2015年6月30日火曜日

自衛隊をなめんなよ!

国会の「安保法制」論議がかまびすしい。
といっても、野党の仕掛ける論戦は例によって幼稚そのもので、
いたずらに机上の空論を振りまわすだけだから、
現実とどんどん乖離し、実のある論議がいっこうに進まない。

民主党や共産党、社民党のアンポンタン議員は、この期におよんで、
「自衛官が殺されるリスクが圧倒的に高まる」
などと、おためごかしを言っている。社民党などは、
《あの日から、パパは帰ってこなかった》などと謳った
ポスターまでばら撒き、国民の不安を不必要に煽っている。

そして言うに事欠き、議案にのぼった安保法制に対し、
「なぜ、いまなんだ!」
「拙速だ!」
「とことん審議が尽くされてない」
などとほざいている。

あのねえ、PKOが始まってすでに20年経過してんのよ。
「拙速だ!」と騒ぎ立ててる連中は、この20年間、いったい何していたんだよ!
拙速どころか遅すぎるくらいだろ。

安保関連法案をめぐる審議の中で、安倍首相に「早く質問しろよ!」とヤジられた
民主党の辻元清美などは、阪神淡路大震災の折、
「自衛隊は違憲。自衛隊から食料をもらってはいけません」
などと、被災地でビラを撒き、ひんしゅくを買った女だ。
自衛隊員に対し「税金ドロボー!」と後ろ指をさしていた女が、
こんどは「自衛官のリスクが高まり、場合によっては死者が出るかもしれない」
などと、心配顔をしてみせる。まったく、この女狐ときたら……

たしかにリスクはつきものだ。
でもね、自衛官や警察官、消防隊員の任務には最初から危険がつきものだろ。
それを覚悟で志願し、国民の負託にこたえようとしているのに、
リスク、リスクとは彼らに失礼だろ。自衛隊員の手足を縛ってリスクを高めていたのは、
君たち野党のボンクラ議員ではないか。自衛隊を縛る法制をまっとうなものに変えて
リスクを低減させようというのが今回の法改正の眼目じゃないか。

徴兵制ならいざ知らず、自衛隊は志願制ですぞ。
事におよんでは危険を顧みず、身をもって国民を守るのが彼らの役目なんですよ。
彼らは正真正銘の「軍人」であって、
「海外青年協力隊」などではないのだ



自衛隊をなめんなよ。
いま無理しないで、いつ無理するんだ?
言葉に気をつけろい!》(『pray for Japan』より)

東日本大震災の被災地で活動する自衛隊員が、
「大丈夫? 無理しないでね」と気遣う妻からのメールを受け取り、
返事に書いたのがこの一文である。
泣けてくるじゃないか、この清々しい心意気に。

年間1800万円もの歳費をもらっている野党のバカ議員たち。
国際情勢も読めず、平和ボケが嵩じて脳ミソ(あれば、だけど)が腐臭を放っている。
税金ドロボーのムダ飯喰いはいったいどっちなんだよ!



←こういうポスターをばらまき、
無用の不安をまき散らすのが社民党の常套手段。

2015年6月28日日曜日

嶋中労の酒場放浪記

徹底した筋トレで腰痛とは完全におさらばした、と過信していたのがまずかった。
準備体操もなくだしぬけに10キロのダンベルをひょいと持ち上げようと屈んだら、
「グギッ!」(←たしかにこんな音がした
ああ、またしてもやってしまった。

しかし、そこは日頃の鍛錬のたまものか。ギックリ腰になる一歩手前でからくも
踏みとどまってくれた。だが爆弾を抱えているようなもので、いつ破裂するかわからない。
(今夜は川越で〝三バカ反省会〟と称する飲み会がある。這ってでもゆかねば……)
♪止めてくれるな妙心殿。ゆかねばならぬ、ゆかねばならぬのだ……
だんだん悲壮感が漂ってきた。

酒飲みは並べてみな〝大バカ野郎〟だが、この三バカはそれに輪をかけた超の付く
おバカさんで、ひとりは超有名豆腐店店主のOさん、もうひとりはかつてはソムリエで、
いまは百姓のKさん。実はKさんとは初対面で、互いのブログを通して知り合った
ネッ友」である。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の時代にあっては、
互いの顔を知らなくても友達になれる。恐ろしい時代である。

