2010年1月30日土曜日

祈る人

ごく最近、マレーシア人の宇宙飛行士が宇宙に行った場合、
いつ礼拝したらいいのか、という問題が持ち上がったという。

イスラムの教えでは、1日5回の礼拝が義務づけられている。
日の出前、正午、午後、日没直後、夜半の5回だ。
ただし病気の時や旅行中は3回でもいい、とされている。

人工衛星は2時間ほどで地球を1周してしまうため、
日の出前、日の入り後なんて規定だと、祈っているうちに
1日の大半が過ぎてしまう。

似たような話がサン=テグジュペリの『星の王子さま』に見られる。
小さな星にlamplighterが住んでいて、日が昇ると街灯の灯を消し、
日が沈むと街灯に灯を点す。ただしこの星は1分間に1回自転するので、
点けたり消したりで、1日があっという間に過ぎてしまう。
この作品の中に出てくる多くの畸人変人の中では、
僕の一番のお気に入りがこの健気なlamplighterだ。

さてイスラム教徒の宇宙礼拝に話を戻すと、
イスラムの法学者たちはその後、緊急会議を開いたという。
で、結論からいうと、マレーシア人なんだから、
マレーシアの標準時刻に合わせて礼拝すればいい、
ということになった。

そういえば司馬遼太郎がどこかにこんなことを書いていた。
ある時、司馬の友人がアラブ人の操縦する小型飛行機に乗っていたら、
操縦士がいきなり床に這いつくばり、お祈りを始めたというのだ。
もちろん自動操縦に切り替えているのだろうが、礼拝が終わるまで
その友人は生きた心地がしなかったという。

イスラムでは「コーラン」が第一法源で、コーランに反する法律は
認められない。もちろんこれは政教分離の「世俗主義」ではなく「原理主義」を
信じる人たちの考えで、一般論としては言えない。
イスラム教徒にもいろいろあり、信仰度合いに濃淡があるからだ。

ただ彼らにしてみれば、
飛行中だろうが用便中だろうが、祈りの時刻が来れば、
すべてを中断してそのことに集中すべきなのだろう。

何年か前、東京ディズニーランドで礼拝中の男性を見たことがある。
彼は人目を避け、死角になるような場所で熱心に祈っていた。
その姿はとても敬虔なものだった。

2010年1月27日水曜日

死にたての魚

僕が私淑していたコラムニストの山本夏彦は
稀代のニヒリストだった。山本の好きだった斎藤緑雨
もニヒルのかたまりみたいな男だった。

  腰のぬけたるを泰然といはば、腹のすきたるを毅然といふべし。

  それがどうした――唯この一句に、大方の議論は果てぬべきものなり。
  政治といはず文学といはず。

ニヒリストは概ね相対主義者でもある。
絶対的な存在とみなされているものを鼻でせせら笑い、
権威主義を蹴っ飛ばす。早い話、エッラそうにしてるものがきらいなのだ。

世間を相対化し、笑い飛ばすにはどうしたらいいのか。
いきなり話が飛躍するかもしれないが、「死」を絶えず意識することだろう。
人間はいつか必ず死ぬ。金持ちにも貧乏人にも「死」は平等に訪れる。
この「死」をきちんと意識することによって、
ものごとを相対化する眼が養われる。
「死」を意識しないニヒリズムなど存在しない。

「おいおい、食事時にオナラをするんじゃないよ!」
「何を言うか! ひとのオナラ時に食事をするほうがわるい!」

こっちの言い分があれば、あっちの言い分もある。
世の中はすべて相対的なものだ。

   天が下に新しきものなし 

ソロモン王の言葉だが、これもまた相対主義の元祖みたいな言葉で、
少なくとも人文科学の世界では、この言葉だけですべて用が足りる。

ついでにもうひとつ。
「活きのいい魚」というのは実は「死にたての魚」でもある。
だが、魚屋のおっちゃんは、
「さあ、獲れたて、死にたての魚だよ。安いよ、安いよぉー!」
とは決して言わない。客も気味悪がって買わない。

「大将! このシマアジ、ぷりぷりしてて活きがいいね」
「ええ、死にたてですから」
「…………」

お後がよろしいようで。

2010年1月25日月曜日

水泳の鬼

●T・Aさん(male=オス)
水泳仲間の中心的人物。「水泳の鬼」という感じで、一見こわもて風。
年齢は60代半ば。贅肉のないムチのようにしなやかな肉体を持つが、
寄る年波には勝てないのか、近頃は肩が痛い、肘が痛いと、
こぼすことも多くなった。

