2011年10月31日月曜日

タマタマの話

五十肩が治って、久しぶりにキャッチボールを再開した。
毎週日曜日の午後、団地の友人2人と小学校の校庭で
キャッチをやっている。S君とはもう2年以上、
T君が加わってからもすでに半年以上経っている。

五十肩はふつう完治まで半年~1年かかるとされているが、
ボクは1ヵ月で復活。これも日頃から「愛飲報國」を心がけ、
その陰徳が天に通じたためだと思っている。

もともとボクは速球派のピッチャーで、
S君やT君のへなちょこ球とは次元を異にしているが、
1ヵ月右肩を休ませておいたおかげなのか、
知らぬ間に速球の威力が増していて、
ついにその悲劇、じゃない喜劇は起こってしまった。

最初の犠牲者はT君だった。
みぞおちあたりに投げ込んだ球を受けそこない、
まともに「キン◎マ」にあたってしまったのだ。
余人の球ではない。火の玉のような剛速球だ。

「ううっ……」
T君はその場に崩れ落ち、うずくまってしまった。
顔から血の気が引いて、青白い。
股の間にぶら下げていた錆びた包丁も、
いよいよ年貢の納め時かと、ちらと美人の奥方の
顔を思い浮かべたが、この際、夜の勤行は
きっぱりあきらめてもらうしかないだろう。

次の犠牲者はS君だ。
T君のマヌケな捕球ぶりをへらへら笑っていたものだが、
練習後、「左指をつき指しちゃったみたい」と
情けないメールを送ってきた。捕球法が稚拙なのだ。
まったく、呆れ果てた野郎どもである。
(最初から鍛え直さなくちゃダメだな、こりゃ)

飛蚊症ニモマケズ   五十肩ニモマケズ
金欠病ニモ   女難七難ニモマケヌ
丈夫ナカラダヲ  モチ
慾ハナク(うそ、慾にまみれてる)
(以下略)………










2011年10月25日火曜日

もったいない

読売新聞の「読書」に関する全国世論調査によると、
「この1カ月間に何冊くらい本を読みましたか」(雑誌は除く)
という質問に、
①「読まなかった」が51.9%、②「1冊」が16.7%
という結果だった。

そして「本を読まなかった理由」を尋ねると、
①「時間がなかった」が48.6%、
②「読みたい本がなかった」が20.4%
なんと④「本を読まなくても困らないから」が18.0%もあった。

「本を読んで考え方や人生観に影響を受けたことがありますか」
という質問には、
①「ある」が63.2%、②「ない」が34.6%という結果だった。

これらの調査結果を見て、それぞれの思いはあるだろう。
ワンガリ・マータイさんではないが、ボクはまず「もったいないな」と思った。

目の前に人生を豊かにしてくれる宝の山が眠っているというのに、
みんな素通りして、それでいて二言目には「癒されたい」などと呟き、
幸せを求めてさまよっている。

なるほど本なんか読まなくても生きていけるし、
実生活の上ではたしかに困ることはないだろう。
情報ならインターネットやテレビからいくらでも取れる。

しかし、自分の生き方に大きな影響を与えてくれるものといったら、
今のところ「読書」しか思いつかない。
しかるに本から処世を学んだ経験がない、
というものが約35%もいるという現実。
もったいない、という外ない。

本好きになるためにはどうしても「濫読」という助走期間が必要となる。
あたりかまわず読み散らかし、自分にピッタリの「尚友」と出会うまでの
見習い期間である。この濫読経験のない者は、なかなか本好きにはなれない。

たとえばボクは、'47のルースト盤『バド・パウエルの藝術』というレコードの中の
「I should care」という曲にめぐり合わなかったら、ジャズにのめり込むことは
なかっただろうし、石川淳の『夷齋筆談』を読まなければこの作家のとてつもない
巨きさを思い知ることはなかった。この偶然の出会いが生まれるまでに、
いったいどれだけ道草を食ったことか。そしてまたどれだけ授業料を払ったことか。

「本を読まなくても困らない」と答えている人は、
本のすばらしさにふれる遙か手前で、自らチャンスを棒に振り、
生涯の友と出会う途を閉ざしてしまっている。
これほどもったいないことはない。

数えたことはないが、本にふれない日はまずなく、
日に1冊、多い日は3冊、仕事で速読しなければならない時は、
日に10冊以上読むこともある。この数日、急ぎ仕事があって、
膨大な資料読みに忙殺されたが、それでも慣れてくれば
それほど苦にならない。