バカはバカでも、そんじょそこらのバカとはちがう。
われら三バカは、すでに自らを〝愚者〟と観じておる。
グシャグシャになり「汝自身」を知って初めて悟りの道が開かれるというから、
大酒飲みの三バカも如来への道をまっしぐらなのだ。

さて反省会の場所は、川越駅西口の「やじろ兵衞」という居酒屋だ。
川越出身のボクも知らない店だが、『吉田類の酒場放浪記』という
テレビ番組で紹介された川越きっての酒場だという。

(たしかこのあたりにありそうなんだけど……)
待ち合わせ場所の居酒屋を探していると、
なにやら向こうのほうで手を振っているおっさんがいる。
薄っ気味がわるいから無視していると、
(シマナカさんですか? ほれ、東松山のKですよ)

エエーッ? このごましお頭のおっさんがKさんかよ? 参ったな。
(アニキはもう店の中で待ってますから、どうぞどうぞ)
Kさんは、5つ年上のOさんを「アニキ、アニキ」と呼んで狆コロのようになついている。
そのアニキより8つも上のシマナカ先生だァ。下にも置かぬもてなしである。
尻の穴がだんだんこそばゆくなってきた。

例によって飲むほどに酔うほどに舌が滑らかになり、
鉋っクズが燃えあがるみたいにペラペラと言葉が繰り出されたが、
いつものように、何を話したのか、さっぱり憶えていない。
ただOさんの「くっくっく…」というひきつった笑いと「ガハハハ…」という
Kさんの豪傑笑いだけが耳に残っている。

ホロ酔い気分でぶじ帰還したら、
身内の訃報が届いていた。
めでたや次女の婚儀が終えたと思ったら、次は葬儀である。
ああ、人生晴れたり曇ったり。



←BS-TBSの『吉田類の酒場放浪記』。
ただ、酒を喰らって飲み歩くだけの番組だが、
民放のバラエティと称するバカ番組よりは
数段マシ。

2015年6月24日水曜日

日本人らしくない日本人

昨夜はキャッチボール仲間のシモちゃんと「巨人-DeNA戦」を見てきた。
日本のプロ野球にはまったく興味がなく、テレビも見たことがないが、
せっかくのお誘いだからと、デパ地下で弁当やつまみを仕込み、
東京ドームへと向かった。

指定の外野席はセンターとライトのちょうど中間あたり。目の前には巨人の
長野(ちょうの)選手が見える。試合前の練習風景をちょろっと覗いたが、
やはりプロの選手はちがう。距離70~80メートルはあろうかと思われるキャッチボールも、
手首をひょいと返すだけで、矢のような球を投げ返すことができる。
ボクたちは〝遠投〟と称して腕も折れよとばかり力いっぱい投げるが、
球は山なりで、へたすりゃ蝶々がとまりそうである。イチローのレーザービームは
あいにく見たことないが、彼らの練習風景を見れば、だいたい想像はつく。
たぶん恐っそろしく速いのだろう。

日本のプロ野球は見ないがアメリカのMLBは見る、と言ったらイヤミに聞こえようか。
実際、メジャーの選手なら名前もそらで言えるのだが、日本のプロ野球選手は
巨人なら阿部と長野くらいしか知らない。アメリカ嫌いのボクがなぜMLBびいき
なのか? 理由は簡単。選手一人一人が個性的で、技術も一流だからだ。

日本のプロはどうか。技術はまあ一流の部類だろうが、個性的とは言えまい。
それはバッターボックスに立った時の選手の構えを見ればわかる。
金太郎飴みたいに、どいつもこいつもみな同じなのだ。たぶん高校野球を
やっていた頃におバカな監督や先輩に個性をつぶされ、バッティングフォームを
矯正されてしまうのだろう。何ごとも『枠に入って枠を出でよ』の精神が大事なのに、
どの選手も枠に入ったままで終わってしまう。

みんな同じ、というのは応援風景にも表れている。 日本的風土というよりアジア的
風土なのか、応援団はどこも鳴り物入りで、ドンチャカドンチャカ、プープカプープカ、
それはやかましい。騒音嫌いのボクは、MLBのように静かに観戦できないものかと、
切実に思う。

