2015年10月7日水曜日

「飲~める賞」だけでいいや

ノーベル・物理学賞を受賞した梶田隆章氏は、わが母校・県立川越高校の出身だという。
ボクの8年後輩で、弓道部だったという。目立たない地味な男だったらしい。

ボクはノーベル賞ならぬ「飲~める賞」はすでにいただいているが、
ノーベル賞はまだで、おそらく数年後には文学賞(これから書くつもり)が
もらえるだろう。ムラカミハルキとかいう人気者に先んずるのが目標で、
いま懸命に書いているところだ(←ついでに恥もか?)。

ニュートリノの研究に多大な貢献をしたスーパーカミオカンデ。
この巨大な研究施設を形作る光電子増倍管は「浜松ホトニクス」が
製造したものだ。府中に住む女房の姉は、かつて浜松ホトニクスの
社員だった。が、婚約者のイギリス赴任が決まったため、1年足らず
で辞め、イギリスへ渡ってしまった。

何が言いたいのかというと、梶田氏のノーベル賞受賞をめぐって、
川越高校と浜松ホトニクスというキーワードで、梶田氏とわが一族がつながった、
ということなのだ。「な~んだ、そんなことか。単なる偶然じゃないか」と
言われればたしかに偶然で、そこには何の意味もないし、
そのおかげでわれわれが格別偉くなったわけでもない。
でもまあ、堅いことは言わず、このむやみに嬉しい気持ちを
どうか汲んでくださいな、という話で、もちろん深い意味などないのである。

居候のトマスに、「日本人が2人、ノーベル賞をもらったんだぞ」
と自慢したら、「知らない」とそっけない。
数日前も「ラグビーで南アをやっつけたんだ。知ってるか?」
と訊いたら、やはり「知らない」だった。こいつは何にも知らない。

「チェコの首相は何という名前なんだ?」
と訊いたときも、「知らない」だった。
「女子体操のチャスラフスカは知ってるだろ?」
には「知ってる」だったが、それ以上は黙りこくっていた。
まったく、この男は、どこをつついても無反応だ。

長女が休暇をとってチリ、アルゼンチンを旅行してきた。
例によってバックパックを背負ってのひとり旅である。
イースター島にも行って、夕陽に沈むモアイ像を見てきたという。
写真を見せてもらったが、幻想的ないい写真だった。

かたや〝何でも見てやろう〟という好奇心旺盛なオンナの子がいて、
こなた娑婆の出来事には少しも興味がない、というパソコンおたくのオトコの子がいる。
地球上には、いろんなニンゲンがいるもんだな、と感慨を新たにしている
今日この頃である。



←イースター島のモアイ像




photo by 長女

2 件のコメント:

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

おはようございます。

本日、娘が『登山家大山光一さんと登る赤城山』に参加しました。5日前に二針縫う
手術をしたばかりなので、受付の人も大山さん確認をとったそうです。

その集合場所で上さんが気が付きました。我が娘以外は皆グーループでの参加をして
いるということです。そして夏のキャンプもで一人参加で、息子も冬のスキー教室、
キャンプに1人で参加していました。

労さまの娘さんと同じように1人で参加出来ることは社会生活に馴染み易いのでは
ないかと勝手に思っています。

パソコンは一瞬にして世界を知ることができるのですが、自分の眼で観てみるのとは
大きな違いがあると個人的のは思っています。(自分はパソコン中毒ですが)

世界は広く大きいです。

『飲~める賞』から外れてしまうほど体調不順な田舎者でした。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

田舎者さま

娘さんもわが長女と同じ、一本どっこの渡り鳥なんですね。

わが家は、娘たちが小さい頃から、「人と群れるな」「人と同じことをするな」
と教育してきました。ボクが根っからのつむじ曲がりで、徒党を組むとというのが
大きらいだったもので、娘たちにも半ば強制したのです。

おかげで独立心あふれる娘に育ちました。ハタで見ていて少し危なっかしいところも
ありますが、独立不羈の精神はたぶん孫の代まで受け継がれていくように思います。

ボクは膝が悪いもので、もう世界は見られません。飛行機にも乗れません。
もっぱら本の世界に遊ぶしかないのです。でもそれで十分。

本と酒さえあれば生きていけます。
生活レベルと精神のレベルを低速ギアに切り替えていますから、
霞を食ってでも生きていけるんです。

体調がすぐれないようですね。 
しばらくは酒とオンナを断って養生してくださいね。