2016年3月29日火曜日

朝霞の〝桃〟がぶじ帰る

朝霞市の女子中学生が2年ぶりに救出された。
この女子生徒の捜索用チラシはうちの団地のそこかしこに貼られていた。
なんてったって朝霞市はボクが住む和光市の隣町。ごくごく近所で起きた
失踪事件だったので、突然いなくなってしまったSちゃんのことはいつも心に
留めていたし、仲間内の話題にのぼることもたびたびだった。

テレビニュースですっかりお馴染みになってしまった朝霞警察署は、歩いて10分ほどの
ところにある。数年前、傷害容疑←結果的には不起訴になりましたのでご安心を)で何時間も
取り調べられた身の上だから、どういうわけか親近感を持ってしまって、テレビカメラの
前に警杖持って突っ立っているおまわりさんに対しても、
「おい、テレビに映ってっからな、がんばれよ!」
などと声をかけたくなってしまう。

それにしても2年間も監禁されていたとは……親御さんも生きた心地がしなかっただろう。
娘を持つ親なら、それがどれほど胸を締めつけられる責め苦であるか、よーく分かる。
気の小さいボクなんかとっくに発狂している。

樺風(かぶ)などとふざけた名の犯人は、カッターナイフで右首筋を切り自殺を
図ったらしいが、生への未練が捨てきれないのか、血まみれになったまま発見され、
警察の御用となった。白樺の風、などという風流な名が泣くほど卑怯未練な男である。

1965年作の映画に『コレクター』というのがある。
ある男がひそかに想いを寄せる女性を誘拐監禁し、
奇妙な共同生活を送るという映画である。
主演の犯人役は『スーパーマンⅡ』で悪役・ゾッド将軍を
演じたイギリスの名優・テレンス・スタンプだ。

この映画が封切られた年の11月、豊島区で同じような事件が起きた。
風采の上がらぬ中年男が17歳の女子高生を誘拐し、自宅アパートに
監禁したのだ。そして特異な同棲生活が始まる……。

この犯人は翌年5月に逮捕されるが、彼の日記にはこんな文句が
連ねてあったという。
I'm lonely man , I have to find for a peach , and it must be white ripe peach.
おれは孤独な男だ。だから〝桃〟を探さなくてはならない。それは白く熟れた桃だ
この男、英語ができたらしい。で、たまたま熟れた桃をみつけ、「靴べら」で脅し、
自宅アパートに連れ込んだ。凶器が靴べらというのが、いかにも衝動的な
犯行を思わせておかしい。

この犯行に影響を与えたのが映画『コレクター』だった。
つまりこの豊島区の誘拐魔は映画の中の犯人フレディのコピーキャットなのだ。

被害者が犯人と長期にわたって生活を共にしていると、犯人に対して
過度の同情や好意を抱くことがあるという。この現象を精神医学用語で
「ストックホルム症候群」と呼ぶという。逆に監禁者が被監禁者に親近感を
抱いてしまう現象を「リマ症候群」と呼ぶ。1996年に起きた在ペルー日本大使
公邸占拠事件が下敷きになっているという。

いずれにしても監禁される側の〝桃ちゃん〟はたまったもんじゃない。
映画『コレクター』の〝桃ちゃん〟は最後には死んでしまうが、
朝霞の〝桃ちゃん〟はぶじ親元に戻ることができた。
2年という失われた歳月はもう帰ってはこないが、
この困難を糧にして未来に向かって歩んでいってほしいものだ。

ご近所だから〝桃ちゃん〟と出会うことがあるかもしれない。もし目が合ったら、
フルネームで呼びかけ、「よくがんばったな!」とエールを送ってあげよう。
たぶん怯えた目で見返してくるだろうけど……(笑)←見た目、恐そうなオッサンだものね

ああ、おじさんもジュクジュクに熟れた〝桃ちゃん〟がほしい(バカ)。

←映画『コレクター』で犯人役を演じた
テレンス・スタンプ。若い頃、ボクはこの
スタンプに憧れ、髪型(のちに長髪の時期があった)
にも憧れ、床屋で「こんな髪型にしてほしい」
とスタンプのブロマイドを見せたら、
床屋のおやじはプッと吹き出した。
元から断たなきゃダメってわけか(笑)。

2016年3月21日月曜日

親不孝者はさっさと消えちまえ!