だが、華麗なるフォームとスピードは健在で、
僕のごとき新参者をまったく寄せつけない。が、あと10年もすれば、
たぶんヨボヨボになるだろうから、その時こそ追い抜いてやる、
と情けないことを考えてる自分が悲しい。

一刻な性格で、曲がったことが大きらい。
それでいて、試合中に大きく蛇行し、
隣のコースに入りこんで失格になったりするから面白い。

冗談や軽口を叩くのが好きで、根は陽性。
人の好き嫌いがはっきりしていて、癇癪持ちでもある。
ときどき、プール内でルールを守らないおっちゃんなどと衝突するが、
次の瞬間にはカラッとしている。

水泳指導には定評があって、僕も門下生の一人。
でも指導好きは他にもいっぱいいて、それぞれ言い分が違うから、
言われたほうは何がなんだか分からなくなって、
けっきょく元の木阿弥になってしまう。

Tさんが来ない日は、どこかみな淋しげだ。
画竜点睛を欠く、といった感じなのだろうか。
それもみな人徳のなせる業なんでしょうな。

ちょっとヨイショし過ぎ?
ほめ殺しってこともありますからな。
ま、異論反論がありましたら、遠慮なくドーゾ。
「泳ぎびと人物評」はまだまだ続きます。
みんな首を洗って待っててね。

イギリス人はドイツ人

「日本一高い山は?」と聞かれたら、
富士山(3776m)と答えるに決まってる。
では、「日本一高かった山は?」
と聞かれたらどうする。

答えは「玉山」だ。
そんな名前の山、聞いたことないけど、
どこにあるんだっけ?

1941年12月2日、山本五十六連合艦隊司令長官は、
択捉(エトロフ)島に集結中の南雲機動部隊に
出撃命令を打電した。
「ニイタカヤマノボレ一二〇八」
6日後の8日未明、いわゆるハワイ真珠湾攻撃が始まった。

実は、電文中にある「新高山(ニイタカヤマ)」こそ
日本一高い山だったのである。
高さは富士山より176m高い3952m。

歴史のおさらいをすると、
台湾は1895~1945年の50年間、
日本の領土だった。ニイタカヤマ(現玉山)は
台湾の中央部に位置する山で、わずか半世紀の間だが、
日本一高い山だったのである。

同じように、時間軸をちょいとずらせば、
「イギリス人は実はドイツ人だった」
ということも言える。およそ1500年前、
北ドイツにいたアングル人とサクソン人
というゲルマン民族の一派が、ブリテン島に渡り定住した。
それが現在のイギリス人、すなわちアングロサクソン人だ。

現在の英国王室はウィンザー朝と呼ばれているが、
1917年まではハノーヴァー朝とドイツ名で呼ばれていた。
が、第一次世界大戦の勃発を受け、敵国ドイツと同じ名前じゃ
具合が悪かろう、というので英国風の名前に改名したのである。

この王朝は皇后はすべてドイツから来た。
現在のエリザベス2世の旦那はエディンバラ公で、
ギリシャ王室から来た人だが、家系はドイツの
バッテンベルク家(英国風にいうとマウントバッテン)
の出で、やはりドイツ人だ。

チャールズ皇太子がダイアナ妃と結婚した時は、
ウィンザー朝始まって以来、初めて地元イギリスの
お嬢さんが王妃になる慶事だと、イギリス中が喜んだが、
結果は、あのていたらくだった。

またこんな事実もある。
数学的に逆算し、およそ800年さかのぼると、
日本人はみな同じご先祖になるというのだ。
つまり、日本人はみな遠い親戚同士ということになる。

元を辿れば貴族だ武士だと、
門地を誇ること自体に意味がなくなってくる。
ご先祖さんはみな同じだからである。

このように、時間軸をちょっとずらすだけで価値が相対化され、
意外な事実に驚いたり、家柄だとか家格にこだわることが、
いかに愚かで恥ずかしいことかがわかる。

どう? 少しは頭がやわらかくなりましたか?