読んでる「時間がなかった」というが、たぶん半分はウソで、
「本を読む習慣がそもそもない」というのが正直なところだろう。
本好きはどんなに忙しくても本を手に取る。
いや、忙しいからこそ本に潤いを求めようとする。
そういうものなのだ。

定年になったら山ほど本を読むよ、という類の人に本好きは少ない。
忙しい時に本を読まない人は、ヒマになっても本など読まないのだ。

作家の井上靖はこんなことを書いている。
《読書の楽しさを知ると知らないでは、人間の一生がまるで違ったものになる。
お花畑を歩くのと砂漠の中を歩くぐらいの差違がある……》

秋の夜長、寝る前のひとときを読書と共に過ごす時間は
何ものにも代えがたい。今は再た、若い頃に親しんだ
小林秀雄や荷風をゆっくりと読み返している。
日本語の美しさと勁直さを心より味わいながら。

2011年10月24日月曜日

職業に貴賎あり

昨夜は家族揃って六本木でディナー。電車だと乗り継ぎが面倒だが、
首都高(高島平~霞ヶ関)を使えばわずか30分で到着する。
場所は東京ミッドタウン内のイタリア料理店である。

わが家の外食はイタリアンが多い。
理由はいくつかある。
①概して当たり外れがなく、安い割にうまい。
②女房がイタリアンとフレンチのフードライターを
やっているため、店情報に詳しい。
③長女が高校時代にトリノ近郊の町に1年間留学していた。
④ラジオのイタリア語講座を10年以上聴いている(←女房)。
⑤家族全員がイタリアとイタリア料理好き。
というように、何かとイタリアに縁があるのである。

このお店、すでに女房が雑誌の取材でお世話になっている。
また次女の学友Mさんがウェイトレスのアルバイトをやっていて、
以前から「少しはサービスしますよ」といわれていた。
Mさんは高校時代に1年、大学時代に1年と、
都合2年間イタリア生活を送っている。

テーブルは公園(SMAPの草彅君が素っ裸になって騒ぎ、公然ワイセツ罪で
とっつかまった檜町公園)を望むテラス席で、文句なしのシチュエーション。
料理も前菜、パスタ、ピッツァ、セコンド、ドルチェとまあまあの味だった。
長女はトリノ生まれのウェイターを相手にしばしピエモンテ方言で世間話。
だいぶ錆びついてきてはいるようだが、まだまだ達者なものだと感心する。

隣のテーブルは男3人女1人のお洒落なイタリア人グループ。男は3人とも
頭がcomb free(櫛要らず)で、そのまた隣のテーブルには「やーさん」らしき
こわもての男女が6~7人。男たちはやはりcomb freeで、あたりかまわず
葉巻をプカプカふかしていた。タバコ嫌いの娘たちは、途端にげんなり。
不快だったが、怖いから全員目を合わさないようにしていた。

最後のドルチェ(ケーキ)の皿には、チョコレートで書いた
Buon Compleanno Hiroko(誕生日おめでとう! ヒロコ)の文字が。
数日遅れの誕生会になってしまったが、女房のために、
娘たちが秘かに頼んでおいてくれたのだ。
すかさず、陽気なイタリア人のギター弾きがお祝いの歌を披露。
「おめでとう!」と周りのテーブルからも拍手をいただいた。
見たら「やーさん」たちも拍手をしていた。なんだか、怖かった。

年末には長女の友人たちがイタリアからやってくる。
「この店にはトリノのお兄ちゃんもいるし、みんなを連れてこようかな」
などと、長女はご満悦。

それにしても、あのハゲ頭の「やーさん」たちはブキミだった。
全員がどこか垢抜けていて、一見カタギのおっさんたちに見えるのだが、
あの凄味のきいた目つきと姐御肌の女たちは尋常ではない。
イタリア人グループも気圧されたのか、終始小さくなっていた。















2011年10月18日火曜日

「あらちゃん」や~い!

NHKニュースにも荒川の「あらちゃん」が取りあげられている。
一頭のアザラシが荒川に迷い込んだだけで、
なぜこんなにもバカ騒ぎをするのか。

愚かにも志木市の長沼明市長は、
「さっそく住民票を交付する」と高らかに宣言
18日、カメラの放列を前に秋ケ瀬取水堰で厳かに交付式が行われた。

あらちゃんの正式名は「志木あらちゃん」。
だから呼びかけるときは、「あらちゃ~ん!」と呼び捨てにするのではなく、
「あらちゃんちゃ~ん!」と呼びかけなくてはいけない。
「アグネス・チャンちゃ~ん!」と呼びかけるのと同じで、
マヌケな話ではあるが、あくまでも礼を失してはいけないのである。