近頃の子供たちは何か困難なことがあるとすぐ自ら命を絶ってしまう。
成績が悪くても死んじゃうし、いじめられても死ぬ。もちろん失恋すれば首をつるし、
親や教師に叱られただけですぐビルから飛び降りてしまう。
日本の若年層の自殺率はG7の中で断トツのトップで、英独の3倍、
なんとイタリアの4倍だという。死にすぎである。

広島府中町の中3生徒が、志望する私立高校への学校長の推薦状が
もらえず、そのことを悲観して自殺してしまった。中学1年時に万引きした
という誤った記録が抹消されずに残っていたため、担任の女性教諭が
その記録を検証せず鵜呑みにしてしまったためだ。ほんのちょっとした
凡ミスで、かけがえのない命が失われてしまった。

ボンクラの担任教師や学校側がもちろん悪い。
しかしボクは思うのだ。親に先立ち、自ら命を絶った生徒がいちばん悪いと。
ボクは自殺する人間に対しては冷たいのだ。

学校長の推薦状がもらえなかった?
それがどうしたっていうんだよ。
「そんなもん、なんぼのもんじゃい!
と、なぜ雄々しくハネ返すことができないのだ。

推薦状がないと志望校に受からない、というのなら、
それはそれでしかたないじゃないか。そんなことで
人生が決まってしまうわけでもなし、別の高校を受ければ済むことだろ。
そこで一所懸命勉強し、希望の大学に受かり、「ザマミロ」とみんなを
見返してやれば済むことじゃないか。『お楽しみはこれからだ』の心意気で、
深く静かに潜行しコツコツやっていけばいいことで、なにも死ぬことはない。

自慢じゃないがボクなんか、就職に際して教授の推薦状なんか一枚も
もらったことがない。教授のおぼえめでたき、という優秀な学生ではなく、
その対極にあるようなダメ学生だったため、推薦状など皆無だった。
だからって、あたしゃ死のうなんて思いません。ジーパンに革ジャン姿で、
数十社を受けまくりましたよ。もっとも、ことごとく落ち討ち死にしましたがね。
その話はすでに「ブルージーンと革ジャンパー」でご披露いたしました。

出来の悪い学生でも、まじめにコツコツやっていけば、
人並みのサラリーマンくらいにはなれる。もちろん女と結婚だってできるし、
家だって持てる。ボクの場合は志望の高校、志望の大学にまぐれで
受かり、ぶじ卒業できたけど、「だからどうした!」といわれれば、
格別言いたいことはない。今にして思えば、大学なんてどこだって
同じようなものだろうし、そこで有用な何かを学んだということでもない。

何が言いたいのかというと、およそ人生なんて自分の思いどおりには
ならないのがふつうで、思い描いたとおりの人生なんてあるわけがない、
ということだ。もしそんなものがあったら、だいいち気持ちが悪いだろ?

スペンサーだかダーウィンだかが唱えた「適者生存の法則」というのがあるけど、
要はこの広島の中3生徒は環境に不適格な弱い生き物だった。
自然淘汰されるべき弱い生き物だった、と云う外ないですな。
ご両親の無念いかばかりかとは思うけど、この程度の逆風で
命を絶ってしまう人間は、この先、どう転んだって脈はありませんよ。
遅いか早いかの違いでね。たぶん優秀ではあっても生命力が弱かったのでしょう。

ボクは小中学を通してずっといじめられていた(←自慢してる)。
でも、そんなうすらみっともない悩みを親に打ち明けられっこないから、
ひとり悶々と過ごしていたが、ふしぎに死にたいとは思わなかった。
ただ太宰治の『人間失格』や梶井基次郎の『冬の蝿』などの暗い作品には共感し、
むさぼるようにして読んだ記憶がある。たぶん読書でカタルシスを得て、
どうにか心のバランスをとっていたのだろう。

(あの野郎、いつかきっとやっつけてやる……)
そして雌伏すること5年、読書のかたわら筋肉もりもりのマッチョに肉体改造した
ボクはかつてのいじめっ子を呼び出しコテンパンにのしてしまった。