2010年1月23日土曜日

死ねば仏さん

菊池寛の短編に『恩讐の彼方に』という
作品がある。

主殺しの大罪を犯した男が出奔と同時に出家、
諸人救済の大願を起こして旅に出る。

豊前の国(大分県)へさしかかると、
名刹へ通ずる道が断崖絶壁に切り立てられている。
そこには鎖で連ねた桟道が危なげに伝っている。
聞けば年に十数人が滑落して命を落とす難所だという。
男は卒然と決意する。
(この絶壁をくりぬけば、10年で100人の命が救える)

一方、仇討ちの旅に出た若者はついに敵を捜し出すが、
敵の老僧は一心不乱になってのみをふるっている。
ある夜、ついに洞門が開通する。すでに21年の歳月が流れていた。

大願成就のその日に敵を討ち果たすつもりだった若者。
が、偉業を前にして、いつしか憎しみは消えていた――。

とまあ、ざっとこんなあらすじだが、
これが中国や韓国となると、お涙頂戴ではすまなくなる。

たとえば仇討ちの旅に出て苦節十数年、やっと見つけ出したら
敵はすでに死んでいた。さて中国人ならどうするか?
墓を暴いて死体にむち打つのである。

また「日韓併合」(1910年)の際、
条約に調印した李完用首相の墓は今、
韓国のどこを探してもないという。
墓を作ると必ず暴かれてしまうからだ。

儒教では死んでも罪は絶対に消えることはない。

日本も儒教の国ではあるけれど、どんな悪人でも
死ねばみな仏さんや神さまになる、と教えられている。
A級戦犯の東条英機も死ねば仏さまだ。
だから日本人は、戦犯(繰り返すが、
日本には戦犯など存在しない。
よって彼らの死はあくまで法務死という)
も靖国神社に合祀した。

罪人は未来永劫「罪人」とする中国人や韓国人には、
日本人のこの考え方は永久に理解できないだろう。

だから靖国問題は文化摩擦であり、
ビミョーな宗教問題でもあるのだ。
僕は「内政干渉だから黙っていろ!」
の一言で十分だと思っている。

2010年1月20日水曜日

禁断の木の実

「クーリッジ効果」というのをご存知か?
動物のオスには本能的に浮気願望がある(らしい)。
そのことを証明するのによく引用されるエピソードのことだ。

クーリッジとはアメリカの第30代大統領の名前。
このクーリッジ大統領が、ある時、
夫人と一緒に大きな養鶏所を訪ねたと思いねえ。

夫人が農夫にたずねた。「雄鶏は1日に何回交尾するの?」
「1日に12回以上でさあ」農夫が答えると、夫人はすかさず、
「じゃあ、そのことを夫に伝えてちょうだい」

次に大統領が農夫にたずねた。「同じ雌鳥とかね?」
「とんでもねえ、毎回違った雌鳥とやるんでさあ」
農夫が答えると、大統領は得たりとばかりに、
「なら、そのことをしっかり家内に伝えてくれたまえ」

オスの性衝動は、新しいメスの出現によって
劇的に高まる傾向があるという。
そのことをCoolidge effect(クーリッジ効果)
と呼ぶようになったのである。

日本にもこんな言葉がある。
「一盗二婢三妾四妓五妻」
女遊びをする際に、男が興奮するシチュエーションを
高い順にランク付けしたもの(らしい)。

「一盗」とは言わずもがなの他人の女房や恋人を盗むこと。
これは興奮しますな(聞いた話だけど)。
二~四は今の時代にはちと合わない感じ。
そして最後が「五妻」だ。

女房が興奮度ワースト1というのは、
男ならだれもが納得するというか、おそらく有史以来の
不動の定位置というべきでしょうな(と、誰かが言ってた)。

女房族にしてみれば、これほどバカにした話はあるまい。
興奮度が低いのはお互いさまで、あっちが「五妻」なら
こっちだって「五夫」と言ってやりたい。
「そこまで言うなら、一気にランキングを上げてやるわよ!」
ムキになる奥方も出てきたりして……。

不倫をすれば五位から一位へ瞬時にランクアップ。
奥方からすれば大変な魅力だろうが、これも相手あっての話だ。
「歯・目・マラ」のいかれた殿方が相手じゃ、どもならん。

フランスの格言に曰わく。
『禁断の木の実は入れ歯で噛むべからず』
みんな心してね。

2010年1月17日日曜日

そばの音たて食い

そば打ちはけっこうしんどい。
群馬は薬師温泉で打ったそばがこれ(写真下)。
















ご覧のようにひもかわみたいに太いのもあれば、
そうめんみたいに細いのもある。切り方がバラバラ。
(でもまあ、胃袋におさまっちまえばおんなしだから……)
わけのわからんことを言って、自己弁護。

