2013年10月22日火曜日

プールサイドブルース

高校時代、水泳部で苦楽を共にしたY君が亡くなった。享年61。
食道ガンだった。闘病2年の甲斐もなく、ついに力尽きてしまった。
聞けば煙草と酒が離せず、酒もつまみを食べず焼酎を生(き)のままで
グイグイとあおるような飲み方だったという。これじゃあ胃も食道も傷つく。
Y君と最後に会ったのは5年前。その時も同級生の葬儀がらみだった。

Y君はボクと同じ背泳(バックストローク)が専門だった。
専門という割には二人にそのセンスはまるでなかった。
誰がどの泳ぎを専門にするかは、先輩たちが決める。
おまえ、バックやれ――それでおしまいである。
本人の意向など聞かない。勝手に決めてしまう。

ボクはバックストロークという〝後ろ向き〟の泳ぎがきらいだった。
そういえばフランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩に、こんなのがあった。

   湖に浮かべたボートを漕ぐように
   人は後ろ向きに未来に入っていく
   目に映るのは過去の風景ばかり
   明日の景色は誰も知らない

何事も後ろ向きだったあの頃、せめて泳ぐ時くらい前を向いて泳ぎたかった。
だから、いまでもクロールとバタフライをすることはあっても、
バックで泳ぐことはまずない。好きになれないのだ、あの泳ぎが。
Y君のバックもひどいものだった。ならばクロールがうまいのかというと、
これも輪をかけてひどかった。ボクたち二人は水泳部のお荷物だった。

Y君のいいところは、へたはへたなりに頑張るところだった。
どんなに苦しくてもちょっとした冗談を飛ばし、周囲を和ませるようなところがあった。
二人は一応決められた練習量はこなしたが、力を抜くところは抜いていた。
でもあからさまに流している(力を抜いて泳ぐことを〝流す〟といった)と、先輩たちの
目にとまり、「オイ、おめーら、流してんじゃねーよ!」とデッキブラシで小突かれ、
バツとして腕立て伏せをやらされた。だから、いかにも全力で泳いでいるかのように
形相だけでも必死感を演出するのである。ボクたちには演劇の才があった。

バックストロークには1つだけ利点があった。上向きに泳ぐから呼吸が比較的楽なのである。
夏の日などはのんびりと流れる雲を眺め、もの思いにふけりながら泳いだものだ。
もの思いといっても、「我いかに生きるべきか」といった小難しいことを考えて
いたわけではない。「今夜のおかずは何だろう」とか、「R子ちゃんは今ごろ何してるかな」
などと、当時のボクにとっては切実な問題を〝流しながら〟考えていたのだ。

たぶん助平だったY君も同じような妄想を抱きながら、孤独の中で泳いでいたことであろう。
同じ釜のメシを食い、理不尽な先輩たちのいじめに泣いた仲間が、
病魔に倒れて逝ってしまうのはひどく悲しい。妻子や孫を残して先立つのは、
さぞ残念なことだっただろう。Y君の無念を思うと、言葉がない。

いつの頃からだろうか、慶事より弔事が多くなったのは。
葬式などはふしぎに続いたりするものだから、喪服をクリーニングに出す
タイミングが計れないときがある。

仏教では「定命(じょうみょう)」といって、人の寿命は一定しているという。
最長は8万4000歳で最短は10歳だというから、61歳ではあまりに短い。
ボクは8万歳まで生きたいとは思わないが、あと10数年は生かしてほしい。
ベストセラーを書き、大金持ちになって、銀座で豪遊し、きれいなネエちゃんを
何人も囲って、殿山泰司みたいな立派なヒヒ爺ィになるのだ。

Y君の霊よ、鎮まってくれ。
君の分まで長生きし、君以上に助平なヒヒ爺ィになってやるから。
ああ、あのいたずらっぽい目が忘れられない。
心より合掌。





←ボクの尊敬するヒヒ爺ィ。

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