昨夜の席もちょうど巨人応援団のど真ん中という最悪の場所で、
周りはジャイアンツカラーのオレンジ一色。それも熱狂的なファンばかりで、
巨人が攻める番になると全員立ち上がり、
〝レッツゴー レッツゴー、○△×◆!〟
などと叫び、振り付けよろしく手を振ったり跳びはねたり……実にうるさい。

そんな中で、二人だけ弁当をつまみビールを飲んでいると、完全に浮いてしまい、
周囲からの視線も冷たいものになりそうなので、オジサン二人はシャクトリムシが
木の小枝に自らを似せ、目立たなくするように〝擬態〟を演じることにした。
一緒になって立ち上がり、レッツゴー、レッツゴーと蛮声を張りあげるのである。
なんだか、自分で自分が情けなくなってきた。

そんな沈滞ムードの中、唯一の救いがビール売りのおネエちゃんたちだった。
「一番搾り」「スーパードライ」「ヱビス」と銘柄ごとに重いタンクを背負ったホットパンツ
のおネエちゃんが、懸命に階段を上り下りしながら笑顔を振りまいている。

ボクは若い娘たちのこの懸命さと健気さにすこぶる弱い。
おまけにどの娘もAKB48みたいにカワユイ。
オジサンは財布のヒモをゆるめ、健気な花売り娘ならぬビール売り娘に
やさしく声をかけてはビール(1杯800円は高すぎるよ!)を注文し、
「重くて大変だね、がんばってね」などといたわりの声をかけた。
その猫なで声にシモちゃんは呆れ、軽侮の目でボクを見た。
ボクは白ぱっくれた。

正直、野球は面白くなかった。外野席だから選手やプレイがよく見えないし、
ひたすら応援がうるさい。いったい何しに来たの? 
決まってるでしょ、ビールを飲みに来たのですヨ。それと人間観察。
相方のシモちゃんは、
「あのやかましさに堪えるのは大変だったけど、すべては心の修行だからな」
などと、生悟りの禅坊主みたいなことを言っておった。

唯一の収穫は、老若男女を問わず、熱狂的な野球ファンがいるってことが
わかったこと。彼らは揃いの衣裳をまとい、同じ歌を歌い、同じ振り付けをする。
Jリーグの応援も似たようなもので、これはもう日本人に染みついたDNAといっていい。
となると、「付和雷同」的な行為いっさいをきらっているボクは日本人ではないのか。

小林秀雄は初期の作品『一つの脳髄』の中で、
同じ連絡船に乗り合わせた他の客たちと、いっしょになって波に揺られることに
たまらない嫌悪感をおぼえる。
これらの人々が、皆醜い奇妙な置物のように黙って船の振動で
ガタガタ震へて居るのだ。自分の身体も勿論、彼らと同じリズムで
慄へなければならない。それが堪らなかった。然し自分だけが慄へない
方法は如何しても発見できなかった……
この文章に接した時、ボクは震えるほど共感したのを憶えている。
たしか高校生の頃だった。

他者を〝受容〟できない精神状態を、
心理学的には「解離型心理状態」といい、
人間が十分に成熟しきっていないのだそうだ。

ああ、還暦をとうに過ぎたというのに、
いまだ〝他者〟を受け容れられない自分がいる。
困ったもんだとは思うが、このままでいいと囁くもう一人の自分もいる。


←典型的なアジア的風景がこれ。
むかし、支那の軍隊は夜襲をかける時
必ずドラを叩いたという。だから、敵側に
すぐわかってしまった、というオチが
あるけど、「鳴り物」入りというマヌケな
風習は、支那人あたりから伝わったもの
なんでしょうかねェ。










2015年6月22日月曜日

‘タタミゼ化’する外国人

ファットボーイならぬファットおやじのNICKは、
かつて仕事の関係でアメリカに6年暮らしたことがある。
もちろんアメリカ通で英語も達者だが、アメリカびいきかというとそうでもない。
むしろアメリカという国をきらっている。

NICKはこんなことを言っている。
英語という言語を使うと、つい攻撃的になってしまうんだ
アメリカだけではない、西欧文明そのものが〝個人主義〟で彩られ、
無意識下にも相手に対して闘争的・対立的なスタンスをとってしまう。
そうしないと足許をすくわれ、不利益をこうむってしまうからだ。