それにしてもそば打ちはむずかしい。
まだ二八だからいいが、これがそば粉10割の
生粉(きこ)打ちとなると、なかなかつながってくれない。

母もうどん打ちは名人級だったけど、そば打ちは
からきしダメだった。ゆでるとブツブツ切れてしまった。

そばというと杉浦日向子さんを思い出す。漫画家であり江戸研究家、
そして無類のそば好きだった。残念ながら5年前に急逝してしまったが、
一度軽井沢の「はなれ山ガルデン」でお会いしたことがある。

その時うかがったのが、そばをたぐる時の「ズズーッ」という
〝音たて食い〟のこと。西洋人には何ともおぞましい
音に聞こえるようだが、江戸の昔からあんな景気のいい音をたてて
食べていたんだろうか? まずそのことを聞いてみた。

杉浦女史曰わく、
《それはなかったですね。江戸300年の間には、上つ方の礼儀作法
(小笠原流)が下々のレベルまで降りていて、長屋の八っつぁん、熊
さんでさえ、そばは口の中へ押し送って食べていた。そばにしろタクアンにしろ、
あからさまに音を立てるのははしたないとされてたんです》

それがまたどうして今のように「ズズーッ」が一般的になっちゃったわけ?
《明治期、寄席で噺家が擬音によってそばを食べる場面を演じたら、
その所作が庶民の間で流行しちゃった。つまり仕方噺から出たというわけ》

また江戸時代には「菊弥生(聴くや善い)」という言葉があった。
菊の時季、つまり新そばの出る晩秋から弥生(桜の時季)
にかけては、かそけきそばの香りを楽しむために、
音をたててすすり込んでもよい、という暗黙のルールがあったという。
それが日清・日露戦役以降、季節を問わず「ズズーッ」とやるようになっちゃった。

ところで、女房から聞いた話だけど、某イタリア人が来日してそば屋に入ったら、
あっちでもこっちでも「ズズーッ」の大合唱。とうとう神経がおかしくなり、
あわてて店を飛び出したんだとか。イタリア人はスパゲッティを食べる時だって、
決して音をたてないものね。

(日本人って、なんて野蛮なの!)
たぶん、そう思っただろうね。なにしろクジラとかイルカを食べちゃう
(「カンガルー肉を考えるー」参照)国民だもの、
筋金入りの野蛮人ですよ。
















けどね、野蛮でもいいじゃない。他国の人間が何と言おうと、
日本ってほんとうにいい国だもの。外国へ行くとそのことが
よくわかりますよ。
こんな素朴な風景(写真上)を見ると、心が温まるでしょ?

2010年1月12日火曜日

えのきの白露

日帰りで群馬の薬師温泉に行ってきた。
温泉と白川郷を足して二で割ったような
「かやぶきの郷(さと)」というのがあって、
そば打ちを楽しんだ後に温泉につかってきた。

そこの男子用小便器に、こんな〝便所川柳〟があった。
 
  急ぐとも心静かに手を添えて 外に漏らすな松茸の露

句としてはでき損ないの部類だろう。
「外に漏らすな」に芸がないし、
松茸の喩えは露骨すぎて雅趣に欠ける。
オイ、便所に雅趣かよ?

同じ系統で、こんなのがある。

  急ぐとも外に漏らすな玉の露 吉野の花も散らば見苦し

ちょっとはマシだが、まだまだか。
またこんなのも幾度か目にしたことがある。

  Please stand more closer,
  your TOMAHAWK is not so long as you wish.

笑える。が、それほどご立派な逸物を持たぬ男たちは、
〝息子〟共々ひたすら縮こまるしかない。

そういえば、昔、トマホーク(36センチ砲)を誇る男のエロ映画(『Deep…何とか』)を、
米国ハリウッドの映画館で観たことがある(何事も好学のためです)。
日本では日活ロマンポルノという、今から思えば
哀しいほどウブなおピンク映画がはやっていた時代だ。

しばらく観てたら、日本人の新婚さんカップルが10数組、
ドカドカドカと館内に流れ込んできた。
おそらくパック旅行のオプションに
本場のポルノ映画鑑賞というのがあったのだろう。

で、30分ほどしたら、奴さんたちはいっせいに立ち上がり、
また勢いよく出て行ってしまった。これには会場内の
観客も口あんぐり。まるで台風一過のようだった。

それにしても、新婚旅行で、松茸だのトマホークだの
異人さんの立派なイチモツを嫁さんなんかに見せちゃって、
亭主はその晩大丈夫なんだろうか。
息子がいじけて首うなだれる、なんてことにならないのだろうか。

