2016年2月7日日曜日

帯状疱疹と誕生会

■2月某日
帯状疱疹にかかってしまった。
髪の生えぎわに赤い吹き出物がポツポツできたと思ったら、
首筋、胸、肩、背中の右半分に蕁麻疹のような湿疹が広がってきた。
アレルギー性の湿疹など珍しくないので、放っておいたらみるみる成長。
(これは尋常ではないな……)
ネットで症状を書きこみ検索したら、「帯状疱疹」の症状と一致している。
帯状疱疹は子供の頃にかかった水疱瘡のウィルスが神経節に潜伏していて、
数年後あるいは数十年後に突然復活するというタチの悪い病気。
ストレスや加齢などで免疫性が落ちるとかかるらしい。

ふつうは3週間~1カ月で治るらしいが、ヘタをすると皮膚症状が回復しても
痛みだけが継続して残る「帯状疱疹後神経痛」になる可能性もあるという。
とにかく皮膚の腫れも尋常ではないが、間欠的におそってくる刺すような痛み
がつらい。ボクの場合は、針で頭を数秒おきに刺されるような感じで、
思わずイタタタタ……と叫んでしまう。それもそのはず、某医者は、
「頭痛の激しさはガンの痛みに次ぐほど」と言っている。ああ、神様仏様、助けて!

■2月某日
ボクと長女の合同誕生会を銀座の『エル ビステッカーロ』で開く。
出席したのは他に女房と次女夫妻。幸い帯状疱疹は顔には出ていないので、
〝端正な顔〟を隠さずに街を歩くことができた。銀座はボクの庭みたいなもの。
久しぶりに歩いたら、やたらと中国語が耳に飛びこんでくる。
(ああ、おれの街もついに騒々しい支那人観光客の軍門に下ったか……)
気分は落ち込む一方だった。

中央通りを外れ、一筋入ったら、通りの植え込みに手を伸ばしている支那人の
おばさんがいた。植えられている赤い椿をこっそり手折らんとしているのだ。
「コラッ! 何てことをしてるんだ、やめないか! 」
かなりきつい調子で叱ったら、いったん手を引っ込めたが、
まだあきらめきれない様子だった。おそらくボクがいなくなったら、
また戻ってきて枝を折るつもりなのだろう。まったく支那人ときたら……

会食は予定どおりはじまった。
ボクと婿さんはいつものように生ビールをたのみ、その後は赤ワインにした。
料理はどれもうまい。基本はローマ料理で、ローマっ子のSabrinaを連れてきたら
さぞ喜んでくれるだろう。ボクは以前、ノロウィルスにやられ誕生会を台無しにした
前科があるので、帯状疱疹のうずくような痛みはなんとか意志力で押さえつけた。
せっかくのお祝いの席で痛みに歪んだ顔はできない。ボクはワインをガブ飲みした。
痛み止めの麻酔のつもりである。

女房と長女、そして次女夫妻とは有楽町の駅で別れた。
みな次女の家まで遊びに行くという。ボクはひとり有楽町線に乗り、
一路和光市へ。酔いも手伝ってグーグー寝てしまったのだが、
小竹向原駅で和光市直通の各停に乗り換えてくれと車内アナウンスがあった。
てっきり一本で行けると思ったのだが、西武池袋線の保谷行きに乗ってしまったのだ。

あわてて乗り換えてホッとしたのもつかの間、
(いっけねえ、網棚に娘たちからもらった誕生プレゼントを置き忘れた!)
ひと駅先の新桜台の駅で「網棚に忘れ物をしてしまいまして……」と駅員に報告。
すぐに手配してもらい、そのまま連絡先を残しひとまず帰宅した。

ほどなく新桜台駅の駅員から連絡が入った。
それらしき紙袋が発見されたという。ついては石神井公園駅に保管しておくから
すみやかに受け取りに行ってくれ、というメッセージだった。
(ああ、よかった。もしも見つからなかったら、娘たちやカミさんから総スカンを食ってしまう。
へたすりゃ、血を見るかも……)

ここでも日本に生まれてよかった、としみじみ思う。
忘れ物、落とし物がよほどのことがない限り手もとに戻ってくる。
こんなすばらしい国は世界中どこを探してもないですよ、
とわが家にホームステイする留学生たちもよく言っている。

というわけで、翌日の今朝、ボクは車を飛ばし石神井公園駅で〝ブツ〟を確保。
ホッと胸をなで下ろした。
帯状疱疹といい、支那人観光客のババアといい、網棚への置き忘れといい、
なんともついてない1日だった。でも、家族の「ほっこりした愛」を感じた1日でもあった。




←『エル ビステッカーロ』で食べた料理。
どれも実にうまかった。





photo by Akko

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