NICKはさらに言う。
「日本語をしゃべってると、自分はこんなにも
礼儀正しい人間になれるものかと、驚いてしまう」と。
もっともNICKがそれほど礼儀正しい人間かどうかは知らない。
ただ目上のボクに対しては少なからぬ敬意を払ってくれていることはたしかだ。

フランス語に‘tatamiser(タタミゼ)’という言葉がある。
日本語の「畳」をフランス語の動詞にしたもので、
意味するところは〈日本かぶれする、日本びいきになる〉というものだ。

タタミゼ化した外国人はいっぱい知っている。
娘たちの外国人の友人たちは揃ってタタミゼ化しているし、
留学生たちも日を追うごとにタタミゼ化している。
日本の生活や日本人に馴染むにつれて、闘争的・対立的感覚が
徐々に和らぎ、親和的・宥和的な感覚に満たされていくのだ。

GHQのマッカーサー総司令官は、
日本人は太陽や山やキツネを拝む救われない民族
と決めつけたものだが、キツネを拝んでいるおかげで、
黒人教会での無差別銃乱射事件のような陰惨な事件は起きないし、
憲法9条を拝んでいるおかげで、「ノーベル平和ボケ賞」がもらえそうな
環境が整えられつつある。まことに慶賀に堪えない。

昨日、8月半ばからわが家の居候となる予定の高校留学生トマーシュに会った。
190センチはあろうかというチェコ出身の大男で、話しているだけで首筋が痛くなった
ものだが、彼も日本の生活に馴染むにつれ、徐々にタタミゼ化していくことだろう。
そのためにはやわらかな手触りの美しい日本語をいっぱい憶えなくてはならない。

世界の人々がみんなタタミゼ化すれば、無用の争いごともなくなると思うのだが、
柄でもなくそんな甘っちょろいことを言うと、どこか宗教的な色合いを帯びてきそうだし、
へたをすると「世界人類が平和でありますように」と謳った例のマヌケなステッカーと
勘違いされかねない。

トマーシュと同時期に来日したデンマーク出身のヴィクター(こっちも大男)とも
話をした。彼は会話の中でしきりに「やべぇ」を連発していた。何か食べれば
〝おいしい〟が「やばい」となり、何かやれば〝楽しい〟が「やばい」になる。
高校の同級生たちが使っている言葉をオウム返しに使っているだけなのだろうが、
最初に覚えた日本語が「やばい」ではちょっとヤバイ。

いずれにしろ、文字どおり〝上から目線〟の大男どもを、
徐々にタタミゼ化させていかなくてはならない。あいにくわが家には
畳敷きの部屋はないけれど、ここはどうあってもタタミゼ化させる必要があるのだ。

ああ、ならばなおのこと、日本人の中でも例外的に攻撃的・闘争的な
性格を持つボクの家にホームステイしなければならないトマーシュこそ憐れである。
はたしてタタミゼ化は可能なのか? せいぜいがんばってくれ、トマーシュ君!





←なかなかお似合いですね。
ただ帯にちょっと色のアクセント
がほしいな



2015年6月17日水曜日

ユーモアがないと……

敗戦処理に当たった、時の吉田茂外相は、
皇居のお濠端にある進駐軍総司令部に出かけていき、
マッカーサー連合国軍最高司令官に向かってこう切り出したそうだ。
「GHQとはどういう意味ですか?」
「ジェネラル・ヘッドクォーターズの略で……」
と勿体ぶって答えるマッカーサーに、
「ああ、そうでしたか、私はてっきりGo home quickly! の略かと思ってましたよ」
と、とぼけた顔で言い返したという。
マッカーサーの苦々しげな顔が目に浮かぶようだ。

「和製チャーチル」と呼ばれた吉田には巧まざるユーモアがあった。
ユーモアといえば、世間では英国人の専売特許のようにいわれている。
『遙かなるケンブリッジ』『国家の品格』などを書いた藤原正彦も、
「イギリスで最も大切なものはユーモアだ」
とユーモアの大切さを説いている。