ま、松茸ならぬ「えのきの白露」でも
子づくりに別段支障はないけどね。

嗚呼! 山高きがゆえに尊からず。
負けおしみで言うわけじゃないけど、
松茸なんて香りばかりで味は二流です(←完璧に負けおしみ)。

2010年1月10日日曜日

イルカの肉とカンガルーの肉

長女がオーストラリア旅行の土産にと
カンガルージャーキーを買ってきた。
クロコダイルの干し肉もあった。

おそるおそる食べてみると、何のことはない。
ビーフジャーキーと味はほとんど変わらない。というより、
スパイスの味付けが濃すぎて、みんな同じ味になっている。

もともとアボリジニ(原住民)がカンガルーやエミュー、ワニ
などの肉を常食にしていたためらしいが、
今や立派なオーストラリア名物になっている。
カンガルー肉は高タンパクで低コレステロール。
彼の国では年間10万頭も殺し、健康食肉として大々的に売っているという。

あんなに可愛いカンガルーを殺して食べるなんて……。
心やさしい日本人は一瞬、心を痛めるが、
ナニ、次の瞬間には「これ、なかなかいけるジャン」
と、もうむしゃむしゃ食べている。

南極海でシー・シェパードの抗議船と日本の捕鯨船が衝突した。
「あんなに可愛くて利口な動物を殺すなんて……日本人は野蛮だ!」と、
カンガルー肉を食べてる国の人間が、鯨肉を食べる国の人間を非難する。
「犬鍋」の項でもふれたが、そもそも食の体系が違うのだから、
互いの非難合戦も水掛け論に終わってしまう。

大化の改新で知られる「蘇我入鹿」という歴史上の人物がいる。
この入鹿はまさにイルカからとった名で、
その精気と霊力にあやかろうとした。

ところで、イルカを食べるのは日本人だけらしい。
といっても伝統的にイルカ漁をやっている一部の地域に限られる。
たしかにイルカは利口で可愛い。
なにもイルカまで食べなくてもいいだろう、
と門外漢は思うが、これにはやむにやまれぬ事情がある。

たとえば漁区に大量のイルカが入りこんだとする。
すると一つの浦の暮らしが立たなくなってしまうのだ。
イルカが魚を食べ尽くしてしまうからだ。
で、羊を襲うオオカミをやっつけるみたいに、イルカを退治する。
生きるか死ぬかの瀬戸際に、動物愛護もヘチマもない。

一方、欧米人にはイルカやクジラに対して特別な思いがある。
物の本によると、地中海では古代からイルカはなじみ深い動物だった。
ギリシャ神話のアポロンの忠実なお供はイルカだし、
海神ポセイドンは右手に矛、左手にイルカを持っている。
イルカは神々の従順な僕(しもべ)だった。

その陽性のイメージがキリスト教に伝わり、
欧米人の精神にも反映された。
彼らは牛や豚、羊など陸棲動物は平気で食べるが、
イルカやその仲間のクジラを食糧と見ることはなく、
むしろ人間の友として遇してきた。

ちなみにイルカとクジラの違いをご存じか?
大ざっぱに言うと成体の体長が4メートル以上をクジラ、
それ以下をイルカと呼んでいる。どちらも同じクジラ類で、
比較的小型のクジラをイルカと呼んでいるだけなのだ。

またユダヤ教やキリスト教には、
ヒレとウロコの無いものは食べるべからず、
とする戒律もあると聞く。

日本では「入鹿」の名にあるように、
「カ」は「鹿」にたとえられ、食用獣を意味した。
フグが河豚なら、イルカは海の鹿(漢字表記では海豚だけど)
というとらえ方だ。

一方に数百年もクジラやイルカを食べてきた民族がいる。
また一方に数千年もカンガルー肉を食べてきた民族がある。
鯨カツばかり食べさせられてきた世代としては、
いまさらクジラの肉など食べたくもないが、
他国の人間からやいのやいのと言われると、カチンとくる。

