2015年9月9日水曜日

噛んでください、思いきり

ボクたち夫婦は結婚披露宴を2度やっている。あんなもの1度で十分なのだが、
なかなか複雑な事情があって、新郎側の親戚を集めた披露宴と新婦側の披露宴を、
それぞれの生まれ故郷(川越と浜松)で厳かにとりおこなったのである。

川越で行われた披露宴は旧い料亭の一室を借り受けた。
ひととおりの儀式を済ませ、宴もたけなわになった頃、
母方の叔父のひとりが、「そろそろ唄でも歌うべえ」と、いきなり立ち上がった。
この秩父に住む叔父は歌が好きで、毎晩のようにカラオケスナックで自慢の喉を
披露している、とは聞いていた。新郎新婦はひな人形みたいに正座したままで、
まだ緊張が解けずにいた。

酒で顔を真っ赤にした叔父は、借りてきた猫みたいに縮こまっている新郎新婦に
一瞥を加えると、すかさずアカペラで歌い出した。バリトンのよく通る声である。

   ♪ くもり ガラスを 手で拭いて   あなた 明日が 見えますか

これって、もしかして大川栄策の『さざんかの宿』じゃないの?

   ♪ 愛しても 愛しても   ああ 他人(ひと)の妻

ねェ叔父さん、ここは結婚披露の場ですよ。よりにもよって不倫の歌ですか……
なんだか妙な気分だったが、叔父の十八番が不倫の歌なんだからしかたがない。

   ♪ ぬいた 指輪の 罪の あと   噛んで ください 思いきり
      燃えたって 燃えたって   ああ 他人(ひと)の妻
      運命(さだめ) 悲しい   冬の 花
      明日は いらない    さざんかの宿

俺たちに明日はないってか? とうとうボニー&クライドにされちまった。 
運命(さだめ)悲しい、といきなり決めつけられてもねェ……いや、まいったな。

叔父は、新郎新婦のことなどそっちのけで、目をつむり恍惚とした表情で歌ってる。
隣の新婦(あの頃は可愛かったニャア)を見ると、下うつむいてモジモジしている。
たぶん、
(こっちの親戚はどいつもこいつもロクなもんじゃないな……)
と思っていたことだろう。たしかにロクなもんじゃない。

そんなロクデナシどもに祝福されたこの夫婦は、
喧嘩しいしいではあるが、なんとかここまで別れずにやってきた。
運命(さだめ)は悲しいものだったかもしれないが、
娘2人を育て、やっとこさっとこ生きてきた。

ボクはさっき、ギターをつま弾きながら、この因縁の『さざんかの宿』を
ひと節歌ってみた。いい歌である。叔父が好きになるのもむべなるかな。
その歌好きの叔父もすでに鬼籍に入っている。やさしい叔父だった。
大酒飲みのとんでもない男だったが、今にして思えば、みなよき思い出だ。

父も母も、叔父も叔母も、ことごとく死んでしまった。
みなひとクセある、気むずかしい人間たちだったが、いまはひどく懐かしい。

ボクも甥っ子や姪っ子の披露宴では、ぜひともこの『さざんかの宿』を歌ってやりたい。
迷惑がられても、ヤジが飛んでも、羽交い締めにされても歌ってやりたい。
この歌は心に残る名曲だ。



←「さざんかの宿」
余計な話だけど、「さざんか」はほんとうは
「さんざか」という名前だった。それが
いつの間にやら「さざんか」になってしまって……
「さんざかの宿」じゃ、なんか色っぽくないもんね

 


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