では「ユーモア」とは何か。
説明するのはなかなかむつかしいが、
共通するのは、「いったん自らを状況の外に置く」
自分を相手より下目に置く」、つまり自分をバカに見立てる、という姿勢だ。
そして対象にのめり込まず、適正な距離をキープする。
その心の余裕がユーモアの源泉となる。
ユーモアが最も力を発揮するのは、危機的状況に立たされた時だ。

戦時中、日本軍がシンガポールを占領し、在留のイギリス軍が
撤退せざるを得なくなった時、現地の市民が、
「どうした? イギリス兵1人は日本兵10人に匹敵する、と自慢してたじゃないか!」
と言うと、イギリス兵は、
「いやなに、日本兵が11人来ちまったんでな」
いけしゃあしゃあと言ってのけたという。

日本人だって負けてはいない。
戦争中の「ぜいたくは敵だ」の貼り紙に一文字つけ加えて「ぜいたくは素敵だ」に
書き替えたり、男たちを戦地にとられた女たちが「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」の
「工」の字を消し、「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」にするなど、やんわりとした政府批判
もこめ、旺盛なユーモア感覚を発揮した。

どんなに頭がよくても、家柄が立派でも、また人格が高潔であっても、
ユーモアがなければ紳士の資格がない――英国人の多くはこう考えるという。

自分で言うのも何だが、ボクは比較的ユーモアのある人間だと思っている。
が、危機的状況に立たされた時、そのユーモア感覚が十二分に発揮される
かどうかはわからない。ただ、そう努めたいとは思っている。

江戸の文人・狂歌師に大田南畝(蜀山人)という男がいる。
   
   世の中に 金と女は仇なり どうか仇にめぐり会いたし
   世の中に 絶えて女のなかりせば おとこの心 のどけからまし

日本人は堅苦しくて笑いのない民族だ、なんていったい誰が決めつけたのかねェ。

わが団地の裏手に「うけら庵跡」というのがある。
江戸期、その大田蜀山人が詩歌の会などでよく訪れたという庵である。
   
   世の中に 蚊ほど(かほど)うるさきものはなし ぶんぶ(文武)といひて夜もねられず

これは文武を奨励した松平定信の寛政の改革を皮肉った狂歌だが、
あいにくお上の逆鱗に触れ、きびしい取り調べを受けたという。
日本の小役人どもは、今も昔もユーモア感覚に欠けますね。




←蜀山人が愛した「うけら庵」。
写真中央に見える高い建物がボクの住む
団地の一部です







※ひとくち知識
大田蜀山人こと大田南畝は江戸後期の文人。
川柳や狂歌をサイドビジネスで町人に教えていた。
また有能な官僚でもあって、一時、長崎奉行所に
勤務していたことがある。紅毛船にて茶菓の供応
を受けた折、はじめてコーヒーという飲み物を喫する。正直な感想を日誌にこう綴った。
《焦げ臭くて味ふるに堪えず……》

2015年6月11日木曜日

口もとを手で隠さないで!

わが家のジジとババ(ボクたち夫婦のことです)はとても口うるさい。
いつも何かに向かって咆えている。咆える対象(娘たちです)がいなくなった今、
今度はテレビに向かって咆えている。やれ芸能人の箸の持ち方がなってないだとか、
「やべぇ」「すげぇ」などと言葉がうす汚いだとか、何かにつけ咆えまくっている。

イタリア語にうるさい女房などは、これまたテレビ画面に向かって、
「カフェ・ラテじゃなくてカフェ・ラッテ。ルッコラじゃなくルーコラよ。何度言ったらわかるの!」
と、ガミガミ怒鳴ってる。「何度言ったらわかるの」と言われてもねェ……

というわけで、今回は「わが家のきらいなしぐさ」がテーマ。
おまえは「首ふりペコちゃん人形」か?
 近頃、首を上下にふりながらしゃべる人が増えている。テレビなどの街頭インタビュー
か何かでマイクを向けられた人は、8割方首をふっている。自分のしゃべったことに
対して相手が首肯する前に、自分から「ウン、ウン」とうなずく感じで、相手に
「同意してくれませんか?」と促しているようにも見える。外国人はまずやらないしぐさ
なので、そのうち〝クール・ジャパン〟の1つに数えられるかもしれない。
しかし、あんまりふりすぎると首の骨を痛めるかもしれないので要注意だ。