先述したが、独り善がりのethnocentrism(自国文化中心主義)は醜いし、
どうにも鼻持ちならない。近代以降の白人たちは、つくづく横暴だなとも思う。

こうなったら大規模なオージービーフの不買運動でもやってやれ、
と喧嘩っ早い僕なんかは思うが、
たぶん賛成してくれる人はいないよね。
やれやれ、だ……。

2010年1月7日木曜日

ちあきなおみの純愛

歌手のちあきなおみが、静かなブームなのだという。
現に毎年のようにベスト盤のCDがリリースされ、
コンスタントに数十万枚も売り上げている。

たしか長らく休業中のはずで、テレビにも雑誌にも、
公の場には一切姿を見せていない、と聞いてるけど、
どうなっちゃってるのかしら。

ちあきなおみは宍戸錠の実弟・郷鍈治と結婚した。
郷は苦み走ったこわもての俳優で、
ヤクザとか凶悪犯といった悪役ばかり演じていた。

その郷が1992年に肺ガンで亡くなってしまう。
享年55。ちあきが44歳の時だった。
これは有名な話だが、郷が荼毘(だび)に付される時、
妻のちあきは柩(ひつぎ)にしがみつき、
「私も一緒に焼いて!」と号泣したという。
2人は人も羨むおしどり夫婦だった。

夫に先立たれたちあきは、あまりのショックのためか、
以後、歌手活動を休止してしまう。そして18年。
ちあきは現在63歳になっているはずだ。

どうしてこんな話を書くのかというと、
この相思相愛の2人に取材したことがあるからだ。

郷は80年代に俳優業から引退し、ちあきのマネジャーに
転身する。また生活の基盤作りにと喫茶店経営を始める。
「COREDO」という店で、広尾にあった。

このお店、内装などがしゃれていたもので、
取材を申し込んだら、二つ返事でOKされた。
店に出向くと郷とちあきが待っていた。

どんな話をしたかまったく記憶にない。
が、郷の後ろに慎ましく控えていた寡黙な彼女の姿だけは
はっきり憶えている。

歌がうまい(日本ではこのことだけで賞賛される)、
という印象以外、彼女への関心やシンパシーは皆無なのだが、
芸能界におさらばして18年、
というのが芸能人嫌いの僕には好感される。

話変わって、インドには「サティ」という悲しい風習がある。
死んだ夫が火葬に付されると、妻も一緒に、
燃えさかる火の中に飛び込み焚死する、というものだ。
この凄惨な習わしは献身的な行為と称えられ、
家族や一族の名誉とされた。

しかし、実態は献身的な行為でも何でもなく、
周囲からの無言の圧力で、むりやり飛び込まされる、
という不条理極まりないものだ。インドに根強くある男尊女卑の
考え方が形を変えて噴きだしたものだろう。
純愛から発したであろうちあきの「私も一緒に焼いて!」
とは、似て非なるものなのである。

「私も一緒に焼いて!」

ちあきの潔い引退劇と相まって、
この妙に生々しい言葉のリフレインが、
耳の奥でいつまでも響き渡っている。




←夫との〝純愛〟を貫くちあきなおみ。
テレビなどではおどけた仕草を見せること
があったが、ほんとうは華やかな世界がきらいな、
物静かな女性だった

2010年1月6日水曜日

アリと老荘思想

アリの世界には「2:6:2」の法則がある
これは「働きもの:ふつう:怠けもの」の比率で、
北海道大学の某研究室がアリの生態を観察して
いてわかったのだという。

イソップの「アリとキリギリス(原作はセミ)」という寓話にも
あるように、アリは働きものの代表のように思われている。
だが実際は、進んで働くのが2割、6割が並か並以下、
残りの2割は働くフリをして実はサボっているのだという。

ならば2割の怠けものを排除したらどうなる。
働きものは果たして増えるのだろうか?

予想は見事に外れる。
怠けものを排除すると、今まで怠けものでなかったものが
同じ割合で怠けものになるのだそうだ。

つまり、集団をどう選んでも、どう組み合わせても、
やがては全体の2割が必死に働き、6割がふつうで、2割が
怠けるという結果になってしまう。

だから、この「2:6:2」こそが、黄金律ではないが、
アリ社会を安定させる上で、一番バランスのとれた比率なのではないか、
と結論づけたわけである。

思うに、アリ社会にも勤勉を重んじるプロテスタントがいたり、
怠惰哲学の色彩が濃い老荘の徒が混じっているに違いない。
「怠けもの」と研究者たちに指弾されたアリたちは、おそらく
「知足(足るを知る)」の精神をわきまえた老荘的なアリなのだろう。