ボクは英語の成績以外はみな平均以下だった。
とりわけ現代国語や古文なんかはサイテーの部類だった。
だが皮肉なことに、いまは曲がりなりにも「文筆業」でメシを食っている。
人生、どこでどう転ぶか、神様だって知りはしないのだよ。
口の減らない女房は、
「あなたは身体じゅうから変な物質をいっぱい出すから(←臭いもんね、おれの足)、
文筆業じゃなくて〝分泌業〟だわね」
などと小バカにする。

死にたいやつは勝手に死ねばいい。
自分のことばかりで、両親の深い悲しみを想像できないような親不孝者は
さっさと死んでしまえばいいのだ。

「命の大切さを教えたい?」
「心のケアが大事だと?」
バカな校長どもはいつだってこんな台詞を吐き、神妙にかしこまる。
フン、笑わせやがる。そんなマニュアルどおりの心に響かぬ常套句で
生徒の自殺が減るもんかよ。教師ってやつはどこまで世間知らずなんだ!
心のひ弱な親不孝者はさっさと死んでしまえ!




←環境に適応していったものだけが
生き残ってきた。だれひとりとして
「推薦状」なんて持っていなかった


2016年3月15日火曜日

千三つ屋を大統領に!

民主党と維新の党がくっついて「民進党」になるという。
当然ながら「なりふりかまわぬ野合」と斬って捨てる声は少なくないが、
せめて党名でも変えて心機一転の〝めくらまし〟をかませなければ、
党の存続すら危ぶまれる、というのだから、新党の脈はすでに上がっている。
「羊頭をかかげて狗肉を売る」といったら台湾本家の民進党(正式名は民主進歩党
には失礼だろうか。〝民進党日本支部〟に雁首ならべた有象無象は、
せいぜい見かけ倒しの狗肉売りに精を出すことだ。

日本では「リベラル」というと、いかにも知的な感じがして聞こえがいい。
辞書で引くと「自由主義を重んじるさま、進歩的な人」などとのんきなことが書いてある。
字面を追うだけなら、ボクなんかまさにリベラリストそのものだが、
日本のリベラル派というのはちと趣を異にする。その特徴をいくつか挙げると、
●すでに崩壊している社会主義に、今もって心情的なシンパシーを寄せている。
●何かというと反体制、反権力を気取りたがる。
●自分は安全地帯にいながら、口先だけで革新や改革を唱える。
●いつだって「反自民」で、朝日や毎日の社説をオウム返しに言う癖(へき)がある。
●「若い頃はゲバ棒で機動隊とやり合ったんだ」が孫への唯一の自慢話。

また一般に「保守=タカ派」「リベラル(革新)=ハト派」というイメージもある。
おまけに「タカ派=好戦的」、「ハト派=平和的」と考えられてもいる。
政治や歴史に不案内な人たちは、改憲を唱える保守タカ派の自民党などより、
ハト派のリベラル政党に投票したほうが日本の平和が保てそう、
などとつい考えてしまいがちだが、実際はそうではない。
平和主義者が多いリベラル政党のほうがむしろ危ういのである。

アメリカではいま、大統領選の予備選が繰り広げられ、共和党のトランプ候補
や民主党のサンダース候補の奮戦ぶりが報じられているが、考えてみれば、
片や「千三つ屋(せんみつや)=不動産屋」のトランプで、こなた「社会主義者」の
サンダースというのだから面白い。三流役者のレーガンだって立派な大統領だった
のだから、千三つ屋が大統領になれない道理はないけれど、不法移民の流入が
絶えないからとテキサスとメキシコとの国境にthe Great Wall(万里の長城)を
築いてしまえ、というのだから笑える。

テキサス州とカリフォルニア州にはスペイン語の地名が多い。
なぜならもともとメキシコの土地だったからだ。テキサスはかつて
メキシコの一州だったが、奸智にたけたアメリカはテキサスに移住したアメリカ人に
独立運動を指嗾(しそうし、いったん独立させた後、自国に帰属させてしまった。
メキシコ人の側からすれば、
「もともと俺たちの土地じゃないか、そこに移住して何が悪いんだよ!」
という理屈だろう。
クリミア半島のロシア帰属をアメリカはしきりに非難するが、
「そんなもん、言えた義理かよ」というのがボクの言い分である。

