近頃やけに「老い」を感じる。
顔にシミが多くなった。肌に艶がなくなってきた。
首回りがたるんで、つまむとなかなか元にもどらない。
もちろん白髪が増え、ヒゲはほぼ真っ白けになった。
臍下三寸のお毛々にも白いものが混じっている。
キャッチボールでも、以前のようなスピードボールが投げられなくなってきた。
泳いではバタフライに精彩を欠いている。バッタは上半身の力で泳ぐものではない、
リズミカルに腰を使って泳ぐ。その腰にしなやかさとネバリがなくなってきたのだ。
自分では若い若いと思っていても、やはり衰えはひたひたと忍び寄ってくる。
以上は「カラダ」の衰えだが、これはまあ、しかたがないだろう。
もう若い頃のように跳んだりはねたりはできないし、
若い娘っこから恋文を渡され「好きです」などと告白されることもない。
ときどき団地内のバアさんたちから秋波を送られることはあっても、
切った張ったの色恋沙汰になることはまずない。
ああ、すべてが一場の春夢……人生はほんとうに儚くも短い。
女性は男性以上に〝老い〟に敏感だ。
毎日、鏡に向かって化粧をしているせいだろう、
老いの兆候に対しては異常なほど過敏になっている。
ボクの女房などは白髪1本で世も末とばかりにギャーギャー騒ぐ。
テレビでは〝アンチ・エイジング(抗老化)〟を謳ったスキンケア商品や
サプリメント健康食品などのCMが花盛りで、市場規模も数千億円と
年々増大している。娘時代は貴重な時間とエネルギーのほとんどを
「過食」と「拒食」の間を往ったり来たりすることに費やしてきた彼女たちが、
こんどは「アンチ・エイジング」一本にしぼって金と時間をつぎ込んでいる。
ボクはその健気なまでの努力を嗤いはしないが、老化を力ずくで押しとどめよう、
などとはさらさら思わない。むしろ「老化」を楽しむようにしている。
鏡をのぞけば、たしかに白髪白髯の生気のないおっさんが映っている。
(でもね……)
とボクは思うのだ。けっこう年相応にカッコいいじゃん――。
なるほど「カラダ」は衰えたが、「ココロ」はむしろ尻上がりに爛熟に向かっている。
その充実ぶりが顔の表情にも出てくるのか、どこか駘蕩とした雰囲気が漂っている。
若い頃の顔には不安と驕慢が同居していた。未熟そのもののいやな顔だった。
そしていま、自分でもふしぎな心持ちなのだが、
(60数年生きてきて、いまの顔がいちばん好きだな)
と、臆面もなく言えてしまうのである。
世の中には、ある年齢にならないと分からないことがある。
親の年齢になって初めて「ああ、親父はこのことを言ってたのか」
胸にストンと落ちてくる。偉人たちの箴言が素直に腹にこたえる。
「読書尚友」を地でゆき、死んだ人ばかりを友としてきたボクのような人間は、
この〝予定調和〟的な考え方が、やけに身に滲むのである。
〝老い〟にあわてふためき、アンチ・エイジングに血道を上げるのもけっこうだが、
「老いるショック」をものともせず、むしろプラスイメージに変え、
前向きに生きていけたら、と思う。
そこで今回のテーマにふさわしいお上品な替え歌をひと節考えてみた。
♪ 60歳になったら
60歳になったら
愛人100人 できるかな
100人と やりたいな
差しつ差されつ 蛇の目傘
スッポン スッポン スッポンポと (童謡『一年生になったら』の加齢バージョン)
←娘たちが小さかった頃、
みんなでよく歌ったな。
顔にシミが多くなった。肌に艶がなくなってきた。
首回りがたるんで、つまむとなかなか元にもどらない。
もちろん白髪が増え、ヒゲはほぼ真っ白けになった。
臍下三寸のお毛々にも白いものが混じっている。
キャッチボールでも、以前のようなスピードボールが投げられなくなってきた。
泳いではバタフライに精彩を欠いている。バッタは上半身の力で泳ぐものではない、
リズミカルに腰を使って泳ぐ。その腰にしなやかさとネバリがなくなってきたのだ。
自分では若い若いと思っていても、やはり衰えはひたひたと忍び寄ってくる。
以上は「カラダ」の衰えだが、これはまあ、しかたがないだろう。
もう若い頃のように跳んだりはねたりはできないし、
若い娘っこから恋文を渡され「好きです」などと告白されることもない。
ときどき団地内のバアさんたちから秋波を送られることはあっても、
切った張ったの色恋沙汰になることはまずない。
ああ、すべてが一場の春夢……人生はほんとうに儚くも短い。
女性は男性以上に〝老い〟に敏感だ。
毎日、鏡に向かって化粧をしているせいだろう、
老いの兆候に対しては異常なほど過敏になっている。
ボクの女房などは白髪1本で世も末とばかりにギャーギャー騒ぐ。
テレビでは〝アンチ・エイジング(抗老化)〟を謳ったスキンケア商品や
サプリメント健康食品などのCMが花盛りで、市場規模も数千億円と
年々増大している。娘時代は貴重な時間とエネルギーのほとんどを
「過食」と「拒食」の間を往ったり来たりすることに費やしてきた彼女たちが、
こんどは「アンチ・エイジング」一本にしぼって金と時間をつぎ込んでいる。
ボクはその健気なまでの努力を嗤いはしないが、老化を力ずくで押しとどめよう、
などとはさらさら思わない。むしろ「老化」を楽しむようにしている。
鏡をのぞけば、たしかに白髪白髯の生気のないおっさんが映っている。
(でもね……)
とボクは思うのだ。けっこう年相応にカッコいいじゃん――。
なるほど「カラダ」は衰えたが、「ココロ」はむしろ尻上がりに爛熟に向かっている。
その充実ぶりが顔の表情にも出てくるのか、どこか駘蕩とした雰囲気が漂っている。
若い頃の顔には不安と驕慢が同居していた。未熟そのもののいやな顔だった。
そしていま、自分でもふしぎな心持ちなのだが、
(60数年生きてきて、いまの顔がいちばん好きだな)
と、臆面もなく言えてしまうのである。
世の中には、ある年齢にならないと分からないことがある。
親の年齢になって初めて「ああ、親父はこのことを言ってたのか」
胸にストンと落ちてくる。偉人たちの箴言が素直に腹にこたえる。
「読書尚友」を地でゆき、死んだ人ばかりを友としてきたボクのような人間は、
この〝予定調和〟的な考え方が、やけに身に滲むのである。
〝老い〟にあわてふためき、アンチ・エイジングに血道を上げるのもけっこうだが、
「老いるショック」をものともせず、むしろプラスイメージに変え、
前向きに生きていけたら、と思う。
そこで今回のテーマにふさわしいお上品な替え歌をひと節考えてみた。
♪ 60歳になったら
60歳になったら
愛人100人 できるかな
100人と やりたいな
差しつ差されつ 蛇の目傘
スッポン スッポン スッポンポと (童謡『一年生になったら』の加齢バージョン)
←娘たちが小さかった頃、
みんなでよく歌ったな。
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