いが絶えないせいか、
寿命が2~3年のびるような気がする。

Sabrinaはいつになく楽しげだった。
聞けば新しいボーイフレンドができたという。
お相手はイタリア人(ローマ在住)で、以前つき合っていたフニャチンの草食系日本人
と違って、がっしりした男らしい男だという。
「お父さん(←これ、イタリアの実父ではなく私めのことなんです)みたいにカッコいい人なの」
サブちゃんは臆面もなくこう言う。
ここで日本のオトーサンは一気に相好を崩し、トロトロのフニャチンになる。

サブちゃんは絵に描いたようなイタリア人と呼ばれるパンツェッタ・ジローラモ
みたいな男がきらいだ。南イタリアのナポリ人は騒々しくていやだという。ボクが、
「サブちゃんだって南イタリア生まれだろ?」
というと、
「ちが~う。私はローマ生まれで南じゃない。イタリアの真ん中なの」
ムキになって反論する。

サブちゃんのきらうジローラモだが、彼はそんなに騒々しい男じゃない。
ボクはある女性(シンガポール人)の誕生パーティでこのジローラモと同席し、
少し言葉を交わしたのだが、彼は終始、寡黙で紳士的に対応していた。
テレビや雑誌で〝チョイ悪おやじ〟を演じてはいるが、あれはあくまで
営業上の〝顔〟で、実際は物静かで礼儀をわきまえた教養人なのである。

昨晩のディナーはすき焼き。わが家ではめったにすき焼きをしないが、
きのうはSabrinaのために和牛の高級肉を買ってきた。和牛を食べるなんて
何年ぶりだろうか。牛肉といえば、いつだってUSビーフかオージーの徳用肉ばかり。
サシの入った和牛なんぞ食べたら、さぞ胃袋がビックリすることだろう。

実はボク自身がすき焼きという料理を苦手にしている。
酒と醤油、砂糖で味つけをするせいか全体に甘口で、ボクの口に合わないのである。
それに、生卵につけて食べるというのも気色が悪い。生の卵はちょっぴり苦手なのだ。

さて、それでは飯にしようか。
その前に、まずはビールで乾杯だ。酒なら何でもある。
ビールの次は冷やした吟醸酒をワイングラスで飲もう。
香りを楽しむにはワイングラスのほうがいい。
サブちゃんはチーズと辛いものが苦手だが、お酒は大丈夫。
日本の梅酒が大好きというから、自家製の梅酒もロックで出してやった。

つい数カ月前、仕事でイタリアに行き、ローマの実家にも寄ったが、
年々、治安が悪くなっているのを感じるという。昼間でもローマの街中を
歩くのが怖いというから事態は深刻だ。ひったくりが異常に多いから、
袈裟懸けにしたバッグは身体の前にもっていき、両腕でしっかりガードする。
レストランで食事中も、ハンドバックは両膝の上に必ず置くという。
椅子に掛けたりすると、一瞬のうちにもっていかれてしまう。

そこへいくと日本はまだまだ安全ね、とSabrinaはいうのだが、ちょっぴり淋しそうだ。
自分の生まれ育った街が、ちょっとずつ変質していることが悲しくてならないのだろう。
フランスのAlexiaも同じような嘆きを口にしているから、いろんな意味で生活の安全が
脅かされている現実をひしひしと感じているにちがいない。
2016年も波乱の年になりそうだ。
みなさん、良いお年をお迎えください。










photo by my daughter