さて話を戻すと、アメリカ民主党リベラル派(日本の旧民主党も同じ)の危うさについてである。
アメリカという国は〝世界の警察官〟みたいに言われているが、実際は〝戦争屋〟と
呼ぶほうがふさわしい。それも民主党政権の時に多く戦争が起きている。

第2次世界大戦はどうか。あれは民主党のルーズベルト政権の時だった。
広島と長崎に原爆を落としたのも民主党のトルーマン政権。同じく朝鮮戦争
もトルーマン政権で、ベトナム戦争も介入に踏み切ったのは民主党のケネディ政権
だった。そしてケネディの跡を継いだジョンソン政権が本格的な武力介入をおこなった。
つまり世界を揺るがした戦争の多くはリベラルな民主党政権時代に起こったのだ。
民主党=ハト派で平和的というイメージが強いが、実際は逆なのである。

何度もいうが、ボクは日本ではタカ派の自民党を支持し、
アメリカでもタカ派の共和党を支持している。だから、「千三つ屋」トランプの
怪?進撃にはいくぶん戸惑ってもいるのだが、民主党のクリントンやサンダースが
大統領になるよりはマシだろうから、いまはただ静観するのみだ。
リベラル派ぎらいが嵩じると、千三つ屋でも三百代言(ルビオ候補のような弁護士あがり
でも応援したくなってしまうのだから、自分でもいやになる(笑)。

さて日本では7月に参院選が実施される。
「変わりばえしない自民党より衣替えした民進党のほうがよさそうね」
などとは、くれぐれも思わないことだ。民主党政権時代のあの〝混迷の3年半〟を
決して忘れず、「左翼リベラル政党=愚者の群れ」と肝に銘じることである。

いくらお色直しをしようが中身はまったく変わっていないし、変わりようがない。
相変わらずの愚者の群れで、こんな奴らに税金でタダ飯を食わせてやっているのか
と思うと胸クソ悪くなり、心悸まで昂ぶってくる。
※脚注 国会議員の歳費(給料)は年間2200万円ほど。それに文書通信交通費やら政党交付金やらが加えられますから、
年間4400万円ほどがふところに入ります。この金で豪遊し、不倫をし……いや、失礼。マジメな議員も少しはいます。

再三くり返して恐縮だが、鉄血宰相ビスマルクの名言をひとつご披露する。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

←千に三つも本当のことを言わない、
千の物件のうち三つくらいしか成約が
ならない、という意味から不動産屋は
「千三つ屋」と蔑まれました。不動産屋には
娘を嫁にやらない、とまで言われました。
今はもちろん違いますが、この千三つ屋の
王といわれるトランプ氏。意外や、歴史に残る
名大統領になったりして……


※追記
ちなみにボクは改憲論者ではありません。
自主憲法制定論者」です。
なぜなら現行憲法は日本が主権を失っていた時期に
制定されたものだからです。つまり近代憲法としての
正当性をそもそも欠いているのです。したがって
速やかに廃棄し、新憲法制定に着手すべきなのです。護憲派はその
意味でも日本人としての矜恃を欠いた隷属的精神(メカケ根性ともいう)
の持ち主という外ありません。

2016年3月8日火曜日

〝老いるショック〟をぶっ飛ばせ!

近頃やけに「老い」を感じる。
顔にシミが多くなった。肌に艶がなくなってきた。
首回りがたるんで、つまむとなかなか元にもどらない。
もちろん白髪が増え、ヒゲはほぼ真っ白けになった。
臍下三寸のお毛々にも白いものが混じっている。

キャッチボールでも、以前のようなスピードボールが投げられなくなってきた。
泳いではバタフライに精彩を欠いている。バッタは上半身の力で泳ぐものではない、
リズミカルに腰を使って泳ぐ。その腰にしなやかさとネバリがなくなってきたのだ。
自分では若い若いと思っていても、やはり衰えはひたひたと忍び寄ってくる。

以上は「カラダ」の衰えだが、これはまあ、しかたがないだろう。
もう若い頃のように跳んだりはねたりはできないし、
若い娘っこから恋文を渡され「好きです」などと告白されることもない。
ときどき団地内のバアさんたちから秋波を送られることはあっても、
切った張ったの色恋沙汰になることはまずない。
ああ、すべてが一場の春夢……人生はほんとうに儚くも短い。