どっちかひとつにしてくれ!
 日本人は外国人に挨拶する時、握手をしながらおじぎをする。日本の閣僚が
外国の要人に対してこれをやる時がよくあるが、あれは実にみっともない。
支那の臭菌屁などは、朝貢団を迎えるみたいに胸を反らし、偉そうに握手をするが、
基本的にはあれでいい。卑屈にぺこぺこ頭を下げているほうがおかしいのだ。
握手をするなら握手だけ。おじぎをするならおじぎだけ。両方を同時にやろうとするから、
「世界一卑屈な民族」に見えてしまう。

相手の目を見ろ!
 シャイな国民性というのはわかる。日本人はたしかに恥ずかしがり屋で、
特に外国人(白人)に対すると、借りてきた猫みたいに押し黙ってしまう。そして得意の
〝うす笑い〟である。人と話をする時、相手の目を見ずあらぬところを見ているような
人間は外国ではペケである。「何かよからぬことを考えている」と受けとられ、信用され
ないのだ。サッカーやバレーボールの国際試合などで、相手チームと代わる代わる
握手を交わすシーンがあるが、日本の選手たちはほとんど相手の目を見ていない。
みな〝あさっての方向〟を見ながら、機械的に握手をしている。あれって、
典型的なill-manner(不作法)だと思うんだけど、監督とかコーチは、そういうことは
指導しないのかしら。握手をする時は相手の目を見る。これがジョーシキです。

悲しい時にニヤニヤするな!
 話す時、決まってニコニコうす笑いをしながらしゃべる人がいる。ボクの友人にもいたが、
ハッキリ言って気持ちがわるい。ボクは喜怒哀楽を出したほうがいい、と考える人間で、
「顔で笑って、心で泣いて」といった曲芸まがいのことはできないし、したくない。
悲しい時は男も女もなく、思いっきり泣けばいいし、嬉しい時は喜びを素直に爆発
させればいい。ただ、朝鮮の人たちみたいに大仰に泣いたり喚いたりするのは
みっともない。そこには自ずと慎みというものがある。
 拉致被害者の会の横田滋・早紀江夫妻の早紀江さんのほうはいいが、旦那の滋
氏はどうもいけない。話す際にいつも口もとに笑みを浮かべているのである。たぶん
クセになっているのだと思われるが、娘が北朝鮮に拉致され、悲しい運命に翻弄され
ている身なのである。「口びるに微笑みを!」は余計でしょう。というより、不謹慎です。
 ボクは「シンプルに生きる」をモットーにしているので、ややこしいことは好まないし、
自分でもやらない。自然児みたいに喜怒哀楽をハッキリさせ、相手に「この人、とっても
わかりやすい」と思わせるようにしている。〝単純な人〟と思われるのがボクの理想だ。

口もとを手で隠すんじゃない!
 多くの日本人女性は、笑う時、口もとを手で隠す。あれはお歯黒をしていた時代の
名残だというが、あのしぐさ、ボクは好きじゃない。歯を見せて笑うことが不作法には
思えないからだ。むしろ手で覆い隠すしぐさのほうが不自然で異様に見える。
 あれって、条件反射的に手で蔽っちゃうんだろうね。そういう遺伝子が日本女性に
組み込まれているのかもしれない。でもね、あのしぐさ、やっぱりおかしいよ。
奥床しくて素敵、と思う人もいるだろうけど、少なくともボクはきらい。自然に歯を見せ
笑ったほうがずっとずっと美しいし、かっこいい。


 

←最近は韓国の女優にもこの〝病気〟が
うつったもよう。

2015年6月4日木曜日

新聞を捨てよ、町へ出よう!

近頃の若者は新聞を購読しないという。
現に友人の大学教授Tが、教室内の学生に向かって、
「独り住まいで新聞をとってるもの、手を挙げて!」
とやったら、ひとりもいなかったという。
悲しいかな、わが家の娘二人も「ニュースはネットで読むから……」と、
シンブンガミにさよならしたもようだ。
たぶん購読料数千円が惜しいのだろう。

そんな若者の〝新聞離れ〟に年配者のボクたちは眉をひそめ、
「だから若者はものを知らないんだ」などと嘆いてみせる。
ボクもその一人だったが、最近は「むしろ読まないほうが賢明かも……
なんて思うようになってきた。