アリ社会が「2:6:2」なら、ヒト社会もきっと同じようなものに違いない
まさにヒト社会を鏡に掛けるがごとし、というべきか。

「刻苦勉励」は日本人の唯一の財産ともいえるメンタリティだが、
こればっかりでは窮屈でしようがない。
安らぎというのは、怠惰の自由とも関係している。

周りがマジメ人間や拝金主義者ばかりでは息がつまってしまう。
少しはボンヤリした人間がいてくれないと、
世の中、円くおさまらないのだ。

で、何が言いたいのかって?
察しが悪いね、きみは……。

2010年1月5日火曜日

みそ田楽

正月3日。日帰りで栃木市へ。
栃木市のキャッチフレーズは、
「小江戸とちぎ」と「蔵の街」というもの。

これじゃ、生まれ故郷の川越とそっくりだ。川越も〝小江戸〟と呼ばれ、売り物は蔵づくりの街だ。同じ東武線沿線にある街だから、宣伝文句も同じようなものになってしまうのか。

街を南北に貫く巴波川(うずまがわ)沿いには、
ご覧のような土蔵が軒を並べている。土蔵には倉庫として使う蔵と店舗として使う蔵の2種類があって、後者を「見世蔵(店蔵)」というのだそうだ。栃木市には日本最古の部類に属する見世蔵が残されているという。

山形県鶴岡市内にも「内川」という川が流れている。
鶴岡出身の藤沢周平は、多くの作品の中で、内川を
「五間川」に見立て、架空の海坂藩を舞台に下級武士たちの
哀歓を描いた。

川のある街はいい。水辺にたたずむと、自然と心が和んでくる。


食いしん坊の僕は、名物ジャガイモ入り焼きそば
を食べ、さらに江戸の天明期からつづく味噌蔵の
油伝(あぶでん)味噌で、人気のみそ田楽をほおばった。
写真は厚揚げを串に刺したもの(380円)。
本来なら豆腐を使うのだが、
豆腐屋の正月休みで仕入れができず、急遽、厚揚げが
ピンチヒッターになったという。けっこういける味だった。

さっそくその夜、わが家でもコンニャク、里芋、厚揚げで、
みそ田楽を作ってみた。田楽のダブルヘッダーだ。
酒の肴にピッタリだから、今度わが家で飲み会をする際には、
ぜひ作ってみよう。

僕はどんな料理でも作れるが、
基本的に酒のつまみになりそうな料理が得意だ。
となると、どうしても塩けが強くなる。

とにかく福井名物「鯖のへしこ」みたいに、
殺人的なまでに塩っ辛い肴が好きときてるから、
持病の高血圧にいいわけない。

健康には薄味が一番、というのはわかっている。
だが健康によいものは、たいがい不味いのだ。
健康に生きるか、不健康のままで通すか、
それが問題だ(←ハムレットのつもり)。


2010年1月4日月曜日

冥途・イン・ジャパン


正月2日。久々に着物姿で初詣に行く。
市内はずれにある熊野神社は
なぜか閑散としていた。

キモノを着ると、
(ああ、俺は日本人なんだなァ……)
とあらためて思う。でも、年に1回
袖を通すくらいじゃ、カラダに馴染まない。
どことなくよそよそしい。

キモノだと大股で歩けない。
せわしげにちょこまか歩く感じで、
ちょっとかっこ悪い。
こけつまろびつ、なんてザマでは、キモノに失礼だ。
やはり、ふだんから着こなしていないと、いざという時に
サマにならないのだな、としみじみ思う。

初詣の足で、そのまま川越の実家へ。
年に一度、兄弟が顔を合わせる日だ。
着いたらすでに酒盛りの真っ最中。
長兄に義兄、甥っ子などは、もうだいぶ
できあがっているようすで、いつものように
わけのわからないことを言い合っては
女衆を困らせている。懲りない面々だ。

こっちもいっこうに懲りないクチなので、
さっそく酒宴の輪に加わり、バカッ話に
興ずる。

「おまえの本はなぜ売れないんだ?」
長兄がいつものごとくからむ。
売れる方法がわかったら、
だれも苦労はしない。

  門松は 冥途の旅の 一里塚
  めでたくもあり めでたくもなし

よく知られた狂歌。一休禅師の作という。
今年もまたひとつ年を取ってしまった。
ため息しか出ない。

犬鍋とビーフカレー

寒さが厳しくなると補身湯(ポシンタン)が恋しくなる。
愛犬家は顔をしかめそうだが、犬鍋のことである。
これを食べると、ほんとうに身体が温まる。

この鍋、新大久保のコリアンタウンで食べられる。
韓国出身の親友Tさんが案内してくれたもので、
Tさんとはもう20年来のつき合いだ。

犬鍋に関しては、欧米諸国や動物愛護団体から、
やいのやいのと言われている。野蛮なんだそうだ。
イルカやクジラを食べる日本人も、同じく野蛮人扱いされてるから、
何かと反目し合う韓国人と日本人も、
野蛮人同士でささやかな共闘が組めるだろう。