女性は男性以上に〝老い〟に敏感だ。
毎日、鏡に向かって化粧をしているせいだろう、
老いの兆候に対しては異常なほど過敏になっている。
ボクの女房などは白髪1本で世も末とばかりにギャーギャー騒ぐ。

テレビでは〝アンチ・エイジング(抗老化)〟を謳ったスキンケア商品や
サプリメント健康食品などのCMが花盛りで、市場規模も数千億円と
年々増大している。娘時代は貴重な時間とエネルギーのほとんどを
「過食」と「拒食」の間を往ったり来たりすることに費やしてきた彼女たちが、
こんどは「アンチ・エイジング」一本にしぼって金と時間をつぎ込んでいる。

ボクはその健気なまでの努力を嗤いはしないが、老化を力ずくで押しとどめよう、
などとはさらさら思わない。むしろ「老化」を楽しむようにしている。
鏡をのぞけば、たしかに白髪白髯の生気のないおっさんが映っている。
(でもね……)
とボクは思うのだ。けっこう年相応にカッコいいじゃん――。

なるほど「カラダ」は衰えたが、「ココロ」はむしろ尻上がりに爛熟に向かっている。
その充実ぶりが顔の表情にも出てくるのか、どこか駘蕩とした雰囲気が漂っている。
若い頃の顔には不安と驕慢が同居していた。未熟そのもののいやな顔だった。
そしていま、自分でもふしぎな心持ちなのだが、
(60数年生きてきて、いまの顔がいちばん好きだな)
と、臆面もなく言えてしまうのである。

世の中には、ある年齢にならないと分からないことがある。
親の年齢になって初めて「ああ、親父はこのことを言ってたのか」
胸にストンと落ちてくる。偉人たちの箴言が素直に腹にこたえる。
読書尚友」を地でゆき、死んだ人ばかりを友としてきたボクのような人間は、
この〝予定調和〟的な考え方が、やけに身に滲むのである。

〝老い〟にあわてふためき、アンチ・エイジングに血道を上げるのもけっこうだが、
「老いるショック」をものともせず、むしろプラスイメージに変え、
前向きに生きていけたら、と思う。
そこで今回のテーマにふさわしいお上品な替え歌をひと節考えてみた。

   

  ♪  60歳になったら
      60歳になったら
        愛人100人 できるかな
      100人と やりたいな
      差しつ差されつ 蛇の目傘
      スッポン スッポン スッポンポと     (童謡『一年生になったら』の加齢バージョン)  






←娘たちが小さかった頃、
みんなでよく歌ったな。

2016年3月1日火曜日

ブルージーンと皮ジャンパー

3月1日、2017年卒の大学生の就職活動が解禁になった。
〝一浪一留〟のダメ学生だった40年前の自分をふと思い出す。

ボクは「就活」なるものをいっさいしなかった。
会社訪問も先輩訪問もしなかった。
(まあ、いざとなったら何とかなるだんべェ……)
ノーテンキにもまるで切迫感がなかった。
他人事みたいにのんびりしていた。

リクルートスーツにも縁がなかった。
「服装で目立とうとしてはいけない」
だから〝黒系〟を選べ、などという「就活の鉄則」も知らなかった。
髪だって長髪のままだったような気がする。

だから筆記試験にしろ面接にしろ、普段どおりのカッコウで通した。
すなわち革ジャンにブルージーンズ姿である。
おかげで、やけに目立った。完全に浮いていた。

その〝空気の読めない、非協調的な、あるいは反社会的なポーズ〟
が、「危ない人」と見定められたのか、受ける先からことごとく落ちた。
企業側は「普段どおりのカッコウでどうぞ」と言ってる割には、
それを真に受けた学生をしっかりふるいにかけていた。

新聞社、通信社、出版社、製薬会社、鉄鋼商社……あとはもう忘れたが、
この田舎出の〝革ジャン男〟は試験を受けるたびに袖にされた。
ある通信社の面接に臨んだら、
「外国語は最低1ヵ国語はしゃべれますよね? できればもう1ヵ国語も……」
と訊かれた。脈はなさそうだったので、
「失礼いたしました」
と、その場からそそくさと立ち去った。