ボクは師匠・山本夏彦の忠実な僕(しもべ)で、「新聞記者=羽織ゴロ」とする
等式を信じるものだから、新聞に対する信頼感はきわめて薄い。
ところが、大方の日本人は新聞に書いてあることやNHKの報道は真実だと思っている。
その点は実にうぶというか無邪気といおうか、記事の中身を疑うことを知らない。

「特定秘密保護法」というのがある。日本の安全保障に関する秘密情報をもらした
公務員や民間人を罰する法律で、通称「スパイ防止法」という。すったもんだの末、
昨年12月に施行されることになったが、例によって朝日新聞を初めとする毎日、
東京などの左翼反日新聞は「怒り 列島を包む」「憲法を骨抜きにする愚挙」
「戦前の日本に戻される」「携帯電話の通話まで盗聴される」などと、ありもしないことを
大仰にふれまわり、恐怖心をあおりにあおった。

こうした法律は、アメリカにもイギリスにも、マレーシアにもシンガポールにも、
もちろん中国にもあって、日本だけになかったというのがむしろ異常なことなのに、
そのことには少しもふれず、「民主主義が後退させられる」などとトンチンカンなこと
を声高に叫んでいる。

ボクも面識があり敬愛する元週刊『文春』の名編集長で、現在、月刊誌『WiLL』の
編集長をつとめている花田紀凱(かずよし)は、
朝日は『赤旗』とそっくり。かつて〝日本のプラウダ〟と呼ばれたことがあったけど、
秘密保護法に関する報道でも、相変わらず客観性も中立性もない。赤旗は共産党の
機関紙だからいい。党員しか読んでないのだから。でも朝日は違う。曲がりなりにも
公正中立を標榜する大新聞だ……》
などと述べている。いたって正論である。

オスプレイに関しても同じ。騒音はNICKの愛車・ハーレー(ファットボーイにでぶオヤジ』参照
に匹敵するくらいやかましいけど、事故率に関する報道は公平さを欠いている。
NHKなどでもただ危ない、騒音がひどい、事故が多すぎると報道しているけど、
実際、古いタイプの輸送機と比べた上で言っているのだろうか。
いや、そうではあるまい。

専門家に言わせると、いま使っている古いタイプの輸送機の事故率のほうが
はるかに高く、オスプレイが危険なヘリでないことが科学的に証明されている。
実際は民間の旅客機(マレーシア航空など)や報道ヘリなどの墜落のほうが確率的には
多いはずなのに、そうした全体像を見ようとはせず、ただひたすらオスプレイの
危険性だけを訴える。不幸にも、オスプレイ関連の事故がつづき、毎日のように
それが起きているかのように報道されているが、実際はまったく違っていて、
輸送能力も輸送距離も、断然優った軍用ヘリなのである。

そうした客観的な性能比較をまったくせず、日本のメディアはただ感情的に
「危ない、危ない」と騒いでいる。これが公正中立な報道だろうか。
だいいち、この感情的報道には日本の置かれている地政学的な現実が
まったく無視されている。

目の前には支那や北朝鮮の脅威が現実としてあるわけで、
どうやったら沖縄や尖閣、東シナ海を守れるのか。
オスプレイを配備することで、支那に無言の〝圧〟をかけられる、
という現実が完全に無視されているのである。

ボクはアサヒは飲むが、朝日は読まない。
いや実際は敵情視察のため、しかたなく読んでいる。
しかしものの数分で、頭が痛くなる。
(なにバカなこと、言ってんだよ!)
花田は「朝日を読むとバカになる」と言っているが、
まったくそのとおり。あの新聞社は完全に頭がいかれている。

FactやTruthよりイデオロギーが優先するのだから、
公正中立もクソもない。この世に生起する森羅万象、
国際紛争や事件・事故を色メガネで眺め、自分たちの主義主張に沿わない
意見は徹底的に無視するのだから、そもそも彼らはジャーナリストですらない。

若者よ、極度に偏向したシンブンガミなど読むくらいなら、
スマホでゲームに興じていたほうが利口です。
ただね、
「えっ? 日本とアメリカが戦争をしたの? で、どっちが勝ったんです?」
とか、
「へーえ、シベリアに〝翼竜〟がいたんですか?」
なんてアホな質問だけはしないでね。