2013年12月17日火曜日

おせちより雑煮のほうがエライ

以前、餅が喉に引っかかって往生したことがある。
歳を取ると嚥下能力が低下するのか、喉につまらせたり、
気管支に入ってむせたりすることが多くなった。
(おれも歳を取ったもんだな……)
ちょっぴり悲しくなる。

正月になると、わが家では毎朝お雑煮を食べる。
ボクはこの雑煮が大好きなのだが、用心して食べないと、
救急車とか霊柩車のご厄介になる可能性も出てくる。
近頃は丸餅で直径1㎝の「喉につまらない餅」なんていうのもあるらしいから、
いよいよ耄碌したら、そっちの世話になることにする。

さて今回は「雑煮」の話だ。ボクは雑誌に20数ページにわたって〝餅〟に
まつわる記事を書いたことがある。ちょっとした「お餅博士」なのである。
その餅博士がしょっちゅう喉につまらせ、それこそ東京五輪を見る前に
〝ご臨終〟では洒落にもなるまい。いや、そんなつまらない話をするつもりではない。
世間様の誤解を解こうというありがたい話だ。

正月料理というと重詰めの「おせち」と「雑煮」が代表である。
「おせち」が主で、「雑煮」が従――多くの人はそう思っているふしがある。
実は逆で、主役はあくまで雑煮で、おせち料理は脇役なのである。

そのことについて取材するため、伝承料理研究家の奥村彪生氏を奈良のご自宅に
訪ねた。こんな草深き田舎町までようこそ、と奥村さんは笑顔で迎えてくれた。
「宮大工だった父は、大晦日の夜、しめ縄を張った井戸から若水を汲み、
竈(かまど)の火も新しいのに換えました。雑煮はこの神聖な火と水で煮たんです」

京都・八坂神社のおけら参りは年越しの行事として知られている。火縄につけて
くるくる回しながら家に持ち帰るおけら火。この聖なる火で福茶を飲み、雑煮を
つくると無病息災の1年が約束されるという。言うまでもなく神聖な火と水は年神様を
迎えるためのものだ。年越しの夜、餅と土地どちで採れた産物を供え、神迎えの
行事をする。そのお供えを下げ、ひとつ鍋で煮たものが雑煮である。

「神様に供えた飲食物を神様といっしょにいただく。こうした〝神人共食〟を
〝直会(なおらい)〟といいますが、雑煮はこの直会に食べる料理なんです」
と奥村さん。そういえば、雑煮用の箸は利休箸のような両口箸で、
両端が細くなっている。一方が人用で、もう一方が神様用というわけだ。

雑煮を食べれば邪鬼を追い払い、開運がめぐってくる。その大切な神様を
お迎えするための雑煮を煮る火であれば、できるだけ穢(けが)したくない。
雑煮以外の煮炊きに神聖な火を使いたくない。で、煮炊きの要らない重詰め料理
おせち)が生まれたんです」(奥村さん)

おせち料理は常日頃、台所仕事に明け暮れている女衆をせめて正月三が日だけ
でも休ませてあげたい。そんな思いやりの心から生まれた作り置き料理、
とてっきり思い込んでいたものだが、そこにはもっと深い意味があった。

稲や餅には特異な霊力があると古来より信じられてきた。
いわゆる〝稲魂信仰〟がそれで、雑煮は室町時代に生まれたとされている。
雑煮は京生まれの京育ちで、最初は酒のつまみだった。
「織田信長が家康をもてなしたときにも、酒の肴として雑煮が使われてます」
と奥村さん。庶民の間に広まったのは江戸は元禄の時代からで、背景には
稲の生産高が格段に上がってきたという事情があったという。

10万円を超える高級おせちが好調な売れ行きだという。
景気がよくなってきた証拠だが、おせちよりまず雑煮が大事、
ということはしっかり胸に刻んでおいてほしい。
そしてくれぐれも、餅を喉につまらせないように気をつけてください。





←雑煮は〝方言型〟料理の典型といわれる。
郷土食が色濃く出るので、どんな雑煮を
食べているかを聞けば、生国を当てられるほどだ。
西は丸餅で、東は角餅。その分岐点は岐阜の関ヶ原
あたりといわれている





 

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