十数社受けてすべて不合格。親の心配顔を見て、さすがに焦った。
敗因分析をしたら「そうだ、背広を買いにいこう!←そっちかよ!
ごく単純な結論に至った。赤点だらけのひどい学業成績を棚に上げ、
敗因をもっぱら革ジャンのせいにした。

急いでデパートへ走り、奮発したのがダーバンの青い吊しのスーツ。
そしてピエール・カルダンの赤いネクタイ。
髪も小ぎれいにカットした。見違えるような貴公子ぶりだった(←自分で言うな)。

おかげで、小さな出版社に合格した。大企業どころか、超零細企業である。
面接時に女社長から、
「あなたはたいそう目立ちたがり屋のようね」とイヤミを云われた。
赤いネクタイを見て、自己顕示欲が強いと思ったのだろう。←大当たり~!
編集部長が、
「君はドイツ文学専攻とあるけど、特にどの作家を研究したんだい?」
「ハイ、実はドイツ文学はからっきしでして、
在学中は小林秀雄ばかり読んでました

すかさず他の面接官が小林秀雄に関する質問を次々と浴びせかけてくる。
ボクは得たりとばかり、的確に応えていく。それはそうだろう、
高校時代からほぼ10年間、小林秀雄一色に染まった生活を送ってきたのだ。
小林秀雄に関することなら女性関係でも何でも知っている。
その一点集中型のこだわりぶりに面接官も強い印象を受けたようすだった。

この小さな出版社には13年間奉職した。
そして独立し、フリーの〝100円ライター〟に。
カミさんは、同じ雑誌の編集部で机を並べていた同僚だ(←「芸がないね」と言わんといて)。
この出版社に就職していなかったら、もちろん娘たちは生まれてこなかっただろうし、
和光市に居を構えることもなかった。つまりバンド仲間やキャッチボール仲間、
それにかわいい〝団地妻たち〟と知り合うこともなかった(笑)。

思えば、すべてが偶然の産物とはいえ、どこか〝運命的〟なものを感じる。
もしも革ジャンにジーンズでなく、就活スーツを身にまとって、地道に会社訪問を
積み重ねていたら……別の会社のサラリーマンとなり、別の女と所帯を持ち、
それなりに幸せに暮らしていたにちがいない。

で、つくづくボクは思うのだ。
いまの生活があるのは、あの「ブルージーンと革ジャンパー
おかげではなかろうか)と。
革ジャン姿で就活し、ことごとく門前払いを食らい、最後の最後、
首の皮一枚で小さな出版社に引っかかった。そのおかげで女房と出会えた。

就活に突入する学生たちよ。
一流企業に入ることだけが人生の最終目標ではあるまい。
食い扶持を稼ぐ場所なんて、どこだっていいのだよ。
富貴を求めるのもけっこうだけど、こんな古諺だってありまっせ。
    立って半畳寝て一畳、天下とっても二合半
そういえば渋谷宮益坂に元相撲取りが経営する「二合半」という居酒屋が
あって、よく通ったな。あの店、まだあるのだろうか。

毎日二合半以上飲んでいるボクなんか零細出版社を経た後、
ほぼ30年間、ずっと1人でやってきた。
カミさんも同じ。ふたりとも腕一本脛一本、ずっとフリーでやってきた。
生活は決して楽とはいえないが、福澤諭吉の「痩せ我慢の哲学」をもろ実践し、
目いっぱいミエを張って生きてきた(笑)。また曲がりなりにも娘2人をぶじ育てた。

自分をいちばん輝かせるにはどうしたらいいか。
人に負けない「something」を何か持っているか。
芸は身を助く、というが、自分が熱中できるsomethingさえあれば、
どうにかこうにか食っていけるものである。

就活なんてあまり〝大ごと〟に考えないほうがいい。
自分で選んだ道を、脇目もふらずまっしぐらに歩んでいけばいいのだ。
目の前に与えられた仕事をバカまじめにこなしていけば自ずと道は開けてゆく。
瞬間、瞬間の選択が、まぎれもない自分だけの道だ。





←この中で「革ジャン+ジーンズ姿」って
けっこう勇気要るよね←ただの「匹夫の勇」だろ!