気まぐれなアザラシのこと、突然いなくなってしまうこともあり得るため、
市長は、「庁内の〝英知〟を結集し、永住への策をしぼりたい」
などと大まじめに答えている(餌づけだけはしないでくれ)。

かくも愚かな市長を戴いている志木市役所である。
愚将の下には愚卒ばかり――役所内には初めっから、
〝英知〟なんてものがあるハズもなく、
あきれた志木市民が一斉に転出届を出すのではないかと、
むしろそっちのほうが心配になってくる。

あらちゃんへの住民票交付に際しては、
市の職員たちが式典準備や交付手続きに追われ、
数人が急遽深夜残業を強いられたと聞く(やってられないよなァ)。
また愚かなる市長は、あらちゃん担当の専任職員を任命(税金ドロボー!)。
とうとうバカがこんがらがってしまった。

アザラシが一頭のうちはまだご愛敬だろうが、
これが数十、数百と川面を埋め尽くし、
せっかく放流したアユを一匹残らず食べてしまったらどうするのか。
それでも駆除をせず、いちいち名前を付け(どうやって顔を見分けるのだ)、
住民票を交付し(出生年月日も性別も世帯主との続柄もわかっていないのに?)、
市長はテレビカメラを前に、麗々しく交付式典をやり続けるつもりなのか。

10年前、平成の大合併の折、志木市、朝霞市、和光市、新座市の4市が
合併しようという案が持ち上がった。4市一斉の住民投票の結果、
和光市だけ住民の77%が反対(つむじ曲がりが多いもんでね)、
合併案はあえなく否決されてしまった。

たかがアザラシ一頭の出現で、町を挙げての狂騒劇。
市長も市長なら住民も住民で、一連の税金の無駄遣いに対し、
「税金返還訴訟」を起こすくらいの良識ある住民が
一人くらいはいないものか。

アザラシなんぞ、和歌山太地町のイルカ追い込み漁に倣って、
早くひっつかまえ、身ぐるみ剥いで毛皮のコートにしちまえばいいのだ。
なにが「あらちゃん」だ、アホらしい。
ああ、おバカな志木市なんかと合併しなくて本当によかった。







←マヌケな顔した「あらちゃん」。
こんなもの、どこがかわいいのかね。

2011年10月16日日曜日

秋の落ち蚊

昨夜、夕食の鍋料理をつついていたら、
突然目の前に糸くずみたいなものが現れた。
はるさめでも睫毛に引っかかったのかと、
手で何度も除けようとしたけれどとれない。
こすってもだめ、顔を洗ってもだめ。
蚊のような、糸くずのような謎の浮遊物体は
いっこうに消えてくれないのである。

「それって飛蚊症じゃない? 知り合いと同じ症状だもの」
女房がそう言った。
「何? そのヒブンショウって?」
「一種の老化現象みたい。目の前にいつも蚊が飛んでるように見える
から飛蚊症」

さっそくネットで検索。あったあった……ありましたよ。
「多くは加齢により自然発症するもので、
硝子体が何らかの理由で網膜から剥離して起こる」と解説がある。
老化によるものは、あきらめるしかなく、
「そのうち馴れる」なんて書いてあったりする。

こいつは参った。目の前にいつも糸くずが絡まっていたり、
蚊が飛んでいたりじゃ、鬱陶しくてしようがない。
こんなものと一生つきあわなけりゃいけないのかと思うと、
暗澹たる気分になる。

地震、津波に台風まで押し寄せ、
おまけに母や叔父、叔母を失い、
こんどは何の因果か五十肩に金欠病(持病です)に飛蚊症ときた。
今年はなんてツキのない年なんだろう。

齢をとるということは、
次から次へと押しよせる身内の不幸や身体の異常事態を、
素直に従容と受け止めることなんだな、としぶしぶ納得。
徐々に油が切れポンコツ化していくわが身を思うと、
侘びしさがひとしおこみ上げてくる。




※追白
10/17(月)病院の眼科で精密検査。
結果はやはり「飛蚊症」だった。投薬も手術も必要なし。
医者曰く「すぐに馴れますから……」
馴れますからと云われたって、あなた……







2011年10月12日水曜日

吉祥寺「もか」恋々

吉祥寺に「もか」という自家焙煎コーヒーの名店があった。
そこには標交紀(しめぎゆきとし)という〝コーヒーの鬼〟が棲んでいて、
日ごと夜ごと、コーヒーのことばかり考えていた。

標のコーヒーはうまい不味いをはるかに超え、
感動を誘うコーヒー」とまで云われた。
もしも客が飲み残そうものなら、カウンターから飛び出し、
追いかけていって「残したわけを聞かせてくれ」と
返答を迫った、というのだから尋常ではない。