韓国ではふつう黄狗(ファング)と呼ばれる犬を食用にする。
ニンニクのきいた唐辛子ベースのスープには
長ネギやセリ、エゴマの葉などがたっぷり入っている。
この鍋をハフハフほおばりながら、
ソジュ(焼酎)やマッコリ(濁酒)を腰が抜けるほど浴びるのだ。

犬鍋は滋養効果が高いという。そのため、
昔から術後の患者などに医者がすすめた。
虚弱体質の人がスッポンの生き血を吸うのと同じだ。

欧米人は牛や豚、愛くるしい仔羊を喰らい、
また残酷な給餌法でガチョウから
フォアグラ(あれって、脂肪肝なんだよね)をとってるくせに、
他国の伝統ある食文化に口出しすることをやめない。
あの独り善がりのエスノセントリズム(自国文化中心主義)
は、どうにかならないものか、といつも思う。

犬やクジラはたしかに可愛いし利口だが、
食ってはいけないという法はない。
もともと食の体系が違うのだ。

インド人はビーフカレーを発明した日本人を
内心不快に思っているだろうが、
「神聖な牛をカレーの具にしないでくれ!」
とインド政府から申し入れがあった、なんて話は聞いたことがない。

別にイカモノ食いを自慢するわけじゃないが、
カラスだってタヌキだって、食べてみれば実に美味い。
カラスの刺身なんて、こたえられないうまさだ。
この国には、伝統的にカラスを食している村だってある。
他国者がとやかく言う筋合いのものではないのである。

メルマック星人のアルフ(NHK教育テレビ『アルフ』の主人公)は、
ネコが大好物だという。しかし地球にあっては、その
大好きなネコを食いたくとも食えない。アルフにしてみれば、
メルマック星人の神聖な食文化を、地球人ごときに
「とやかく言われたかねーや」という心境だろう。

イヌだろうとカエルだろうと、美味いものはうまい。
というわけで、久しぶりにTさんを誘って補身湯をつっつこうかと思う。

余談だが、イヌの字の入った「犬塚さん」とか「犬飼さん」は、
韓国では丁重な扱いを受けないかもしれない。
イヌの字を姓に持つこと自体が、韓国人には信じられないことだからだ。
日本人にしてみれば、それこそ大きなお世話なんだけどね。

2010年1月1日金曜日

元旦の慨歎!

年が改まったからといって、何が変わるというわけではない。
時間の流れにメリハリをつけたほうが何かと都合がいいので、
便宜的に節目をつけているだけの話だ。
そうはいっても、正月となれば、心は浮き立つ。
晴れがましくもある。そのせいなのか、
昔から正月がどうも苦手である。

さて今年も心のこもった賀状をいただいた。
親戚の叔父叔母たちは80代、友人たちは40~60代。
賀状にも年相応の哀歓がこめられている。

今年90になろうという老友Oさんは、賀状の片隅に
こんな句を添えてくれた。

  老人になったら懐手をして 小さくなって暮らしたい(漱石)

また畏友のYさんは、
「いよいよ男介世代の仲間入りです」
と書いてきた。団塊ならぬ〝男介〟?
どうやら「介助を要する男の世代」の意味らしい。
笑える。
今度会ったらオムツ換えてあげるね。

水泳仲間で、70代のTさんは、
   
  70肩 痛い痛いで 年を越え

なんて痛々しい句をしたためてきた。ここのところ、左肩の
具合が思わしくなく、華麗なるバタフライが見られない。
Tさん、早くよくなってくださいね。

仕事仲間に音楽仲間、そして水泳仲間に飲み仲間。
いろんな顔ぶれ、個性があっておもしろい。

最近つくづく思う。人生の快事って何だろうと。
無趣味で、無芸大食の僕には、これぞってものが
なかなか思い浮かばないのだが、
あえて言うなら、
気のおけない友と、安酒を酌み交わし、
バカッ話をすることではないのかと。

今年もその線でいくことにする。
仕事はぼちぼちやっていきます。
もともと志が低いんだから、どもならんヨ。

売れっ子になんかならなくてもいい(←負け惜しみ)。
ただ犯罪的なまでに安い原稿料を、
もう少しどうにかしてくれないだろうか、とは思う。
30年も変わらないのは卵価と稿料だけ。
これで文化国家とは笑わせる。

初笑いが出たところで、今年もよろしくたのみます。