標が突然逝ってしまい、「もか」が閉店して早や5年。
標が蒐集したコーヒー器具など約250点を展示した催し
「咖啡がやってきた」展が三鷹の中近東文化センター附属博物館で
開かれていたので、久しぶりに行ってみた。

「もか」を再現した臨時カフェは大盛況で、標のかつての弟子たちが、
全国から応援に駆けつけていた。たまたま相席した若者は、標のことを
知らなかった。お節介なボクは、標の人となりや、「もか」がコーヒー屋の
聖地だったことなどを語りきかせた。若者は目を輝かせて聞き入った。
「すごい人だったんですね。一度でいいから標さんのコーヒーを飲みたかったな」

会場にいた未亡人の標和子さんは、いまだに茫然自失の抜け殻状態で、
あれほど好きだったコーヒーを、あの日以来一度も口にしていないという。
服喪のための茶断ちではない。コーヒーが飲めなくなってしまったのだ。
2人は人も羨むおしどり夫婦だった。子がいないぶん、よけい夫婦の紐帯は強かった。
夫人の悲嘆と絶望は察するにあまりある。

一心不乱になって我を忘れる――今どきこんな生き方をするものはまれだろう。
が、世界一のコーヒーをめざし焙煎に没頭している時の標は、
まさしくこんな忘我の状態だった。「コーヒーには品格がなければいけない
品格のないコーヒーなど無価値で、そんなものは踏み倒していい、
とまで言い切った。そこまで言える人間はまずいない。

宣伝じみていて恐縮なのだが、稀代のコーヒー馬鹿を描いた
小著『コーヒーの鬼がゆく』が12月に中央公論新社より文庫化される。
たかがコーヒーという狭くて小さな世界だが、
それに命をかけて打ち込んだ男がいた。
標交紀という名を、心の片隅でいい、憶えておいてほしい。



※追記
標さんとの「お別れの会」(2008.2.10)の様子を『週刊きちじょうじ』が
伝えているので、ここに改めて掲載させていただく。会場にはカフェ・ド・ランブル
の関口さんの顔も。記事をクリックすると拡大画面になる
恥ずかしながら不肖私めも挨拶に駆り出された。「もか」の瀟洒なたたずまいが懐かしい。
http://www.tokyo-net.ne.jp/kichijoji/weekly/2008/1719/index.html





2011年10月4日火曜日

ノスタル爺の呟き

わが家はボク以外、みんなfacebookをやっている。
女房だけは仕事が忙しく、久しく更新を怠っているが、
娘2人は女子会をやった、旅行に行った、山ガールをやってきた、
などといってはマメに写真をアップし、悦に入っている。

「友だちの友だちはトモダチだ」じゃないけれど、
facebookでつながっているトモダチの数は半端じゃない。
おまけに国際色あふれ、いろんな国の若者と「いいね!」
などとやり合っている。

ボクは以前、友人に勧められmixiをやっていたが、
いつのまにか更新するのが面倒になってやめてしまった。
いまでもボクのページは残っているが、
時々のぞいてみると、見知らぬ人の〝足跡〟が残っていたりする。
mixiも今ではfacebookにすっかりお株をとられたかっこうだが、
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)としては、
こっちのほうが老舗だろう。

facebookにしろmixiにしろ、インターネット上でコミュニティを
築けるというのはすばらしいことだ。たとえそれらの友情が擬似的で、
まやかしで、絵空事の贋物であったとしても、現実社会のそれと比べれば、
どう転んでもどっこいどっこいだろうから、ケチをつけるほどのこともない。

こうして草の根的に友情の輪が広がっていけば、いずれは世界が1つになり、
戦争もない平和な世の中になる、なんて太平楽を並べるオポチュニスト
もいるようだが、もしかすると核兵器ではなくインターネットが戦争の抑止力になる、
なんてことが現実に起こるかもしれない。

「アラブの春」(アラブ世界の民主化運動)を支えたのはtwitterや
facebookだった。インターネットが革命を引き起こせるのなら、
戦争をストップさせたって不思議ではあるまい。

さて、ボクは今のところfacebookをやるつもりはない。
mixiのときもそうだったが、友人知人をだ~れも〝招待〟しないから、
コミュニティの輪が広がらないのだ。知らない人とつながるのは
気味がわるいし、互いの写真を見せっこするのも気味がわるい。
ボクみたいなつむじ曲がりには所詮不向きな世界なのだ。
ボクは若者言葉でいうところの「シケ男」(座を白けさせる男)そのもの。
お生憎様、という外ない。